【583系特急はくつる】時刻表の旅 1968年10月 上野→青森
1968年10月ダイヤの時刻表をもとに、
動画内で再び「特急はくつる」を走らせてみました。
583系の寝台に乗って、
決して広い窓ではありませんが、
複線電化が完成した東北本線の車窓を楽しんでみたいです。
実際に乗車している時の風景はありませんが、
乗車している時に入ってくるであろう情報をお届けしています。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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「星降る空」/作曲:もっぴーさうんど 様
ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
#国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東京駅 #上野駅 #過去鉄 #北海道 #583系
Пікірлер: 54
小さい頃、東北新幹線が開通する前に一度だけ13両編成のはくつるに乗ったので、懐かしいですね😊 食堂車はかなり早い時期で営業休止になったのが残念😢
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 食堂車が当たり前だった時代から、車内販売の時代に変わり、そして今年の11月からは東海道新幹線からグリーン車を除く車内販売が消えてしまいました。時代がどんどん変わっていきますね。
すでに亡くなった自分の実父が国鉄で夜行列車の乗務員(東北奥羽方面)をしていて、はくつる、ゆうずる、津軽には仕事としてかかわっていたので、この映像を見るとまだ父が現役だった時代が思い出されて灌漑深すぎる むろん自分も何回かはくつるには乗りました。電車式3段寝台ですが、通称パン下は乗り鉄ならだれでも知ってるという。
@tomoyankun
5 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 お父様と過ごした時間や乗車した記憶など、かけがえのない思い出のつまった列車だったのですね。 有名なパン下、一度は乗りたいなと思っていたものの、乗る機会がありませんでした。
はくつるは晩期の客車時代に乗ったぐらいでした。 583系は酷使もあって経年劣化も早かったり、需要の大幅転換で715系や419系になりましたからね。 それでも"はくつる"という老舗特急に乗れただけでも幸せだったと思ってます。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 晩年の客車時代の『はくつる』も良い列車でしたね。 運用上の不便さもあったようですが、昼夜問わず走行でき、当時の様々な設備上の問題を乗り越えられるよう作られた事がよくわかりますね。
母の田舎が岩手だったので、24系25型のゆうづるは心ゆくまで乗りましたが、583系は結局乗らずじまいだったのが今でも悔やまれます。
特急おおとりはかつて三階建て急行だった摩周釧路行と急行オホーツク(先代)網走行が急行宗谷稚内行から分離独立して誕生しました。が、これの2年後の昭和45年10月改正で釧路行が分離して特急おおぞらになりました。函館駅を5分おきに発車していたのはその名残です。三階建て急行が結局別々の列車になったのは輸送量が増加していったからなのでしょう。 いい時代でしたね...
@user-kf3zz4lr8q
8 ай бұрын
おおとり号に食堂車は釧路駅行きに連結されていましたよ!
@exp.m.k.2300
8 ай бұрын
@@user-kf3zz4lr8q さん おおとりが函館ー網走の単独運転になってからもしばらくは食堂車が連結されず、昭和47年に連結されるようになりました。それが気動車特急最後の食堂車になるとはねぇ...
22時に上野駅発車、07時に青森駅到着とは何とも利用客にはとても便利な時間帯のなかでのダイヤですね。寝て目が覚めたら到着と正に人間の平均的な行動パターに適した寝台列車だと思います。先ず驚いたのは殆どの特急列車が停車するであろう大宮駅、野辺地駅を通過、極力終着駅到着を優先に考えた列車だという印象を受けました。 あと、こういう動画で一本の列車に特化して時間を追ってみると、時刻表で同じ列車を眺めていてもまた違ったものが見えてきそうでとても面白く思えます。 一週間に一度の楽しみ、いつもありがとうございます。
ブルトレ化してからあさかぜお下がりのシングルDXに野辺地まで乗ったことがあります。大湊線・下北交通(当時)乗り継ぎ狙いで。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 シングルDX、広さ自体はそこまででしたが、屋根の高さは開放感がありましたね。
いつもありがとうございます。 上野から青森まで8時間半、寝て起きたら終点というものだったのでしょうね。 客車と違い真ん中に通路があり、三段式は窮屈であったものの横になって移動できることから東北新幹線が盛岡開業するまで高需要をキープできたものと思います。 一眠りしたあとは連絡船、さらには道内の特急に乗り換え。時間はかかるものの当時としては画期的なものでしたね。 ヨンサントウでしたら次はその時に特急になった大阪から青森までの日本海号や電車化された大垣夜行があると良いですね。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 乗り換えは多かったですが、夜を有効に利用して移動できるメリットは大きかったでしょうね。 日本海に大垣夜行、どれも大変有名な列車達ですね。リクエストありがとうございます。
はじめて583系はくつる号を知った時の停車駅が大宮・宇都宮・盛岡・八戸・三沢・野辺地だったのでかなり違っていたんですね。乗車に関しては24系25型で運行していた時に何度か利用させて頂きました、22時ちょっと過ぎに出発し終点の青森に翌朝の8時15分頃だったので本当に便利でした
583系のゆうづるは乗車出来ましたが、はくつるはついに乗車出来ませんでした。寝台利用の時は私と弟が子供の時には下段の106cmでした。両親が中段と上段と言った感じでした。食堂車のサシ581は山陽特急のつばめ、はと、しおじて利用しました
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 下段で兄弟で過ごした寝台の夜、かけがえのない素敵な思い出ですね。
電車寝台は今でも珍しい部類に入りますから一度乗っておきたかったです。 東北本線の夜行は特急より急行が多いですね。
@kataakeo7730
8 ай бұрын
そうですね。乗りたかったです。結局、電車寝台はサンライズ出雲だけです。
東那須野駅、現在の那須塩原駅
@hc-ir2dr
9 ай бұрын
磐城西郷駅、現在の新白河駅 北福岡駅、現在の二戸駅 尻内駅、現在の八戸駅 です。
ゆうづるを見て、もしやと思ったらこちらに「はくつる」が。ありがとうございます。 北海道へ行く時、「ぐるり北海道きっぷ」(東京から北海道往復33000円という破格で、北海道までのB寝台&道内特急乗り放題でした)で日付変更線の宇都宮から乗りました。20年ほど前ですが、さらに海峡・北斗と乗り継ぎ、長万部へ。そこからは山線の普通で小樽へ。初北海道の思い出深い旅を構成する列車でした。懐かしすぎます。3月でしたが、「はくつる」のデッキには雪が吹き込んで、車窓は吹雪で真っ白。青森の寒さを体感したものです。
昔、名古屋で17時過ぎまで仕事で翌日8時までに青森県の六ケ所村に行く際に上野から乗ったのが「はくつる」でした。もう廃止寸前で数両の寝台車の編成で、年季の入った客車でしたが乗る事が出来て良かったと思います。
いつも作成お疲れ様です。 この寝台に、1度でいいから乗りたかった記憶があります。 このブルーが格好いいよな…。 折りたたみ式で、昼は特急・夜は自分で組み立て式の寝台になるなんて、誰が想像したでしょうか。 懐かしいですね。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 ブルーの車体がカッコいいですよね。このデザインに魅せられて、子供時代は写真をひたすら眺めていました。いつか乗りたいなと思い、そして一方でいつでも乗れるだろうと思っていたら、乗る機会を失ってしまったのが今でも心残りです。
@user-zt4fd4ig7o
8 ай бұрын
@@tomoyankun わかります。 そういうもんなんですよね。 私も乗りたかった…。
583系、ついに乗る事が出来なかった(´;ω;`) 当時、夜は「ゆうづる」「はくつる」 昼は「はつかり」「みちのく」「ひばり」と 昼夜問わず走り続けてたんですよね
@kataakeo7730
8 ай бұрын
583系は乗ったことがありますが、寝台では乗っていません(寝台って、学生には高い乗り物なので。)昼行特急となぜか間合い運用(のはず)の普通電車に乗ったことがある程度です。
1968年頃は福島駅の次は瀬上駅だったのか 1978年に東福島駅に改称したのね。
生れる前なので乗車出来ないですが現代に復活したら乗りたいです。 今、何でもかんでも新幹線ばっかりでつまらないです。 夜汽車の旅を楽しみたいです・・・
ほぼ一日移動! 新幹線でも半日潰したことあるし…!
@osamukanetake6816
8 ай бұрын
そして大宮飛ばして食堂営業! 真夜中停車は東海道では無い…?
『はくつる』は1982年11月改正まで大宮を通過していた数少ない列車。 そんな大宮駅も今では新幹線も全ての列車が停車する首都圏有数のターミナル。
末期の客車【はくつる】は仕事が終わった脚で新幹線に乗ると、「宇都宮」で追いつけて、「青森」から【海峡】に乗り継ぐと、午前中に「函館」につけた。お世話になったな。
食堂車の営業時間は何時から何時までだったんでしょう?
@hc-ir2dr
8 ай бұрын
細かい時間は分かりませんが、ダイヤの感じから、短時間しか営業できなかったのではないでしょうか。 上野から東北方面に行く夜行の食堂車は早い時期に廃止されたみたいです。
寝台特急列車「はくつる」ですか。 鉄道ファン誌に後に鉄道ジャーナル社を立ち上げた竹島紀元氏の渾身の同乗ルポルタージュが掲載され、20系寝台特急になった「はくつる」のルポを貪る様に読みました。 個人的に、室蘭本線洞爺駅から山陰本線八鹿駅まで国鉄で移動した時に、常磐線経由の「ゆうづる」に乗車した。 はくつるも乗りたかったが、機会に恵まれず。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 洞爺駅から八鹿駅だとかなり時間がかかったでしょうね。 現在では新幹線を利用すれば早く着きますが、旅情はあまり感じられなくなってしまったでしょうね。
厳密には青森駅付近には少しだけ単線部分があった。そのため下りの十和田号8時59分着がよく遅れていたそうです。はくつるについては、583系電車になり、当時の2等座席車がなくなり、1等の座席車になった。また昭和45年までのクハネは581でクハネ583よりも寝台や座席が少なかった。これは、コンプレッサーが車体にあったためでクハネ583では床下装備に変わったためです。はくつるは、寝台券の取りにくい列車のひっとうでした。それは函館からの連絡列車が、非常によかったのではと思います。
昔は大阪から日本海きたぐにトワイライトエクスプレスがありましたが今はありません。東北に行くにも新幹線乗り継ぎはかなり時間がかかるので結局飛行機ですね。東京の人は便利だけど。
夜行の急行まつしま→急行くりこまでの上野→青森のダイヤって興味あるんですが、リクエストしてもいいですか?(出来れば昭和40年代でお願いします)
583系寝台電車特急 青森(盛アオ) はつかり、ひばり、みちのく、はくつる、ゆうづる 向日町(大ムコ) つばめ、はと、みどり、しおじ、明星、彗星、金星、きりしま、なは、しらさぎ、雷鳥、有明、にちりん 多くの列車名が名を連ねた名車
はくつるいいね! うちの介護施設の国鉄の運転士だった利用者がいます すいませんが、いつでもいいので 金星号、はくたかのダイヤのこと教えてください
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 貴重な経験をしておられる方で、色々とお話を聞けそうですね。金星もはくたかも有名な列車ですね。リクエストありがとうございます。
43.10のダイヤ改正で、車両が20系客車から583系に変更され、大幅にスピードアップしましたね。後に通過駅(運転停車)になる、郡山・福島・仙台ですが有効時間帯では無い時刻で、果たして利用客はいたんですかね?。
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 今ほど交通機関の選択肢が多くない時代ですから、数は少ないながらも、『ある程度はいたのかな?』と思っています。ただ、実際のところはどうだったのか気になりますね。
時刻のリクエストを送ります 昭和55年のダイヤでお願いします 山陰 寝台特急「出雲」と急行「さんべ3号」 特急「あさしお3号」と急行「だいせん」 北陸 L特急「雷鳥3号」 北海道 寝台特急「ゆうづる5号」 特急「おおとり」 九州 寝台特急「さくら」 以上です
食堂車のステーキ定食800円って、今の物価(価格)だと2,000円くらいになるでしょうねえ。国鉄初乗り運賃が20円の時代ですもの。なかなか食べられる品じゃなかったと思います。
@spy007ex4
9 ай бұрын
前菜やらスープやらあってコースになっており、車内調理でした。対するにカレーライスとかは実はレンジでチン。 なので価格差はそれなりにあるでしょうね。 今も業者から仕入れてパックに入ってるのをお湯で温めて皿に盛りつけるだけのスクランブルエッグとか、業者仕入れのサラダとか普通にファミレスでも出してますので、むしろ手作りの方が貴重な分、コスト掛かってるんでしょう。
おぉ!!伝説の最速寝台電車!!! P.S.……なーんかはくつるって(それが正しいか間違ってたかはともかくとして)歴史上ついぞ最後までずっと1往復しかなかった印象なんだよなぁ……
@tomoyankun
8 ай бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 2往復の期間はそこまで長くはありませんでしたので、1往復の印象が強いですね。
@maruhiroya417
3 ай бұрын
@@tomoyankun ゆうづるを1往復ルート変更してた時期がありましたね。
583系はくつるの印象ですが、夜行ながら電車の足を生かしぶっ飛ばして走っていました 3段寝台で頭は窮屈でしたが下段のゆったりとした幅は快適でした。