女流棋士 山口恵梨子ちゃんねる

女流棋士 山口恵梨子ちゃんねる

日本将棋連盟女流棋士、山口恵梨子が初心者向けの将棋講座をお届けするチャンネルです。
観る将棋ファンの方々は将棋をもっと面白く観られるように、指す将棋ファンの方はみんなでアマ初段を目指しましょう!
たくさんの方々に将棋を始めて頂けたら嬉しいです!
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Пікірлер

  • @hweise6038
    @hweise6038Күн бұрын

    30秒に一度笑いがある本格的な将棋講座w

  • @syachi-ku
    @syachi-ku4 күн бұрын

    06:05 いいの?❤ いいの( 一一)

  • @user-sj7ts3vq1f
    @user-sj7ts3vq1f6 күн бұрын

    イチイチ手番を覚えるよりも相手の出方で、考えながら、指すことが重要です。

  • @user-sj7ts3vq1f
    @user-sj7ts3vq1f6 күн бұрын

    成った駒は結構強いです。成った駒があれば、後は駒取りゲームです。

  • @user-sj7ts3vq1f
    @user-sj7ts3vq1f6 күн бұрын

    私は原始棒銀にこだわった結果、非常に難しくなってしまいました。私の手の内を読まれているので、ケースバイケースの方が勝ちやすいです。

  • @user-vj4jw7vl2j
    @user-vj4jw7vl2j7 күн бұрын

    生きる伝説!

  • @user-vg3si1ni6t
    @user-vg3si1ni6t9 күн бұрын

    内容も良い上に可愛い

  • @user-rc7tt9pt5s
    @user-rc7tt9pt5s10 күн бұрын

    何度見てもすごく✨

  • @mm19oh17mr7
    @mm19oh17mr711 күн бұрын

    超絶勉強になりました。 えりこ様の可愛さ限界突破してます。大好きです。

  • @jan_darysh
    @jan_darysh11 күн бұрын

    攻めも守りも同時に考えながら戦うのか…素人だと城を築いて「よしっ!行くぞ」ですがそれじゃあ気づいたら遅いのが分かりました。ありがとうございます

  • @user-ol8bp3qn5p
    @user-ol8bp3qn5p14 күн бұрын

    初めまして( •̤ᴗ•̤ ).。.:*♡ チャンネル登録しました(*^^*)

  • @randy-v
    @randy-v14 күн бұрын

    女医さんにいそう✨

  • @user-rf4mt6qe7b
    @user-rf4mt6qe7b15 күн бұрын

    33歩つかれたら飛車なれないですが😅

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3o15 күн бұрын

    2024年6月27日 ◼️鼎談 大山将棋と人となり(7)完 ※昭和49年、女流棋士制度発足 ※昭和51年、現在の将棋会館完成 ※昭和52年、大山康晴、千勝達成 雑誌『枻』(えい) 昭和52年7月号 〈特集〉大山康晴千勝の足跡 加藤治郎×原田泰夫×永井英明 (この鼎談は、4月1日、第30期棋聖戦の予想座談会に引き続いて行われた) 司会 梶川眞治 サンケイ新聞社  加藤 あの人が長く続いているのは色んな理由があるよね。酒もそうだろうけど、第一に将棋の質がそうでしょう? スパッと勝たない。案外ごちゃごちゃしているうちに勝ちへ持っていく。あの人の将棋を研究しても真似ができないんだよね。とらえどころがないことは、プロの勝負では大きいですよ。  永井 先生に「勝つ秘訣は何ですか?」と聞くと「結論を急がないことだ」とおっしゃるんです。  加藤 例えば升田流にズバリ、あざやかに寄せて勝っちゃうと、誰もがすぐに覚えてしまって。  永井 他に真似されてしまうわけですか。終盤になっても結論を急がないということは、見ている側にとっても何がどうなっているのか分からないことになりますね。  原田 それだけ力があるということですよね。だからいろいろなことをやれる。  加藤 15年もタイトル戦に出ずっぱりなんだから本当にすごい記録だよ。  原田 「大山将棋と人となり」を私なりにまとめてみると、何といっても高い技術があって、体力も人並み以上、あんまり表面には出ないけど内面の闘志が充実している。  加藤 記憶力も抜群にいい。人の性格をのみ込むのも早い。  永井 先ほど数字に強いという話でしたけど、さらに計算が早いですね。香港に御一緒したときも、買い物をする場合、香港ドル、米ドル、日本円、これの換算が早いんです。品物を買うとき「香港ドルでいくら?」「米ドルでいくら?」「日本円では?」ってパッパッと聞きましてね、店の人が答えると、どれが一番安いか計算されるんです。「じゃあ、日本円で買おう」となるんですが、店の人が電卓で答えを出す前に計算が済んでしまうし、それが間違わないからすごいです。その上、電卓を使うなんて気に入らないとかおっしゃっていました(笑)  司会 本日は楽しいお話を伺いました。大山将棋の何たるか、またその人となりについても従来ここまで聞けなかった内容だと思います。長時間、ありがとうございました。 座談会に続いての記事 〈大山将棋の技と力〉 田辺忠幸 たなべ・ただゆき、観戦記者。早稲田大学将棋部。共同通信社で将棋、囲碁などを担当。棋王戦創設に参画。(ウィキペディアより)  大山はよく兄弟子の升田幸三と対比される。升田が華麗な将棋を好み、派手な棋風の持ち主なら、大山は地味である。升田が攻め将棋の代表格なら、大山は受け将棋の典型である。升田が新手一生の創造派なら、大山はそれを迎え撃つ修正派である。理想を追求する升田将棋、現実的な大山将棋。どこまでも対照的な二人である。………大山将棋は極めて実戦的で、チャンスがきても勇み足を警戒して攻めに出ない。一歩後退して次のチャンスを待つ。そして最善の時機に勝負に出る。寄せも最短を目指すことなく、堅実に遠回りして勝つ。………「守りの駒は美しい」 大山の好きな言葉である。そして好きな駒は、受けに利く金。金の使い方がうまい。大山の受けは平凡に見えるが、あとになってすばらしい威力を発揮する。数多くの実戦譜に、受けの妙手がちりばめられている。その中で、もっとも印象的なのは……… ※女流トップ棋士で例えれば、直感的には 大山流の里見、升田流の西山 きょうは西麻布から歩いて国立競技場の前を通り、千駄ヶ谷駅へ。途中、将棋会館に寄ってみました。1階の売店を見ただけですが、移転も近い、何か買って行こうと。駒は何十万とする……あっ、西山ちゃんの本。パラパラめくる。「手損に手損を重ねる」どういうことだろう?里見将棋についても書いてある。パッと読んでまだ理解できない……レジカウンターの上、駒の消しゴム。これを買おう。王、飛、角……結局、金の消しゴムを買いました。そして鳩森神社の富士塚に登ってから、千駄ヶ谷センタービルの前を歩く。工事関係者が出入りしていました。現在の将棋会館で、あと何回えりりん先生は対局するのでしょうか。

  • @user-ii3eg2oj7b
    @user-ii3eg2oj7b15 күн бұрын

    魔術師のマント、やっぱり魔術師だった

  • @vcwvpzq
    @vcwvpzq17 күн бұрын

    これ負けた久保さんが可哀想すぎるって話じゃないか

  • @user-gs3xo6my6d
    @user-gs3xo6my6d18 күн бұрын

    動画と関係ないんですが、将棋詳しいですね

  • @wakimaru2023
    @wakimaru202318 күн бұрын

    わかりやすいです!

  • @2n_29
    @2n_2919 күн бұрын

    7:58 「先手番なら大丈夫とされてます」 もはや自分の研究じゃなくなって他者の研究次第なんだな

  • @user-vu2kw6xi2n
    @user-vu2kw6xi2n19 күн бұрын

    わかりやすいです。楽しく学べます。

  • @user-tr6mx4qf7q
    @user-tr6mx4qf7q19 күн бұрын

    将棋界で、振り飛車党の第一人者は、藤井システムの藤井先生なのですね。 とても良く理解できました。今後も、何卒、温かいご指導(KZreadなどで)を 賜りますよう心からお願い申し上げます。♬♬

  • @user-lu3fe9ng4h
    @user-lu3fe9ng4h19 күн бұрын

    勝って当然、負けたらボロクソのプレッシャーのやばさは、すごく伝わりました^_^

  • @thunderbolt3387
    @thunderbolt338720 күн бұрын

    聞き手の山口さんがうまい!

  • @user-ck6pl2gp4v
    @user-ck6pl2gp4v21 күн бұрын

    Jack Rokkyです、あなたの声で将棋ウォーズやってます、宜しくお願いします🙇

  • @user-ej9pe6ro8b
    @user-ej9pe6ro8b23 күн бұрын

    九段はやばい

  • @user-hm6uf2ht5d
    @user-hm6uf2ht5d24 күн бұрын

    高齢者の私ですが楽しく拝見してます姫様にお願いが有ります盤面をもう少し大きめにして欲しいです駒字が読めるようお願いします

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3o24 күн бұрын

    2024年6月18日 ◼️鼎談 大山将棋と人となり(6) 新潟で棋聖戦が行われた。 きょうは、対局場そばの出身棋士、原田泰夫にちなみ、雑誌記事の続きを。 ※昭和49年、女流棋士制度発足 ※昭和51年、現在の将棋会館完成 ※昭和52年、大山康晴、千勝達成 雑誌『枻』(えい) 昭和52年7月号 〈特集〉大山康晴千勝の足跡 加藤治郎×原田泰夫×永井英明 (この鼎談は、4月1日、第30期棋聖戦の予想座談会に引き続いて行われた) 司会 梶川眞治 サンケイ新聞社  加藤 本誌の前の特集で、NHKラジオ対局の写真と棋譜が載っていて懐かしかった。大山と細田の対局を五段の私が解説したとき大山が12歳で3級、細田が13歳で2級でした。あの日、細田が負けたんだが、どういうわけか帰って来ないんだよ。関根名人の家に内弟子としていたんだけど、あんまり遅いんで関根名人から電話がかかって来てね。もう終ったはずなのに戻って来ないと言うんだ。それで探しに行ったら、NHKと関根名人宅の中間あたり、芝の金比羅宮の境内で、ベンチに腰かけたまま負けた将棋を研究していたんだね。その試合は、さっきも言ったように、大山が絶妙の受け、3三桂をやったんですよ。  原田 甲府の天才少年、細田さんも強い人で、私は奨励会のとき一番だけ指したことがあります。米長さんの大先輩にあたるわけですね。  加藤 惜しかったね、早くに亡くなってしまったから。  原田 お父さんがしょっちゅう傍で観戦していましてね。あんまり熱心なので相手が嫌になっちゃって。将棋は天才的な強さだったけど、身体が強くなかったんですね。それを思うと健康に恵まれることが、いかに重要かわかりますね。  それから、大山さんが長くトップの座を維持してこれた要因の一つに、棋士仲間との酒の付き合いをほとんどしなかったことも言えそうですね。棋士というのは勝った方がおごるとか言って、延々と半徹夜で飲むなんてことがよくありましたから。そういうグループには加わらず、自身でも酒を受け付けなかった時代もあったようです。  永井 大山先生もおっしゃっています。若くして飲んではいけない。進歩が止まったら飲んでもいいと若い棋士に言ってますね。  加藤 酒を飲む人は、夕方になると飲みたくなるからねえ。「まだあそこの店やってるかな、この将棋が終ればいいんだが」なんて考えて、ゆっくりやれば勝てるものを、あわてて指して逆転負けしたりね。  永井 今は大山先生もお飲みになりますが、飲み方が違います。ご一緒していても、「永井さん、これからどうする?」なんて飲みながらおっしゃるんですよ。どうするったって、どうしましょう。笑  原田 酒を飲む一手で良さそうなものを、二手も三手も読まなくたって。  永井 だから、こちらもついつい、次はどうしようか、なんて考えながら飲むことになるんです。笑 ※細田……細田清英。関根門下の奨励会員。 ※米長さんの大先輩……細田清英、米長邦雄、ともに山梨県の出身。 ※大山と細田のラジオ対局……細田は東京のスタジオにて(愛宕山の現・NHK放送博物館)。一方の大山は大阪のスタジオから、という顔の見えない対局。行われた時期については本により食い違いがあり、昭和10年か昭和11年かはっきりしない。いずれにしても少年二人の対局は、このラジオ対局で大山がリベンジ。ただし大山少年の勝ちは、研究手が打てたという運のよさがあったようだ。 昭和10年(有楽町、毎日新聞社にて) (先)大山康晴 ●―○ (後)細田清英 昭和10年or11年(NHKラジオ対局) (先)細田清英 ●―○ (後)大山康晴 ※関根名人宅……麹町区三年町。 国会図書館の昔の地図に「関根」と書いてあるのは国会議事堂のすぐ南。およそ現在の住所で表せば、  千代田区永田町1-4-11 ※グーグルマップで見ると、関根邸とNHK放送博物館の中間、虎ノ門交差点のところに金刀比羅宮があります。細田清英が対局後に神社へ寄り道していたのは負けた悔しさもあったのでしょう。 【きょうのおまけ】 第95期棋聖戦第2局、えりりん先生は現地の大盤解説でしたか。東京はすでに真夏のような暑さですが、新潟はどうだったでしょう? 上越新幹線で新潟駅、そこから電車を乗り継いで、トータル4、5時間? 宿では温泉が癒してくれたと思います。 新潟市西蒲区岩室温泉 (にいがたし にしかんく いわむろおんせん) 高志の宿 高島屋 (こしのやど たかしまや) ※『木村の矢倉』巻末に、 第80期棋聖戦第1局 新潟県岩室温泉「高島屋」 ▲八段 木村一基 △棋聖 羽生善治 参考棋譜が載っていました。 15年前、同じ宿で対局したんですね。

  • @user-uk2cg5ps1n
    @user-uk2cg5ps1n26 күн бұрын

    責められてやな人は、先に責めちゃうのが大事❤

  • @user-ot1fc9sm7u
    @user-ot1fc9sm7u27 күн бұрын

    苦戦してた棒銀に嘘のように勝てました!ありがとうございました!!!!

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3o28 күн бұрын

    2024年6月14日 ◼️大崎善生『聖の青春』 「昭和44年6月15日、村山聖は誕生した。父伸一、母トミコにとって祐司(長男)、緑(長女)につづく3人目の子供だった。  昭和11年生まれの伸一は、広島大学理学部物理学科へ進学し、エンジニアとして広島市内の会社に就職した。そして3歳年上のトミコと結婚した。  伸一は生まれた次男の名前を考えていた。聖徳太子の『聖』、ふとそうひらめいた。文字の形、雰囲気、実にいい。漢和辞典で読みを調べた。『聖』は『さとし』と読むことを知った。『むらやまさとし』声に出してみる。いい響きだと伸一は思った」 「昭和49年、聖は広島市民病院に入院した。ネフローゼは腎臓の機能障害である。その結果、顔や手足に異様なむくみが出る。また、ちょっとしたことで高熱を発しやすく、効果のある治療方法は安静にすることなのだが、それは遊び盛りの子供には困難な話であった。  昭和50年、聖は再入院した。この頃から聖は本を読み始める。トミコは児童書を買っては病院に届けた。図書館の児童書も借りつくした。読むスピードが速いのだった。  ある日、入院生活の気晴らしになればと、伸一は将棋盤と駒を買って聖の病室を訪ねた。そして来客用の丸い椅子に腰かけて、並べかたと駒の動かしかたを教えてやった。村山聖、6歳のことである」 「昭和51年、聖は小学校に入学した。学校ではいつも先頭に立って走り回り、家に帰っては暗くなるまで坂道を駆け巡っていた。病気なのだから無理しちゃいかん、と伸一は言い聞かせたが、聖は耳を貸さない。そんな調子だったから、聖が3度目の入院をするまでに時間はかからなかった。小学校に入学してわずか1ヵ月で、広島市民病院の院内学級に転校した。  ある日、トミコが見舞いに行ったとき、聖がぼそりと注文した。『将棋の本を買うてきてくれ』 トミコはとりあえず広島でいちばん大きな古本屋に行き、将棋の本が並んでいる一角を見つけた。トミコは何十冊もある中から、あまり迷うことなく一冊を手にした。『将棋は歩から』という本だった。  聖はベッドの上で読みつづけた。『わかるんか。漢字なんか一つも読めんじゃろうが』と伸一は尋ねた。『漢字は読めんけど、大体のことは前後を何度も読み返せばわかるんじゃ』と聖は自慢げに答えた。  初心者向けの本を何冊も読破した聖は、小学2年のとき『将棋世界』という雑誌を与えられた。いつものようにトミコが古本屋で偶然に見つけたものだった。そこには聖にとって知りたい情報、詰将棋、次の一手問題、定跡の知識などあらゆるものが詰まっていた。毎日、雑誌の詰将棋を解き、昇段コースの問題に取り組み、懸賞問題には欠かさず応募した。そうして『将棋世界』に没頭し、相手を見つけては将棋を指す日が続いた」 「昭和57年、大阪の関西将棋会館道場で、聖と森ははじめて対面した。ネフローゼで顔はむくんでいた。うつむきかげんではあったが、瞳は輝いていた。『あのなあ、靴下を履かんとあかんぞ』森は言った。聖の代わりにトミコが答えた。『この子は冬でもこうなんです。身に着けるのが鬱陶しいらしくて』 しかし、師匠になる人と初めて会うときに裸足で現れるものだろうか。そんな疑問を見透かすようにトミコは言った。『この子、一度いやじゃと言ったら、私の言うことなんか聞かなくて』 森は聖を弟子にした。11月、大阪で聖は森門下として奨励会試験に挑んだ。この日、大阪では佐藤康光、東京では羽生善治、森内俊之、郷田真隆、丸山忠久ら俊英たちがプロの門を叩いていた」 ※村山聖が森門下に入ったのは13歳、中学1年のとき。 「奨励会に入っても生活スタイルに変化はなかった。変わったところがあるとすれば、村山の行く場所が、関西将棋会館2階の道場から3階の棋士室になったことくらいだった。棋士室にはプロの棋譜がファイルされていて閲覧することができる。村山は毎日その部屋で研究に没頭した。村山にとって一番大事な日は、月2回行われる奨励会の対局日だった。そこで級位者は1日3局の手合いがつけられる。持ち時間は各1時間、使い切ると1分将棋である。6級から1級までは6連勝または8勝2敗で昇級。初段から四段までは8連勝または12勝4敗で昇段となる……」 【きょうの詰将棋】 詰将棋パラダイス 1999年3月号 東京都 大崎善生 〈玉方〉11香12玉13桂31歩     52銀53銀54桂 〈攻方〉15角34歩45竜 〈持駒〉角桂歩歩 【村山聖の詰将棋】 blog.goo.ne.jp/goonobuo1952/e/b8248488ab045f4c1350d7168b52169c ノート右上 ⑤ (筋を表す数字が左から書いてあるが…) 〈玉方〉23銀45馬52玉56飛     63香73銀84歩 〈攻方〉26角33竜81銀93歩 〈持駒〉金桂 ※図面下に薄く数字が書いてあるのは13手詰ということか

  • @mad8612
    @mad861228 күн бұрын

    動画待ってます

  • @mad8612
    @mad861228 күн бұрын

    右しか見てない

  • @tsukachiza5311
    @tsukachiza5311Ай бұрын

    いつも無表情の豊島先生の笑顔が見れて貴重でしたね。「今やったじゃん」って藤井先生にタメ口きく山口先生がすごく可愛くて最高です😊

  • @user-wl5ef3sy8z
    @user-wl5ef3sy8zАй бұрын

    瞬きが気になって頭に入ってきませんでした!

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3oАй бұрын

    2024年6月12日 ◼️『将棋世界』2014年 〈公式棋戦の動き〉 第4期 女流王座戦  ご存知のように、里見の休場延長が発表され、本来は挑戦者決定戦を争う加藤と西山が、女流王座をかけて五番勝負を戦うことになった。休場延長がスポンサー側に伝えられたのが発表の2日前というのだから、ギリギリまで悩んでいたのだろう。とにかく静養に努めてほしい。今回は、準決勝の▲西山△伊藤戦を取り上げる。相振り飛車になり、序盤から動いた先手の西山がリードを奪う。図は後手が△6四飛と歩を取った局面だ。6七の銀取りをどう受けるかだが、ここで西山は▲6六銀打と力強い決め手を放った。……そして▲5三歩△6二金左▲5四銀とたたみかけて攻めきった。強い内容だった。 第4期 女流王座戦 出場者インタビュー 加藤桃子 女王 ――女流王座戦五番勝負進出おめでとうございます。まずは今期のトーナメントを振り返ってください。  調子はよかったです。たまたま自分のよさが生きる展開になりました。 ――五番勝負は、同じ奨励会初段の西山さんとの対戦です。いつ頃から西山さんとは面識がありましたか?  小学生のとき倉敷王将戦の全国大会でお会いして以来、数年、年賀状のやり取りもしていました。 ――西山さんが関東に移籍されたときは? また、将棋の印象はどうですか?  最初の例会のとき、私は級位の部屋で、西山さんは有段の部屋にいたので、それほど話す機会はありませんでした。とても豪快で勢いがある将棋で、好みの形があるなと感じました。動きも機敏で前向きな将棋で、勝ち方を知っているというか、急所に手がいくのですごいなと思います。 ――加藤さんは何度もタイトル戦に出ていますが、初めて年下の相手ということで意識はありますか?  3ヵ月しか誕生日が違わないので、1学年違うとはいえ年下という感じはないですね。ただ同じくらいの人とタイトル戦を指すのは初めてなので、燃えるものがあります。今は奨励会でも同じ有段の部屋で戦っているので、勝ちたいという気持ちはあります。 ――タイトル戦に出始めた頃と、今と変わったところ、成長したところはありますか?  第1期は清水先生(清水市代女流六段)が相手で、ぶつかっていく気持ちで伸び伸びと指せたのですが、タイトルを獲得してから気負うものがあったりして、思うように指せなかった時期がありました。第3期で里見先生(里見香奈女流二冠)に奪取されてしまいました。将棋自体はいい内容が多かったのですが、勝ちきることが大切だと思いました。 ――五番勝負はどんな将棋になるでしょう? どういう将棋を指したいですか?  対抗型で、なかなか得意な展開にはならないはずです。奨励会員の将棋は相手の手を殺す手が多いので、自分らしい将棋を指したいからといって、指せるとは限りません。力を出しきれなくて、ストレスのたまる場合も考えられます。でもそれは耐えるしかないんですよね。耐えて違う自分になる、今までもそうやって指してきたので心配はしていません。 ――タイトル戦は各地でおいしい食事が出ると思いますが、食べ物の好き嫌いはありますか。  好き嫌いはほとんどないですね。お昼ご飯とおやつを検分のときに選ぶのですが、なかなか決められなくて(笑) ほかの棋戦ですが、天ぷらそばとお寿司を頼んだら量が多くて、指し過ぎたことがありました(笑) でも食べることも大切だと思っていて、おやつもよほど余裕のない局面でない限りは食べます。 ――なるほど、大山流というわけですね。それでは最後に番勝負への意気込みを聞かせてください……… 【きょうのおまけ】 えりりん先生はAbemaの広島出張でお好み焼きを食べただろうか? 東京にも店はあるのだが、 ・広島お好み焼き『カープ』(神田) ・広島お好み焼き『鯉々』(銀座) ・ ・ オタフクソースの1分レシピ動画 kzread.info/dash/bejne/kX6OpLGTkcmzj6w.htmlrel=0&autoplay=1 【きょうのおまけのおまけ】 声優さんが実演する広島弁 m.kzread.info/dash/bejne/fmiCs8SEmrrAnps.html

  • @mikimizuno4081
    @mikimizuno4081Ай бұрын

    自分が早石田や石田流に組めた時は、気持ちよく戦えて勝率が良いのですが、相手に石田流で攻められた時に、棒金が成功せずに、勝率が悪くて困っています。2級~初段レベルで、石田流に勝率が良くなる対策をお願いします。

  • @mikimizuno4081
    @mikimizuno4081Ай бұрын

    ゴキゲン中飛車に勝率が悪くて、どうして攻めたら良いか分からないです。プロ棋士の戦いではなく、2級~初段レベルのゴキゲン中飛車を破れる講座をお願いします。(ゴキゲン中飛車対策)

  • @homekenchoko-vg1tk
    @homekenchoko-vg1tkАй бұрын

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3oАй бұрын

    2024年6月11日 ◼️『将棋年鑑』平成14年版 第12期 女流王位戦  前期から今期にかけ、女流名人に返り咲くなど大ブレークを起こした中井広恵女流五段。思えば快進撃はこの女流王位戦から始まった。  リーグ戦を全勝で勝ち抜き、斎田晴子名人との挑戦者決定戦も鮮やかな寄せを披露して快勝。元女流王位の中井が大幅に実力をアップさせて戻ってきた。  この時、清水市代女流王位は、女流王将と倉敷藤花を合わせて三冠。若手の挑戦が続いていたが、久々に女流棋界最大のライバル同士の対決が実現した。  五番勝負は10月3日、北海道紋別市で開幕した。横歩取りから中盤のねじり合いはさすがに女流トップの戦いで見ごたえ十分。とくに清水の攻めをかわす中井の指しぶりは巧妙を極めた。持ち時間4時間を両者ともに使いきる熱戦は挑戦者の先勝。  福岡市での第2局は、中井の強さが一段と光った。急戦矢倉になり、中央での小競り合いのあと、玉頭から一気に攻め込む中井。寄せも完璧で、男のタイトル保持者が指しても同じように指し進めるだろうと思わせるほど、読みの入った骨太の将棋を貫き通した。清水は早くもカド番に追い込まれ、ここ数年味わったことのない苦境に立った。ところが、鍛え抜かれた清水将棋はここから反撃に出る。  神戸市での第3局は開幕戦と同じ横歩取りになり、中井の攻め急ぎを清水が的確にとがめて優勢に。途中、中井が食い付いたかに見えたが、清水はきれいに中井玉を寄せて1勝を返した。  徳島市で行われた第4局でも、清水はカド番を思わせない落ち着いた指し回しを見せ、攻めを食い止めたあとに見事な寄せを決めた。これで2勝2敗のタイに。  最終第5局は、東京の将棋会館で行われた。この将棋も横歩取りから大駒を交換する急戦になり、総攻撃を仕掛けた清水が優位に立った。防戦に回った中井は第1、2局の強い指し回しを見せることができない。清水も緩手を出して長引いたものの、143手で決着。清水は2連敗後の3連勝という逆転劇で女流王位を守った。これで4連覇。  敗れたとはいえ、中井は互角の勝負を展開。それが直後の倉敷藤花戦や女流名人位戦でのタイトル奪取につながり、女流棋界は清水中井の時代に。今シリーズはそのさきがけになった。 清水女流王位 ●●○○○ 防衛 中井女流五段 ○○●●● 第1局(平成13年10月3日) 北海道紋別市「オホーツクパレス」 第2局(平成13年10月10日) 福岡市「福岡山の上ホテル」 第3局(平成13年10月18日) 兵庫県有馬温泉「中の坊瑞苑」 第4局(平成13年10月25日) 徳島市「渭水苑」 第5局(平成13年11月5日) 東京「将棋会館」

  • @user-fr7ci6jb8c
    @user-fr7ci6jb8cАй бұрын

    プロの心の声がリアルタイムで聞けるの新鮮ですね。。。

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3oАй бұрын

    2024年6月10日 ◼️『将棋王手飛車読本』 (1998年、別冊宝島) 〈インタビュー〉 長沢千和子(長野県松本市在住) ――長沢さんが将棋を始めたきっかけは?  中学1年のとき父が「中部六県名人戦」で優勝して、審判だった松田茂役先生が父の将棋道場を訪ねてきてくださったんです。そこで松田先生と将棋を指したら、『才能があるんじゃないか』と先生に言われて。 ――お父さんは娘をプロにしようという気持ちはあったんですか?  あったと思います。私は歌を覚えるのが早かったらしくて、物覚えや記憶力がよさそうだから、将棋をやったらきっと強くなる、と思ったようです。 ――そのお父さんは最近、他界されたそうですが。  52歳とまだ若かったんですよ。まだ信じられなくて。長野オリンピックも一緒に見に行くつもりで、旅館まで予約してあったんです。 ――お父さんは奨励会出身なんですか?  いえ、父は19歳で将棋を覚えて、23歳で五段になったんです。 ――親の職業に反発を感じたことはありませんか?  とくにはありません。自然と将棋の魅力に取りつかれていったっていうか。よく将棋のことを「盤上のボクシング」とか言いますけど、私はそういう激しさみたいなものが好きでしたから…… ――長沢さんはずっと松本在住ですが、東京で修業をしようとは思わなかったんですか?  一時はそういう気持ちもありました。田舎にいて強くなるのは限界があるじゃないですか。でも父はかなり反対でしたね。東京に行って、もし違う方向に進まれたら困るという考えもあったのかと思います。 ――地元で同等あるいはそれ以上の相手を探すのは、けっこう大変でしょう。  そうですね。唯一、父だけが相手でした。あとは県代表クラスの方や、奨励会の方がウチに遊びに来ていたんで、そういう方と指しました。 ――長沢さんといえば振り飛車というイメージですが、昔からですか?  ええ、父が振り飛車党だったので。もともと私は振り飛車穴熊が得意だったんです。でも周りに、穴熊をやっていると強くなれないと言われたことがあって、それで美濃囲いの四間飛車を指すようになりました。その後また振り飛車穴熊を多く採用するようになって、最近は序盤で角交換する振り飛車を指しています。 ――長沢さんの会心譜といえば……?  レディース・オープン・トーナメントで清水さんに勝った将棋ですね。 ――思い出深い対局は?  女流王将戦で山下カズ子さんと対局したとき、四段目で歩を成っちゃったんです。その時点で失格。必勝形で、成っても成らなくても勝てた将棋だったんですけど。その一番に勝つと挑戦者になれたかもしれないのに、大ポカで負けてしまいました。本当に悔しくて、いまだに思い出しますね。 ――無意識に成っちゃったんですか?  そうなんです。二歩もやったことがないのに。 ――お父さんは何か言われましたか?  そっとしておいたほうがいいと思ったのか、そのときは何も言いませんでした。その後スランプがあまりにも長かったんで、「将棋をやめて違う道へ進んだ方がいいんじゃないか」って言われたんです。そのころの私は将棋に対する情熱を失いかけていました。それで考えてみたんですが、やはり将棋しかないという結論になって…… ――それから何か変わりましたか?  それまでほとんど勉強らしい勉強をしてなかったんです。自分で言うのも何ですけど、どちらかというと才能だけで勝ってたような。でもそれ以来、棋譜並べを中心に研究するようになりました。詰将棋もそれこそ3手詰めから難しいものまで。 ――そういう努力が、レディース・トーナメントで花開いたわけですね。  タイトルを獲るような人っていうのは世の中で選ばれた人だけで、私はそういう星の下にいないのかなって思ったこともありました。でも考えてみると、やっぱり努力が足りないんですよね。勝てる人っていうのは、きっと私よりもっと頑張っていて、それと努力を持続できる精神力、そういうものが上なんだろうな、と思うんですよ。 ――今いちばん親しいのは誰ですか?  斎田晴子ちゃんです。年齢的にも近いんです。グアムへ一緒に旅行したこともありますし、今度はフランスに行こうと言ってるんです。 ――好きな棋士は誰ですか?  升田幸三とかすごい好きです。現役では屋敷さんの将棋とか、先崎さんの将棋も好きです。  ――ギャンブラーが好きなんですね。  そうかぁ、気付かなかった(笑)  ――長沢さんはギャンブルは?  好きですよ。だからやらないようにしてるんです。絶対ハマっちゃうんで…… ――ギャンブル以外の趣味って何ですか?  写真です。花とかが好きなんで、風景写真をよく撮ります。それと、絵を描くのも好きですね。  ――あと歌もお上手で、CDを発売されていますよね。歌う機会は多いんですか?  ええ。将棋大会が終わって宴会になると、必ず歌ってくれって言われます。 ――どういう歌が多いですか?  演歌ですね。美空ひばりさんの歌が多いです。 ――そういえば、長沢さんにはファンクラブがありましたよね。  新宿の「一歩」というスナックを中心に「千客会」というのがあります。会員は50人くらいでしょうか。会合は年に3回くらいですが、お店には対局が終わって時間があれば寄るようにしています。地元には後援会があって、年に1回くらい集まっています。 ――最後に、長沢さんが対局に際して心掛けていることを教えて下さい。  うまくはいかないけど、自分の力を出し切ろうと心掛けています。勝っても負けても力を出し切れれば、それがいちばんだと思います。 ※レディース・オープン・トーナメント  ―→現在、マイナビ女子オープン

  • @user-ej3gl3pc7x
    @user-ej3gl3pc7xАй бұрын

    先生の鬼殺しをうけてみたいです

  • @HI-nw6kb
    @HI-nw6kbАй бұрын

    藤井先生、山口先生、すばらしい解説をありがとうございます。 16:00~ 藤井先生が趣きのある家で編み出した妙手6四歩・4四歩について、6四歩の方は底歩を打てるようになるメリットは分かったのですが、4四歩の方はどのような意味があるのでしょう??

  • @Humiduki
    @Humiduki4 күн бұрын

    後の金の両取りに関するものだと思います!

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3oАй бұрын

    2024年6月9日 ◼️雑誌『枻』(えい) 昭和52年 特集〈女性と将棋〉 女流棋士 森安多恵子  将棋を色に例えるなら何色だろう? 将棋を職業とするプロ棋士は、燃えるような緋色ではないかと思う。将棋を趣味として楽しみ、棋友に恵まれている人にとってはバラ色。毎日、御主人が将棋ばかり指している家族にとっては灰色ではないか。  私の父は、将棋も囲碁も田舎初段で、暇をみつけては盤を囲んでいた。鹿児島県の小さな町で商売をしていたが、店を母に任せ、将棋や囲碁をすることがしばしばだった。父にとって将棋は楽しい色だったに違いないが、母には黒色だったと思う。  私は幼い頃から将棋に熱中している父の姿を見て育ったが、将棋も囲碁も興味はなかった。将棋を覚えたのは7年ほど前。父が亡くなり家業を手伝っていたとき、田舎なので娯楽施設もなく退屈していた。そんなある日、ふと盤が目に入り、「将棋でも覚えようか」という気になった。  退屈しのぎに始めた将棋だったが、すぐに夢中になった。私に将棋を教えてくれたのは、亡父の親友だった。現在80才だが、いまも元気に将棋を指しておられる。  将棋とは便利なもので、初対面でも対局できる。将棋を覚えたおかげで、いろいろな人と知り合い、友達になれた。アマ四段の主人とも将棋で知り合い、結婚した。将棋を始めた頃は、父の棋友と指すことが多く、60代、70代といった年配の方と棋友になった。皆、孫みたいな私に親切に教えて下さった。結婚後は、主人の関係で同年代の棋友が多くできた。  勝敗に関わらず、将棋を指していると楽しくて、夫婦げんかも将棋で仲直りでき、私には将棋はピンク色であった。  でも、昨年9月、女流プロになってから少し変わった。勝つということに執着が出てきて、やや赤色に変化した。負けたときの苦しさ、もっと強くなりたいと焦りつつ伸び悩む苦しさ、そういう時、将棋はコーヒー色に変わる。それでも家で主人や友達と指すときは楽しいピンク色である。  いま後悔しているのは、父という師がいたのに、どうしてもっと早く将棋を覚えなかったのだろう、ということである。 森安多恵子(もりやす たえこ) 昭和23年生まれ。鹿児島県出身。 昭和51年、高島一岐代八段に入門。 同年、第3期女流プロ名人位戦で挑戦者となる。相手は蛸島彰子女流名人。 関西本部の女性教室を担当。 《写真》 将棋会館にて 第3期女流プロ名人位戦 三番勝負第2局 ※現在の将棋会館での対局。記録係のとなりで見守るのは原田泰夫。盤面は蛸島・中飛車か。 ※この雑誌は関西将棋会館の完成前なので、女性教室は、北畠の関西本部である。 ※昭和49年(1974) 女流棋士制度発足。 女流プロ名人位戦はじまる。 (のちに女流名人位戦→女流名人戦と改称)     女流名人    挑戦者 第1期 蛸島彰子 ○-● 寺下紀子 第2期 蛸島彰子 ○-● 多田佳子 第3期 蛸島彰子 ○-● 森安多恵子 第4期 蛸島彰子 ●-○ 山下カズ子 第9期 蛸島彰子 ●-○ 林葉直子 第10期 林葉直子 ○-● 関根紀代子 第11期 林葉直子 ○-● 長沢千和子 第12期 林葉直子 ●-○ 中井広恵 第13期 中井広恵 ○-● 林葉直子 第14期 中井広恵 ●-○ 清水市代 第15期 清水市代 ●-○ 中井広恵

  • @user-ot1fc9sm7u
    @user-ot1fc9sm7uАй бұрын

    7:47のところで6五飛車で角で取っても6三銀で両取りになりませんか?(初心者なのでよくわかりません)

  • @user-ob3ds6vs2n
    @user-ob3ds6vs2nАй бұрын

    将棋始めたばかりの者です。確かに分かりやすいかもしれせんが、飛車と角と桂馬で追い詰めたほうがバリエーション増えそうな気がするのですが、こちらのが強いのでしょうか?

  • @user-jj6qj3cl2r
    @user-jj6qj3cl2r27 күн бұрын

    そうだよ 原子棒銀はあくまで初心者向け。原子棒銀が身についたら、四間飛車をやるのがおすすめ。 そのまま原子棒銀以外の本格派の棒銀をやってもいいけど、四間飛車の方がわかりやすいと思う。

  • @justice-game-telluirum
    @justice-game-telluirumАй бұрын

    美人すぎる

  • @user-ke5ip4oh3o
    @user-ke5ip4oh3oАй бұрын

    2024年6月7日 ◼️升田幸三と広島弁 少し前のAbema地域対抗戦、えりりん先生は鳥取出身ということで、広島まで応援に行ったと思います。ちらっと見ましたが、お客さんにマイクを向けていました。 広島は升田名人を筆頭に、強く個性的な棋士・女流棋士を出している印象です。きょうは升田幸三自伝をもとに、その人生を復習してみたい。 「私は大正7年3月21日、広島県三良坂の生まれで、小学4年のとき高田郡小田村に移った。兄弟は7つ年上の静夫が長男、私は四男です」 ※小田村(現・甲田町)は広島市の北東50km。 「両親は、将棋も碁もやりません。ところが長兄の静夫は、いつの間にか将棋を覚え、われわれ弟に教えてくれたんです。『幸三、将棋っちゅうのはおもしろいで。教えてやるけえ、ちょっくらこいや』と、土蔵の中で駒の動かし方、初歩の定跡なんかを教えてくれる。用ができて外出するときは、『これ、わしが帰るまでに詰めときんさい』 詰将棋の本から問題を盤に並べて行っちまう。ちっとずつ興味もわいて、一年ほど経つと大人と指してもいい勝負ができるようになっておりました。兄の将棋の本を片っぱしから読み尽くすと、本を買って読む。強いおっさんがいると聞けば、出かけて行って挑戦する。一日ごと、一番ごとに腕が上がるのが自分でもわかった」 「昭和7年の2月、日本一の将棋指しになるため、私は家出したんです。満13歳、ゼニは一銭も持たず、用意しておいた握りめしを風呂敷に包み、気づかれないよう夜明け前に家を出た」 ※将棋指しには親が反対だったので家出をすることに。裁縫の物差しに決意を記した。『名人に香車を……』 これは紙切れに『家出します』とはっきり書いてしまうと、途中で連れ戻されるかもしれない、そう思って曖昧な文言を書き残したか。 「目指すは一路、広島市。ざっと50kmです。鉄道はあってもゼニがないから歩くより方法はない。広島に着いても、どこを訪ねるあてもない」 ※広島市で奉公(アルバイト)をしながら将棋を勉強、そして木見金治郎への紹介状を手にするも、服を揃えたり、大阪へ行く旅費の準備で時間がかかった。 「記念すべき旅立ちの日は、6月29日。家出した日から、ちょうど5ヵ月が過ぎとりました。車中で一夜が明け、大阪駅に降り立ったのは午後3時を回っておった。見ると、人力車がいっぱい並んどる。『老松町の、えらい将棋の先生じゃが、わかるかのう』 せまい老松町だが、おなじ道を何度も行ったり来たりして、ようやく見つけました。『釣りはポチにくれてやるけん』 玄関のガラス戸をあけ、こんにちは、と声をかけると、四十前後、小太りの女の人が出てきた。『わしゃ、広島から来た升田っちゅうもんじゃ』『あんたが升田か。手紙もろうて、もう2ヵ月にもなるいうのに、どこで何しとったんね。うちの先生も、えろう心配してはったんやで』 それは先生の奥さんだった。『なあ角田、これが前から話のあった升田や。指してみてんか』 飛香落ちの手合いで、1勝1敗に終わった。そこへ二階から初老の男の人が降りてきて、木見先生だと直感でわかった。『どうや、角田』『きつい手、指しよります』『そうか』 先生は大野五段のほうを向き、グイとアゴをしゃくった。大野五段が前にすわる。飛角二枚落ちで指したんだが、四番、たて続けに負かされました。しょんぼりしとる私に、奥さんが声をかけてくれた。『おまえも気張って、大野みたいになりいや』 この言葉の快い響きは、いまも私の耳に残っております」

  • @wack5898
    @wack5898Ай бұрын

    可愛い