とっても面白い日本の歴史について解説します。
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Пікірлер
伊藤一刀斎の子孫、イラストレーターの故伊藤彦造先生ですよね
長く続いた原因は文字の発達がしなかったため。東西南北・前後左右・距離などは口語で伝えることは不可能。
よく韓国は「リ・シュンシンは国家的英雄」「アン・ジュゴンは民族英雄」とはいう。 しかし韓国人で「シュンシン」「ジュゴン」という名前の人は聞いたことが無い。 「自分に子供が生まれたら『ジュゴン』って名付けます」という韓国人も全くいない。 日本には「エイイチ」「タダカツ」「タカカズ」「ヒサシゲ」という名前は普通にいる。
どの時代も顔がいいと言うのは大きな武器だよね、加えて中身も、というのは勿論だけれど
小野次郎右衛門といえば。 お亡くなりなられた、峰隆一郎先生の書かれた時代小説、小野次郎右衛門が好きです。
この時代の英国王の車列に騎乗で近寄って静止を振り切って列を乱したら、普通に殺されてたでしょ? 単に日本を見下して、尊重しなかったこの英国人が悪い。
いや無礼だよ。 天皇陛下の車列にバイク複数台で近寄って意味がわからず行ったり来たりしたらテロだと思わない? というかアメリカ大統領の車列だったら現代でもバイクで近寄って行ったり来たりしたら撃たれるでしょ。 イギリス人は日本を下に見てたから、不快。
たいへん参考になりました。ありがとうございます。
この人の逸話は講談にもなっててKZreadにも上がってるのでぜひおすすめしたい
そのグラバーの手先が龍馬、その事実を知りうる立場にあった西郷さんの指示により龍馬は殺されたと推測されます。剣豪であった龍馬と中岡を一刀両断で切り殺せるのは、味方と安心され、かつ示現流の達人そろいの薩摩武士でないとなかなかできません。 西郷さんと勝海舟は内戦が長引くと日本がイギリスの植民地になることを怖れて手を打ちました。そして西郷さんは、最強の武士軍団薩摩が新生日本にとってマイナスになることを悟っていたので、負け戦になることを知ったうえで敢えて反乱を止めずに神輿に乗り、自らの手で薩摩武士団と心中したのです。。 西郷さんと距離を置く五代が反乱に参加せず政府側に残ったのもグラバーと関係が深かったからでしょう。
せっかくの題材がこの二匹のパターンで台無し バイバイ
サムネ えなこ?w
柳生は、他流試合禁止なので、全滅は、しないと思います。
太刀は佩く、打ち刀は差す。大鎧姿の武士が太刀を鎖や紐で吊るしてるのが太刀を佩いてる姿、平装の武士が帯に差してる姿が打ち刀を差してる姿ですね。一気に抜いて相手を刺突するのに便利です。江戸期になると室内での剣戟がほとんどです。室内では基本は刀は右横に置くのが鉄則です。相手に害意が無いことを示すためです。そして日本家屋は天井が低いので刀を振りかぶって切りさげるのは無理です。室内戦闘は抜刀して突くです。新選組の沖田総司が恐れられたのも突きの名手で三段突きと言われたからでしょう。 幕末期の刀は反りが浅く切っ先が大きい刺突に徹した作りです。時代がさかのぼるほどほとんどの刀は反りが大きいので見分ける基本になりますが、古刀の名刀には贋作が多いので見極めは難しいですね。村正などは将軍家に気遣うために銘を削った物ですとか言って贋作を売りつける刀剣商も居た聞きます。
小野派一刀流だけの技かは知らないが 打ち込む前に相手の意図を読み取る「奉心の目付」を日テレの番組で見たことある バラエティでクソバカになる前の報道の日テレのプライドがあった頃の話です。
一刀流切り落としは 柳生新陰流合し打ち 二天一流ハリ受けと 同じかと思う🤔
似た技は他流にも確かにありますね。 ただ、一刀流は「切り落とし」を流儀の中心に置いて、一刀流の剣士は最終的には「切り落とし」の習得を目指すという教授形態をとっているようです。
面撃ち落とし面、 「正式名、斬り落とし技」 相手からしたら、 確かに斬ったはずなのに、 「頭からバッサリ好き放題斬られている」 会得した人にかかると、何度も同じことになる、 全員斬り殺しても 刃こぼれ一つない刀を持ち、返り血だけを浴びている。 自分の生命を捨てきり、斬る機会を攫む。 現代剣道でも、使える人は、非常に少ない。日本剣道形1本目にあるほどです。 それさえ磨けば、 「最強確定!」の技の始源ですよ。^_^
念流では一一念をもって戦う流派だがそれと同じなのかも
子供の頃短期間だが警察で剣道を習っていたからその流祖というのは一寸驚いた。 確かに血も涙もない実戦的な剣道だと思う。いや見ているだけで怖かったから素振りの段階で辞めたんだけどw
現代剣道のベースとして一刀流の影響が強いということと、その剣道を最初に公式に採用したのが警視庁というだけで、警察剣道が荒っぽいのは一刀流の影響というより、単に仕事柄実戦的なだけだと思います。 柔道も、警察柔道は一般の柔道より荒っぽいみたいですし。
剣の強さと自分の流派を残せるのは別の才能って感じですね。どんなに強くても才能が有っても、自分が体得したものを後進の者達に解り易く教授出来る才能が無いと大樹の枝葉が育たない。TPOを弁える社交術も必要だし。 柳生十兵衛も逸話を読む限りでは小野忠明と似たキャラだったかも。果たして、意気投合するか同族嫌悪になったか。
武勇伝武勇伝 武勇伝伝で伝伝借っ金ぃ〰️ん✨
「夏場の運動では水を飲んではいけない」という、謎の迷信もあったな
日本刀は「剣(つるぎ)」とは言わないぞ。 話の内容から他の表現に置き換えるなら「刃(やいば)」又は「刀身(刀身)」ではないか? 「日本刀」に対し反りのないものを「剣」と呼ぶはず。
冒頭だけ「房総市」になってる。 それ以外は「南房総市」と正確だ。
武術に勝るが故に、自惚れ、自らから敵を作る。故に、自惚れと強欲が諸悪の根源であり、自制しなければ平穏な暮らしは出来ない。 今の世も、日本以外の国では『競争に勝てば、お金持ちに成れて、幸せに成れる』と教え、拝金主義と覇権主義を称賛し、多くの者が、 競争し、対人ストレスを作り、共同作業が苦手な人嫌いを量産する社会に成り、強欲共を成功者と称えるから、強欲共が自惚れて敵を作り、 他国を戦場にして、武器を売る、金儲けの戦争を起こす。 戦争反対と小学生でも言うが、強欲と自惚れが諸悪の根源であると教えないから、戦争が絶えない。
この方のお墓が成田市の成田山近くにありますが、こんな地元の近くにあるとは驚きでした(^o^)。
戦いたかったんだろうな
小野はは私の田舎のど田舎にも「小野派一刀流」として 承継しているのがあるが「ただ刀は脇差で室内には重宝」 とか言ってたんですけど〜????。
「野蛮」な一刀流の正統を継いで無刀流を開いた山岡鉄舟が、動乱の幕末にあって生涯一人も斬らず、江戸無血開城の立役者になったのがなんとも皮肉な話
一刀流は現代剣道の祖になるくらいですから、無数の分派に分かれているので、あくまで鉄舟は中西派からの流れの正統ですので、他の一刀流の剣士の中には、幕末期に血刀を振るった者もいたでしょう。
なんか 彼岸島みたいなタイトルで草
小野派一刀流て奴か?
拝一刀じゃなくて!??
無敵の萬屋錦之介
伊東一刀斎は小野次郎衛門に切られた説
柳生は梶原一騎の斬殺者のせいで悪いイメージしかないです。
小金原の決闘😮
弟子に「どうすれば強くなれますか?」と問われて「(人を)斬り慣れよ」と答えた一言が彼の全て。 禅の精神が云々などと言い始めた柳生に対し彼の剣はただ人を斬る為のものであった。 尚 剣の流派は元々は念流・一刀流など五指に満たない。当時は言ったモン勝ちだから我流の流派が何百と発生する事になる
裏柳生を壊滅せしめたのが水鴎流の拝一刀だってのは知ってるー!
それは小説です。
講談の類だと佐々木小次郎の引き立て役にされてますよね
塚原卜伝、鹿島の太刀🎉
BGMが良くなった
出世に興味なかったんやろうな
オラが有る事無い事いろいろチクった🎵
オガミ一刀の元の人かと思ったわ
俺は無敵の萬屋錦之介かと思った!
小野次郎右衛門はずっと柳生宗矩にケンカを売ってたみたいですね。しかし、同じ指南役とはいえ、宗矩は大名扱いで諜報活動も行う軍師ともいえる幕臣なんで、早々ケンカを買う訳にも行かないし、勝てる自信もなかったようですね。同じように、柳生宗矩には、前田家に仕える富田流の "名人越後" と言われた、富田越後守にも、ずっと手合わせを申し込まれて、逃げてたようですね😅
そのような「うちの流祖は柳生より強い」という逸話は富田流、一刀流を問わず色んな流派にありますが、どれも同時代に第三者に書かれたものではなく、その流派の弟子が後世になってまとめた流派内部の伝書がソースです。流祖を持ち上げるための相手に使われるくらい、当時の江戸柳生の評価が高かった証明にしかならないと思います。
30年ぐらい前にあった携帯版信長の野望で特技「一騎」(一騎討ち)の所持者だったが確か武力81しかなくて役に立たなかった コミュニティではみんなチュウメイチュウメイって呼んで宇都宮とか里見と戦う時しか使えないみたいな扱い しかし30年を経たいま、俺の中でチュウメイの名誉は回復されました
「シグルイ」って漫画で聞いたことがある名前だったけどこの人だったのか
前田利家も西軍に加わりましたね。 当初西軍は東軍を数で上回っている状態で、鶴翼の陣を敷いて東軍を待ち構える状態で合戦が始まったとされていたように思います。
「スーパー伊忍道・打倒信長」というゲームに神子上典膳が登場しますね~。普通にゲームをやっていると、大体、一番最初に仲間になってくれるのですね~。
吉川英治の小説には、秀忠に稽古をつける時に忠明は一切の手加減をせずに秀忠を打ち据えて稽古が終わると「全然なっていない」と言って去っていった。 一方、世渡り上手の宗矩は適当に手加減して「上達されていますね」と褒めた。 それもあって秀忠は忠明が嫌いで両者の中は次第に険悪になっていたとか・・・・
秀忠は忠明のことを気に入っていたと思いますよ。「忠」の偏諱を与えていますし、動画にも紹介されてる大阪の陣の後に忠明が同僚を侮辱して起きた騒動の際も、同僚からの直訴を最初は黙殺し、最終的な処分も同僚の代表者は改易に処したのに対して忠明は閉門留まりとかなり忠明に甘めの裁定を行っています。 忠明が武に一途なため秀忠に嫌われたという逸話のソースは後世の一刀流の門弟がまとめた伝書です。忠明自身は政治的な立場に無頓着でしたが、弟子達はそうではなかったようで、将軍家指南役を柳生家に独占されている状況について自己正当化を行わざるを得なかったのでしょう。
@@takashikitasima6828 将軍と腰本が剣術の話をしている時に余計な事を言っちゃった訳だ。何を言っても座乗の睡蓮、脇差しを抜いて決着してから語る事と。まあ事実なんだけど、結局寸での処で宗撻が止めたけど。その前の時は相当悲惨だったからね。秀忠もそういう処は嫌っている。
それは柳生兵庫介の本ではないですか?
@@user-pe9yi8rk3i その話のソースが本人の死後だいぶ経ってから弟子が編纂した編纂した流派内文書で、「そういう理由で忠明は嫌われたので柳生みたいに出世できませんでした」と続くわけですが、現実には嫌われていた様子は無いので信憑性が微妙、というのが上のコメントの趣旨です。
五輪書から葉隠れに至る変化か書かれていない。