この年にブラジルはワールドカップアメリカ大会でPK戦の末優勝してるけど、セナを失った悲しみの方が大きいかったかもしれない
世界中の誰もが涙した日
本当に凄かった鈴鹿のセナは
当時二十代半ばだった私も 五十代半ば歳をとると人の死に ひどく感情的になりました 3:12 さよならなんていわないで😢
永遠に色褪せない英雄 いつまでも忘れない
ジュール・ビアンキを最後にF1での死亡事故は途絶えています 近代F1にセナがいたなら…
😔😔😪😪😥😥😥🇧🇷🇧🇷🇧🇷
(酔ったおっさんです。 何の特番も組まないフジテレビ他を嘲って、 「30年」という月日の重さを噛み締めて、 貴方が真に亡くならないように、 献杯を重ねよう) あの日の私は新大学1年生。 深夜のアパートで聞いたニュース速報の音と内容は忘れない。 貴方の生き様を、純粋さを、傲慢さを、気高さを、孤独感を、気難しさを、使命感を、哲学的思考を、不可解さを、愛情を。 貴方のファーストネームを捩った名の長男長女と、貴方の母方の姓を名付けた次女に、僅かでも宿るように。
この人を超えるF1ドライバーは現れないと思うな〜
この追悼式典、会場にいました。シャトルバスの中は無言だった。会場みんなでセナのタヒを悼み、映像やゲストの方々の話をみんなで聴講できたのは幸せだった。帰り道、やたら切なかったな、セナがいなくなった後、徐々にF1を観なくなっていった。
日本の隠れた名曲だよな…泣
日本語でのセナさんの一言が泣かせてくれるではありませんか!
今年の5月1日で30年。 けれど、この日のショックは今でも鮮明に。 セナファンになってF1に関心を持つようになった自分。
セナの甥は、f-1レーサーです
何で最後の観客の涙まで流さないの?途中で切らないでもらいたいな(あれはもっと泣けてくるんだよな…)
名曲中の名曲です! 今、思えば「あの日の出来事」のためのまさに鎮魂曲としか思えません。 作曲を手掛けた方には、とても失礼かも知れませんが…
昔、コンピューターミュージック専門誌として、電波新聞社「Computer Music Magazine」があり そこから別れたスタッフの寺島情報企画の「DTM Magazine」が1994年6月創刊され、1995年1月それに続いたのがリットーミュージックの「SynQ」だった。 僅か6号で休刊になったが、vol.5には付録の3.5インチフロッピーディスクに「Truth」などのMIDIデータが収録されていた。 最終号のvol.6の付録FDに「A Latchkey」のMIDIデータが含まれていた。ただマイナスワンか何かで1トラックは抜かれてて、応募したら完全版のデータをFDで送ってくれるという形だったと思う。 送ってもらったが、もう何処に行ったか、出てきても読み取りドライブないしな
男子たる者必ず幼い時にヒーローに憧れてそのまま大人になるものだと思います。私はクルマはホンダ、タバコはマルボロ、ファッションは赤白以外認めない、未だヒーローを追い続けています。 ジャン=アレジが引退直前に突然ジョーダンに移籍した理由、最後にセナのエンジンで走りたかったと語った時、涙が止まりませんでした。
彼より沢山の記録を重ねた人も増えた。だけれど、彼を越えた記憶に残るドライバーはいない。
セナは日本との関係も深かったしホントF1界のストイコビッチだと思う
もうすぐセナの年齢を越す自分がいる
old school crashes
セナがこの世から去ってすぐのサッカーW杯でブラジルが優勝し、エースストライカーだったロマーリオが「アイルトン・セナに捧げる」と言っていたのを聞いてあのロマーリオがそう言うのはセナがブラジル人にとってどれだけ偉大だったか。
やっぱりマクラ-レンで走っていた方が?と思いましたね。
It's a shame that the full concert of Senna's tribute is no longer available on KZread because it's so melancolic , beautiful and also sad😢 Senna Forever💚💛💙
自分にはセナがヒーローでした。 もう29年、今年ももうすぐF1始まるけど、 あんな別れがくるなんて、最も縁のない人だと思っていた。 セナのブラジル初優勝時のスポーツ新聞も、ずっと残しています。 今もセナのKZreadを探して見ては、やっぱり泣いてしまう。 すごいレースの数々、本当にかっこよかった。今も大好きです。 イモラのセナの銅像に花を捧げに行くのが、夢です。
もうこの曲はセナのレクイエムの曲となった。聴いていると真剣にコクピットにいるセナがよぎってくる。今でも悔しい思いがあります。
感動をありがとう、セナ❗️ずっと忘れません
これ見て夜中に1人号泣してる俺…。
本当に私は 亡きアイルトン・セナと同じ利き腕なんです 左利きです。 それから亡くなった 私の祖母も アイルトン・セナと同じ命日なんです。 5月1日です。 追記 アイルトン・セナがいない F1は 面白くないので 見なくなりました
this was just put into my recommendations. Nice.
微妙と言われてた間奏のとこをセナのメッセージに置き換えたのは超ファインプレーだと思う
それ!間奏もこっちが標準であってほしいくらい。
日本では某首相を国葬にすることで、賛否両論出てますが、映像見てもわかる通りブラジル国民全てが涙に暮れ、街頭から泣きながら拍手をしながら亡骸を見送ったのを見て、このような全世界、富裕層、貧困層関係なく愛され尊敬されたセナのような人物で初めて国葬してもいいのではとなるんだろうなと思う。ブラジル国民が家族みんなで涙し、棺を担ぐ兵士が泣くのを堪え、母親に縋りついて泣く子供達の悲しむ映像を見てるとこちらまで涙が出てきてしまう…
If I need to hold one song, one video from KZread, I choose that. My love for her song is stronger and Ayrton give us his power day after day.
1982年西ドイツGPの予選 ディディエ・ピローニ、他車に乗り上げ 宙を舞い、大クラッシュ この事故で、ピローニは、二度とF1に 参戦出来なくなった 1987年8月下旬、パワーボートレース中に 事故死
解放の象徴の意味であるlatchkeyが曲のタイトルとは。。。。 どこまでも切なく、哀しい。
あぁ、涙が止まらない…
車及びモータースポーツ好きで その頂点のF1 その中でのスター 彼は 私にとって 20世紀 最大のヒーローでした。今でも 当時のセナの勇姿を 動画で拝見しますと 涙が溢れて来ます😢
これが聞きたかった。フジテレビの94年日本グランプリ決勝のエンディングで1回だけ流れたオーケストラのエンディング。 やっと見れた。やっと聞けた、有難うございます😢
アンチ古舘伊知郎ってわけじゃないですがこのラストランは三宅さんの実況で良かったと思います。 このシーンを総集編でも見ましたが リヤウイングを破損しただけで まだ再スタートは可能だったそうです。300戦以上のレースを走ってきた プロフェッショナルの意思が リタイアを選んだ、 「走った事のない我々のわがままであろう。中嶋悟、完全燃焼…。」 城達也さんのナレーション、未だに泣けるシーンです。
セナはよく孤独だ、孤独だと言われてたけど孤独ではないんだよ。孤高なんだよ
屁理屈いらん
アイルトン・セナがいないF1は 観る価値が 有りませんので。 孤高の英雄ですね 追記 私は本当にマジで 故アイルトン・セナと同じ利き腕 なんです。 左利きです。
セナが亡くなってから本当にF1観なく成った50のオジサンです😭昔のF1はホンマに面白かった😂(セナ、プロスト、マンセル、中嶋さん)が居た時代😭
私も同じく アイルトン・セナが 急逝してしまい 本当にF1中継を 見なくなりました。 最近のF1ドライバーの顔ぶれが本当に 変わってしまいましたからね。 ちな私はアラフィフです。
アイルトンの「サヨナラ」の後涙が止まらない。。。
セナは、私達が目で追えない場所で今も走ってると思う1ラップ先分からないけどとても速く走ってるんだと思う
ただいま
おかえり。
この曲はマックスがチャンピオンになった日の中継の最後で流れていた。 特に1994年の総集編の前半であるセナフォーエバーでこの曲が最後のシーンで流れていて、思い出した。 この映像はノイズがあって感傷を持ったけど、天国のセナがマックスの走りを見つめていたのかなと思わせた😢
今年のエンディングではIn This Countryはしょっちゅう流してましたけど、最後の最後でこれを流すのはズルいですよね😢
ピケもプロストも、ニキ・ラウダから いろいろ学んだ
この頃は26台出走していたからね、事故が当たりだったしドライバーの喧嘩が当たり前だったね。
この時代のウイングカーって、 全然ロールしないガチガチのサスペンションだったんだな。
最初は仕方ない 今は必ずレース止まるが昔は止まらないし
停まる方が珍しいぐらいで、死亡事故だとしても走らせることを優先でしたね。 停まるなんて多重事故でふさいだ時ぐらいで、黄旗でも「事故あり、気をつけろ!」レベルなので速度さえゆるめませんでした。
Пікірлер
この年にブラジルはワールドカップアメリカ大会でPK戦の末優勝してるけど、セナを失った悲しみの方が大きいかったかもしれない
世界中の誰もが涙した日
本当に凄かった鈴鹿のセナは
当時二十代半ばだった私も 五十代半ば歳をとると人の死に ひどく感情的になりました 3:12 さよならなんていわないで😢
永遠に色褪せない英雄 いつまでも忘れない
ジュール・ビアンキを最後にF1での死亡事故は途絶えています 近代F1にセナがいたなら…
😔😔😪😪😥😥😥🇧🇷🇧🇷🇧🇷
(酔ったおっさんです。 何の特番も組まないフジテレビ他を嘲って、 「30年」という月日の重さを噛み締めて、 貴方が真に亡くならないように、 献杯を重ねよう) あの日の私は新大学1年生。 深夜のアパートで聞いたニュース速報の音と内容は忘れない。 貴方の生き様を、純粋さを、傲慢さを、気高さを、孤独感を、気難しさを、使命感を、哲学的思考を、不可解さを、愛情を。 貴方のファーストネームを捩った名の長男長女と、貴方の母方の姓を名付けた次女に、僅かでも宿るように。
この人を超えるF1ドライバーは現れないと思うな〜
この追悼式典、会場にいました。シャトルバスの中は無言だった。会場みんなでセナのタヒを悼み、映像やゲストの方々の話をみんなで聴講できたのは幸せだった。帰り道、やたら切なかったな、セナがいなくなった後、徐々にF1を観なくなっていった。
日本の隠れた名曲だよな…泣
日本語でのセナさんの一言が泣かせてくれるではありませんか!
今年の5月1日で30年。 けれど、この日のショックは今でも鮮明に。 セナファンになってF1に関心を持つようになった自分。
セナの甥は、f-1レーサーです
何で最後の観客の涙まで流さないの?途中で切らないでもらいたいな(あれはもっと泣けてくるんだよな…)
名曲中の名曲です! 今、思えば「あの日の出来事」のためのまさに鎮魂曲としか思えません。 作曲を手掛けた方には、とても失礼かも知れませんが…
昔、コンピューターミュージック専門誌として、電波新聞社「Computer Music Magazine」があり そこから別れたスタッフの寺島情報企画の「DTM Magazine」が1994年6月創刊され、1995年1月それに続いたのがリットーミュージックの「SynQ」だった。 僅か6号で休刊になったが、vol.5には付録の3.5インチフロッピーディスクに「Truth」などのMIDIデータが収録されていた。 最終号のvol.6の付録FDに「A Latchkey」のMIDIデータが含まれていた。ただマイナスワンか何かで1トラックは抜かれてて、応募したら完全版のデータをFDで送ってくれるという形だったと思う。 送ってもらったが、もう何処に行ったか、出てきても読み取りドライブないしな
男子たる者必ず幼い時にヒーローに憧れてそのまま大人になるものだと思います。私はクルマはホンダ、タバコはマルボロ、ファッションは赤白以外認めない、未だヒーローを追い続けています。 ジャン=アレジが引退直前に突然ジョーダンに移籍した理由、最後にセナのエンジンで走りたかったと語った時、涙が止まりませんでした。
彼より沢山の記録を重ねた人も増えた。だけれど、彼を越えた記憶に残るドライバーはいない。
セナは日本との関係も深かったしホントF1界のストイコビッチだと思う
もうすぐセナの年齢を越す自分がいる
old school crashes
セナがこの世から去ってすぐのサッカーW杯でブラジルが優勝し、エースストライカーだったロマーリオが「アイルトン・セナに捧げる」と言っていたのを聞いてあのロマーリオがそう言うのはセナがブラジル人にとってどれだけ偉大だったか。
やっぱりマクラ-レンで走っていた方が?と思いましたね。
It's a shame that the full concert of Senna's tribute is no longer available on KZread because it's so melancolic , beautiful and also sad😢 Senna Forever💚💛💙
自分にはセナがヒーローでした。 もう29年、今年ももうすぐF1始まるけど、 あんな別れがくるなんて、最も縁のない人だと思っていた。 セナのブラジル初優勝時のスポーツ新聞も、ずっと残しています。 今もセナのKZreadを探して見ては、やっぱり泣いてしまう。 すごいレースの数々、本当にかっこよかった。今も大好きです。 イモラのセナの銅像に花を捧げに行くのが、夢です。
もうこの曲はセナのレクイエムの曲となった。聴いていると真剣にコクピットにいるセナがよぎってくる。今でも悔しい思いがあります。
感動をありがとう、セナ❗️ずっと忘れません
これ見て夜中に1人号泣してる俺…。
本当に私は 亡きアイルトン・セナと同じ利き腕なんです 左利きです。 それから亡くなった 私の祖母も アイルトン・セナと同じ命日なんです。 5月1日です。 追記 アイルトン・セナがいない F1は 面白くないので 見なくなりました
this was just put into my recommendations. Nice.
微妙と言われてた間奏のとこをセナのメッセージに置き換えたのは超ファインプレーだと思う
それ!間奏もこっちが標準であってほしいくらい。
日本では某首相を国葬にすることで、賛否両論出てますが、映像見てもわかる通りブラジル国民全てが涙に暮れ、街頭から泣きながら拍手をしながら亡骸を見送ったのを見て、このような全世界、富裕層、貧困層関係なく愛され尊敬されたセナのような人物で初めて国葬してもいいのではとなるんだろうなと思う。ブラジル国民が家族みんなで涙し、棺を担ぐ兵士が泣くのを堪え、母親に縋りついて泣く子供達の悲しむ映像を見てるとこちらまで涙が出てきてしまう…
If I need to hold one song, one video from KZread, I choose that. My love for her song is stronger and Ayrton give us his power day after day.
1982年西ドイツGPの予選 ディディエ・ピローニ、他車に乗り上げ 宙を舞い、大クラッシュ この事故で、ピローニは、二度とF1に 参戦出来なくなった 1987年8月下旬、パワーボートレース中に 事故死
解放の象徴の意味であるlatchkeyが曲のタイトルとは。。。。 どこまでも切なく、哀しい。
あぁ、涙が止まらない…
車及びモータースポーツ好きで その頂点のF1 その中でのスター 彼は 私にとって 20世紀 最大のヒーローでした。今でも 当時のセナの勇姿を 動画で拝見しますと 涙が溢れて来ます😢
これが聞きたかった。フジテレビの94年日本グランプリ決勝のエンディングで1回だけ流れたオーケストラのエンディング。 やっと見れた。やっと聞けた、有難うございます😢
アンチ古舘伊知郎ってわけじゃないですがこのラストランは三宅さんの実況で良かったと思います。 このシーンを総集編でも見ましたが リヤウイングを破損しただけで まだ再スタートは可能だったそうです。300戦以上のレースを走ってきた プロフェッショナルの意思が リタイアを選んだ、 「走った事のない我々のわがままであろう。中嶋悟、完全燃焼…。」 城達也さんのナレーション、未だに泣けるシーンです。
セナはよく孤独だ、孤独だと言われてたけど孤独ではないんだよ。孤高なんだよ
屁理屈いらん
アイルトン・セナがいないF1は 観る価値が 有りませんので。 孤高の英雄ですね 追記 私は本当にマジで 故アイルトン・セナと同じ利き腕 なんです。 左利きです。
セナが亡くなってから本当にF1観なく成った50のオジサンです😭昔のF1はホンマに面白かった😂(セナ、プロスト、マンセル、中嶋さん)が居た時代😭
私も同じく アイルトン・セナが 急逝してしまい 本当にF1中継を 見なくなりました。 最近のF1ドライバーの顔ぶれが本当に 変わってしまいましたからね。 ちな私はアラフィフです。
アイルトンの「サヨナラ」の後涙が止まらない。。。
セナは、私達が目で追えない場所で今も走ってると思う1ラップ先分からないけどとても速く走ってるんだと思う
ただいま
おかえり。
この曲はマックスがチャンピオンになった日の中継の最後で流れていた。 特に1994年の総集編の前半であるセナフォーエバーでこの曲が最後のシーンで流れていて、思い出した。 この映像はノイズがあって感傷を持ったけど、天国のセナがマックスの走りを見つめていたのかなと思わせた😢
今年のエンディングではIn This Countryはしょっちゅう流してましたけど、最後の最後でこれを流すのはズルいですよね😢
ピケもプロストも、ニキ・ラウダから いろいろ学んだ
この頃は26台出走していたからね、事故が当たりだったしドライバーの喧嘩が当たり前だったね。
この時代のウイングカーって、 全然ロールしないガチガチのサスペンションだったんだな。
最初は仕方ない 今は必ずレース止まるが昔は止まらないし
停まる方が珍しいぐらいで、死亡事故だとしても走らせることを優先でしたね。 停まるなんて多重事故でふさいだ時ぐらいで、黄旗でも「事故あり、気をつけろ!」レベルなので速度さえゆるめませんでした。