【重すぎて台車を破壊した583系】あまりにも短命だった"世界初の寝台電車"
Автокөліктер мен көлік құралдары
日本国有鉄道は様々な名車と迷車を生み出してきました。
しかし、名車と迷車が同一形式から誕生した代表格と言えば、581系・583系です。
世界初の寝台電車として期待されましたが、実はその全盛期は余りにも短い「15年」。
その理由は、昼夜兼行車両として開発されたが故の過酷な運用、そして車体にありました。
【映像を提供していただいた方々】
・SRDさん: / @srd-railway
・りっきぃさん: / @user-cx4hd4jq7x
一部画像引用:ウィキメディア コモンズ
・commons.wikimedia.org/wiki/Ca...
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中学生の時初めて乗った581系が、偶然にもパン下寝台でした。「隣より天井が高いのはパンタグラフのせいだな」程度の知識しかなかったが、まさかマニア好みの区画とは知る由もなく、偶然とは言え運命の出会いだと思いました。
国鉄車でナンバー1! 昼も夜も昭和のサラリーマンのように猛烈に働きました。 後世は食パンになったり本当に活躍した名車でした。
@user-dt3it7nq2y
Жыл бұрын
24時間、戦えますか⁉ その言葉は彼らの為に… いまなら確実に過労□前提? でも、あるモノは魔改造で姿を変えたりしながら長らく昭和〜平成を駆け抜けた。 お疲れ様でした。
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
419系は長生きしたよね。
この顔が485系になり、おそらくこの顔がヒントになってE353などの新しい特急にも使われたと考えると、すごいことだと思います。 また、国鉄時代では活用されていなかった前面貫通路を、サンライズで似たような形を作って(581・583の失敗を元に?夜行専用)フル活用というのも面白いです。 この581・583系がもしも無かったら、今の特急は大きく形が変わっていたことも考えてしまいます。
@monoeye4x489
Жыл бұрын
この顔つきは私鉄でもマネしてほしいと思っているのは私だけでしょうか。
昼行では「はつかり」、夜行では「きたぐに」でよくお世話になりました。 電車であるがゆえ、 車内の騒音には相当気を使って設計されたのか、昼行での座席仕様、そして夜行での寝台仕様でも 車内がすごく静かだったのが印象に残る車両です。 特急でボックスシートって当時でも異端でしたが、 その実、人間工学に基づいた、すごく座り心地の良いシートでしたよ! ただ、寝台席のプルマン配置の関係で浴衣に着替たり(車端に更衣スペースはありましたが) 荷物の置き場(これも車端出入り口付近に置き場はありましたが寝ている間に停車駅が多いと、ちと不安に) あとはスリッパ&靴の置き場が通路になるのでなんだか煩雑な感じ。 など、客車3段(2段)寝台に比べると、ユーティリティーの点では難点もありました。 寝台の下段はプルマン配置の恩恵でA開放寝台なみの居住性に静かな車内と相まって熟睡できましたが、 2段目までが居住性の点だとギリギリだったかな。3段目はちょっと怖い印象でした(笑) 急行銀河に投入の計画もあったそうで、銀河に座席車復活か?と話題になったこともありましたが、 (方向幕転換で一度だけ見ました!)結局は投入されず。 もし銀河に投入されていたなら、バス需要のお客様を銀河で受け止められたんじゃないかなァと。
国鉄電車で1番好きなやつ。 深夜の岡山駅へ入線して来る金星や彗星等の迫力は今も忘れられない。 夢中で写真撮ってたわぁ。
国鉄時代は保線が追いついていなかったのか583系が高速運転すると荷棚から荷物が落下したとか・・・そんな激しい乗り心地の583系に乗ってみたかった。 583系はボックスシートだったけど、シートピッチも広く遮音性も高くて、むしろ485系より1ランク上の雰囲気を醸し出していたように思う。寝台になっても下段はA寝台のような広さ。窓際の隙間に頭をねじ込めば辛うじて車窓も楽しめる。客車B寝台より天井が低くても583系のB寝台の方が個人的には好きだったなあ。
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
確かに静かだったよね。 最新型電車より静か。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
母親と妹の3人で2席分の指定席に乗車しました。
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
583系の昼行特急に初めて乗ったのは小学生の頃だったと言うこともあり、音がとても静かで、座席も広くゆったりした感じでした(今、見知らぬ大人4人で座ったらどうか判らないけど)。 子供の頃、特急に乗る時は家族と一緒だったので、485系でも座席を回転させてボックスにして座っていた事もあり、ボックス固定の583系に、特に不満は無く、色と言い全体のスタイルと言い、485系よりもカッコイイ!と思ってました。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
@@user-eg1ii3fd6m 母親と妹の3人で2席分に座っても狭くなかったです。
中途半端な座席車はともかく、寝台車として考えると20系はおろか14/24系のA寝台よりも大きい下段ベット、電車なので機関車付け替えの長時間停車もなく高い表定速度などとても優秀な車両でしたが、結局は新幹線の延伸で寿命が決まってしまいましたね。 ただ、昼夜連続で走り続けるその任務から、老朽化の進行も485系よりも遥かに早いはずで、15年の活躍でも強い印象を残した名車と言えますね。もう第一線は退いていましたがスキー列車のシュプール蔵王号では座席指定車でしたが鉄オタ知識をフル活用し、仲間内で寝台に変更し(車掌さんも降りるときにきちんと座席に戻してくれれば・・と黙認w)快適に山形まで行けたのを思い出します。 また乗降に時間がかかるため嫌われた715系でしたが、座席クッションはさすが元特急車といわれるだけのクオリティがあり、長時間の乗車でも疲れませんでしたね。時代が時代なら18きっぱー御用達だったかもw
重さもあるが、、581/583は運用が過密過ぎた為に、、台車/台枠に亀裂が発生した為です。一因として大阪向日町車両基地のパンク状態があるようです。例えば金星で博多へ→博多から有明で鹿児島往復、→博多から大阪へ→その後に金沢/新潟往復→再び博多へと向日町での留置が無い運用が多かったからなんですよね?
@N--jv3go
Жыл бұрын
関東でも東大宮に留置されてなかったみたいです。
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
車両重量なのか、過酷な運用が原因だったからなのか、583系では当初タイヤフラッとが多発したと言う話しは聞いたことがあります。
中学校の修学旅行では20系?高校の修学旅行では583系でした。 その後学生時代の帰省の時には色々な列車に乗りました、今思うととても良い時代だったのですね。
大好きな車両。 取り上げて頂いて嬉しいです。
門司港ー西鹿児島間の583系昼行特急は「しおじ」ではなく、「有明」ですね。 特急「しおじ」は当初、新大阪ー広島・下関間の本州内を走っていて、九州へは乗り入れてません。定期便の使用車両は、直流区間のみのため181系がメインで、一部485系と583系も使用されていました。 ところで、瀬戸の潮路を眺めながら走る山陽線の特急電車に、「しおじ」と言う列車名は最高に似合う名前だと思うので、山陽新幹線内のみを走る「こだま」は、「しおじ」にして欲しかったと、今でも思います。
これが後の魔改造の代表詞となる 食パンシリーズの種車になるとは 誰も思わなかっただろうなあ……
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
419系は長生きしたよね。
@TheEmpressOfFlame
8 ай бұрын
583系には乗ったことは無いんだけど食パンには頻繁に乗りました。
Very interesting and informative video. Thank you for the upload. Many years ago, I took the 583 from Aomori to Ueno via Joubansen with my then girl friend (now wife) and it was a very enjoyable ride. Thanks to the JNR and your work on this wonderful train.
子供の頃、図鑑で485系や583系に憧れてました。 結局583に乗る事はなかったけど、後でボックスシート知って衝撃でした。
@user-dt3it7nq2y
Жыл бұрын
急行「津軽」でボックスシート体験しました。 …で、やっちゃいけない事やりました。→フラットシートです。割と簡単にできました。 …で?モトに戻しましたよ。何事も節度!
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
@@user-dt3it7nq2y 小学生の低学年の頃に初めて583系の特急「はと」に乗りましたが、その時反対側のボックスの家族連れのお父さんが、座席を引き出してベッドにし、家族四人で胡坐をかいたりして楽しんでました。で、通り掛かった車掌さんに注意されてました。
@user-ym1pv1zy6i
Жыл бұрын
485系と583系、よくシュプール号などで併結運転されてましたね。 メカ的には同じだから併結しても問題なかったんですよね。
@wataken8527
10 ай бұрын
@@user-eg1ii3fd6m 北陸夜行の立山号の自由席で、客が少ないのを良いことに下段を組んでいた大阪弁のオッサンがいたな。『他に居らんからええやろ』と言われた車掌の返答が『ほなら寝台券支払ってもらおか。』でした。そのおっちゃん、ブツブツ言いながら戻してましたな。夜間とはいえ金沢から結構乗って来たから、それで正解でした。北陸の人は基本穏やかなんですが、そういうヤツは熟睡した途端で『C寝台』から引きずり出され、トイレに格納される話は聴いたことがありますから。583系はトイレが多いから良かった。
僕、三十数年ほど前、博多から名古屋(確か「明星」号)まで乗車しましたが、それまでよく乗っていた客車寝台(さくら)よりはるかに快適でした💘 それはなぜかというと、客車寝台は前後の衝撃が激しく(特に車両編成の後ろにいくほど)、とても寝られたもんじゃなかです。その点電車寝台は、前後の衝撃はなく、モーターのここちよか音が眠りば誘うのでした。電車寝台は、もう、最高!!!
@hiroshia5789
Жыл бұрын
金星じゃね?
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
国鉄末期の65PFの時代は、主に特急・急行のみを担当する組と、急行以下・貨物などを担当する組の機関士の区別がなくなったので、ブルトレも起動・ノッチオフ・停車の衝動が激しい下手糞な運転が多くなりました(当時、車掌さんから聞いた話です)。 65Pが全盛の時代は、それなりの腕の機関士が担当していたので、最後尾の車両でも、殆ど起動・停車の衝動を感じない、神レベルの腕の機関士がゴロゴロいたように思います。
583は旧国鉄時代に何度か雷鳥で乗りました 大人としては残念な電車でも子供としては面白い電車として楽しみでした それと419系はよく使っていましたがあの普通電車としては広いイスは寝心地が良かったです あと583は一度だけB寝台の3段寝台をきたぐにで使いましたが一晩で2回頭を打った覚えがあります
581,583と系列を説明されていて良いです。 にわかな鉄道ファンでは、581系なんてものは無いという人がいますから。
別名「月光型」ですね
電車でも寝台化が出来るという実証を作った一形式。 そこで得られた各種データは後年の14/24系、更にはJR西の285系に受け継がれる事になった。 特に居住性に関しては寝台幅の拡幅、寝台の3段→2段化、更には個室化を検討させるに 至ったのだから、新幹線が出来ようが存在自体は決して無駄ではなかった。
583系、生まれる時代があと10年早ければ絶対に誰からも閃光のまなざしが向けられる名車だっただろうな アイディア自体は本当に画期的で、昭和らしくて本当に素晴らしいアイディアだったはずです 夜行列車自体が衰退の一途をたどる中、こうした記憶というものも、受け継いでいってほしいですね
@se.v4809
Жыл бұрын
羨望のまなざしな。 目からビームは名車過ぎる
@TS-583
Жыл бұрын
国鉄技師「おっしゃlet's世界征服DA☆」
@higenari_y
Жыл бұрын
@@se.v4809このツッコミ好き
私は東北本線や常磐線の沿線に親戚がいなかったので、はつかり号やはくつる号、ゆうづる号が現役の頃に乗車することはついぞ叶いませんでした。 昼行モードの乗車経験は2002年11月30日の「さよならはつかり号」の時が最初です。この時はボックスシートでもあまり辛くはありませんでした。 その後、動画でも出てきたイベント用の583系に、2016年4月28〜29日運転の「ニコニコ超会議号」で乗れました。割り当てられた上段は登るのが大変でしたし、比較的線形が良いとされる東海道本線でも結構な遠心力を感じられました。はくつる号やゆうづる号として活躍していた頃は、一体どんな状態だったのでしょう… サンライズ出雲号・瀬戸号に使われている285系は、電気機器の技術が進歩した結果、7両編成中電動車が2両ですんでいます。もし583系が現役の頃にVVVFがあったとしたら、どんな列車が出来上がっていたのでしょうか。
車齢が若い車輌は寝台特急時代より食パン時代の方が長いんですよね。
懐かしいですね。国鉄時代、運転手さんに運転席を見せてもらったことがある唯一の特急です。
雷鳥で入線されたらガッカリする名車
@halumi2002
Жыл бұрын
回転リクライニングシートではないからな?
@tailang6120
Жыл бұрын
特急なのに知らない人と対面で座って長時間過ごす設計は現在ならありえないでしょう。
@gorotame1425
Жыл бұрын
学生時代、夏休みの帰省で普段の急行利用を奮発しての『青い雷鳥』 1番辛いのは適度に心地良くホールド感のないイス、足元を気遣いながらの長時間移動は余計に疲れます。
@tomohikoo8949
Жыл бұрын
はつかり でもね。
@hokuetu_kyuko
Жыл бұрын
多分なかったんだろうけど「いなほ」(青森〜上野間)とか「白鳥」(青森〜大阪)とかも嫌だね
583系は臨時だったが「あけぼの」に使われた事もある。285系は直流車なので583系の様に交直車があれば、新幹線を補完したり新幹線の通っていない地域へ夜行列車の新たなる市場を開拓出来るのになぁ…
@user-dt3it7nq2y
Жыл бұрын
乗り入れ先との調整と協力が必須ですね。特に東京〜九州は4社に跨りますし…あと人件費等も…
@user-ek7um8zz1m
Жыл бұрын
@@user-dt3it7nq2y 東京〜九州は距離がありすぎるのでやらないでしょう。東京からなら青森や金沢、大阪からなら新潟や仙台が候補になりそうです。
@naomiyamada8581
Жыл бұрын
あと交直流電車にするには、鉄と銅の塊である重量物の主変圧器を搭載するスペースと、電動車の増加が必須になりますね。個人的には大阪=仙台夜行とか九州夜行、北海道夜行が良いですね。
この形式と同じ時を過ごしたので知った存在でしたが、運用範囲と自身の生活圏が異なっていてあまり目にすることが有りませんでした。一度だけシュプール号で乗ったのが唯一の乗車体験。あとは早朝の大宮や上野に写真を撮りに行った際にはくつるで上ってきたのが583だったり。知っているけど遠い存在でした。
京都の鉄博行ってみたけど大きな車体だったなぁ
485も当初はリクライニング無しで回転させると583よりシートピッチ狭くてそれで敬遠していたって事は無い プライベート志向の強まりでボックスは敬遠された感じ 80年代中期でも簡易リクライニングでバッタンバッタンしていたくらいだしシート自体は実は大差ない
@hiroshia5789
Жыл бұрын
今は標準的な高速バスのシートの感じですね。
高校の時、五能線撮影の帰りに1席だけ、ゆうづるのパンタ下中段が取れたのです。
リクライニングシートと寝台車の兼用ですが、山陽鉄道の二等寝台車ロネ9130形は、昼間は2人がけのリクライニングシート、夜は1人がけにして座席をリクライニングさせて前の座席の下に足を入れる、介護用リクライニングベッドのような寝台を二段式にする、座席とベッドの折衷型になっていました。581系も、寝台を完全に水平するのを諦めてロネ9130のような回転クロスシートにしていたら、夜行特急としてはイマイチなものの、通常の2段寝台よりもシートピッチが詰められて定員が増やせ、昼行特急としてもそれなりに好評だったかもしれません。 ちなみに、581系は「世界初の寝台電車」と日本でよく言われていますが、米国のインターアーバン向けにも寝台車が製造されています。こちらのwebページ( www.midcontinent.org/rollingstock/builders/harlan-hollingsworth4.htm )に、1903年に製造された寝台電車が紹介されていますが、昼間は1人がけの回転クロスシートのパーラーカー、夜は寝台車になる、単行運転可能な電車となっています。
寝台特急は客車のほうがモーター音がしないとのことですが、私は連結器からの衝撃で眠れませんでした。 583系は宇都宮〜上野間で昼行特急時に何回か乗った記憶があります。 子供だったので、リクライニングシートのこだわりはなかったので、583系が来た時にはかっこよく、当たりだと思っていました。 後に、食パン電車などに改造されてしまったのは、かわいそうに思ってしまいました。 日本で5本の指に入る名車です。
小さい頃は通過するはつかりを、小学中学年以降ははくつる、ゆうづるをよく拝見しました。 中学生の頃、あけぼの82号が上野駅に到着し、客をすべて降ろした後の空き時間に車掌さんにお願いして車内を見学させていただきました。ほぼ満員だったと思われる室内を色々と見たことは忘れられません。さらに高校生になって青森駅で、久しぶりにはつかりと再会。こちらもお願いして出発前の座席者やグリーン車を見学させていただきました。ベッドメイクされた車内と違い、高い天井が印象的でした。最後に見たのは、廃止直前の2012年頃の臨時列車を代々木の踏切で見た時だったかと思います。
減価償却のために近郊電車として改造されて、長くつかわれていました。 もう少し予算があると、新製車体に載せ替えられたかも知れません。
@tomohikoo8949
Жыл бұрын
減価償却というより、長編成の列車を何本か走らせるより短編成の列車を高頻度で走らせようという事になって、足りない車両をどうするかと考えた際に余剰となっていた583系に白羽の矢が立ったというのが真相だと思うけど。 あと長く使われたのは419系のみで715系、715系1000番台は想定の8年を大きく超える事なく引退しましたね。
@N--jv3go
Жыл бұрын
@@tomohikoo8949 715系1000番台も3両編成だったらもっと長く走った可能性があります。使い捨ての印象が強いJR東日本でも583系の一部は長寿を記録していますから整備担当の方は大変だったと感じます。
583系をあまり使いたがらなかった理由は、台車が持たなかったからかも。でも、食パン電車にするときに軽量化もしたとか。
@mrkn56
Жыл бұрын
それでも普通列車に使うには重くて最高速度を犠牲にギア比を103系と同等までに下げてましたね それでも足りなかったようですが…
@monoeye4x489
Жыл бұрын
@@mrkn56 そこから個人的には着地型の観光列車にしてほしかった。たとえば登米・栗原地域の場合は伊豆沼ビュートレインに(場合によっては栗原電鉄にも乗り入れ)したり、柴田町の場合は花見電車にしたりできてたと思いました。
サンライズエクスプレス(285系)の繁栄があるのも581(583系)の成功があってこそ。私は581系よりも、東北・常磐線系統で『大車輪の活躍をした』583系が、退役した現在も好きな車両です。
平成の初めの頃に中学校の修学旅行で北海道に行くのに秋田から青森まで往復貸切列車で 初めて乗った思い出があります。 その後1997〜98年に富山県内に住んでいた時に普通列車に改造された車両にも乗りました。
0:54 国鉄時代の期間よりも、JR時代の方が長い…なんて、ここで初めて気がつきました。 東海道新幹線開業をおぼろげに知る自分にとって、JNRの時代がものすごく昔で長期間に渡っている イメージがあったんですが、すでにJRの方が10年近く長いんですね。JR誕生がそんなに昔に思えない のは、年取ったせいなんでしょうね。感慨。
国鉄時代はいい列車がたくさんあらました。新宿➡️長野行き各駅停車。新宿➡️南小谷行き深夜急行アルプス。上野➡️一関行き各駅停車。JRになっても一部継続した、上野➡️新潟行き深夜快速。東京➡️大垣 行き各駅停車。懐かしいなあ
@N--jv3go
Жыл бұрын
今は運行距離50㎞から100㎞で特急ばかりで会社がガメツクなったと感じる。
@monoeye4x489
Жыл бұрын
上野〜一ノ関(どうせなら熱海発にしてほしい)の各駅停車(二階建てハイグレード普通席付きで) 急行アルプス(せっかくなら新宿〜糸魚川を結んでほしい) 大垣夜行 これは、鉄道版LCCを普及してほしいと考えてます。JR東日本単体ではガメつい走らせ方しかしないので是非。
@user-wi7em5wc9k
Жыл бұрын
荷物、郵便輸送があったことで長距離列車が必要とされただけです。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
@@N--jv3go クルマ業界も鉄道業界も二極化してます。
49年から87年やと37年ちょっとでは?と思ったのはあたしだけ?自分の父親49年生まれだったよなーとか思って気づいた(笑) 月光型は真面目にきたぐにでしか乗ったことないけど何気に乗り心地よかったり最後まで灰皿ついてたりでありがたい車両やった。食パン型も北陸行くと高確率で遭遇してましたねー。
581系・583系の最大の失敗は、開発に9ヶ月しかかけなかった事です。 この為に、耐久試験が十分に行われず、その結果、台車の強度不足が、見逃されて台車の対策工事に追われ結果として短命に終わってしまったのです。 開発に、2〜3年位かけていれば短命に、ならずに済んだと思います。
@jjjj6075
Жыл бұрын
583系が短命に終わったのは、新幹線開業で長距離昼行特急が減少し昼夜のバランスが崩れ兼用にするメリットが無くなったためでは?
@user-fe6uj9go4d
Жыл бұрын
@@jjjj6075 山陽新幹線の博多迄の開業も短命となった理由の一つです。 短期間で、開発したので十分な検討などが、行われずに結果として短命に終わってしまったのだと思います。
重量増加はモーターの限流値を485系と比べてやや高めに設定してカバーしてた。
小窓から車窓を寝そべりながら眺めてみたかった
@qzp01467
Жыл бұрын
B寝台の二段目、三段目の寝台と小窓はかなり段差が有って、寝転びながら外が見えなかったりします。 同じ高さだったのは、後に改造されたA寝台だけです。
@TN-rl1cy
3 ай бұрын
中1のときなはに乗って、のぞいたのぞいたー
583系の末期に余剰が発生していたなら、当時165系の運行だった「大垣夜行」に投入すれば良かったとは思う。 165系よりもシートピッチ広いから、居住性は良いと思う。
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
みんな勝手に寝台を作るよ。
@N--jv3go
Жыл бұрын
@@FLAKPANZER2000 民営化後のはつかりなんか鉄オタではない一般客でも座席引き出してたから知られた機能だったんでしょうね、きたぐにの座席車は引き出せない様に後付けのカギをつけてました。
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
@@N--jv3go 419系でも、地元のおばさん達が座席を引き出して、勝手にお座敷列車にしていましたね。正座して座っていました。 当然、後に固定されていました。
私は子供の頃に宮崎に住む親せきの家に行く時に夜行として彗星、昼行としてにちりんで583系のお世話になりました。彗星ではあらかじめ寝台になった状態で乗るので3段式の中段や上段だとはっきり言って狭かったですが、遮音はすばらしく、普通に寝れました。
私のNゲージデビューは583系でした。乗ったことはなかったけど青色が美しく485系より好きでした。
修学旅行で北海道からの帰りに、はくつるのパン下中段で帰りました。 当時の東北本線は、ハンパなく横揺れが凄く、柵に当たって目が醒めた記憶がありますね。
@user-dt3it7nq2y
Жыл бұрын
台車が近いから揺れもキツかったっしょ⁉
@user-em8nd2jo5k
Жыл бұрын
@@user-dt3it7nq2y 当時の東北本線の線路状態が、今ほど良くはなかったのですよ。 加えて、中段だったので、振られまくりました。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
はつかりと同等のスピードでしたからね。揺れが凄かった。
F?と違って しっかり(昔のことだが)自国の悪いところも指摘するのえらい
さんざんけなしておいて、最後に「名車」とか言って取り繕ういつものスタイル
583系B寝台下段は、しばしば「A寝台並み」と称されますが、幅106cmというのは、A寝台より広かったのです。後、ボックスシートが不評としばしばいわれますが、485系でも、リクライニングになったのは1970年代も後半からであり、それまでは、東海道・山陽新幹線の普通車ですら、現在の普通列車並みの転換クロスシートで、リクライニングなどグリーン車の特権でした。583系のボックスシートの不評は1980年頃からの事で、今となっては過度に強調されすぎているようです。
コンセプトとしてはリーズナブルなクルーズトレインとしても使えるからもう少し生き残っていたら銀河に使われてたのかも…
581,583系の重厚感のある乗り心地、好きでした。 その昔、上野⇔仙台に1往復だけ入っていた通称「青ひばり」、京都→博多、京都→西鹿児島の「明星」に乗りました。 手元には「クハネ583-12」の運転台に付いていた鉄道唱歌のオルゴールがあります。(以前鉄道部品店で購入)
@user-qs6ff9xp1z
Жыл бұрын
@@user-ie7fz9mh1n様 確かに「はつかり」の上野⇔青森の8時間半ではさすがにキツイですが、上野⇔仙台の4時間であれば「アリ」でしたね! 確か、上野発10時、折り返し仙台発15時だった記憶があります。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
@@user-qs6ff9xp1z はつかりで八戸〜仙台間を数年乗りました。
583系は当時の国鉄の技術力をみせた名車なんですが・・・ 仙台在住時代、盛岡から青森への昼行はつかり583系利用は避けてました・・・ どうせ特急に乗るのなら普通車であっても、 やっぱり485系のクロスシートが快適でしたんで・・・ 583系の昼行利用は「え?455系急行車両と一緒?」って思いましたねぇ・・・ まぁ455系よりはシートピッチは広かったですが・・・ 東京に引っ越してからは たまに583系ゆうづるを使いました。 その際はモハネ582の「パン下中段」を みどりの窓口駅員さんにお願いして取ってもらった記憶・・・ あれはお得感ありましたねぇ・・・ 581系ではありますが、 一旦小倉でクハ715‐1に改造さたクハネ581-8が小倉で再塗装され 門司の九州鉄道記念館で展示されています。 普通列車改造時代のつり革が残っていますが、 まぁそれも581系/583系の歴史の一つかと思います。 581系/583系は やっぱり夜行寝台特急電車としての活躍が本命。 285系も車齢35年となった現在、 定期の夜行寝台特急をどう残していけるのか・・・ JRグループさんにはがんばってほしいと思います。
そういや上野で583のはつかりがくると、なんとなく485のほうを待ったものでした。でも座席の間も広いし、そんなに悪くないなあって……。旅行のついでに、盛岡~青森間でよく撮ってました。繁忙期は12連(485は8連)も走り、クハネ583−1も健在てした。はくつるでは寝られなかったりもするので、寝台ではなくグリーン車を利用したこともあります。
当時の国鉄苦労したんだな…JRに分割民営化した後産まれたみんなもこの事知って欲しい
金星で使って、さくらとあかつきに変わってからは何あの食パン?でした。
昼行時のボックスシート、確かに既に進行方向向け2人掛けが特急型の基本となっていた時代にそぐわない形ではあったものの…あの形状は遡れば所謂並ロ、旧オロ36・オロ40或いはサロ45・サロ46(後のサロ75)・サロ85と同等で、581・583系登場時には並ロはほぼ消滅(強いて言えば113系のサロ110・サロ111が並ロみたいな存在?)し、その座席構造を残したままハザ格下げされたサハ45・サハ75・サハ85及びサロ75・サロ85を制御車化改造したクハ75・クハ85にその面影を残す程度だったけれど、当時はまだ等級制で1等運賃は2等運賃の2倍だったから、2等運賃でかつての1等並の座席を利用出来たのだからそうそう捨てたものでも無かった…とは愚考する。 とはいうものの…防府~岡山間乗車時後ろ向きの席での乗車は必ずしも嬉しくはなかった(当時中学生)(^^);(元々後ろ向き着座は苦手)。 特急時代の581・583系乗車はその時の[つばめ1号]と1984/昭和59年に臨時雷鳥位で寧ろ後年の419系の方が乗車機会が多かった。夜行での利用も急行時代のみ。夜行[立山]のロザと[きたぐに]のハネ下段。ロネ並みの広い寝台は幅は申し分なかったが、3段寝台の宿命、天井高さの低さはマイナスポイントだった(^^);
国鉄といったら、101系や115系を連想しますね。
@user-wu8yy5co2o
Жыл бұрын
国鉄=72系と出る僕は狂ってるのかな?
@FLAKPANZER2000
Жыл бұрын
@@user-wu8yy5co2o 年齢かと。 私は、103系ですね。
@yagichan0410
Жыл бұрын
そう。101か103系電車。国鉄の思い出に、少なくとも寝台電車は出てこない。
@user-vn5iy7ss5k
Жыл бұрын
自分は103と113ですね
@user-wu8yy5co2o
Жыл бұрын
@@FLAKPANZER2000 僕20代でもないんですが…
なるほど。だから、ゆうづるの常磐線経由を中心に運用でしたか。
短命❓️❓️ 随分長生きしたと‼️
食パン君(419系)が出て来なかったのが意外でした。(笑) いや、逆に、アレ自身が、意外例外なのかな?ww
二条駅の留置車はたまたま関西に旅行したとき見かけました。 当時はこのまま廃車になるのかなと思ってました。
夜行には乗った事ないですが、雷鳥ではよくお世話になりました^^ 個人的にはBoxシートも楽しかったので、何の不満もありませんでしたね、当時はwww この時の技術・経験が今、唯一の定期寝台であるサンライズに継承されてるんだと思います。 また、こういう列車が・・・ 出てこないよなぁ、やっぱり(;´∀`)
@hiroshia5789
Жыл бұрын
母親と妹の3人で2席で乗りました。
九州では門司港駅の九州鉄道記念館に有りますね。車内にも入れます。ただし715系に改造されています。
583系昼行特急には常磐線経由青森行きの「みちのく」ってのがありましたぜ。ぜひ、紹介してくださいね。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
北海道連絡の為青函連絡船へのダイヤにて運行されてました。因みに常磐線経由で千葉県や茨城県の客に便利でした。
わしはくつる、ゆうづるに乗ったことがある。青函連絡船にも乗ったのだ。よい思いでなのだ。
マニアじゃないので何を言っているのかサッパリでした~ごめんなさいね、でも高評価です。
小学生の時、2回程「みちのく」に乗った事があります。懐かしい! なんだか1段目の座席が低く感じられました。 ひじ掛けについている小さなテーブルも魅力的でした。今だったら寝台引き出したりしちゃうかも。
子どもの頃、図鑑を見て憧れていました! 1度だけ下りはくつるに乗れましたが…タバコと酒と汗のニオイが染み込んだクッションは正直キツかった… 昭和の時代の長距離昼行の残り香は短時間の折返し整備では換気しきれませんよね…
客車でも無理でした。出張に行くときに当たりが悪く山口県から東京まで富士に乗ったのですが、ベットがコンプレッサーの真上で、瀬野八巻は特にコンプレッサーの音が煩くて眠れなかった記憶があります。
@naomiyamada8581
Жыл бұрын
それはそれでお気の毒さまでした。 ブルトレの客車の、車掌室の有る緩急車には空気圧縮機が積んであるので、さぞやうるさかったかと思います。 電源車を別途連結する20系客車や24系客車だと空気圧縮機も電源車に居候するのですが、14系だと緩急車にディーゼル発電機だけでなく空気圧縮機も積んでいることを、調べて知った次第です。『客車ならやかましいのは発電機くらいだろう』と思ったら、大きな落とし穴があった次第で……。
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
@@naomiyamada8581 キハネフ14は。床下に重たいディーゼル発電機を積んでいるので、オハネと比べて相対的に重心が低いのが利点です、線路状態の良くない山陽線内での、EF66時代の高速運転でも、オハネのような横方向にドカン!と来る大きな揺れが無く、乗り心地に関しては悪くなかったです。
20:32 好き
満身創痍な列車だと思いました。
上段は狭かった
今思うと、東海道ブルトレのうち「瀬戸」と下関行きもしくは続行便の「あさかぜ」に投入してもよかったと思います。50.3改正までは山陽特急とその改正以降は「ひばり」「ひたち」と共通運用という形で。
世界初の寝台電車はアメリカですな あえて世界初というなら、昼夜兼行の寝台電車ですな
@Y.S.494
Жыл бұрын
電車の定義として、牽引機関車が電気機関車で、寝台車を牽引しているだけでも寝台電車とすると言うなら、たしかに海外にもあったし、581,583系以前の日本にもあった。 動力分散方式寝台電車は世界的にも稀だよ。
@Y.S.494
Жыл бұрын
今は電気方式鉄道を一括りに電車という概念が定着して当たり前のように使っているけど、牽引機関車鉄道は「列車」なんですわ。 だから欧米の主流のやつも正確には「寝台列車」であって寝台電車じゃない。
@user-bk1sp2gc8q
Жыл бұрын
@@Y.S.494 アメリカでは電気運転のインターアーバンが発達していて、まじめに寝台電車がありましたよ ただし、車内が寝台しかないので、サンライズと一緒で夜だけしか走らないというオチがありますが
色々言われてる様だが、キハ80は一度乗ってみたかった。 もっとも、生まれた頃には無くなっていたが。
今でも残っている寝台列車のサンライズ瀬戸・出雲も電車. 581/583系 の寝台電車の技術が活かされているのかな,とか思った
名古屋発「金星」の運用、 間合いで「しらさぎ」運用。 名古屋駅によく写真を撮りに 行きました。
581.583系の台車に亀裂が発生した理由は当時の国鉄の車両基地不足による昼夜兼用の過酷な運用も大きく関係しています。また、夜行列車では大変好評の581.583系でしたが昼間の特急列車では知らない人と向かい合わせになるボックスシートが逆に嫌われた理由のひとつです。以上、
「はつかり」は東北新幹線の八戸開業で廃止されましたねえ。
国鉄といえばキハ58系!
はつかり号、ゆうづる号、はくつる号、みちのく号でお世話になったけど、晩年最後に乗車した583系はエルム号と、ふるさと号だった。
札幌の高校で、京都方面へ修学旅行に出かけた際、帰りの上野→青森の夜行で、普通席として乗りました。座面を寝台のように広げて、先生に怒られた記憶があります。
グリーン席は485系よりも重厚な感じがしました。
まぁ…… 国鉄ね…… 国ですから 採算度外視です。 良くも悪くも……
懐かしいな~ぁ! 子供の頃金沢で見かけた。 後で寝台列車と知って驚いた!!
きたぐに号といえば大泉さん。
今も現役なら人気出たかも。 二刀流車両だからね。
583系の使用列車をハッキリ表示して料金を割り引いたらこんな苦情は出なかったのでは?
この電車を見ると、大泉洋を思い出すw
働かせすぎ……
かなりブラック労働な運用・・・
青函トンネルが10年早く開通していれば、対飛行機需要、函館、室蘭、千歳線電化という投資、耐寒耐雪の強化工事を施し、「北斗星」の様な列車になっていただろうか。
電車寝台車の走行音よりも、スハネフ14系の床下のディーゼル発電機、オハネ24系25型の床下の増圧用コンプレッサーの音には閉口しました。 客車なのにディーゼルカーかよ?? 何で編成途中にコンプレッサーがあるの?? でした。
@hiroshia5789
Жыл бұрын
分割併合にメリットがあったから。
@user-eg1ii3fd6m
Жыл бұрын
以前、タイで大宇社製の寝台車と元24系寝台車が混結した寝台急行に乗ってことがありますが、明らかに元24系寝台車の車内の方が静かでした。でも、今まで乗った寝台客車の中で、最も客室内が静かだったのは583系です。
金星がコレだった。最上段に当たって悪夢のようだった。登り降りしにくいし、窓は小さな長円形のが一つ。その小窓に顔をすり寄せて外を覗いてたら、なんか囚人が護送されてる感じがして、なんとも悲しかった。通路を歩くと両側はカーテンだらけ。潜水艦の居住区のイメージ。寝台料金払ってなんでこんな目にあわなきゃいけないんだと思った。なくなってせいせいした。