戦友
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Пікірлер: 434
昔 大阪に「軍隊酒場」と言う所があった。上司に連れられて行った。入り口で軍服を着た方が「2名様ご入隊」と言って店内に案内された。上司と同じ年代のかたがほとんどだった。最後は「戦友」の大合唱でほとんどの方が泣きながら歌っていた。今の日本があるのはこういった方々のお陰なんだ。
@user-hk9vd4vv3k
5 ай бұрын
仰っる通りだと思います 家族、恋人等の国民、郷土守る為に散華した方々をいつまでも忘れてならないと思います
幼い頃に亡くなった祖父が友と一緒に歌っているのが遠い記憶に残っています。 祖父も満州でした。何も語る事をしなかった祖父ですが、目を瞑って歌っている時の姿が 全てを語っていてくれたように思います。
出征した父の話では、大東亜戦争中にも、この歌は最も好んで歌われていたそうです。 西洋の軍歌は、戦意高揚を目的とした、もっと勇壮なものばかりです。 この手の軍歌は日本特有じゃないかと思うんですよ。 「時計ばかりがコチコチと、動いているのも情けなや。」 形見の懐中時計が涙を誘います。 レクイエムなんですよね。 自分だけが生還してしまった、、、 「同期の桜」もレクイエムですが、こちらは、「明日は我が身」で、 もはや万に一つも生還できるとは思っていません。 「戦友」を歌っていると、右翼的だと思われるんですよ。 そうやって、名作も抹殺されてしまうんですよね。 日本では左翼が正義ですから。 反戦歌としては ベトナム戦争頃?の「花はどこへ行ったWhere have all the flowers gone」が最も有名ですが、 少なくとも、歌詞では「戦友」の方が描写が鮮明かつ秀逸かと思います。 最近では、「サトウキビ畑」が良いですね。 私は日本人の感性の方が好きです。
@GodOpadna
4 жыл бұрын
水かけかも解らんのですけれど、比較的左寄りの自分にも、この曲は良いと思うのです。良くも悪くも、往く方々の心持は、感銘を起こしてくれます。これを悲劇と捉えて反戦に持っていくも、これを勇戦と捉えて好戦へと持っていくもその後の人の心持次第とは思いますが…。私に言えることは、間違いなく万民に聞かせて問題ない軍歌の一つであろうとは思います。
@hide196944
3 жыл бұрын
太平洋戦争当時は日本の軍部が禁止した曲 敗戦後はGHQが禁止にした曲 との事です。 現代はマスコミによる自主規制でしょうか・・。
@user-ut1xs6ec9b
3 жыл бұрын
右とか左で、日本の未来は決まるんでしょうか? 中間では、日本は守れないのでしょうか? どちらか絶対に、決めないといけないのですか? 出来れば、右にも左にも偏りすぎないで居たいと考えています。 かといって、先の戦争で亡くなった方々を馬鹿にするような人は許せません。 日本人の誇りは、捨てたつもりもないです。 国の発展と平和について、考え行動できる人間であれば、右とか左とかに囚われずとも良いと思います。 私は、この様な軍歌も、軽い気持ちで歌えないし、この歌を歌ったり、聴いたりする時は、祖国に帰還出来なかった余多の御霊を思い歌うし、聴いています。 平和について考える為には、あの戦が何であったかを勉強する必要があるので、自分なりに学んでますが。
@masaoshimada1995
3 жыл бұрын
本当ですね。反戦歌にも聞こえますよね。実際米軍人は、日本の軍歌を聞いて、反戦歌かと言ったそうです。
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
@@masaoshimada1995 ベトナムで亡くなった。米海兵隊の友人は、ベトナム戦争は、意味無いってよく言ってました。乃木さんが好きな方でした。秋山真之さんとかね。退役したら、国士舘に留学して、武士道の勉強したいって言ってました。英語は、単語並べれば、話せるよって、日本語は漢字にしないとね。ベトナム戦争嫌いだけど、軍人だから、僕も武人だから、行くって💧どの国の兵士も、又家族も、気持ちは、同じ、
なぜか京都にこれの石碑があって、それを一緒に見た時懐かしいと言って祖母が歌って聞かせてくれた。ちゃんと聞いてみれば正直めちゃくちゃ恐ろしいし悲しい曲だけど自分の中では祖母との思い出の温かい曲なんだ
この唄はいつも父と寝ていた私の子守り唄でした。 戦争に行ってた父は(人情家)想いがあったのでは…と大人になり感じました。 戦友だった方から 父がなくなったと知り お世話になった!会いたかった と聞いて、泣けました。 現在はこの歌詞のようにはなかなか生きられないかな~と思わされる日々を感じています。
@user-ww5if4ku4k
5 ай бұрын
活该
@user-ww5if4ku4k
5 ай бұрын
侵略中国的下场
@user-ti6up5dt2u
Ай бұрын
@@user-ww5if4ku4kはいはい、六四天安門
@shinjioono6715
Ай бұрын
自分の父親も軍隊に行き戦後は捕虜としてシベリアに4年間抑留されました。そんなに多くを聞いたわけではありませんが、当時の話を聞かされたのを懐かしく思います。この歌は父というよりも母方の祖母より教えてもらった記憶があります。返信欄に心無い人の言葉があったので多少憤りを感じ投稿させていただきました。今昔変わらぬ人としての在り方は同じだと思います。
ただただ震えました。 「着いた手紙も 見せ合うて 身の上話 繰り返し」 「肩を抱いて 口癖に どうせ命は 無いものよ」 といった部分を受けて 「行燈の陰で 親達の 読まるる心 思い遣り 思わず落とす 一雫」 戦友の父母へのことを思い、一滴だけ涙を落して終わらせる名文に心が震えました。 中学生の頃のあやふやな記憶ですが、 戦時中の軍部が出征兵士を送るときにこの歌を歌うことを禁止していたという記述を思い出しました。 納得です。
@kaha2825
3 жыл бұрын
確か、拙い記憶だと、東條英機が女々しいとして、禁止したと聞きました。
@benikodesub2593
2 жыл бұрын
本当にそうですね。 歌詞の一説、一説に、まだ知り合って間もない戦友を思いやる心、親を想う気持ち、命の重みが胸に沁みいります。 時代は変わっても命の大切さは変わらず尊いもの、今の若い方達にも知って頂きたいものです。
@kakinomi0628
2 жыл бұрын
日本の軍歌、戦時歌謡はこういうものが多いですね。「朱に染まってばったりと」倒れるのは敵ではなく戦友だし自分も「明日の命を誰が知ろ」と悲しいものが多く戦後進駐軍が歌詞を調べて「これはみんな反戦歌、厭戦歌じゃないか」とびっくりしたそうです。
@user-rk2ml6eq6o
2 жыл бұрын
その話、私も聞いたことがあります。確かに、哀調を帯びた歌詞、メロディですから当時のコチコチ 頭の軍人さんには、あまり勧めたくない歌かもしれませんね。
@user-iv3ke8kw4u
Жыл бұрын
身体が震え涙が停まらない。日本男児よ心して毎日を大切に過ごせる事に心から感謝の念に敬礼
ありがとう。わたしは戦時中に生まれ、戦地に行った父は私が7才の時に帰って来ました。私は歌が好きで、父がハーモニカを吹いてくれました。若いころは、戦時中の歌を唄うことがすきでした。とても懐かしく思い、一緒に涙を流しながら唄っています。有り難う御座いました。
@googledrive5412
11 ай бұрын
83歳くらい?
子どもの頃、親父と風呂に入るとよくこの歌を口づさんでました。 満州に行った時友人が大怪我をして戦争が終わっても帰る事が出来なかったそうです…。 両親が離婚したので、小5より親父とは会っていませんでしたが、先日ようやく身元がわかり、親父の墓参りが出来ました。 その時親父の好きだった戦友を一番だけ歌ったら自然に涙がこぼれました。[親父、あの時の友達と会えたかい?俺は、親父と最後に別れた時よりもかなり年上になりもうすぐ孫も出来るんだぜ]
@alowawozalez
5 ай бұрын
歌い継いでいきませう
"戦友"は、現在62才になる私が、3歳児だった頃、お布団の中で父親の濃い愛情を感じながら聞かせれていた軍歌です。 こんなに人の情を教えてくれる唄も他に類をみないと思える程泣けますね~
@alowawozalez
5 ай бұрын
私も子供に歌いたいと思います。
私の祖父は戦中は満州へ行き、その後シベリア抑留され戦後何とか帰国出来ました。私が子供のころ良くこの歌を歌ってました。本当に懐かしいですね。50年くらい前の話ですが。
悲壮感がいいですねー!それと戦友への人情が心を打ちますねー!素晴らしい楽曲です!!
@kaka-rq5zd
2 жыл бұрын
現在の感覚では悲壮感を感じるかもしれませんが、決して悲壮感ではありませんね。仰る通り人情の詩ですね。 この詩は、皆で手柄を立てるため突撃することが出来るのに、負傷した自分は突撃も出来ない悔しさ、でも邪魔はしたくない、足枷にななりたくない。申し訳ない戦友よ、気にするな置いていけ!手柄を立ててくれ!の詩ですね。
この軍歌はよく祖父が大声で歌っており、隣で祖母が静かに黙って聴いていました。日本を護って下さった英霊に感謝、敬礼です。
@user-ov1nb6is8u
3 жыл бұрын
セパレーツに
@user-fy3tf2hz6w
2 жыл бұрын
i//
@user-fy3tf2hz6w
2 жыл бұрын
../
@user-dl5iz2gd8p
2 жыл бұрын
他のアジア国の人民を殺された日本英霊?
@Hallohallo1987
Жыл бұрын
わかっちゃいるけど英霊がイギリスの幽霊に見えてしまう
皆先人たちはこういう思いをして日本を守ってきたんだね。
@hide196944
3 жыл бұрын
Wikipediaで調べてしまった。 明治38年の曲だそうです。 外国との不平等条約が改訂されて、晴れて主権ある独立国となったハズが、露独仏の三国干渉でちゃぶ台返し・・。 欧州はまだまだ脅威でありそこへ北の脅威です。 世界を代表する大国が野心満々で南下してる中で、国の存続が掛かった戦争。 現代と違って世界の大国がスポーツハンティング感覚で世界を蹂躙してた時代ですから、感謝しかありません。
@takayukifujita3166
3 жыл бұрын
@@hide196944 今や国民の気概が変わったかな:? 明治から昭和45年いや55年以上日本復興まで国の為家族の為真底働いてもらった。 感謝、祈り、申し上げます
@tntn7011
2 жыл бұрын
満州の話なのに『守ってきた』!?
@user-sp5zt5tm8b
2 жыл бұрын
@@tntn7011 此処とらんかったらロシアに轢き殺されるんだから「守ってきた」でいいだろ
@sigre8983
2 жыл бұрын
@@tntn7011 列強にひれ伏したくなければ列強入りするしかない時代。罪はあるが芯もある。
各番の歌詞に書かれいる状況を想像しながら聞くと、かなり感動する
聞きながら泣きました
これこそ国歌にすべきです。自然と涙が出ます。父方の祖父は北方領土でしたが、通信兵なので帰って来れました。撤退の命令を聞けたからです。母方の祖父は仏領インドシナで戦ったが、昇進した時に「貴様よくそれで昇進出来たな」と、いじめられたそうです。今を思えば、もっと戦争の話を聞いておけば良かったです😭
泣けます 日本の為に戦ってくれた英霊の方々へ感謝を忘れずいたいです
@user-xd4vz7qk7r
Жыл бұрын
まったくその通りです...。
@rongw4777
Жыл бұрын
出生
当時を知るお年寄りには、酷な話になるかも知れませが、話に聴いていても、戦争の本当の恐ろしさを実際に、肌で体験した事が無く、戦争を知らずに育った世代の私です。私は、最近のパッとしないバラエティーとか、ドラマとか制作するより、戦争体験者の実話もそうですが、この様な軍歌をそのままドラマ化してほしい。その方が戦争と平和の意味とについて考える若者がもっと増えると思います。その方がよっぽど御国のためです。
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
何時の間にか、テレビで出さなく、歌わなくなりましたね。鶴田浩二さんとあの男性合唱団、ドリフのあの歌とかね。退役中佐のアメリカの友人が、軍歌は、日本のが一番って歌ってます。日本在住、漫画と軍歌で日本語を覚えたそうです。なので、文語体が出て来ます。此方があわてて、辞書引いて。防人に、兵士に御霊に、国に帰ろふは、大和古来の優しき心
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
大和心を、理解してる、アメリカ軍人、イギリス軍人も居るんだよね。日本?の武士道に助けられたと、
@SM-uy3fx
3 жыл бұрын
なんか伝え方がパターン化されてるから、若者には刺さらないんじゃないかな?だからこそ伝え方を変える必要があると思うな。
この歌手も素晴らしいよ。魂が入ってる思う。
子供の頃、祖母が歌っていたのをよく聞いていました。メロディーがちょっと違っていたのでその通りに覚えてしまったのですが、祖母が音痴なのではなくて、いつも同じところで泣けてしまうから… 唇噛んで空をみる姿を思い出します。
@user-uh2it3vz4x
4 жыл бұрын
子供の頃から男は泣かないものと思いこんで育ったので泣いた記憶が無いのですが、戦友を歌い出すと途中で泪が鼻に流れ込んで歌が続かず情けない思いでいましたが、他の方も泣く事が分かりほっとしました。 戦時中にこの様な歌が歌われていた事にほっとする思いです。この歌は戦意高揚の歌では無く戦争の哀しさを歌ったものだと感じます。戦争になってはいけない! 平和憲法を守り続けたい。心から念じています。
悲しい歌ですが平和の大切さを教えられました。
お爺ちゃんは1学年下で軍人さんにはならなかったけど認知症になってもこちらを歌い友達(従業員)を大事にしていたお爺ちゃんだったと思います。
@user-ev8dt4wy2t
4 жыл бұрын
思いだすなあ あの頃は元気だったよ 今はよいよいだあ ✈
感涙 ご先祖様お国の為にありがとうございました。敬礼
御英霊の勲には感謝しかありません。 いくら歳月が流れも御英霊の殉国散華のご事跡を伝承していかなければなりません。 御英霊に感謝申し上げる事が我が国の平和の基本です。
@user-lg6eg8ts1m
Жыл бұрын
私の父が従軍した歌 涙~が
軍靴の沢山の中では当時としては…勇ましさや祖国を称えるが大半なのに 「戦友」は聞いた時、とても衝撃で泣けました
当時、命を掛けて、くれた人達に申し訳無い現代日本🇯🇵に、なってしまいました、想い果てずしで、この世を後にされた方々に、哀悼の威を持って敬礼。
@august8759
3 жыл бұрын
一番申し訳ないのは読点を多用して変な日本語になっちゃってるあなた。
@user-fo2se2cc9p
3 жыл бұрын
現代日本の心配をする前に自分の文章力を心配してください。
@user-yf8cg7bc9k
3 жыл бұрын
@@user-fo2se2cc9p 肝心の言わんとする所を汲みとることが大事ですけど。文のアラ探しよりもね。
@user-fo2se2cc9p
3 жыл бұрын
@@user-yf8cg7bc9k 別にあら探しはしてないですよ。一見しただけで分かるほど酷い文章だったので指摘しただけです。
@user-ky5zk9yv8t
3 жыл бұрын
@@august8759 Augustとやら、一番申し訳ないのは読点を多用して変な日本語になってるあなただと?お前はバカか?この方の素晴らしさが分からない大馬鹿ヤローだ!。くだらん返信をするな!。アホンダラ!。
拾肆の最後の「思わず落とす一滴」 戦死した戦友の親御さんがこの手紙を読むと思うと手が止まって落ちた墨の一滴か、友を思って目より零れた涙の一滴か… どちらにせよ感慨深い
この歌は、亡くなった祖母がよく口づさんでいました。 戦前、戦中と満州.今の北朝鮮に住んでいた祖母や父達。どんな思いで帰ったのかは話してくれませんでした。
@alowawozalez
5 ай бұрын
どこも同じなんだね。悔しいです
僕の爺ちゃんも良く歌ってたなぁ。。。 今聞くと涙出る。。。
日本軍歌って戦争の儚さを描いてるもの多いよね… 同期の桜や雪の進軍、若鷲とかとか…
戦友に対する心情といい悲壮感といい昔のお方はなんと大層ご立派な楽曲を創る能力に優れていたものであるかと感動に耐えません。先人の尊き死に思いを馳せ賢明に生きて行きたいと深く胸に刻ませて頂きました。感動の楽曲のうちの一つです!
こういう曲は、日本を守ってくれてありがとうございますしか言えない。
戦友 御国だけでは無く身近の戦友に対しての哀愁漂うこの曲が好きだ 漢を感じる
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
日本の軍歌は、みなそうですよね。戦友は、此の歌に有る様に、心の支え、命の支えですから。くそって銃を握りしめて、故郷思い母を思い、生きて母を抱いてほしい。だから、せめて靖国で戦友を待ち、母を待ち せめて靖国で親孝行させてあげましょうよ😢💧
父も満州で終戦迎えた後 シベリアに抑留され、過酷な現状を目にしたそうです。 戦後 数年経つて 帰国出来たそうです。 その様な話は、普段は、全く耳にしなく、お正月、秋祭り等 身内が集まった時に話していました。 元気な内に真剣に聞いておけば良かったと、後悔してます。 今は 軍歌が好きな私ですので、仏壇に居る父に聞こえる様 少しボリューム上げて聴いています。 英霊に感謝です、 今の未来を作って頂き。
何と言う悲しい軍歌でしょうか。此が本当の戦争の姿と思えば今も胸に迫り涙が止まりません。亡くなった御魂に、ご冥福をお祈りしています。
@user-bo7gn6qt4z
Жыл бұрын
私も本当にそう思います。せめて今日は(8月15日)この歌を聴きながら、戦争の悲惨さを思い新たに反戦の思いを新たにかみしめます。
@user-ko1oc1ry2o
Жыл бұрын
@@user-bo7gn6qt4z 様、コメント有り難う御座います。私が終戦の日を迎えたのは いまで言えば中学1年生でした。故郷北海道から鳴門に転校して1年目でした。 それにしても、戦友の歌は14節まである長い歌で驚いています。無事帰還した 人から聞くと歌詞の様では無く自分一人生きるのが精一杯だった様です。 昨日戦後77年を向かえ、平和の有り難さを実感しています。
後世に渡って、沢山の若者(兵士)を戦場に送った歌のひとつ。好き嫌いで唄える歌じゃないですよね。こういう軍歌は、歌詞に込められたひとつひとつの意味を考えて唄う歌だと思います。
戦友は美しき歌です
昭和40年ごろだったと思うが、テレビドラマで『戦友』と言うのが有った、そのテーマ曲だった、夕方に放送していたので再放送だったのだろう、放送局は【NET】現在のテレビ朝日、内容も含めて今では考えられないが。
なんと悲しい曲なんでしょうね。あの時代は皆様そうゆう覚悟で戦地に行ったのですね❗
昭和49年生まれのものです。曽祖母がよくこの歌を歌ってくれていました。歌詞も歌の題名も知らなくて、、。 哀愁のある旋律で納得しました。 涙だ止まりません。 私は、平和な時代にでお国を勝手に何百里も離れ、出産し、今では多国籍の息子たちがいます。人種がどう、と言うより、落下傘部隊であった祖父や、海軍だった祖父を誇りに思いますし、先輩たちが大切になさってきた事を、息子にも海外の家族にも伝えられたら、、と思います。 今の日本は先輩たちの犠牲にある事を忘れないように、また心底感謝致します。
小学2年だったかな 旅先で松戸の祖父に軍歌戦友を歌わせたら途中で泣きながらうたってた KZreadで軍歌戦友を聞いたら 涙が出た あのとき祖父が泣いていたのわかる
軍歌をたまに聞きますが、この曲が一番心が痛くなる。現実を良く表した、後世に残すべき曲だと思います
何気ない毎日に感謝です。 國防ご苦労様です。
こんな悲しい物語りのような歌はとても涙腺にきますね。どうせ命はないもの…本当に昔の日本人は侍魂、大和魂が生き生きとしていて本当に見習いたいです。
英霊の皆様のおかげで平和の国、今の日本があると思います。ほんとにありがとうございます。
万人の思い入れがこもってもってしまった歌
🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵🇯🇵 ご挨拶、セルビアから日本の兄弟! 🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸🇷🇸
@user-rm7fg5yb6m
3 жыл бұрын
🇷🇸♥️🇯🇵
ああ悲しくなる 日本を守ってくれてありがとう
軍需工場で働いていた祖母がフルで歌っていましたね。認知になりかけだったときも口ずさんでいたのを聞いて軽く涙が出ました。
「軍律厳しい中なれど」が不適切として「硝煙渦巻く中なれど」という歌詞に差し替えられたという記述を図書館の軍歌集で目にした事があります ですがやはり「軍律厳しい中なれど」のほうが馴染み深いですね
泣けてくる
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
泣かないもん😭😢💧
90年代前半ぐらいまで温泉旅館の宴会場で合唱されて聞こえてきた歌。
先輩が命かけた戦いにありがとうございます
末端の兵士の多くが犠牲になるのが戦争。この歌を聴いて我々にできるのは反戦を誓うしかない
日本は戦争などしたくないんだよ。 しかし、歐米列強が各地を植民地とし世界を蝕む中、日本国を守るために、白人による人種差別を無くすために、戦わざるを得ない。 兵士の心情を描いた唄ですね。 混沌なる時代の中で日本国を守るために戦われた英霊の皆々様に感謝と心から尊敬の念を抱きます。
@user-nh8tx4do3u
4 жыл бұрын
しかし日本が闘わなかったら、今でもアジアとアフリカは欧米の植民地のままだったのは事実。 結局、日本は何時かは戦うはめになったかも。 欧米はアジアとアフリカを解放するつもりだったと言う人もいるけど、それなら何故日本が撤退した後に再植民地化を目指したのか聞きたい。
@user-fe2sl6fp4v
3 жыл бұрын
だけど相手の国の問題には勝手に上がりこんじゃいけないわけね…
@user-to5ck2lt7j
3 жыл бұрын
そもそも国家利益の面から見ればアジアの兄弟を解放する必要性なんて無いとは言わないけど、世界を敵に回したにしては報酬が釣り合ってないんだよなあ… なんならそれを全部植民地化したとしても足りないくらい
介護施設良く歌っていたおばぁちゃんが居て覚えちゃったよ
いざ203高地。今も帰れる事亡き御霊。いまの私達に出来るのは、戦争の無き世の継続と、先の戦で先陣に散った方々の御霊に冥福を祈る事。
@user-mn2np1id1s
4 жыл бұрын
今はこの近くに暮らす身です!先人の尊い死があればこそ今の日本があるのです!感謝感謝で遠い地に暮らしています。
@user-ut1xs6ec9b
4 жыл бұрын
身体は、祖国の地を踏む事は無くともせめて、先陣に散った方々の御霊が、皆さま帰国される事を祈るばかり。
@user-mn2np1id1s
4 жыл бұрын
@@user-ut1xs6ec9b 様; 自分は靖国に無事安らかに魂を休めてくれているしものと思います! 我がおじきもそこにおわします。
日本軍の強さがこの歌に凝縮されてる。 今後の日本も戦前の先輩方のように真実を知り強く日本を護らねばならないぞ!
素晴らしい!!
私の大伯父(祖父の兄)は、明治37年、日露戦争の第二回旅順総攻撃で戦死しています。 私が小学生の時に、父(最終学歴:海軍飛行予科練習生卒)がこの歌のレコードをしみじみ聴いていたのを思い出しました。 英霊に心から感謝申し上げ、今の平和な日本に生れてきたことをありがたく思います。
若い頃はのめり込みました!右翼も左翼も無いんでは?若い頃はのめり込みました!青春でした!良い想い出です!現在67才の老人です。
友情の極まり。
この曲ダントツで悲しくて虚無になる
軍歌聴くと自然に涙が出ます、戦争知らない世代ですが、、、
軍部がこの歌の発表を許したことに驚きました。戦死が戦争状態であれば、想像ができる出来事であるからでしょうか。 しかしながら作詞者、検閲者の心の底の思いに振れたように思います。
先人の皆様のお陰で平和に生きてこられました。喜んで戦争等は誰もが考えていなかったはず、しかし国の為と戦ってくれたお陰です。有難うございました。又日本も先人方の心を忘れていた結果なのでしょうね。新たな戦いが始まろうとしており、恥ずかしい限りです。大和魂忘れず、国を守る議員を間違わぬよう、選挙に行きます。
こんなに心を揺さぶる歌詞はそうそうあるものではないよね。 思わず落とす一滴の時点で15滴ぐらい落ちてるわ
感謝を忘れてはならない! 今頃気付いた事に何と謝罪していいのやら 申し訳ありません!
「此処は御国を何百里、離れて遠き満州の…」と唄い戦友達と励まし合いながら戦い、「今日も暮れゆく異国の丘に…」と唄いながら同胞達と耐えた強制労働、このような運命を辿った人々が多く居たんだよな。 自分の親戚にもそう言う運命を辿った人が居てるんだよな…
ありがとうございます。この方々の命の土台に今の繁栄ある日本の国です。忘れはしません、感謝という言葉では足りめせん、あなた方のお国を守ってくださった心は戦争という名ではありませんが国を思う志は受け継いで参ります‼️繋いで参ります。
@central162
2 жыл бұрын
@智友 鎌倉鎌倉末期の「弘安の役」を最後に日本に攻め入った国はなかったように歴史にあるのですが、「お国を守った」という事で、どこの国が攻めて来たのですか?中国大陸で戦争を展開して行ったのは日本の方ではありませんか?
今は亡き曾祖父さんがよく歌ってたなぁ
男の歌。 好きな歌。
俺の親父も大陸に、行きました。無事帰還し今の俺が在るのですが、飲むと、戦友を歌ってました。
戦友っていいな
戦友、この歌を作詞された真下飛泉さんは、私の出身の高校の古いOBで教員もさていました。その 息子さんは、私が小学校のころに校長をされていました。この歌は思い入れの深いです。 追伸:私の生まれは京都市で、通っていた高校は、市立東山高校で、小学校は粟田小学校です。小学校は 統廃合になり今は存在していません。
曾祖母が子守唄で口ずさんでいた歌です。 信濃の国、茶摘み・・・・。 曲名は知りませんが歌える歌がたくさんあります。 この歌も曾祖母からの贈り物だったのです。 「ここは御国の何百里、離れて遠き満州の」 と、ふと口ずさみます。 ご先祖様、英霊、先人に感謝します。 令和五年三月三日
介護士です 歌を覚えにきました
@user-yn6wt1em5d
4 жыл бұрын
ちょこれーとなまはむ ラバウル小唄と麦と兵隊も探してました!
私の父が言っていました戦友わ友達とも兄弟とも違うと言って戦友会に行きました
戦友=絆
皆さまのご苦労があって、今の日本が成り立っておりますので、感謝しか有りません。
父がよく歌っていました懐かしい思いで胸にしみます。
私の祖父は満州から復員しました。この歌を歌っては涙していたことを思い出します。改めて拝聴いたしますと、歌詞の意味がよくわかり、私自身も涙が溢れました。軍歌は勇ましいのではなく、悲しい歌でもあると私は思います。現在の平和な日本かあるのは日本を愛し、家族を愛し、その先駆けとなってなくなられ英霊となられた方たちのおかげと私は心から思います。ありがとうございます!どうか戦争のない世界が時代が来ますように、恒久平和を祈り、願い、尊び、唱えます。生意気な文面ご容赦ください。
太平洋戦争時ではなく、日露戦争時に歌われた歌ですよね。
@user-hf7wd9fn8n
5 жыл бұрын
大東亜戦争な
@yukiomatsunaga3002
4 жыл бұрын
戦争挽歌ですね。
@user-hb4lz4xb7n
4 жыл бұрын
@@user-hf7wd9fn8n でも、その呼び方は、日本でしか通じない。世界では、太平洋戦争なんですよ。
@user-hf7wd9fn8n
4 жыл бұрын
@@user-hb4lz4xb7n 確かに。だけど、世界中の全員が太平洋戦争と呼んでるとは限らない
@SANKAKUNEKOIllustration
4 жыл бұрын
@@user-hb4lz4xb7n 世界では太平洋戦争とは呼んでませんよ。英語圏はthe Pacific Theatre in the Second World War(第二次世界大戦の太平洋戦域)、漢語圏は抗日戦争。太平洋戦争という名前は世界大戦以前にすでに使われている(ペルー×スペイン)のでアメリカ以外では紛らわしいので使われていません。
23歳の私、祖母が歌ってたのを思い出し初めて最後まで聞いたな。 2番までしか聞いた事無く、小さい頃は祖母と笑顔で歌ってたけど今聞いたら悲しすぎる曲、、
尊皇、愛国、活動頑張ってます。
私は戦後生まれです。父は戦死しました。とずっといっていました。母からそのように聞いて居たからです。母と一緒にこの歌をずっと歌っていました。私の出生はドラマのようです。5年生のとき、呑んだくれの叔父がきて父が生きているというのです。母に問い詰めると涙ながしていました。この歌聞くと自然に涙がでます。
Majima's Ishiin Karaoke sounds lit In the original.
子供時代になぜ友を置き去りにするのですか?と母に聞いた。母は座り直して、突撃ラッパが聞こえたら戦の勝敗を決める時だから何が有っても進むんですよ。と教えてくれた。
英霊に敬礼
歌っているのはアイジョージさんですね。25年くらい前にLAにいらした時によくカラオケで一緒に歌っていました。 もっと何番も長い歌詞で全部暗証して歌うのに驚いたのが印象的でした。 これは愛の歌だとおっしゃっていました。軍歌がとても好きでした。
自分の体なのに自由が利かない命。悲しく空しいです。戦争はあってはならないことです。何のために生まれて来たのか疑問で、全く意味のない世界としか言いようが無いです。この時代の人が可哀そうでなりません。
いい曲です😂感動しました😂曽祖父は満州に戦争に行きました😂戦友方には感謝しかありません。ありがとうございました😂
壮絶ですね‥
なかなか分かりずらく、😮しながらこの歌は響きますけど今でもすごいけどやっぱりすごい‼️つらい
伯父は、ビルマで戦死しました。それを戦地から葉書でしらせて下さった近所の同部隊の方は、その葉書がついた頃に、やはりビルマで戦士されていました。何とも、やりきれない話です。 そのビルマに慰霊に行ったときに。日本軍墓地の中に真新しいお墓がありました。そこには、死後はせめて戦友とともに眠りたい。そう願った父上の遺志で、墓を建立したと記されていました。ただ、ひたすらに頭を垂れるしかありませんでした。
3:02 コチコチの時計について歌っている時、バックグラウンドに時計の音に似ている大声じゃない音は完璧です。
海外の軍歌を全く評価しないわけではないんですよ。 実はロシアの軍歌(であり民謡とも言う)「ポリュシュカポーレ」「カチューシャ」「ともしび」「アムール川」とか、曲に関しては、凄く好きなんです。 歌詞も、主に兵士と恋人の描写で、まあ良いんですが、「わしらの戦車は速いんよ。」みたいな感じで「戦友」の”痛切な寂寥感”には遠く及ばないかなあと感じる次第です。 まあ早い話、私にロシア語のニュアンスまで理解できてないんですけどね。 面白いと思うのは、「戦友」と同じ日露戦争の頃に作られた「アムール川」に”昇る朝日”の描写が有るんです。どちらも”赤い太陽に血潮”をイメージさせているんですが、「戦友」は”沈む夕日”なんですね。 ところで、ベトナムの trinh cong son の歌(歌詞は良いです)は 反戦歌 という理由で昔、ベトナム政府に禁止されたのですが「戦友」は軍歌という理由で 今の日本で 抹殺されるんです。 私に言わせれば、右翼も左翼も、、、 とにかく、良い歌を残していって欲しいと願うばかりです。
一番最初に覚えた軍歌です。 普通軍歌と言うと勇ましいメロディなんですが。
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
し
@takamasayano2083
3 жыл бұрын
(/o\)ミスです。兵士の思いにメロディをつけてですね。
いい歌だなあ。
日本の軍歌?戦時民謡?どっちに分類されるか分からないですが 軍歌とか戦時民謡って厳つい歌詞のやつが多い気がするんですが 日本の場合、悲壮感漂う歌詞なのが心に来ますねぇ