【戦国時代】上総武田氏〜武田氏がなぜ房総半島に?【千葉県の歴史】
Ойын-сауық
今回特集するのは、戦国時代の上総武田氏。上総国(現在の千葉県中央部)を支配していた勢力です。
武田氏といえば、武田信玄など甲斐武田氏のイメージが強いですが、実は両者は同じ一族。
一体なぜ、甲斐から遠い房総半島で勢力を拡大できたのでしょうか?
◆目次
00:00 はじめに
00:28 武田信長の上総入部
01:44 小弓公方家の成立
03:38 天文の内乱
05:51 真里谷武田氏の滅亡
07:25 大勢力の狭間で揺れる長南武田氏
◆主要参考文献
黒田基樹『戦国期関東動乱と大名・国衆』戎光祥出版
黒田基樹『戦国の房総と北条氏』岩田書院
黒田基樹『北条氏綱:勝って甲の緒をしめよ』ミネルヴァ書房
黒田基樹 編『武田信長 (シリーズ・中世関東武士の研究) 』戎光祥出版
黒田基樹 編『古河公方の新研究 第2巻 足利高基・晴氏』戎光祥出版
滝川 恒昭『里見義堯 (人物叢書) 』 吉川弘文館
滝川 恒昭・細田大樹 編『図説 戦国里見氏』 戎光祥出版
Пікірлер: 117
上総武田氏といえば武田信長というとてもインパクトのある名前が最初に出てきますが、実質この人から始まったようなものだったんですね。 いつも色々なところを取り扱ったうえで、みんなが知ってる歴史に繋がっていく動画を楽しんでます。ありがとうございます。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! いつもご視聴頂き感謝です^ ^ 信長って意外といないものですよね笑
上総武田氏の子孫です。上総武田氏は真里谷城に拠って性を真里谷と名乗っており、うちの高祖母の旧性が真里谷です。一族の墓は現在中野区にあり、縁の人物のものと思われる墓も数基その敷地内にあります。が、今では墓石が風化してしまって、刻まれている文字は特殊な技術を使わないと解読できないような状態です。法事の時(40年くらい前)に当時の住職から真里谷家について解説がったのですが、幼少だったので内容は覚えてません。それらにまつわる資料はその寺にまだあるのかもしれません。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! なんと!貴重な情報を頂きありがとうございます^ ^ 住職のお話気になりますね
千葉上総の者です。母親の実家の家紋が武田菱です。うっすら武田の末裔だとは聞いていましたが詳しいことを初めてこちらで知りましたありがとうございます。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! なんとびっくり!楽しんで頂けて嬉しいです^ ^
@13foulball
2 ай бұрын
ということは江戸時代は農業を?
@13foulball
2 ай бұрын
江戸時代は武士ではなく農民だったということですか?
@user-he1wi3lx8d
2 ай бұрын
こういう話好き だいたい合ってることが多いですから、戸籍の取得、実家の家系図を探す、ご先祖様の墓石の調査、地域史を読むなどやり方はたくさんあるのでご先祖さまについて是非調べてみてください いつの世代から分かれたかなど詳細がハッキリするはずです!
YUKIMURAchannelの後北条氏シリーズで真理谷武田(まりやつたけだ)家として出ていたので覚えています。
この地域の歴史がめちゃくちゃ好きなので、動画ありがとうございます😭
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ 今後は千葉氏や里見氏も特集したいと思います!
久しぶりの配信、待ってました!里見氏や小弓公方のことを調べると必ず真里谷武田氏が出てきますが、内紛が多く当主もよく変わるのでややこしく感じていました。こうして整理していただき、感謝します。 以前行った木更津市郷土博物館に真里谷武田氏のコーナーがありましたが、真里谷城に近接して2つの城があった理由は不明などと書かれていました。武田氏に関してはまだわからないことがいろいろありそうですね。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! お待たせしました!良質な史料が少なくややこしい上総武田氏ですが、謎が多い点も魅力の一つですよね^ ^ 木更津市郷土博物館面白そうですね!今度行ってみようと思います^ ^
@masanobuokuda5837
3 ай бұрын
真里谷城の鳥瞰図や城跡からの出土品(陶器や炭化した穀物)の展示もありましたよ(^^)
これは渋い所突きましたね!💡 関東戦国史の初期は同族一門の争いが幾重に近隣を巻き込んで波及し連鎖するのが定番ですが、それとは無縁だった新興の北条や内乱はあったけど早期に片付け権力基盤を確保した里見などがこの地域を制したのが分かりますね。今回の真里谷の武田氏や御所の足利氏みたいに長いこといつまでも永遠に同族で争うとまあこうなるよねって展開で。気付いた時には既に北条や里見にいいように介入され利用されてますからね汗
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃる通り、里見氏がスムーズに権力基盤を確立できたのはびっくりですね!それに比べて真里谷武田氏は、天文の内乱後の様子が対照的… 汗
地方の歴史を良くまとめられますね。感嘆!
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 励みになります!今後も各地方の歴史を特集予定です^ ^
武田氏といえば甲斐武田氏、安芸武田氏、若狭武田氏って思ってたので 上総武田氏は初めて知りました。勉強になりましたm(_ _)m
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ いずれは他地域の武田氏も特集してみたいです!
@nattousenbei
3 ай бұрын
きれいに全部滅亡したね・・・・・
@jb-he6xv
3 ай бұрын
@@nattousenbei 南部....
@nattousenbei
3 ай бұрын
@@jb-he6xv か,家名が変わってるから
@user-ts1kp3tb5o
3 ай бұрын
甲斐武田氏ね庶流の庶流だと側用人柳沢吉保の系統大和郡山藩柳沢家とか。
小弓公方や里見氏 となんだか大変な人たちを相手にしていたイメージ😅 事件多くて登場人物も多いあの時代を、、わかりやすかったです😊
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ 房総は群雄割拠でなかなか複雑ですよね!笑
武田氏は甲斐のイメージが強すぎて真里谷武田氏はあまり知らない人多そう。 (自分は信長の野望で真里谷武田氏を知りました笑)
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 確かに甲斐の武田氏と比べると地味かもしれませんね…笑 お隣の里見氏や北条氏の陰に隠れてるイメージもあるかもです^^;
@13foulball
2 ай бұрын
甲斐に残って苗字を変えるか,遠くに行って武田を続けるか 迷うっていう人も多かったんでしょうか 大体次男とかは武田家から別の家になってますよね 小笠原 板垣 甘利 穴山 その他あの辺の昔からある苗字は大体武田出身
若狭高田市と安芸武田氏と甲斐武田氏は知っていたが上総武田氏は初めて聞いた 上総にも武田氏の一族がいたんだね 勉強になったよ
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ いずれ他の武田氏も特集できればと思います!
複雑怪奇な当時のお家騒動と関東一円の勢力図との関係を理路整然とまとめた傑作です。うちの近くも武田川という小さな川があって、名前を残しています。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ 武田川は真里谷城のすぐ近くまで流れていますね!
武田信長!なんたる最強コンポw 性格も尾張のあの人と似てたとか
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 戦国時代屈指のインパクトある名前ですねw
そういや、千葉の葭川公園の近くのビルの地下に"武田"という天ぷら屋さんがあって、武田菱の紋章でした。上総武田氏の子孫だったり?そのお店、結構昔からあります。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 教えて頂き感謝です!なかなかの高級店ですね!笑
こんにちは動画楽しく拝見しました。房総武田は「信長」というインパクトある名前と黒田基樹先生の「戦国の房総と北条氏」を読み興味を持ってました。 木更津に仕事で赴任していた時に真里谷城や中尾城と笹子城、佐貫城や百首城など武田関連の城を巡りましたが、かなり広範な範囲となり一時期の房総武田氏の勢力は盛んだったと感じました。 一族内紛から、それぞれが救援を頼んだ里見と北条に侵食され滅んでしまう真里谷氏がとても哀れに感じました。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! なんと!武田関連の城巡りうらやましいです!!真里谷城から百首城まで結構な距離ですよね^ ^ 武田氏の勢力の大きさがよく分かります!
真里谷武田氏。小田原北条氏とも関わりの深かった一族。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 元々は北条氏が早くから同盟を結んでいた勢力ですよね^ ^
伊勢宗瑞が出てきてちょっとテンション上がった
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 意外と上総武田氏と関係が強いですね^ ^
峰上城に行ったのですかぁ❓ 堀切りが凄いですよね👍 造海城の横堀切りも゙👍
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 七ツ堀切疲れました!笑 冬に行ったので造海城も遺構が見学しやすかったです^ ^
@akanyankoi
3 ай бұрын
峰上城のすぐ横には地元の人が「てんじんだい」と呼ぶ小さな台地があります 台地周辺からは弥生式土器も出土しているので真里谷氏以前から利用されていた場所でしょうが 真里谷城の近くに「真里谷新地の城」と比定されている「天神台城」がありますので 「てんじんだい」という呼称は真里谷氏時代の名残でしょうか それ以外にも峰上城周辺には「常代(とこしろ=床城)」「大和田要害」などの防衛施設らしいものも点在し 湊川・志駒川を天然の堀に見立て、周辺の寺社なども含めて地域全体が防衛拠点だったと考えます
真名城跡近くに住んでます。長柄町の上野地区は平将門にも関わりがあると言われてますが、よく分からないみたいです。良かったら調べてみて欲しいです。
香川県の戦国史と徳島県の戦国史をお願いします。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 時期は未定ですがいずれ特集したいです^ ^
動画UP待ってました。 細かすぎてチンプンカンプンだったけど😭 千葉のあちこちに城があって戦いが絶えなかったとゆ〜事ですかね。房総半島はのどかな田舎ですが、珍しい地名が多く漢字が読めません😭 武田って元々は水戸から出たとか何かで見たような…
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! お待たせしました!確かに匝瑳など読み辛い地名が多い気がします笑 武田氏は常陸がルーツと言われていますね^ ^
@tmotchy93
3 ай бұрын
どちらも源氏で、佐竹と血を分けてるからね。
@user-lf6zb4ik5o
3 ай бұрын
田畑と山林が多い地域なのに立派な神社が存在します。城下の鬼門封じと先勝祈願もあったのでしょうね
@tmotchy93
3 ай бұрын
この当時の南関東はドロドロでしたからね。鎌倉公方→古河公方と関東管領の間のいざこざで勢力が二分されてその周辺を巻き込んでグタグタに。名門千葉氏なんか、どっちの陣営に付くかで家が割れ、本家が分家の馬加氏に滅ぼされるとか。本家側の生き残りが太田資長の助力で隅田川渡った所に武蔵千葉氏としてどうにか生き延びてたり。今戸神社当たりがその拠点だったようです。
@eh3063
2 ай бұрын
@@tmotchy93 武蔵千葉氏ですね。本来の千葉氏嫡流なのに小国人として埋もれてしまった悲劇の千葉氏。 九州にも本来の千葉氏本流たる肥前千葉氏がありますね。こちらも戦国時代に龍造寺に滅ぼされてしまいましたが。ただ幸いにも子孫は江戸期を通じて続いたようですが。
この時代を語るなら当時の地形にしていただけるとより分かりやすいですね。平野部ほぼ水没していたと思われます
武田家って一体何個あるんですかね? 知ってる限りでは安芸武田氏、上総武田氏、甲斐武田氏、若狭武田氏くらいですけど…。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 自立的な領域国家という点では、その四つまでが妥当だと思います^ ^
知らなかった😢
甲斐武田氏や安芸武田氏と比べると真里谷武田氏はマイナー感が否めないですね、三浦氏滅亡のキーパーソンだったり第一次国府台合戦小弓公方側参戦等時折歴史に出て来るイメージしか無いかな。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃる通りですね!やはり史料の少なさが大きな要因かもしれませんね…
@mi4966
3 ай бұрын
甲斐も安芸も割と難読なのに知名度のお陰で読めちゃいますけど真里谷は中々読めませんな。
武田信長…ランダムで新武将作成したときのような名前😂
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! めっちゃ強そうです笑
武田にも信長がいた⁉こちらの武田氏は、小田原北条氏の歴史で知りました(^▽^)/
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! "武田信長" こうして書いてみるとかなり強そうな名前ですね!笑
地名で何となくわかったけど、全然知らない家名がいーーっぱい。武田、里見、千葉、足利、佐竹氏所領だと思ってたからな~w
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 確かに酒井氏や正木氏がそれぞれ複数存在していたり房総は結構ややこしいですよね…笑
茨城県のひたちなか市、旧勝田という地名も、勝倉と武田の名前を合わせたという話がありますもんね。あの辺りはすごい勢力がたくさんいたんだなぁと勉強になりました。
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! 常陸も武田氏と関係が強い地域ですよね! ルーツを同じとする佐竹氏もいずれ特集したいです^ ^
@qzp01467
2 ай бұрын
甲斐武田の武田は、元はひたちなか市の勝田駅に近い武田に最初は領地を得て、武田を名乗り始めたんだけど、周囲の領主と揉め事を起こして、武田を追い出されて甲斐に逃げたんです。
清和源氏の名門だもんね 甲斐のあの人が有名だから他の武田家の影は薄いけど
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃる通り、甲斐武田氏に比べるとどうしてもマイナーな印象が強いですね…!
そういえば天狗党の乱を起こした水戸藩の武田耕雲斎にもつながりがあったり?
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 跡部氏は信長と因縁がありますね笑
@eh3063
2 ай бұрын
横入りで申し訳ないですが、武田耕雲斎の旧姓は「跡部」。 跡部氏も小笠原氏流清和源氏ですが、耕雲斎は甲陽軍鑑で悪人扱いの跡部勝資と同じ姓を嫌って、主君斉昭に願い出て「武田」と改姓したそうです。
若狭と安芸の武田はどう別れたんだろう?
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 守護職を獲得するにつれて室町期までに分岐したみたいですね^ ^この両家もいずれ特集したいです!
信長の野望の信長誕生シナリオで開始直後北条に食われるイメージ
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 開始直後😂
確か最終的に甲斐武田が支援できなくなって、太田の傀儡国家になってすえに千葉氏と一緒に関東出兵で滅んだと聞いています
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 岩付・江戸系ともに太田氏は房総との関係が深いですよね! いずれ埼玉の国衆も特集したいです^ ^
@tmotchy93
3 ай бұрын
@@rekishitravelさん 太田資長の弟?甥?の太田圖書介の墓が臼井城跡にありますね。後世に建て換えられた物でしょうけど。
@rekishitravel
3 ай бұрын
@@tmotchy93 つい先日臼井城行きました!太田道灌の弟の墓がありますね^ ^
@tmotchy93
3 ай бұрын
@@rekishitravel さん たぶん、明治ぐらいの時代の墓標だと思います(旧字体で書かれてますが墓標が朽ちてないので)。 この地、毎年三國峠越えてくるあの戦バカを唯一大敗させた場所でもありますね。謎の軍配者 白井入道。先祖がうちの近くの土地に根付いてた豪族で、その褒美に多部田城主を任されたとか。一応、うちの地区の歴史書には書かれてました。
甲斐武田家の子孫です。織田や徳川に甲斐武田家はことごとく滅ぼされたので…。上総武田家が続いていて、とても嬉しいです!❤\(^o^)/
@KokonTouzai-Rekisi-Channel
2 ай бұрын
どの系統ですか?
@user-bb5wv8bn2m
2 ай бұрын
祖父の母が武田家の出でした。お墓にも武田菱がございましたが、どこの系統かまでは、存命中にきいていれば良かったですね。
毛利元就時代の武田氏物ありますから、平安末期,鎌倉で別れた一族だと思う
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 安芸武田氏は若狭や上総系よりも早くに別れていますね^ ^
家康の早世した4男か5男が継いで初代水戸藩主や尾張藩主になった武田氏がこの系統だっけ😅?
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 五男の信吉は一応甲斐武田氏の名跡を継承したことになっていますね^ ^
@user-ts1kp3tb5o
3 ай бұрын
@@rekishitravel ご返信ありがとうございます。 そうですよね。態々分家の方を継ぐ理由は無いですよね^_^。
当主間違いです!信清というのは3代信興の子で初代小田喜城主、ここで言う信清は信保の事で著名な恕鑑入道のことです。上総武田氏と思い見てたら武田恕鑑が出てこないのでおかしいなと思い訂正お願いします、上総武田で恕鑑を抜いたら話しにならない
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 今回は黒田基樹氏の最新研究による系譜を採用しています^ ^ なので当主信清の法名が恕鑑の前提です!※参考 黒田基樹 『戦国期関東動乱と大名・国衆 (戎光祥研究叢書18)』
@akanyankoi
3 ай бұрын
横から失礼します 私も信興のあとは信保で、小田喜信清はその補佐というか信保に代わり家中を執り仕切る立場にあった と認識していました。 上総武田氏はあまり資料が無いのか本格的な研究も進んでいないようで、資料を掘りおこしたり研究に取り組んでくださる先生が現れないと詳細はわからないまま、という事になりそうですね。
武田は若狭にも安芸にもいるからなぁ~w
新田氏族も足利氏族も武田氏族も各地で繁栄したが、時代の経過とともに、義家系に比べて義光系の先細り感が否めないのが残念。 この時代までは両系統共に頑張ってはいましたが……(笑)。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 確かにその印象が強いですね…! そう考えると佐竹氏はよく頑張った方ですね^ ^
KZreadは1.75倍速でいつもみてるのですが何言ってるのか分からないのは初めてでした もっとゆっくり分かりやすく話した方が良いかと
実は土岐も酒井もいた房総半島戦国史をよろしく!!中日ドラゴンズの化身かレベルに弱くて綺麗サッパリ消えたけどな!!真里谷も庁南もなぜにああも揉めたのか。
@rekishitravel
3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 両酒井氏・土岐氏特集、面白そうです! 永禄年間は修羅場な感じですね笑
@tmotchy93
3 ай бұрын
上総土岐氏と言えば難攻不落の万喜城!でも、大阪のハゲネズミの関東侵攻で本田平八郎忠勝には敵わず落城。
まあ、佐竹も祖が兄弟だしね
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! 鎌倉時代前後の武田氏特集も面白そうです!
話し方に抑揚をつけると非常に聞き取れにくくなって何を話しているのかわかりませんので普通に話をしてくれたら嬉しいです。
見出しに「房州にも…」とあるが、「上総」は「安房の国」では無いので「房州」ではありません。 「ふさの国」ならば「房」「総」どちらも「ふさ」なので問題無いが、漢字表記するなら「房総」または「下総」と合わせて「両総」です。 「房州人」としては腹立たしいし「上総の人間」としても良い気はしないでしょう。。 歴史専門のチャンネルを名乗る以上、正確を期して欲しい。
@rekishitravel
2 ай бұрын
コメントありがとうございます! 「房州」と記載されているのは具体的にどの部分でしょうか?当動画で「房州」と明記、言及している箇所はないと思いますので…^^;
@user-gy1lt5zr8g
2 ай бұрын
@@rekishitravel サムネイルにあった気がしたのですが、私の見間違いかもしれません。 千葉県ネタは地元民として楽しめたので、これからも期待しています。
@user-fl1dj8pu1z
2 ай бұрын
昨年の「千葉県の戦国時代」に引き続き、千葉の歴史を深堀りしていただき、ありがとうございます。そういえば、私の周りでも小中学校時代、武田という名字が何人かいました。「武田は山梨だろ!」と内心思っていた当時の自分が恥ずかしいです。
@rekishitravel
2 ай бұрын
@@user-fl1dj8pu1z コメントありがとうございます!昨年に続いてご視聴頂き感謝です^ ^ 私も小学生のとき同じように思っていました笑