ニコ動より転載。戦前の鉄道記録映画。信号や閉塞の基本的な構成は現在と変わらないのでいまでもかなり参考になります。www.nicovideo.jp/watch/sm3252055
13:05『それこそ てこ でも動きません』に笑ってしまいました…。 この時代でもこういう洒落はあったんですね。
SLってさ、今だからゆっくり走ってるイメージ強いけど、全盛期はめちゃくちゃ飛ばしてるよね。
戦前から日本の鉄道技術が優れていた事がよく分かり、また、職員一人一人が安全な運行に真剣に取り組んでいる姿も伝わり、何度観ても感動する作品です。
現在でも出発信号機🚦の進行指示が「折りた」と言うベテランの運転士さんがいるのですがこれは腕木式信号機からの名残なんですな。
当たり前だけど、この映画のナレーターや出演してる人々は戦死したり、健康に生きてきてもすでにかなり昔に亡くなったひとばかり。生きて頑張っていたころの証だな。
この動画を見るたびに田舎の駅の待合室に深夜2時半にいる二人の人。何の事情があったのかは知る由もないですが、寂しさを感じさせます。いい場面です。
双信閉塞の実働が見れる貴重な動画。
ビデオソフトが販売されていましたので、いつも観ていましたが、ビデオデッキの不調により再生できなくなってしまったので、本動画はとても助かります。
「通過オーライ!」 「場内オーライ!」 いい声だ。 そして、いい顔している。 機関士と機関助手の御二方は 撮影から数年後の戦禍の渦から逃れられたのだろうか?
転轍機が間違ってるのに信号を青にすることはできないが 転轍機が正しいのに信号を赤にすることはできる。
すっげぇ分かりやすかったゾ^~ 戦前から日本の鉄道の安全水準は素晴らしかったってはっきり分かんだね。
説明がすごく丁寧でわかりやすいですね
貴重な映像をありがとうございます。 とても参考になりました。
アニメーションでの説明が分かりやすい!
詰襟の制服良いな
日本の腕木式信号機は、進行信号が下がって表示されるため、事故等でワイヤーが切れて腕木が下がった時と見分けが付かない事が欠点でした、
3:00辺りからの図解、なんかCGぽく見えた
めちゃくちゃ分かりやすいw
万世橋の交通博物館で何度も観た映画です(^^)。
信号喚呼はオーライだったのか。腕木信号機だと進行と停止しかないからか。 この時代は「出発進行」って言わなかったのかなぁ
日本の鉄道は外国(主に英国)から入ってきたものなので、明治以来、 機関車の各部名称を始め、鉄道用語は英語をそのまま使っていたんですよ。 日本語に置き換えられたのは、戦時中に敵性用語の英語が禁止されてからです。 野球も戦争中はストライクを「いい球」なんて言ってたそうです。 でも、今でも現場ではオーライは言ってますけどね。
閉塞区間も戦後まもなくから閉塞進行!と変わったような記憶がある。
戦時英語が適敵性言語だから日本語化するというのは至ることころで行われました。しかし実際問題として堅苦しい言葉になる上に言葉として発音しにくかったり意味が不明になる為帰って混乱の元になりました。軍需工場に勤労動員で行った当時学生だった人は現場では工具用語は戦前のままカタカナ語が飛び交っていてビックリしたとかいうのがありました。ただ野球は中景放送もあったし観客も多いので早々に日本語化が実行されました。ちなみにストライクはよしと言いました。戦前の野球放送の再現をレコード化したものが残っていますが今よりだいぶカタカナ英語が多用されています。これだけ保安設備を充実させていたのに日中戦争が激化したころから次第に輸送が逼迫しさらに軍用列車の臨時ダイヤが現場混乱に輪をかけてしまい鉄道事故が増えます。有名なのは昭和15年1月29日に大阪の安治川口駅構内で3両編成のボギー型ガソリンカーキハ42000型の最後尾が信号係の転轍器操作ミスで脱線転覆、ガソリンに引火して死者160名、負傷者89名を出したものです。元々付いていた鎖錠装置を資材不足から外してあったことが元で転轍手が切り替えられてしまったことによるものと思います。戦時中は更なる資材不足からのメンテナンス困難、軍需輸送の急増、男子要員の出征、昭和19年以降は空襲なども相次ぎ鉄道事故は急増していきます。戦後は悪性インフレで資材不足は戦時中より悪化。メンテナンスがなかな追いつかず重大事故がこの時期に集中しています。現在は非常に進歩していますが、それでもなお総武線東中野駅での事故、福知山線の事故、ついこの間は京浜急行の神奈川新町踏切での事故がある。保安設備がいくら進歩しても油断はできない。
3:53 八高線「え、通過は貨物列車じゃね?ww」
こういう貴重な映像は金かけてもデジタルリマスター化した方がいいね
あのタブレット、走行中に取ってるけど、落としたらどうするんだといつも思ってしまう。
こうなります。 kzread.info/dash/bejne/e3hom5Ryfr2rh5s.html
やっぱり時々あるようですね。でも怖いなあ。
受け損なったら、直ちに非常ブレーキで停止して拾いに行かなければならなかったそうです。 急行「砂丘」の動画で、ほんなシーンがあったような。
台湾の高雄港駅 北信号扱所では、現役ではないものの、この映像と同じ日本統治時代の線路切替機が保存され、実際に線路を動かす体験ができました。説明してくれる台湾人の方が、このKZreadをみると仕組みがわかりやすいと見せてくれましたよ。
アニメーションの時と実写の時でコントラストが違っているので、この暗い画面に合わせて明るさ補正しちゃうとアニメーション部分が明るくなりすぎて白飛びしちゃうから補正もままならないですね。実写でも昼間の晴れた日の屋外での撮影シーンは明るさが丁度良いからどれかに合わせるとどれかが狂っちゃうんですね。
交通博物館で見ました。
13:05爆笑したwww
14分以降の駅は天井川の位置から見て芦屋駅かな?。
これ、運転士教習のときに見たわ。
天井川の急行列車通過シーン、戦前の東海道線草津駅でしょうか。
画像検索をいろいろしたところ草津駅の旧線で間違い無いようです。 1967年に複々線化されて旧線はいま訓練用に使用されているようです。 天井川ももう川の流れはなくなり今は公園として整備されているそうです。
9:41 のパンショットで写している風景に映っている山は野洲市にある三上山です。京都-草津-守山-野洲 でロケされているようです。
歴史的な資料です。
音楽が軽快ですごくいいですね。いつ頃の時代ですか 戦前?戦後直後ぐらい?
10:56のところ、後ろの電話機と手前に立ってる人の顔が似てるwww
オーライが癖合って笑った
信號
こんにちは つねにかね 金を失うより良いですね
この技術力でもってしても米帝に負けてしまったのか。
物量
それプラス情報と輸送防衛を軽視しすぎ。
実は米帝は19世紀後半には連動装置も軌道回路も開発できている。
@@KM-cy1thさん 自動空気ブレーキや自動連結器も。欧州では時速200km/h以上出る機関車に付いているのが19世紀以来からの古典的なネジ式連結器。しかし輪っかを相手のフックに引っ掛けて螺子でクルクル締め付けただけの代物であんな速度出すのだから驚きです。
通行許可証とれなかったら、列車を止めて、走って取り戻すのですか☀️
はい、助手が取りに行くか、駅員が追っかけて渡します。ただしお召し列車で一度落として時刻に遅れが出たため、お召し列車に限っては落としても拾いません。
他の動画で撮り鉄が走って手渡したシーンもあります
@@otaki8796さん お召し列車の扱いは確か「谷底へ落としてしまった場合の取扱い」の拡大解釈でしたよね。
私の部屋に眠っていた
世界上Sop最實踐的國家! 🤩🤩🤩🤩🤩
「通過オーライ!」 「場内オーライ!」 いい声だ!いい顔している。 機関士と機関助手の御二方は 撮影から数年後の戦禍の渦を 無事に潜り抜けたのだろうか?
『オーライ!』を使ってよかった時期だったんですね。
Пікірлер: 59
13:05『それこそ てこ でも動きません』に笑ってしまいました…。 この時代でもこういう洒落はあったんですね。
SLってさ、今だからゆっくり走ってるイメージ強いけど、全盛期はめちゃくちゃ飛ばしてるよね。
戦前から日本の鉄道技術が優れていた事がよく分かり、また、職員一人一人が安全な運行に真剣に取り組んでいる姿も伝わり、何度観ても感動する作品です。
現在でも出発信号機🚦の進行指示が「折りた」と言うベテランの運転士さんがいるのですがこれは腕木式信号機からの名残なんですな。
当たり前だけど、この映画のナレーターや出演してる人々は戦死したり、健康に生きてきてもすでにかなり昔に亡くなったひとばかり。生きて頑張っていたころの証だな。
この動画を見るたびに田舎の駅の待合室に深夜2時半にいる二人の人。何の事情があったのかは知る由もないですが、寂しさを感じさせます。いい場面です。
双信閉塞の実働が見れる貴重な動画。
ビデオソフトが販売されていましたので、いつも観ていましたが、ビデオデッキの不調により再生できなくなってしまったので、本動画はとても助かります。
「通過オーライ!」 「場内オーライ!」 いい声だ。 そして、いい顔している。 機関士と機関助手の御二方は 撮影から数年後の戦禍の渦から逃れられたのだろうか?
転轍機が間違ってるのに信号を青にすることはできないが 転轍機が正しいのに信号を赤にすることはできる。
すっげぇ分かりやすかったゾ^~ 戦前から日本の鉄道の安全水準は素晴らしかったってはっきり分かんだね。
説明がすごく丁寧でわかりやすいですね
貴重な映像をありがとうございます。 とても参考になりました。
アニメーションでの説明が分かりやすい!
詰襟の制服良いな
日本の腕木式信号機は、進行信号が下がって表示されるため、事故等でワイヤーが切れて腕木が下がった時と見分けが付かない事が欠点でした、
3:00辺りからの図解、なんかCGぽく見えた
めちゃくちゃ分かりやすいw
万世橋の交通博物館で何度も観た映画です(^^)。
信号喚呼はオーライだったのか。腕木信号機だと進行と停止しかないからか。 この時代は「出発進行」って言わなかったのかなぁ
@40mt53
6 жыл бұрын
日本の鉄道は外国(主に英国)から入ってきたものなので、明治以来、 機関車の各部名称を始め、鉄道用語は英語をそのまま使っていたんですよ。 日本語に置き換えられたのは、戦時中に敵性用語の英語が禁止されてからです。 野球も戦争中はストライクを「いい球」なんて言ってたそうです。 でも、今でも現場ではオーライは言ってますけどね。
@tomyboys2001
6 жыл бұрын
閉塞区間も戦後まもなくから閉塞進行!と変わったような記憶がある。
@valvelive5428
4 жыл бұрын
戦時英語が適敵性言語だから日本語化するというのは至ることころで行われました。しかし実際問題として堅苦しい言葉になる上に言葉として発音しにくかったり意味が不明になる為帰って混乱の元になりました。軍需工場に勤労動員で行った当時学生だった人は現場では工具用語は戦前のままカタカナ語が飛び交っていてビックリしたとかいうのがありました。ただ野球は中景放送もあったし観客も多いので早々に日本語化が実行されました。ちなみにストライクはよしと言いました。戦前の野球放送の再現をレコード化したものが残っていますが今よりだいぶカタカナ英語が多用されています。これだけ保安設備を充実させていたのに日中戦争が激化したころから次第に輸送が逼迫しさらに軍用列車の臨時ダイヤが現場混乱に輪をかけてしまい鉄道事故が増えます。有名なのは昭和15年1月29日に大阪の安治川口駅構内で3両編成のボギー型ガソリンカーキハ42000型の最後尾が信号係の転轍器操作ミスで脱線転覆、ガソリンに引火して死者160名、負傷者89名を出したものです。元々付いていた鎖錠装置を資材不足から外してあったことが元で転轍手が切り替えられてしまったことによるものと思います。戦時中は更なる資材不足からのメンテナンス困難、軍需輸送の急増、男子要員の出征、昭和19年以降は空襲なども相次ぎ鉄道事故は急増していきます。戦後は悪性インフレで資材不足は戦時中より悪化。メンテナンスがなかな追いつかず重大事故がこの時期に集中しています。現在は非常に進歩していますが、それでもなお総武線東中野駅での事故、福知山線の事故、ついこの間は京浜急行の神奈川新町踏切での事故がある。保安設備がいくら進歩しても油断はできない。
3:53 八高線「え、通過は貨物列車じゃね?ww」
こういう貴重な映像は金かけてもデジタルリマスター化した方がいいね
あのタブレット、走行中に取ってるけど、落としたらどうするんだといつも思ってしまう。
@Michel-vv6hp
4 жыл бұрын
こうなります。 kzread.info/dash/bejne/e3hom5Ryfr2rh5s.html
@LITHRONE35
4 жыл бұрын
やっぱり時々あるようですね。でも怖いなあ。
@user-ux8yt2gq1d
Жыл бұрын
受け損なったら、直ちに非常ブレーキで停止して拾いに行かなければならなかったそうです。 急行「砂丘」の動画で、ほんなシーンがあったような。
台湾の高雄港駅 北信号扱所では、現役ではないものの、この映像と同じ日本統治時代の線路切替機が保存され、実際に線路を動かす体験ができました。説明してくれる台湾人の方が、このKZreadをみると仕組みがわかりやすいと見せてくれましたよ。
アニメーションの時と実写の時でコントラストが違っているので、この暗い画面に合わせて明るさ補正しちゃうとアニメーション部分が明るくなりすぎて白飛びしちゃうから補正もままならないですね。実写でも昼間の晴れた日の屋外での撮影シーンは明るさが丁度良いからどれかに合わせるとどれかが狂っちゃうんですね。
交通博物館で見ました。
13:05爆笑したwww
14分以降の駅は天井川の位置から見て芦屋駅かな?。
これ、運転士教習のときに見たわ。
天井川の急行列車通過シーン、戦前の東海道線草津駅でしょうか。
@valvelive5428
4 жыл бұрын
画像検索をいろいろしたところ草津駅の旧線で間違い無いようです。 1967年に複々線化されて旧線はいま訓練用に使用されているようです。 天井川ももう川の流れはなくなり今は公園として整備されているそうです。
@user-f7l1i5rs0o3jqt
4 жыл бұрын
9:41 のパンショットで写している風景に映っている山は野洲市にある三上山です。京都-草津-守山-野洲 でロケされているようです。
歴史的な資料です。
音楽が軽快ですごくいいですね。いつ頃の時代ですか 戦前?戦後直後ぐらい?
10:56のところ、後ろの電話機と手前に立ってる人の顔が似てるwww
オーライが癖合って笑った
信號
こんにちは つねにかね 金を失うより良いですね
この技術力でもってしても米帝に負けてしまったのか。
@tomyboys2001
6 жыл бұрын
物量
@parupuntenobu
5 жыл бұрын
それプラス情報と輸送防衛を軽視しすぎ。
@KM-cy1th
4 жыл бұрын
実は米帝は19世紀後半には連動装置も軌道回路も開発できている。
@takana4381
2 жыл бұрын
@@KM-cy1thさん 自動空気ブレーキや自動連結器も。欧州では時速200km/h以上出る機関車に付いているのが19世紀以来からの古典的なネジ式連結器。しかし輪っかを相手のフックに引っ掛けて螺子でクルクル締め付けただけの代物であんな速度出すのだから驚きです。
通行許可証とれなかったら、列車を止めて、走って取り戻すのですか☀️
@otaki8796
2 жыл бұрын
はい、助手が取りに行くか、駅員が追っかけて渡します。ただしお召し列車で一度落として時刻に遅れが出たため、お召し列車に限っては落としても拾いません。
@user-ud1fx3pf4f
2 жыл бұрын
他の動画で撮り鉄が走って手渡したシーンもあります
@takana4381
2 жыл бұрын
@@otaki8796さん お召し列車の扱いは確か「谷底へ落としてしまった場合の取扱い」の拡大解釈でしたよね。
私の部屋に眠っていた
世界上Sop最實踐的國家! 🤩🤩🤩🤩🤩
「通過オーライ!」 「場内オーライ!」 いい声だ!いい顔している。 機関士と機関助手の御二方は 撮影から数年後の戦禍の渦を 無事に潜り抜けたのだろうか?
@user-hl3rx6wm4b
2 жыл бұрын
『オーライ!』を使ってよかった時期だったんですね。