『宗教の完成形』創始者や教義が存在しない...日本発の超高度宗教「神道」がスゴすぎる...【岡田斗司夫 / サイコパスおじさん / 人生相談 / 切り抜き】
00:00 ダイジェスト
00:23 神道にはなぜ教えがないのか
05:50 ピラミッドが作られた理由
08:21 宗教とは夢を信じる高度な遊び
12:01 AKB48はもう神でいいんじゃない?
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兼業で神主しています。(自慢するほどじゃありません) あまり題を見ただけで語弊が生まれそうなので、少し修正を。 神道は人の信仰や敬神性の原理的なところが残っており、超高度というより非常に古くも普遍的な人間の思想に自然に最適化されたものと捉えています。 誰かが作ったわけではなく、まさに木々、草々が育ち、水が流れるかのように生まれて、発展してきたのが神道。 日本人が別に作ったわけではなく、流れに任せて今日まで続いてきたものと思います。 中東、欧米諸国ではどうしても誰かが作った宗教という感覚が拭えないので、神道そのものを組み込むのは凄まじく長く年月がかかるものと思います。
@fusetaka
18 күн бұрын
ある意味で自然に対する原初の畏敬をそのまま神だと見出したものですよね
@Qw3r7yU10P
17 күн бұрын
誰かが革命的に興さない限り自然発生的に生まれる宗教観って基本、アイヌやインディアンやアステカみたいに自然崇拝だわな 日本の自然崇拝やアニミズムの地域性全部ごちゃまぜで自然と全体化したのが神道って感じか まぁそう考えたほうが儒教・仏教を取り込んで、キリスト教の一部すらただの行事として嫌悪感なく取り込んでる宗教観に得心が行く
@user-yv1dg2tb1l
17 күн бұрын
欧米や中東からすればギリシャ神話やメソポタミア神話が現代まで信仰されているような感覚ですか?
@hosi8106
15 күн бұрын
@@user-yv1dg2tb1l そっか、確かに神道は日本神話がベースですしね!欧米とかにもそうした超自然的な神話はあるけど、今はほぼ信仰はされなくなったのが不思議ですね
@user-yk9js2tw8z
15 күн бұрын
神道って自然のエネルギーに感謝して生きる生活様式だと思ってました。人間は自然エネルギーの一部だと気付くこと。みんなに神は宿っている。あとは気付くだけ。
神道は宗教ではなく信仰です。教えてもらうのではなく自ら自然を見て悟るんです。
@JS-zy9sx
18 күн бұрын
宗教なんじゃないの? だって宗教法人じゃん 単位宗教法人なのか包括宗教法人かには分かれるけど 恐らく神社本庁は包括宗教法人なのかね?
@user-oh7qs9mi8u
18 күн бұрын
@@JS-zy9sx その信仰を専門に扱う集団があるので、それを法律で管理するため宗教法人としています。 信仰に価値を見出すか、宗教という集団に価値を見出すかは人によりけりです。
@user-cf6ux8fu7z
17 күн бұрын
@@JS-zy9sx 別に宗教だろうが信仰だろうが、宗教法人にはなるでしょ。
@tkmcnc
17 күн бұрын
確かに。神道は人ありきの悟りから生まれる信仰であるという意見は多く見られますが、「神道は自然そのもの」という私なりの考え方も容認される思想であると思ってます。悟るよりも先に自然に教わるということを経験して初めて信仰に繋がる
@aa35544
16 күн бұрын
もともとは自然物・自然現象を対象とする崇拝で民間信仰だったのを国教化して政治利用したのが始まり
世界に広がるのは 全然喜ばしいことではない・・・ 世界的な広がれば 勝手に解釈を変えて 争いはじめ 宗派的に別れ争いだす そして世界的な広がりは必ず他宗教からの攻撃対象になり 巻き込まれてく
神道のいってることやってることは結局、身の回り全てに畏怖や敬意をもって誠実に共生することだと思ってる。 その適応力の高さや寛容さが仇となって、現在外の国や企業に侵されそうになっても、あまり強く声を上げないのかもなぁ…🤔
教義が無いからこそ争い揉め事が無いんだよね。 他の宗教は教義から対立を生んで戦争にまで発展している。 そう考えると教義が無いというのは理想的な宗教だと思うわ。
@JS-zy9sx
18 күн бұрын
神社本庁は内紛状態だよ!
@user-oh7qs9mi8u
18 күн бұрын
@@JS-zy9sx 教義による内紛ではありませんね。 組織内の権力争いです。
@user-op6ny3zsmol
17 күн бұрын
あの世に帰るのに教義は必要ないです 経験して気づく事です
@unitedoshima3269
12 күн бұрын
@@user-pg3ky3ym4j 唯一の教義あるんだよ、女から男追っかけないで、男から女追っかけろよ。
@user-nu6gu6mb4b
9 күн бұрын
揉め事を起こす様なおつむの人が宗教にハマると過激派になり他の考えを信じられなくなり争いを起こすというのが正しいかと。
海外の宗教は後天的にインストールする部分が多いけど、日本人の宗教観は先天的にOSに組み込まれている気がします。使用する言語や習慣や価値観の中に、既に一定の精神性が組み込まれているような。
神道は元々宗教ではありませんでした。宗教と言う概念ができるずっと前から存在していたものです。文化、風習です。
@user-cf6ux8fu7z
17 күн бұрын
言葉が出来てないんだから、宗教ではなかった、って言い方には語弊があると思う。 今も昔も神道自体は変わっていないと思うよ。
@Qu1ckn0ck
16 күн бұрын
古神道に近いですね
@aa35544
16 күн бұрын
もともと自然偶像崇拝だったものを、国教として改めたものが神道、、、
@macsy1955
16 күн бұрын
言葉の有無は証拠のようなものが無いので不明ですが、文化の程度からして人同士のコミュニケーションが無いと成立していないことが多くあります。時代によって様々でしょうが少なくとも意思疎通はできていたはずです。その方法は言葉以外には考えられません。
@user-lm4im6kh9t
12 күн бұрын
そういえば、神道は〇〇教って言わないもんね
AKBを宗教にってところを途中までふ~んと思って聞いてたけど、推しを祀るとか、拝むとか、推しを人に紹介する行為を布教って呼んだりとか、ファンの側が自ら推しを神として宗教的な見方をしていること自体を楽しんでいるところがあると思う。
@user-vy2pr2ku1n
21 күн бұрын
オタク文化やコンテンツは、それで救われている人がいるので、ある種の宗教でもあると思う。
@user-vo7xz3fs6h
21 күн бұрын
アイドルの語源が偶像だから
@sarahoran8590
21 күн бұрын
@@user-vo7xz3fs6h 確かに中国語でアイドルは偶像と書きますし、昔それを知ったとき納得したのを覚えています。ただ、ここ数年のアイドルオタク達がよりその推し活という行為を宗教的な行為だと自ら定義?している風潮が強まっていると思います。
@aa35544
16 күн бұрын
自然発生的なモノをコントロールして崇拝させる手法は神道国教化のオハコだしな
@knkknk1794
15 күн бұрын
面白いのは、代表例として挙げたAKBは、アイドルという神話性を薄めたコンセプト(会いに行けるアイドル)にしたからヒットしたことだな
「ここをキャンプ地とする!」は神道だったのかぁ☺️
@user-hq5pt4wr4o
19 күн бұрын
川口探検隊!
@user-oj1qh3yj4r
15 күн бұрын
大泉「藤村君!」(笑)
@masayoshisuematsu6807
13 күн бұрын
ゴメンね〜。寒かった? 祀られるのは大泉?藤村? 秘宝は鍵?
@user-ru1qq2zb5i
13 күн бұрын
なんにもしてないのに神の供物か贄にされるミスター😁
神の存在はともかく、神道っていいじゃん寛容で優しい、お天道様(嘘や悪事をしない)が見てる。
@morgen_tau
17 күн бұрын
それは神道ではなく、古神道ですね
沖縄の久高島にある聖地には本当に何もありません。森の中の広場とも言えない空間が聖地です。故岡本太郎氏がこの地を訪れ、あまりに何もないことに、穢れのない精神性を感じて感動した手記を残しています。神道は縄文まで遡る日本人の精神性の底流を為す考え方と思われます。キリスト教を信じていても神道的にキリスト教を信仰している可能性もあると思います。
@HelloWorldcom
16 күн бұрын
たしかに、沖縄の御嶽は古代神道の感覚を残してますね。 日々の仕事に疲れた人のなかで、バカンスの先として沖縄に毎年通ったりする人が一定数いるのは、何も海が綺麗とかだけではなく、わりと深いところで宗教的な何かを求めての行為な気がします。
ある程度熟成された宗教って基本的には不器用なりにも群衆がまとまって幸せに生きていける道を作ろうとしてるんだよね だから個人的な好きか嫌いかではなくそこに一定の価値を感じるしその波を体験し感じて観るんだよね
だから社に鏡を祀る。 『そこに映った己を見ろ』と。 逆に、救済は己にあるわけで…究極のセルフ信心。
この本面白かったです
儀式とは 感情の片付け方 と言い換えることができます 「気の持ち様」で解決してしまうものを解決するために儀式というものがたびたび生まれます 「はい、儀式したよ。これで大丈夫。」とその気にさせる技術です 仰々しくする儀式もあれば掛け声一つで終わるものもあります 人になすりつけたり燃やしたり土に埋めたり色々ですが 要は悩んでる人をその気にさせるためであれば何でも良いのです 思い通りに行かない時とか落ち込むことがあった時に 心のなかで疑念を持ったものをずっと警戒してしまう 人間はそういう生き物です でもその原因が分からない 分からないけどこのままでは良くないという焦り きっとここで昔何か良からぬことがあったかもしれないとか きっとあれがよくないものだからとか 誰かがよくない行いをしまったからではないかとか その原因探しが外方向に向いて歯止めが効かなくなる人が出てきます 宗教にはそういう人々への対処法として編み出された儀式がよく組み込まれています 宗教に儀式が付いたというよりは儀式に宗教が付いてきたというのが自然で 儀式に箔を付けるために宗教は利用しやすく 高名な儀式なら効くかもしれないと重宝されやすい わざわざ苦労して儀式したから効いているはずとか 遠路はるばる来たからには効いてて欲しい そういった積み重ねをしているうちに気が済んで悩みが解決してしまう パッと思いついたものでもその人の不安を取り除けたのなら十分儀式です 勝負下着や決めた日に運動をするとか ジンクスも儀式の一つと言えます スピリチュアル(厳密にはスピリチュアルではない)やオカルトにも そういった儀式が色々とあります 例えばパワーストーン、いい感じの石、透明できれいな水晶を 自分自身が気の済むまで磨いてお守りにするという その水晶が汚れてるなと感じたら自分で気が済むまで磨かせる 磨くことに気が済む頃には他の事にも気が済んでいるというものです 神道ではよく山や木を用います そこに生きる人々が近所の小高い山や身近な巨木を神聖なものとして儀式に組み込み 生きた人の数だけ儀式があり、使われた拠り所の多くが残り 語り継がれないささやかな聖地が今の神道として残っているのでしょう
おれよお。昔JUDY&MARRY神社作りてえって、よくわかんねえ夢持ってたこと思い出したよ。
@user-nz1xn5ox7i
24 күн бұрын
今からでも作ればええやん
@user-kafeintyudoku108
24 күн бұрын
@@user-nz1xn5ox7i ありがとう。今はロイ-RöE-を奉りたいんよ。 YUKI&RöE神社にするは。
@user-nm1ue9sq4j
23 күн бұрын
思い出は いつも
@aresama5942
18 күн бұрын
JUDY&MARRY → JUDY&MARY これでは、神社本庁も認めてくれへんで(大爆笑)
@user-kafeintyudoku108
18 күн бұрын
@@aresama5942 なんてこった。神社本庁はええねん。 JUDY&MARYに認めてもらえんくなるわww
神殿ではなく結界を意識しますよね。そして神はしばしば災いをもたらすので「神域」を鎮守の杜と呼び、そこから出ないでください、私たちも障らないので、と畏れている、という説が私は好きです。
めちゃめちゃ素晴らしい考え方!!!
神道は原始的な太陽信仰の残存みたいなものだという説はありますね。日本という国自体が太陽というものを強く意識した歴史を持っているのでそうなのかもしれません。鳥居も日の出を眺めるための額縁のようにも見えます。
@benichliss
8 күн бұрын
地上は穢れに満ちているので、神様は直には降りられないので、とまり木のように鳥居に乗っかる……… という説を聞いたことあります。 (正解ではなく、一説といった感じ………)
日本の神道は、自然に密接で、万物を導く。尊く深い。教えを押し付けないからね。
原初にして最終形なのかもね
江戸時代のお稲荷様の拡充の速度は凄まじい。
岡田さん本の紹介有難うございます。神道の話、大変面白かったです。全て腑に落ちました。良かった~やっと宗教に出会えた。
宗教的に限らず、人が生きていること、地球が存在すること自体、何の意味があるんだ、という事を前提に人間を論じている、精神分析学者、岸田秀先生の論が私にはしっくり来ています。
世界に広まったとしても日本人以外にはおそらく真に理解できないと思う。 というか、日本で生まれ日本の風土文化のなかで育って培われたものだから、学んで身につけるというようなものではないよね。 始祖や教祖がいる宗教に触れて育った人には分からないと思う。
推しがあれば生きられます(笑)
神道とはアミニズム、土着信仰だよね。 八百万百の神、というのは「全てに神が宿る」という意味だけど、それを違う角度から分析してるは流石の岡田斗司夫。
人目につかない場所でゴミが酷く捨てられてた所に 鳥居を置いたら不法投棄が無くなったって言う話も 一体何だろう神やら信仰心って
知ってるお坊さんが「宗教は推し。自分は御釈迦様推し」って言ってたの思い出しました
シンクロニシティを考察してください!!
ギザピラミッドはルーブルピラミッドのように逆ピラミッドが真下に有ると思う
面白い!
自分は、とある漫画家さんが主人公に言わせていた 「宗教は人を救うものであって、人を縛るものではないはずだ」 という考え方が好きです。 苦しんでいる人を救うのが大事で、教義によって行動を制御・強制するのは間違いと言ってるのだと自分は思っています。
「森の妖精」wwwwww ( *´艸`)
そう! 信じるものは救われるんじゃなくって、信じる者と書いて「儲かる!」(笑)
お稲荷さんとかは「モフモフした神様尊い」みたいな推し活感覚で拝んだ人居そう(偏見)
少なくとも神道(Shinto)に起因した戦争は起きないよな。
@user-dn5pr3ev1p
13 күн бұрын
明治天皇が神道になってから戦争だらけ。
フリーレンとかマンガの魔法はこれだよね。意志の力でそれが確からしいと信じる人がいれば事実になる
神道の総元締めだった物部氏が滅んでしまったから分からなくなったんじゃないかな?
@rikiya21com
11 күн бұрын
それはあくまでも今に続く神社建築祭祀による弥生神道の話で、古神道は教派神道として形を変え生きています。
これ観て岡田さんの話を受け入れちゃうのは問題。取り合えず大事な事を一つ。 冒頭で岡田さんがカルトについて、おかしな事を断言した後で少しぼかしたような補足をしていますが・・・。 カルトの語源はラテン語から派生した学術用語で「カリスマ的指導者(教祖)を中心とする小規模で熱狂的な会員の集団(カルト教団)」の意味。 しかし、現在では「宗教団体や思想団体の中で反社会的な組織や団体を指す。」のが主流。 なので私達は日本人として「カルト=熱狂的かつ反社会的な集団・教団」と理解していてよいのです。
@cherrypinkprincess9486
4 күн бұрын
同感ですわ!
信仰する事に意味があるんだと思う。 祈りや信仰する事で自分の脳が変化する事に意味がある。 願い込めるのは、自分という神の無意識の部分に願いを伝えている。 神への願いは自分自身に言っているという事だと思う
この人の考え方って本当に色々と超越してるよな って改めて思い知らされた
教義がないことが要点だと思います。宗教ではない、霊性を信仰する共同体の最終形態です。 わたしは建築家ですが、大切にされている場所や建築は神道で説明ができます。 美しい広場があったとして、それを皆んなで大切に使うということは、まさしく広場に宿る霊性が共同体を形成させ、広場を清潔に保ち大切に使われるということなのだと思っています。
@alare9278
12 күн бұрын
素晴らしいです。
大化の改新以前の諸民族の宗教の総称=ざっくり神道。外来=仏教、西洋伝来=キリスト教とイスラム教、俺が教組だ=新興宗教 シンプルにこれだけの事
神社とお寺場所近いんだよな
@ytanaka257
17 күн бұрын
明治以降でも神仏習合に近い状態になっている所もありますね。
神道はお葬式には神社から神官さんが来てくれます。
@pontarou01
13 күн бұрын
葬式代は仏式の三分の一ですみます
宗教の完成形は 教祖→自分 信者→自分 分からない事や、どうしても困った時は、神様に直接聞く。 自分の欲望を満たす為に、他人に理不尽な事を平気でヤル→ダメ 人事を尽くして天命を待つ状態で、自分の中に感じる微かな感覚に注意していれば、神様が教えてくれます。
わたしも自分の信仰を神道だと思ってるけど どんな教義か知らない 家に神棚を置いて毎日おまつりして、お気に入りの神社に定期的に通って、ご祈祷に行って、全国の神社めぐりして、古事記や日本書紀で神話を学んでるけど知らない でも神様に護ってもらってる感は感じてる
神道の精神は ① 宇宙・森羅万象の存在の神秘に対し畏敬し拝礼する。 ② 自分がこの世に生を受けた、奇跡に対し感謝し拝礼する。 ③ 現在を導いた、先祖に感謝し・思慕し拝礼する。 ④ 生を受けた物が、健やか成ることを願って拝礼する。 ⑤ 自分の将来に対して、決意の表明として拝礼する。
キャンプ始めてから神道を心の底から信じる様になりました。日本の自然は素晴らしい…そこかしこに神の息吹を感じる。アマテラスさまマジラブw
ストーンキャットの話ですね
神道は広い意味では自然崇拝だが、近代以降は国民国家の宗教の顔も持っていて、人によって受け取り方がかなり違うと思う。
神道は本来、個の領域だと思う。
私の実家に神道の系譜図?のような1000年前ぐらいから代々受け継がれてきた書物?がありますよ。教義のようなものも手元にあるのを見ました。外には出さないそうです。
神道イコールアニミズムだと思っている 太陽信仰でもあるとも ユーラシアから北米、南米大陸へと渡った信仰・文明
アントニオ猪木が教祖だからビンタが祝福なのか、納得。
普通の宗教と逆なんだよね、 キリスト教は、みんなの上に神が存在しているが、 神道は、みんなのそれぞれの中にも上にも存在しているような感じなんだよね、 君が代も、その時代の君主たる陛下の事でもあるし、 我々の生活する今の(君主の)時代の事でもある。 その君主の名の時代が、千代に八千代に続く様に歌う事は、 自分が住む時代も千代に八千代に続く様に歌っているのであって、 クラインの壺みたいな、自分なのか神なのか誰かなのか、 その主体や対象が曖昧でどのように考えても問題ないような状態なんだろうね。 家の父親が神棚に向かって家族の健康と安全を願う時に、家族全員の健康と安全を願っているのであり、 集落の村長が神社で村の繁栄を願う時に、村人全員の繁栄を願っており、 国家規模で陛下が国民の今の時代の繁栄を願い祭り事をしている時に、日本国民全員の事が範囲内である。 祭り事をする父や長や国家の役人は、父自らが神主役となり、 それぞれの神社ではそれぞれの神主が、 国家としての神社である伊勢神宮では陛下が、 その宗教的な神への願いや感謝を行っているが、 その対象たる子供たち家族や、村民たちや村人たちや、日本の日本国民達は、 その宗教的な範囲内に居るけど、それに参加している意識はあまりないだろう。 だがしかしその願いの範囲にあり、父は家族を愛し、村長はその集落を愛し、 陛下は国を愛しているだろうし、時間が過ぎればその対象であった子供たちは父親になり、 子の健康や安全の為に自らが神棚の前で神に祈るだろう。新しい村長は新しい神主に村の繁栄を願うだろうし、 新しい時代になれば、新しい時代の名を持つ陛下が日本国家の繁栄の為に祭り事を行うだろう。 キリスト教なら、JESUSを2024年間も再降臨を待ち、 過去の教えを自分らの上に掲げて、自分にも子供にもその教えを叩きこんで、 2024年間もまだ来ないし、いつ来るか分からない神の機嫌を損ねない様に生きて、 いつ来るか分からないけど、来た時には不老不死で救世主ジーザスの統治する1000年王国で暮らせる、 とかファンタ―時なのかSF的な宇宙人みたいなのを待っているんだよね
@user-oh7qs9mi8u
18 күн бұрын
宗教の発端が生まれた土地の環境とか考えられない人?
@aresama5942
18 күн бұрын
@@user-oh7qs9mi8u アホな奴ほど、話が長い(大爆笑)
@kozyy3
17 күн бұрын
長過ぎ!
@tennitakara
11 күн бұрын
旧約に書いてある患難時代前に起こることが、すでに4つ起きているけど。
ピラミッドはお墓です。 お墓作りを国家事業とすることで、国王の地位を高める&経済の循環を同時に行ったんですよ。
SFチックな考察ですね
神道は人類学的にいえばアニミズムの一つだと思います。アニミズムは全てのものに霊が宿ることを言います。そしてこれは神という概念が成立する以前の古代の宗教ということを表しています。 神道の大祭司である天皇、又は皇統が古代より脈々と受け継がれていることをありがたく思います
まだ若いけど親からこんな感じの教えを受けたな…自然に感謝しなさい日本には八百万の神がいて何にでも神様がいますなので全てのものに感謝しなさい。みたいな
たまにくだらない話するの好きです
神道は完成形ではなく原始形ですよ。 教義なく聖霊を信仰するだけの宗教は未開社会にいけば普通に存在します。 山には山の神、河には河の神、谷にも巨石にも神が存在する。
地質、火山、温泉が好きなので恐山に行きました。 僕の子供は流産が多かったです。 喪失の痛みや後悔もありまして、それはずっと頭の片隅にありました。 恐山の感想は「許し、癒しのテーマパーク」 ひたすら拝み、同じ悲しみの人達の痕跡に手を合わせました。 同時に火山地形を楽しみましたよ。 なるほど、仏教では恐山は霊を極楽に送るし。 土着のイタコさんは憑依させて話しかけてくるし。 ごちゃまぜで、相容れない教義が同居してるが。 共通するのは「許しを得たい」というニーズに応える事。 気は楽になりました。 納得できない理不尽に対して時間をかけて水子を思う事ができました。 なんせ境内の温泉が良かった。 別れを告げ成仏を祈った後に温泉です。 もう、これパワースポットじゃなくてテーマパークだろ、と。 計算され尽くしてるなと。 ‥科学的にも凄いけど、人間の心に訴える仕組み、よくぞ作りなすった。 仏教伝令前から延々と許しを願って今の恐山があると思えば、積み重ねてきた思いこそが信仰なのでしょう。
信仰で自分の首を絞めないのが神道のいいところ
神道って、とりあえず拝んどけってことだと思ってる
7:24 斗司夫ももうすぐ心不全か(笑)
何でもないような場所が 神聖だったと思う。 それが神 road です。
神道は教える教祖が居ない。けど、何処にでも神様が居るという考え。なので、世界中に神様が居ても寛容。 その他の宗教は、教祖が居る。人々を一つの神に納めようとするイメージ。
神道は生活様式であり生き方であり神話であり文化であり宇宙の一部であると思う。 そもそもが太陽信仰に端を発しているとも聞きます。巨石、磁場、星の道、水の道。自然に対する人間の向き合い方の一つだと私は考えてます。
菅原天神様も、人々が怨霊と信じるから祟りを起こすし、丁寧に祭るからご利益もくれると信じている。
母方の家系が、代々神職の家系で、子供の頃は色々と祭祀の手伝いをしました。岡田先生のお話し、凄くしっくりと感じました。AKBの皆様は、現代の神託の巫女なのかもしれませんね。(笑)厳密な方々には怒られてしまうかもしれませんが、神道は信仰によって何かを成し遂げる事が目的でなく、色々な人、モノ、事柄の中に神様を見出して、存在を感じながら共に生きていくという、穏やかで融和的な宗教なのかなと、個人的に感じます。お話し面白かったです。長文すみません。
切り抜きで分かりにくいけどこれアニメAKB0048の話だな アニメ面白いから見てみて
自然崇拝は アニミズムの原始的な形 自然物・現象に対象が限定されている 自然物・現象そのものが崇拝対象 アニミズムは 万物に精霊が宿ると考える 万物に宿る精霊が崇拝対象 宗教の祖は自然崇拝と言えるのではないかなと。 SDGZも自然崇拝宗教と言えるかも。
神道って、宗教ではなく心のあり方だと思う 宗教ごとに善悪が明確でその善悪に従って生活や人生が定められてるのが宗教 心のあり方を謳う神道とは違う
祈りはないがしろにしたくないなぁ。祈らないけど。
神道ってアニミズム(精霊信仰)から発展したもの。それが様々な日本の伝承や王の偉業とあわさり日本書紀や古事記のような一つの形(祖霊信仰)となってる。地鎮祭だって土地に宿った氏神様を呼んでる。神道は様々なものに神が宿り神社自体はそれを祭るだけの建物で、仏教は仏像が崇拝対象で建物はあくまでそれを守る建物。(本質が全く違うけども互いにまじりあうことで似てしまった神道と仏教を比較するのはそもそも) 明治において神道が神道として宗教という枠に入れられてるけど、精霊信仰が元である以上開祖は存在せず、仏教・ユダヤ教(キリスト教とイスラム教)のような開祖が明確に存在する者とは宗教としての意味が違う。 という認識
野獣先輩も神みたいなもんだな
神社建築祭祀というユダヤ物部による弥生神道とは別に、古神道は教派神道として形を変え生きています。
つまるところ推し活も信仰そのものだよね
@alare9278
12 күн бұрын
それは違いますよ〜 宗教的、ではあるかもしれないですが^^ 信仰ではなく、信奉ではないでしょうか。 推し活、それはそれで尊いですよね。
八百万の神 ありとあらゆるモノに神は宿っている。お天道様は見てるし、全てに感謝を忘れない。善人育成プログラムよね。 神道、素敵じゃなぁ〜い。好き。
神道の儀式とかルールの一部について、漫画でしりました(^^*)> どこの国にも自然を恐れて敬うみたいな考え方あると思うのですが、それがいろんな神様の形をとって いろんな教訓を与えてくれる神道は日本の良心です。 人間が神様になった宗教の奇跡を信じよと言われるのにアレルギー反応を起こします。神道は人が神様になってないのが良いです。 お墓の形式や家の伝統をひきつぐ檀家であることには抵抗はありませんが、 なんだかんだ財産を巻き上げられるコスパの悪い宗教とは関わりたくありません。
飛鳥・奈良の昔から江戸時代の孝明天皇の葬儀(1867年)まではずっと仏式で行われ、天皇家の菩提寺は泉涌寺(京都市東山区)だった。それが一転、明治以降はなぜ神式に変わったのか。 面白いね
俺は飯を食って糞を垂れる神だ
神道は宇宙の原理原則に従うことよね?
古代の宗教は教祖がいない。古代ギリシャやローマも同じ。そこから考えた方がいいのでは?
プロレスをヤラセだとして非難するのは中2、わかった上で愉しむのが大人 猪木は神様の中の神様🤣🤣
言えてしまうのが凄いです恐れ多くて思っていても言えません流石サイコパスといったところ?
ヨガが仏教と結びついているのではなく、ヨガそのものが仏教であり宗教なんだよ
貧乏神も厄病神も神様だからお客様は神様だろうと言うクレーマーはそちらの方ですねと言ってあげましょう。
神道のことあまり知らない 勉強して分かるものなのか
@iimode-do
18 күн бұрын
勉強より実践したほうがわかりやすい
@annasui119
17 күн бұрын
神話知ってもわからんすよ わたしもよくわからないけど、主に 祈りと感謝と畏れ で構成されてると思う
伊勢神宮すらいつからあるのすらわならないらしいからね
器用貧乏=神道
実は神社の神様側の方も、俗っぽいを関係性を望んでたりする節が窺える瞬間があると思います。 ねちっこいやきもちとかね
面白かったけど 神道は神話からくる宗教だから 比べる先はエジプト神話とかギリシャ神話だと思ってる 太陽とか月とか海とかそういう人間がどうすることもできない自然現象を 擬人化し、物語が生まれたのだと思ってます 何年か前の月食だったか日食を見て、天岩戸はこれなんじゃなかろうかとか エジプトとかギリシャに教義があったかどうかが気になるところ
国家神道←触れるな📮👍
岡田斗司夫は寂しいから喋ってる
神道にも元々は教えがありますよ。 ただ中世に仏教と同化し、明治に寺と神社を分離した上、教義については中央が行うとして各神社での教えを禁止、その後敗戦で国家神道が無くなってしまったので、普通の神社には教えのようなものが残らなかったということです。
「このモニュメントの前で一緒に写真を撮ると愛が成就する」というのは現実味があります だって、そもそも「その場に一緒に行く」という特殊な関係のふたりなら、愛が成就する確率は低くはないでしょう もし本当に霊験あらたかならば、年齢・国籍関係なく無作為に抽出した2名を連れてきて一緒に写真をとっても愛が成就するはず... ...なんてだれも思わないですよね?
布教活動をしない神道はそもそも宗教なんだろうか?