蔵出し映像 羽幌炭砿鉄道~元鉄道職員が語る 当時の思い出~
2007年に元羽幌炭砿鉄道職員から当時の思い出を取材した素材を蔵出し。
鉄道の開通から廃止までの30年間で、特に記憶に残っている事を語ってくれています。
数ある出来事の中の、ほんの一部ではありますが、当時の写真や映像を添えて動画制作しました。
羽幌炭砿について詳しくは
haborocolor.com/haborotanko.html
2007年に元羽幌炭砿鉄道職員から当時の思い出を取材した素材を蔵出し。
鉄道の開通から廃止までの30年間で、特に記憶に残っている事を語ってくれています。
数ある出来事の中の、ほんの一部ではありますが、当時の写真や映像を添えて動画制作しました。
羽幌炭砿について詳しくは
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Пікірлер: 27
カラーの羽幌炭鉱鉄道だけでも貴重なのに、事故写真とは元鉄道マンならではの超貴重な蔵出しモノですね。しかも実際に携わられたご本人肉声での生証言は永久保存に値します。是非羽幌町で写真や資料、当時鉄道と一緒に生きた方々の証言をまとめた本の出版を希望します。
先月含めて2度訪れました。今は誰もいないあの場所に、これだけの人と産業が存在していた事実に驚かされます。この貴重映像を見て、ますます興味が湧きました。
女性車掌さん第1号が羽幌とは・・・ 驚きました!! 山男たちに人気だったんでしょうね!! しかし当時の賑わいはすごい!!! 先達さまに感謝!!!
懐かしくみました。羽幌の町と炭鉱のこと。 今は駅の面影は全くありません。鉄道からバスにかわりました。改めて歴史を感じます。
築別炭鉱跡に行くと約50年前に栄進を極めた時代を感じる炭住アパート跡、巨大なホッパー跡は産業遺産として貴重。 倒壊の恐れがあるので中には入らないけど外から見ただけでも戦後復興、高度成長期に石炭がエネルギーとしてどれだけ貴重な物だったか分かる。 しかし、ディーゼルカーの導入で時代は石炭から石油へと移り変わる過渡期というのを感じる事も出来る。 しかし、石炭の消費量が減ったのではなく輸入炭には価格で勝てなかった。 廃墟群を見ると懐かしさと寂しさが入り混じる何とも切ない気持ちになる。 それと環境問題とは別に蒸気機関車の煙を吐きながら走る様はどんな機関よりも力強さ、逞しさを感じる。
良い時代のまま終わったんだな
この時代に女性車掌とは画期的ですね
国鉄羽幌線も遠い昔となってしまった今、この動画により存在を知りました。その時代を知る貴重な人の話を交えての動画は貴重ですね。素晴らしい動画ありがとうございました。
羽幌の誇りですね『羽幌炭鉱』😊しっかり後世に伝えてほしい🌈
凄い貴重な映像ありがとうございます。 羽幌線も過去になり、留萌線もまた一部廃線に。 やがて全廃と。 時代の流れと言われれば仕方ないのでしょうが、寂しいですね。 昔の北海道は今の倍以上路線もあったようですが、今ではかなり激減されてしまいました。 北海道新幹線、札幌延伸で道東や道北方面、どのくらい変化出るか。 道南は貨物含めどうなるか。 鉄路そのものの存続の危機となっている状況ですね。
ひたちなか海浜鉄道(茨城交通湊線)の車両が走ってますね、昔は色も引き継いでいた、この頃の近隣の非電化私鉄は北海道から来た車両で近代化されてました、例、鹿島鉄道、筑波鉄道、関東鉄道常総線。
2~3回炭砿跡を見に行きました。築別側に残る鉄橋は何度見ても驚かされます。気動車のキハ222.223は茨城交通・ひたちなか海浜鉄道で何度も乗りました。
良いもの見さして頂きました。ありがとうございます。
このころの鉄道雑誌の写真、モノクロで雨に濡れた機関車の重量感が何とも言えなかった。まさに、芸術写真だった。
湊線を引退したキハ222、阿字ヶ浦駅に置かれていますが、再塗装されて神社化の計画が進んでいます。この動画を見ると感慨深いものがあります。
廃止されたあと新しい気動車は、茨城交通湊線(現ひたちなか海浜鉄道湊線)に移籍しましたね。 移籍後も同じ色でした。
@user-cc1sb5gy1s
Жыл бұрын
茨城で引退後同じ炭鉱にゆかりがある平成筑豊鉄道に来てます
家族がタンちゃんのトートバッグを買ってきてな。 羽幌炭鉱のことは何にも知らなかったけど、レトロで可愛いから買ってきたらしい。
高校生の時に何も知らずに緑の村に宿泊研修に行って心霊体験したのはビビッた
女性の車掌。考え方が田舎くさくなく進歩的。この車掌をやっていた女性は、いまもおげんきなのだろうか。
@norioca1
2 жыл бұрын
羽幌町に住んでいる元車掌さんがいるけど、この映像の人かどうかはわかりません。
蒸気式の操重車は初めて見ました
『名羽線は一部私鉄の軌道上を乗り入れる計画だった』☜驚きました。こんな秘密が有ったのですね。動画内には詳細な地図もあり、一部は供用されていたようなので、国のエネルギー転換計画発表があと1年遅ければ実現していたのかも知れません。あぁ~惜しい!
北海道の発展は、間違いなく炭鉱でしたね…。
同じ炭鉱にゆかりがある北九州平成筑豊鉄道に茨城から一両来ました
羽幌、「if」という喫茶店、「山崎旅館」のイメージしかない。
日本除雪機製作所の創立へ。