【ゆっくり解説】昭和時代の戦後の食生活【歴史】

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#ゆっくり解説 #昭和時代 #グルメ #歴史
#気軽にコメントしていってね

Пікірлер: 35

  • @user-gk2cl5kl5u
    @user-gk2cl5kl5u Жыл бұрын

    昭和生まれなので「昭和時代」に違和感があるけど、そう呼ばれるほど昔なんだなぁともしみじみ思う

  • @user-uj8wq8hj2x

    @user-uj8wq8hj2x

    Жыл бұрын

    昭和年間って言うと良いんだよなー 江戸時代って括りも昭和中頃からの概念だしねー それまでは年号で区別してた。

  • @user-kl4dc3kf5r
    @user-kl4dc3kf5r11 ай бұрын

    何故かわからんけど昔の質素な飯って美味しそうなイメージあるんだよな、たくあん、みそ汁、ごはん、これだけで十分なんだよな

  • @user-zu6gr8mx6w
    @user-zu6gr8mx6w Жыл бұрын

    親父から聞いたのは、登校中に畑の油菜の茎を折って食ってたら学校にクレームが入ったとか、蝉とかトンボの羽を取って焼いて食ってたって言ってたな。

  • @user-vp8pq2pp7p
    @user-vp8pq2pp7p Жыл бұрын

    昭和レトロと言われた。昭和は長い。 どの辺のことかしら?と思ったら昭和丸ごとだってさ泣 明治生まれの祖父を笑っていた自分に順番が巡ってきたってことやな泣

  • @erikasono565

    @erikasono565

    Жыл бұрын

    日本がバブル時大に突入する直前に、大学院を出て渡欧してそのままの私は、昭和時代の日本しか知らないのですよね。 いつの間にか、時代は平成を経て令和になっていたのだと思うと、感慨深いです。

  • @user-uj8wq8hj2x

    @user-uj8wq8hj2x

    Жыл бұрын

    日本の長い歴史で同じ年号産まれで、三世代産まれた家庭あった時代は明治と昭和だけ。 平成は小中学生で出産がニ世代続けば、ぎりぎり居るかもだけど。。。

  • @user-vh4qo9zk4x
    @user-vh4qo9zk4x5 ай бұрын

    コメント読ませていただくと恐らく住んで育った土地により同じ年代を生きてきた人でもかなり食べものが違うのがわかりますね。あるモノないモノ、そして一番違うのが食べ物の価値、価格が違うのが分かりました。これコメントでやるとなが〜くなるので何処かに集まって話し出来ると素敵ですね😊

  • @hammingbird0123
    @hammingbird0123 Жыл бұрын

    かぼちゃの種は美味しい。

  • @user-rb2uc4tq9r

    @user-rb2uc4tq9r

    Жыл бұрын

    ウチの奥さんは大人なので大好きです。ハムスター並に食べます。

  • @erikasono565
    @erikasono565 Жыл бұрын

    蜜柑やオレンジの皮は、陳皮、オレンジピールなどとして、中国でも、欧米でも、普通に食べられています。マーマレードにも入っていますしね。 キャベツは、戦後の困窮期でなくても、昭和世代は、芯まで細かく刻んで食べたものですが、今は捨ててしまうのでしょうか? - 極めつけはカボチャの種。 欧米では、パンに入れて焼いたり、サラダにトッピングしたりして普通に食べています。ヒマワリの種もそうですね。 私が住むドイツのスーパーでも、普通に売られています。但し、硬い殻は剝いた状態で、ですが。 日本人は、カボチャの種やヒマワリの種は、全く食べないのでしょうか? 私は、カボチャの種を生地に混ぜ込み、表面にもたっぷり載せて焼いたパンが大好きです。栄養価も高いし、ナッツのようで食べ応えがあります。

  • @user-zc6yx7cz3c

    @user-zc6yx7cz3c

    Жыл бұрын

    ワイは かぼちゃ料理した時には種も煎って食べてますよ でも手間暇の割に 食べる部分が少なくてね 大体の人は 調理が面倒で捨てているかと思います ヒマワリの種は 子供の頃に栽培したヒマワリの種を母が調理してくれた事がありますけど それっきり食べてない どちらも 酒のツマミや菓子材料とかなら売ってますけど 割高で(笑 まったく食べない訳ではありませんけど 一般的な食事で食べませんね

  • @alexissenefelder2026
    @alexissenefelder2026 Жыл бұрын

    西岸良平さんは日本の宝だな

  • @user-nt7tg9um5g
    @user-nt7tg9um5g Жыл бұрын

    最近は羊肉と言えばラムなんだろうけど昔はマトンだったなぁ。 羊毛を採集する事がメインで羊肉は副産物。歳をとった羊肉(マトン)を食用として利用する。それが普通だった。美味しいと思って食べてた。ラムに比べると、臭い。確かに臭い。でも、当時はラムなんて。子羊を食べるなんて。羊の肉は羊毛を採集してからの副産物だったからね。 あの「臭い肉」懐かしいな。

  • @yasu38880y
    @yasu38880y Жыл бұрын

    自分が普段一日に食べる米の量に関しては、戦時下の配給とほぼ同じということに気付いた。朝抜き、昼は弁当、夜は飲んでつまむだけ。

  • @user-ic2rr3ts1b
    @user-ic2rr3ts1b5 күн бұрын

    昭和8年産まれの父12年産まれの母…2人とも亡くなりましたが父が子供の頃に亡くなり母が男兄弟3人を育ててくれました。私は末っ子の親不孝者…幼少期に苦労した母…ごめんしか言えない😢でも…ありがとう

  • @user-jd7dp1xr2f
    @user-jd7dp1xr2f Жыл бұрын

    食文化と併せて歴史の重要事項も解説してくれるからいい復習になるし一石二鳥

  • @user-rb2uc4tq9r
    @user-rb2uc4tq9r Жыл бұрын

    昭和という時代は、大きな事がありすぎで説明が多々必要になる。なので、公式に20年からを分けて、前昭和と後昭和と呼称してもらいたい。私は後昭和前半生まれだが、まだまだアメリカへの羨望があったね。白黒テレビから溢れるように出てくるアメリカの豊かさは子供心に驚嘆する物ばかりだった。コカコーラ、ポテトチップス、ハンバーガー、ボーリング。何しろ修学旅行先は羽田空港の見学だったから。大学時代でさえルート計算が出来る電卓が3万円だった。まあ考えようによっては私は後昭和の時代をタイムスリップしてきたようなものだが。

  • @user-fn3112ux4t
    @user-fn3112ux4t11 ай бұрын

    食事と社会情勢は密接しとるナ

  • @fangdong5240
    @fangdong52408 ай бұрын

    かぼちゃの種はまいう~

  • @02tuka40
    @02tuka40 Жыл бұрын

    ちょっと間が飛びすぎ。1960年代は肉は鶏肉か鯨でした。学校給食も鯨の竜田揚げや鯨カレーなどが出た。バナナや卵は今と違い、高級品でした。野菜炒めには魚肉ソーセージ、さつま揚げが入っていた。タコさんウインナーは高級品だった、中学生になるまで牛肉を食べた事がありませんでした。☺️☮️🙆

  • @erikasono565

    @erikasono565

    Жыл бұрын

    少し大げさかな? 私は60年代に首都圏の公立小学校に通っていましたが、確かに鯨肉も給食に出ていましたが、だからと言って「肉は鶏肉か鯨」という思い出はありません。 母と一緒に地元の商店街の肉屋に買い物に行って、豚肉や牛肉を買った覚えもありますし。 バナナや卵が高級品だったという記憶もありません。よく食べていましたけれど? たこさんウィンナーは、遠足のお弁当の定番で、幼稚園時代のお弁当にもよく入っていたような? 逆に、魚肉ソーセージやさつま揚げが野菜炒めに入っていたという記憶は、私にはありません。 バナナや卵、豚肉や牛肉が高級品で庶民の手に入らなかったり、魚肉ソーセージが豚肉のソーセージの代わりに使われたのは、50年代の話では? もしかしたら、首都圏と地方では、食生活が違ったのでしょうか? - ただ、70年代初頭に引っ越して、アメリカ人居留地近くの音楽教室に通うようになり、帰りにそうしたアメリカ人向けの輸入品を扱うスーパーに立ち寄ることが多くなった時には驚きました。 私は、当時日本人向けの普通の商店街では手に入りにくかった生クリームやソフトクリームチーズ、焼き立てのフランスパン、コーヒーなどを母に頼まれて買って帰っていたのですが、驚いたのはそこで売られている牛肉の価格。 当時、日本人向けの商店街でも牛肉は手に入ったのですが、アメリカ人向けのスーパーの牛肉は質が違うのか、一桁違うのではないかと思うほど値段が高くて。 びっくりしましたね。

  • @02tuka40

    @02tuka40

    Жыл бұрын

    @@erikasono565 1966年頃の九州、福岡の食料事情の話です。私の家が特別に貧しかったという訳ではなく、同級生の家もだいたい同じ状況でした。漁港の近所で主要タンパク源が水産物でした。流通の状況の差もあり、基本的に肉類とバナナは高価でした。逆にミカン、リンゴ、琵琶、スイカ、ブドウは豊富に流通していました。また、魚、蟹、海老、貝類を常食しており、味噌汁にハマグリやガザミがよく入っていた。今と違い地産地消が徹底していたのだと思います。🍀

  • @erikasono565

    @erikasono565

    Жыл бұрын

    @@02tuka40 私が小学校に入学したのは1967年で、当時、埼玉にできたばかりの公団マンモス団地、典型的なベッドタウンでした。 4ブロックに分かれた団地には、ブロックごとに商店街が造られていて、八百屋、肉屋、魚屋などが入っていました。 埼玉県には海がないので、海産物が特に豊富で安いということはない。 その代わり、幼稚園時代のお弁当に、豚肉で作った普通のウィンナーとウズラの卵で作ったチューリップがよく入っていた記憶があるし、サンドイッチにはロースハムや卵サラダを挟むのが定番。 ですから、豚肉やハム、ソーセージ、卵は日常的に食べていたはずです。 バナナも安くて、小学校の夏休みの宿題にバナナシェークの作り方を提出した記憶も。 - 当時、急増する首都圏のサラリーマンに対応するため、住宅公団が田んぼだった土地を開発して真新しく、学校や病院、幼稚園、集会所、商店街などを併設した大規模団地を国策として造り始めていて、首都圏に通う、小学生以下の子供を持つサラリーマンが賃貸住宅にこぞって応募し、抽選で当たるとやっと入居できるという状況でした。 ですから、団地の周囲には田んぼが残っていましたが、入居者は東京で働くサラリーマンで中級インテリが多く、生活レヴェルはそこそこ、ただ、大規模団地は人口が多いので、全くの消費者で、周辺には農家が残ってはいたものの、地産地消というよりは、生産地から大量に食料品を仕入れていたのでしょうね。 果物では、蜜柑、リンゴ、スイカは安くてたくさん食べた記憶があります。 その次位にバナナと旬の時期にはイチゴかな? - 東西再統合前の東独では、今ならEU内関税なしで南欧からいくらでも入る新鮮な果物類が乏しく、バナナなど見たこともない子供が多かったそうです。 クリスマスプレゼントに、バナナ1本をきれいにラッピングしてあげたという話も。 日本も、50年代はそうだったのかもしれませんが、私が物心ついた時代には、既にフィリピン産などの大量生産のバナナが流通していました。 ***** ちなみに、前のコメントの後半の、米国人向けスーパーというのは、小学校4年時に引っ越した先の横浜、元町のユニオンスーパーの話です。 当時は、山手の丘から根岸競馬場跡や本牧にかけて、アメリカ人がたくさん住んでいて、広々とした芝生の庭に平屋建てか2階建てのハイカラな家という住宅にまずびっくり、そしてユニオンスーパーに並んでいる品揃えにまたびっくり、でした。 - 私たちが住んでいたのは、美空ひばりの実家である魚屋が入っている地元の商店街の近く。 別方向のもう少し近い商店街は小学校の学区内で、八百屋や酒屋、高級贈答向け果物店、看板屋などの子供たちがクラスメートにいて。 日常の買い物はそちらでしていたのですが、高級果物店が地元の商店街にあることからも分かるように、もはやバナナが珍しいなどという時代ではなかった。 進物用、見舞い用などの高級メロンなどがクラスメートの実家の店先に並んでいました。 - ユニオンスーパーの牛肉とは比べ物になりませんが、地元の商店街でたまには牛肉を買って、すき焼きやシチューなどにして食べていましたよ。 私は在欧37年になるのですが、ドイツに来た時、日本の牛肉100グラムの値段とドイツでの1キロの値段がほぼ同じ、と思った記憶があるので、100グラム400円くらいだったということかな? 豚肉と鶏肉は牛肉より安く、どちらも似たような値段だったような気がします。 - その美空ひばりの実家に近い地域は、横浜港開港以前は漁村だったのですが、その割には魚はあまり安くありませんでしたね。 その後、再度引っ越した先では、首都圏近郊でも、1キロ以上ある新鮮なイワシが一袋100円、200円などということもあったらしい。 母が市場でイワシを大量に買ってくると、母と二人でイワシを手開きにして骨を取り、酢で締めて保存食に……と言いながら、作る傍から食べてしまった記憶があります。 日本は島国なので、魚介類は、大漁の際には肉とは比較にならないくらい安く手に入るのは、まぁ、事実ですね。 その恩恵にあずかれるのは、漁村や魚市場から近く、水揚げされた魚介類が直接仕入れられる地域にほぼ限られるとは思いますが。

  • @user-zc6yx7cz3c

    @user-zc6yx7cz3c

    Жыл бұрын

    懐かしい 私の学校では 「ベーコンとキャベツのスープ」が時々出ました 剥がしたカサブタみたいな硬くて小さいベーコン?と僅かなキャベツに薄い塩味(一応コンソメだったらしい)不味かった(笑 私の地域は 魚なら旨い物も出ましたけど まともな肉はクジラの揚げ物だけだったわ

  • @user-zc6yx7cz3c

    @user-zc6yx7cz3c

    Жыл бұрын

    玉子は近所の鶏舎の掃除を手伝って お駄賃に玉子を貰ってましたわ 貰った玉子をシャツでふいて 穴開けて チューっと吸い出して食べてました 旨かった! 学校帰りに 道端で食べれる草を採ってそのまま食べてた頃だから 玉子はご馳走!! 他にも 朝に寺の掃除をしてお経を唱えると(カナふりの教本有り) カレーを食べさしてもらえた(朝食)これもメチャクチャ旨かった思い出(笑

  • @TFERA21
    @TFERA2110 ай бұрын

    ララ物資の説明がない…

  • @user-rf8lr5mb3i
    @user-rf8lr5mb3i Жыл бұрын

    進駐軍の物資とか配給とか🍫🍬🍪🍞 疎開して物々交換するとか🍆🍅🥔🥒 なんやかやで何とかなりそうな気もする ならん様な気もする 火垂るの墓とか観てると 🍬👧👦

  • @user-vh4qo9zk4x

    @user-vh4qo9zk4x

    5 ай бұрын

    私の母や父をみてると戦中戦後も何かしら食べていると人間そう簡単には死なないものなんだと尊敬しちゃいます。おからや芋しか食べるのなかったなんて言ってたなぁ😢

  • @user-jh1mm2hw5d
    @user-jh1mm2hw5d8 ай бұрын

    あいつは人間じゃないから(笑)

  • @user-qe1gt2ke2y
    @user-qe1gt2ke2y Жыл бұрын

    朝鮮戦争で日本が関係してない? 日本はアメリカに武器弾薬を提供していたから一概に関係ないとはいえない。

  • @yasu38880y

    @yasu38880y

    Жыл бұрын

    戦争で食べ物にも困るほどボコボコにされた日本、その復興のきっかけになったのが戦争による特需というのも皮肉なものだ。

  • @AZ-in7jy
    @AZ-in7jy Жыл бұрын

    最初は某ちゃんねるのパクリかと思ってましたが、こちらはのちゃんねるさんは独自にしっかり調べてますね。 応援します。

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