【ゆっくり解説】逆視点の世界史 第16回 オランダから見た江戸時代
今回はオランダから見た江戸時代について解説します。
開国編は尺の都合で次回の動画となりました。
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(オランダから見た開国)
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(イスラムから見たレコンキスタ)
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内容の都合上かなり端折ってますがご了承ください。
ついったー
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Пікірлер: 427
オランダは対日外交で上手いこと立ち回った優等生だと思ってたけど、結構やらかしも多くてビックリ。
@piano_beginner
Жыл бұрын
シャックリ止まらないと死にたくなる
@Y.S.494
Жыл бұрын
人工島の出島土木建設する前の話だね。 出島完成後も最初はポルトガル交易に利用された。 出島は、幕府がすべて建設して入居者テナントと交易相手国決め、幕府直轄管理にしていたところ。 本土内の伊丹空港乗り入れ利用させず、沖合の人工島関空のみ外国便乗り入れ利用限定していたような感じ。 開国便スタッフ居住区も事務所も出島内に建築した建物利用限定にして。
蘭学でしか情報が入ってこない時代にこれからは英米の時代じゃないかとあっさり切り替えられた福沢諭吉や大村益次郎の想像力たるや
こんなに情報量が多い歴史解説には初めて遭遇した。大航海時代の世界史的な動向の中でオランダが独立を達成し日本に接近してきたリアルな経緯が勉強になった。
そういえば「損して得取れ」のルーツはオランダ商人が始まりで、 大坂商人や近江商人は上手くモノマネした説がありましたね。
@user-jg7nj5to8s
Жыл бұрын
@@SaeedElAhmadiお国柄があらわれるエスニック・ジョークでもオランダ人=ドケチですね。😅
お互い利害が一致していたからとはいえ平和的な交流だなぁ
幕末に、オランダ国王が日本に「長年の友人として忠告する、開国すべき。」って言った話が好き。
@tryo2115
Жыл бұрын
でも、この辺から幕府は情報収集を密かに始めてるんだよね。 オランダ商館長以外にも清や朝鮮から情報収集してるし、大黒屋光太夫からのロシアや欧米諸国の情報が風説書と照らし合わせて間違いないか精査してる。 ペリーが来た時「日本は何も知らないだろう」と馬鹿にしてたら、かなり詳しく知っていたので、高飛車な交渉は諦めたみたい。
@melvinjansen2338
Жыл бұрын
Also warned the japanese that america was coming
@poissonblanc3106
Жыл бұрын
単に、オランダの都合だよね
@bchop5751
Жыл бұрын
@KONY_TOHOKU そんな単純かな?仮に攻め落とせたとしても大国に干渉されて利益は横取りされるというのがあったのでは?(これは、おそらくアメリカも同じ)オランダにしてみれば日本開国を主導することで対日貿易の優位性を維持したかったのが狙いでは?日本側も「ありがとう」ではなく「ややこしい事言ってきたな」って感じだったっぽい。「オランダじゃたよりねーんだよな」くらいの感覚だったのではとも言われてる。
@TATANKA-nf4ck
Жыл бұрын
開国後、ちゃっかり他の列強と一緒に日本を食い物にしたと。
開国編も両方やってくれるの、感謝感激雨あられ
@yukkuri_channel
Жыл бұрын
自分で調べたほうが早い
たった 30分強の短い時間のなかで、日本史が世界史がダイナミックにつながっていたと解説して頂き、感謝感激です。こうした形で、高校時代に日本史世界史を勉強できていたら、大学の入試(共通一次よりもずっと前の時代)でも、「日本史・世界史」はほぼ満点を取れただろうと感じました(当方80過ぎの爺)。
@g2peta823
8 ай бұрын
人生100年時代!まだ20年くらい学べ直せますよ、大先輩😃
@akioshishime6621
8 ай бұрын
学び直しも大事ですが、現代史に付いていくのが結構大変な時代になってきた感があります。@@g2peta823
自分は、日本史が好きで、いろんな本を見たり、蘭学史の記事を読んだりしてきました。ただ、江戸時代のオランダと日本の関係についてあまり考えたことはありませんでした。今回、その関係に多くの歴史があったことを知り、非常に新鮮に感じました。ためになりました。
今までの動画で一番見たくなる次回予告でワクワクを禁じえない。 早く次回動画が見たいです。
オランダ視点の対日貿易というテーマは興味があったので有難い動画でした
なんかの本で福沢諭吉が横浜に行って、よっしゃワシのオランダ語がどれだけ通用するか試すで、と思い話しかけたらみんな英語で絶望したみたいなこと書いてあったな
@kei.suzuki
Жыл бұрын
福翁自伝で自ら話してるよ ただ次の行では「そうも言ってられないから早く英語を学ばないと」と一瞬で立ち直ってるけど
永久追放されたはずのシーボルトが幕末に再びやって来て自分の娘である楠本イネと対面する
おもしろかった。 学校の授業等ではあまり扱わない分野、 興味深く動画を見れた。
学校教育だと日本史としかあまり重視されてない江戸時代だけど、江戸幕府の対外政策を東アジア情勢と絡めて世界史視点から勉強するの、その後の日本史を理解するのに割と必要なことだよなぁ オランダ一本に情報源が縛られてたのはきついけど、対外情報の収集を怠らず欧州勢力としっかり向き合っていたことが100年以上の体制維持に役立っていたことは確かだと思います。
@sonchuzan
Жыл бұрын
東アジア情勢というか、ヨーロッパ諸国のパワーゲームだよね。
@bchop5751
Жыл бұрын
その通りで、逆になぜ日本史を世界史と絡めて教えないのか謎。
@stsz1403
Жыл бұрын
近現代史を世界史日本史のくくりに拘らずに教える歴史総合って科目の今後に期待
@sonchuzan
Жыл бұрын
日本の世界史は西洋史と中国史ですからね。まあ、文字記録しかないからやむを得ないけど。日本史も世界史のひとつだから全体を俯瞰して学んだり考えたりするのがいいのだけどね
@dodesyo1
Жыл бұрын
オランダがスペインの植民地であることを誰も言わない。スペインが英国との戦争で負けたから独立できたオランダ。ちょうど秀吉の天下時代。英国とオランダを比べて、明確に軍事力が家康より弱いほうのオランダを選んだに過ぎない。オランダの国旗さえつけてればどこでも貿易独占した家康だな。
ビジネスライクの商人魂がいいですね
出島に来てる間に本国消滅てヤベーな… しかも何とか乗り切っててすげーわ
@Y.S.494
Жыл бұрын
でも、そのおかげでネーデルラントは棚ぼたで王国名乗れる大義名分手に入れちゃったんだよ。 皇帝ナポレオンがネーデルラント連邦共和国を潰してホラント王国建国したことで。
オランダが対日貿易を辞めなかった理由には 太平洋東回り航路をイギリス、スペイン辺りに渡したくなかったのもあるんじゃないかな
@55tg
Жыл бұрын
今も昔もそこら辺は海上貿易が盛んだからね。
幕府を捌ききったドゥーフ商館長優秀過ぎて草w
@yukkuri_channel
Жыл бұрын
このチャンネルは東方のBGM使ってるのが不快
@user-zt2mf7ho2d
Жыл бұрын
オランダのイメージが変わった
1.5倍速で観ようと思ったら情報量多すぎで無理だったw 新鮮な視点での動画ありがとうございます!コメント欄も含めて素晴らしい。やっぱり日本の教育レベルは高い!
オランダと縁があり特にリーフデ号が出発したHoornという港町には数えきれないほど行ってます。使われている港町の写真がほんとにHoornでびっくりしました。この街には今でもたくさんの東インド株式会社の看板付きの建物が残っていますよ!
@user-hv1cu7gr8q
8 ай бұрын
すげえ…
シーボルトの「山ドイツ人」は、幕府も分かっていたが事を荒立てない為にスルーした、と言う話もありますね。
@user-ml5kx6ju3b
Жыл бұрын
動画内で紹介された出島三学者のケンペルは実際はオランダ人ではなくドイツ人・ツュンベリーはスウェーデン人、とりあえずオランダ語が喋れさえすれば日本側はオランダ人と認定してくれたから出島にはオランダ人以外のヨーロッパ人もちょこちょこいたらしい。
時代劇好きには馴染み深い江戸時代。その馴染み薄い外交と貿易に触れられ、感慨深いです。
オランダのやってる事が最近見た琵琶湖の海賊と同じだし、相変わらず日本は修羅と半グレの道理がまかり通るし、非常に楽しかったです
@poissonblanc3106
Жыл бұрын
琵琶湖の海賊? そんなかわいいもんじゃないだろ
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
ハントー人ファビョってて草
ポルトガル「コイツら海賊やで(真実)」
今回初めて知ることが多くて新鮮でした
素晴らしい👏 夢中で聞きました。面白すぎます。ありがとうございます。
素晴らしい、今後も期待してます。
中身が特濃ですごすぎます。今後も楽しみです。
日蘭が江戸時代一時期断交してたとは知らなかった 次回楽しみすぎる
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
裏切りましたからね
なにかとついでに攻撃されるマカオが可哀想で笑った
当時の倫理と結局は生存競争だから仕方ないとはいえ、どの勢力もろくでもねぇの草
@user-mp2tz9rr7g
Жыл бұрын
どの勢力もろくでもねぇのにその中で「俺たちはアイツらとは違う!」とかマウント取りしてるんだから滑稽だな
圧倒的内容で数度見ないと理解が追いつかないよw
当たり前だけど、幕府もちゃんと外交やってたんだな・・・
凄い情報量です。有難う御座います。
この辺少し調べてたので参考書籍上げてくれたのはありがたいです。
出島の商館ってオランダだけじゃなかったんだね。勉強に成りました。
安彦良和の麗島夢譚を思い出します。この辺の歴史もめっちゃ面白いですね
まだまだKZreadには面白いチャンネルがあるもんだと発見の喜びに浸り中(笑)チャンネル登録しました。
視点を変えるのは良い学びですな
とても面白かったです。
つい最近まで欧州以外で日本人だけ労働ビザなしで働けたオランダとは良い関係だったのだろうと思っていましたが、詳細にみていくと結構色々とすったもんだがあったんですね。
@melvinjansen2338
Жыл бұрын
2017年以来、労働許可証が必要です。
@06011060ZAKU2F
11 ай бұрын
この後、第二次世界大戦で酷い恨みを買うで。日本がインドネシアに快進撃だったから。 もう陰湿としか言いようのない復讐裁判が開かれて旧日本軍人が殺されまくったらしい。 戦争に勝った負けたはつきものなのに、戦争犯罪捏造してまで。
@user-oj7kz1bn5g
8 ай бұрын
昔の日本人はNOと言えたから揉める事もあっただろうね
昔の外国人の日本の良い評価も悪い評価もマジで的を射てるよなぁ
こういう話を授業でするには、時間的また面白すぎで無理かも・・・でもこのKZreadを見ること宿題にしてってのは可能だなぁ~今の先生って無限の可能性あるなぁ!そういう環境下の生徒も羨ましい。いや、今学べていることのワクワク😄👍
めちゃくちゃ面白いっ!
この時代の商人はアグレッシブ過ぎるな
鄭成功に関する新認識やオランダが海賊行為でポルトガルを散々餌食にして居た事が、初めて知った知識で目眩がするほどの衝撃。ホンに「鎖国」なる語は間違った用語で当時の様子と食い違いが大きい。出典はどこなのか?
@essauouo5251
Жыл бұрын
wikipediaに、日本の外交について書いた当時のオランダの側論文の題名が長すぎたんで、日本語への翻訳時にランニングタイトルみたいな感じで作ったものだったことが引用されてますね。もともとはたいした意味なんてなかったんでしょう。
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
日本の英雄、鄭成功の動画なんす?
オランダと日本は共にエコノミックアニマルで話が通じたということですね。
35:09 今の日本の気質と違う気がする。 戦国の世が終わってからまだ100年経ってない時代の日本の気質はこういう感じだったんだろう。 今の日本人が持つ、 『大人しく温厚で堅実だが、対立を避けがちで事なかれ主義』 という気質は、平和な徳川の世と、第二次世界大戦で挫折した戦後の日本で作られたものなのだと思う
様々な勢力の思惑が幾重にも交差して、見応えがある。
これは多言語で共有したい情報
大変分かりやすく色々と眼から鱗でした🤩特に歴史上の台湾の立場が不思議で面白く感じたので「台湾から見た近代史」の動画をリクエストしたいです😘ご検討よろしくお願いします
シヴィライゼーションしながら適当に聞き流そうとおもったけど マウスカーソルはゲーム行かず、眼は動画の文字を追っていたよ
正邪が解説してるの新鮮
シーボルトの山オランダ人の下りちょっとワロタ
当時の日本国内にある銀が海外に大量流出したけど交易していた藩はやっぱ賢いわ
この情報量をまとめる力に感服しました。ありがとうございます。
面白かった😁
知識量が凄い
面白いです
オランダ側からの視点は大変勉強になりました。鄭成功がゼーランディア城を攻略した際、 中国史に突如現れた西洋に驚いたことがありました。しかし台湾がどうしてオランダの統治下にあったのか この動画で学ぶことができました。 ただ、動画内の解説文字が最上部に表示される為、一時停止して読もうとするとタイトルと被ってしまい、大変読みにくいです。 詳細解説の表示位置を下方にしていただくと、もっと見やすいチャンネルになると思います。
ありがとう。おもしろかった。
オランダから蘭学を見たら、何も教えていないのに、突然オランダ語の読み書きをする人たちが出現したという事なのかな。
@poponsingers
7 ай бұрын
オランダ語習得には始めは相当苦労したそうだがドゥーフ、ブロムホフ、ケンペルが日本ととても親密な関係を築けたのは蘭通詞たちのお陰。特筆すべきは通詞にもあまり優秀ではない人もいたが馬場佐十郎は大変な語学の天才で商館長も驚き全幅の信頼を置くほどオランダ語が出来るようになり、他にもフランス語、ロシア語、英語、ドイツ語もみるみる内に習得し優秀な通詞を育てた。後のペリー来航の際もペリーがオランダ語通訳に話す英語が日本の蘭通詞には筒抜けでペリーの思惑通りにはいかなかった。なお通詞は武士ではなかったが幕府に忠誠を貫き明治政府には下らなかった。
江戸時代は日米修好条約を含めある程度上手くやっていたのが良く判る それに比べて今の日本の外交はナニなんだろうと思う
鎖国とは言うが、世界情勢をよく見ているからこそできる鎖国政策。
すごく良く纏められてて理解が捗りました。廈門澳門澎湖台南平戸全て愛着ある場所なので自分の過去も上手く紡げた気がします。当時の植民島って港だけ(点)での占領が多く面では無かった感覚は各植民地の隅々に直に行かないと実感し難いです。広い平地があって生産性も高い地域の近くに深い港があって大きな船が出入りできて、その他の海岸は浅いか波が荒くて近寄れないか、接岸は出来ても港周辺の土地が不毛で人口も産物も少ない状態だと、特定の港さえ確保していれば島全体の富も独占できるし他国からの侵略に備えるにもそこさえ守ってれば良くてコスパ良くなります。 オランダが台南に城を持ってた時の台湾南部の原住民(パイワン族)は東海岸に至るまで鹿皮などオランダに売る物を作っていたり台南まで山を越えて運んだり、オランダ語を勉強したり、各部落間の覇権争いに権謀術数を駆使していたのは当時より100年前の日本の戦国時代と同じです。彼らの今の子孫が作っているパイン・枝豆・マンゴーの一部が日本に輸出されています。鄭成功は今の台湾では島を中国から守る象徴にされ、中国にすれば国土の一つの台湾を欧米から守る象徴にしているけど、原住民に言わせれば鄭成功も村山等安も有馬晴信もオランダイギリスも蒋介石も習近平も全てただの侵略者です。でも原住民も何千年も島内で殺し合って来たし、強い部族は弱い部族を絶滅させた事を武勇伝としか思っていません。全員が加害者であり被害者です。それら各集団の中でどれを善玉にしどれを悪玉にするかはほとんど見る側のエゴです。 ヨーロッパ人の日本人観はケンペル日本誌をパクったカントの著作の日本語訳と考察 「法政大学学術機関リポジトリ カントの目に映じた日本」(pdf) がお勧めです。カントのウィキにもさらっと「日本人は勤勉で礼儀正しいけど短気で強情」とか書いてあるけど一層具体的に ・長崎に年二隻しか出入りしないオランダ船が幕府に奴隷の如く監視されまくっている ・日本人は勇敢だけど命を粗末にする 等具体的に書かれていて、「中国人より韃靼人に似てる」は日清共に漢字使ってる点に引きずられてなくて素晴らしいけど「日本人はイギリス人に似てる」は残念。日本人の多くもそう思っているでしょう、地図上で視覚的にシーパワーかリムランドとかいう見方に引きずられてしまう。でもエマニュエルトッド的には日本と近いのはドイツです。イギリスはリバタリアンで核家族で男女平等だけど日本は権威主義で直系家族で男尊女卑気味。但し世界的に見たら女と子供の地位は高い方(人権がある方)。カントほどの天才でも今の基準で言えば人種差別しない方がおかしい風潮なのもあってか、そう易々と自国プロイセンとアジアの国を同一視したくなかったのかもしれません。
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
いやいや、鄭成功を知らないのか? 台湾の英雄だぞ? 何した人か知らないのか? 当時台湾はオランダに植民地支配され、それを救った英雄。 日本人だぞ? だから英雄なんだよ。
@kuruko676
Жыл бұрын
国性爺合戦
これは面白い観点 36分一気に観てしまった シーボルトが伊能図の自作写本を持ち出そうとして半分失敗した話もちゃんと触れられてたし (諸説あるが結局は伊能図の海外流出を防げず世界各国の日本近海遠征の重要なツールとして広まってしまったけど)
海賊よばわりなんてひどいなあと思ったら本当に仕入れが海賊行為だったんか…
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
スペイン、イギリスは海賊ですね
当時の日本人戦闘民族なの本当に面白い。昔は新しいもの好きだったのにいつの間にか…
@28maaru88
Жыл бұрын
農耕や会社務めのような環境から解放されるとはっちゃける民族
@user-gm9hb3gq5o
Жыл бұрын
まぁ、今でもウクライナで傭兵やってる人はいるし、チャーチルが言うように、我慢し続けて最後に破裂するヤベー連中なんだろうね。
@spikef7602
Жыл бұрын
@@user-gm9hb3gq5o 破裂の仕方も忘れてそう。 日本人を買いかぶりすぎ。
@2010winter100able
Жыл бұрын
「戦闘民族」などと、どこぞの怪しげなサイト、デマ吹きチャンネルで騙された口?武士なんてものは江戸期は無くなってたんだがw。時々こういった勘違い野郎が現れるな。大砲の発達で完全に軍事的劣勢に立たされてたんだよ、当時の日本は。
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
@@2010winter100able ハントー人ファビョってて草
面白いですね。私は日本史はかなりマニアックだと思ってますが、世界史はホントにずぶの素人。 世界史、西洋史の視点で見ると、日本という国が浮き上がってくる。好奇心旺盛というのは、当時の日本人の共通項みたいですね。幕府の対応も幕政初期とそれ以降だと、だんだんと官僚化が進んでいるのか、強圧的な態度から腰砕けになっているようにも感じました。出島にも修学旅行と仕事で行きましたが、あの場所でどれだけの駆け引きがあったのか… 改めて世界史、そして世界史から見た日本史というのに興味を持ちました。 素晴らしい動画、学べる動画です!!!
当時、日本の金の相場は国際価格の三分の一だったので、オランダは三倍の利益を得たと考えられる。
@user-gn5op4lr2j
8 ай бұрын
今は 国内金山の多くが閉山している、国際価格の1/3位の時代に資源保護していれば・.・・
おぉ面白い!
32:25 シーボルトはオランダ人と勘違いしやすいように ドイツ訛りだったことを利用して、 わざと「高地ドイツ人=Hilander(英)Hochdeutsch(独)」と名乗ったんじゃないかな。 そして案の定、通訳が聞き取れずに「オランダ人=Hollander」と勘違いした。
オランダ金に順従やな。 君達の神様は金だよ マジ草
35:00 欧州人から見た日本人評…。 江戸時代から日本人の気質は大して変わっていないのが分かりましたw
@conspiracy_shine
Жыл бұрын
悪いところばっかり変わらないねえ
@akiratakayama6653
Жыл бұрын
@@conspiracy_shineその心は?
@conspiracy_shine
Жыл бұрын
@@akiratakayama6653 極端から極端へ行きやすいね よくないよね
太平の世にもオランダは色々大変だったのですね。 東ローマ帝国から見た対イスラム戦争を見てみたいです。
いやもう・・・スゲーなこの時期のシナ海
江戸時代の中でオランダがこういう立ち位置だったんだと知れて助かりました。 逆視点になるかは分かりませんが、(関東軍ではなく)溥儀からみた満州国は見てみたいです。
オランダくん家康くんに、 射程距離約⁇500?メートルの キャノン砲売ってくれたょ。
英語で割り勘にすることを「Go Dutch」ということを思い出しました。動画を見て調べたら動画の頃、イギリスとオランダが貿易上のライバルだったことが関係して、イギリス人がオランダ人をバカにしてこう言ったようですね。長年、なんとなくどうしてこんな言い方、とぼんやり感じていた謎が解けました。
面白かった。オランダの歴史なんて知らなかったし、当時の東アジア情勢にも疎かったと反省。
わかりやすくて面白かったです。ありがとうございました。ロシアから見た日本がもし出来れば知りたいです。昔、ニコライの日記を一巻だけ読みましたが、そのあとの巻は挫折しました。😂
ドイツ人シーボルトは 出島に 住めなかった のに 山オランダ人だったので 事なきを 得た。 いいね。 お雇い外国人を 紹介して下さい。
ディズニー+で『SHOGUN』の配信が始まった。 第一話の冒頭は正しくリーフデ号が豊後に漂着したシーンだね
高野長英が翻訳したフランス軍の解説書で薩長軍が西洋式軍隊作ったのが蘭学の最後の成果かな。
@73moto
Жыл бұрын
大村益次郎が西洋兵学を翻訳して第二次長州征伐で作戦指揮をして勝利した。高野長英が脱獄して逃亡して宇和島に潜伏した時にオランダの兵学書を翻訳し宇和島藩主の伊達宗城と次期薩摩藩主の島津斉彬に献上し余りにも見事な翻訳で高野長英が生きて居る疑惑が浮上して宇和島から逃亡し顔を薬品で焼いて人相を変えて江戸に潜伏するも最終的にバレてしまい捕り方に十手で乱打されて瀕死の重体で牢に籠で運ぶ途中で死去した。
オランダがスペインの領土だったというのは厳密にはちょっと違う。オランダは小領主たちの国の集合体で、オラニエ公はホラント国(現ホラント州)の領主。 そしてハプスブルク家の臣下だった。南ネーデルランド(フランドル・アルトワ=現ベルギー)の領主だったハプスブルク家がスペインを領有したことで、ハプスブルク支配帝国が大きくなり、神聖ローマ帝国とスペインをフランドル・ハプスブルク家出身皇帝カール5世が共同統治をしたものの、スペインの王位をカール5世は子供のフェリペに相続し、カール5世の弟はオーストリア大公と神聖ローマ皇帝位を相続、分割統治にしてネーデルラントはスペイン・ハプスブルク家管轄に移管しただけ。 南北ネーデルラント諸国の代行統治をオラニエ公を総督(代官)にして委任していた。 ネーデルラント諸国におけるカトリック教徒住民の反乱を鎮圧できなかった責任で総督罷免、処刑されることになり、ハプスブルクネーデルラント領簒奪も含めて主従関係の解消で反旗を翻したというだけ。 スペインも南ネーデルランド諸国もハプスブルクの領有領土であって、ネーデルランドがスペインの領土というわけではない。 どちらも貴族の所有物の国、領地。
@Y.S.494
Жыл бұрын
訂正:「ネーデルラント諸国におけるカトリック教徒住民の反乱」→「ネーデルラント諸国におけるプロテスタント教徒住民の反乱」
特性としての好奇心旺盛は皆が言いますね。ある程度の平和が維持されていて暇を持てあましてるからでしょうか?現代だと暇つぶしが多すぎて興味を示さないのかもしれない。
日本人とオランダ人はともだちですよ Ik vind Japan mooi. 🇯🇵😀🙏😀🇳🇱
@user-mt8lz6ew3s
Жыл бұрын
現在のオランダの対日感情はどうなんだろう?2次大戦時にオランダのドル箱だったインドネシアを占領して独立のきっかけを作った=植民地からの利益を奪っているから。
なんだこの激動の歴史。 鎖国とは一体…うごごご。
@hourousya979
Жыл бұрын
うろ覚えですが、鎖国という言葉ができたのがそもそも明治期。 それまでの江戸幕府との政策の違いを明確にするために、江戸幕府の対外政策に「鎖国」という名前を付け、対照的に外国に対して広く開いていく明治政府の姿勢を「開国」と呼んだ…らしいです。
@muramasa9582
Жыл бұрын
@@hourousya979 さん なるほど。納得の行く説です。 文明開化・開国という華やかなイメージは、明治~大正の新たな時代を彩るのに便利だったのでしょうね。
@user-ps8pv5nx9x
Жыл бұрын
@@hourousya979 「啓蒙主義」とか「新大陸発見」みたいな。
何がすごいって帆船で地球半周以上の距離をちょくちょく日本に来てる所よな、帆船って速度が出ても15kmぐらいで平均だと8kmそこらなんよね スエズ運河ができる前は喜望峰を回ってきてたから行きで半年、帰りで半年、天候の安全なんか保証されるわけない中よく来てたわなぁ
昔の高校日本史じゃ習わないことばかりでびっくり 東南アジアの日本人町とかは学ぶけど 対日貿易をめぐって日本人を含めた各国商人がこんなにバチバチにやりあってたとは アンボイナ事件とかは世界史でやるのかな オランダ要塞内のイギリス商館に雇われた日本人スパイってなんか国際感覚がすごい
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
@@user-is4tq1kc2w 反日やな
@06011060ZAKU2F
11 ай бұрын
アンボイナ事件、名前だけ知ってたけど日本人が関わってたとは知らなかったよ。
@NAO-wq6xe
11 ай бұрын
@@06011060ZAKU2F ライダイ○ンの事 韓国が悪い事したのって
せーじゃが解説役?何か可愛いな もっとわかりやすいチャンネル名にしたら良いのに とりあえず見たい動画が複数あったのでチャンネル登録しましたw
歴史解説には出典をつけていただきたいです
皇帝から見たロシア革命③が見たいです。
つい先日、オランダは国の正式名称をネーデルランドにすると発表したとのこと。 ただし、日本だけは古くからの付き合いで「オランダ(ホラント)」と呼ばれてるので無理に直す必要はないよ。と例外をあえて作ってくれてるw まぁ古くからの付き合いだから幼名で呼ばれても違和感ねぇし気取るんじゃねぇよってくらいの計らいなんだろねw
@poissonblanc3106
Жыл бұрын
他国での呼称をとやかく抜かすのは、もともと歴史のない地域くらいじゃないかな
@Y.S.494
Жыл бұрын
あまりそういう取ってつけたような理由は意味ないというか関係ないよ。 その各国ごとにすでに定着して使われている自国名をわざわざ変更しろとは強要しないだけで。 母国語国名にしろとも英語名にしろとも強制はしない。 ミャンマーやジョージア、ソ連からロ連など、体制、国家形態の変更などの妥当な理由や外交的配慮しての例外もあるが。
今日はこれを聴きながら寝ます( ˘ω˘ )
銀貨見せてこれが君らの宗教だは嫌味のセンスが現代人すぎる
鎖国って言葉は江戸中期までなかったらしい。鄭成功の話は歌舞伎の国姓爺合戦として劇になった。たしか日本人母と明国の男の子供が活躍する話。
@NAO-wq6xe
Жыл бұрын
熊本産まれ熊本育ちの福松さんの話出てくる動画なんす?
イギリスから見た幕末もリクエストしたい
バタヴィアと言われると馬が思い浮かんでしまう…