【ゆっくり解説】いつのまにか消えた「平成の職業」10選
いつもご視聴ありがとうごいざます。
今回は「いつのまにか消えた「平成の職業」10選」
について
ゆっくり解説していきます。
▼目次▼
00:00 オープニング
00:40 キャバレーのレジスター係
03:27 ワードプロセッサ操作員・タイピスト
06:06 速記者
08:26 呼売人
10:14 声色師・奇術師・腹話術師
12:26 場立人・才取人
14:36 集金人
16:36 ミシン販売員
18:39 電話売買仲介人など〇〇仲介人
21:40 注文取り
23:32 平成で生まれた職業もある!
よろしければコメントお待ちしております。
Пікірлер: 361
銭湯とかのペンキ絵師もほぼ絶滅してるとか。
日本経済が堅調だった頃は東証の場立ちと上田ハーローで電話いっぱい取ってる人たちの映像がニュースの風物詩だった。
某コールセンターで働いているけど、お客さんとのやり取りを文字起こしするソフトが入ってて、戦慄してるお。
入社初期、個人で2行表示の「Rupo」を使っていました! 「熱転写インクリボン」「感熱紙」が懐かしいです!
速記の技術は学んだことはないけど、会社の会議の議事録作成は下っ端の仕事だったから、ひたすらノートに議事を書き付けてた 会議後にWordに転記して関係者に内容を確認してもらうと「こんなこと言ってない」と文句を言われるまでがセット
キャバレーのレジ係りってキャバレー自体ほぼ消滅してるから消えてしまうのは自然だよな。
小さい頃 自転車で豆腐売りに来てたおじちゃんいたな お手伝いで買った記憶…美味しい豆腐だったな…
昔は自宅にスキン(性交サック)←コンドーム売りのおばちゃんが年1くらいに来て、お母さん達の愚痴なんかの相手してたな。 「誰?」って聞いても「まだまだお嬢ちゃん達には早いわね」とか言われて、「あっちいってなさい」とか言われて追い払われてたなぁ😅😅😅
@asas-sh9ml
Жыл бұрын
私の母が子育てて時代の昭和半ばまではあったなあ。オカモトのコンドーム、明るい家庭計画とか、なんたらこんたら。おばちゃんが相談や売りに来ていたりしてた。 母は薬局に行き勇気を出して「サック」ください。って言ったら指サックが出てきて、それ違うって恥ずかしくて説明を言えなくて「サック(コンドーム)」買わずに帰って来たって。 マジで7人堕ろしたって。 私と弟の間に1人、弟と次の弟の間がかなり空いてて、その間に6人。 男性の協力を得られない時代だったから昔はそんなお母さんが一定数居たと思う。 まあタイトルが平成だから、平成では普通にコンドーム買えるからなあ。 あ、当時はスキンとも言ってたな。 サック→スキン→コンドームの順かな。
子供のころは自転車でアサリとシジミを売りに来るおっちゃんがいたなぁ そこで買ったアサリを鍋に入れてよーく見てるとたまに小さいカニがいたりして面白かったんだよな
@user-ge1gx2cb4y
Жыл бұрын
夏休みの朝を思い出すな アサーリー シジミ(シジミのとこ小さくて速い感じ) の声を聴きながら起きてラジオ体操に出掛けるの あの頃の真夏の早朝は今より暑くなくて爽やかだったな
手品師とか腹話術師は笑点とか見てると普通に出てきますよ。
子供の頃「たぁけやぁ〜さおだけぇ〜」を聞いて育ったのに、確かに最近聞かないなぁと思ったら…ちょっと寂しいね😢
キーパンチャーなんて仕事もありましたね コンピュータ(メインフレーム)がパンチカードを読み取って動いてたからね
カーナビが出てきた頃に祖父が 「これからは車もコンピュータの時代だからオレら板金屋は後20年が限界だな」 とか言ってたらホントに板金屋が消えはじめた。 「車よりコンピュータを直す人が稼ぐ時代になっていくんだろうねえ」 と言ってた祖父の予言大当たり。
@bagomoyo
Жыл бұрын
住宅建設でガルバリ鋼板使うからそっちが増えてる説
@user-ew7yz3ix7w
Жыл бұрын
子供の頃良くしてくれた祖父の妹さんが板金屋だから、なくなって欲しくないなぁ…
@ikto8544
Жыл бұрын
板金屋がなかったら 事故の時、誰が車治すの? あなた車持った事ないでしょ。
@user-mh5kz7wf9o
Жыл бұрын
AIは今、加速度的に発達してますから、人間と同じように、あのパーツ外して、こことあそこぶった切って叩いたあと溶接して、引っ張って曲げて、あの当板使って、という答えは出せても、今度は、その作業する人間の手と同じく、繊細な動きができるハード面が追いついていませんから、まだまだ無くならない気がします。
@bagomoyo
Жыл бұрын
すでに日産が数年前から廃番パネルに関してはそういうことをするマシン持ってるしフレーム修正機も昔からある。やるやらないはひとえにオーナーの懐具合で決まります あと軽量化追求で最近はフレームにハイテン鋼を多用している車が多く、その場合は修正不可で廃車になることが多い。
ワープロ専用機は自分が大学生の頃には安価になって漸く普及し始めていた時期でしたが、まだ誰もが持っている一般的な存在ではありませんでした。 卒論は手書き📝提出がまだ当たり前の時代でした。同級生がワープロで印字したものを提出したら、機械を使って楽をするな!と叱られて突き返されるの目の前で見ました。
@user-yb7mr3gr6c
Жыл бұрын
文学部の教授が真っ先に飛びついた。
@user-py4ki7ld6y
Жыл бұрын
平成一桁年に大学を卒業しましたが、卒論は手書きは認められていませんでした(理系だった、ってのもある)。当時、いちばん出回っていたワープロソフトは一太郎でしたね。
デパートのレジ係も昔はプロが手動でやっていたけど、コンビニで客でも操作できるようになった。 AIの出現も仕事自体は消えないけどプロとか専門職が消えてバイトやパートに変えられてしまうんかな。
10:07と25:07あたりの魔理沙の言葉が、これらの仕事の現実を 的確に語っていますね。
キャバレー、生演奏とか楽しそうだけどなぁ
@nanalinn
10 ай бұрын
あと大物芸能人とかがやって来るとすごいことになる。
「学研のおばちゃん」も平成でなくなったな・・・
@user-mj2vy1rn4g
Жыл бұрын
まだかな?まだかなぁ~ 「学研のおばちゃんまだかなぁ~」ってCMありましたね。
@user-cu6qt3jb1c
Жыл бұрын
あったあったでござるなぁ😂本当聞かない😮
@yotiyotiyotiyoti
Жыл бұрын
言われるまで忘れてた❗️
@Kanade.Sumeragi
Жыл бұрын
今どき訪問自体が嫌がられるし、そんなのでは生活できない時代だしね。チラシのポスティングが似てると言えば似てるが…
@ikzo44193
Жыл бұрын
科学と学習 届くのが待ち遠しくて 学研のおばちゃん家に 取りに行った事有るわ
コンビニとかで焼き芋は買わないけど石焼き芋の行商人からは買ってみたくなる衝動に駆られます。 懐かしさや情景があるからでしょうね。 今では少なくなりましたけど消えないでほしいな。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
ガキの頃リアカー石焼き芋のおちゃんが坂を引いてる時手伝ったら芋くれたなリアカー自体見ないが
@user-kj6dg8oj8l
Жыл бұрын
石焼き芋屋って、調理しているわけじゃないので(あたためただけ)、野菜を売るだけということらしく参入のハードルが低いって聞いた
電話売買仲介人が減ったのは、携帯電話の 爆発的な普及もありそう。固定電話を 持たない人も増えたというから。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
今だとただでも要らないしね、年寄りも置き電派が多い、置き電辞めて携帯の方だけなら詐欺も少しはって無理か
@user-js8ir7dw3r
Жыл бұрын
三口ぐらい(実家あわせれば五口)あったんだけどあれはどうなったのかなあ?
「俺はムショから出てきたばかりだ、ゴム紐を買え!」っていう押し売りを漫画の中でしか見た事ない…
@user-js8ir7dw3r
Жыл бұрын
幼稚園ぐらいのとき来ました😅
@iwksutdhj7720
Жыл бұрын
サザエさんで見ました
お恥ずかしながら、生まれつきおならがたくさん出る体質なので、海外で「放屁師」という職業があった時代に憧れています。現代では全く理解されない職業だと思いますが、時代の移り変わりでここまで変化することが興味深いです。
@ms-tk
Жыл бұрын
屁負比丘尼だね
前の職場、入社した時は、 文章作成は「一太郎」、作表は「Lotus」だったけど、 数年後には「Word」と「Excel」に切り替わったな。
@mogela2875
Жыл бұрын
一太郎は構成のやり易さが秀逸でLite2まで使っていました、同梱されていたメーラーshurikenも使い易かったですね Lotusは123に同梱されていたデータベース、アプローチが軽くてDBFを標準で作成してくれたので結構長く愛用しました
私も昔ながらのマニュアルタイプライターで英文タイプを覚えましたが、あれは長年やっていると指の関節がダメになる代物でした。なくなってよかった職業かもしれません。 また、ミシン販売員のところで、「昔は良い物(良い服)を修理して長く使った」と言っていますが、確かに間違いではないですが、今のように安くてまあまあの品質の服が売られていなかったので、持っている服を長く使わざるを得なかったのです。私の母は婦人服専門の洋裁師で、昭和30年代にはサラリーマンだった父の月給と同じぐらいの収入がありましたが、昭和40年代にはいると仕立ての仕事が激減してサイズ直しが主になり、昭和50年代に入ってそれもなくなって廃業しました。
ちょっと違うけどパチンコ屋のマイクパフォーマンス! 開店直後などに「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」「ジャンジャンバリバリ!」とか平成初期まで言ってましたね。
@user-je7ip6ok2t
Жыл бұрын
あれ面白いですよね ひらけチューリップってコミックソングを思い出します 昔、池袋の某パチンコ屋は朝10時にシャッターを開ける時にロッキーのテーマを流していたせいで ロッキーのテーマ=パチ屋 ってイメージがこびりついてしまった😅
@garisan7476
Жыл бұрын
@@user-je7ip6ok2t 昔は開店直後などに流れる音楽やマイクパフォーマンスで打ち手を煽る😌現在は役物の派手な演出で煽ります😞
@user-qq5sk3xv4g
Жыл бұрын
軍艦マーチに必要は命だけ。(笑)生きる喜びを共に。(笑)
@user-zb5bi5et6o
Жыл бұрын
あのマイクパフォーマンスは、警察当局より 射幸心を煽る‼️ということ、お客様より五月蝿いと 同じ時期に意見があり、行う店舗減っていきましたね。 少し前、今年ね、新宿だか池袋だかの グリンピースってスロット専門閉店して あそこが最近までマイクパフォーマンスしてたような? 確かに下手くそなマイクは五月蝿いだけ… 自分現役時代は閉店後に練習させられたです。
カシオのワープロもってた。パソコンのワープロソフトは一太郎が主流だったな 懐かしい
ワープロ以前に「和文タイプライター」というのが有りました。文字盤と活字が収まった箱が連動していて、文字盤上の文字にハンドルを合わせると、活字が飛び出して用紙に打ちつけられる仕組みでした。
@ooutsuke1560
Жыл бұрын
学校の先生がぶつぶつ呟きながら文字を探して やっとみつけたら「カシャ」 こどもの頃に見た記憶
@user-yk7op3no1s
Жыл бұрын
免許証の更新時に利用してました。 旧字も印刷できた様な気がします。 今は旧字はどうしているのでしょうねー?
@nosukee
Жыл бұрын
和文タイプ懐かしいですね。母が内職で毎日ガシャンガシャンやってました。
@user-mi5uu4sb6u
Жыл бұрын
ガシャンコガシャンコと一生懸命打って終わったと思って用紙を見ると同じ所を打って進んでなかった。😢 実際、検定試験でよくあったんだよね。
@user-im5zm5fg3j
Жыл бұрын
平成初期に中学生だったけど、クラブ活動でタイプクラブあったわ。
いいこと言う。この前別の動画で「最近手抜きの安い豆腐が流行ってるから、昔ながらの豆腐屋さんの豆腐を買おう」とかいう動画があったけど、ディスるのもめんどいから放っといた笑
奇術師あたりは海外のオーディション番組で日本人奇術師を見かけるので、職業としてなくなったもののこれからの活躍が楽しみ
@user-pu3ze3jw5z
Жыл бұрын
寄席に普通にいるよ?
@user-jh6op6gq9w
Жыл бұрын
@@user-pu3ze3jw5z 職業としてなくなっているのに、変わらず寄席で活躍しているの素敵ですね。
@chilly143
Жыл бұрын
@@user-pu3ze3jw5z 職業としてなくなったって言ってるのに日本語読めんのか
@aaaa-qv6kq
Жыл бұрын
職業分類からなくなっただけで居なくなったわけではない 昔のように細かく分類してたら今では漫才師、コント師、歌ネタ師とかに分けられるんだろうけど弟子入りして専業でやる時代じゃなく様々なジャンルに手を出すから細分化する意味がなくなった
取引所の場立ちといえば、体育会系出身者が重宝された職場だった。
年賀はがき作製マシーンとして家にあったな平成11年頃
昔うちに来てた保険料集金人の方が萩本欽一さんの実のお姉さんだったんだよなぁ…… 子供の頃なんとも思ってなかったけどよく考えたら凄いことと気づいた頃にはもう集金人が来ること無くなってたなぁ。 あと薬屋さんが家来てたり米屋さんが家来てたり豆腐屋さんから豆腐買ったりもしてた。 昭和55~60年頃の話
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
富山の薬売りですね懐かしい
@iwksutdhj7720
Жыл бұрын
お米屋さんでプラッシー買ってもらいました
御用聞きは酒屋、米屋、魚屋(刺し身や煮付けように加工下処理も)、大工(簡単な修理など)見なくなった チンドン屋も。豆腐屋も数年前リアカー販売が逆に新しく復活?したのか赤坂や都心でのぼりを見たがまた見なくなった昔は豆腐ホーン(名称分からす)とともに売りにきて鍋やボウルを持って豆腐を買いに行ったもの
@pastatomato5591
Жыл бұрын
クリーニング屋さんも自転車で仕上げたワイシャツやスーツ を届けに来てくれてました。帰りはまた(クリーニングに出す)洗濯物の服持って行ってくれてました。
刑事さんが調書を作る時は未だにワープロめっちゃ使うよ
化粧品も家に売りにきたな😊 昭和か(笑)😅
書類に電話番号の欄と、携帯電話番号の欄があって電話番号欄に「なし」と書くと不審に思われる時代があったなぁ😅
少し前に大阪でガチ屋台のラーメン屋見かけて感動したなぁ ラーメン屋の屋台の台車引いてた
『タイプライター』と言う『曲』がある。 大真面目でやっているところが面白い。 オーケストラ付き。 ( ̄▽ ̄;)
@hirotsuchi2686
Жыл бұрын
あ・・・・あなたも覚えておられましたか、その曲を。
@user-jr6ow4ol9x
Жыл бұрын
ルロイ・アンダーソン作曲です。
@zadkmb
Жыл бұрын
多分あの曲だな…と、なんとなくわかる。
@user-ge1gx2cb4y
Жыл бұрын
子供の頃、家に英文タイプライターがあったので音が好きでちゃんと打てないのに脳内であの曲鳴らしてなんちゃってタイピスト遊びしてたー😂
『毎度おさわがせします』のオープニングでも、出てた『ちり紙交換』とかあった!映画館のもぎりとかもあったよな…
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
杉並区でコロナ前ですがまだやってましたねやり方を変えて新聞や自らで雑誌や本などもトイレットペーパーと交換で
@user-js8ir7dw3r
Жыл бұрын
昭和40年代前半鹿児島の某市で中森明菜の母親がもぎりしてました😅まだ独身かな?
@iwksutdhj7720
Жыл бұрын
「毎度おさわがせします」といえば C.C.B
叔母が郵便局の定期預金で郵便局員が来てお金預けてたな、デパートの外商とか。 ミシン販売員(レンタル含む)とか黒電話お掃除人とか色々居たなぁ…。
うちの田舎は昔置き薬ババアと野菜売りのババアが定期的に来てた。 置き薬は期限が切れるから使ってくれと言われて無理矢理買わされたり、野菜売りは居留守使うと玄関に勝手に野菜置いてかれて、後日きっちりお金取りに来て親がイライラしてた事思い出した
最近、知り合いが脱サラして、夏は農家冬は焼き芋屋を始めたw
速記氏と言えば国会。 記事: 『国会に欠かせぬ「速記」のスゴ技 極限まで簡素化した独自の略符号』
@user-mk6tx3vg3r
Жыл бұрын
鴻池さんの速記止めてっての思い出したわ
卒論で一太郎ver3使ってた プリンターはインクリボンのドットプリンター
仕事がなくなるということは、それに伴う技も廃れていくのだろうね。
「ちり紙交換」 「エレベーターガール」 「ローカル線の小駅の駅員さん」 「屋台のラーメン屋」 「でっかい荷物担いだおばあちゃん行商人」 「サンドイッチマン」 「早朝の牛乳配達」 「駅前にいた靴磨き」 私が思い浮べるのはこんな感じかなー
@noburin2180
Жыл бұрын
エレベーターガールはとあるタワーに存在 屋台のラーメンは中洲でいっぱい 牛乳配達も全国に有り 駅の靴磨きも東京にあります!
@takamiso
Жыл бұрын
@@noburin2180 屋台のラーメンは中洲でいっぱい… 1960年代は400軒以上今100軒ほどだぞ…適当過ぎる… まぁ文化としてどうやって存続させるかを議論し始めたけどね…
@noburin2180
Жыл бұрын
@@takamiso いつの間にか消えた職業について話しよるんやけど! 100軒もあるんかい! 全然消えてないやんwww
@_TX_user
Жыл бұрын
紙芝居屋 銭湯の三助(客の背中を流す仕事) パンパン(売春婦)や遊女 職業軍人
6:06昔、雑誌に速記講座の広告が掲載されたなぁ~。 (「日ペンの美子ちゃん」は健在だけど。)
@user-se5je4hg3t
Жыл бұрын
知り合いに速記を生業とする方おられますが、最近お会いしてないなー まぁ失業したと言う話も聞かないですし、まだ働いておられると思いますが、 最近では録音から文字起こしするソフトも高性能化してますから、 いずれ普通の事務員さんとかが文字起こしされたのをチェックするとかになっちゃうのかもですね。。。
だが一番消えて欲しい自宅警備員は増え続ける いつか令和に消えた職業としてここの動画で紹介されたらいいな
@user-dm9ft4lf7x
Жыл бұрын
その自宅警備員も親との確執で消えつつあり 今は自室警備員が増えていますねw
竿竹は半年に一回くらい来る 豆腐や冬季の灯油もちょくちょく来るけど音楽で集めてますね
高齢化と過疎化が進んだ地域だと移動販売の需要が増しているので ひょっとすると呼売人が復権するかもしれないと思いました
トラックで回って来る呼売りと言うと、冬場の灯油売りはまだ健在ですねぇ。灯油使う物がないので利用したことはないんですが。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
東京都内の賃貸はほぼ灯油禁止(東京都のルールか?)戸建てかマンションぐらいですね
「注文取り」で思い出したけど、アニメサザエさんにほぼ毎回出演していた「三河屋さん」はまだ健在かな、最近サザエさんどころかテレビを付けなくなった。
@matsu6909
Жыл бұрын
実家が飲食店だけど、「今日はどんだけいります~?」っていう御用聞きの電話がかかってくる。人間はこないけど。 企業とかでも定時に注文とりにきたりする御用聞きとかいっぱいいる。商品だったり、郵便物を回収しにくる局員さんだけど。
@user-meriodass
Жыл бұрын
未だに黒電話っすもんね… あと波平さんの 普段着が和装w
タイプライターは絶対にハッキングされないから機密文書作成で使われているんだよ
電話交換手というのもありましたね?
電話は昔10万以上してたから仲介でも請けられたけど携帯普及で総崩れしたね。 農業はjaになったしまともに機能してる仲介って不動産と弁護士って言われるぐらい減ったね。
銭湯♨️存続してほしかった
母が当時働いていた会社の上司は元新聞記者で、相手の電話を一字一句漏らさず速記出来たそうな…。
タイピストはともかく、ワープロを打つ専門職なんてのがあるのは初耳だった。 バブル期ゆえの職業かな。氷河期入社の私の頃はワープロなんて自分で打て言われた(営業職)
@user-iv9dl3uo4p
Жыл бұрын
ワープロ世代じゃないからどんな仕事なのか分からないけど、 今で言うデータ入力じゃないのかな… あれも文字打ったり数字打つだけだけど それ意外の仕事あまりしないし…
シャープのワープロが今も実家に残ってます。事務員やっていた母が使ってました。 私も当時小学生だったけれど、ローマ字のタイピング練習に重宝しました。
ちなみに、今は速記の代わりにリアルタイム字幕を作成するような会社が記録していたりするんだよね 専用のキーボードで打つ会社もあるけど沖縄にある会社は普通のキーボードで高速で打ち込んでる。 音はラグが少ない電話で聞きながららしいよ
米国は場立ち人や才取人をあえて残してるみたいですよ
ミシン販売員ですか。うちの母もこんな人から ミシン買っていました。実は最近になって頼んだ ミシン修理も、当時買った販売員さんです。 ただ今は独立して修理屋さんをやっていますが。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
修理やも減りましたね、出来もしないのに看板掲げて「あこっれ部品無いから交換ですねって」高いかいものをさせようとする便利屋に頼んだら20分の1ですんだ工夫して治す見事な腕前。勤め先の空調室外機も1機200万円工事費込み でも同じで替えを進める、結果別の所のベテランが来て基盤が割れてたから修理したよって小一時間で200分の1ですんだ、宣伝だけは一人前のとこは信用できん、ちなみにどちらも技術のない若手ですが
呼売人というかトラックなどで繁華街に売りに来ている人は増えているイメージですね たこ焼き、ベビーカステラ、ケバブ、チョコバナナ、ウインナー、ホットドッグ、移動式のバー的な感じでお酒を販売している人もいます
今は郵便局が全部やってるけど大阪なんばの近所に住んでた時 近くに電報専門の独立した配達?センターがあったな
焼き芋屋さんは農閑期の冬に多くて、いわゆる兼業農家の1形態でやってる人が多かったそうですが 農家でない人もやっていて、その場合は夏場に竿竹屋さんになってたそうです。今でものこってるのは冬は焼き芋夏は竿竹な人なら納得です。
@akita1934
Жыл бұрын
焼き芋はレンジで出来るしスーパーコンビニで売ってるからね。
@kou2199
Жыл бұрын
竿竹屋さんはぼったくりの悪名が響きすぎてほとんど見かけなくなった。
@user-my9ug9xr3x
Жыл бұрын
焼き芋屋さんがあるのは知ってましたが、竿たて屋さんがあるのは知りませんでした。
@pip50505
Жыл бұрын
@@kou2199 自分で持って帰れないのが伸縮するし届けてくれるようになりましたしね。
@LemonMousseDumpling
Жыл бұрын
焼き芋屋さんはごくたまに冬場に走ってる時あるけど、ほんとにごくたまに、1シーズンに1回聞けるかどうかだわな……
昭和58年頃には和文タイプは「近い将来消えます」状態になってましたBY和文タイピスト
平成の最初の頃までは学会の抄録はワープロでは印刷が薄くなるからと言ってタイプで打てと言われてた。 PCが結構流通し始めて92,3年頃からワープロでもOKになったなぁ。
チンドン屋、靴磨き、デパガも消滅した感じだよね・・・ そのうち、スーパーやコンビニのレジもAIの発達で消滅するのかなァ・・・
洗濯の注文取りか。ホテルのほかには 恐らく病院を含めた医療関連ですかね。 ここでもベッドシーツやパジャマ。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
大きい病院はリネン室は必ず作るからな知らないまに作らないと行けない法律だかルールになってそう薬局が別になった用に
ワープロのない時代は和文タイプライターというのもあって、和文タイピストという職業もあったんだよ!
キャバクラはコスパいいどころかキャバレーより高い ススキノでは意味が違ってくる😅
ワープロ操作員やタイピストは無くなったよりは仕事道具が変わったと言った方が良さそう
職種にもドラマがありますね
キーパンチャー養成とか早稲田速記とかジャンプとかマガジンの最後のページにあったぁ
呼び売りで最近でも多くあるのは、灯油じゃないでしょうか。最近では、ネット注文による宅配もあるわけですが、少子高齢化が進むにあたって、呼び売りの復活とか、あってもいいように思うんですけどね。形を変えて、キッチンカーみたいなのは、出てきてますね。反対の、リサイクル業者などによる呼び買い、無料引き取りは、時々来ますね。
キャバクラの語源ってキャンパスクラブって記憶があったけど違うんだ。はじめて知った
就職した頃、まだでかいワープロが据えられていました。でも立ち上げるだけで30分もかかるような代物で、操作できる古株OLは仕事が溜まっていても定時になると帰っちゃう有様。なので自分でワープロを買って来て使い始めたら同僚達も後に続き、間もなくワープロ係は廃止に…。
@user-un4uy7hr6c
Жыл бұрын
古株はお払い箱
鴻池さんの速記止めてっての思い出した>P献金
今、人手不足なのはだいたいがこの先消える可能性が高い職業 そりゃ10年後20年後に存在するかわからない仕事なんてやりたくないわな
平成にはすでに消えてた職業もいくつかあるなw
小学生から国語の授業が大好きで、遊ばず色んな本を読み漁る毎日でした。高校から始まった古典のテストでも満点を叩き出したよ。 だがバズる?ディスる?。わからん。世間、世の中に着いていけんわ……。
卒論は自分はワープロ専用機の書院で書いてたが、周りの人はPC98用の一太郎で書いてたな。1990年頃の話。
@user-ic3bj4rx6l
Жыл бұрын
ハードディスクで驚いていた時代ですね一太郎が起動が早くなってよかったのもつかの間ハードディスクが進化が早かった SSDも速いね
写植オペレーターも平成で消えましたね😂
建築板金業が消えた。あとは、徒弟制度の大工さんや左官屋さん、瓦屋根職人も。
私は、あまり知らないが昔同僚だった人がキャバレーの話になると止まらない人がいた!
西船橋にはキャバレーなるネオンが毎晩煌めいてます。
九州のド田舎から近鉄王国の某県に出てきて、自動改札に驚きました。JRは入鋏の係の人が複数いましたが、近鉄は改札には不具合対応のために一人二人いるだけで、入鋏には携わらず。さらに近鉄でも車内検札がたまにありましたが、最近はICカードの普及によるのか、それも見なくなりました。運転士、車掌の仕事はなくならないでしょうが、チケットの変遷によってなくなったり新しくできたりした仕事があるんでしょうね。
職業をふんふんと聞いてるうちに子供の頃の風物詩が消えてることに気づいてしまった。 リヤカーにたくさんの風鈴をつけたり、金魚やメダカを売りに来てはたくさんのお客さんがそれを囲んで吟味して買っていた。 うちは商店街にあってお店の2階3階に住んでる人がいてそういう物売りにはわらわらと集まってきたものだった。 トラックから公園などに下ろした瀬戸物屋さんも定期的に来て、街中のお店とは違う色柄の食器を眺めるのも楽しかったものです。 カメラで撮ったフィルムを小さなカメラ屋さんに持って行って現像してもらうのが当たり前。 レコード専門店もあちこちにあってたまにどさ回りの歌手が店頭で歌ってたり、街中には常に音楽が流れていて全市連合大売り出しの宣伝カーが声を張り上げていました。 JASRACが文句を言うからそういうのは本当消滅した。 あと、馬車がトラックの前身で車道を行き交っていたのであちこちに蹄鉄を打つお店?があって、下校途中に眺めていたのを思い出す。 お馬の脚を曲げて木の柵に固定してから蹄をカンナみたいなもので削り熱く焼いた新しい蹄鉄をつける時ジューっと音が聞こえて釘で打つのが子供には魅力的に見えたんです。 車道には馬糞が落ちてて乾くと風で飛んだりしてました。 駄菓子屋のくじを引くのがワクワクした記憶があります。 駄菓子屋は老夫婦がやってて花火もそこで売ってたはず。 5円玉10円玉を握りしめて毎日通ってたなぁ。
@iwksutdhj7720
Жыл бұрын
馬車が日常生活にあったんですね
平成初期でも充分便利だったのにこれ以上便利にならなくていいよ
何く薬のセットみたいなの置いて欲しいみたいなんも来てたな。大体どの家行ってもあの箱あったイメージ
@pastatomato5591
Жыл бұрын
置き薬ですね!主人の実家ではまだ来てます(汗)
国会法で速記者が記録する以外の方法で質疑を記録する事は禁止されています。
キャバレーは名古屋にも有るますね〜
百年~数百年先には車の運転は自動化され、自動車教習所の教官が居なくなるかも。あと、自動改札が一般化する前は駅で切符を切っている人がいたらしい。
@user-pb3ux7sg
Жыл бұрын
今はスタンプだけど地方ローカル線なら切符の改札員は現役です。
音楽をネット配信で購入するようになるとは、昭和世代のオッサンには驚きですよ。後は御用聞きは、サザエさんのサブちゃんですよね。今でも高級住宅街の近くに、魚屋さんとかが残ってるけど、あれはお屋敷とかに、刺身の盛り合わせの注文があるんでしょうね
株は大勢の人間の手を振って売り買いした方が景気が良く見える。電光掲示板が早くスクロールしても景気の良さは分からない。
キャバレー自体が絶滅寸前じゃないですか? 北千住のキャバレーハリウッドも快活クラブに代わってしまったし
奇術師は今もてじなーにゃでお馴染みの山上兄弟などまだいらっしゃいます。 演芸場などもまだありますからね
数十年前に、とある映画のエキストラに参加したときに他のエキストラの男性からコーヒー誘われて喫茶店に付き合ったら、ネットワークビジネスの誘いだった。 男性によると「数年後には靴下一足でもネットで注文して家に届く時代がやってくる」と言っていた。 当時の私は『靴下一足の為にわざわざ配送!?んなアホな…これだからネットワークビジネスは胡散臭いんだよ…』と一蹴し、その男性からその後連絡来ても会う事はしなかった。 そして現在…確かに靴下一足でもネットで注文して届く時代になっていた…。
>ワープロ。 PCと比較した場合、液晶の劣化が早かった。1996年に買ったものが、2004年には全く使えなくなっていた。画面が黒くなったため。それに対し、ノートパソコンの画面は寿命が長い。2010年に買ったネットブックPCのスクリーンが今でもキレイで、稼働状態。
アハハハ🤣 『知ってるわい!』 笑った🤣