【ゆっくり解説】卑怯過ぎて名を轟かせた戦国最悪の卑怯者5選このチャンネルでは「日本史」をテーマに配信しています。ぜひチャンネル登録して動画を待っていただけると嬉しいです!▼チャンネル登録 / @yukkuri-j-history #日本史 #ゆっくり解説 #卑怯者
仙石秀久と山内一豊は、あの世で一領具足達に突かれる無限地獄におるぞ
最終的に大名として生き残った仙石秀久の名誉が江戸時代を通して全く回復されない時点で 戸次川の戦いが言い訳不能な失態だった事が良く分かる
こいつが先鋒になって釣り野伏せで戦死してれば…。
@@user-tm5kh2cw6e 長宗我部信親も戦死することはなかった
あれは・・・・あの尼子、大内を滅ぼし、 秀吉さえ簡単には勝てなかった毛利を 散々苦しめた大友やその大友苦しめた龍造寺を 赤子の手を捻るが如く壊滅させた。 島津を長宗我部だけで、戦えは、無理だと 秀吉に分からないはずがない・・・・ これは小牧長久手で、秀吉を妨害した仕返し人事 の一貫じゃないかと
と言うか、仙石が四国攻めで苦戦したので その当てつけ(報復)で四国諸将に無理な戦闘を指示したとも 言われてますね。@@user-jr3px8zk5e
馬謖と仙石秀久
山内家は相撲事件以上に幕末までもアパルトヘイトを続けたから嫌いなんだよなあ
二代忠義が野中兼山を登用して融和政策を図りましたが、三代忠豊以降元に戻っちゃいましたからねえ
まあそれも仕方がない面もあるんだよな。 そのアパルトヘイトの連中の方が『身分が上』というとんでもない事実があったりするからな(笑) 経済的には完全に負けてるし(笑)
長宗我部の旧臣達も仕方無いことと割り切って山内に恭順すればまた違ったかも知れない。
@@user-jf9tf6pe1n それ。そもそも浦戸一揆なんてガイジムーブ起こしたから徹底的に粛清された訳やし
そもそも土佐なんて薩摩並の蛮族エリアを凡庸な大名が統治したらそうなるっしょ
一領具足の件があるから、山内家は土佐で今一つ人気がないのだと思います。
幕末にまさか長宗我部の家臣の子孫達に復讐されるとは…
後は勤皇党の大弾圧ね😮
@@user-ii4gb9mk1v返り討ちにしとるやんけ。土佐藩から明治政府に行ったの後藤や板垣とか上士だし
私はスロバキアにいた頃、大学で日本の戦国時代の歴史を学習しました。 戸次川の戦いは豊臣秀吉の陰謀があると思っています。 秀吉が仙石に渡した手紙では「援軍が来るからそれまで守りに集中しろ」という内容でしたが、仙石が君主の命令を破ってまで戦ったのが不自然に思いました。真の命令は「島津と戦って長宗我部を弱体化させろ」だったのではないでしょうか。 長宗我部は豊臣に屈したとはいえ、かなりの力を持っていて、後継者の息子も才能豊かな人物だったようです。秀吉としては非常に厄介な存在だったと思われます。 次に、派遣された豊臣軍の武将である仙石秀久、十河まさやす、長宗我部元親は過去に敵同士であったため折り合いが悪くなるのは必然です。話し合いもまとまらないだろうし、何かのアクシデントが起こることを期待しているような組み合わせです。 戦いの結果は豊臣の惨敗で、十河と長宗我部の息子は命を落とし、指揮官の仙石は無様に逃げたにも関わらず処刑されなかったのは、単に秀吉の昔からの家臣という理由だけではないでしょう。
朝倉宗滴「犬畜生と言われようが勝つのが武士の本分」
大義名分の無い裏切りは支持されないゾ
武士は、犬とも言え、畜生とも言え、勝つが本にて候
流れ的に見ても、仙石秀久が戸次川であんな事しなければ山内一豊による大虐殺も起こらなかった。四国大名にとって不幸の連鎖。
裏切りや失敗をしたとき、メチャ叩かれる場合と、そうでない場合がある。 秀吉だって手取川の前に勝手に帰っちゃったし、利家も賤ヶ岳のときに勝手に撤退して勝家の敗因をつくった。 ふだんの人なりが、影響してるんだと思う。
この中で荒木村重だけは超優秀なんだけどな。なんなら織田方面軍団長になっててもおかしくない。地盤がなかったのが痛かった。
私も、そう思ってます。 むしろ、好きな武将です。
信長公は説得しようとしてたのにね。だからこそ怒りは倍増した
文化人としても知られている側面もあるので、文武両道の傑物なんですけどね。 優秀であるからこそのやっかみもあったのかも。
氏素性がわからない秀吉とか明智の下につくのが嫌だったんやろな
軍資金or毛利への手土産にしようと思って名物茶器を持ち出したら、「妻子よりも茶器の方が大事」とか言われてしまった。
江戸時代に入ってもしばらくの間は「騙される方が悪い」という考え方が一般的だったし、忠義だ武士道だと言う話は後から作られたものだから、この人たちのやったことは当時としては当たり前のことだったと思うよ。
功名が辻では山内一豊の…軍師官兵衛では荒木村重のエピソードが描かれてましたよね
一方的に裏切った荒木に対して、戦国大名としてはものすごく甘い提案、解決策出してる信長を鬼畜扱いとは恐れ入る。
信雄より長益(有楽斎)の方が卑怯者感ある
卑怯者というより臆病者かな?それ故生き長らえたともいえるのだが。
@@user-qy2yg7xi8z 本能寺の変の時やろうと思えば信長を脱出させる事できたのに それをせず自分だけ逃げて生き延びたからね
@@user-co4uy9zu1s 信長でなくて息子の信忠の方じゃなかった? ま、有楽斎が卑怯であることにに変わりはないがw
織田の源五は人ではないよ
信忠生存していれば、歴史が大きく変わってたのに。
山内は器に過ぎた所領を与えた徳川も悪い
国も大名(譜代じゃないし…)も厄介払い(国を保てねば改易、鎮圧できたら儲けもの)したかったのかも…。
掛川城差し出しただけで 5万石が24万石だもんな
@@user-co4uy9zu1s 徳川家康は土佐の石高はもっとあると思っていたらしい。
それはしゃーないっちゃしゃーないよ 大阪夏の陣で豊臣家滅ぼしたけどその時点で250年近く続く幕藩体制が出来るなんて思いもしない訳で まだ火種燻る時代は必然的に有能さより忠誠心の高い武将(或いは反乱を恐れ意図的に凡庸を)取り立てて政権を固めるより他なかった
荒木は、逃げ続ける中で「道糞」として名前を変えるところが、完璧な悪者になり切れない人間味を感じて好きなんよ
荒木村重の場合は「家中唯一の親織田派であった村重をクーデターで追放した親毛利派の家臣達が村重の名前で謀反を起こした」というのが真相ではないかと思ってましたが・・・・・ 村重を説得に赴いた黒田官兵衛が長期幽閉されたのその事実が官兵衛にバレたからではなかったかと。
卑怯者って言うから権謀術数の成り上がり宇喜多直家や表裏比興の者、真田昌幸なんかを期待してました。 今回の武将は小賢しい狭量の小物しかいませんね。 この中で実力者は荒木村重だけやんね!そして個人的には仙石が一番嫌いだー
幕末に中心になっていくのが下士というのも因縁めいてる。
土地をもらったら、最初に一揆と正面から戦って鎮圧していった秀吉の部下たちがシンパシーを受けるのは、こういった背景だったのね。
「根切り」といって、民間に分け入ってゲリラ掃討戦。当時の宗教勢力は実にタチが悪かったから。
コメ欄が案の定山内家への集中砲火で夏草
高知県民からしたら気に入らないだろうねw(by高知県民)
信雄の安土城放火は怪しいけど 出来がよくなさそうなのは確かだ だけど情報リークなら結構多くの人がやってそう
村重君より中川君の方がヤバい
荒木村重は明智光秀や羽柴秀吉を超える織田家臣団の中でも飛び抜けた出世頭だったものの、与力として付けられていた高山右近(もしくは中川清秀)の配下が包囲されている本願寺へ兵糧を運び込んでいる事が発覚、信長に事情聴取の為に呼び出されるも、行ったら成敗されるという右近(清秀)の言葉に乗せられて謀反を決意したと言われてますね。 村重の計算では右近と清秀を前衛として持久戦に持ち込み、本願寺・毛利の支援を受けて信長の討伐軍を撃退する予定だったものの、信長は短期決戦を目指し北陸などへ遠征中の方面軍まで呼び寄せる想定外の規模となる討伐軍を編成、張本人である右近(清秀)は戦わずしてあっさり降伏してしまい、信長率いる討伐軍は何の障害も無く有岡城を強襲します。 ところが有岡城は広大な惣構を持つ堅城だったので信長が指揮する強襲に揺るぎもせず、これに驚いた信長は一転して長期戦に切り替えたのである程度は村重の思惑通りになったのですが、本願寺も毛利も織田勢に苦戦を強いられて戦況を打開するめども立たず、一年近く包囲された末に村重一人生き残る結果になったとか。
あの時代の摂津勢ってコロコロ寝返って、本当に信用できなかったからね…。 中川云々のくだりは「信長公記」あたりに記述があったような気がします。 仮に謀反がなければ、明智の代わりに四国担当になれていたかもしれませんねえ。
清秀や右近が織田に降るの促して人質も傷1つ付けずに解放した聖人荒木
徳川慶喜「何て卑怯な奴らなんだ」
山内家のやり方は後に多くの藩士から反感を買って最終的に坂本龍馬による大政奉還に繋がっていく訳か…。
歴史って過去から未来へ因縁が続いて行くから面白いですよね。
龍馬は大政奉還には無関係。
とはいえ、一領具足とかいう特殊な武装集団を放っておいて一揆でも起こされた日には仕置の不手際を理由に改易の口実にされますからねぇ。
坂本龍馬による???
坂本龍馬の家は裕福な金貸しで郷士株を購入して武士になってるからそれは当てはまらないと思う
村重は利休十哲の1人で、本能寺の変後堺に行き秀吉に誅される事もなく茶人道薫として過ごしたので、正に芸は身を助けるだと思います。
信雄は無能とか言われながらも、生き残って子孫も残してるから 最後まで生き残ったものが強者を体現した存在ともいえる。
北条との交渉をやってたし、口が上手かったんでしょうかね? あいつは何もできんやろと思われてたこそ、生き残れたのか?
信長が天下人だったとは認められません 足利義昭が将軍として鎮座していました 禅譲された秀吉の天下は認めることは可能だと思います また軍規的には 馬鹿の仙石は軍に当たるよりも城を抜くべきでしたねと言いたい それか大友の防衛に専念すべきでしたかね 敗残の兵に責任を取らすだけの秀吉も秀吉ですね それで自滅したんでしょう 攻め急いで自軍を滅ぼした者に破滅あれ
同い年の兄弟でも26歳で切腹させられた信孝とは対照的な結果
でものぶおの子孫は天童藩に移転した後、凄まじい重税を課しましたよ。
子孫になったら他人よ あの信長の子がのぶおなんだもの
功名が辻では部下のカマキリおじさんが勝手にやったことになっていましたね ドラマとしては大変面白かったです
カマキリおじさん、幼なじみの千代に横恋慕していた設定だしな………
滝川雄利さんの参考画像にしてるお方が…丹羽長秀さん?
信雄の血は巡り巡って皇室に入ったことを考えると歴史って面白いなと感じる
仙石が一番ムカついたね その後長男を死なせた元親は心を病むんだよね
卑怯過ぎってのは違うんじゃないですかねえ
山内一豊が大河の主人公に なったとき笑ってしまった。 あんな雑魚キャラやるくらいなら他にいくらでもいるのにね。
大河の主人公は一豊ではなく千代だったと思います。
あれは奥さんの千代さんがメインだからな。一豊はオマケ。
因みに武田鉄矢(坂本竜馬の信奉者であり「お~い!竜馬」の原作者)が憎むべき敵である山内家の家臣役を演じた時、悩みながらもその役を引き受けたのだが、その理由が「土佐に入る前に死ぬ役」からだそうで……… 更に言うと「お~い!竜馬」は山内家憎しから山内容堂をことさら極悪人に描いており、山内家の子孫からクレームがきた程。 とうとう作画担当の小山ゆうが武田鉄矢の指示「山内家は最後まで悪役として描け」を無視するようになった。
四国では盛り上がってましたよ。 後年、歴史好きになって??でしたが、あれは奥さんの物語だから、、。
功名が辻、読んでな
信雄からしたら自分の父親の地盤をかっさらっていった元農民に対して何も思わないわけがないんだよな。寧ろやり返してせいせいしてそうだし、割と世渡り上手の有能だったのかもね。
滝川雄利はこの後秀次事件や関ヶ原(西軍につく)の時なども上手くくぐり抜け、片野藩の藩主になるも晩年は娘の早逝、跡継が病弱ゆえに片野藩は二代で絶家になるなど晩年はやや寂しいものでした
安土城放火犯は他にも色々な説があるから……。
信雄の一族は幕末どころか現在進行形で子孫は現存している。
ただしフィギュアスケート出身の某氏は無関係
山内は堀尾氏の献策を自分のものにしたんだから、本当救いようが無い よく大河になったもんだわ
大河ドラマが放送中に高知に帰ったが、高知駅のパンフレットがめっちゃ捨てられてた(笑)
まるっとさくっと千夜のお話だったりして、功名が辻…😅
やっぱり高知県の英雄は、土佐の出来人と呼ばれた長曽我部元親なんでしょうね。
高知県の人からすると長宗我部の大河の方が良かったでしょうしね。高知県で山内家はよく思われてないから、妻を前に出して女受け大河の形にするしかなかった。
小説功名が辻でも 一豊と千代の最後の会話は 一豊「わしが無能だからか」 千代「はい」 だったし、 一豊は一貫して「良くて中の下」 くらいの書かれ方をしてましたね。
前者3名はきっちり栄達を掴んでるので 卑怯者と言われるよりも企みや時勢に抗えず滅んだ方がよほど情けないと言う話 (荒木道糞君以外は)
信長に不憫と言わせるとか… それはそれとしてノッブの見せしめ容赦ねぇな。
軍艦✘ 軍監○ 動画の中だけなので変換ミスだと思うけど、一応。
9:15 も・・・木造
宇喜多直家「やったぜ」
三大梟雄定期
@@yamadataro4393 陶晴賢「まったくやで」 山中鹿之介「おいコラお前ら全員並べ」
山内一豊の愚行が、幕末には坂本龍馬をはじめとした土佐藩出身の志士を産んだわけで、歴史の面白さでもありますよね
山内一豊を上げるなら黒田親子や戸田勝隆も上げないと。卑劣さで言ったら黒田親子の方が酷いし苛烈さで言ったら戸田勝隆の方が酷い。他にも豊臣徳川の有名武将が参加した九戸政実の乱で九戸城の惨殺とか天下の軍と思えない卑劣さ 山内一豊が卑劣でないと言わないけど、豊臣大名は大なり小なりこの手の事をやっている。行政名人と知られる加藤清正も肥後国一揆の後に入ったのに恫喝や脅迫を駆使して反対派の国人を追い出している
本願寺もなかなかだと思います
大坂の陣は秀吉の画像は秀頼に変えようよ…
独自緩解かな
山内一豊は大河ドラマの主人公に抜擢されたほど(しかも原作は司馬遼太郎)なのに 全国でも高知でもそんなに人気なくてむしろその後にゲームですごいビジュアルで出てきた 長宗我部元親の方が圧倒的に人気・認知度が高いのが全てを表してるなw
地元だけど山内一豊みんな知らんよ 同級生が街頭インタビューで有名な武将で山内一豊言わされてた そいつ引っ越してきたやつだから地元全然関係ない
山之内一豊はこっそりやりくり上手で戦支度をしてた妻の伝説のほうが有名かな 長曾我部は土佐の土豪から一時は四国統一したので人気があると思うが西軍に加わって家が断絶したからout!
まぁ、山内家は外様だし仕方ないよ それに比べて長宗我部元親は実力で四国統一してるからね
いや長宗我部も大概だったよ、ホントに戦国BASARAのきっかけのおかげだと思う。 それまで秦神社とかも今みたいに盛り上がってなかった。 山内家の大河ドラマ功名が辻は、酷い所業は全部忍び役が被っててちょっとそこが残念でした(まぁそうしないと純朴キャラでいられませんが)。 やっぱり高知といえばの坂本龍馬や幕末の郷士たちの頃の山内家はドラマや小説でも敵陣営にしか感じられませんし、好感度は地元民にはないでしょうね(泣)。 まぁ長宗我部も酷いことしてるとこもあるし、戦国のならいっちゃあならいかと思ってます。両家とも好きです。
武田鉄矢は功名が辻で一豊の家臣の役をやってたけど、最初は断ってたみたいね。土佐の上士下士制度を作った一豊が好きじゃなかったんだって
歴史は詳しくないが、山内一豊は寝返りまくりで、大河ドラマになったり評価が高いのが分からんかった。 四国は大変だったんじゃないかな?
卑怯なことをするなら大義名分は用意しないといけない
仙石はこんな大失態をしても最終的に10万石級の大名になるんだから凄いもんだ。 汚点は間違いないが、切り替えていけるポジティブ思考も大事だよね。
その子孫が民主の仙石?
仙石に関しては宮下英樹先生の漫画「センゴク」シリーズを読むといいと思います、まあ主人公だけあってかなり仙石よりの話ですが、キャッチコピーが戦国時代最も失敗して最も挽回した男。
@@tau758 読み(あっちは仙谷)が同じだけですが、まあ、本質は似たようなもんでしょう。 俺もあの糞議員の名を知ってまず仙谷秀久を連想したもんです。
それどころか外様のなのに一時期は他の譜代よりも高待遇を受けてたww
仙石って四国の人には親の仇みたいに恨まれてるからなあ。 長宗我部信親をあんな死に方させたから。
荒木村重が卑劣に思えるのは、奥さんおいてにげたことかな?
山内一豊がいなければ土佐の武士の上下関係も出来ずに坂本龍馬等の幕末土佐の英雄も誕生しなかった。と、考えると複雑です。
センゴクにおける織田信雄は割と好きなんだけどな。 基本ダメな奴だけど後半、秀吉・家康を掻き回して一瞬父信長の不穏な顔を覗かせるシーンは何かを期待させさるものがあったよ。 結果ダメな奴だけど。
12:41 山内一豊
山内一豊の所業はもともと藩の転覆に繋がりかねない一揆の首謀を捉えないとならないやむを得ない事情があったし、鎮静後は長宗我部の家臣も、同じように公平に寵じているあたり、やはり土佐の名君とされるのは腑に落ちる
滝川雄利て、日本武尊みたいだね…
荒木村重がその後文化人として大成して道糞となるところが本番
へうげもの〜
滝川勝利が丹羽長秀にしか見えない
長宗我部以外に、三好も反対したかと…
現代とあまり変わらないね。
土佐に入る時は井伊直政の入れ知恵を参考に、長曽我部の残党を鎮圧した!
荒木村重一族惨殺シーンがたけしの新作で描かれるのかなー。
久武親直が入ってない!(笑)
私は、稲富祐直···。彼だけは、どうしても許せない。一色家、関ヶ原の戦いで細川ガラシャの護衛を任されていたのに放棄、逃亡。ほとぼり冷めてから徳川家へ。
なお鉄砲は得意
信雄の裏切りは、織田の社稷を簒奪した豊臣に対する意趣返しの意味も含まれていた。
同じ卑怯でも愛される武将とそうでない武将がいるよね 真田昌幸なんかはすごく人気があるのに
真田昌幸は大勢力を相手に見事な立ち回りを見せたという事、また次男の真田幸村の活躍にあやかっているのも大きい。
昌幸は卑怯じゃなくて比興だからね 意味的には同じだけどニュアンスがちょっと違う
現代だとデーブ大久保とか仙石秀久っぽいよな
本当に卑怯なのは荒木村重より中川清秀でしょう。 村重「清秀おめぇ何で本願寺に兵糧送ってんだ!俺まで信長様に謀反の意ありって思われるだろうが!」 清秀「ゴメンゴメン!でもさー、信長って一度疑ったら絶対討ちに来るよ?もうやっちゃうしかないじゃん?」 村重「くっ…こうなったらしょうがない…信長を討つ!」 清秀「頑張ってね!ところで信長様、村重のヤローが謀反を企んでます!アイツの情報売るんで僕だけは許してください」 村重「」
山内一豊みたいな器がないのが一時の善行で器にそぐわぬ領地を与えられると、そこの人々は疫病より大禍だよな しかもそれが幕末まで続く山内家独自の身分制までやられたら、歴史的に暗愚と言われても仕方ない
いうほど暗愚か?
あれで長宗我部の旧臣押さえ込んでちゃんと統治したんだから暗愚ではないだろ
@@chevalier0316 暗愚ではないだろう。一領具足への対応は苛烈だったとは思う。 しかし・・・グズグズしていたら徳川幕府から仕置き不行届きとか突かれる恐れがあったから 早急に鎮圧するためにも謀略を駆使するしかなかったとも思える。
その山内家独自の身分制で明治政府に重鎮そこそこ送り出してるのはなんや?
決して「正々堂々戦おう」なんて高校野球みたいなことやっていたわけではないし、生き延びるためには卑怯でもなんでもやらざるを得ない時代だったわけだろ。 それこそ、家康なんて卑怯につぐ卑怯を繰り返して天下人になったわけだ。
個人的に好きな神社巡りだけど、長宗我部崇敬関連と山内崇敬関連の神社は参拝同日に被ったらいかんのかなぁとなんとなく思ってる。 神様になったら皆同じと信じたいけど
信雄のことずっと"のぶお"って読んでた...
火蓋は切られるもの
最初に言っておくけどこの戦国時代は思うほどカッコよくはなく 裏切りに裏切り虐殺粛清もうドロドロな時代だった。 でもそうでなければこの時代は生き残れなかったんだと思う。
荒木一族処刑も一つの虐殺💀
いうて光秀や小早川秀秋には手厳しい声多いよね😮
@@pianochandaisuki基本的に家を滅ぼした奴には酷い言われようだった時代。擁護する人が誰も居ないから悪名とか押し付けられまくりだし。
@@pianochandaisuki 光秀→準備不足すぎ 秀秋→東軍に付くことには特に問題はないが、アル中で死ぬのは情けない。
徳川の思惑で土佐行が決まった山内氏 後の世に土佐の下士が坂本竜馬を輩出して大政奉還の一役を担ったのは皮肉
長曾我部は盛親が兄を殺さなければ土佐半国確保されていた
山内一豊この中で一番卑怯者。これの末裔の山内容堂もな。ここには居ないが黒田長政も似たような事してたよな。
前田利家がいない。やり直し。
卑怯というのとは若干違う気もしないではない。
真田昌幸の卑怯とはまた違うよね
@@user-co4uy9zu1s 昌幸のは比する者を興せずの表裏比興ですけどね
@@user-cm8gi8mo6t別に比興にも卑しいとかいう意味はあるけどな。ただニュアンス的に卑怯よりは面白いって意味も含んでる感び
ナイス!下ネタ(笑)
卑怯者と言うなら本能寺後、織田家の血筋を立てず自らが天下人となった最悪の簒奪者秀吉もここに並ぶ曲者 晩年の立ち振る舞いも酷い有様 死後に家康に天下取られるのも自業自得よ
山内一豊は謀叛を食い止めただけで、卑怯とは言えないのでは?
山内の策は諸葛孔明が得意とした、火計じゃな。
佐々成政も肥後を貰った後に一揆を起こされて秀吉から改易で切腹されたし、秀吉温故の大名で家康から家光までの間に改易されたのが多いから山内一豊は生き残りの為に止む得ない手段だったと思う。
川尻秀隆と異なり成功したから評価される一面も。
伊達政宗も卑怯では無いが 媚びを売るのがうますぎる
1番卑怯な家康がここに上がらないのも、勝ち残ったからなだけ。 生き残らなかった奴等の方が、卑怯じゃなかったから殺られただけ。
信雄は孫娘を徳川忠長に嫁がせて、忠長の後見人的な立場になったから、忠長を擁立して江戸幕府を乗っ取るビジョンがあったんじゃないかな。 信雄の死亡直後に忠長が失脚してるし
浅井長政・松永久秀・徳川信康・荒木村重・佐久間信盛・明智光秀 信長のストレスゲージが頂点に…
当時は「卑怯」が褒め言葉だったらしいね 真田昌幸も、表裏比興の者とか言われて有名だったし
(図々しくて厚かましいのね)
昌幸は?
五指には入らないかもしれないけど、自分は織田長益を挙げたい 本能寺の変に際して、二条城に立て籠もった甥の織田信忠に向かって 「ここは織田家当主として潔く腹をお召しなされよ」と切腹を強要しておいて 自分はちゃっかりと逃げ出しているという 「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ召させておいて 我は安土へ逃ぐるは源五」 京の民に囃されるのは、マジでクズだと思います
大坂の陣の時も狡猾でしたなあ😮
山内一豊は天正大地震で一人娘が乳母と城の下敷きになって死んでるからある意味可哀想
その後、何処からか拾って来た男の子に跡目を継がせようとするものの(一豊の隠し子説有り)、妻の千代から「何処の馬の骨かも分からぬ捨て子に頭を下げて素直に従う程、お人好しな家臣などウチにはおりません」と却下される。
仙石のせいで長宗我部は滅んだようなもん
戦だもの当時でも卑怯の観念は無かったんじゃない
信雄よりも有楽斎の方が…
荒木村重は時期的にみて、三木城救援のために播磨襲撃の準備をしていた毛利水軍と連絡をとるために尼崎へ移動したもので、別に卑怯でも何でもない。尼崎移動の直後に毛利・雑賀・小寺連合軍が三木城包囲の秀吉軍を攻撃している(平井山の戦い)。小寺政職も臆病者でも何でもなく、三木城救援のために戦っている。平井山の戦いが毛利方の大敗北で終わったので結果的に不発になったということ。 なお、降伏・逃亡した順番で言うと、三木城の別所⇒本願寺⇒小寺・英賀衆⇒荒木で、本願寺降伏後も一人、最後まで戦っていたのが荒木村重。
荒木は上月城の尼子を救援する羽柴勢に同行していた。上月城へは明智含む織田の援軍もやって来たにもかかわらず、別所への対応を優先するとの理由で上月城をあきらめ撤退。毛利勢の追撃をくらいながら敗走する羽柴勢の情けない姿も見ていたはずで、この時点で毛利のほうがよほどマシに見えてたかも。
山内一豊は若干仕方ない気もするな 旧長宗我部の家臣を登用してはならないって徳川からも言われてたかもしれんし
山内一豊がアカンわ。。 20万石貰っても、となりの阿波蜂須賀藩に負けてるとして、表高を蜂須賀と同等にして領民の年貢を上げたりまでしてるからな。
実体は30万石近くあったぞ。
土佐20万石って…検地の時は10万石弱だったと聞いてるし、隠田してたのか、山内氏が(お上に媚び売るために粉飾と同時に)追徴したのかどっちだろう…。 地形的にそれほど生産性はなかったと思うし。
@@user-ok3nx7vj7pあ〜、それってな、初期、戦国時代から江戸前期って『純粋に米の石高』なんだが、その後は『米以外の作物も含めた石高』なんだよね。
動画を上げる前にチェックするなりできませんか? 大坂の陣の際に秀吉の肖像画とか、、、 そもそもこの時代に卑怯とか言ってられない。いかに生き残るかということが大事なのに手段は選んではおれん。
今の時代の方が比べ物にならないくらい 卑怯者の権力者さまたくさんいると思います😊 当時は生死がかかっていることもあったので 許されることもあったと思います
Пікірлер: 343
仙石秀久と山内一豊は、あの世で一領具足達に突かれる無限地獄におるぞ
最終的に大名として生き残った仙石秀久の名誉が江戸時代を通して全く回復されない時点で 戸次川の戦いが言い訳不能な失態だった事が良く分かる
@user-tm5kh2cw6e
9 ай бұрын
こいつが先鋒になって釣り野伏せで戦死してれば…。
@Laurel-2.5clubs
9 ай бұрын
@@user-tm5kh2cw6e 長宗我部信親も戦死することはなかった
@user-jr3px8zk5e
9 ай бұрын
あれは・・・・あの尼子、大内を滅ぼし、 秀吉さえ簡単には勝てなかった毛利を 散々苦しめた大友やその大友苦しめた龍造寺を 赤子の手を捻るが如く壊滅させた。 島津を長宗我部だけで、戦えは、無理だと 秀吉に分からないはずがない・・・・ これは小牧長久手で、秀吉を妨害した仕返し人事 の一貫じゃないかと
@user-tm5kh2cw6e
9 ай бұрын
と言うか、仙石が四国攻めで苦戦したので その当てつけ(報復)で四国諸将に無理な戦闘を指示したとも 言われてますね。@@user-jr3px8zk5e
@moyasi5321
7 ай бұрын
馬謖と仙石秀久
山内家は相撲事件以上に幕末までもアパルトヘイトを続けたから嫌いなんだよなあ
@reef22222
Жыл бұрын
二代忠義が野中兼山を登用して融和政策を図りましたが、三代忠豊以降元に戻っちゃいましたからねえ
@user-cz1ev1vl5m
Жыл бұрын
まあそれも仕方がない面もあるんだよな。 そのアパルトヘイトの連中の方が『身分が上』というとんでもない事実があったりするからな(笑) 経済的には完全に負けてるし(笑)
@user-jf9tf6pe1n
Жыл бұрын
長宗我部の旧臣達も仕方無いことと割り切って山内に恭順すればまた違ったかも知れない。
@chevalier0316
Жыл бұрын
@@user-jf9tf6pe1n それ。そもそも浦戸一揆なんてガイジムーブ起こしたから徹底的に粛清された訳やし
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
そもそも土佐なんて薩摩並の蛮族エリアを凡庸な大名が統治したらそうなるっしょ
一領具足の件があるから、山内家は土佐で今一つ人気がないのだと思います。
@user-ii4gb9mk1v
Жыл бұрын
幕末にまさか長宗我部の家臣の子孫達に復讐されるとは…
@pianochandaisuki
10 ай бұрын
後は勤皇党の大弾圧ね😮
@user-py7kl4ru8d
9 ай бұрын
@@user-ii4gb9mk1v返り討ちにしとるやんけ。土佐藩から明治政府に行ったの後藤や板垣とか上士だし
私はスロバキアにいた頃、大学で日本の戦国時代の歴史を学習しました。 戸次川の戦いは豊臣秀吉の陰謀があると思っています。 秀吉が仙石に渡した手紙では「援軍が来るからそれまで守りに集中しろ」という内容でしたが、仙石が君主の命令を破ってまで戦ったのが不自然に思いました。真の命令は「島津と戦って長宗我部を弱体化させろ」だったのではないでしょうか。 長宗我部は豊臣に屈したとはいえ、かなりの力を持っていて、後継者の息子も才能豊かな人物だったようです。秀吉としては非常に厄介な存在だったと思われます。 次に、派遣された豊臣軍の武将である仙石秀久、十河まさやす、長宗我部元親は過去に敵同士であったため折り合いが悪くなるのは必然です。話し合いもまとまらないだろうし、何かのアクシデントが起こることを期待しているような組み合わせです。 戦いの結果は豊臣の惨敗で、十河と長宗我部の息子は命を落とし、指揮官の仙石は無様に逃げたにも関わらず処刑されなかったのは、単に秀吉の昔からの家臣という理由だけではないでしょう。
朝倉宗滴「犬畜生と言われようが勝つのが武士の本分」
@user-mu1eo5qf6l
9 ай бұрын
大義名分の無い裏切りは支持されないゾ
@rok839
9 ай бұрын
武士は、犬とも言え、畜生とも言え、勝つが本にて候
流れ的に見ても、仙石秀久が戸次川であんな事しなければ山内一豊による大虐殺も起こらなかった。四国大名にとって不幸の連鎖。
裏切りや失敗をしたとき、メチャ叩かれる場合と、そうでない場合がある。 秀吉だって手取川の前に勝手に帰っちゃったし、利家も賤ヶ岳のときに勝手に撤退して勝家の敗因をつくった。 ふだんの人なりが、影響してるんだと思う。
この中で荒木村重だけは超優秀なんだけどな。なんなら織田方面軍団長になっててもおかしくない。地盤がなかったのが痛かった。
@user-hv9gg9im8i
Жыл бұрын
私も、そう思ってます。 むしろ、好きな武将です。
@mogamiga_oyoshi
Жыл бұрын
信長公は説得しようとしてたのにね。だからこそ怒りは倍増した
@user-zz8jc4pi9w
Жыл бұрын
文化人としても知られている側面もあるので、文武両道の傑物なんですけどね。 優秀であるからこそのやっかみもあったのかも。
@user-gl6zw8gq1n
Жыл бұрын
氏素性がわからない秀吉とか明智の下につくのが嫌だったんやろな
@user-ij6in3fb8x
9 ай бұрын
軍資金or毛利への手土産にしようと思って名物茶器を持ち出したら、「妻子よりも茶器の方が大事」とか言われてしまった。
江戸時代に入ってもしばらくの間は「騙される方が悪い」という考え方が一般的だったし、忠義だ武士道だと言う話は後から作られたものだから、この人たちのやったことは当時としては当たり前のことだったと思うよ。
功名が辻では山内一豊の…軍師官兵衛では荒木村重のエピソードが描かれてましたよね
一方的に裏切った荒木に対して、戦国大名としてはものすごく甘い提案、解決策出してる信長を鬼畜扱いとは恐れ入る。
信雄より長益(有楽斎)の方が卑怯者感ある
@user-qy2yg7xi8z
Жыл бұрын
卑怯者というより臆病者かな?それ故生き長らえたともいえるのだが。
@user-co4uy9zu1s
11 ай бұрын
@@user-qy2yg7xi8z 本能寺の変の時やろうと思えば信長を脱出させる事できたのに それをせず自分だけ逃げて生き延びたからね
@linn19991
11 ай бұрын
@@user-co4uy9zu1s 信長でなくて息子の信忠の方じゃなかった? ま、有楽斎が卑怯であることにに変わりはないがw
@ckhvklbff
10 ай бұрын
織田の源五は人ではないよ
@user-zt8mq7pj6z
9 ай бұрын
信忠生存していれば、歴史が大きく変わってたのに。
山内は器に過ぎた所領を与えた徳川も悪い
@user-ok3nx7vj7p
Жыл бұрын
国も大名(譜代じゃないし…)も厄介払い(国を保てねば改易、鎮圧できたら儲けもの)したかったのかも…。
@user-co4uy9zu1s
11 ай бұрын
掛川城差し出しただけで 5万石が24万石だもんな
@user-sw3jo6yg9n
11 ай бұрын
@@user-co4uy9zu1s 徳川家康は土佐の石高はもっとあると思っていたらしい。
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
それはしゃーないっちゃしゃーないよ 大阪夏の陣で豊臣家滅ぼしたけどその時点で250年近く続く幕藩体制が出来るなんて思いもしない訳で まだ火種燻る時代は必然的に有能さより忠誠心の高い武将(或いは反乱を恐れ意図的に凡庸を)取り立てて政権を固めるより他なかった
荒木は、逃げ続ける中で「道糞」として名前を変えるところが、完璧な悪者になり切れない人間味を感じて好きなんよ
@shinpeikitajima7115
4 ай бұрын
荒木村重の場合は「家中唯一の親織田派であった村重をクーデターで追放した親毛利派の家臣達が村重の名前で謀反を起こした」というのが真相ではないかと思ってましたが・・・・・ 村重を説得に赴いた黒田官兵衛が長期幽閉されたのその事実が官兵衛にバレたからではなかったかと。
卑怯者って言うから権謀術数の成り上がり宇喜多直家や表裏比興の者、真田昌幸なんかを期待してました。 今回の武将は小賢しい狭量の小物しかいませんね。 この中で実力者は荒木村重だけやんね!そして個人的には仙石が一番嫌いだー
幕末に中心になっていくのが下士というのも因縁めいてる。
土地をもらったら、最初に一揆と正面から戦って鎮圧していった秀吉の部下たちがシンパシーを受けるのは、こういった背景だったのね。
@user-uv5xf9gp2x
Жыл бұрын
「根切り」といって、民間に分け入ってゲリラ掃討戦。当時の宗教勢力は実にタチが悪かったから。
コメ欄が案の定山内家への集中砲火で夏草
@kawauso_daisyogun
14 күн бұрын
高知県民からしたら気に入らないだろうねw(by高知県民)
信雄の安土城放火は怪しいけど 出来がよくなさそうなのは確かだ だけど情報リークなら結構多くの人がやってそう
村重君より中川君の方がヤバい
荒木村重は明智光秀や羽柴秀吉を超える織田家臣団の中でも飛び抜けた出世頭だったものの、与力として付けられていた高山右近(もしくは中川清秀)の配下が包囲されている本願寺へ兵糧を運び込んでいる事が発覚、信長に事情聴取の為に呼び出されるも、行ったら成敗されるという右近(清秀)の言葉に乗せられて謀反を決意したと言われてますね。 村重の計算では右近と清秀を前衛として持久戦に持ち込み、本願寺・毛利の支援を受けて信長の討伐軍を撃退する予定だったものの、信長は短期決戦を目指し北陸などへ遠征中の方面軍まで呼び寄せる想定外の規模となる討伐軍を編成、張本人である右近(清秀)は戦わずしてあっさり降伏してしまい、信長率いる討伐軍は何の障害も無く有岡城を強襲します。 ところが有岡城は広大な惣構を持つ堅城だったので信長が指揮する強襲に揺るぎもせず、これに驚いた信長は一転して長期戦に切り替えたのである程度は村重の思惑通りになったのですが、本願寺も毛利も織田勢に苦戦を強いられて戦況を打開するめども立たず、一年近く包囲された末に村重一人生き残る結果になったとか。
@japan-man
Жыл бұрын
あの時代の摂津勢ってコロコロ寝返って、本当に信用できなかったからね…。 中川云々のくだりは「信長公記」あたりに記述があったような気がします。 仮に謀反がなければ、明智の代わりに四国担当になれていたかもしれませんねえ。
@user-py7kl4ru8d
9 ай бұрын
清秀や右近が織田に降るの促して人質も傷1つ付けずに解放した聖人荒木
徳川慶喜「何て卑怯な奴らなんだ」
山内家のやり方は後に多くの藩士から反感を買って最終的に坂本龍馬による大政奉還に繋がっていく訳か…。
@haru-entmotaku
Жыл бұрын
歴史って過去から未来へ因縁が続いて行くから面白いですよね。
@user-ponkotsukakumei
Жыл бұрын
龍馬は大政奉還には無関係。
@user-oc7lp4ko7p
Жыл бұрын
とはいえ、一領具足とかいう特殊な武装集団を放っておいて一揆でも起こされた日には仕置の不手際を理由に改易の口実にされますからねぇ。
@user-xh2tt8bm4w
Жыл бұрын
坂本龍馬による???
@user-br9qp6zz4i
Жыл бұрын
坂本龍馬の家は裕福な金貸しで郷士株を購入して武士になってるからそれは当てはまらないと思う
村重は利休十哲の1人で、本能寺の変後堺に行き秀吉に誅される事もなく茶人道薫として過ごしたので、正に芸は身を助けるだと思います。
信雄は無能とか言われながらも、生き残って子孫も残してるから 最後まで生き残ったものが強者を体現した存在ともいえる。
@user-ns1od3fb3m
11 ай бұрын
北条との交渉をやってたし、口が上手かったんでしょうかね? あいつは何もできんやろと思われてたこそ、生き残れたのか?
@queirrelel
10 ай бұрын
信長が天下人だったとは認められません 足利義昭が将軍として鎮座していました 禅譲された秀吉の天下は認めることは可能だと思います また軍規的には 馬鹿の仙石は軍に当たるよりも城を抜くべきでしたねと言いたい それか大友の防衛に専念すべきでしたかね 敗残の兵に責任を取らすだけの秀吉も秀吉ですね それで自滅したんでしょう 攻め急いで自軍を滅ぼした者に破滅あれ
@user-ck4cv3jh1j
10 ай бұрын
同い年の兄弟でも26歳で切腹させられた信孝とは対照的な結果
@user-by6kk1ps2q
10 ай бұрын
でものぶおの子孫は天童藩に移転した後、凄まじい重税を課しましたよ。
@d89ascyuuka
26 күн бұрын
子孫になったら他人よ あの信長の子がのぶおなんだもの
功名が辻では部下のカマキリおじさんが勝手にやったことになっていましたね ドラマとしては大変面白かったです
@Odoroku-tomoya4n10
11 ай бұрын
カマキリおじさん、幼なじみの千代に横恋慕していた設定だしな………
滝川雄利さんの参考画像にしてるお方が…丹羽長秀さん?
信雄の血は巡り巡って皇室に入ったことを考えると歴史って面白いなと感じる
仙石が一番ムカついたね その後長男を死なせた元親は心を病むんだよね
卑怯過ぎってのは違うんじゃないですかねえ
山内一豊が大河の主人公に なったとき笑ってしまった。 あんな雑魚キャラやるくらいなら他にいくらでもいるのにね。
@shimishimi43
Жыл бұрын
大河の主人公は一豊ではなく千代だったと思います。
@user-qy2yg7xi8z
Жыл бұрын
あれは奥さんの千代さんがメインだからな。一豊はオマケ。
@Odoroku-tomoya4n10
11 ай бұрын
因みに武田鉄矢(坂本竜馬の信奉者であり「お~い!竜馬」の原作者)が憎むべき敵である山内家の家臣役を演じた時、悩みながらもその役を引き受けたのだが、その理由が「土佐に入る前に死ぬ役」からだそうで……… 更に言うと「お~い!竜馬」は山内家憎しから山内容堂をことさら極悪人に描いており、山内家の子孫からクレームがきた程。 とうとう作画担当の小山ゆうが武田鉄矢の指示「山内家は最後まで悪役として描け」を無視するようになった。
@user-ns1od3fb3m
11 ай бұрын
四国では盛り上がってましたよ。 後年、歴史好きになって??でしたが、あれは奥さんの物語だから、、。
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
功名が辻、読んでな
信雄からしたら自分の父親の地盤をかっさらっていった元農民に対して何も思わないわけがないんだよな。寧ろやり返してせいせいしてそうだし、割と世渡り上手の有能だったのかもね。
滝川雄利はこの後秀次事件や関ヶ原(西軍につく)の時なども上手くくぐり抜け、片野藩の藩主になるも晩年は娘の早逝、跡継が病弱ゆえに片野藩は二代で絶家になるなど晩年はやや寂しいものでした
安土城放火犯は他にも色々な説があるから……。
信雄の一族は幕末どころか現在進行形で子孫は現存している。
@user-co4uy9zu1s
11 ай бұрын
ただしフィギュアスケート出身の某氏は無関係
山内は堀尾氏の献策を自分のものにしたんだから、本当救いようが無い よく大河になったもんだわ
@user-ry8wk8qj9w
Жыл бұрын
大河ドラマが放送中に高知に帰ったが、高知駅のパンフレットがめっちゃ捨てられてた(笑)
@user-xv6ne9ec4l
Жыл бұрын
まるっとさくっと千夜のお話だったりして、功名が辻…😅
@CX-EURO400
Жыл бұрын
やっぱり高知県の英雄は、土佐の出来人と呼ばれた長曽我部元親なんでしょうね。
@user-on8eg4xe7d
Жыл бұрын
高知県の人からすると長宗我部の大河の方が良かったでしょうしね。高知県で山内家はよく思われてないから、妻を前に出して女受け大河の形にするしかなかった。
@user-ponkotsukakumei
Жыл бұрын
小説功名が辻でも 一豊と千代の最後の会話は 一豊「わしが無能だからか」 千代「はい」 だったし、 一豊は一貫して「良くて中の下」 くらいの書かれ方をしてましたね。
前者3名はきっちり栄達を掴んでるので 卑怯者と言われるよりも企みや時勢に抗えず滅んだ方がよほど情けないと言う話 (荒木道糞君以外は)
信長に不憫と言わせるとか… それはそれとしてノッブの見せしめ容赦ねぇな。
軍艦✘ 軍監○ 動画の中だけなので変換ミスだと思うけど、一応。
9:15 も・・・木造
宇喜多直家「やったぜ」
@user-os5dw7lz7y
Жыл бұрын
三大梟雄定期
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
@@yamadataro4393 陶晴賢「まったくやで」 山中鹿之介「おいコラお前ら全員並べ」
山内一豊の愚行が、幕末には坂本龍馬をはじめとした土佐藩出身の志士を産んだわけで、歴史の面白さでもありますよね
山内一豊を上げるなら黒田親子や戸田勝隆も上げないと。卑劣さで言ったら黒田親子の方が酷いし苛烈さで言ったら戸田勝隆の方が酷い。他にも豊臣徳川の有名武将が参加した九戸政実の乱で九戸城の惨殺とか天下の軍と思えない卑劣さ 山内一豊が卑劣でないと言わないけど、豊臣大名は大なり小なりこの手の事をやっている。行政名人と知られる加藤清正も肥後国一揆の後に入ったのに恫喝や脅迫を駆使して反対派の国人を追い出している
本願寺もなかなかだと思います
大坂の陣は秀吉の画像は秀頼に変えようよ…
独自緩解かな
山内一豊は大河ドラマの主人公に抜擢されたほど(しかも原作は司馬遼太郎)なのに 全国でも高知でもそんなに人気なくてむしろその後にゲームですごいビジュアルで出てきた 長宗我部元親の方が圧倒的に人気・認知度が高いのが全てを表してるなw
@user-oh4fj7fh3v
11 ай бұрын
地元だけど山内一豊みんな知らんよ 同級生が街頭インタビューで有名な武将で山内一豊言わされてた そいつ引っ越してきたやつだから地元全然関係ない
@nakaiti3780
11 ай бұрын
山之内一豊はこっそりやりくり上手で戦支度をしてた妻の伝説のほうが有名かな 長曾我部は土佐の土豪から一時は四国統一したので人気があると思うが西軍に加わって家が断絶したからout!
@user-ci7jg7oi6j
10 ай бұрын
まぁ、山内家は外様だし仕方ないよ それに比べて長宗我部元親は実力で四国統一してるからね
@user-vp4xs1ex2y
10 ай бұрын
いや長宗我部も大概だったよ、ホントに戦国BASARAのきっかけのおかげだと思う。 それまで秦神社とかも今みたいに盛り上がってなかった。 山内家の大河ドラマ功名が辻は、酷い所業は全部忍び役が被っててちょっとそこが残念でした(まぁそうしないと純朴キャラでいられませんが)。 やっぱり高知といえばの坂本龍馬や幕末の郷士たちの頃の山内家はドラマや小説でも敵陣営にしか感じられませんし、好感度は地元民にはないでしょうね(泣)。 まぁ長宗我部も酷いことしてるとこもあるし、戦国のならいっちゃあならいかと思ってます。両家とも好きです。
@user-fr7bd1sh1w
9 ай бұрын
武田鉄矢は功名が辻で一豊の家臣の役をやってたけど、最初は断ってたみたいね。土佐の上士下士制度を作った一豊が好きじゃなかったんだって
歴史は詳しくないが、山内一豊は寝返りまくりで、大河ドラマになったり評価が高いのが分からんかった。 四国は大変だったんじゃないかな?
卑怯なことをするなら大義名分は用意しないといけない
仙石はこんな大失態をしても最終的に10万石級の大名になるんだから凄いもんだ。 汚点は間違いないが、切り替えていけるポジティブ思考も大事だよね。
@tau758
Жыл бұрын
その子孫が民主の仙石?
@user-tn2hp8vc8e
Жыл бұрын
仙石に関しては宮下英樹先生の漫画「センゴク」シリーズを読むといいと思います、まあ主人公だけあってかなり仙石よりの話ですが、キャッチコピーが戦国時代最も失敗して最も挽回した男。
@user-ok3nx7vj7p
Жыл бұрын
@@tau758 読み(あっちは仙谷)が同じだけですが、まあ、本質は似たようなもんでしょう。 俺もあの糞議員の名を知ってまず仙谷秀久を連想したもんです。
@user-wl3hz2cp3s
Жыл бұрын
それどころか外様のなのに一時期は他の譜代よりも高待遇を受けてたww
@hirose795
Жыл бұрын
仙石って四国の人には親の仇みたいに恨まれてるからなあ。 長宗我部信親をあんな死に方させたから。
荒木村重が卑劣に思えるのは、奥さんおいてにげたことかな?
山内一豊がいなければ土佐の武士の上下関係も出来ずに坂本龍馬等の幕末土佐の英雄も誕生しなかった。と、考えると複雑です。
センゴクにおける織田信雄は割と好きなんだけどな。 基本ダメな奴だけど後半、秀吉・家康を掻き回して一瞬父信長の不穏な顔を覗かせるシーンは何かを期待させさるものがあったよ。 結果ダメな奴だけど。
12:41 山内一豊
山内一豊の所業はもともと藩の転覆に繋がりかねない一揆の首謀を捉えないとならないやむを得ない事情があったし、鎮静後は長宗我部の家臣も、同じように公平に寵じているあたり、やはり土佐の名君とされるのは腑に落ちる
滝川雄利て、日本武尊みたいだね…
荒木村重がその後文化人として大成して道糞となるところが本番
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
へうげもの〜
滝川勝利が丹羽長秀にしか見えない
長宗我部以外に、三好も反対したかと…
現代とあまり変わらないね。
土佐に入る時は井伊直政の入れ知恵を参考に、長曽我部の残党を鎮圧した!
荒木村重一族惨殺シーンがたけしの新作で描かれるのかなー。
久武親直が入ってない!(笑)
私は、稲富祐直···。彼だけは、どうしても許せない。一色家、関ヶ原の戦いで細川ガラシャの護衛を任されていたのに放棄、逃亡。ほとぼり冷めてから徳川家へ。
@gunsoviva1633
11 ай бұрын
なお鉄砲は得意
信雄の裏切りは、織田の社稷を簒奪した豊臣に対する意趣返しの意味も含まれていた。
同じ卑怯でも愛される武将とそうでない武将がいるよね 真田昌幸なんかはすごく人気があるのに
@user-ww3lc7bi6b
Жыл бұрын
真田昌幸は大勢力を相手に見事な立ち回りを見せたという事、また次男の真田幸村の活躍にあやかっているのも大きい。
@user-co4uy9zu1s
11 ай бұрын
昌幸は卑怯じゃなくて比興だからね 意味的には同じだけどニュアンスがちょっと違う
現代だとデーブ大久保とか仙石秀久っぽいよな
本当に卑怯なのは荒木村重より中川清秀でしょう。 村重「清秀おめぇ何で本願寺に兵糧送ってんだ!俺まで信長様に謀反の意ありって思われるだろうが!」 清秀「ゴメンゴメン!でもさー、信長って一度疑ったら絶対討ちに来るよ?もうやっちゃうしかないじゃん?」 村重「くっ…こうなったらしょうがない…信長を討つ!」 清秀「頑張ってね!ところで信長様、村重のヤローが謀反を企んでます!アイツの情報売るんで僕だけは許してください」 村重「」
山内一豊みたいな器がないのが一時の善行で器にそぐわぬ領地を与えられると、そこの人々は疫病より大禍だよな しかもそれが幕末まで続く山内家独自の身分制までやられたら、歴史的に暗愚と言われても仕方ない
@chevalier0316
Жыл бұрын
いうほど暗愚か?
@xxjuikl
11 ай бұрын
あれで長宗我部の旧臣押さえ込んでちゃんと統治したんだから暗愚ではないだろ
@user-ww3lc7bi6b
11 ай бұрын
@@chevalier0316 暗愚ではないだろう。一領具足への対応は苛烈だったとは思う。 しかし・・・グズグズしていたら徳川幕府から仕置き不行届きとか突かれる恐れがあったから 早急に鎮圧するためにも謀略を駆使するしかなかったとも思える。
@user-py7kl4ru8d
9 ай бұрын
その山内家独自の身分制で明治政府に重鎮そこそこ送り出してるのはなんや?
決して「正々堂々戦おう」なんて高校野球みたいなことやっていたわけではないし、生き延びるためには卑怯でもなんでもやらざるを得ない時代だったわけだろ。 それこそ、家康なんて卑怯につぐ卑怯を繰り返して天下人になったわけだ。
個人的に好きな神社巡りだけど、長宗我部崇敬関連と山内崇敬関連の神社は参拝同日に被ったらいかんのかなぁとなんとなく思ってる。 神様になったら皆同じと信じたいけど
信雄のことずっと"のぶお"って読んでた...
火蓋は切られるもの
最初に言っておくけどこの戦国時代は思うほどカッコよくはなく 裏切りに裏切り虐殺粛清もうドロドロな時代だった。 でもそうでなければこの時代は生き残れなかったんだと思う。
@user-ck4cv3jh1j
10 ай бұрын
荒木一族処刑も一つの虐殺💀
@pianochandaisuki
10 ай бұрын
いうて光秀や小早川秀秋には手厳しい声多いよね😮
@sansei9
9 ай бұрын
@@pianochandaisuki基本的に家を滅ぼした奴には酷い言われようだった時代。擁護する人が誰も居ないから悪名とか押し付けられまくりだし。
@user-qo1mc5ty6t
9 ай бұрын
@@pianochandaisuki 光秀→準備不足すぎ 秀秋→東軍に付くことには特に問題はないが、アル中で死ぬのは情けない。
徳川の思惑で土佐行が決まった山内氏 後の世に土佐の下士が坂本竜馬を輩出して大政奉還の一役を担ったのは皮肉
長曾我部は盛親が兄を殺さなければ土佐半国確保されていた
山内一豊この中で一番卑怯者。これの末裔の山内容堂もな。ここには居ないが黒田長政も似たような事してたよな。
前田利家がいない。やり直し。
卑怯というのとは若干違う気もしないではない。
@user-co4uy9zu1s
11 ай бұрын
真田昌幸の卑怯とはまた違うよね
@user-cm8gi8mo6t
9 ай бұрын
@@user-co4uy9zu1s 昌幸のは比する者を興せずの表裏比興ですけどね
@user-py7kl4ru8d
9 ай бұрын
@@user-cm8gi8mo6t別に比興にも卑しいとかいう意味はあるけどな。ただニュアンス的に卑怯よりは面白いって意味も含んでる感び
ナイス!下ネタ(笑)
卑怯者と言うなら本能寺後、織田家の血筋を立てず自らが天下人となった最悪の簒奪者秀吉もここに並ぶ曲者 晩年の立ち振る舞いも酷い有様 死後に家康に天下取られるのも自業自得よ
山内一豊は謀叛を食い止めただけで、卑怯とは言えないのでは?
@user-ze3zr1qb6e
Жыл бұрын
山内の策は諸葛孔明が得意とした、火計じゃな。
@73moto
Жыл бұрын
佐々成政も肥後を貰った後に一揆を起こされて秀吉から改易で切腹されたし、秀吉温故の大名で家康から家光までの間に改易されたのが多いから山内一豊は生き残りの為に止む得ない手段だったと思う。
@user-ok3nx7vj7p
Жыл бұрын
川尻秀隆と異なり成功したから評価される一面も。
伊達政宗も卑怯では無いが 媚びを売るのがうますぎる
1番卑怯な家康がここに上がらないのも、勝ち残ったからなだけ。 生き残らなかった奴等の方が、卑怯じゃなかったから殺られただけ。
信雄は孫娘を徳川忠長に嫁がせて、忠長の後見人的な立場になったから、忠長を擁立して江戸幕府を乗っ取るビジョンがあったんじゃないかな。 信雄の死亡直後に忠長が失脚してるし
浅井長政・松永久秀・徳川信康・荒木村重・佐久間信盛・明智光秀 信長のストレスゲージが頂点に…
当時は「卑怯」が褒め言葉だったらしいね 真田昌幸も、表裏比興の者とか言われて有名だったし
(図々しくて厚かましいのね)
昌幸は?
五指には入らないかもしれないけど、自分は織田長益を挙げたい 本能寺の変に際して、二条城に立て籠もった甥の織田信忠に向かって 「ここは織田家当主として潔く腹をお召しなされよ」と切腹を強要しておいて 自分はちゃっかりと逃げ出しているという 「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ召させておいて 我は安土へ逃ぐるは源五」 京の民に囃されるのは、マジでクズだと思います
@pianochandaisuki
10 ай бұрын
大坂の陣の時も狡猾でしたなあ😮
山内一豊は天正大地震で一人娘が乳母と城の下敷きになって死んでるからある意味可哀想
@user-ij6in3fb8x
9 ай бұрын
その後、何処からか拾って来た男の子に跡目を継がせようとするものの(一豊の隠し子説有り)、妻の千代から「何処の馬の骨かも分からぬ捨て子に頭を下げて素直に従う程、お人好しな家臣などウチにはおりません」と却下される。
仙石のせいで長宗我部は滅んだようなもん
戦だもの当時でも卑怯の観念は無かったんじゃない
信雄よりも有楽斎の方が…
荒木村重は時期的にみて、三木城救援のために播磨襲撃の準備をしていた毛利水軍と連絡をとるために尼崎へ移動したもので、別に卑怯でも何でもない。尼崎移動の直後に毛利・雑賀・小寺連合軍が三木城包囲の秀吉軍を攻撃している(平井山の戦い)。小寺政職も臆病者でも何でもなく、三木城救援のために戦っている。平井山の戦いが毛利方の大敗北で終わったので結果的に不発になったということ。 なお、降伏・逃亡した順番で言うと、三木城の別所⇒本願寺⇒小寺・英賀衆⇒荒木で、本願寺降伏後も一人、最後まで戦っていたのが荒木村重。
@user-cz3qh5zz3t
9 ай бұрын
荒木は上月城の尼子を救援する羽柴勢に同行していた。上月城へは明智含む織田の援軍もやって来たにもかかわらず、別所への対応を優先するとの理由で上月城をあきらめ撤退。毛利勢の追撃をくらいながら敗走する羽柴勢の情けない姿も見ていたはずで、この時点で毛利のほうがよほどマシに見えてたかも。
山内一豊は若干仕方ない気もするな 旧長宗我部の家臣を登用してはならないって徳川からも言われてたかもしれんし
山内一豊がアカンわ。。 20万石貰っても、となりの阿波蜂須賀藩に負けてるとして、表高を蜂須賀と同等にして領民の年貢を上げたりまでしてるからな。
@user-cz1ev1vl5m
Жыл бұрын
実体は30万石近くあったぞ。
@user-ok3nx7vj7p
Жыл бұрын
土佐20万石って…検地の時は10万石弱だったと聞いてるし、隠田してたのか、山内氏が(お上に媚び売るために粉飾と同時に)追徴したのかどっちだろう…。 地形的にそれほど生産性はなかったと思うし。
@user-cz1ev1vl5m
9 ай бұрын
@@user-ok3nx7vj7pあ〜、それってな、初期、戦国時代から江戸前期って『純粋に米の石高』なんだが、その後は『米以外の作物も含めた石高』なんだよね。
動画を上げる前にチェックするなりできませんか? 大坂の陣の際に秀吉の肖像画とか、、、 そもそもこの時代に卑怯とか言ってられない。いかに生き残るかということが大事なのに手段は選んではおれん。
今の時代の方が比べ物にならないくらい 卑怯者の権力者さまたくさんいると思います😊 当時は生死がかかっていることもあったので 許されることもあったと思います