【一畑百貨店】「長い間ありがとうございました」 昭和・平成・令和3つの時代を駆け抜け65年の歴史に幕 最終日には12000人が訪れ感謝伝える 島根県松江市
一畑百貨店 井上智弘 専務
「長い間ありがとうございました」
1月14日、65年の歴史に幕を下ろした島根県松江市の一畑百貨店。最終日となった14日は別れを惜しむ大勢の人が駆けつけました。ファンや関係者、それぞれの思いを取材しました。
◇ ◇
去年6月に閉店を発表していた一畑百貨店。窓にはキャッチコピーが掲げられていました。
一畑百貨店 錦織要 社長
「一畑百貨店のキャッチコピーとして長らく使ってきた『人が好き 街が好き』ということで、これが一畑百貨店のキャッチコピーの中で非常に皆さんに愛されたのかな、それをみてまた一畑百貨店をより思っていただければなと思います」
一畑百貨店勤務33年のベテラン販売員、吉山節子さん。最終日も常連好みを捉えた百貨店の接客を貫いていました。
常連客
「話が上手ですから。商売上手で山陰独特の親しみやすい言葉で話してこられますので心地よかったですね」
吉山節子さん
「お客様にはもう本当に感謝感謝でね。最後まで悔いのないように、お客さんあってのお仕事だったのでね。本当に来ていただいて、たくさん長いことおるとお得意さんがたくさんおられるからね」
この日は店員からだけでなく常連客がこれまでの感謝を伝えていました。一畑百貨店の有料会員「一畑友の会」のブースではー。
客
「楽しい思い出をたくさんいただきまして。初めから涙が出て。またお会いいたしましょう」
最終日となったこの日、いつもの4倍となる12000人が訪れ、一畑百貨店最後の1日を楽しんでいました。
一畑百貨店 井上智弘 専務
「お客さんの数がすごいわこれ」
一畑百貨店一筋42年の専務・井上智弘さん。職場を愛してきた一方で、閉店の責任も感じてきました。この日は積極的に売り場に立ち、顔なじみの客や関係者に挨拶をして回る中で、多くの労いの言葉をかけてもらったと言います。
一畑百貨店 井上 智弘 専務
「よう頑張ったなと、僕に対してね。身に染みますよ。私としては地域貢献ということが出来たかなと思っております。お客様に対しては65年間本当にありがとうございました、もうそれしかないですね」
一畑百貨店は経営の多角化を進める一畑電鉄が1958年に創業。島根県唯一の百貨店として長らく地域に愛されてきました。しかし近年、ネット通販や郊外型ショッピングモールの台頭、新型コロナウイルスの影響で売上が低迷。閉店を余儀なくされたのです。会場にはこれまでの歴史を写真で振り返るパネル展も開催。その中に懐かしそうに写真を見る女性がー。
石倉由美さん
「勤めてたので4年前まで。だからもうどうしても来たくて来ちゃいました今日は」
写真を眺める石倉由美さんは、高校卒業後に一畑百貨店に就職。結婚・出産で一度離れますが、その後復職。この場所には色々な思い出が詰まっているといいます。
石倉由美さん
「いっぱいあります思い出が。今でもずっと入社当時からの友達もいますし、私にとっては実家と同じくらいです。もう、“ありがとう”しかありません。なんかね…さみしい。でも本当にありがとうです」
そして迎えた午後6時30分。一畑百貨店の正面玄関には閉店を惜しむ大勢の人が集まっていました。
訪れた人
「百貨店って文化的な彩りがある感じがあったので」
「集えるようなそんな社交の場でもありました。私たちにとって大事な場所でした」
閉店セレモニーでは錦織要社長が集まった人に感謝の言葉を伝えました。
一畑百貨店 錦織 要 社長
「昭和・平成・令和と3つの時代を駆け抜けて65年の幕を下ろす時がまもなく近づいてまりました。みなさまの思い出、心の中に残ることができるならば我々としてはこれ以上ない喜びでございます」
そしてついにー。
一畑百貨店 井上智弘 専務
「ただいまをもちまして一畑百貨店閉店いたします。長い間ありがとうございました」
多くの人に愛され、時代を作ってきた一畑百貨店。それぞれの思いを胸に、その歴史が終わりを迎えました。一畑百貨店の土地・建物は一畑電鉄が保有していますが、現在、賃貸でテナントを誘致するか売却するかの2つの方針で交渉しているということです。また駐車場については今後も営業を続ける方針だということです。
(2024年1月15日放送 ニュースevery日本海より)
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Пікірлер: 443
取引先です。1週間程売場にも立たせてもらいました。従業員さんは皆優しくて、ご縁があったことがうれしかったです。ありがとうございました。皆様、お元気で。
四国のわいのかーちゃんが、この一畑百貨店で買ってきた大きな飴の缶を、今でも大事に持ってる。 まだ昭和の終わりかけの頃の話。かーちゃんがワイの兄ちゃんを身ごもった時、じいちゃんは仕事で島根に行ってた。 じいちゃんはケチで口が悪くて頑固で怒りんぼで、かーちゃんはそんなじいちゃんと仲がよくないから妊娠を知らせるつもりはなかったらしいんだけど、ばあちゃんが浮かれてじいちゃんに電話で知らせた。 そしたら、普段土産なんて買ってこないじいちゃんが、綺麗にラッピングされた大きな缶を買って帰ってきたそうな。 ばあちゃんいわく、知らせを聞いてじいちゃんなりに何かしてやりたくなったのだろうと。 なんで飴にしたのか聞いてみると、百貨店に行けば何でもあるだろうと一畑百貨店に買いに行ったそうだが、普段ひとに贈り物をしないじいちゃんは何を買えばいいかわからず、店員さんに意見を求めたそうな。 孫を身ごもった娘に何か買って帰ろうと思っているけど、何を買えばいいかわからないというと、店員さんが飴を勧めてくれたそうな。 妊娠中はお腹の子どものために食べたい物を我慢して何かと気を使うが、おやつくらいは妊婦自身が楽しめるようにと。 で、じいちゃんは、その売り場で一番大きい飴の缶を買って帰ったんだって。 かーちゃんはよほどそれが嬉しかったのか、今でもその缶を棚に大事に飾ってる。 一畑百貨店さん、じいちゃんに良いアドバイスしてくれてありがとうね。本当に長い間、お疲れさまでした。 追記。ちなみに缶に何か入れてるのか聞いてみたら、わいら兄弟姉妹のへその緒を入れてるんだそうな。 家族にとって思い入れの深い品を提供してくれた畑百貨店さんに、感謝。
@yomeshima2
4 ай бұрын
そうだとすれば、松江本店が殿町に有った頃ですね。 良い話を聞きました。
@curvingstyle
4 ай бұрын
😭😭😭いい話や
@luna1112
4 ай бұрын
泣いた😢
一畑百貨店に縁もゆかりも無い大阪民だけど最後の社長の挨拶で涙腺が緩んだ。 自分も阪急百貨店や阪神百貨店が閉まったらすごく悲しくなると思う。本当にお疲れ様でした。
@Switzerland6074
4 ай бұрын
閉まるのも時間の問題だから、阪人は首を洗って待ってろや('ω')
@yoshiok7467
4 ай бұрын
こんなに愛される百貨店あるんだね。
@nf_oasis
3 ай бұрын
阪神はともかく、阪急が閉店する時には日本から百貨店がなくなる瞬間だと思う
井上専務の挨拶,何度見ても泣ける😭
@user-henjisiroya
5 ай бұрын
次の日から専務じゃなくただのおっさんになるんやろーな
@shoijoshua3224
5 ай бұрын
@@user-henjisiroyaなんか偏屈で可哀想な人w
@user-lv1ui3sz9t
5 ай бұрын
企業を存続出来ず沢山の従業員を路頭に迷わせた無能の挨拶を泣けるってどうかしてると思うよ
@shoijoshua3224
5 ай бұрын
@@user-lv1ui3sz9t泣ける泣けないはさておいて あなたは今の百貨店事情をなんにも知らないんだね 郊外、地方都市の百貨店は今は苦境に立たされてる 時代の流れや価値観とともに色んなものが淘汰されつつあるし そんな大きな壁を目の前にどうにも出来ない状況もある それを無能という言葉で片付けるにはあまりにも横暴すぎると思うけどな この人が何も努力しなかったかなんてあなたに分かるの? 社員か関係者? なんも知らないでそう言うのは失礼だと思う
@user-xz7qb6ur4d
5 ай бұрын
何回見た?
一畑百貨店の皆さん、お疲れさまでした。
関東人だが感動した、最近こちらの地域もガンガン百貨店が閉店しますが、一人一人の人生ドラマが百貨店にはあるんだと感じます。ここまで涙流すぐらい感情移入出来るぐらいの人生を送れるというのは幸せな事だと思います。まさに大人の青春です。
全く縁もゆかりもない場所に住んでますが、専務さんの最後の挨拶を聞いて胸が熱くなりました😢 一畑百貨店は色々な方に愛されていた百貨店だったんですね! 百貨店好きな私にとっては悲しいニュースです。
縁もゆかりも全く無い東京都民だけど、テレビのニュースで観て泣いてしまいました
専務の気持ちが痛いほどよくわかる。 それだけお客様に愛され、親しまれた一畑。 自分が閉店宣言しても涙無しでは挨拶できないかも? 営業一筋の人だったのだね。
@dewlap2008
5 ай бұрын
お客様に愛されてたら閉店しないだろ
@まあ適当に言ってんだけど
5 ай бұрын
@@dewlap2008 愛されていても絶対数の減少には抗えないのよ。
母との思い出 大食堂美味しかったです 63年前 ご苦労さまです 一畑百貨店の皆様 亡き母に代わりお礼を申し上げします ありがとうございます
井上専務の挨拶が本当に本当に思いがこもっていて貰い泣きしてしまいました。
百貨店の閉店は、ただの閉店とは全く違います。 百貨店は、その街の「顔」だからです。 その街の「華やかさ」を一手に背負ってきた存在だからです。 東京や大阪では地場の百貨店(三越、伊勢丹、そごう、大丸、高島屋)が全国チェーン化したためにあまりピンとこないかもしれませんが、それ以外の地域では地元の文化を支えてきた地場の百貨店が必ずと言っていいほど存在します。 百貨店は冬の時代ですが、できる限り「街の顔」を守り続けられるよう、私自身も足を運びたいと思います。
@kitamuraーbozu
5 ай бұрын
佐賀県唯一の百貨店「玉屋」は京都府の不動産会社に経営が譲渡されます。廃業の危機と佐賀県から百貨店消滅は免れましたが先行きは不透明でありどうなるかわからないですね、顧客は昔から利用されてる高齢者がほとんどやし今や郊外ショッピングモールの時代特に佐賀は車社会やし
@nanalinn
5 ай бұрын
@@kitamuraーbozu え、そうなんですか。佐賀に行った時(特に世界焱博があった時)は良く行ってました。そうなっていたのですか。髙島屋との提携はもうなくなるのですか?これで玉屋は佐世保だけ、ということになり、寂しくなります。
@nanalinn
5 ай бұрын
函館駅前にもかつてデパートが3つありましたが、全て無くなりました。特に最後に閉店した棒二森屋は150年の歴史があっただけに、市民から惜しまれました。あれから5年が経ちますが、再開発は全く進んでおらず、廃墟を晒した状態が続いています。このままでは函館はゴーストタウンになってしまいます。営業してこそ花なんですよね。
@user-lv1ui3sz9t
5 ай бұрын
足を運んでどうするの?運ぶだけ?
@dusuke9899
5 ай бұрын
そんな事言っても、地方の今の若い人はみんなイオンに行くからね。 地方の百貨店に行くとやはり「あ〜昭和だなぁ」って感じるんだよね。 そもそも需要が今の30代以下の人に合わない。 昔ながらの市街地にある事が多いから、車も止めにくいし有料だし。 無料の大型駐車場完備のイオンモールが地域の顔になる時代。 時代が変わっただけ。
松江市に転勤で3年ほど住んでいました。一畑百貨店にも生後3ヶ月の娘のための抱っこ紐を買いに行ったりお蕎麦を食べに行ったりした思い出があり閉店は寂しいですね。
最後のご挨拶で思わず涙が出ました。 島根は温かくて人情味があって大好きな場所です。 また春に出雲と松江に遊びに行きます。
地元百貨店を残すためにも利用しなきゃいけませんね。 最後の挨拶は涙無しでは見れませんでした。
私は福岡に住んでるんですが、たまにバイクで松江に行くんです。この一畑百貨店も何度か行ったことがあります。百貨店の店員さんもそうですが、松江の方々は優しく温かい人が多いように思います。また、松江に行きたいと思います。
@user-uz2je4iv4k
5 ай бұрын
遠くて草
@user-zy2ej2ct4r
5 ай бұрын
その時はまたぜひ一畑百貨店へ!
地元仙台の藤崎百貨店をより大事にしようと思います😭
@user-jc4ow4yw3g
5 ай бұрын
同じ仙台市民です。私も藤崎のことを思い浮かべました。 地元百貨店がずっと残っていてくれることを願います。
@Yo-778
5 ай бұрын
藤崎は入ってるテナント的に全然まだ大丈夫だろ
去年まで住んでいた米子からよく買い物に行ってました 九州に引っ越してから、閉店の話を聞きました 長い間お疲れ様でした
20代1人駐在で松江で過ごした際にお世話になりました。懐かしく、寂しくなるニュースでした…
母との思い出 大食堂美味しかったです 61年前 7才でした 一畑百貨店の皆様 ご苦労さまです 亡き母に代わりお礼を申します ありがとうありがとうありがとう 一畑百貨店
また一つの歴史が終わりを告げた。お疲れ様でした。
全く縁もゆかりもないけど、専務の一畑百貨店への熱い思い、最後の挨拶では涙がこぼれてしまった
元米子市民です。閉店はすごく寂しいです。子供の頃の思い出のやよいや、ホープタウンが閉店した時も、すごく悲しかったです。
@Yuika111
4 ай бұрын
ホープタウン無くなってドンキできるからホープタウン無くなってよかったわ😁😁
関東に住んでいますが、旅行へ行った際に一度だけ訪れました。昔ながらのまさに百貨店という雰囲気で地元の方々からも愛されているんだろうなぁと感じました。 自分も通販や近所のディスカウントショップなどを便利に利用してしまうのですが、百貨店は子供の頃連れて行ってもらった思い出もあり、いつ行ってもワクワクするもので大好きなので存続してもらいたいです。
百貨店は文化的な彩りがあるか… なんかいい言葉だ。
百貨店好きな私から見ると、百貨店が減っていくたびに寂しく感じる。
小さい頃、よく祖母に連れて行ってもらいました。地元を出て約10年 最後にもう一回行きたかったが叶わず…。
86歳です、感動しすぎて内臓破裂しました
@miyamiya9186
4 ай бұрын
だ、だ、だ、大丈夫ですか??? 生きてますか!!!
デパ地下の食料品は、郊外のショッピングモールと違い、独特の雰囲気とこだわりがあって、あの感じがなんとなく好きなのに。
今は大阪に引っ越してしまいましたが、まだ地元にいた頃よく一畑さんのCLINIQUEにお世話になっていました。あの頃いつも遊びに行くとメイクしてくれた仲さん、お世話になりました。素敵な思い出です✨おかげさまで50代手前になった今もお肌は綺麗だと褒められることが多いです😊 こうして地元の思い出の地がなくなるのは寂しいことです🥹
ネットって素晴らしいよな 俺たちが忘れてもここに思い出が残るんだから
@user-iu4dr3oc5x
5 ай бұрын
そのネット通販で閉店もしたけどね。
@user-zv5tn7ik9h
5 ай бұрын
@@user-iu4dr3oc5x それを言っちゃおしまいよ
@user-rp7rb6sz7m
5 ай бұрын
まあ皮肉になっちゃうよね。でもそうやってこの先も歩みを進めていくんだよ
甲府の岡島百貨店も応援してます!
残念です。松江と言えばお城と一畑百貨店、一畑鉄道。島根の顔だったのに。。。いつまでもあると思ってたけど残念です😢島根はあまり変わらないと思ってたけどそうではないんだな。。。淋しい。
うちの市も多くの商業ビルが閉店になり、数年で今風の建物となり街の風景も変わりました。自分が過ごしがんばった時代やその思い出も壊されていくようで寂しい気持ちになります。携わった皆様や市民の方々の心中をお察しいたします。市を支えご尽力なさった皆様の今後のご活躍とご多幸を心より祈っております
65年間ありがとうございました。閉店していちばん寂しいのは地元の方です。
全国的に百貨店の閉店が 相次いで寂しい限りです..... 子供の頃、自分にとっては 贅沢な場所で行くと決まった時は 凄い喜んだのを覚えています! 大型ショッピングモールにはない 華やかさがありました。 あの頃が一番楽しかったな!!
やっぱり大事な場所が一つ消えるたびに寂しくなりますね。地元のパルコが消えた時は両親の思い出、友達との思い出が蘇りましたね。今までありがとうございました。
@taronao6455
5 ай бұрын
岐阜県?
@user-tp6xj4ug3q
5 ай бұрын
宇都宮ですか?
一畑百貨店 なんとなく素敵な名前
大阪民ですが、息子が昨年島大に進学し、その縁で松江にも行き一畑百貨店も知りました。寂しいですね。
地域を愛する百貨店、閉店まで応援して集まってくれた地域の人々が本当に暖かく 65年かけてかけがえのない関係を培ってきたのだと感じました
ありがとう一畑百貨店!松江に行った時は必ず行きました!ビックリした😢デパ地下に必ず行った
良い会社だった 給料云々、一畑百貨店のような素敵な職場で働きたいと思う
昔ながらの店がどんどんなくなって行く。 時代の流れとは言うもののさびしい😢😢
たった一言の言葉でも気持ちは伝わるもんだね。 最後の言葉を専務さんが告げる意味があるんだろうね。
@user-fr8wi1ol5u
5 ай бұрын
社長じゃなくて専務なのは ??? と思いましたけどね笑
松江旅行で上で出雲そばを食ったのは良い思い出。寂しいです。ありがとうございました。
百貨店ていうビジネスモデル自体がもう過去の遺物と化してる
「またお会いいたしましょうね」って、さすが百貨店の常連の人やなー めっちゃお上品
今まで存じ上げてもなかったのに、涙が出てくるのはなぜだろう
@id9568
4 ай бұрын
いろいろ経験してきたからこそですよ😌
昨年出張で立ち寄ったが、客が自分と数人。店員の方が数が多かった。 松江自体人がいない。
亡き父が一畑百貨店の一期生でしたので倅の僕も込み上げてくるものがあります。
百貨店業界は厳しいく地方百貨店はどこも苦しい経営状況で、鉄道系百貨店でさえ再編を迫られている現状がある。外商がどれだけしっかりしているかもポイントで、顧客の高齢化が難しさに拍車を掛けている。 時代の流れとは言え親子三代(四代)で通った人も多いだろうと思うとなんか切なくなってくるな。地方の百貨店というのはそれだけで付加価値があった。
こんな泣ける挨拶あるかしら。
寂しいですね😭 私の住んでいる県も唯一の百貨店が何年か前に閉店しましてその時のことを思い出しました。 色んな思い出、ずっと忘れません。
閉店するお店にたくさんの人々が駆けつけて労をねぎらう。感動します☺️
2:08 やってくれますよね? イオンにありますから 何か寂しい。確かにイオンにいけば何でも揃うけど、百貨店のような雰囲気ではない。 物産展もモールでやってもスペースの都合ごく一部だけ。魅力的なイベントは百貨店には敵わない。 最後の専務の涙は、感謝や寂しさもあるけど、自分の代で閉店して申し訳ないという悔しさがあると感じました。
一畑店員達へ、長年お疲れ様でした。
元埼玉県所沢民です。まもなく新所沢パルコが閉店 するそうです。 映画をみたりバイトをしたりしました。地元のランドマークが失くなるの寂しいですね
やはり世代交代は 避けられない。 つまりはお客の世代交代 ですね。 百貨店としての品格は 落とせない。 しかし若い世代がその品格 に馴染めない。 難しいね。
閉店の時だけではなく普段もこれだけお客さんが来てくれていれば
子供の頃から身近にあったから、専務の最後の挨拶は涙無しでは見れないな…。
専務さんの挨拶が泣けた 当たり前にあった一畑も無くなったのね
百貨店って特別なんだよね
専務さんの涙を見てもらい泣き頂きました。いつか福山天満屋も亡くなる日さえ近い気がします…
こういうの、行ったこともないけど、めっちゃ泣ける😢
泣きました。 いつもあるのが当たり前のものが無くなるのは悲しい。
山陰に住んでた頃に、一畑百貨店で買い物をしました。 島根といえば一畑ですよね。
何かにつけて節目節目での買い物が思い出されます。百貨店での買い物は、それだけ特別なものでした。 ただ現実、郊外型店舗やドラッグストア、イオン、ネット通販に顧客が回ってしまっていたかもしれませんね。 個人的には、稼ぎが悪くて買い物が出来なかったことが悔やまれます。
思い出の場所がひとつ消えるというのは寂しいものですね。祖母との思い出が蘇ります。
25年ほど前、松江に旅行に行った時に、一畑百貨店行きました。 確か、エレクトーンが置いてあってイベント時に誰かが演奏するのかなって 事が印象に残っています。 長い間 お疲れ様でした。
専務さん、絶対ええ人や😢
一畑百貨店閉店、ビックリしました 松江に住んでいた子供の頃、家族でよく買い物に行っていました お疲れ様でした♪
横浜在住の者ですが、一畑百貨店には2度ほど訪れており、残念です。 旅行や出張で県都・代表都市を訪れるなら地元百貨店探訪は必須ですね♪ 全国一律金太郎飴みたいなイオンモールと違い、地元百貨店には其の地の文化・歴史が詰まっています。 松江も米子(鳥取県だけど、同一商圏ですよ)も素晴らしい街♪ 観光名所だけを訪れるのではなく、昼は地元百貨店、夜は地元店に行かないと! とても残念です。
@user-ej4yz2kf9g
5 ай бұрын
すごくわかります。百貨店すきです。by33歳男
大阪から閉店2日前に行ってきた。 島根に来たら毎回行ってたから残念。 地方都市の中心部の厳しさをつくづく感じる。
こいう光景が日本全国でみられることでしょう。みんなアマゾンで買い物するし。 どういうふうに時代は変わっていくのかな?
廃止される夜行列車と同じで当たり前だったものがまた一つ消えて行く
お疲れ様でございました
元カノと数年前に1回きりやしなあ 一畑電車もコロナで収入減で何処かを切り離しざるを得なかった これが島根の現状なんだろう
川崎の「さいか屋」がとっくに閉店したけど、 10F建でちょうど良い規模で中高年の私は気に入っていました。 地元の名店の特売があったり素敵な洋服も扱っていました。 他の駅ビルはムダに広くて、歩くのに疲れて 行きたくないですね。
@user-yv7gv4rf1k
5 ай бұрын
横須賀のさいか屋も2021年に閉店発表しましたが、その後、一転して閉店を撤回することになりました。 利用者の惜しむ声の大きさは勿論のこと、事業関係者の協力によって存続を決めたそうです。 再開直後には、南館にeスポーツを筆頭としたアミューズメント施設「娯楽の殿堂」をオープンさせ、2024年にはデパ地下などをリニューアル予定であり、新規客の獲得に向けて頑張っています。
@DJ-ow4hx
5 ай бұрын
川崎市バスと 臨港バスのバス停は 百貨店がなくなっても バス停の名前は さいか屋前
最後の最後で三和シャッターに全部持ってかれたな笑笑 最高の広告になってもうた笑笑
初めて知りましたがこういう古き良き日本のお店企業を自分は応援しています。 モールとか大きすぎて自分は苦手。 お疲れ様様でした。
自動ドアの分かりやすい位置にキャッシュレスのステッカーとAEDの表示。これだけでも良い場所であったのが伝わる。
@wmadjtw
5 ай бұрын
自動ドアに宣伝を貼るパチ屋
もらい泣きしました。近所の方々もこれからが大変だろうと思います。
社長の涙が専務より少ない、幹部より社員が気の毒、第二の人生頑張って下さい。
地元の福屋百貨店を大事にしようと思います🥹
@user-uh3ox6uq1v
5 ай бұрын
広島民さん、ちっすちっす。
百貨店やデパートが無くなるのは寂しいな…お疲れ様でした。
閉店を惜しむくらいなら普段から これくらいみんな来店してくれてたら良かったのに😭😭
@user-de4tf3nc5x
5 ай бұрын
無くなって初めて気づくってやつなんでしょうね、、、
@user-of1qi7if2w
5 ай бұрын
なぜ惜しんでる人達が来店していない前提なんだ?
@ya.9788
5 ай бұрын
Amazonで翌日届くのにわざわざ車でガソリン代と駐車場代かけて行く気にならないんじゃない?
@user-zi7ww9gi5j
5 ай бұрын
友達もパートナーいなさそうなコメント
@arishin683
5 ай бұрын
@@user-of1qi7if2w いつもこんなに人が来ていないから 毎日行くことはないにしても普段使いしていたらもう少し賑わっててもおかしくはない最終日の人集り
今まであった物が次の日からなくなる。 また一つ『街の顔』がなくなってしまった。地元民ではない自分でも何だか寂しい気持ちになります。
18歳で松江に住み始めた時のことを思い出した。
泣けてきた
松江から百貨店がなくなる一方ですぐ近くの米子には高島屋も天満屋も生き残っているという
@yomeshima2
5 ай бұрын
米子高島屋も地元企業であるジョイアーバンに事業譲渡してるからね。(地元企業が高島屋に看板を借りて運営している状態で愛媛県のいよてつ高島屋や名古屋のJR高島屋と同じ)
@bboot412
5 ай бұрын
独立系地方百貨店は体力的にキツいわな 収益出せる大手百貨店は大都心の旗艦店舗の売上が大きいから
@negitoro0707
4 ай бұрын
大手の看板を借りても売上が上がらないのは三越が証明しちゃってるんだけどね。
他県のアラフィフですが、こういった良質の物を売る百貨店が消えていくのは残念ですね。大型ショッピングモールや海外通販が増え、日本の衰退とも思えます。 専務さんの挨拶に涙です😢
@acountgmail8354
4 ай бұрын
逆に日本がネットでも海外を喰って行けば良いのでは?先が見えない明治の先人でさえドンドン海外へ雄飛してますよ。言うまでもなく世界は広い!😊
@noname-dk7ri
4 ай бұрын
形態が変わっただけだよ
最後言ったら終わっちゃうから言いたくなかった感じがすごい伝わって涙出た
中井喜一主演映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』で舞台になった一畑電鉄のデパートだ\(^o^)/ またまた昭和の風景が無くなるね、、、、お疲れさまでしたm(__)m
ここ数年 百貨店の閉店が相次いでるけど 大手閉店とはまた違う 地元密着の百貨店だからこそ 挨拶にも寂しさと感謝が溢れてますね、、、ショッピングモールに地元愛はないだろな。
@arishin683
5 ай бұрын
愛はあるはずのに何でお客さんは行かなかったんだろうね イオンは今回の能登半島地震でわりと積極的に支援に動いていたと思いますけどね
@tyuggkitiuv8717
5 ай бұрын
地元の店が出店してる場合も有るから何とも言えんし、百貨店自体も実質ショッピングモール化してる所が多いのが現実。 只、郊外型の店舗も高齢化とバス運転手不足でどうなる事やらと言った感じではあります。
@arishin683
4 ай бұрын
@user-bx4dj4um8n 人との愛もそうだけど本当に愛があるなら普段から態度に示さないとダメだよね 記念日だけとかそんなのは愛ではない
65年ですか、、、 私が 高校一年生の時の開業 だったんですね。 屋上の ビヤガーデン 大山スキーバスの集合場所 、、、 確かに あまり お買い物の 思い出は ないかなぁ? 感慨深いデスね (千葉県在住です)
時代の〰️変革!
悲しくて涙が止まりません😢
TBSのマツコの番組で 日本の3大和菓子地域が 松江京都金沢だと 放送していた。 全部、西日本。 そのほか、 島根県は 人口百万人あたりの スーパーマーケットの数が 全国ランク10位以内。 とくに、 総合ストアGMSが イオンと イズミゆめタウンと あわせ、 人口百万人あたり、 8店以上ある 総合ストアの多い県。 東京都は人口 百万人あたりの イオンの数は1店か2店。 東京都のイオンの合計数、 わずか17店。
寂しいですね。 普段からお客さんがもう少し脚を運んだらという意見もあるけれど、普段からもう少しだけお店の人たち(特に社長、店長クラス)が、そのお店・売り場にかける思いをスピーチしたり、広報誌展サイトに表したりする機会があっても良かったなとも思います。 モニター越しにも、地方都市独特の人と人との近しい関係や人情が感じられて、最後の日までいい感じのする地元密着、お客さんの顔を見て大事にされるタイプのいい百貨店だったのだなって伝わります。 これまで長い間、65年間、お疲れ様でした。
行きたかった