【運河のまち】小樽の歴史【レトロな風景】

小樽は北海道開拓において、古くから港町として人やモノが集まり、中心的な経済都市として発展していきました。
戦後はエネルギー革命や太平洋側の経済発展の影響もあり、港湾都市小樽としての役割が変化していくなかで、いわゆる「運河論争」などを経て、数々の歴史的建造物を観光資源として活用することで、観光都市として有名になっていきます。
小樽のまちをあるくと、そういった歴史に触れることができます。どのようにして小樽のまちがつくられていき発展していったのか、なぜこのような風景となっているのかなどについて、まちを歩きながら辿っています。
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#小樽 #小樽運河 #小樽観光

Пікірлер: 3

  • @masao750
    @masao750Ай бұрын

    石原慎太郎さんの父は日本郵船の小樽支店長。港に会社の船が入るとドンと太鼓で合図するので通称ドンちゃんと呼ばれた。

  • @user-tu3wv5yz9w
    @user-tu3wv5yz9w Жыл бұрын

    小樽って、戦前の昔は北海道で預金高が一番高い金額を保有していた港湾経済都市で、北海道で一番栄えていた都市だったんだよね。 その頃の札幌は林檎果樹園が広く占め、北海道では第四の都市だった。 札幌で産出した林檎を、小樽を介してナホトカとかに輸出していたから、小樽は物流のハブ機能で栄え、国内外で物流を担っていたから、日銀小樽支店も有ったくらいの経済都市だった。 しかも、バロック様式の建築物である現小樽博物館は、日露戦争の戦後処理会議にも使用された舞台だった。 当時は、それだけ小樽は北海道では重要性の高い都市だった………と本で知見を得たつもり😅

  • @akihiroba

    @akihiroba

    Жыл бұрын

    詳しくて分かりやすい補足ありがとうございます👏

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