【写真トーク】写真は時間芸術たりえるか? ─ 時間のスプリットイメー/フォトロマンの露光時間

Тәжірибелік нұсқаулар және стиль

また糸崎先生が面白い動画をやっていたので、この半年以上にわたり考えていたことをダーッと喋ってみました。時間芸術と空間芸術をどう定義・認識しているかだけなのかもしれませんね。この区分自体にはいまや意味があるかどうかもわからないですし
糸崎公朗の考えるカメラ。と写真。 @user-qo1hf6yv7e
【写真は時間芸術である】写真とカメラの講義
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なんと!エンパイアという作品は、8時間に渡り撮影したのではなく6時間36分がフレームレートの関係で約8時間の作品となったようですね。
別所隆弘
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#写真 #カメラ #時間芸術 #空間芸術 #映像インスタレーション #沼より深い話

Пікірлер: 29

  • @kiyo802funky
    @kiyo802funky24 күн бұрын

    奥深いですね。フィルムや現像した写真の経過・劣化を愉しむ芸術なのかな?と思ってました。

  • @user-tl7ql4yg2l
    @user-tl7ql4yg2lАй бұрын

    面白い実験と発想ですね🤩

  • @mk5717
    @mk5717Ай бұрын

    とても面白い切り口ですね。 以前にも、「CDジャケットに音源を合わせたものは、演奏時間と共に終わる『動画』である」というようなテーマの回があった気がします。 印刷された写真は時間芸術足りえるか?と考えてみると、年単位で時間が経って色褪せた姿を計算ずくで出したらそうなるかもしれません。 例えば、色褪せたポスターには長い時間のノスタルジーを感じます。(とはいえ、それが写真の表現か、というとまた違う気もしますが)

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    私が社会人になったときには既にマルチメディアの時代であまりこの時間/空間の芸術区分には意味がなくなっていたとは思います。でもあえて線引きを考えることで見えてきそうなものもあるかもしれないですよね。

  • @icitom
    @icitomАй бұрын

    大変興味深く拝見しました。 糸崎さんの動画においては「瞬間を撮影し続けてきた写真」という総体が時間芸術なのではないかという解説と読みましたが、ジェットさんの試みは、写真というフレーム内に収められた画が時間芸術たりうるかという視点で、凝り固まった頭を揺さぶられる思いでした。写真とはフレーム外に広がるイメージをも想像させるという点において時間芸術なのではないか……と、手元にある写真集を開いたところ、自身の脳内に広がるフレーム外がまさかの静止していることに気づき、愕然としたところです。 私にとっては、動的な写真を見てその前後に動きを想像させるという点においては時間芸術ですが、静止した写真のフレーム内外を認識&想像する時においては空間芸術であるようです。

  • @user-ms7dl2nu3p
    @user-ms7dl2nu3pАй бұрын

    最初のテスト動画を見て漫画のコマ割りの様な印象を受けました。ドン!バキ!ドカ!を3コマで見せてコマ間の時間の流れを見る人に想像させる手法に感じました。スプリットの方はルパン3世のマモーが過去を回想するシーンを思い出しました。もしも1コマで表現させるのならば一コマのなかに視線導線を作れる様な構図であれば時間を感じさせる作品になるかもしれませんが周到な計算が必要になりそうです。

  • @nor-mechee-hee-law9426
    @nor-mechee-hee-law9426Ай бұрын

    ふわっと思ったんですが、音楽や演劇と写真では時間の在りかたが違うかなと。音楽や演劇(おそらく映画も)の時間は演じるその時点で生まれ経験されますけれど、写真の場合(少なくとも言説としては)”~の複製”という形をとりますので、時間でもその唯一性を疑問に付す、という点で食い違うような気がします。

  • @kimioitozaki_photo
    @kimioitozaki_photoАй бұрын

    ちょっとビックリしましたが(笑)取り上げていただきありがとうございました。 ジェットさんの写真と時間についての考察、私とはまた切り口が違っていて、たいへんに興味深かったです。 即席で実験的な映像を作られるところもサスガだと思いました(^^;;

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    自分的には「写真は時間芸術である」というのが極私的バズでした。最近は「動く写真」がとても気になります

  • @user-rj4jn5tt5q
    @user-rj4jn5tt5qАй бұрын

    写真と時間に関わる考察、スプリット映像等初めて知る言葉や手法を見せて頂きありがとうございました。 知識や造詣の浅い私が「写真は時間芸術になり得るのか」 と聞いてパッと想像したのが、両親が撮る赤ちゃんの写真でした。 その子が成人式、結婚式、両親との死別等に鑑賞した時の精神的にまた、写真自体も経年劣化(セピア色になる等)は時間芸術ではないのかな?と感じました。 動画を見せて頂いて、切り口の違う話だと気付きました。

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    はい、@sgmassa さんのコメントに書かれているような認識が一般的です

  • @toriaruku
    @toriarukuАй бұрын

    最後のアンディ・ウォーホル「エンパイア」の話からちょっとそれますが、同じものを同じ場所から撮影時刻のみ変えて多重露光で撮った写真は「時間芸術としての写真」たり得るのでしょうか。 こういった写真論の動画がとても好きなので、次回があれば楽しみです!

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    時間芸術を勘違いされていると思います

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    補足ですが、時間の堆積があっても結果としての写真それ自体が時間軸をもって表現されていなければ時間芸術の要素がないと言えます

  • @toriaruku

    @toriaruku

    Ай бұрын

    ご指摘ありがとうございます。 仰る通り、時間芸術を履き違えて理解していました。 音楽や演劇のような、上演と鑑賞が時間性を帯びるような写真表現、「写真それ自体が時間軸をもって表現されている」とは何か、考えてみようと思います。

  • @nex3movie
    @nex3movieАй бұрын

    動画と(動かした)写真をごちゃ混ぜにして動画にしている人(私)とは考えてることが違いますね。

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    モーショングラフィックス等でしょうか?

  • @nex3movie

    @nex3movie

    Ай бұрын

    @@jetdaisuke いえいえそんな大それたやつじゃないです。聞き流してください。

  • @sgmassa
    @sgmassaАй бұрын

    私はアマチュアオーケストラ奏者ですが,やっぱり時間進行が表現の主たる手段であれば時間芸術,との考え方です 写真や絵画の鑑賞にも時間は要しますが,それは時間をかけることが表現の主たる手段ではなく, あくまで空間の解釈に時間がかかっているだけだ,というか...... (というか,それを許容すると空間芸術が全くなくなってしまう) スチルとムービーに分かれた言葉がまたくっつこうとしているのが面白いですね ”絵画とアニメーション”と同じような関係性で考えることもできるでしょうか

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    表現する側が時間経過を必要とするか否かですよね。仰るとおり鑑賞者の時間まで含めるとぜんぶ時間芸術になってしまいますから。 スチルとムービー → 活動写真なんて言葉もありましたね。イーストマンのセルロイドフィルムから映画に、そしてライカ判は映画フィルムから。両者は密接で、切っても切り離せない関係なのかもしれません。20世紀に分岐しすぎただけなのかも

  • @sgmassa

    @sgmassa

    Ай бұрын

    @@jetdaisuke しばらくこの話題について考えていましたが、例えば写真プリントに当てる光を時間経過で変化させるなどは時間芸術になりうるか、と思いました 写真展や美術館では、展示物に当てられるスポットライトは一定であるように思います(自ら発光する作品は別にして) それが当たり前でしたが、大塚国際美術館の屋外展示のモネの睡蓮を見ていて先の発想をしました。自然光のもと、雲の陰りなどによって見え方が変わっていくのが新鮮でした

  • @luci_hiko
    @luci_hikoАй бұрын

    被写体自体が経てきた時間を閉じ込めてるわけで・・・「時間芸術」や「空間芸術」というカテゴライズにキッパリと納まりきるのか疑問ですねぇ。 学問としては可能な限り曖昧さを無くし、曖昧さ自体にも名前を付けるんでしょうが。

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    被写体自体が経てきた時間は関係ないです。それ言っちゃうと彫るのにかけた時間も建築にかけた時間も含んでぜんぶ時間芸術というkpとになりますし

  • @luci_hiko

    @luci_hiko

    Ай бұрын

    @@jetdaisuke ありがとうございます! たしかに仰るとおりです。これまで自分になかった視点ってのは、なかなか刺激的ですね。

  • @yasfuru4206
    @yasfuru4206Ай бұрын

    連写を逆再生すればエントロピーの増大の中で減少を体験できますねw

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    自転車で谷を下ってそのまま登りに入ってどこまでペダル漕がずに行けるか?というとき似たことを考えますね

  • @user-dl4ey9qd7u
    @user-dl4ey9qd7uАй бұрын

    とても興味深く拝見しました。本題とは直接関係ないかも知れませんが、個人的な意見として時間とは現在のこの一瞬しか存在しないと思っています。現在を認識した次の瞬間に一秒前は既に過去になっている。過去とは記憶であり、未来とは想像であると思います。時間の流れの中で現在と言う一瞬を切り取ったのが写真であるとすれば、写真は時間芸術なのではないでしょうか。その意味では動画は時間の流れの中の例えば 10分切り取っただけで、切り取ると言う意味では写真と同じ範疇だと思います。

  • @jetdaisuke

    @jetdaisuke

    Ай бұрын

    単純に、時間軸のある作品を指して時間芸術、空間に在るのを空間芸術という分け方なのです。なので静止画のみでは時間芸術とは言い難いです。今回は糸崎先生の仰ってたことに端を発しての、「ではどうすれば写真は時間芸術たりえるか?」という考察です。

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