旭川市の自衛隊に続く謎の空間や不自然な線形の正体は…
今回は、かつて旭川市に存在した大日本帝国陸軍第7師団専用線の廃線跡を探索します。
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Пікірлер: 116
懐かしい光景をありがとうございました。 幼少のころにはすでに遊歩道が整備されており、大町駅の跡地の広場でよく遊んだものです。 周囲は木工場が多く、子供ながらにどうしてこうなったのだろうと疑問を持っていたものでした。 祖父が、このあたりに貨物が走っていた、と言っており、子供のころは嘘だぁ、と思っていたのですが、成人になって調べてみると跡地という事が分かりました。 旭川発展の一つが身近にあったとは、と感心した次第です。
これはマジで知らんかった。 栄光の第七師団、北鎮部隊!
ゾヌさん初めまして、地元在住者です。大町岐線跡懐かしいです。 5:06の公園付近に当時あった市営住宅に昭和47年まで住んでいました。 ちょうど公園の南側を線路が通っており、貨車を引いた蒸気機関車がのんびり往来していました。 運送会社勤務だった父が大町駅の営業所に詰めていて、母と一緒に線路を歩いて弁当を届けた記憶がよみがえりました。 取り上げてくださってありがとうございました。
@Su----
Жыл бұрын
昭和40年代にお住まいだったということで、もしご記憶にありましたら…。 近文駅で、この大町までの貨物線への分岐と(函館本線の線路を隔てて)反対側、現在の運転免許試験場をかすめて、現「道北バス旭川営業所」内に向けても引込線があったようですが、こちらも木材積み下ろしのための貨物駅だったのでしょうか?
@norihisasaito6369
Жыл бұрын
@@Su---- さん その場所は松岡木材向けの、いわゆる「専用線」ですね。
@Su----
Жыл бұрын
@@norihisasaito6369 ありがとうございます。近文駅構内側線ではなく木材会社の専用線だったのですね。 「松岡木材」という会社は知らなかったのですが、検索したところ、かつて木材で財を成した、近文に本社を持つ旭川でも有数の大企業。道内ほか東京にも支店工場があったそうで。 昭和37年の航空写真にはこの専用線の両側が広大な貯木場となっていますが、40年代後半には線路は見えるものの空き地となっていますので、この間に会社は倒産したようです。 昭和52年の航空写真では線路は消滅しているものの、敷地内に線路跡のラインは見えていました。その後も免許試験場と道北バス営業所ができるまでは空地のままだったようですね。いろいろと興味深いものです。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
自動車が普及する以前は専用線が沢山あったんですな
@nmiwa980
21 күн бұрын
@@norihisasaito6369 祖父が松岡木材の経営に、父が職員として一時携わっていました。こちらで松岡木材の話題に触れるとは。びっくりしております。
大有小学校の卒業生です。北の散歩道ですが当時は線路でした。教育大付近も砂利道でした。懐かしいです。
ゴールデンカムイしか思い浮かびません😂
@user-ux8eq5yi4o
Жыл бұрын
(゚∀゚)<オソマッ!
近文駅といえばホームの待合室、明治時代のものが未だに使われているんですよね。雪もそれなりに降る地域だけに、よく保っているものだなと思います。
1979年頃旭町に1年半ほど住んでおり、懐かしく思い出しました。 ありがとうございました。
旭川に縁のあるものです。 父親からこの旧大町岐線の話を教えてもらいました。 6:49 ~ 8:06 私が子供だった平成15年頃、この道沿いは木材加工工場が軒を連ねており、木の切る機械の音や加工前の丸太からの木の香りがしていたのを覚えています。 国鉄時代の機関車乗りの祖父(石北本線や留萌本線を担当)にも聞き取りしてみるかな。 とても為になる&貴重な話を有難うございました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
当時の様子を教えていただきありがとうございます。
この様な廃線跡があるのですね! 時代の変遷とともに変わってしまった景色を、 昔を想像して探索するのも趣があって楽しめますね👍 解説も分かり易くワクワクしながら拝見させていただきました。 次回作も楽しみにしております🎵
ふむふむ。旭川市内の道路は結構複雑ですよね。なるほどそのような歴史があったんですね~~~。
ゾヌ様、よくお調べになりましたね😊地元なので学生の頃はまだ線路がありました。懐かしいです、所々切れていましたが。旭川は戦車の通行ができるように造られた旭橋が有名ですが、変な都市伝説もあるのでちょっと恐ろしいです。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
私も長いこと住んでいましたが、こんな廃線があるなんて全く知りませんでした。旭川の動画ももっとやりたいですね。
今回は藪の中ではなかったので、安心して観ていられました。
素晴らしい!私も富山県の廃線跡の道路や自転車道を通って過去に思いを馳せています。
旭川住んでたので懐かしいです!!ありがとうございます!
普段生活上よく通る道をゾヌさんがチャリで走っていたと思うとなんか感慨深くなりました。北の散歩道は今は学生の通学路というイメージしかなかったので今回の動画とても為にありましたありがとうございます。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
首からカメラをぶら下げた怪しいヤツだったことでしょう
私が小学生の頃は、普通に線路を渡ってましたよ~!大町4丁目辺りかな?近くに木工場があったから、木材を運ぶためにあるのかな?って思っていました!大町育ちなので、友達の家に行く時は、何度も渡ってたよ!そー言えば、いつの間にか線路が無くなっていたな~!懐かしいですね!!
こんばんは、旭川は実家がある所でしたが、高校まで鷹栖に住んでいたので、大町駅や近文の踏切は良くバスで通っていたのを覚えています。大町駅は石炭とかも集められていたので色々なエネルギーとなる物を運んでいたのかなといつも見ていました。あの周りはあまり建物は無かった感じです。ですが、自衛隊までの引き込み線があったのはちょっと覚えていませんね、多分小さい時かなぁ。また、ニトリが近くにあったのですが、今は花咲の方に引っ越したのかと思われます。近文の踏切は木材がたくさんあるのが印象的でした。線路越えると墓地が近い為か石材屋さんがあったり。懐かしいですね。ありがとうございます。 どうぞ、今後もお気を付けて探索してください。
ほかのコメントと同じく 面白かったです
実家が動画に出てくる教育大のすぐ近くだったので、まさに私が幼少期~学生時代を過ごした場所を一回りといった感じでとても懐かしい気持ちになりました。 北の散歩道、子どもの頃は毎日通っていましたが、まさか線路跡だったとは驚きです。大変勉強になりました。ありがとうございました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
光栄です
旭川第七師団といえば、 ゴールデンカムイに登場する鶴見中尉の師団ではないですか! ちょっとテンション上がってしまいました(≧▽≦) 街中で不自然に斜めに通る道をよく見かけますが、そういった道はかつての鉄道あとなのかもしれませんね。 興味深い動画、ありがとうございました!
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
なるほど、あの漫画に出てくるのは第7師団なんですね。
ちなみに5:27と 9:30にある北の散歩道という看板は、 2021年の夏くらいに新設されたものです。 私も2021/8/7に同じ所を自転車で撮影した時にはありませんでした。 撮影後に急に看板が出来てびっくりしたのを覚えてます。 旧大町岐線について、とても詳しく説明されてるので、勉強になりました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
ええ!?そんな最近のやつだったんだ・・
1980年頃の道路地図に大町線がまだ載ってましたね。当時は昨年壊されたニチイすらもまだ無く、駅前が町の中心で、西武、丸井今井、マルカツと活気があった時代のようです。
川端や緑町の12~13丁目ってなんで道路がぐねってるんだろうと不思議で・・・ 冬道の時の悪路の代名詞みたいなイメージでした😅 鉄路の跡だったとはねぇ🤔
第7師団の専用線があったとは知りませんでした。第7師団って北鎮部隊とも呼ばれてたんですね!(なんかカッコイイな) 線路跡ー今となってはわからなくとも、「ここに線路が引かれてたのか~」とわかるとワクワクします🙂
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
そう、明らかに線路が残っていたりするよりも、ここに線路がってのがイイんですよ
旭川大町駅跡地近隣に燃料関連の会社が多く見られるのが貨物線としての最大の名残になります。2000年頃までは現在のサ○ドラの場所は石炭置き場で、ダ○イチやユ○クロの辺りは木工場がありました。 追記 4:51に出てくる青い屋根の斜めに建っている民家は支線現役時代から残る数少ない現住民家になります。 空中写真を見ていただくと線路と民家の位置関係がよく判りますので是非ともご覧ください。
@Su----
Жыл бұрын
ちょうど青い三角屋根の手前を、家に沿うように斜めに線路が走っていたようですね。その先の「北の散歩道」までの住宅地には一切、斜めに建てられた住宅がないので、この区画では唯一の(当時からの)現存家屋のように思われます。 ゾヌさんが怪しがっていたここの「道路のヒビ割れ」は、この家の裏手にある市営団地の上下水道管が埋設工事の痕跡では?と推測しました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
なるほどな~数少ない当時の景色と言うことですか。
懐かしい!30年前金星橋のそばに住んでいましたが、習い事が教育大の側だったのでこの遊歩道を自転車漕いでいました!木工所などはなくなってしまったようですがパチンコ屋さんが昔もあの場所にあったような気がして懐かしい気持ちになりました。
むすめの旦那が和寒出身で先祖は東北地方から移り住んだと聞いてます。屯田兵だつたとも。旭川の発展がよく分かりました。
旭川探訪していただきありがとうございます。 なかなか帰省できないので、こういう感じで見せていただけるのが嬉しいです。 小さい頃、大町駅跡付近は原木が積まれていた記憶があります。 今も残る廃線跡の道沿いに親戚の家があり、真ん前を通過されていますね(^^;;
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
私も第二の故郷です。でもこんな廃線があるとは知りませんでした。
昭和五十年代までその専用線の踏切が、金星橋通などにありました。
こんにちは。いつ頃の動画でしょうか。秋頃? スタートして教育大前を通り、元大町駅付近まで毎日の散歩コースなので、ゾヌさん来られたんだなあと嬉しくなりました。 春はもう少し。廃トンネル探索も、たいへん楽しみにしております
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
夏ですよ。私にも馴染みの地域です。 春になったらまた全開で探索します!
うちのご先祖は旭川市永山村字ウレベツから、大正になってから追分町に分家したようです😅改正原戸籍謄本には 家督相続やら達筆すぎる字でなかなか読めませんが😅 ご先祖は永山村に居た屯田兵だったみたいです😅
自衛隊まで線路があったなんて全く知りませんでした。普段よく通る辺りだったのでかつてはそうだったのかと勉強になりました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
面白いですよね。
ゾヌさん、廃道だけではなく、もう立派な廃線マニアですね👍
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
廃線はややビジネス探索寄りです(笑 面白いですけどね。
昔は親せきの家に行く際に,必ずこの引き込み線の踏み切りを渡って行ったのを覚えています。 ちょうど緑町15丁目あたりです。当時,この辺は貯木場がたくさんあってあまり民家は多くはありませんでした。 地図で確認してみると,学生時代の後輩がまさにこの線路上の敷地跡に住んでいたことがわかりました。
廃線後も線路はしばらく残っていて、子どもの頃、近文駅近くのお宅に遊びに行った時、嵐山線を線路が横切っていたのを覚えています。イオンモールも高速インターも12号バイパスもまだなかったので交通量はほとんどなく、この近辺はのどかなものでした。昭和56年頃でした。
昔線路がありましたね…近文線だった様な…50年以上前の事で詳しくないですが 広い空き地に原木の積出し場があって道路の寸前に車輪止めが観えていました
宅地化された部分は無いでしょうが、遊歩道部分には境界標は残っていないのでしょうか? もし、境界標が残っていれば鉄ちゃん的には廃線跡との認識はし易いと思うのですが…
素晴らしい動画。 動画の緑町では道を一本間違えるだけで迷路のように抜け出せなくなるのは、そういった理由だったんだ。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
不自然なナナメの線形が混乱させるわけですな
専用線と言えば道内の火力発電所にも専用線が有りました 厚真発電所は別ですが 厚真は発電用石炭がトラック輸送に代わってから出来た発電所ですから 王子製紙も専用鉄道を持ってましたね 江別工場にも函館線から分岐して 苫小牧工場は王子軽便鉄道が 山線は支笏湖畔や千歳川の王子発電所に向けて 海線は後に日高線と成りましたが
とうとうここ行ったんですね。google mapsで不自然な線形があって調べまくったことがありますw 帰省したときに同様に自転車でたどってもみました。はじめは川を埋め立てたのかなとも思っていたんですが直線が続くこともあり怪しく思って調べたのでした。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
思った以上に辿れましたね
春になったら国鉄時代の未成線で函館にある戸井線をリクエストします。 函館市内のは道路になっているようですが、戸井町にはコンクリートアーチの跡が残ってます
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
戸井線、アーチ橋だけ見たけどマジメに探索するか・・
戦前の旭川市の地形図を持っているので、この軍用専用線が存在していたことは知っていましたが、その後昭和25年~53年は短縮されて、駐屯地手前の林産試験場への「旭川大町駅」が設置。国鉄函館本線の貨物専用線として残っていた事実は初耳でした。 第七師団内まで線路が延びていた時代は、道道72号線で旭川馬車軌道と平面交差していましたので「ダイヤモンドクロス」が見られたのだと思います。 駐屯地に入った専用線は200m直進した地点で終点とされている地図が多いですが、終戦直後の航空写真を見ると、駐屯地内に入ってすぐ左カーブの分岐が存在。滑走路の末端を横切って、北側の境界柵沿いに北上し90度カーブ。滑走路の反対側末端の対角線上まで線路が敷設されていたことが読み取れます。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
当時の写真があまり残っていなさそうなのでイマイチ実態が分からない。北鎮記念館ですらも。
地元ですが、南の地域に住んでるので、北の散歩道しか知りませんでした。 ゾヌさんの解説で歴史を知りました。 護国神社祭は、確かに涙雨降りますね。 降らない年もあります。 数年前の護国神社祭期間中、護国神社の交差点から雨が降りだした事があり、驚いた事があります。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
北の散歩道なんてこの探索の時に初めて気付きました。 住んでいた当時、何度も通った道路も視点を変えると新鮮に感じます。
北の散歩道は散歩したら気持ちいいんでしょうけど、人通りが少ないせいでよく怪しい人が出没するって言われてて、あまり通ることがなかったんですよね。でも廃線後だと思って歩いたらとても面白そうだと思いました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
怪しい人と言うか変なご老人は見かけましたな
爽やかな季節の映像ですね。各方面の調査が充実していて、へぇーと感心しながら楽しめます。 北海道で人口が集中しているのは札幌だけかと思いきや、旭川も結構発展しているように見えますね。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
旭川、たまに帰るとでかい街だな~ってなります
@joog77
Жыл бұрын
何かあるようで何もないところ
お疲れ様です、久々のハルチャリ動画ですね。 江別にも似たような廃線があります(軍の物ではないが)、今は遊歩道になっています。 旭川の夏は暑過ぎます、冬は雪深いので得意ではありませんね(笑)。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
王子の専用線でしたっけ。
@user-qb8gu9jb3i
Жыл бұрын
そうです、北電総研(元の発電所)の辺りにもあるようですね。
旭川の家具工業衰退、札幌発祥の超大手SPAの拡大の影響がとても大きそうですね
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
安価の家具が出回ったのも一因か・・
ゾヌさんが廃線跡を紹介するの珍しいですね。北海道は廃線の宝庫なのでドンドンやって欲しい(笑)
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
廃線はまだまだ・・マニアックな専用鉄道を攻めていこうかな
我がグンマー帝国の大日本帝国に属してた時代の太平洋戦争時の軍需用の線路がありました。 岩鼻火薬製造所と言うところなのですが、戦後に設置された貨物ターミナルから明らかに不自然に伸びた単線があり、その線路上に明らかに周囲の民間の不便を招いている不自然な踏切があります(ターミナルの関係上いまだに一部使用中) 昔の航空写真を見ながらその単線(現在はほとんど民間などで消えている)を辿ると現群馬の森公園内に存在する戦争遺構岩鼻火薬製造所に繋がっております。 子供の頃はなんでこんな邪魔くさい線路が通ってるんだ思っておりましたが、それを知ってからは当時の事情を深く考えさせられました。
おっ!大町支線ですな。 実は、最近知りました。 結構、気になっていました。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
まあ今ではただの道路でしたけどね。
ブラタモリのようで面白かった
他にも旭川市内の線路跡あるんで調べてください。 豊岡(あたご地区)の方や、旭橋の上にも線路がありました。 動画で見たいです。
千歳線旧線区間(苗穂~北広島)と似ている部分が多いですね。 自転車による廃線巡りも良き。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
千歳線って自転車道になってましたっけ
@hiro825yc
Жыл бұрын
@@user-di9tv2kf8t んだ サイクリングロード有り
札幌に有った戦車道路とかどうですか?45年前位に12号線と環状線の交差点で江別方向から戦車が走って来てたの見てました 12号線がコンクリートの道路で何処に行ってたのは分かりませんが
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
それは興味がありますね。どこへ移動するためだったのだろう。
クマの木彫りの置き物説として 旭川説と八雲説が知られていますよね
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
八雲もなんですか。知らなかった。
第7師団!天皇直属隷下の動かざる師団。練兵場として広い敷地を有する強力な師団だった。北の守りの要。私は北鎮小学校卒なので師団がすぐ傍だった。
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
昔は北鎮の意味をよく知らずでしたが、誇りある名ですね。
三毛別の羆事件で出動要請が掛かった師団ですね。実際に出動したのか(移動中に解決・引き上げ)、出動態勢で待機のまま終わったのかは不明ですが…
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
ああ~・・三毛別も行かないとなあ
昔の軍隊と鉄道は深いつながりが有ったようですね 札幌白石の旧千歳線月寒駅とか 函館線の白石駅周辺とか 自衛隊でも滝川にも駐屯地に入る専用線がありました 今の高速道路や高規格道路が駐屯地や道内各空港に直結しているのと同じ様に 有事の際の展開を見据えていたのでしょうか
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
滝川の専用線は知りませんでした。昔は鉄道をつなげるのがてっとり早かったんですね。61式も鉄道輸送前提だったし。
第2師団の戦車と言えば第2戦車連隊(上富良野)ですよね 上富良野には引込線跡が見当たらないんですよ? 今はトレーラー運搬が主流ですが 昔は貨車運搬が有ったと思うんですが 話は変わりますが廃道廃線と言えば 国道239留萌は小平町小平蘂川河口から花岡地区鬼泊川間に 現在は新小平トンネルが有りますが 旧小平トンネルと更に旧旧道のトンネル遺構が有るそうです またJR旧羽幌線のトンネルも羽幌線はたくさん廃トンネル廃橋脚が有りますね 羽幌と言えばJR旧名羽線も一部未成線ですが たくさんの廃トンネル廃橋脚が有るはずです
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
ありがとうございます。 旭川住みならそっち方面も割と行きやすいですね。私は遠いですが… もちろん行きたいとは思ってます
懐かしい。自衛隊の近くにびっくりドンキーとニトリがあったんだ。
旭川の親戚の家に行った時。 「旭川大町駅廃止反対!」って、看板を見たなぁ~。 旭川って、(貨物線)道路の真ん中に線路があって、貨車(主にタンク車が停まってた。)
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
路面電車があったそうですね。貨物も運んだんでしょうか。
@user-df3fg3jj1u
Жыл бұрын
@@user-di9tv2kf8t さん、私が見た頃は旭川電気軌道は鉄道部門は廃止して(?)ると思いますから、別の貨物線だと思います。
@lovesun3089
Жыл бұрын
旭川に来て下さって有難う御座います。路面電車は旭山動物園前まで通っていたような?砂利道の側を走っていたような?父親が子供の頃小遣い貯めて乗ったんだよと言っていました。
旧日本軍の鉄道は千葉県にもありました。今は普通の道路となっている場所に昔鉄道が通っていたなんて想像もつきませんが知ってみると深いですね! 興味深い配信ありがとうございました(^^)v 色々勉強になりました👍️😉
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
向こうはそれこそ旧軍関連の遺構が沢山あるでしょうね~。いつか本州も探索に行きたいなあ。
@e.2659
Жыл бұрын
@@user-di9tv2kf8t ゾヌさんの探索が広がる事を ずっと応援してます❗️ 本州に来る時がいつかあったらその時はぜひ、ぜひお世話させて頂きますよ(^^)v これからもよろしくです🤗🌿
高校時代よく通ったけどもとは線路だったとは
勝手に今北海道はすべて白銀の世界と思ってたステレオタイプの自分w
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
これは8月ですヨ
国有無番地
現在も、神楽岡、緑ヶ丘に、西御両の知名残ってるてことは、この辺りに、天皇の御料地造ろうとしてたのかも知れませんね?
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
多分そうなのでしょうね。
最初に画像に登場したレンガつくりの建物は最近のものですよ、公務?という人が置き換えた建物と思います。公務員天下の旭川です 中学校の敷地に全労済の建物を建てたり、交差点の交番を事務所の邪魔と移動させたり、郵便局の跡地を民間に売却したり、旭川空港と言いながら、東神楽の税収源であったりしています。師団本部は旧郷土博物館です。今は名称をかえています。無理やりの紐づけ、因果関係、出展等現代のマスコミと同じかな?。遊歩道は第七師団と関係していそうですね。しかし、鉄道は弾薬の輸送に使用されたとかんがえるべきではないでしょうか。旭橋は昭和以前の竣工で、重量のある戦車等が渡れる橋との事です。有名なのは大陸で第七師団が壊滅した際、旭川の町を師団が行進して、その音を聞いたという人が多くいたとの事です。それにみかねて、鎮魂社を据えたのが本当でしょう。伊勢神宮の上川支社は最初宮下25丁目に設置されています、現在宮下通りとはこの名残です。 大町線の本当の目的を明確にすべきと思います。 最初の赤レンガつくりの建物等は旭川には皆無です。
旭川市は素晴らしい教育委員会の土地柄です
@user-di9tv2kf8t
Жыл бұрын
ハハハ・・・