勝瑞事件―阿波守護・細川氏之自害の真相【ゆっくり室町時代解説#33】
Ойын-сауық
細川持隆改め「氏之」、勝瑞の露と消ゆ――――
今回の室町時代ゆっくり解説は天文二十二年(1553)ごろ
0:00 オープニング
1:10 勝瑞事件の発生
5:24 三好実休の立場
8:32 勝瑞事件の原因
14:41 義輝・晴元方のその後
を解説しております。
・室町時代ゆっくり解説シリーズ
• 室町時代ゆっくり解説
※参考文献は動画の最後に記載
・twitter【@meiou1493】
・Link(動画作成において使用)
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『洛中洛外図屏風』(佛教大学附属図書館所蔵)
:bird.bukkyo-u.ac.jp/collections/
・地図
:Google Earth
・その他肖像・画像・古史料等
Wikipedia
国立国会図書館デジタルコレクション
:dl.ndl.go.jp/
Пікірлер: 27
一存さん畿内で兄貴と揉めて守護に腹を切らせてさらにこの後部下に篠原の師を闇討ちさせてたりとあらぶってて物凄いトラブルメーカー感がある
勝瑞事件、ちょうど気になっていたところでしたんだけど、ネットに文献が全くないもので困っていました。うp乙です!!
33! ありがとうございます。 たまにで充分 終わりに近づくの悲しいことですから
十河一存がなぜ九条稙通の娘を妻にできたのかが気になります。 家格が釣り合っているとはとても思えないのですが…。
密かにファンな丹下盛知と走井盛秀が出てきてうれしいです。茶番の年表も秀逸🤣 兄弟仲が良くても悪くても死人が出る室町時代···。それにしても三好氏の義維、義栄推しの徹底ぶりの理由がいよいよ知りたくなりますね。ところでイラストの登場人物、地味にちゃんと年取ってってますね。主な登場人物がその時何歳だったか、イラスト内ででも紹介していただけると、より当時のイメージができてうれしいのですが、難しいでしょうか?
二階崩れの変、大寧寺の変、勝瑞事件と守護の主君殺すことをあまり気にしないトレンドになっていたのかな。
この四国勢の義維人気を見ていると、母方の祖父は阿波守護の細川成之だったのかなって気がしてきますね 義稙に娘を嫁がせているくらいですから、次の義澄にも嫁がせていても不思議ではないですし
@user-hg6cw6kw5w
Ай бұрын
そうですよね。母親の血筋からして義維の方が嫡流だったのかもしれないと考えています。だからこそ三好は義維·義栄にこだわったのかなあ。肝心の晴元は既に義晴·義輝側なのに···三好の義維·義栄推しの理由としてはもう一押しほしいところですね。
今回もありがとうございます! ゆっくり投稿していってね✨✨
悲しい内容だけど他に解説してるとこないのでありがたい。
(旧服部充雄)投稿お疲れ様です。氏之が自害にまで至り、長慶権力が強力なものになりました。そしてこれから、京都がどのように混沌としていくのか、次回が楽しみです。 私は義維・義栄父子推しです!
こうしてみると画力が上がってる
ニコニコで観られないから助かる
浦上村宗「やっちまったなあ、担いだ主君に背中刺される覚悟はしとけよ??」
後の織田氏上洛戦で義栄派と義昭派で三好が分裂してたのを考えると、根が深そうですね。
讃岐を支配すること それはうどんを茹でる水を 支配するということ うどんを茹でるための水を 確保するために最初に立ち上がったのがご存知空海、唐帰りの土木技官である
@halkalay2023
23 күн бұрын
満濃池かい!(≧∇≦)b
細川京兆家の動きを見ていると、義輝が旧来勢力を抑えて、新興勢力に役職配っていったのも理解できなくもないな
馬部隆弘先生、論文書きすぎ定期。なお、東国戦国研究には黒田基樹先生というご著書出しすぎな研究者がいる模様
信長の野望だと義栄(義維流)を推す持隆を実休が〇害したって感じだけど実際は実休が義維を推してたんですね
そんな、うどんを独占するだなんて……。
氏之の側室だった小少将を嫁にして長男長治が生まれる細川真之を擁立する正当性も得たんだろうけど家庭内はどろどろそう この時代の女は強い
クーガー兄貴は速さ足りてるんだから、兄貴が義輝なのはよくない
足利義栄は解説しますか?
5:26三好実休は三好長慶の5歳下ですよ
細川晴元が鳩山由紀夫に見えてきた・・