山陰鉄道発祥の地を巡る(後編)

【目次】
0:00 オープニング
0:26 米子駅
6:03 淀江駅
9:19 御来屋駅
山陰地方で初めての鉄道は、山陰本線の建設資材輸送を目的に、明治35(1902)年11月、境~米子~御来屋間が開通しました。境駅を基点としたのは、建設資材を海上輸送するためで、陸揚げした物資は鉄道を利用して運搬し、新たな鉄道建設を進めるためです。
山陰鉄道発祥時の駅は、境、大篠津、後藤、米子、淀江、御来屋の6駅。それぞれに目的を持って駅が造られました。
米子駅 米子は、山陰鉄道の核となる駅です。駅のある場所は、市内の資産家が持つ湿地帯で、後藤快次郎の尽力により、鉄道局の申し出価格で提供してもらうことになりました。湿地帯の埋立て費用は、快五郎が持ち山の土砂を無償提供し、線路用地の一部も提供することで、建設工事の見通しが立ちました。
米子の街は、現在の米子港周辺が中心部でありましたが、鉄道の開通によって、物流の拠点が変わり、駅前を中心としたものに移っていきました。
淀江駅 淀江に駅が造られたのは、山陰道と日野郡の交通の結節点で、淀江宿があったためです。淀江町内には、妻木晩田遺跡や上淀廃寺などの史跡があり、古来より発展した場所であったことが分かります。また、海の幸や山の幸に恵まれ、名水の里でもある住みやすい環境が、街道のオアシスとなった要因であると思われます。距離的にも、米子駅から約10km、御来屋駅から約9kmと、ちょうど中間地点にあり、必然的に駅の場所が決まったように思われます。
御来屋駅 終点の御来屋駅は、平坦地であったことと、陸軍軍馬補充部のあった富長村(現・大山町富長)に近かったからと言われています。ただし、別の事情もあったようで、それは、別途「土木遺産 御来屋駅」の時に述べています。
御来屋付近の地形は、大山火山の噴出物による火山性の扇状地で、その先端は日本海へと潜り込んでいます。御来屋の町は、扇状地のへりの崖下に当たり、地形的にも駅用地の確保が困難な状態であるため、現在の御来屋駅周辺が、駅用地に選ばれたのかもしれません。
1. 参考文献
・日本の近代土木遺産/土木学会 土木史研究委員会/平成17年12月15日
・山陰の経済/山陰経済研究所編/【国立国会図書館所蔵】
・1991年5月号 山陰の鉄道(1) 鉄道建設にかける夢/山崎弘/P59~64
・1991年6月号 山陰の鉄道(2) 山陰の夜明け/山崎弘/P47~52
・名和町誌/名和町誌編さん委員会編/1978.7/【国立国会図書館所蔵】
御来屋と御厨/P309
・広報よなご 2021.1.
www.city.yonago.lg.jp/secure/...
・ニッポン旅マガジン 山陰鉄道発祥の地モニュメント
tabi-mag.jp/tt0192/
・山陰中央新報デジタル 「山陰鉄道の父」後藤快五郎
www.sanin-chuo.co.jp/articles...
・山陰鉄道発祥の地 米子
hozonsharyou.web.fc2.com/Monum...
2. BGM
この動画のBGMは、BGMerを使用しています。楽曲名は「神無月・ピアノver」です。
bgmer.net

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