説明不要!? ぼくらのヒーローです。
当時高校生で、バスと汽車(北海道ではディーゼル列車をこう呼ぶ)を乗り継いで、25キロ離れた隣町の映画館まで1人で観に行ったなぁ…
ワクワクしながら映画館に行ってみた映画です。当時、WGPの映像を見るのは恐ろしく難しく、ライスポを買って写真を目をお皿にしてみたり、片山さんのポスターを買って部屋に貼ってました。つまり、、写真がせいぜいで動画など不可能。映画のオープニングでスペンサー、マモラが立ち上がっていく姿を見て、感動というか、泣いたような記憶があります☺️。 片山さん、大好きでした。今との一番の違いは、人生の全てを賭け、持ってる全て放り出せないと辿り着けない場所で片山さんは戦っていた。 現代のトップライダーは技術は勿論だが、アスリートとしての能力についても超一流を求められる厳しさはあるが、片山さんの時代は、簡単にいうと命の危険がはるかに高く、実際毎年数名のライダーが亡くなっていた。実際片山さんも冒頭のように酷い怪我をしている。今が凄くて昔が適当とか、昔が凄かったとかいう単純な話では無いが、この映画の中にあるWGPの世界観、素敵ですよね。 感動。
久しぶりに観たわー。何回も何回も観てたでほぼ覚えてたw観ると、あー、83年最終戦のケガがなかったらぁ・・・ってタラレバが40年経った今も思ってしまうwwこのアッセンは平選手もスポット参戦で6位でしたね!あー懐かしいw
1988年、TBSのTV放送で知りました。吹き替えは池田秀一氏でした。VHSに録画したのを何度も見たなあ。
350ccクラス世界チャンピオンを取った当時から片山さんに憧れて、片山さんが在籍したチームに入り、250ccクラスで全日本を転戦。直属の後輩にあたる方のチームに移籍。この映画の公開前にクラッシュから身体の自由を奪われ引退したけど、片山さんは永遠の憧れ。新しい映画のアナウンスにも心を踊らせています。
懐かしい❗
この頃の片山さんは凄く素敵でしたね。日本人で1人しか世界のバイクレースで走っている人いませんでしたからね。
この時代が、一番でしたね。
私が中一のとき1985年の正月映画で新宿の映画館にラジコン仲間と見に行きました。
若き日、モトクロスレーサーだった時代に、敬済さんのことを知り、
懐かしいな~この時代、知人友人の部屋は必ず片山さんのポスターやパネルばかりでした。
この映画と同じくらいの時に東京青山で片山さんに偶然会ってサイン貰って未だに写真集と一緒にもっています。
最高ですねネットも無く情報はひと月以上遅れてくる雑誌だったけれども熱中してたな部屋にはフレディではなくて片山さんのポスターをはってた片山さんはヒーローだった
すごく懐かしいです。たまたまリンクで出てきて30年かぶりに本当に久しぶりに観ました。片山さんがポジションの確認を何度もしてたシーン、片山さんがもっと怒ってたように記憶していて、人の記憶なんて本当に当てにならんなぁと思いました(笑)片山さんと山ちゃんさんの動画Ride?で拝見する現在の片山さんと全然変わらないですね。片山さんは僕にとってももちろんヒーローでした。見れてよかった。ありがとうございます。
バリーシーンのザ・ライダーと2本立ての映画を高校の時に観に行ったことを思い出します。あの頃はすごくよかった。
片山さんの動画があるとは知らずにたまたま発見しました。プライベートチームで世界チャンピオンになった時は未だ中学生だったと記憶してます。当時はツキイチのバイク雑誌でしか情報がなくて、田舎のティーンには別世界のようなことでしたが大人になってからバイクでツーリングを楽しむようになって、後に王貞治さんが国民栄誉賞だったら、片山敬済だってもらう価値あるはずだという意見がありそうだ、そうだ、と思ったものです。😊
リアルタイム劇場で観ました
キレキレのおじいちゃんかと思って観に来たら、
当時レンタルビデオを借りて観ました。
この作品を映画館で観ました。この後「さよなら甦るヒーロー片山敬済」がビデオで発売され、未公開シーンも盛り込まれていました。今でいうディレクターズカットのはしりでしょうか。
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当時高校生で、バスと汽車(北海道ではディーゼル列車をこう呼ぶ)を乗り継いで、25キロ離れた隣町の映画館まで1人で観に行ったなぁ…
ワクワクしながら映画館に行ってみた映画です。当時、WGPの映像を見るのは恐ろしく難しく、ライスポを買って写真を目をお皿にしてみたり、片山さんのポスターを買って部屋に貼ってました。つまり、、写真がせいぜいで動画など不可能。映画のオープニングでスペンサー、マモラが立ち上がっていく姿を見て、感動というか、泣いたような記憶があります☺️。 片山さん、大好きでした。今との一番の違いは、人生の全てを賭け、持ってる全て放り出せないと辿り着けない場所で片山さんは戦っていた。 現代のトップライダーは技術は勿論だが、アスリートとしての能力についても超一流を求められる厳しさはあるが、片山さんの時代は、簡単にいうと命の危険がはるかに高く、実際毎年数名のライダーが亡くなっていた。実際片山さんも冒頭のように酷い怪我をしている。今が凄くて昔が適当とか、昔が凄かったとかいう単純な話では無いが、この映画の中にあるWGPの世界観、素敵ですよね。 感動。
久しぶりに観たわー。何回も何回も観てたでほぼ覚えてたw観ると、あー、83年最終戦のケガがなかったらぁ・・・ってタラレバが40年経った今も思ってしまうwwこのアッセンは平選手もスポット参戦で6位でしたね!あー懐かしいw
1988年、TBSのTV放送で知りました。吹き替えは池田秀一氏でした。VHSに録画したのを何度も見たなあ。
350ccクラス世界チャンピオンを取った当時から片山さんに憧れて、片山さんが在籍したチームに入り、250ccクラスで全日本を転戦。直属の後輩にあたる方のチームに移籍。この映画の公開前にクラッシュから身体の自由を奪われ引退したけど、片山さんは永遠の憧れ。新しい映画のアナウンスにも心を踊らせています。
懐かしい❗
この頃の片山さんは凄く素敵でしたね。日本人で1人しか世界のバイクレースで走っている人いませんでしたからね。
この時代が、一番でしたね。
私が中一のとき1985年の正月映画で新宿の映画館にラジコン仲間と見に行きました。
若き日、モトクロスレーサーだった時代に、敬済さんのことを知り、
懐かしいな~この時代、知人友人の部屋は必ず片山さんのポスターやパネルばかりでした。
この映画と同じくらいの時に東京青山で片山さんに偶然会ってサイン貰って未だに写真集と一緒にもっています。
最高ですねネットも無く情報はひと月以上遅れてくる雑誌だったけれども熱中してたな部屋にはフレディではなくて片山さんのポスターをはってた片山さんはヒーローだった
すごく懐かしいです。たまたまリンクで出てきて30年かぶりに本当に久しぶりに観ました。片山さんがポジションの確認を何度もしてたシーン、片山さんがもっと怒ってたように記憶していて、人の記憶なんて本当に当てにならんなぁと思いました(笑)片山さんと山ちゃんさんの動画Ride?で拝見する現在の片山さんと全然変わらないですね。片山さんは僕にとってももちろんヒーローでした。見れてよかった。ありがとうございます。
バリーシーンのザ・ライダーと2本立ての映画を高校の時に観に行ったことを思い出します。あの頃はすごくよかった。
片山さんの動画があるとは知らずにたまたま発見しました。プライベートチームで世界チャンピオンになった時は未だ中学生だったと記憶してます。当時はツキイチのバイク雑誌でしか情報がなくて、田舎のティーンには別世界のようなことでしたが大人になってからバイクでツーリングを楽しむようになって、後に王貞治さんが国民栄誉賞だったら、片山敬済だってもらう価値あるはずだという意見がありそうだ、そうだ、と思ったものです。😊
リアルタイム劇場で観ました
キレキレのおじいちゃんかと思って観に来たら、
当時レンタルビデオを借りて観ました。
この作品を映画館で観ました。この後「さよなら甦るヒーロー片山敬済」がビデオで発売され、未公開シーンも盛り込まれていました。今でいうディレクターズカットのはしりでしょうか。