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四国のディーゼル とSL 1968 夏 ほか   高松、琴平、多度津、阿波池田、宇野(本四連絡特急) <スライドショー>

1968 夏  当時、四国の国鉄は特急の運転は無く優等列車は急行と準急のみでした。
列車のディーゼル化が進みSLは徐々に姿を消しつつありました。
1970(昭和45年)4月 牟岐線、鳴門線を最後にSLの列車は廃止となりました。
本動画は当時の急行・準急とSLの姿と本四連絡特急、その後に運転を開始した特急などを短くスライドショーで紹介をいたします。
C58、南風、土佐、いよ、阿佐、よしの川、いしづち、予土、せと、足摺、うわじま、むろと、阿波 、しおかぜ、うずしお、ゆうなぎ、鷲羽、キニ19、キユニ15 ほか
#南風

Пікірлер: 2

  • @user-by5xr5rd3u
    @user-by5xr5rd3u Жыл бұрын

    千葉鉄道管理局と四国総局は、ディーゼル車両を移管した思いでがあります。 そのせいか、千葉鉄道管理局長は、四国総局長で退職する方が多かっですね。 西千葉と稲毛の間に千葉気動車区があり千葉鉄道管理局も総武緩行線以外は、気動車急行や普通列車が沢山ありました。

  • @user-xc8zx9fo8e
    @user-xc8zx9fo8e Жыл бұрын

    新幹線の昭和47(1972)年の岡山駅 開業まで、確か四国には特急列車がなかった。だから、四国で一番速いのは「急行」だった。 信越線の碓氷峠の粘着運転化で要らなくなったキハ57などが最上級の車両だった。冷房装置と空気ばね台車がついていた。 それでも、四国では特急列車を欲しがった。そこで、急行列車の車両の前面にヒゲを描いてアピールした。特急ではなく急行だったので、3本ヒゲではなく、2本ヒゲになった。 急行「よしの川」なんかにもこのヒゲが描かれ、今は無き、小松島港線(牟岐線の中田(ちゅうでん)から分岐。)などにも乗り入れていた。