ポリコレから逃げるなと言われました【賛否両論38】
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アーティストがプライベートで何やってても基本気にしない派ではあるんだけど、あまりにショッキングすぎると曲を聴いてる時によぎっちゃって集中できず結果的に聴けない、みたいなのはある
Apple musicには「はじめての桂歌丸」っていうのもあって ほんとにジャンルレスだなって思った
自分は人間性が終わってるアーティストでも気にせず聴けるけど、 不祥事やら何やらでそのアーティストの音楽を聴けなくなった人に「それは音楽が好きなんじゃなくて~」とか否定しにかかるのも如何なものかと思う 寛容であることを押し付け過ぎるのもどうかと
コーネリアスについてのここのコメント欄で、1つのことに対して湧き上がる感情って1つじゃないんだよな、ってことが言語化して気づけました。 音楽と人は切り離して楽しんでたけど、その音楽を作った人間が自分の親を殺した人でも聴けるのか?って言われたそれはNO。結局程度によるし、そのラインは人が生きてきた体験から引かれるラインだから正に賛否両論ありますよね
サブスクの台頭で何が寂しいっていうかもどかしいって裏ジャケ見る機会が無くなるとこ
@aube-purple
Жыл бұрын
分かります。裏ジャケや歌詞カードの写真やイラストを見るのも楽しみのひとつですからね。
@0-0-0eastcastle6
Жыл бұрын
CDだと開いたら表裏繋がって一つの写真とか絵になるジャケットありましたよねー
@boysick3520
Жыл бұрын
@@0-0-0eastcastle6 funkadelicのfree your mind...のジャケとか繋がってて最高なんで見てみて
今ソロアイドル枠で売り出してるのってAdoだよね 大人に反抗みたいな曲で売れたけど バックにはでかい大人のサポートがある
人を裁く気持ちが強い人もいるだろけど、割合的には共感性や感受性の高さによるところが圧倒的に多いと思う。そのアーティストが何をしたかにもよるけど、共感性羞恥だったり被害者側への共感、てな具合に物事や出来事と感情の結び付きが他者より強いのが理由。そしてこういったタイプは裁く気持ちは逆にゼロに等しく加害者側、不祥事アーティスト側への共感、同情も同時にするのでは。まぁ人によってなぜ聞けなくなるかはかなりの回答がでるだろけども。
曲を聞く=許すっていう感覚から見直す必要がありそう
@JealousGuy-k1h
Жыл бұрын
人は二面性、美しい部分と醜い部分がある。不器用で、現実では自己の醜い部分しか表現できていない人間でも、美しい部分を遠慮なく世界に表出させることのできる舞台が“芸術”の世界。だから人は芸術作品を通して、現世での罪を解放できると思う。
@blackrotter
Жыл бұрын
人間性と音楽性を同列に語っている時点で、そういう人はロクに音楽聞かないんだろうな 品行方正な聖人のダサい音楽と極悪非道な悪人のカッコいい音楽、音楽好きがリピートするのはほぼ確実に後者。
@TO-nl6bq
10 ай бұрын
その人によるかな 決めつけるのはどうかと思う
過去に不祥事を犯した人の件で「程度の差はあれどみんな悪いことやってるから」っていうのはめちゃめちゃわかるんだけど、この「程度の差」って簡単にはスルーできない問題じゃないかなぁって個人的には思う。 ただ、この考えを持つことで「フラットに音楽を聴きたいけど、どうしても嫌悪感が勝る」という悩みが解決される人もいるとも思う
@biwa6106
Жыл бұрын
私もそのように思います。理性だけで割り切れるほど、人間は単純ではない。 「人格も含めたアーティストとしての商品価値」と捉えた場合、その人がどんな人間なのかは重要。精神論的な話になりますけど。 問題なのは、人格に問題が有るからといって、作品の評価まで下げられてしまうということ。例えば、問題を起こした人物が出演している映画が上映中止になるとか。あれはおかしいですよね。 この質問を出した人はそこまでは要求されていないように思います。 みのさんがおっしゃっている「人を裁きたい気持ちが強すぎるんじゃないの?」という考えは、やや強引な気がします。単にその人が聴きたい気持ちがなくなったというだけの話で、別に問題を起こしたアーティストを非難したり懲らしめたりしようと考えているわけでもないですからね。どうするのかは聴き手の自由ですから。SNS上での批判とは区別して考えるべきなのではないかと。
@user-xg4qy9vb5g
Жыл бұрын
小山田のあれは、カッとなって手が出たってレベルじゃないしな。 更には弱者をねらってるし
@user-xw1tw1gc4o
Жыл бұрын
ボクはみの氏の意見に同意しますね。「程度の差」?ご自身の程度を誰が判定するんでしょう?客観的に「コーネリアスより悪い行いはやってない」と言えますかね?しかもいじめはいじめられた側がどう思うかですよ。それなのに「コーネリアスより悪い行いはやってない」なんていったい何様なのか?と思っちゃいますね。自分に甘い、都合良すぎるとおもいません?
@biwa6106
Жыл бұрын
この話って、いくら議論しても結論が出ない気がします。そもそも、正解なんて無いんですから。結局、聴き手側の問題であって、どう受け止めるかはその人が持つ価値観・倫理観によって変わります。そもそも、どう思おうと各人の自由ですからね。よく知らない相手に対して断定的なアドバイスはするべきではない気がします。 いいんじゃないですか、自分と違った価値観で音楽を聴く人が存在しても。趣味の話ですからね。 曲の間奏をスキップしてサビだけしか聴かないとか、アルバムのコンセプトが全く存在しない、発売順に並べただけのシングルベスト盤しか聴かない人が居たとしても。 「一般人と芸能人」という特殊な関係で考えるから、問題がややこしいというのもあると思います。 例えば、自分の知り合いが新聞やニュースで報道されるような犯罪を犯したとして、のちに何処かで再会した場合、あなたは以前と同じ気持ちでその人と接することが出来ますか? と問えば、今回の話がシンプルになるような気がします。 「程度の差はあれど、皆、過去には後ろめたいことをした経験が一つや二つはあるはずだから、これからも自分は変わらず彼(彼女)と付き合っていくつもりだ」。 果たしてこう考える人が世の中にどの程度存在するのか、という話です。 繰り返しになりますが、「今回の件に正解なんて無い」と思います。
@user-ve7th3gw7p
Жыл бұрын
大抵の人は薬や暴力ぐらいならいいかと思ってるだけで、本当に全く介入しない人は少ない気がする 性犯罪者や殺犯とかだと絶対チラつく自信あるわ
正当な批判と 中傷や叩きを混同しちゃいけない。倫理に乗っ取ったルールの上で行われる批判を受けるのは然るべきだと思うけど、中傷や叩きは暴力なので駄目。批判者が聖人なのかどうなのかに焦点化するのは 論理学で言う所の "論点のすり替え"という詭弁の一種。
コーネリアスの件の人は裁くとかいう感覚じゃなくて、暴行傷害ハラスメント等(マイルドに言っていじめ)をされたことのあるか、そういう犯人が嫌いな人なんじゃないかな そんなことをする人の作る物は例えどんなに素晴らしくても受け入れられないのは理解できる 極論言えば殺人鬼の描いた絵を芸術としてバイアス無しで評価できるかって話だし
音楽に罪はないって考え方は賛同するけど、すべての人にその考え方を求めるのは違う気がする。その先ではナチスのマークやら軍服も、単にかっこいいんだから使っていこうという意見にも繋がるような気がするから。昔欅坂の衣装がそれで世界的に叩かれていて可哀想だと思ったけど、そのくらいの葛藤がある程度がバランス良いんだと思う。
個人的に某小山田の音楽については、当時訴えられてたら普通に犯罪でしかない行為だというのが、「嫌悪感を感じて聞きたくない」っていうのはある。 ただ、その行為がチャラになるほどの作品だと思えるクオリティなら、普通に聞いてたかもしれない。 要はミュージシャン側がやったことと音楽のクオリティを天秤にかけて自分は聴くかどうかを判断してる感じかな。ちなみに、小山田に関しては音楽性でチャラにできるほどいい作品だと個人的には思えなかったから、聴かない選択肢を取ってる。 ファンの人達には悪いけど。 まあ、やったことが酷すぎるから自分好みの作品だったとしても聴かないけどね。
SNSとかで非常識で汚い場面が溢れすぎてるから、清廉潔白なアーティストを聴きたくなる気持ちはわかる
なぜ人間性を音楽に絡めて考えたらだめなの? 文化や思想は音楽と絡めてもそんな事は言われないのに、、
「裁きたい」という感情も多分あってそれは正直どうかなと思うけど、単純に「被害者の気持ちを理解していない」というレッテルが貼られるのをみんな怖がって聞けなくなるんじゃないかな。 他人に共感したり他人と何かをすることが大事だと思われているから、それが「できないやつ」になっちゃうのがヤバいみたいな意識は昔よりみんな持っているように思う。でもそもそも、共感こそが大事って感覚は正直あんまり好きじゃないな……
@amaj7563
Жыл бұрын
stay homeとかもあって歌詞表現の需要がインナーワールド(内省的)に向かうのかなぁとか漠然と考えてたけど、結局連帯性の方が懐かしがられてるんよな。夏フェス然り なんか多感な時期にサブカルに触れて育つと「人と違うことやってる表現者がカッコいい」と思ってたのに、SNSもKZreadrの企画もテンプレ化したものを皆でフリー素材みたいに共有するようになったから、ヘンな時代に迷い込んだなぁって感覚。
サブスクで人気のある米津玄師やKing Gnuみたいな実力派のアーティストが、アートワークに凝ってるのは本当に凄いことだと思う
シュレディンガーの猫っつーんすかね 今特に問題なく活動している全てのミュージシャンは「悪事を行ったかどうかが判明していない」だけの状態なんですよ 全ての娯楽はそこを踏まえて楽しむ必要があります
賛否両論企画をゲストを呼んでやってみたら新しい視点とか増えて面白くなりそう
@dailyflatofficial
Жыл бұрын
PDRさん呼んでほしい
@bbrs_db
Жыл бұрын
ハートついたからやってくれるかな
@user-zj7hp1im8j
Жыл бұрын
何回かやってお偉いアーティストよんでやってほしい
@user-hx9zn5jy4n
Жыл бұрын
ゆくゆくは桑田佳祐さんとか
@user-yc1ii7zu1k
Жыл бұрын
面白そうですねぇ!!!!
自分は元々コーネリアスに対して関心ゼロでして、その立場からの感想ですが。過去にイジメを受けたことがあって、それが原因で受け入れられない人にとっては何の説得力も無い話じゃないかなあという印象です。誰だって後ろめたいことあるだろ?と言われればそれに対して反論できる人間はいないわけで、そんな誰も反論できないような理屈を盾にしないと正当化できないものなのでしょうか。もうちょっと違う観点から音楽の力を掘り下げてみてほしかったです。
@user-hz6ce9vm7k
Жыл бұрын
まさにイジメを受けた人の代弁者として発言してるコメントで、人を裁く気持ちが強い人達というみのの表現は的を射ている気がする
@oneone3976
Жыл бұрын
@@user-hz6ce9vm7k 人を裁く気持ちが強いから人間性と音楽の分別が難しいのか、人間性と音楽の分別が難しい人が拒否反応を示すのか。 完全な分別は難しいから、結局は人を裁く気持ちの度合いに左右されるのかなあ。 音楽と人間性を切り離せないのは、人間がより社会的な生き物だからだろうな。色んな想いが渦巻いて音楽を媒介して伝わるんだもんな面白いな人間。
デジタルのためのアートワーク変化はありますね、レコード版のアートワークのバンドロゴがデジタル版では小さい画面でも見やすいように大きく拡大されてるものがありましたし。むしろ今はあえてレコードをつくるアーティストやグループも少なくないので、「レコード版ではこんな仕掛けが!特典が!」ってものすごく強みになると思うんですよね。
食事で例えると 不清潔で不快なおっさんが作ったパスタは美味しくても抵抗があるし 好きな娘が作ったパスタは多少不味くてもパクパク食べるみたいに ただ不愉快なものと関係するものを側に置きたくないというのが一番の動機だと思う 人によって不愉快のラインはそれぞれで、音楽は思想と繋がりやすいから特に意見が割れるんじゃないかな
例えば純愛を歌ってるような歌手が不倫してたりとか、愛と平和を歌ってるような人が暴力沙汰起こしてたりとかすると人はその作品に対しても嫌悪感を抱くのかなぁと思ったんですが、それって全部ジョン・レノンに当てはまるやないか!とも思いました。 やはり天才は人格を超越した説得力を作品に込めることが出来るんでしょうかね。
不祥事を起こした人の音楽、例えば自分自身が被害者だったらどんなに好みの音楽でも絶対に聴かないと思う 質問者のような人は共感性が高いんじゃないかな 裁くとか許すとかそういう話とは別な気がする
ミュージシャンと不祥事の話は音楽性にもよるのでは。仮にだけど、U2のボノやスプリングスティーンみたいな清廉潔白なイメージのある人、人間力が魅力の人がそのメッセージとはかけ離れた不祥事をしてしまった場合と、エイフェックスツインやフライングロータスみたいにビートや音響といった、サウンドデザイナーに近いようなアーティストの不祥事ではその人の人間性の問題と音楽との距離感は違うように思う。
ここまで音楽と人格をバッサリと切り離してる人も珍しい気がする。真に音楽を愛する者って感じがして素敵であると同時にその過度に人格に興味がない感覚が個人的にはまぁまぁ不思議
アーティストのやらかしについて 曲を聴いてるときにいらん情報が脳内をよぎるのが気に食わんのよな、 俺はただその曲の情報しか脳に刻みたくないのに。 コーネリアスが大好きなのに、騒動以降それまでと同じ気持ちでコーネリアスを聴けなくなってしまった人も多いんじゃなかろうか、と勝手に思ってる。その人たちは、別に彼を裁きたいとか思ってないんじゃないのかな。 質問者とみのさんの議論のレイヤーがずれているように感じた。あくまで個人の意見です。
ソロアイドルが今の時代に合わない理由は色々あると思いますが、一番大きいのは"推しメン"という概念が定着したことだと思います。 グループの中に個性の違うメンバーが沢山いて、その中で自分の推しメンを持つという事が、アイドル・オタクカルチャーの中で当たり前のことになった今、推しメンという概念の無いソロアイドルは現代のアイドルオタクには合わないのかなと思います。
世の中には性暴力の被害に遭ってる人やいじめられっぱなしの人もいるのでCorneliusとかAmetsubとかの曲を聞けなくなった人の気持ちも分かる
過去の不祥事があったアーティストの回答は、みのさんがズレて質問を受け取ってる気がします。清廉潔白な人なんていなのだから、それを言うのはイヤミでしかない。(おっしゃることはわかりますが) 正義とか、許すとかじゃなくても、 過去の不祥事などがどうしても思い出してしまって、以前と全く同じように聞くことはできない「ノイズ」にはなると私は思います。 ノイズがだんだん気にかからないように聞けることはありますが、 それは許すとか、清廉潔白とか、そういう事とは別のテーマだと思います。
まぁ、楽曲と個人を切り離すのってむずいわな。 ある個人・バンド等が作った楽曲を複数個好きになってしまうと、 この楽曲が好き→この人(達)が作る音楽が好き になりやすい。 この時点でもう人物崇拝にすり替わっている。
@kolp8602
Жыл бұрын
あと、「自分のことを棚に上げて…。」というのは、反則技みたいなもん。 そんなん言ったら、何も言えない人が大半で、正しい批判というものが存在しなくなる。
@user-tr2jt9he3e
Жыл бұрын
@@kolp8602 そうですよね。「お前が言うな」みたいな考えは人として重要な視点の1つだとは思いますが、論理としては破綻してます。
Apple Musicでは動くアートワークもあるので、アナログじゃできない表現もできるということで、むしろ進化してると思います🍎 Apple TVで動くアートワーク見ながら音楽聴いてます
音楽はお金がなくてもやれると思うし、何なら知識がなくてもスタートはできると思う。 ジョン・レノンなんて最初のギターは新聞の広告に出てた安物のギターだし、何ならビートルズはほとんどが労働者階級のあんまり裕福じゃないところの出身だし。 また、ピート・タウンゼントだったと思うけど「コード3つ知ってれば音楽始められた」って言ってた人もいるわけだし、最低限の知識さえあれば音楽を始める事が出来る・・・という点では知識がなくても始められる。 その後どういう道辿っていくかは個人の努力、勉強、あとは才能次第って感じでしょうね。
音楽は当初、パトロンが必要なほどお金がかかるものだったものの、 ベートーベンあたりから音楽の収入だけで食べていこうとなり、 さらに大衆化されバンドになったり、今ではPCがあれば作曲編曲演奏が一人でできるように個の所有物になった。 音楽は今やスマホさえあれば自分の音楽を販売できるまで大衆化、個人化してる。 趣味の音楽だけではなく商業音楽も手軽に始められるまでになったのは、時代の象徴のような気がする。 ただし、希少なものほど価値は出てくるので、逆に、気軽に始められない、金のかかる音楽、多人数でやらないと成立しない音楽というのが、ウケる時代がやって来るかも。
@furoru
Жыл бұрын
気軽さがない・大人数、というところがプログレを想起させますね
アートワーク、裏ジャケや歌詞カード が減った一方でアニメーションを付けたりと拘るポイントが媒体によって変化してる印象です。
Corneliusだけはいじめ内容が酷すぎるのと被害者がお母さん助けてって泣いてたってのが辛すぎて一生耳にしたくない。 大滝さんの君は天然色も製作のエピソードを知るとガラリと聞こえ方がかわるように その人の歩んできた人生とその音楽って切り離すのはできないな。知る前の聴き方できないし。
ブルースのドキュメンタリー”I AM THE BLUES”など見ると、音楽は金持ちの道楽とはとても言えない。どういう環境でも音楽は育つ。
@bingosaru
Жыл бұрын
「スティール・パン」誕生経緯も支配からの抑圧下で生まれていますから、正に『音楽は金持ちだけのモノではない』に該当するかと。
曲やアーティストに付随する情報を知ってしまう事で純粋にニュートラルな状態で音楽に向き合う事が難しくなるって事はあると思います。私はそういう事を気にしないと思っている時点で既にバイアスが働いてしまっていると言えるのかもしれませんね。
話全然変わるけど、ミノってめちゃくちゃいいお爺ちゃになりそうだよな
@user-wx6ms4gn2v
Жыл бұрын
孫にカセットプレイヤー買ってきそう ビートルズの『ゲット・バック』のカセット付きで
@z.b.k__
Жыл бұрын
@@user-wx6ms4gn2v きっと音楽好きの孫に暖かい部屋でギター弾いてあげて一緒に歌うんだろうなぁ、、
2:56 そのタレントと一緒に見ているような感覚を味わえるというのもあるんじゃないですかね パーティー感というか ネタ番組とかでも笑い声がないと寂しく感じますし
今のアートワークは動画じゃないでしょうか。まさにこのyoutubeで沢山PVが観れますよね。
何時も楽しく拝見しております。今日のコメントは音楽好きのオヤジにとっても(笑)素晴らしいと思いました。若い頃は過激で無邪気に成りがちですが…それも仕方ないですね。ミノさんの苦労(笑)と音楽に対する愛を感じました。偏見はNO!で行きたいですね。
みのさんは音楽的側面での国家観がしっかりしてて好き
作品と作家の関係についてはもっと議論聞きたいです。 元々私は作品と作家は分けたいと考えていたのですが、そうしようとしても抗えない感情はどうしても芽生えてしまうことはあるので 最近は権威性や商業性、作家性や人間性全て含めて(時にはシニカルに)楽しむようになりました。
みのさんと音楽活動できる世界線で生きたかった、、
@user-ws3wi1sh3r
Жыл бұрын
これからでもチャンスあるのでは? 貴方次第ですよ
@user-zl1hg3pu6y
Жыл бұрын
この世界線ならまだできますよ!生きてる限り挑戦はできます!
まーでもRhyeとかになるとやっぱ以前と同じテンションで聴くことはできないってのはどうしてもあるなぁ
「いいえ、敵います」かっこいい
裁く・許すはなんか 違うんじゃないですかね。 嫌いなやつなら 何やったって嫌いだし。 他の方のコメントの チラつくっていうのが 自分的にはしっくりくるかな。 音楽聞いてる時に 周りがうるさいと 気が散るみたいな。
芸術というものを語る時、色んな角度から観た上で語るということの重要さを、学べば学ぶほど実感する
アーティストの文脈と共に聴く楽しみ方も否定出来ないですね。 個人的にはコーネリアスよりは陰謀論を信奉しているアーティストのほうが問題の本質に近い気がします
自分もHIPHOPに限って言うのであれば、黒人文化に黄色人種が匹敵する可能性があると感じています 特に韓国語のリズム感は英語に近しいのでアジア圏ならではの表現をUS並の音の響きで表現出来ると思っています。 日本語はボテっとした発音になりがちですが、同音異義語やバチッとハマる韻は日本語の強みだと思ってるので見せ方一つだと思ってます。
最近の音楽はジャケットよりMVで勝負してる感じはする。広い意味ではビジュアルの重要性は増しているかも。
あなたは素晴らしい!
イエス入門動画やってほしいです‼️‼️
音楽体験が個人的なものになっているなら感性も人それぞれになって何人だからなんて言われない筈。
今のテレビが視聴者を馬鹿にした編集をしてるっていうのは頷けるんですが、見やすいようにワイプ入れたり目を引くサムネやタイトルを入れて再生数を稼いでるyoutuberがそれを言っちゃうんだっていうのはちょっと驚きですね。 正直TVと同じくらいKZreadrも視聴者馬鹿にしてるんでしょ?って思いますよ。じゃなきゃ、あんなに悪意のあるサムネやタイトルが巷に溢れないでしょ(このチャンネルのことではなくKZread全体の話です)。
名ジャケット集みたいなまとめで21世紀のアルバムが選ばれること少ないよね…
アートワークに力を入れなくなってるというのはなんとなく同意です。 3年ぐらい前にMasegoのアルバムを輸入盤で買ったときに、紙ジャケの解像度が低くぼやけた感じになっててCDもディスクを入れるビニールがなくそのまんま紙の隙間に入ってて、輸入盤とはいえなんか安っぽいなと思ってしまったことがあります。
デジタル媒体だと裏ジャケも歌詞カードも見ることができないし、エンボス加工のような手触りも感じ取れないからそういう点でもアートワークへのこだわりが薄くなっているのかも
アートワークに関してはずっと昔からGIFアニメ導入した方が良いんじゃないかなと思ってる。 80年代のネオンサインみたいなオシャレな奴があったらカッコイイ。
個人的にはサブスクに移行してから逆にアートワークをじっくり見る機会増えた気がする笑 記憶では全然違う絵だった(むしろぼんやりとしたシルエットでしか認識してなかった)のに細かく見るとこうなってたのかって発見が妙に多い 微妙に不鮮明+プラスチックのフィルターが挟まったCDジャケットから画質のいいスマホ画面に移行したからかもしれないけど
アートワークについて、ピチカートファイブのアートワークでブリスターパックもありましたが、そういうのはフィジカルじゃないと難しいですよね。立体的な表現やパッケージングの面白さは再評価されるべきと思います。
7:35 言わんとしてることは分からないないでも無いけど、俺はテッド・ヌージェントの音楽に金を払いのは若干躊躇うよね
マジで 海外・都会へのコンプレックス問題だけで動画作ってください 娯楽楽しめなくなってきて辛いです…
「はじめての稲川淳二」、僕のアカウントのおすすめにも出てきましたw 怪談は音楽ではないでしょうけど、Tokyo Highway Radioしかり音楽を聴くためのプラットフォームをラジオのような感覚で使うこともできるのはいいですよね
ええっ、むしろサブスク時代に入ってから以前よりもアートワークが注目されるようになるのかなと思ってました! スマホの画面いっぱいにデカデカと表示されますし、細部までじっくり見れますし。
corneliusに関して。 リアルタイムで作品も聴いてたしQJも読んでいた世代ですが、記事を読んでも「さもありなん」としか思わなかったし、そういうことをしそうな人の音楽だと思っていました。 私は中学生時代にいじめにあっていたという自己認識ですが、だからといってcorneliusの音楽をいじめに関する記事を読んだ後も嫌いにはならなかったし、好んで聴いていましたよ。 結局世界をどの様に受け入れているかの問題ではないでしょうか? 「作品に罪はない」という人もいますがそうとも思いません、やはりそういうことをしてそうな人の作品だと思うしだからと言ってそういう人の言うことに耳を貸さないのもどうかと思います。 裁くとか許すとか以前の問題で相互理解を目的とするならば罪をもった人の発言や作品こそ耳を傾けるべきではないでしょうか?音楽や芸術とはそういうことのために存在していると思います。
@riri2599
Жыл бұрын
すごく共感しました。
@hatopoppo_niki
3 ай бұрын
本当に素晴らしいコメントだ 全てに首肯してしまう。
作品の良し悪しと人格は関係ない、けど、どうしても嫌いになった、聴けなくなった、なら、それはまあそれでしょうがないよ。
spotifyでアートワーク大画面で見れるようにしてほしい
最初の質問で質問者が盛大のミスは“リズム感”という広義的な言葉を使ってしまった事。
過去の良識に欠けた言動については、その人物がその問題を心から反省しているか否かが重要だと思う。 過去の問題を反省しているか否かということは、(表面的な謝罪は抜きにして)態度に現れる。 例えば、過去の酷いいじめを心から反省していれば、表面的な謝罪文の公開だけということにはならないと思う。 このことは、確かに基準が曖昧だし、涙ながらの嘘に欺かれたり不当なバッシングに繋がるかもしれない。 その点は、各人が正義感の暴走に注意しながら感受性を磨いていくしかないと思う。 また、「問題が発覚してから急に掌を返すのはおかしい」という意見もあるが、過去の悪い面など簡単に隠せるのだからそれは仕方のないこと。 過去から問題が発覚した時点までアーティストが「反省」していない場合、そのアーティストがその間に作ってきた作品のマインドとその態度が一致しない(極端な例としては、自分のいじめを一貫して反省していないのにアンチ暴力の作品を作っているなど)ならば、そのアーティストの作品から距離を取ることは全く自然な反応であると思う。 「作品とアーティストを分けて考えろ」という意見は、作品がアーティストの思考・意思・マインドを注入して作られたものであることを見落としているのではないだろうか。
行き過ぎたキャンセルカルチャーに思うことはもちろんあるんですが(eminem等)、コーネリアス、Rhye、Murvsakiとかの被害者が存在するパターンは二次加害含め、しっかり考える必要があると思ってる。”裁きたがり”っていうのは、たしかにその面はあるかもしれない
テレビのワイプは一緒に観てる感覚になるからじゃないかな。 それと推しのアイドルなどの顔が観たいっていう欲求を満たしてくれてるんじゃないかな
ミュージシャンに聖人性を求めるのはPUNK/(BLACK)METALを通過した自分には不思議。 とは言え小山田に関しては、ピエール瀧や尾崎、長渕とはイメージが違うせいか受ける印象も違って忌避する気持ちも理解できる。 結局はオタクみたいなヤツがイキってスベったりするのに厳しい世界なのかと思う。 やってることもダサいというのが一番ではあるが。
薬物関係だけなら聴けるな。
@user-mq3sl1rg6s
Жыл бұрын
ミュージシャンの薬物なんて駐車違反と同程度と思っていい
@user-cn9ir2jh3j
Жыл бұрын
ASKAとかね
ソロアイドルの文化は声優が継承していってると思います。
@MrTake1111
Жыл бұрын
それはない
俺も好きなアーティストが不祥事とか起こしたら一回は離れちゃうけど本当に好きな曲を作るアーティストは自然とまた聴きに戻ってくるからその時に「あっ俺本当にこの人の曲好きなんだな」って再確認します
@user-hr7dl6sv9u
Жыл бұрын
ネットで 「もう○○聴きません!プンプン😡」 とか言ってる人は絶対普段から聴いてる人じゃない
@namaewanaizo9786
Жыл бұрын
@@user-hr7dl6sv9u まぁでも大衆音楽とかになるとそういう切り捨てられ方も仕方ないのかもしれませんね…
@user-hr7dl6sv9u
Жыл бұрын
@@namaewanaizo9786 「大衆」っていう集団の中にも温度差はありますもんね
@strummer4808
Жыл бұрын
@@user-hr7dl6sv9uさん そういう人はその音楽やアーティストが好きなんじゃなくて、それを好きな自分が好きなだけだと思います。
@United_sandglass
Жыл бұрын
@@user-hr7dl6sv9u これはマジですね ソースは俺
曲とアーティストは別、って人もいればアーティストのストーリー上に曲がある、って人もいるし、 対象の人・曲によってそれが混在してるってのも多いんじゃないですかね。 それを「個人的にダメ」と自分の中で納めてくれればいいけど、 「あんな曲聞いてるやつはダメ」と外に向けられると反発されるでしょうね。
コーネリアス入門期待しております
裁きすぎはネットというかSNS全体で言えるよねー
昔の音楽番組は色々なジャンルの曲が聴けたよなぁ…
@masamiichimura9029
Жыл бұрын
@@multiple-exposure アイドルもロックバンドも演歌もごった煮な時代が懐かしいです。
@Dainsrief
Жыл бұрын
インディーズバンドもバシバシ出てきてた時代ですよね〜……イカ天って番組が好きなんですけど、あれはカメラワークも好きでした。
@puntukuta
Жыл бұрын
戸川純とかたまがテレビに出てたとか、昭和はすごい時代だったのだな、と。
小山田氏に関しては、本人の釈明?を見た上でもあれこれ言いたいのかな?と思う。 結局雑誌の編集者が面白おかしく小山田氏がやったこととしてエピソードを作りあげただけでしょう。 正義感強い人間でも過去の後悔から謝りたい人間の一人や二人いることでしょう。今からでも謝りに行けばいいと思う。
音楽番組のワイプは 過去の自分達の出演映像を物々しい顔で見つめるMr.Children が見れたからよし
アートワークで言ったらKZreadの音楽、特にボカロに関していえば、寧ろ力を入れないと見てもらえないという状況に至るので、寧ろ黎明期から比べて逆に力が入っているように思う。 ただ、そこからサブスク向けの配信にジャケを書き下ろしていることがあるかといえば否。
自分の場合今まで知ってた曲もアーティストの人柄や過去を知ってその内容に説得力を感じたり更に好きになる事もあったから質問者さんの気持ちは分からなくもない
肌の色じゃないよ、どの文化で生まれ育ったかだよ。それが体に刻まれていくんだよ。
音楽CDのデジタル版のカバージャケットって、歌詞カードとブックレット含めていっそのこと動画にしてデータで付属にしてもいい気がする MVじゃなくてもうちょっと簡易的なやつで。
アートワークの件、その分MVやプロモーションにかけるリソースは間違いなく増えたよね。
裁くとか許すとかの気持ちで聞けないわけではないんですよね。背景を知る事でその曲を聴く時エモーショナルな気持ちになったりすることってありますよね?原理はそれと同じなんです。いわばチラつくんです。気にしないとか考えないって一度気になるとすごく難しいと思います。
@user-iv8ry1vp6r
Жыл бұрын
チラつく=その出来事(不祥事)が許されないことだと思ってるってことだから無意識に裁いてる(自分の正義感で測って善悪の判断をしてる)んじゃね?ってことでは? まぁそれは人間誰しも程度はあれど日常的に行ってることなので裁くなと言われても無理はありますけどね
@user-ew9bb9hd6t
Жыл бұрын
先に言っておくと、私にはこれらの話題に当てはまるミュージシャンの音楽を否定するつもりはありません。私は裁くという言葉を断罪する、みたいなニュアンスで受け取ってしまったので少し内容に齟齬がありますね。確かに善悪をつけることが裁くことなら当てはまるかもしれません。ですが、それなら許している人も裁いていることになりませんか?結果許して聞いているなら、どちらも自分の正義感に従って裁いたのは変わらないと思います。
@user-iv8ry1vp6r
Жыл бұрын
許すというよりそもそも不祥事がどうでもいい、曲は曲ってマインドの人もいますからね 俺はRIP SLYMEの曲聴くたびにSUイジメられてたんかなーって思うからアカンけど
@user-ew9bb9hd6t
Жыл бұрын
そのマインドで聞いているなら理解できますね。かくいう私もジョンレノンなんかを聴くときはそういうマインドですし。ですが他のコメントでは、所謂聞かない派の人を揶揄するようなコメントが散見されますし、みのさんも動画内で妙に不祥事の方に話が引っ張られているような気がして、やっぱりみんな頭では分かっていてもどこか音楽と切り離せずに思うところがあるのかなと邪推してしまう部分はありますね。
@user-cn9ir2jh3j
Жыл бұрын
意味わからん。なぜ音楽を聴くときにその作曲者の性格とか過去の過ちを思い浮かべんの?そんな性格してんな
アートワークにこだわってるアーティストもいると思うよ 特にホルモンとかはそうゆう理由でサブすく解禁に抵抗あるらしいね
@user-rf1ck2is6n
Жыл бұрын
VaVaの『VVARP』のジャケットめちゃくちゃカッコいい
レコードはアートワークなしのラベルが見える穴だけ空いた無地のジャケットがいっぱいある。なんならラベルも無地で何も分からないってやつもある。ハンコが押されてるだけとかね。 あと裁きすぎって意見は同意。
きゃりー「わたしアイドルじゃねえし」みたいな本出してなかったっけ
テレビの編集が日本人を馬鹿にしてるのは同感ですね。 ワイプで映されるのがお笑い芸人ばかりっていうのも良い加減にして欲しい。
カテゴリー的にソロアイドルでは無いけど、声優の音楽活動は近いテイストだと思う
自分の好きな曲を作った人は、最高な才能と人格と演奏力を持っている筈、という極度に幼稚な偶像崇拝から卒業できたのなら褒められても良いのかも。音楽と人格は別ものと理解できれば、自分の耳で判断すれば良いだけなので。
みのさん、素晴らしいです。
「人を裁く気持ち」ピンときました。世界を変えるのは音楽しかない!
程度問題なのかもしれませんが、コーネリアスはまだ聴けるしフジの配信も全部観ましたけど、AmetsubとかRhyeは心情的に無理になりましたね。殿堂入りしているフィル・スペクターとかも凄さは理解してるんですが、やっぱり頭をよぎってしまうし。ファンは「やってないかもしれないじゃん!」とか「音楽と人格関係ねぇじゃん!」って言うかもしれませんけど、ファンは大好きすぎちゃってる状態なのでそういう考えの人もいるんだと受け止めてます。電グルは変わらず聴けますよ!
アイドル詳しくないからあれだけど、昔はそれこそ聖子ちゃんカットが流行ったみたいにソロの女性アイドルに対する憧れが強かったように思うけど、今はソロのアイドルで目立った人がいないから、そもそも目指す人が少なくなってるのはあると思う。アイドル=大人数のうちの一人でいずれはソロ、、、みたいなイメージが出来上がってる気がする。逆説的だけど。
ラノベの売れ行きがカバーの絵師で大きく動くように アートワークはむしろこれから音楽自体を食う勢いで伸びる可能性があると思ってます AppleMusicだのSpotifyだののサブスク提供側がそのことに気づいてアートワークの出し方を変えたら、一気にゲームチェンジするかも
@user-qs4rr1ut6v
Жыл бұрын
なにそれめちゃくちゃ楽しみになってきたんだけど
@Little_Brother.s_Riot
Жыл бұрын
2013年ごろのボカロシーンではMVがハイクオリティなものがやたらウケたし、表紙(サムネ)つきコンテンツの宿命みたいなものを感じる
@joov9280
Жыл бұрын
それはあまり可能性がないのでは? TikTokやKZreadなどの既存の動画プラットフォームを超える形で、音楽系サブスクが新しい何かを提示できる可能性を感じません… どういうものを想像してるんですかね。 ラノベと現在の音楽では、市場のシステム等があまりに違うので、なかなか難しいと思うのですが。
@user-ud3id7cm7i
Жыл бұрын
@@joov9280 個人的に同意。ていうか、ラノベと音楽におけるイラストの重要性や立場が違いすぎて、比較できないと思う。 音楽はアニメ化できない。
@joov9280
Жыл бұрын
@@user-ud3id7cm7i まぁ、音楽においてアートワークやビジュアルは重要だとは思いますよ。 という話よりは、むしろ… 近年の音楽は何かしらのアートワークと共に提示されるのが通常であって、そこではすでに様々な工夫がなされています。 また、You Tubeやサブスクの登場そのものが「ゲームチェンジ」だったわけで、 それらがなんらかの変容をしたとて、それは資本主義的な強者の強化、あるいは機能の追加にすぎないわけです。 いまアートワークに力を入れれば既存の音楽を食うようなゲームチェンジが起こる、なんていうのは楽観的で、議論として粗雑すぎるのでは?と思った次第です。