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キャバクラ紛いのコンカフェが増えたせいで、いかがわしい街になりつつあるのが許せない
そこらへん、伊藤和子と仁藤ゆめののデマ拡散が元凶と指摘されてますね
コンカフェとは何の略でしょうか❓️
@@user-pj9jo2bo4v コンセプトカフェ 一般的にはコラボカフェとかだけどこの話のはいわゆるメイド喫茶とかそういうの
@@user-pj9jo2bo4v コンセプトカフェですね。 アキバ的には初期にはメイド、魔法学園、忍者等々のコンセプトを持ったカフェの呼称として使用されていましたが、新宿池袋等ではコスプレ系キャバ・昼キャバの呼称として。 アキバがキャバ昼キャバ系の侵蝕を受けてからは後者の意味で使用される事がおおいです。
あの不潔な女が握る寿司屋もあったね 怪我した手で調理したら、ブドウ球菌が倍率ドンで増えるから 掃除と皿洗い以外出来ないのに、絆創膏は無い
ヤクザが運営する悪質冥土喫茶の地獄から派遣された冥土達が真昼間から路地裏で悪質手引きしてるのも秋葉原が敬遠され始めた理由でもあると思う。
アキバにもシノギにするヤクザはちゃんといるんだな・・
あそこ神田のすぐ近くだから下町のヤクザ多いよ。 神田祭は制限厳しくなって墨入った人が神輿担ぐのは減ったけど未だに後援会のテントの中見るとちらほらおるし
冥土から、おいでおいでを する喫茶になったのね
とらのあな本店が消滅したり、あきばおーが見えなくなったり行きたいモチベーションがどんどん下がっていく今のアキバ
とら跡地はアニメイトになったという 池袋も倍近く広くなったし、妙に調子が良いよなぁ
「シュタゲ」の作品内でリフォーム前のラジオ会館や、「アキバ冥途戦争」でヨドバシが来る前の駅前の風景とか、もはや失われた風景が映像で出ることのノスタルジーが凄い
AKIBA'S TRIPなんか街中走り回れるけどもう半分近くは存在しない風景に…
アニメのシュタゲで何話か忘れましたが、ED間際に別世界線に飛んで現れた電気街に狼狽する鳳凰院凶真に被るEDが印象的でした。
@@八意思兼神 フェイリスがDメール送った後のやつ?
アキバズトリップ switch版は2つ買ったけど本当懐かしい……… あと昔あったアーケードゲームのセイギノヒーローでも秋葉原のステージがあったなぁ
調べたら9話でした。中央通りの店先がもっと映っているかと思っていましたが、それほどでもなかったですね(動画が上がってます)。オカリンが狼狽えて振り返るたびにスタッフ字幕が揺れるのは9話だけ特別だったのでしょうか?
25年くらい前に、まだ電気街だった頃に行った秋葉原は楽しかった 日曜の露店や裏路地なんか今では考えられないものを売っていたけど、そのディープな空気感が好きだった
駅前が再開発される前までは良くも悪くもかなり独特な雰囲気があったわな 再開発後からはキレイだけど他と大きな差の無い繁華街に
アングラな雰囲気だから秋葉原なんだよなあ。本当に面白い店が多かったのだが。
石原前知事にいわせれば「小汚く雑然とし、外国の方にお見せするのは恥」だったらしいので…まさしく彼の希望通りの街になったとは思いますよ…外国の方がこれを求めていたかはさておき
@@miwasaka 確かに、狙い通りにはなったと思いますが海外の人がきれいな街並みを求めてここに来るとは思えないんですよね。 アジアの独特なごちゃごちゃした街並みを求めてくる人が多いので・・・ きれいな街並みとか見たければ都会であればニューヨークに行くでしょうし、昔の日本の街並みとかを見たいなら京都に行くと思うので逆に魅力を減らしちゃった感はありますね。 最近は建物が古くて使いにくいとか、権利関係の事情で建て直したり移転したりってことが発生してますが、形が変わるにしても秋葉原は変化しながら残っていくとは思います。
綺麗になったけど、個性は無くなりました。 居抜き物件はどこにでもあるから秋葉原だけの問題ではないです。 まあ、昼ごはんには困らなくなりましたよね。
上京して初めて秋葉原に出向いたのが電車男ブームの数年ほど前。田舎にいた頃はアニメショップが雑居ビルの一角など目立たない所にポツンとあるぐらいで肩身が狭かったのに、町全体が電化製品やアニメグッズの店だらけで衝撃を受けた。ホコ天もあったり2000年代頃のアキバは楽しかったですね。
トラックで突撃する事件もあって盛り上がってたよねぇ。
洋ゲー、アーケードゲームの基板、マイナー端末、マイナーOS、格安PC(バッタ屋)、尖った要求にも応えられた頃の秋葉原は面白かったな。
メイドを騙ったボッタが増えてメイド喫茶が衰退した気がする マハポーシャ懐かしい
ドスブイがぁー! 激安だーっ 心底気持ち悪かった思い出。 その直後に地下鉄サリン事件起きたね。
秋葉原は電気街のジャンク屋に通ってたことがある あれは見るだけでも楽しかった…
外神田3丁目が最高でした。パソコンはここで集めたガラクタで作った物を使っていましたが今は新品が安くなったのでそちらを利用していますが、この経験は後々大いに役立ちました。
こういう文化の全盛期に、変に気取らずもっと全力で楽しんでおけばよかったなぁと今になって思う。
秋葉原、今はそんな事になってたんですね・・・ 自分が最後に秋葉原に行ったのは20年以上前、確かデジキャラットというキャラクターを街の至る所で見かけてました
最後にカレー店の話をしているが、30年以上前の秋葉原は飲食店がほとんど無かった。ここ近年、牛かつやラーメン店で開店前からの行列を見ると、これこそが秋葉原の一番大きな変化だと思っている。
30年以上前のことは分からないが、20年前もほとんどなかったね。 アキハバラデパートのイートインコーナー(伊呂波)が貴重な飲食店だったくらい。 あとはじゃんがららぁめんとか、牛丼どんどんとか、まあ両手で数えるくらいしかなかったよねえ。 あと、元旦の人出も様変わりしたなと思う。 神田明神至近とは言え、秋葉原は店がやってなくてゴーストタウンみたいになってたんだよねえ。
増えたのは2010年代という現実
その中でもラホールやサンボは30年以上前からあった老舗よね。
昔は秋葉原で昼食といえば「牛丼のどんどん」が定番だったけど、今は無くなったのか。。
@@user-kh1qt3jx4c 2009年に撤退したってさ
「秋葉原」という地名を知ったのは1970年代、中学生の頃に読み始めた「初歩のラジオ」でした。まだCDの規格すら決定されておらず「ゆめのデジタルオーディオディスク(DAD)」などと呼ばれていた頃です。トランジスタがゲルマニュウムからシリコンに移行し、汎用型が安価で大量に出回りだした頃でもあります。 当時は電子工作のたぐいの他にも無線機やオーディオ機器の自作なども盛んでした。オーディオ機器用のトランジスタが開発され採用されていた、今では考えられない時期です。 私は高校卒業後に電気系の専門学校に進学・上京して初めて秋葉原に行くことが出来ましたが、夢のような場所でした。部品に限らず、配線部材・工具・測定器など必要な物が狭い空間で揃う場所でした。パソコンの普及によって幾分の変化はありましたが、その頃はまだ大方「電気街」だったと思います。 大きく変化したのは「おたくの街」に変貌した後の時期、古いビルの建て替えが進んだ頃だと思います。各店舗の経営者が高齢になってしまったのも一因でしょうかね。
初めて秋葉原に行ったのが小学五年生の頃だったなぁ……… その後そこで今でも本当の友と呼べる友人が出来て秋葉原は自分にとって聖地であり、一人ぼっちだった自分を救ってくれた聖地であり出会いの場です!
20世紀の秋葉原は食べ物屋が少なくて、『何でお腹をすかせた若い男性が多いのに食べ物屋が少ないのだろう』といつも思っていた。 だから未だにサンボを神聖視してしまうんだよね。
昔の秋葉原は飲食店が少ないと言うと異論があったので聞いてみると20年程度の昔で草生えた。 青果市場移転のときに主だったものも消えて、問屋さんは自炊するから飲食店が少ないままでしたね。
1994年に秋葉原でバイトしていた頃、ランチをどこで取るか本当に悩みました。で、いつも駅ビルの中。
サンボで怒られたのはいい思い出w
世間一般の牛丼屋と思って入る初見の人が、「牛丼つゆだくで!」というと うちではそういうのやってない!って恐ろしく不機嫌になる、おっかないおばちゃん… いましたよねw
ここの霊夢ちゃんはちゃんと神職(巫女)としてしっかり神社関係の解説してくれるからとっても好き。神社の解説を巫女である霊夢にお願いする魔理沙も素敵。
昔のまるで2chの入り口みたいなアングラ空間を取り戻すチャンスでもある、 歌舞伎町の敗者ばかり流れてくるアキバなんて 誰も求めていない。
80年代後半から90年代にかけて、ファミコンやPCエンジンソフトが店頭にズラーっと並んでいた時代が懐かしいです。 ここにくると、格安になっているソフトがあるので行くのが楽しみでした。 石丸電気にも、地元の店では見かけなくなったCDなんかがまだ売っていて重宝しました。
秋葉原に行く時はわくわくしたもんだが、いつからだろうか。だんだんと違和感というか 居心地の悪さを感じる様になって足が遠のく様になってしまったのは・・・
似非電気部品問屋の呼び込みが始まったのが80年代。それまでも電気製品店の呼び込みがあったけど、ウザさが上がったような。今はメイドの呼び込みが、ウザいというより悲壮感を纏っているようで嫌。 80年代でも製品を買うのに秋葉原が安いということは無かったけど、製品自体も部品交換ではなくアッセンブリー交換になっていった時点で電気街の秋葉原の役目は終わっていたのかも。
なんかすごいわかる……
あそこは常に「無い物は作る」の精神の人達が集まる場所でしたこらね。 電気回路がPCのパーツに、ソフトに、絵や音楽に、と移り変わりはあったとしても。 萌えが入った時は危機でしたが絵や音楽と上手く転化しましたし。 寄生虫みたいな業者が入り込んで消費消尽だけの街になりつつあるのがつらいところですね。 例えば、AKBとアイドルオタが入り込んでいい感じに成長していたセルフプロデュース系の音楽・アイドル文化の芽を食いつぶしたり、今話題のコラボ系の連中が女子高生商売に汚染された街とのデマの結果として昼キャバみたいな店が入り込んできたりとかは、大きなマイナスだったと思います。
AKBからメイドカフェくらいなまだかわいいものだっけど、中央通りから1本入った、あきばお~のある通りがコンカフェだらけになり、コスプレした女の子たちが歌舞伎町なみに客引きするようになってから。
電気街が機能していた当時は客より店員の方が偉かった。 客「この型番のパーツありますか?」 店「…目の前。」 客「あ、すみません」 この雰囲気が大好きでした。
更には、「幾ら持ってんの?」と在庫の在る無しを言わず、金の話しをしだす店員(店主)が普通だった。
@@toushirouarai7258 うわぁ、それです!良い時代でしたw
すてきなサムシングww懐かしくて笑っちゃいました😂
あれってサトー無線だっけ?
@@user-rl2hb6us1j そうですw KZreadで検索しちゃいました
変わり続けるだけだ。 何も悲しむことは無い。 ただ、こういう時代もあったと懐かしめばいい
きみ、哲学者だね 秋葉原から万物の理を知ってしまった
まさかアキバから円環の理を学ぶなんて
ラジオ会館やヤブのジャンク屋の時代こそ秋葉の人間にとっちゃ ヲタ化した時代の方が違和感やしなw
アキバは死なず。 ただオタクの聖地として存在し続けるのみ。 変わるのはオタクの側の内容だけだ。
池袋もどきでヤクザや華僑ロシアマフィアの町になりそうなw
大阪の日本橋も同じ運命を辿っています。
「霊夢の神社関係の話するのって~」のくだりが、単に雑談モードではなくサラッとキャラ設定が活きてて良いですね。
アキバ接客で罵倒され、喫茶店で回路図走り書きしてるおっちゃんに圧倒され、茶封筒に入っている謎のフロッピーに魅了された街はもうない😭
そうでしたそうでした!
良い時代だなぁ。。。
懐かしい。
使えるか分からない、ジャンク品に並んで、裏ビデオを売ってたのが懐かしい。
2000年ごろコスプレやオタク文化が秋葉原の歩行者天国で大々的に華開いたとき、オタクだった自分はもうこの街に居場所がないなと感じたものです ただそれは電気街として愛した人たちも同じように思ったことでしょう というノスタルジー。各々の年代で秋葉原には懐かしさや空虚さが異なるのでしょうね
勉強になる動画をありがとうございます。 電子関係のエンジニアをしておりますが、仕事で急に電子部品が必要になった時には秋葉原に買いに行きますよ。 電子工作用の部品が確実にその日に手に入る貴重な場所です。 通販では早くても翌日入手になりますからね。 昔は、部品はラジオ会館で探していたのですが、今は通販もしている電子関係のお店で纏めて買ってしまいますが・・・。 自分が小学生の時に電子工作をしたくて、父に秋葉原に連れていてもらったのも懐かしい思い出です。 大人になって、APPLE-IIのコピー品や家庭用ゲーム機の改造キットを買いにも来ましたね。 我が子にゲームのチートキャラをプレゼントしてました。 その様な穴場のお店はマニアが通って残ると思います。 ありがとうございました。
少し離れていましたがAITENDOはどうなったんでしょうか?中国人のおねーさん達がやってたパーツ屋なんですが・・・最初はココネットいうジャンク屋で後に液晶工房になり電子パーツ屋&電子キット屋になり一度閉店して末広町に移りコロナの前くらいに無くなってしまいました。
江戸っ子の父親が「秋葉っパラ(あきばっぱら)」って言っていたのは間違いじゃなかった事が理解できました。むしろ「正解」だったんですね。
江戸時代の刑場だった”小塚原(こづかはら)”も、時代小説や昭和のドラマじゃ「こづかっぱら」と発音してましたからね。
電気街としてはスマホの登場がトドメだったと思う
こちらの動画は解説役と聞き役がスッパリと別れているのではなくてお互いの得意分野で変わるから 本当に会話してる感じがして楽しい
ゆっくりれいむ氏が神社に詳しいとこが、申し訳程度の東方要素。
ラジオやステレオコンポが廃れ、PCゲームがフロッピーやCDロムからオンラインになって、コミケも物販からコスプレイヤーばかり注目されるようになって…。 そういう時代の変化をモロに受けた街のような気がしますね💦
秋葉で飯食おうと思ったら電気街から外れたトコの喫茶店か自販機のおでん缶の2択しかなかった時代が好きだったわ
その時代のじゃんがららーめんは旨かった。 今は外人さん向けのただの高くて旨くもないラーメン屋に成り下がったね。
@@broyossi よく考えたら秋葉原に行くようになって20余年、1回もじゃんがらに行ったことがないことに気がついた。博多とんこつイマイチ好きじゃないんだよね……。 そういう私はアキハバラデパート内の伊呂波でカツ丼食ってました。
@@goyamada1177 関取ラーメン竜軒もかなり昔からあるよね。やっぱ一回も行ったことないけどw
1:05秋葉原 5:26歴史 10:57現在
頻度にして2,3年に1回行くくらいだが確かに20年前に比べてずいぶんこざっぱりはした気はする。 今でもいくらかはあるかもしれないが、昔の秋葉原って電気街の他にも大通りからひとつ入った路地ではAVやら同人誌やらのアレなポスターとか普通に置いてあって、いわゆる赤線地区とか歓楽街みたいなのとはまた違う雰囲気でアングラ感あった。
僕なんか1月に1~2回ぐらいのペースで行ってるよ。確かにここでは手に入らないA〇はない!ってくらいの品数だね。
実際アングラだったから一掃されたんでしょ😅 変な絵画を高額で売りつける店とかあったわけだし。 当時の秋葉原なら、一日で兵器作る事も可能と言われてたくらい電子パーツの宝庫だった。
@@user-ux8eq5yi4o ああ、あったあった。 雑居ビルの1室でラッセンの展示即売会みたいなのやってて一度入ったことあったな。
噂は聞いたデート商法だっけ
@@shimatani2456 自分の時はそういうのじゃなくて普通に通りでスタッフがパンフレット配ってて入った感じだった。 セールストークも”年収いくらですか?”からの”それくらいの年収の方が一番買ってますよー、皆さん買っていってます!”みたいな典型的な日本人向け正攻法だったと思う。 つかそんなこともやってたのね、むしろそっち知らなかった。
土日のラジオ会館のエスカレーター、いつかとんでもなくやばい事故が起きるんじゃねぇかとヒヤヒヤする。
秋葉原は男も女もニッチもメジャー(ジャンル)もオタクなら大体ぜんぶ受け入れられる混沌特有の寛容さがあって良い 池袋の方もアニメイト大きいのあったりコスプレ服の店とかあったりするけど、陽キャと女性オタクの街、って感じでエリア全体オタクに優しいって感じじゃないんだよね~
サトームセン、石丸電気、オノデン。 ゲームソフトを求めてハシゴをすると耳にした歌。 あの頃に秋葉原には無かったヨドバシが今は残るのみ。 時代の流れとはいえ、寂しさを感じます。
そもそもゲームショップがなくなったよな。秋葉原に限らず
オノデン坊やが未来と遊ぶ、確かめよう・見つけよう素敵なサムシング、でっかいわでっかいわまるまるでっかいわ。全部閉店してしまいましたね。
メッセサンオーも無いんですよねもう
メッセサンオーも?
@@user-mq6yv5ix4x トレーダーに吸収合併されて、10年以上前からないよ。
サトームセンや石丸電気、駅前のバスケのコートがあった頃が懐かしいな もう25年ぐらい前になるのかな?
自分が通った頃はPen2が高価な時期で自作でPCを作って、等倍でCDRが安定して焼けるのがステータスだった時代。太陽誘電のCDRを買い、TeacのROMライターを探し回った頃が本当に懐かしいです。
「電車男」で一般人に、オタク文化、秋葉原が注目されて今まで秋葉原に縁がなかった人達が急激に大量に集まってきたのが終わりの始まり。 ピークは2010年くらいかな? でかいヨドバシができたり ラジオ会館閉鎖あたりから今までのアングラな秋葉原らしさが無くなっていき急激にオワコン化 2015年くらいは日本人と外国人観光客が半々くらいだった印象 メインストリートで中国語が喧しかった。 昔の秋葉原らしさが残ってるのは、もう「まんだらけ」くらいだな 趣味人の街からオタクを排除して、大多数一般向けにシフトしたら街から活気が無くなって衰退しました。 次はどんな街になるのかな?
現在は観光地そして風俗街になるかも・・・アングラ化
昔のイメージから変化しているし 更に「只のオフィス街」になって いくのだろうなぁって……。
DOS/V時代に洋ゲーにハマりTWOTOPとかでDOOMやDIABLOをパッケージで買ってたのが懐かしい。 子供の頃はオーディオ各社のカタログを紙袋いっぱいにして持ち帰るのが楽しかった記憶が・・😊
カルト教の信者が無差別〇人の現場付近で大声でショップブランドのPCのチラシを配っていた。W95ブーム前に閉店したが名を変えて3店舗に分かれて復活していた時期もあった。同じ場所で「萌え萌えキューン」とかやってましたね。
昭和30年代中頃、現在のラジオデパートはトタン屋根の長屋だった。雨の日に買物に行くとトタン屋根に当る雨音、所々の雨漏り、今は懐しく感じます。
戦後の闇市のようですね。 魅力的です。
ここ10年ほどアキバに行っていません。20年ぐらい前は週に2・3回は行っていたんですが。
秋葉が電気街からオタクの街に変化していったのは、PC向け美少女ゲームが、PSやスーファミと違って規制されてなく自由な表現が許されてたからだと思います。90年代の秋葉はPCの街だったので、PC向けゲームも同時に販売されてました。 日本がポリコレに甘い傾向があるのは秋葉の文化由来です。 秋葉が衰退していくと言う事は、日本もポリコレに敗北していくと言う事になるので懸念してます。
アキバなんてその時一番儲かる商売をしてるだけだよ
ポリコレは思想的な是非はともかく、儲からないことがわかってきてるから、遠からず廃れるよ。資本主義的に悪だからね。
Sofmapも関係するのよな
今の秋葉原は外国人だらけで、聞こえてくる言葉は日本語のほうが珍しいくらいです インバウンドという意味では店舗の売り上げとかは昔より上がってるくらいじゃないのかな?
秋葉原に初めて行ったのは1979年、まだ高校生だったから見てるだけだったけど。その後85年にNECのPC-8801mk2SRを買ったのが初めてのお買い物だった。確か90年頃まではコピーツール買いに行ったけどその後は殆ど行かない。あの頃のアキバは見てるだけでも楽しかったな。ラジオ会館もPC関係のお店がひしめいていたしビットインもよく行った。 もう行く事も無いと思う。
時代の流れは、いつまでも同じものではないことが伝わる
アキバがまだ電気街だった頃はアニメショップって雑居ビルの一室だったりしたけど、それもそれで懐かしい。 雑誌とかに場所は載ってるけど大きな看板とかはなくて人に教えてもらってたどり着く文化みたいなのもありました。
川西池田の駅前でアニメイトを利用した事ありますが最初は雑居ビルの一室で一階にコンビニがあり多少うらぶれた雰囲気でした。
大手のまんだらけ秋葉原店ですらわかりにくい裏通りの雑居ビル5Fとかで隠れ家みたいでした 今は誰でも行ける立派な自社ビルに変わりました
アニメイトが昭和通り側のどっかのビルの中だった様な記憶 どこだかわからなくて当時は結局行くの諦めたなw
@@XX-qn5gz 同郷ですね!川沿いのビルの1階か2階か半地下1階か、あまり高くはない位置にありましたね。 他には旧松屋レディースの上のほうの階にもショップありました。店名忘れましたけど。
@@XX-qn5gz ライブハウスがあるビルの2階にありました。
秋葉がPCパーツ街だった頃、秋葉でカレーの話してた時に「理系の(アタマの回る)人間は辛いものが好き」という説を高校時代にDOS-Basicを使いこなしFORTRANにも手を出していて理工大に行ったかなりアタマの良い先輩に聞いたことがあったな。
昔と違ってオタクグッズが割とどこでも買えるようになってわざわざそこに行く必要が無くなったのも要因の一つかなあ オタクという言葉も昔は第三者から付けれる蔑称だったのが今やファッションで自ら名乗る物に変わってきてるし、本当に時代変わったよね
プライズフィギュアなんか下町のスーパーの近くの露店でも売ってた。(平日昼間) 何でも屋のハードオフも近所に進出してきたし。 フツーの街にマニアックな店が。。
PCパーツや専門的な電気街の店も少なくなり、さらにアニメとか漫画の専門店とかも減ってきた。 昔からの専門の店が集う街というよりも、ビジネスホテルや一般的な店が多い街になりわざわざ行く気はなくなった。ワクワク感がなくなったことが大きい。
聖地が輝く時は、そのジャンルが人気の時と、そのジャンルが死にゆく時、 後者は、干上がっていく生存圏の中、最後に残ったオアシスに生存者が集まる事で発生する最後っ屁。 いつか秋葉原の引力が完全に失われる時は、一つのジャンルが終焉を迎えた事を意味する。 そうなる可能性を思うと悲しくなる。 いつまでも不滅でそこに在り続けてくれる象徴的なモノがあってほしい。
趣味の生産交流をするための街から、消費をするだけの街に変わったところで見切った というか、趣味の生産交流はネットに移ったからなー
なんにしろ特化で成り立ってた街だからねぇ…最近は似た系統の街も多いし 有名になった代償で犯罪の現場に選択される事も多かったしね。 電気街の頃からなんとなく後ろ暗い雰囲気も秋葉の魅力だったし駅前周辺の うさん臭さも人を引き付ける部分だったんだけどね、ヲタ文化特化で成功したけど 色々な事件現場にもなって下降して今はなんか何処にでもある特に特徴のない 普通の街って感じになっちゃってるね。 あの辺は川や暗渠、地下鉄なんかも多いから再開発するにしても難しいだろうしね
常磐線は複雑なルートを通るのにくらべTXは北東へ一直線に伸びる構造である 北東と言えば鬼門であり古来より様々な鬼門封じを施されてきている 常磐線のルートはそれも考慮してあのような蛇行したルートにしたことだろう。最短距離の合理化だけで鬼門を考えないTX開業により秋葉原は大きな影響を受け大きな変化してしまったとも思える。TX沿線は発展したが起点の秋葉原は逆に不安定になってしまったとも
興味深い説ですね
電子部品なら今でも行く価値はあります。 まだバスケットコートがあって、近くに献血ルームがあった時代にはよく通ってました。
確か何年か前に「ぱすてるメモリーズ」っていう、大コケしたアニメがあったけど。 その冒頭でシャッター街と化した秋葉原が出てくるんだよなぁ。 ……あそこまで酷くはないにしても、ほぼほぼ未来を暗示していたように思えてくる不気味さを感じるなぁ。
90年代初頭にアキバでPCゲームショップで働いてました。PC98全盛期で毎週の様にエロゲー発売してましたね。楽しい時代でした。また、PCが今より遥かに高価でしたので、モニター、プリンター、PC本体を買うと100万近くする事もザラでした。(しかもキャッシュで買っていく) あの頃⒈5メガの増設メモリが4万位したっけなぁ
凄く懐かしい。パソコンショップの店の中のあの独特な匂いが好きでした。 私も情報処理系の専門学校に通った時にpc9821のパソコンを購入した。あの「カタカタカタ」という音が好きだった
今ではあまり聞かなくなりましたが、DOS/V機器の相性問題があったと思います。そんな情報を仕入れるためにも行きましたね。
@@八意思兼神 メーカーはIBMのマシンで動作確認を取ることが多いの長らくジャンク品のTHINKPADを使っていたが今はLENOVOになっちゃいました。
@@user-zi3rj1ur9x スイッチ入れるとピポっというビープ音が懐かしい。
初めて秋葉原で降りたのは97年の夏休み。サトームセンのメロディが今でも忘れられない。交通博物館や石丸電気を目的に行ってたけど、今はもう・・・・
ラオックスもきかなくなったなぁ😅
交通博物館撤退あたりからオタクらしい秋葉原の終焉が始まった気がしますね 再開発の狼煙という部分もそうですが、そこからまず鉄道が消えていき、次に石丸電機が消滅したことで家電感が徐々に消え失せ、10年代でアニメの町になり始めたころエロゲ文化の衰退とともに毒にも薬にもならないアニメが増えたことで秋葉原の情報発信の能力が下がっていき、とどめに再開発でオフィス街になってしまった感じだと思いまっすね。
お茶の水・御徒町が代替わりしながら続いてきたのに、秋葉原は出来なかったのが痛かったかも。 交通博物館の秘宝が鉄道博物館への移転で破棄されたのも痛かった。
@@八意思兼神 代わりに鉄道模型の扱いが増えてきています。
オノデンもあったね
アキバがオタクの楽園ではなくなってしまったか諸行無常の響きあり
9:07 この建屋は現在1F&2Fがらしんばんとして使われている場所です。 90年代PCを売る他、家電量販店がSFC以降のゲームとCDの取り扱うエリアが拡大していく。 その中でゲーム=ギャルゲーがPCゲーと共に勢力を伸ばす。 この辺りからアキバは電気街からオタク街へと変貌していく。 (ポスターやらオリジナルCD等がゲーム購入特典として付くようになっていく。) その後00年代からインターネットの普及に伴い、需要が伸びて関連商品(フィギュア等)を扱う店も増えていく。 他にはヨドバシカメラが開店し、数年後客を取られた石●電機、サトー●センが閉店。 また メイド喫茶の前進【コスプレ喫茶】が誕生したのもこの頃で、のちに給仕=メイドというのでメイド喫茶が誕生。 10:56 消えた…というよりも 消された、変化したが正解ですかね。 この背景にあるのは日韓ワールドカップとその後のオリンピック招致が大きく関係してくる。 当時のアキバの街頭ポップは 肌色多めのイラストがあちらこちらに貼られていた。 これが来日外国人へ向けて・・・とは恥ずかしいと思った都議会が条例(?指導?)で禁止となり、子供に見せても問題ないイラスト等に変わっていく。 これが、オタク街の黎明期から通っていた人から見ると衰退したとみられて、オタク街が消えたと言われる原因の1つ。 長文&駄文失礼しました。(違っているかもしれませんので、補足してくれると助かります。)
安い電気パーツやお宝探して裏路地の怪しいビル探検が楽しみだったのに、いつ頃だったか・・・突然パチ屋が立ち、メイドカフェが乱立し、街の様子がガラっと様変わり・・・寄り付かなくなったね~ 昔の秋葉を返せーって言いたいね
正直、秋葉原に対する自分の中でのイメージが2000年代後半くらいのイメージだったから、初めて行ったときはなんかコレジャナイ感凄かったし、その後コロナとかで良くも悪くも様変わりしたけど、地方出身の田舎者からすると今でもサブカルの街としてはトップクラスだと思う。 アニメ、漫画、ゲーム、パソコンetc...いろんな文化を一つの街で楽しめる場所なんてそう多くない。品揃えやお店の数も相変わらず桁違いだし。 色んな人が衰退しただのオワコンだの言ってるが、それは昔を知ってる人の贅沢な嘆きにしか見えない。
それは一理あると思いますね。個人的には、依然としてオタクの街ではあるだろうと思っています。 というのも、邦訳アメコミを買おうとすると、東京都内では秋葉原か池袋にしか専門店がなく、中古でいいやと思ったらまんだらけもあるからです。アキバにないものは、だいたい後は駿河屋にあるかないか、という感じなんですね。 ほかには、ゲームショップやホビーショップの述べ面積で言っても、やっぱり依然として世界一なんじゃないでしょうか。 一方で、いかがわしいお店や、逆に堅苦しいオフィスが進出してきていることも事実なので、少しずつ特色が薄れつつあるというのも、それはそうなのかなあとは思います。 でも、秋葉原の次の“趣都”っていうのは思いつかないんですよねえ。
秋葉原も大変ですね…大阪日本橋はもはや…😱
通販やDL購入が主流になってわざわざ秋葉原まで行く必要が無くなったからなぁ
本当にここ数年で普通のビジネス街になっちゃいましたね… アニメショップも外国人向けの形だけの存在になってます…どのショップも同じものしか売ってない
オタク文化が終了したというより、作品数が多くなりすぎて1作品当たりの知識量が減っちゃった影響もありそうですね。 正直、終了したというより海外観光客を呼び込もうとしてる影響で誰もが知ってる作品が表通りで販売されるようになり、よく言われるオタクの町の部分も昔からある古い店も残しつつ新しい店が入ってきてるって感じじゃないですかね。 いわゆるオタクが求めるものはどちらにせよ買う店は普通にあるし、ネット通販は実は使いにくいっていう事情もあったり・・・
ヨドカメが来て、事件がおこるまでが再開発と電気街とオタク文化のバランスが取れてた最盛期だったかな。2010年代に入ったら見る影もなくなった
セガやNECが撤退しなければ据え置き出てギャルゲー(移植版も含む)が出て続けていたのに
秋葉原がこのまま廃墟と化すことは流石に考えにくい。 次はどんな姿を見せてくれるか、(合法的な姿であれば)むしろ楽しみなところもあります。
東京駅からも近いので衰退も一時的なものだと思います。 本当に次は何の街になるんだろうと楽しみです。
となると今は蛹の時期と考えたほうが良いのか
現状は池袋みたいなオタク系の店と🔞系が混じった街になってますね 神田や丸の内と同化してオフィス街になるか湯島・御徒町に飲まれて歓楽街・風俗の街になるか、、
駅周辺の再開発で終わった、もう行くことはないだろう。
解説動画で聞き手から「素人質問で恐縮ですが・・・」みたいな切れ味感じるのなかなかないから新鮮
今思えば、アキバにパチ屋、AKB、風俗店が入り込んだ時が大きなターニングポイントになった気がする。 それまでは、店が閉まる夜8時以降はゴーストタウンみたいになる街だったから。
AKBは本当にアキバをダメにしましたよね
ヨドバシ進出がターニングポイントだと思う
最近はちょっとアニメ見てる程度でアニメオタクを自称したるするしねぇ 本物たちの知識量と熱量はすごかったんだけどなぁ
見ず知らずの話相手を「オタクは~」と呼ぶからオタクだとは言うけど、そんな会話は聞いたこと無いな。希少な同志でもあるから、相手を罵倒することも無かったし。 でも宅さんが悪いとも思わない。
@@八意思兼神 滅多に聞かないのは基本的に他人と関わりたくないからとも言われてましたね。そんな引きこもりって意味もオタクに含まれてたそうです。
オタクアミーゴスの面々や、と学会の面々や、関西なら北野誠さんと竹内義和さんとかね。竹熊健太郎さんとかもかな?庵野秀明さんや島本和彦さんとかもそうですね。ガイナックスの面々達もそうですね。熱量と知識が半端ない。
今思えば制作系のオタクが減ったな 高くて良いモノを買う文化も薄まってしまったのかも コスパ重視の流行りで質が良くて高い製品は叩かれる対象にもなる危険性がある
修学旅行で秋葉原行った時1番印象にあったのは、セーラー服を着たふかわりょう似のおっさんが目の前を通った事かな?今でも忘れない。
さっき秋葉原に行って帰ってきたところだけど、なるほどそうだったんだ。面白い話だったです。
賑やかな頃に東京旅行して秋葉原に行けて良かった
アキハバラデパートやT-ZONEやアソビットシティーや石丸電気や旧ラジオ会館があった頃がもはや懐かしい…
秋月電子はまだあって良かったです。昔は怪しさ含めて面白い街だったなぁ。
投稿、お疲れ様でした。昔、秋葉原にある会社に通っていた時代がありました。パソコンやオーディオが全盛の時代でした。オタク文化の興隆により”此処じゃない”を感じましたね。まぁ個人的にはラジオデパートが無くなったら秋葉原に行く事もなくなると思います😢。因みにカレーは”ベンガル”という美味しいお店があって移転したけど今でも元気です。美味しいよ😀
ホコ天がつまらなくなってから一度も行ってないです。
東京の本社に勤めて居た時は、仕事が終わってから歩いてよく行きました。転勤後は通販の発達に伴い、運賃が馬鹿にならないので行かなくなりましたね。メイド喫茶が出来始めた頃かな?
でも秋葉原が電気街だった時はどこの電気屋さんもすごい品揃えと地元じゃ考えられない値段の安さで見て廻るだけでも凄く楽しかった 田舎から出てきたばかりの自分にはとても衝撃的だった
自分東京に居たころ28年前、休みの日秋葉原 ブラブラするのが楽しみでした。 ちょうど次世代機戦争時代でゲームが熱かったなぁ。
メイド喫茶の客引きが怖いんだもん。行かないよ。買う物もないしな。 昔はパソコンのサプライを安く買ったり、電子楽器を見に行ったりと、たまーに寄ったりはしてたけど、 近年じゃアニメや性に関するものばかりっていうイメージだわ。興味がなさすぎる。
昔は秋葉原デパートとサンボしか飯を食う場所がなかったよな。
喫茶店が2店に御徒町寄りに蕎麦店。最後に残った喫茶店も後継者がいなくて潰したのがウン十年前。
秋葉原デパート1階のどんぶり屋はよく行ってた。カツ丼の提供時間が早くコスパも良かった気が・・・
@@marinecorps573 あの丼屋にあったキジヤキ丼が食べたい。😢
@@user-ur6kl6ks1p キジヤキ丼懐かしや・・・(´・ω・`)
2005年のGWにいきなり観光地化したのが印象的でした。 あの頃はブラウン管がなくなりVHSやLDの中古も処分していたり色々と変わり目でした。 映像機器で古い方が機能性能がいいという状況もなくなり、 PCももう部品が保守化寡占化して特殊なパーツを色々つけるものでなくなったしもう行く理由がありません…。
30年前=家電やマニア機器などの高価な商品街 20年前=PCやゲームやマニア機器など高価な商品街 15年前=ニッチな町からヲタク街に変貌、低価格帯のグッズ街 今=何も無い、観光向けの街、一部の層向けの街 売っている商品の低価格化がどんどん進んだ、日本の賃金レベルに直接リンクしてる町って感じ
今はもう一般庶民はカネが無いからね アキバ衰退は日本の衰退・貧困化とリンクしてる このままいけば5年後は過去の街になり果てそう
ちょうど15年〜の時期に進学して上京してからよく通ってたのですが、安いお店多いって感じでしたな🤔、それ以上前の秋葉原にも行って見たかったです
バスケゴール合った時代までは、飯どこで食う?って それこそその手の笑い方と、謎言語(専門用語過ぎて理解できない)話す人が普通だったんですがね 30年前でもオタク系は増えてましたが 当時は知らないが1980年代半ばからか、変化としてパーソナルコンピューターの普及があったのは
今年始めて秋葉原に行ったんですけどイメージと全然違って最初は色んなオタクに応えられる店があるんだろうな~と思ってたら、那覇の国際通りと似た感じで観光向けになってるのが何故か悲しかった(´・ω・`)
1990年前後、当時ソフトウェア開発会社勤務でしたがボーナスが出た週末に安い怪しげなPCパーツショップを見て回っていると会社の同僚や上司に会い「お、やっぱりいたなw」と笑い合った記憶がありますw そういえばいまじゃソフトとかソフトウェアとは言わずにアプリといいますね…
比較的新参なので、全然賑わっている印象でした。 カードゲームやゲームセンター、まんだらけ、ヨドバシカメラにしか基本的に興味ないからかもですが、色々買えて満足しています。 皆様が賑わっていたという時期に行ってみたかったです。
92年ごろまでが電気街かなー、パソコンもあったけど、家電メーカーの独自規格が乱立していた時代ですね。WINDOWSの登場で規格が統一されて、WINDOWSパソコン用のパーツを売る店が出来たのがその次、パーツ屋が頭打ちになり、フィギュアなどのグッズを売り出したのがその次で、このころから、これまでは殆ど居なかった女性客や、食事ができる店が増えていきました。ダイビルが市場跡地にUDX作って、ヨドバシがやってきて、秋葉デパート改修しちゃったのがトドメですかねー。
かつてマニアが集まりお互いの呼び方が「おたく」と言い合ったためマニア=オタクとなりました。たぶんそのオタクは今は中野にいるかも…
自分のあこがれた秋葉原はもう幻想なんだよなぁ…
排他的だったオタクが良くも悪くも市民権を得て一般化してしまったことで薄い退屈な街になってしまうという因果な皮肉... でも同じ様に青果市場、電子部品が好きだった人も変わってしまうことが嫌だったろうな...
青果市場(やっちゃば)の業務用冷蔵設備店として大きくなり 市場の移転で家庭用電化製品に鞍替え全国展開 高級家電が売れなくなるとPCやホビーに業種が移行するも 経営失敗して破綻、斯くして電気街は消えていった
サビれるのも発展するのも、善き哉。そうやって時代が廻りつないでいくんだよ。
ラジ館の向かいで実演販売していたのまたみたい
昔はマニアと呼ばれた人達をオタクと間違えて呼ぶ様になった辺りから、変わり始めたと思う。 萌え文化は元々池袋の乙女ロード。サブカル文化は中野ブロードウェイ。みたいに電気関係以外は元の場所に戻っただけで衰退では無いと思う。 電気街としては衰退だろうけど、商売の町と見たらオフィス街が江戸時代に戻ったのと同じだと思う。
変わった・廃れたって感じるのはやっぱアンダーグラウンドのような裏方とか技術職とか陰の性質の街だったのが 高層オフィスビルや観光客、風俗紛いのメイド店なんかの陽の性質へ、正反対の方向に向かっているのがそう感じさせるのかな…
Steins;Gateの主人公は東京電機大学の学生という設定だったけど,作者の志倉千代丸はこうした史実を知って作ったのだろうか
Пікірлер: 663
キャバクラ紛いのコンカフェが増えたせいで、いかがわしい街になりつつあるのが許せない
@user-ec3hf8gs7q
Жыл бұрын
そこらへん、伊藤和子と仁藤ゆめののデマ拡散が元凶と指摘されてますね
@user-pj9jo2bo4v
Жыл бұрын
コンカフェとは何の略でしょうか❓️
@aaa-gb2yc
Жыл бұрын
@@user-pj9jo2bo4v コンセプトカフェ 一般的にはコラボカフェとかだけどこの話のはいわゆるメイド喫茶とかそういうの
@user-ec3hf8gs7q
Жыл бұрын
@@user-pj9jo2bo4v コンセプトカフェですね。 アキバ的には初期にはメイド、魔法学園、忍者等々のコンセプトを持ったカフェの呼称として使用されていましたが、新宿池袋等ではコスプレ系キャバ・昼キャバの呼称として。 アキバがキャバ昼キャバ系の侵蝕を受けてからは後者の意味で使用される事がおおいです。
@user-ik3ec5xg3b
Жыл бұрын
あの不潔な女が握る寿司屋もあったね 怪我した手で調理したら、ブドウ球菌が倍率ドンで増えるから 掃除と皿洗い以外出来ないのに、絆創膏は無い
ヤクザが運営する悪質冥土喫茶の地獄から派遣された冥土達が真昼間から路地裏で悪質手引きしてるのも秋葉原が敬遠され始めた理由でもあると思う。
@user-fx4nq9ww2z
Жыл бұрын
アキバにもシノギにするヤクザはちゃんといるんだな・・
@ki545
Жыл бұрын
あそこ神田のすぐ近くだから下町のヤクザ多いよ。 神田祭は制限厳しくなって墨入った人が神輿担ぐのは減ったけど未だに後援会のテントの中見るとちらほらおるし
@chococornet6175
3 ай бұрын
冥土から、おいでおいでを する喫茶になったのね
とらのあな本店が消滅したり、あきばおーが見えなくなったり行きたいモチベーションがどんどん下がっていく今のアキバ
@XX-qn5gz
Жыл бұрын
とら跡地はアニメイトになったという 池袋も倍近く広くなったし、妙に調子が良いよなぁ
「シュタゲ」の作品内でリフォーム前のラジオ会館や、「アキバ冥途戦争」でヨドバシが来る前の駅前の風景とか、もはや失われた風景が映像で出ることのノスタルジーが凄い
@user-uk7yo6dw6x
Жыл бұрын
AKIBA'S TRIPなんか街中走り回れるけどもう半分近くは存在しない風景に…
@八意思兼神
Жыл бұрын
アニメのシュタゲで何話か忘れましたが、ED間際に別世界線に飛んで現れた電気街に狼狽する鳳凰院凶真に被るEDが印象的でした。
@user-rt3gz8yt8r
Жыл бұрын
@@八意思兼神 フェイリスがDメール送った後のやつ?
@takumifujiwara5887
Жыл бұрын
アキバズトリップ switch版は2つ買ったけど本当懐かしい……… あと昔あったアーケードゲームのセイギノヒーローでも秋葉原のステージがあったなぁ
@八意思兼神
Жыл бұрын
調べたら9話でした。中央通りの店先がもっと映っているかと思っていましたが、それほどでもなかったですね(動画が上がってます)。オカリンが狼狽えて振り返るたびにスタッフ字幕が揺れるのは9話だけ特別だったのでしょうか?
25年くらい前に、まだ電気街だった頃に行った秋葉原は楽しかった 日曜の露店や裏路地なんか今では考えられないものを売っていたけど、そのディープな空気感が好きだった
駅前が再開発される前までは良くも悪くもかなり独特な雰囲気があったわな 再開発後からはキレイだけど他と大きな差の無い繁華街に
@sa-oq7ci
Жыл бұрын
アングラな雰囲気だから秋葉原なんだよなあ。本当に面白い店が多かったのだが。
@miwasaka
Жыл бұрын
石原前知事にいわせれば「小汚く雑然とし、外国の方にお見せするのは恥」だったらしいので…まさしく彼の希望通りの街になったとは思いますよ…外国の方がこれを求めていたかはさておき
@uzatans
Жыл бұрын
@@miwasaka 確かに、狙い通りにはなったと思いますが海外の人がきれいな街並みを求めてここに来るとは思えないんですよね。 アジアの独特なごちゃごちゃした街並みを求めてくる人が多いので・・・ きれいな街並みとか見たければ都会であればニューヨークに行くでしょうし、昔の日本の街並みとかを見たいなら京都に行くと思うので逆に魅力を減らしちゃった感はありますね。 最近は建物が古くて使いにくいとか、権利関係の事情で建て直したり移転したりってことが発生してますが、形が変わるにしても秋葉原は変化しながら残っていくとは思います。
@user-ry4qf1zi2k
Жыл бұрын
綺麗になったけど、個性は無くなりました。 居抜き物件はどこにでもあるから秋葉原だけの問題ではないです。 まあ、昼ごはんには困らなくなりましたよね。
上京して初めて秋葉原に出向いたのが電車男ブームの数年ほど前。田舎にいた頃はアニメショップが雑居ビルの一角など目立たない所にポツンとあるぐらいで肩身が狭かったのに、町全体が電化製品やアニメグッズの店だらけで衝撃を受けた。ホコ天もあったり2000年代頃のアキバは楽しかったですね。
@user-br2zv6tq9w
Жыл бұрын
トラックで突撃する事件もあって盛り上がってたよねぇ。
洋ゲー、アーケードゲームの基板、マイナー端末、マイナーOS、格安PC(バッタ屋)、尖った要求にも応えられた頃の秋葉原は面白かったな。
メイドを騙ったボッタが増えてメイド喫茶が衰退した気がする マハポーシャ懐かしい
@broyossi
Жыл бұрын
ドスブイがぁー! 激安だーっ 心底気持ち悪かった思い出。 その直後に地下鉄サリン事件起きたね。
秋葉原は電気街のジャンク屋に通ってたことがある あれは見るだけでも楽しかった…
@N--jv3go
Жыл бұрын
外神田3丁目が最高でした。パソコンはここで集めたガラクタで作った物を使っていましたが今は新品が安くなったのでそちらを利用していますが、この経験は後々大いに役立ちました。
こういう文化の全盛期に、変に気取らずもっと全力で楽しんでおけばよかったなぁと今になって思う。
秋葉原、今はそんな事になってたんですね・・・ 自分が最後に秋葉原に行ったのは20年以上前、確かデジキャラットというキャラクターを街の至る所で見かけてました
最後にカレー店の話をしているが、30年以上前の秋葉原は飲食店がほとんど無かった。ここ近年、牛かつやラーメン店で開店前からの行列を見ると、これこそが秋葉原の一番大きな変化だと思っている。
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
30年以上前のことは分からないが、20年前もほとんどなかったね。 アキハバラデパートのイートインコーナー(伊呂波)が貴重な飲食店だったくらい。 あとはじゃんがららぁめんとか、牛丼どんどんとか、まあ両手で数えるくらいしかなかったよねえ。 あと、元旦の人出も様変わりしたなと思う。 神田明神至近とは言え、秋葉原は店がやってなくてゴーストタウンみたいになってたんだよねえ。
@offeredia
Жыл бұрын
増えたのは2010年代という現実
@kazu19720329
Жыл бұрын
その中でもラホールやサンボは30年以上前からあった老舗よね。
@user-kh1qt3jx4c
11 ай бұрын
昔は秋葉原で昼食といえば「牛丼のどんどん」が定番だったけど、今は無くなったのか。。
@MB-rd9kj
11 ай бұрын
@@user-kh1qt3jx4c 2009年に撤退したってさ
「秋葉原」という地名を知ったのは1970年代、中学生の頃に読み始めた「初歩のラジオ」でした。まだCDの規格すら決定されておらず「ゆめのデジタルオーディオディスク(DAD)」などと呼ばれていた頃です。トランジスタがゲルマニュウムからシリコンに移行し、汎用型が安価で大量に出回りだした頃でもあります。 当時は電子工作のたぐいの他にも無線機やオーディオ機器の自作なども盛んでした。オーディオ機器用のトランジスタが開発され採用されていた、今では考えられない時期です。 私は高校卒業後に電気系の専門学校に進学・上京して初めて秋葉原に行くことが出来ましたが、夢のような場所でした。部品に限らず、配線部材・工具・測定器など必要な物が狭い空間で揃う場所でした。パソコンの普及によって幾分の変化はありましたが、その頃はまだ大方「電気街」だったと思います。 大きく変化したのは「おたくの街」に変貌した後の時期、古いビルの建て替えが進んだ頃だと思います。各店舗の経営者が高齢になってしまったのも一因でしょうかね。
初めて秋葉原に行ったのが小学五年生の頃だったなぁ……… その後そこで今でも本当の友と呼べる友人が出来て秋葉原は自分にとって聖地であり、一人ぼっちだった自分を救ってくれた聖地であり出会いの場です!
20世紀の秋葉原は食べ物屋が少なくて、『何でお腹をすかせた若い男性が多いのに食べ物屋が少ないのだろう』といつも思っていた。 だから未だにサンボを神聖視してしまうんだよね。
@八意思兼神
Жыл бұрын
昔の秋葉原は飲食店が少ないと言うと異論があったので聞いてみると20年程度の昔で草生えた。 青果市場移転のときに主だったものも消えて、問屋さんは自炊するから飲食店が少ないままでしたね。
@nayaoyaku
Жыл бұрын
1994年に秋葉原でバイトしていた頃、ランチをどこで取るか本当に悩みました。で、いつも駅ビルの中。
@user-mk1gu3ri9c
Жыл бұрын
サンボで怒られたのはいい思い出w
@user-tt9ym1qh9j
Жыл бұрын
世間一般の牛丼屋と思って入る初見の人が、「牛丼つゆだくで!」というと うちではそういうのやってない!って恐ろしく不機嫌になる、おっかないおばちゃん… いましたよねw
ここの霊夢ちゃんはちゃんと神職(巫女)としてしっかり神社関係の解説してくれるからとっても好き。神社の解説を巫女である霊夢にお願いする魔理沙も素敵。
昔のまるで2chの入り口みたいなアングラ空間を取り戻すチャンスでもある、 歌舞伎町の敗者ばかり流れてくるアキバなんて 誰も求めていない。
80年代後半から90年代にかけて、ファミコンやPCエンジンソフトが店頭にズラーっと並んでいた時代が懐かしいです。 ここにくると、格安になっているソフトがあるので行くのが楽しみでした。 石丸電気にも、地元の店では見かけなくなったCDなんかがまだ売っていて重宝しました。
秋葉原に行く時はわくわくしたもんだが、いつからだろうか。だんだんと違和感というか 居心地の悪さを感じる様になって足が遠のく様になってしまったのは・・・
@八意思兼神
Жыл бұрын
似非電気部品問屋の呼び込みが始まったのが80年代。それまでも電気製品店の呼び込みがあったけど、ウザさが上がったような。今はメイドの呼び込みが、ウザいというより悲壮感を纏っているようで嫌。 80年代でも製品を買うのに秋葉原が安いということは無かったけど、製品自体も部品交換ではなくアッセンブリー交換になっていった時点で電気街の秋葉原の役目は終わっていたのかも。
@user-ju6oo4xo9w
Жыл бұрын
なんかすごいわかる……
@user-ec3hf8gs7q
Жыл бұрын
あそこは常に「無い物は作る」の精神の人達が集まる場所でしたこらね。 電気回路がPCのパーツに、ソフトに、絵や音楽に、と移り変わりはあったとしても。 萌えが入った時は危機でしたが絵や音楽と上手く転化しましたし。 寄生虫みたいな業者が入り込んで消費消尽だけの街になりつつあるのがつらいところですね。 例えば、AKBとアイドルオタが入り込んでいい感じに成長していたセルフプロデュース系の音楽・アイドル文化の芽を食いつぶしたり、今話題のコラボ系の連中が女子高生商売に汚染された街とのデマの結果として昼キャバみたいな店が入り込んできたりとかは、大きなマイナスだったと思います。
@brbird911
Жыл бұрын
AKBからメイドカフェくらいなまだかわいいものだっけど、中央通りから1本入った、あきばお~のある通りがコンカフェだらけになり、コスプレした女の子たちが歌舞伎町なみに客引きするようになってから。
電気街が機能していた当時は客より店員の方が偉かった。 客「この型番のパーツありますか?」 店「…目の前。」 客「あ、すみません」 この雰囲気が大好きでした。
@toushirouarai7258
Жыл бұрын
更には、「幾ら持ってんの?」と在庫の在る無しを言わず、金の話しをしだす店員(店主)が普通だった。
@zoltanV
Жыл бұрын
@@toushirouarai7258 うわぁ、それです!良い時代でしたw
すてきなサムシングww懐かしくて笑っちゃいました😂
@user-rl2hb6us1j
Жыл бұрын
あれってサトー無線だっけ?
@user-ij1zq1eo7x
Жыл бұрын
@@user-rl2hb6us1j そうですw KZreadで検索しちゃいました
変わり続けるだけだ。 何も悲しむことは無い。 ただ、こういう時代もあったと懐かしめばいい
@user-nc2og1ew9q
Жыл бұрын
きみ、哲学者だね 秋葉原から万物の理を知ってしまった
@kyorochan888
Жыл бұрын
まさかアキバから円環の理を学ぶなんて
@sepa3435
Жыл бұрын
ラジオ会館やヤブのジャンク屋の時代こそ秋葉の人間にとっちゃ ヲタ化した時代の方が違和感やしなw
@Tensai5516
Жыл бұрын
アキバは死なず。 ただオタクの聖地として存在し続けるのみ。 変わるのはオタクの側の内容だけだ。
@offeredia
Жыл бұрын
池袋もどきでヤクザや華僑ロシアマフィアの町になりそうなw
大阪の日本橋も同じ運命を辿っています。
「霊夢の神社関係の話するのって~」のくだりが、単に雑談モードではなくサラッとキャラ設定が活きてて良いですね。
アキバ接客で罵倒され、喫茶店で回路図走り書きしてるおっちゃんに圧倒され、茶封筒に入っている謎のフロッピーに魅了された街はもうない😭
@user-is6ok5jm7g
Жыл бұрын
そうでしたそうでした!
@make--wish4079
Жыл бұрын
良い時代だなぁ。。。
@user-sx6fb7vv1t
Жыл бұрын
懐かしい。
@YT-zb6ek
8 ай бұрын
使えるか分からない、ジャンク品に並んで、裏ビデオを売ってたのが懐かしい。
2000年ごろコスプレやオタク文化が秋葉原の歩行者天国で大々的に華開いたとき、オタクだった自分はもうこの街に居場所がないなと感じたものです ただそれは電気街として愛した人たちも同じように思ったことでしょう というノスタルジー。各々の年代で秋葉原には懐かしさや空虚さが異なるのでしょうね
勉強になる動画をありがとうございます。 電子関係のエンジニアをしておりますが、仕事で急に電子部品が必要になった時には秋葉原に買いに行きますよ。 電子工作用の部品が確実にその日に手に入る貴重な場所です。 通販では早くても翌日入手になりますからね。 昔は、部品はラジオ会館で探していたのですが、今は通販もしている電子関係のお店で纏めて買ってしまいますが・・・。 自分が小学生の時に電子工作をしたくて、父に秋葉原に連れていてもらったのも懐かしい思い出です。 大人になって、APPLE-IIのコピー品や家庭用ゲーム機の改造キットを買いにも来ましたね。 我が子にゲームのチートキャラをプレゼントしてました。 その様な穴場のお店はマニアが通って残ると思います。 ありがとうございました。
@N--jv3go
Жыл бұрын
少し離れていましたがAITENDOはどうなったんでしょうか?中国人のおねーさん達がやってたパーツ屋なんですが・・・最初はココネットいうジャンク屋で後に液晶工房になり電子パーツ屋&電子キット屋になり一度閉店して末広町に移りコロナの前くらいに無くなってしまいました。
江戸っ子の父親が「秋葉っパラ(あきばっぱら)」って言っていたのは間違いじゃなかった事が理解できました。むしろ「正解」だったんですね。
@user-tn3du6kr4r
Жыл бұрын
江戸時代の刑場だった”小塚原(こづかはら)”も、時代小説や昭和のドラマじゃ「こづかっぱら」と発音してましたからね。
電気街としてはスマホの登場がトドメだったと思う
こちらの動画は解説役と聞き役がスッパリと別れているのではなくてお互いの得意分野で変わるから 本当に会話してる感じがして楽しい
@carotan
Жыл бұрын
ゆっくりれいむ氏が神社に詳しいとこが、申し訳程度の東方要素。
ラジオやステレオコンポが廃れ、PCゲームがフロッピーやCDロムからオンラインになって、コミケも物販からコスプレイヤーばかり注目されるようになって…。 そういう時代の変化をモロに受けた街のような気がしますね💦
秋葉で飯食おうと思ったら電気街から外れたトコの喫茶店か自販機のおでん缶の2択しかなかった時代が好きだったわ
@broyossi
Жыл бұрын
その時代のじゃんがららーめんは旨かった。 今は外人さん向けのただの高くて旨くもないラーメン屋に成り下がったね。
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
@@broyossi よく考えたら秋葉原に行くようになって20余年、1回もじゃんがらに行ったことがないことに気がついた。博多とんこつイマイチ好きじゃないんだよね……。 そういう私はアキハバラデパート内の伊呂波でカツ丼食ってました。
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
@@goyamada1177 関取ラーメン竜軒もかなり昔からあるよね。やっぱ一回も行ったことないけどw
1:05秋葉原 5:26歴史 10:57現在
頻度にして2,3年に1回行くくらいだが確かに20年前に比べてずいぶんこざっぱりはした気はする。 今でもいくらかはあるかもしれないが、昔の秋葉原って電気街の他にも大通りからひとつ入った路地ではAVやら同人誌やらのアレなポスターとか普通に置いてあって、いわゆる赤線地区とか歓楽街みたいなのとはまた違う雰囲気でアングラ感あった。
@user-rl2hb6us1j
Жыл бұрын
僕なんか1月に1~2回ぐらいのペースで行ってるよ。確かにここでは手に入らないA〇はない!ってくらいの品数だね。
@user-ux8eq5yi4o
Жыл бұрын
実際アングラだったから一掃されたんでしょ😅 変な絵画を高額で売りつける店とかあったわけだし。 当時の秋葉原なら、一日で兵器作る事も可能と言われてたくらい電子パーツの宝庫だった。
@user-cv4kb5kp1v
Жыл бұрын
@@user-ux8eq5yi4o ああ、あったあった。 雑居ビルの1室でラッセンの展示即売会みたいなのやってて一度入ったことあったな。
@shimatani2456
Жыл бұрын
噂は聞いたデート商法だっけ
@user-cv4kb5kp1v
Жыл бұрын
@@shimatani2456 自分の時はそういうのじゃなくて普通に通りでスタッフがパンフレット配ってて入った感じだった。 セールストークも”年収いくらですか?”からの”それくらいの年収の方が一番買ってますよー、皆さん買っていってます!”みたいな典型的な日本人向け正攻法だったと思う。 つかそんなこともやってたのね、むしろそっち知らなかった。
土日のラジオ会館のエスカレーター、いつかとんでもなくやばい事故が起きるんじゃねぇかとヒヤヒヤする。
秋葉原は男も女もニッチもメジャー(ジャンル)もオタクなら大体ぜんぶ受け入れられる混沌特有の寛容さがあって良い 池袋の方もアニメイト大きいのあったりコスプレ服の店とかあったりするけど、陽キャと女性オタクの街、って感じでエリア全体オタクに優しいって感じじゃないんだよね~
サトームセン、石丸電気、オノデン。 ゲームソフトを求めてハシゴをすると耳にした歌。 あの頃に秋葉原には無かったヨドバシが今は残るのみ。 時代の流れとはいえ、寂しさを感じます。
@shimatani2456
Жыл бұрын
そもそもゲームショップがなくなったよな。秋葉原に限らず
@kix4878
Жыл бұрын
オノデン坊やが未来と遊ぶ、確かめよう・見つけよう素敵なサムシング、でっかいわでっかいわまるまるでっかいわ。全部閉店してしまいましたね。
@einsfia
Жыл бұрын
メッセサンオーも無いんですよねもう
@user-mq6yv5ix4x
Жыл бұрын
メッセサンオーも?
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
@@user-mq6yv5ix4x トレーダーに吸収合併されて、10年以上前からないよ。
サトームセンや石丸電気、駅前のバスケのコートがあった頃が懐かしいな もう25年ぐらい前になるのかな?
自分が通った頃はPen2が高価な時期で自作でPCを作って、等倍でCDRが安定して焼けるのがステータスだった時代。太陽誘電のCDRを買い、TeacのROMライターを探し回った頃が本当に懐かしいです。
「電車男」で一般人に、オタク文化、秋葉原が注目されて今まで秋葉原に縁がなかった人達が急激に大量に集まってきたのが終わりの始まり。 ピークは2010年くらいかな? でかいヨドバシができたり ラジオ会館閉鎖あたりから今までのアングラな秋葉原らしさが無くなっていき急激にオワコン化 2015年くらいは日本人と外国人観光客が半々くらいだった印象 メインストリートで中国語が喧しかった。 昔の秋葉原らしさが残ってるのは、もう「まんだらけ」くらいだな 趣味人の街からオタクを排除して、大多数一般向けにシフトしたら街から活気が無くなって衰退しました。 次はどんな街になるのかな?
@user-pt5no1vf7d
Жыл бұрын
現在は観光地そして風俗街になるかも・・・アングラ化
@djhachikoo
Жыл бұрын
昔のイメージから変化しているし 更に「只のオフィス街」になって いくのだろうなぁって……。
DOS/V時代に洋ゲーにハマりTWOTOPとかでDOOMやDIABLOをパッケージで買ってたのが懐かしい。 子供の頃はオーディオ各社のカタログを紙袋いっぱいにして持ち帰るのが楽しかった記憶が・・😊
@N--jv3go
Жыл бұрын
カルト教の信者が無差別〇人の現場付近で大声でショップブランドのPCのチラシを配っていた。W95ブーム前に閉店したが名を変えて3店舗に分かれて復活していた時期もあった。同じ場所で「萌え萌えキューン」とかやってましたね。
昭和30年代中頃、現在のラジオデパートはトタン屋根の長屋だった。雨の日に買物に行くとトタン屋根に当る雨音、所々の雨漏り、今は懐しく感じます。
@user-xm6ck3kj5r
Жыл бұрын
戦後の闇市のようですね。 魅力的です。
ここ10年ほどアキバに行っていません。20年ぐらい前は週に2・3回は行っていたんですが。
秋葉が電気街からオタクの街に変化していったのは、PC向け美少女ゲームが、PSやスーファミと違って規制されてなく自由な表現が許されてたからだと思います。90年代の秋葉はPCの街だったので、PC向けゲームも同時に販売されてました。 日本がポリコレに甘い傾向があるのは秋葉の文化由来です。 秋葉が衰退していくと言う事は、日本もポリコレに敗北していくと言う事になるので懸念してます。
@kanpisi2001
Жыл бұрын
アキバなんてその時一番儲かる商売をしてるだけだよ
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
ポリコレは思想的な是非はともかく、儲からないことがわかってきてるから、遠からず廃れるよ。資本主義的に悪だからね。
@user-ik3ec5xg3b
Жыл бұрын
Sofmapも関係するのよな
今の秋葉原は外国人だらけで、聞こえてくる言葉は日本語のほうが珍しいくらいです インバウンドという意味では店舗の売り上げとかは昔より上がってるくらいじゃないのかな?
秋葉原に初めて行ったのは1979年、まだ高校生だったから見てるだけだったけど。その後85年にNECのPC-8801mk2SRを買ったのが初めてのお買い物だった。確か90年頃まではコピーツール買いに行ったけどその後は殆ど行かない。あの頃のアキバは見てるだけでも楽しかったな。ラジオ会館もPC関係のお店がひしめいていたしビットインもよく行った。 もう行く事も無いと思う。
時代の流れは、いつまでも同じものではないことが伝わる
アキバがまだ電気街だった頃はアニメショップって雑居ビルの一室だったりしたけど、それもそれで懐かしい。 雑誌とかに場所は載ってるけど大きな看板とかはなくて人に教えてもらってたどり着く文化みたいなのもありました。
@tatewaki84
Жыл бұрын
川西池田の駅前でアニメイトを利用した事ありますが最初は雑居ビルの一室で一階にコンビニがあり多少うらぶれた雰囲気でした。
@user-xy3tg3lv5t
Жыл бұрын
大手のまんだらけ秋葉原店ですらわかりにくい裏通りの雑居ビル5Fとかで隠れ家みたいでした 今は誰でも行ける立派な自社ビルに変わりました
@XX-qn5gz
Жыл бұрын
アニメイトが昭和通り側のどっかのビルの中だった様な記憶 どこだかわからなくて当時は結局行くの諦めたなw
@maro22412
Жыл бұрын
@@XX-qn5gz 同郷ですね!川沿いのビルの1階か2階か半地下1階か、あまり高くはない位置にありましたね。 他には旧松屋レディースの上のほうの階にもショップありました。店名忘れましたけど。
@user-ur6kl6ks1p
Жыл бұрын
@@XX-qn5gz ライブハウスがあるビルの2階にありました。
秋葉がPCパーツ街だった頃、秋葉でカレーの話してた時に「理系の(アタマの回る)人間は辛いものが好き」という説を高校時代にDOS-Basicを使いこなしFORTRANにも手を出していて理工大に行ったかなりアタマの良い先輩に聞いたことがあったな。
昔と違ってオタクグッズが割とどこでも買えるようになってわざわざそこに行く必要が無くなったのも要因の一つかなあ オタクという言葉も昔は第三者から付けれる蔑称だったのが今やファッションで自ら名乗る物に変わってきてるし、本当に時代変わったよね
@user-xm6ck3kj5r
Жыл бұрын
プライズフィギュアなんか下町のスーパーの近くの露店でも売ってた。(平日昼間) 何でも屋のハードオフも近所に進出してきたし。 フツーの街にマニアックな店が。。
PCパーツや専門的な電気街の店も少なくなり、さらにアニメとか漫画の専門店とかも減ってきた。 昔からの専門の店が集う街というよりも、ビジネスホテルや一般的な店が多い街になりわざわざ行く気はなくなった。ワクワク感がなくなったことが大きい。
聖地が輝く時は、そのジャンルが人気の時と、そのジャンルが死にゆく時、 後者は、干上がっていく生存圏の中、最後に残ったオアシスに生存者が集まる事で発生する最後っ屁。 いつか秋葉原の引力が完全に失われる時は、一つのジャンルが終焉を迎えた事を意味する。 そうなる可能性を思うと悲しくなる。 いつまでも不滅でそこに在り続けてくれる象徴的なモノがあってほしい。
趣味の生産交流をするための街から、消費をするだけの街に変わったところで見切った というか、趣味の生産交流はネットに移ったからなー
なんにしろ特化で成り立ってた街だからねぇ…最近は似た系統の街も多いし 有名になった代償で犯罪の現場に選択される事も多かったしね。 電気街の頃からなんとなく後ろ暗い雰囲気も秋葉の魅力だったし駅前周辺の うさん臭さも人を引き付ける部分だったんだけどね、ヲタ文化特化で成功したけど 色々な事件現場にもなって下降して今はなんか何処にでもある特に特徴のない 普通の街って感じになっちゃってるね。 あの辺は川や暗渠、地下鉄なんかも多いから再開発するにしても難しいだろうしね
常磐線は複雑なルートを通るのにくらべTXは北東へ一直線に伸びる構造である 北東と言えば鬼門であり古来より様々な鬼門封じを施されてきている 常磐線のルートはそれも考慮してあのような蛇行したルートにしたことだろう。最短距離の合理化だけで鬼門を考えないTX開業により秋葉原は大きな影響を受け大きな変化してしまったとも思える。TX沿線は発展したが起点の秋葉原は逆に不安定になってしまったとも
@8880099hi
Жыл бұрын
興味深い説ですね
電子部品なら今でも行く価値はあります。 まだバスケットコートがあって、近くに献血ルームがあった時代にはよく通ってました。
確か何年か前に「ぱすてるメモリーズ」っていう、大コケしたアニメがあったけど。 その冒頭でシャッター街と化した秋葉原が出てくるんだよなぁ。 ……あそこまで酷くはないにしても、ほぼほぼ未来を暗示していたように思えてくる不気味さを感じるなぁ。
90年代初頭にアキバでPCゲームショップで働いてました。PC98全盛期で毎週の様にエロゲー発売してましたね。楽しい時代でした。また、PCが今より遥かに高価でしたので、モニター、プリンター、PC本体を買うと100万近くする事もザラでした。(しかもキャッシュで買っていく) あの頃⒈5メガの増設メモリが4万位したっけなぁ
@user-zi3rj1ur9x
Жыл бұрын
凄く懐かしい。パソコンショップの店の中のあの独特な匂いが好きでした。 私も情報処理系の専門学校に通った時にpc9821のパソコンを購入した。あの「カタカタカタ」という音が好きだった
@八意思兼神
Жыл бұрын
今ではあまり聞かなくなりましたが、DOS/V機器の相性問題があったと思います。そんな情報を仕入れるためにも行きましたね。
@N--jv3go
Жыл бұрын
@@八意思兼神 メーカーはIBMのマシンで動作確認を取ることが多いの長らくジャンク品のTHINKPADを使っていたが今はLENOVOになっちゃいました。
@N--jv3go
Жыл бұрын
@@user-zi3rj1ur9x スイッチ入れるとピポっというビープ音が懐かしい。
初めて秋葉原で降りたのは97年の夏休み。サトームセンのメロディが今でも忘れられない。交通博物館や石丸電気を目的に行ってたけど、今はもう・・・・
@user-ux8eq5yi4o
Жыл бұрын
ラオックスもきかなくなったなぁ😅
@taichii1120
Жыл бұрын
交通博物館撤退あたりからオタクらしい秋葉原の終焉が始まった気がしますね 再開発の狼煙という部分もそうですが、そこからまず鉄道が消えていき、次に石丸電機が消滅したことで家電感が徐々に消え失せ、10年代でアニメの町になり始めたころエロゲ文化の衰退とともに毒にも薬にもならないアニメが増えたことで秋葉原の情報発信の能力が下がっていき、とどめに再開発でオフィス街になってしまった感じだと思いまっすね。
@八意思兼神
Жыл бұрын
お茶の水・御徒町が代替わりしながら続いてきたのに、秋葉原は出来なかったのが痛かったかも。 交通博物館の秘宝が鉄道博物館への移転で破棄されたのも痛かった。
@N--jv3go
Жыл бұрын
@@八意思兼神 代わりに鉄道模型の扱いが増えてきています。
@user-jm2hw8mq5q
Жыл бұрын
オノデンもあったね
アキバがオタクの楽園ではなくなってしまったか諸行無常の響きあり
9:07 この建屋は現在1F&2Fがらしんばんとして使われている場所です。 90年代PCを売る他、家電量販店がSFC以降のゲームとCDの取り扱うエリアが拡大していく。 その中でゲーム=ギャルゲーがPCゲーと共に勢力を伸ばす。 この辺りからアキバは電気街からオタク街へと変貌していく。 (ポスターやらオリジナルCD等がゲーム購入特典として付くようになっていく。) その後00年代からインターネットの普及に伴い、需要が伸びて関連商品(フィギュア等)を扱う店も増えていく。 他にはヨドバシカメラが開店し、数年後客を取られた石●電機、サトー●センが閉店。 また メイド喫茶の前進【コスプレ喫茶】が誕生したのもこの頃で、のちに給仕=メイドというのでメイド喫茶が誕生。 10:56 消えた…というよりも 消された、変化したが正解ですかね。 この背景にあるのは日韓ワールドカップとその後のオリンピック招致が大きく関係してくる。 当時のアキバの街頭ポップは 肌色多めのイラストがあちらこちらに貼られていた。 これが来日外国人へ向けて・・・とは恥ずかしいと思った都議会が条例(?指導?)で禁止となり、子供に見せても問題ないイラスト等に変わっていく。 これが、オタク街の黎明期から通っていた人から見ると衰退したとみられて、オタク街が消えたと言われる原因の1つ。 長文&駄文失礼しました。(違っているかもしれませんので、補足してくれると助かります。)
安い電気パーツやお宝探して裏路地の怪しいビル探検が楽しみだったのに、いつ頃だったか・・・突然パチ屋が立ち、メイドカフェが乱立し、街の様子がガラっと様変わり・・・寄り付かなくなったね~ 昔の秋葉を返せーって言いたいね
正直、秋葉原に対する自分の中でのイメージが2000年代後半くらいのイメージだったから、初めて行ったときはなんかコレジャナイ感凄かったし、その後コロナとかで良くも悪くも様変わりしたけど、地方出身の田舎者からすると今でもサブカルの街としてはトップクラスだと思う。 アニメ、漫画、ゲーム、パソコンetc...いろんな文化を一つの街で楽しめる場所なんてそう多くない。品揃えやお店の数も相変わらず桁違いだし。 色んな人が衰退しただのオワコンだの言ってるが、それは昔を知ってる人の贅沢な嘆きにしか見えない。
@MB-rd9kj
Жыл бұрын
それは一理あると思いますね。個人的には、依然としてオタクの街ではあるだろうと思っています。 というのも、邦訳アメコミを買おうとすると、東京都内では秋葉原か池袋にしか専門店がなく、中古でいいやと思ったらまんだらけもあるからです。アキバにないものは、だいたい後は駿河屋にあるかないか、という感じなんですね。 ほかには、ゲームショップやホビーショップの述べ面積で言っても、やっぱり依然として世界一なんじゃないでしょうか。 一方で、いかがわしいお店や、逆に堅苦しいオフィスが進出してきていることも事実なので、少しずつ特色が薄れつつあるというのも、それはそうなのかなあとは思います。 でも、秋葉原の次の“趣都”っていうのは思いつかないんですよねえ。
秋葉原も大変ですね…大阪日本橋はもはや…😱
通販やDL購入が主流になってわざわざ秋葉原まで行く必要が無くなったからなぁ
本当にここ数年で普通のビジネス街になっちゃいましたね… アニメショップも外国人向けの形だけの存在になってます…どのショップも同じものしか売ってない
オタク文化が終了したというより、作品数が多くなりすぎて1作品当たりの知識量が減っちゃった影響もありそうですね。 正直、終了したというより海外観光客を呼び込もうとしてる影響で誰もが知ってる作品が表通りで販売されるようになり、よく言われるオタクの町の部分も昔からある古い店も残しつつ新しい店が入ってきてるって感じじゃないですかね。 いわゆるオタクが求めるものはどちらにせよ買う店は普通にあるし、ネット通販は実は使いにくいっていう事情もあったり・・・
ヨドカメが来て、事件がおこるまでが再開発と電気街とオタク文化のバランスが取れてた最盛期だったかな。2010年代に入ったら見る影もなくなった
@user-uf4jx7pq2j
11 ай бұрын
セガやNECが撤退しなければ据え置き出てギャルゲー(移植版も含む)が出て続けていたのに
秋葉原がこのまま廃墟と化すことは流石に考えにくい。 次はどんな姿を見せてくれるか、(合法的な姿であれば)むしろ楽しみなところもあります。
@brbird911
Жыл бұрын
東京駅からも近いので衰退も一時的なものだと思います。 本当に次は何の街になるんだろうと楽しみです。
@accel7777
Жыл бұрын
となると今は蛹の時期と考えたほうが良いのか
@entm4573
Жыл бұрын
現状は池袋みたいなオタク系の店と🔞系が混じった街になってますね 神田や丸の内と同化してオフィス街になるか湯島・御徒町に飲まれて歓楽街・風俗の街になるか、、
駅周辺の再開発で終わった、もう行くことはないだろう。
解説動画で聞き手から「素人質問で恐縮ですが・・・」みたいな切れ味感じるのなかなかないから新鮮
今思えば、アキバにパチ屋、AKB、風俗店が入り込んだ時が大きなターニングポイントになった気がする。 それまでは、店が閉まる夜8時以降はゴーストタウンみたいになる街だったから。
@user-ec3hf8gs7q
Жыл бұрын
AKBは本当にアキバをダメにしましたよね
@xxgs7599
9 ай бұрын
ヨドバシ進出がターニングポイントだと思う
最近はちょっとアニメ見てる程度でアニメオタクを自称したるするしねぇ 本物たちの知識量と熱量はすごかったんだけどなぁ
@八意思兼神
Жыл бұрын
見ず知らずの話相手を「オタクは~」と呼ぶからオタクだとは言うけど、そんな会話は聞いたこと無いな。希少な同志でもあるから、相手を罵倒することも無かったし。 でも宅さんが悪いとも思わない。
@user-nw4oz1jb1q
Жыл бұрын
@@八意思兼神 滅多に聞かないのは基本的に他人と関わりたくないからとも言われてましたね。そんな引きこもりって意味もオタクに含まれてたそうです。
@user-rf2zz4hi4r
11 ай бұрын
オタクアミーゴスの面々や、と学会の面々や、関西なら北野誠さんと竹内義和さんとかね。竹熊健太郎さんとかもかな?庵野秀明さんや島本和彦さんとかもそうですね。ガイナックスの面々達もそうですね。熱量と知識が半端ない。
今思えば制作系のオタクが減ったな 高くて良いモノを買う文化も薄まってしまったのかも コスパ重視の流行りで質が良くて高い製品は叩かれる対象にもなる危険性がある
修学旅行で秋葉原行った時1番印象にあったのは、セーラー服を着たふかわりょう似のおっさんが目の前を通った事かな?今でも忘れない。
さっき秋葉原に行って帰ってきたところだけど、なるほどそうだったんだ。面白い話だったです。
賑やかな頃に東京旅行して秋葉原に行けて良かった
アキハバラデパートやT-ZONEやアソビットシティーや石丸電気や旧ラジオ会館があった頃がもはや懐かしい…
秋月電子はまだあって良かったです。昔は怪しさ含めて面白い街だったなぁ。
投稿、お疲れ様でした。昔、秋葉原にある会社に通っていた時代がありました。パソコンやオーディオが全盛の時代でした。オタク文化の興隆により”此処じゃない”を感じましたね。まぁ個人的にはラジオデパートが無くなったら秋葉原に行く事もなくなると思います😢。因みにカレーは”ベンガル”という美味しいお店があって移転したけど今でも元気です。美味しいよ😀
ホコ天がつまらなくなってから一度も行ってないです。
東京の本社に勤めて居た時は、仕事が終わってから歩いてよく行きました。転勤後は通販の発達に伴い、運賃が馬鹿にならないので行かなくなりましたね。メイド喫茶が出来始めた頃かな?
でも秋葉原が電気街だった時はどこの電気屋さんもすごい品揃えと地元じゃ考えられない値段の安さで見て廻るだけでも凄く楽しかった 田舎から出てきたばかりの自分にはとても衝撃的だった
自分東京に居たころ28年前、休みの日秋葉原 ブラブラするのが楽しみでした。 ちょうど次世代機戦争時代でゲームが熱かったなぁ。
メイド喫茶の客引きが怖いんだもん。行かないよ。買う物もないしな。 昔はパソコンのサプライを安く買ったり、電子楽器を見に行ったりと、たまーに寄ったりはしてたけど、 近年じゃアニメや性に関するものばかりっていうイメージだわ。興味がなさすぎる。
昔は秋葉原デパートとサンボしか飯を食う場所がなかったよな。
@八意思兼神
Жыл бұрын
喫茶店が2店に御徒町寄りに蕎麦店。最後に残った喫茶店も後継者がいなくて潰したのがウン十年前。
@marinecorps573
Жыл бұрын
秋葉原デパート1階のどんぶり屋はよく行ってた。カツ丼の提供時間が早くコスパも良かった気が・・・
@user-ur6kl6ks1p
Жыл бұрын
@@marinecorps573 あの丼屋にあったキジヤキ丼が食べたい。😢
@marinecorps573
Жыл бұрын
@@user-ur6kl6ks1p キジヤキ丼懐かしや・・・(´・ω・`)
2005年のGWにいきなり観光地化したのが印象的でした。 あの頃はブラウン管がなくなりVHSやLDの中古も処分していたり色々と変わり目でした。 映像機器で古い方が機能性能がいいという状況もなくなり、 PCももう部品が保守化寡占化して特殊なパーツを色々つけるものでなくなったしもう行く理由がありません…。
30年前=家電やマニア機器などの高価な商品街 20年前=PCやゲームやマニア機器など高価な商品街 15年前=ニッチな町からヲタク街に変貌、低価格帯のグッズ街 今=何も無い、観光向けの街、一部の層向けの街 売っている商品の低価格化がどんどん進んだ、日本の賃金レベルに直接リンクしてる町って感じ
@Power-vf2pg
Жыл бұрын
今はもう一般庶民はカネが無いからね アキバ衰退は日本の衰退・貧困化とリンクしてる このままいけば5年後は過去の街になり果てそう
@wright2128
Жыл бұрын
ちょうど15年〜の時期に進学して上京してからよく通ってたのですが、安いお店多いって感じでしたな🤔、それ以上前の秋葉原にも行って見たかったです
@user-ik3ec5xg3b
Жыл бұрын
バスケゴール合った時代までは、飯どこで食う?って それこそその手の笑い方と、謎言語(専門用語過ぎて理解できない)話す人が普通だったんですがね 30年前でもオタク系は増えてましたが 当時は知らないが1980年代半ばからか、変化としてパーソナルコンピューターの普及があったのは
@user-ez7fu3zo2c
Жыл бұрын
今年始めて秋葉原に行ったんですけどイメージと全然違って最初は色んなオタクに応えられる店があるんだろうな~と思ってたら、那覇の国際通りと似た感じで観光向けになってるのが何故か悲しかった(´・ω・`)
@whidew572
Жыл бұрын
1990年前後、当時ソフトウェア開発会社勤務でしたがボーナスが出た週末に安い怪しげなPCパーツショップを見て回っていると会社の同僚や上司に会い「お、やっぱりいたなw」と笑い合った記憶がありますw そういえばいまじゃソフトとかソフトウェアとは言わずにアプリといいますね…
比較的新参なので、全然賑わっている印象でした。 カードゲームやゲームセンター、まんだらけ、ヨドバシカメラにしか基本的に興味ないからかもですが、色々買えて満足しています。 皆様が賑わっていたという時期に行ってみたかったです。
92年ごろまでが電気街かなー、パソコンもあったけど、家電メーカーの独自規格が乱立していた時代ですね。WINDOWSの登場で規格が統一されて、WINDOWSパソコン用のパーツを売る店が出来たのがその次、パーツ屋が頭打ちになり、フィギュアなどのグッズを売り出したのがその次で、このころから、これまでは殆ど居なかった女性客や、食事ができる店が増えていきました。ダイビルが市場跡地にUDX作って、ヨドバシがやってきて、秋葉デパート改修しちゃったのがトドメですかねー。
かつてマニアが集まりお互いの呼び方が「おたく」と言い合ったためマニア=オタクとなりました。たぶんそのオタクは今は中野にいるかも…
自分のあこがれた秋葉原はもう幻想なんだよなぁ…
排他的だったオタクが良くも悪くも市民権を得て一般化してしまったことで薄い退屈な街になってしまうという因果な皮肉... でも同じ様に青果市場、電子部品が好きだった人も変わってしまうことが嫌だったろうな...
青果市場(やっちゃば)の業務用冷蔵設備店として大きくなり 市場の移転で家庭用電化製品に鞍替え全国展開 高級家電が売れなくなるとPCやホビーに業種が移行するも 経営失敗して破綻、斯くして電気街は消えていった
サビれるのも発展するのも、善き哉。そうやって時代が廻りつないでいくんだよ。
ラジ館の向かいで実演販売していたのまたみたい
昔はマニアと呼ばれた人達をオタクと間違えて呼ぶ様になった辺りから、変わり始めたと思う。 萌え文化は元々池袋の乙女ロード。サブカル文化は中野ブロードウェイ。みたいに電気関係以外は元の場所に戻っただけで衰退では無いと思う。 電気街としては衰退だろうけど、商売の町と見たらオフィス街が江戸時代に戻ったのと同じだと思う。
変わった・廃れたって感じるのはやっぱアンダーグラウンドのような裏方とか技術職とか陰の性質の街だったのが 高層オフィスビルや観光客、風俗紛いのメイド店なんかの陽の性質へ、正反対の方向に向かっているのがそう感じさせるのかな…
Steins;Gateの主人公は東京電機大学の学生という設定だったけど,作者の志倉千代丸はこうした史実を知って作ったのだろうか