10mの大津波と対峙 その瞬間が写真に 太平洋フェリーの“あの日”乗組員の証言〈宮城〉 (22/07/01
東日本大震災特別企画「ともに」。今回、お伝えするのは震災当日、仙台港に停泊していたカーフェリーについてです。地震の発生と大津波警報を受けて緊急出航したフェリーは、松島の沖合で大津波と遭遇しました。その瞬間が写真に収められていました。当時を知る乗組員の方の証言とともにご紹介します。なおこのあと、津波の画像が流れます。
仙台と名古屋、そして北海道の苫小牧を結ぶ「太平洋フェリー」。現在、3隻のカーフェリーが就航していますが、いずれも船体の長さはおよそ200m。乗用車およそ100台の他に大型トラックも150台以上積めるため、物流面でも大きな役割を果たしています。
寺田早輪子 アナウンサー
「すごい…船に乗るまでの道のりが長いから…これは大きい船なんだな…」
今回、船の頭脳とも言える操舵室に、特別に入れていただきました。
寺田早輪子 アナウンサー
「失礼します…寺田と申します、よろしくお願いします」
早川題隼(はやかわ みつよし)さん、太平洋フェリーの一等航海士です。航海士には一等から三等まで階級があり、いずれも船長をサポートしながら船の操縦や見張りを行います。さらに、一等と二等の航海士は入港や出港の際には甲板に出て、現場作業の指揮も行います。震災発生当時、早川さんは二等航海士として苫小牧から来たフェリー「きたかみ」に乗っていました。当時、乗客は既に下船し、船内は乗組員だけだったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「苫小牧港から積んできた荷物を全部下ろし終わって、ちょうど地震発生時は部屋で当日は作業がなかったので部屋でそれぞれ休憩をしていた。徐々に揺れが大きくなってただ事ではないと。すぐにブリッジ(操舵室)に来た」
寺田早輪子 アナウンサー
「船が海に浮かんでいても揺れが?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「かなり揺れます。すぐにキャプテン(船長)の指示で、『緊急出航する』と。私がその当時二等航海士、担当が船尾になりますので、開いている船尾のドアを格納するために走っていきました」
船尾のドアを閉めるには3分ほどかかります。いつでも閉められるよう船長からの指示を待つ間、早川さんには焦る気持ちもあったそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「ここで作業していると防災無線がずっと入る。船尾に着いた時には『3~6mの津波』。ここで船長からの指示を待っている間に、『6~10m』という数値に変わりました。変わった時が『ここにいたらやばいのかな?』『早く出港するために(船尾を閉めるケーブルを)巻きたいな』という気持ち」
船長の指示で船尾を閉め、再び操舵室へ戻った早川さん。そこで目にしたのは、レーダーに映る大津波でした。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「これは静止画なので止まっているが、この波がどんどん船に近づくスピードが速かった。黄色い点は仙台港から避難する船。当時はかなり船が混み合っていた。他の船がどちらの方へ向かっているというのを船長に伝えながら、船長が最適なコースを選んでいく…。雪が降って視界も悪かった中、その仕事をこなした」
午後3時56分、「きたかみ」は10mほどの高さがある津波の第1波と直角に向き合います。横から波を受けると、転覆の恐れがあるからです。この画像は同じように仙台港から避難しようとしていた愛媛県のタンカーが撮影していました。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「当時、私は…レーダーを見ていたので、ほぼこの位置にいた。第1波はすぐに波が当たったので、通常、窓からは海面が見えるが、この窓から空しか見えなくなる。波をやり過ごしたら、今度はこの窓から海面しか見えなくなるぐらい落ちる」
寺田早輪子 アナウンサー
「ここに立っていられた?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん津波を超える時にはこういう所につかまって…」
ディレクター
「つかまってたのは片手?両手?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「もちろん両手ですね、ここにいた三等航海士はここにつかまったり、船長も手すりに…みんな乗組員はつかまっていた」
ディレクター
「普段つかまって操船は?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「台風シーズンはそれなりのうねりの中を走ることはあるんですけども、そういう時にちょっとつかまることはあります。ただ…体を完全に抑えて、津波が来るぞという感じで抑えることはあまりない」
寺田早輪子 アナウンサー
「初めての経験?」
大平洋フェリー 早川題隼さん
「そうですね」
大きな波は合わせて4回、何とか乗り切り、36人いた乗組員は全員無事でした。そのまま苫小牧へと向かい、今度は緊急支援の車両や物資を運ぶ役目を担います。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「港には船が着いた時には、緊急車両がかなりの台数集まっていた。乗組員はみんな1台でも多く、できるだけ早くといった感じですね」
あれから11年が経ち、早川さんは一等航海士に昇格。様々な場面で指揮を執る立場になりました。早川さんは震災を経験したことで船におけるリーダーのあるべき姿を再認識したそうです。
大平洋フェリー 早川題隼さん
「あの時私が感じたのは、当時の一等航海士や船長が、津波を前にした状況になっても落ち着いて指示を出していた。そういう状況でも平常心を保てるならば、的確な指示が出せるということ」
Пікірлер: 389
船を守った後に、災害地への救援に多大な貢献をされた事に敬意を表します。
こういう人がいて当たり前の日常が支えられてるんだなぁ。ありがたい。
この人達が適切に出港したことでフェリーが失われず、救助隊や物資の輸送を行ったことで助かった命が有るんだろうなぁ。
完全に船首が海面の中に入ってることで、津波と対峙する壮絶さが伝わってきます。
津波を乗り越えて、戻ったら港に派遣用の緊急車両や人員が集まっていた、って何気に対応の早さがすごい。
あれから間もなく街の中を神戸市消防局の消防車が列をなして走っているの見て、涙が溢れた。 全国からの支援は決して忘れることはありません。
船員のチーム力が確りとして居たから、自船も他船も傷つけないで出航できた、素晴らしい事だと思います。だからこそ、緊急派遣の車両・人員・物資を素早く輸送する事も出来たのですから、初動の判断の大切さを感じます。
@BinyenLee
Жыл бұрын
これに関わった人たちは当たり前にこなしていますが、素晴らしいことですね。平時からの技術力と意識の高さを感じます。
震災後、2013年に北海道から地元宮城に希望が叶って転属になった時、たまたま乗った船がきたかみでした。船内に津波を乗り越えた事が写真と共に掲示されていたのを見て、これから復興に取り組む私に勇気をくれた船でした。ありがとう
ここで言ってる「きたかみ」は一世代前の船ですね。このほかにも、大洗にいた商船三井フェリーの「さんふらわあさっぽろ」なども沖へ避難するために津波を越えたそうです。 ほんとに、こういう人たちの判断は凄いと思います。
船首が可動して車両の搬入路になってるタイプの船だけども、 あれだけの波を乗り越えても直ぐに苫小牧から支援車両と物資と人員を乗せてとって返すタフさに驚いた。 まぁ貧弱では荒れた海の長距離航路をこなせないだろうけども、それにしても凄いなぁと思う。 フェリーはトラックドライバー不足と労働環境改善の中で益々その重要性が増してるらしいし、 災害時の支援物資の大量輸送でもその力は偉大なんだなぁって改めて考えさせられたわ。
大変な時に家族の元へ戻りたいはずなのに、任務を遂行する姿に平伏します。 それはコンビニの店員さんもそう、駅員さんもそう。みんな素晴らしかったです。ありがとう。
語り継がれる内容ですね。災害対応して頂いた全ての方に敬意を表します。
現場で働いてる方々は誠実に仕事されているのがよく伝わってきました。
北海道旅行の際 何度もお世話になってる船です。与えられた職務を迅速に的確にこなす姿は心打たれます。ありがとうを伝えたい。
操舵室からの動画は既出だったりするけど他の船から見た画像は初めて見たけどすごいな 貴重な資料ですね
海上保安庁の船も近くで津波越えてたな、そっちは映像があった 「総員、……なんか捕まれっ」っていう言葉を覚えてる
太平洋フェリーは何回も乗った事あったけどそんな事あったんだな素晴らしい船員達。
確か震災の1週間位前に仙台で地震があったらしく機関長と船長が「当面の間仙台入港時は大掛かりな作業を控えよう」と示し合わせていたと聞きます。 本来当たっては欲しくなかっただろうけど機関長の読みが当たった事で被災時に直ちに仙台港からの緊急出航が出来たのは幸運だと思います。
@kishi1043cbc1053
Жыл бұрын
東日本大震災の前から激しい地震が頻繁に発生していたから、有事に備えて申し合わせしていたのかも、、、
本船からの写真だけでなく外から見た写真があるの凄いな。
そうか、救助の物流も担ってたのか。的確な判断で船が無事でよかった。 出航間に合うもんなんですね。 コロナで控えてましたが、フェリーは大好きなのでまた乗りたいと思います。
津波を耐えた航海士・フェリー 信頼できすぎる
@user-mr6kh3ur1y
Жыл бұрын
機関士もおりますぜ
@user-rb8hh2bb9n
Жыл бұрын
@@user-mr6kh3ur1y ごめん
@user-gn2cv4kq4w
Жыл бұрын
速やかに作業をこなす部員もいますよー。
なんか涙出てきた 当時を思い出したのとこの方達への感謝の気持ちで胸がいっぱいになった
阪神大震災の時、陸路はぐちゃぐちゃで陸送が出来ない状況だった ならばと全社員で夜を徹し、救援物資を運んで下さった 阪九フェリーの皆様に感謝申し上げます! ありがとうございました!!🙏
200メートルの巨大カーフェリーが、漁船みたいに波を乗り越えていく写真は衝撃的です。 乗員が常時待機する大型船は緊急脱出できましたが、仕事を終えて係留していた中小型船は港と共に壊滅してしまいました。
船体が津波にぶつかって行く様子、 画像で見ても沈んでしまうんじゃないか…ってくらい揺れがひどかったのが分かります。 あのひどい状況の中、動いてくれた事に感謝ですね
@user-fo5vj5wt8r
Жыл бұрын
私も見ましたが、自衛隊か公安の船でしたが勿論-TVの画像でしたが実際その場だったら想像を絶する恐怖感だろうと思いますよ
高台に避難した方が海を撮影してて、同じように出港した大型の漁船が耐えられなくて転覆した映像も見たことありますが、改めて震災の恐ろしさが分かりました。
船長をはじめ乗組員並びに機関士の 方々には心から敬意を表します。
やっぱりなんでもプロってのはカッコイイ
津波を乗り越えた巡視船でさえ相当な高さから落ちるような感じだったのによくこのフェリーは耐えてくれた。
津波を乗り越えた後、被災地までの輸送も担っている。有難いことですね。
3:30 すごいですね、大津波もレーダーに映るのですか。 4:07 そして別の船が撮った太平洋フェリー「きたかみ」がかなり斜めになっていて、釜石港内で大津波に遭った巡視船「きたかみ」の操船の難しさが伝わってきます。
@koukimurakami
Жыл бұрын
それ見ました。 松島では「くりこま」が座礁しました。外洋に出た漁師さんがよく助かったと言ってました。 気仙沼で仕事していた親戚は、漁師に直ぐに逃げろ言われ甲板に上がったら隣の船が燃えていたと言ってました。
@neoblueseven24
Жыл бұрын
実は、レーダーの感度を上げれば、沖の小さい白波でも写りますよ。 現代はそれだけ高性能を搭載しているという事です。 しかし、そうすると、外洋では画面全体に沢山の影が出来てしまうので、通常はその船に影響しそうなサイズの波だけが写るように設定していると思います。 でも、震災直後はあえて感度を下げて他の波を一切写さずに、津波・大型の波だけに焦点を当てたのかも?しれません。
@monthly_train
Жыл бұрын
@@neoblueseven24 さん なるほど、そういう操作もできるのですね。 たしかに大きい波まであとどのくらいで当たるのかわからないと危ないですしね。
沖に出た方が安全とはいえ10m以上もある津波に向かっていくなんて怖すぎる
@user-oy6zo7nv3l
Жыл бұрын
もはや壁
フェリー航路が廃止で大変少なくなっています。利益ばかりでは無く災害時の輸送には大きな能力が有り、廃止したら復活は大変難しく国は航路とフェリーを保護してやって欲しいです。私の住んでいる神奈川県の東京湾フェリーもガラガラです。存続をする為に皆さんのご協力をお願いします。千葉へ行くのに疲れないし、いわしバーグもうまいし、ラーメンも良いよ~
@bonsan1171
Жыл бұрын
誰が簡単に維持しろとは書いてません。国にい維持ろって~の。災害の時の備え。陸路がダメな場合が多い。フェリーは接岸出来る深さと堤防が有れば物資の搬入が出来る。一度、廃止すると復活は大変厳しいそうです。
@user-ct7mi4ck7l
Жыл бұрын
@@bonsan1171 近畿民なので東京湾フェリーは使うことは多分ないと思いますが、ご当地グルメという観点からフェリーに少し興味が湧きました。地元のフェリー活用してみたいです!
@bonsan1171
Жыл бұрын
@@user-ct7mi4ck7l さん。ぜひ使ってあげて下さい。わたしはバイク乗りなんですが愛媛県の佐多岬から大分県の佐賀関の国道九四フェリーに乗りましたが、関アジと関サバは美味かったです。佐多岬のフェリー乗り場へ行く途中の景色とメロディーライン(道路に溝加工でメロディーが鳴る)は良かったですよ~。データデータと言ってる人もいますが311地震自体がデータの許容範囲を超えてるのにデータとはね~
@tousekitetsu
Жыл бұрын
私も何度か利用しましたよ。
@kanesmu
Жыл бұрын
自転車での東京湾1週ルートとしては、デフォルトのルートになっています。 というか、他に方法が無い! ということで乗った事があります。良いルートですよね! 陸上輸送のアクララインとの競合が厳しいとは思うけど、存続して欲しいです。
福島県沖・大津波に遭遇した巡視船 という動画では、艦内からの動画を見ることが出来る。やはり船乗りは勇敢でカッコいい。
@stwopp3079
Жыл бұрын
津波乗り越えた後が崖から落ちるみたいな感じやったよね。
先日、乗船させて頂きました。 こんなふうに仕事をされていたのですね。改めて感謝いたします。 苫小牧から名古屋まで乗船しましたが仙台の途中下船の際は大津波が来た場合はお客様の戻りを待たずに出向しますとありましたね! ふーんと思ってたのですがこれで腑に落ちました。
長野から北海道平取町に仕事に行ったとき高速道路で仙台まで行き太平洋フェリーに乗って苫小牧まで行ったときにお世話に成りました。 後日本海フェリーさんにも新潟~小樽に行ったときもお世話に成りました。 長野県には海が無いのでない物ねだりで海に憧れ、1級船舶の資格を取りプレ-ジャ-ボ-トに乗ってましたので 1級航海士は憧れの的です。頑張って下さい。
海保の津波乗り越える映像は衝撃的だったな…
写真見るとかなりエグイな...。 確かにあの角度で入るなら転覆しないしすっごい綺麗に波を捌き切ってる
4:07 こんな写真が残ってるのがすごい 船が波をまたいでる…。怖かっただろうな。
ちょうど6月にきたかみに乗船したばかりです。太平洋フェリーでは一番乗ってるのがきたかみです。 あの日はそのまま苫小牧港に行って緊急支援物資輸送にあたったんですね。ご苦労様でした。 リーダーのあるべき姿、言葉が響きますね。
@user-mfmf126
Жыл бұрын
津波乗り越えたのは先代のきたかみでは‥‥? 今のきたかみは二代目です
愛媛のタンカーが撮影した写真は震災の年に国交省だったが公開していましたが、実際に乗っていた乗組員の証言は始めて見ました… ただ… 太平洋フェリー「きたかみ」は2019年に代替わりしていて、震災の際に大津波に立ち向かった「初代 きたかみ」は既に引退していて、ブリッジ等は現在の「二代目 きたかみ」ですね…
以前石巻に住んでいた時毎月北海道に出張する時にお世話になっていました。あの日は東京に居ましたが…。石巻の知人を見舞いに行った帰路にも利用させていただきました。何時も気楽に乗っていましたがその安心安全が皆様のお力であった事を改めて感じました。またお会いできる事を楽しみにしています。
upありがとうございます!静止画のレーダーみて本能的に『波凄いやべえ』というのが分かりました。
本当にありがたい事だ。
少し話は変わるけど、鹿児島の鹿児島市と桜島を結ぶ桜島フェリーは24時間便があります。もちろん夜中の便は赤字だけど、いつ桜島が噴火しても島民を避難させれるようにどんな時間でも最低2隻のフェリーが待機してて、そのついでに運航してるって感じです。 海運業の方々には本当に感謝しかないですね
ほんとにありがとう。 フェリーが無かったら仙台周辺の早急な治安維持は無理でした。
いしかり、きそしか乗ったことないけど、みんな親切な対応で出向後の作業を見学してても、嫌な顔しないで見せてくれました! みんなプロだなと思いました!
震災直後の救助活動をありがとうございます。
いつも思うけれど…命に責任を持つ人達は強くて優しい❗
当時の海上とかの話は、あんまり聞かなかったから、良いものを見させていただきました。 ありがとうございます。
4:40 巡視船まつしまの操縦室から撮った動画の光景がまさにそれか
ありがとう!知らなかった時の流れ!感謝です。
フェリーの輸送力は本当に役に立ったでしょうね。 信州諏訪湖で震度4を昼と夜中の北信州地震、翌週の富士裾野と三度うけました。
政治家にはない清々しさがありますね。
これだけの大型船が緊急出航できたのは船上の乗組員のみならず、船体を港湾設備に係留するために張られている係船索を外す陸上の作業員が居たからに他ならない。 離岸作業に携わった陸上チーム全員が津波到達前には安全な場所に避難できていたものと信じたい。
第1波を乗り越える瞬間を捉えた幸洋汽船の方、歴史的な瞬間を捉えてると思う。
飛行機事故なんかでもよう聞くけど、船長、機長ていう立場の人がしっかりしてるとそばにいるクルーは安心して自分の仕事が出来るな。
昔北海でフェリーのゲートが脱落して沈没した事故があったが、津波のエネルギーを真正面から受け、その後の運航に支障ない日本の造船技術に感服。
震災後の対処の仕方で、速やかに安全、安心を保ち、一人一人が、助け合って、改善し、回復させ、復興させて行くことの大切さを、改めて認識した。
ありがとうございます、日本を東北を救った気高き男の人たち、 テレビで報道してほしいですね、尊敬の念に堪えません。
そっかーお客様が居なかったのも幸い、あのいしかりが高波を乗り越えたのも驚きです。皆んな、無事で良かった。
@user-hv9rf9nm7h
Жыл бұрын
津波を乗り越えたのは2019年に引退した「初代 きたかみ」です
何気に艦首が空くのに外洋行動でも十分な強度保てるのすごいくない?
さすが強運の持ち主北上。太平洋戦争を生き残るだけで運がいいのに、津波まで乗り越える強運さ…。
大型カーフェリーでよく緊急出港できましたね。荷役が済んでいたこともよかった。
@hiroden_precure5200
Жыл бұрын
フェリーの中に積載した車はどうやって撤去したのかな?
受け答えからいかに慎重かつ正確な仕事が求められるかが分かる。
前のきたかみの乗客歴20年です。妹のいしかりが速く売り飛ばされ、新造いしかりが就航した年にきたかみは津波を越えました。この船は乗務員と共に優秀な船だから津波を乗り越えました。最後の年にきたかみに苫小牧から仙台まで乗りCAさんより年上で引退しました。 ありがとうね、きたかみ!バブルで豪華な船の最後でした、、
@user-id2fi4lx6s
10 ай бұрын
先代”きたかみ“🚢15年ほど前、儂が(派遣労働者として)まだ活気あった愛知県(岡崎市)へ北海道から初めて乗船したフェリーです。そして暫くの間名古屋↔️苫小牧(北海道)に往復して乗船したフェリーは何故かきたかみが多かった😅それだけに愛着あるフェリーでした✌️
これだけ巨大な船の船底が見えるくらい浮き上がってる光景って普段絶対見られないよな。。。
あまりにも勇気や語彙力ないけど凄すぎて泣けてきました!本当にすごい人たちですね!
この写真はすごいな
「台風のときは体を ち ょ っ と 掴まる」ぐらい熟練された乗組員が 両 手 で 掴まらないとならなかったほどの大津波。言葉の重みというか生々しさというか、、、僕のような凡人にはこの感想を述べるだけのボキャブラリがありません。
これ。uhbで放送する価値あります。北海道は、船舶無いと本当に生活出来ない地域です。
パリダカなどでカミオン(トラック)が砂丘を乗り越えるシーンはよく見るけど大型客船が10mの津波と対峙する恐怖はどれほどのものだったか…。船長以下クルーの対応には感服します。
海保の巡視船が避難している時のブリッジ映像を見たが波が来て船が持ち上がりエンジン全開でも前に進めず引き波で外洋に出たのだった。 音声で捕まれ、戻されているとか入っていた。
このレベルの大きさのフェリーがこれほどの傾斜でピッチング(縦揺れ)するとは、、
ありがとうございます。
本当にみなさんありがとうございました
仕事で何度か乗船しました。 ありがとうございました👍
やっぱりインフラ系の人達はカッコいい
フェリー懐かしいな。 昔よく乗ったものだ。
航海士の方を取り扱ってるが 下では機関員が激しい揺れの各所点検してるんだよな
船長の判断はフェリーと乗組員を救った。 フェリーは出港後津波に耐え、乗組員と船長を救った。 こういう迅速に判断できる人がやっぱりリーダーに向いてるんだなと感じました。 しかも乗組員みんな早く救援物資や車両を運びたいって、どれだけ素晴らしい人たちの集まりだろうか
こんな大きな船ですらあそこまで沈むんだから自然の脅威は恐ろしいですね。
これ二代目のきたかみですね。 初代には一度乗りましたが、コンセントのスペースがなくて、スマホ等の充電スペースを探すのに苦労した記憶があります。 太平洋フェリーには、仙台から名古屋、苫小牧に行くために何回もお世話になりました。 当日脱出してそのまま支援物資輸送とは聞きましたが、実際のを見ると、やはりすごいと感じました。 コロナが落ち着いたらまた乗りに行きたいです。
何で今頃⁉️って見てたけど、まだこんなショッキングな画像が残っていたとは❗
やはり船乗りって、常に備えが身に付いているんですかね。(特に地震大国日本は津波に対して)
ちょっと憧れる職業。カッチョいい
フェリーって、結構、役に立つんですね。 大津波を突破して、 被害港に駆けつける事は凄いです。 クルー(乗組員)たちの冷静は恐れいれました。 これからも、いろいろな活躍して、 フェリーをなくさないでほしいです。
普通に乗客が乗っていたら、乗客がパニックを起してしまいそうですね。
旧きたかみでの体験ですので、今回撮影されている新いしかりとは全く別船ですね。
乗客が居ない状態で良かったと思う·····
これぐらい迅速に地上でも避難してたら人的被害はもっと減ってたんでしょうね...😔
@koukimurakami
Жыл бұрын
直接、被災者から聞きましたが、防波堤が有るから大丈夫とか警報の波高が防波堤より低いから前(チリ地震)の時にここまで来なかったと逃げない方がいたそうです。 それと、避難所で流された方々も。
@nyanco-sensei
Жыл бұрын
死者を笑う訳ではないが、「10m 級の津波が来る」って警報が鳴ってんのに、海抜10m以下に止まった人たちは何を考えていたのか。 結果論ではあるけど、もう少し賢ければもっと被害者は減ってたのは残念でしかない。
@koukimurakami
Жыл бұрын
@@nyanco-sensei さん 最初波高低く言ってましたし10メートル言った時は津波来ていたのと停電で情報入手がラジオで聞けたらラッキー、携帯は混乱してましたから。防波堤過信していたと言ってました。 波高の件は、岩手で裁判して敗訴した方がいます。
@pip3400
Жыл бұрын
確かこれの数か月前にも津波警報あったんだけど(2~3メートル級) 実際には少し海面上昇しただけだった 油断につながった部分もあったと思う
@koukimurakami
Жыл бұрын
@@pip3400 さん 震災の2日位前にも地震が有って津波警報出たけど30センチ位で外れたから。
こうやって災害、防災への知識が受け継いで子孫への教訓にしないといけない 日本に住んでる以上、毎年どこかしらで大きな災害が起こる
波の高さよくわかる画像。怖すぎる
操船技術の賜物ですね、無事で良かったです。
あの大変な時にこんなにも冷静に且つ確実に行動されていた人達がたくさんいらっしゃったんでしょうね。頭の下がる思いです。 当時の政府がこの様な船長や航海士、その他の船員の方々の様な感覚を持っていたら、また違った未来になっていたのでしょうね。 タラレバを言っても仕方のない事は解っているのですが、参院選挙(令和4年度)の投票前にこの動画を観られて良かったです。 慎重な投票行動をとろうと思います。
海に浮かんでいる船が地震の影響で揺れるってかなり怖いな
@nimo5
Жыл бұрын
係船策でがっちり係留してあるから地上の揺れが伝わってくる。
現代の造船技術も乗組員の技術もスゴすぎる
この経験、教訓を糧に今後に生かして頂きたい!ご苦労様でした。 敬意を表します。
当時、この船を下船した人達はもう・・・。改めて御冥福をお祈りいたします。
操舵の技術もだけど船の信頼性も高いね。