1953年【小津安二郎監督】【原節子】【笠智衆】【堀切駅】【両大師橋】【銀座松屋】【寛永寺旧本坊表門】
Ойын-сауық
1953年の小津安二郎監督「東京物語」の東京のロケ地を現在と比較してみました。なんといっても71年前の映画なのでロケ地の痕跡はないのでは?と思っていたのですが、意外と当時のままの場所も多かったです。まずは東京スカイツリーラインの堀切駅です。近くの荒川に架かる京成本線の鉄道橋は当時のままで映画と同じアングルが確認できました。上野駅近くの寛永寺の門や両大師橋の当時のまま残っており感動しました。最後は銀座の景色を映画当時と確認しております。映画に出てきた銀座松屋はすっかり変わってしまってはいますが、当時の屋上からの眺めをグーグルアースで確認、比較もしております。
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ロケ地はドラマを超える!さん、70年前の映画をここまで探すのはなかなか 出来ないと思います!もう素晴らしいとしか言えず登録させていただきました。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 正直言いますと、 ロケ地の場所は検索すると出てきたのでした・・・ 他の動画もタイプは違いますが、よければどうぞ!
思わずコメントします。あそこにあの2人が座っていたと想像するだけで鳥肌が立ちます。変わらない物も多くて昭和時代のロマンを感じながら拝見させて頂きました。感謝します。
@roketidorama
Ай бұрын
こちらこそ、ありがとうございます。 ぜひロケ地を訪れてはいかがでしょうか
テレビで何度も何度も再放送、その都度何度も何度も何か身につまされて見ました。 白黒モノトーンの哀愁に満ちた映画、見終わった後の余韻が今だ残っています。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます テレビで何度も再放送されてなのですね 僕は残念ながら余韻が残るほどこの映画を理解できてないかも・・・
@user-sy6yx9gh6h
26 күн бұрын
未だ、だよ。
「堀切駅」のタイトルで驚いたと同時に懐かしい!!思わずコメントしました。 鐘紡の社宅で生まれ育ち堀切駅は最寄り駅でした。北千住方面行きホームのすぐ脇隣は旧足立第2中学校です。駅の住所は足立区ですが、鐘ヶ淵方面に行くと墨田川と荒川を結ぶ運河があり対岸は墨田5丁目になります。堀切駅のホーム牛田寄りの端から牛田駅が目視できるほど駅間が短いです。昭和30年代、荒川に架かる堀切橋は木造でした。土手も舗装されておらずノリ面も草がボウボウでした。幼少の頃、父のボーナスが出ると上野に買い物に行き聚楽で食事するのが定番でした。社宅から徒歩で関屋駅まで行き京成電車に乗って上野に向かう途中「おばけ煙突」が見えました。見る方向により煙突の本数が変わるので幼少の頃不気味に感じたのが懐かしいです。浅草にも良く行きました。浅草は「松屋デパート」上野は「松坂屋」って松ばっかりですね。
@roketidorama
Ай бұрын
当時の貴重な情報と思い出話をありがとうございます。 こういうコメントをいただくと本当に動画作ってよかったなぁ~としみじみ思います。はい、「松」ばっかですね・・・
@user-bk4jn7jk2j
Ай бұрын
@@roketidorama こちらこそ有難うございます。 鐘ヶ淵はカネボウ(鐘淵紡績)発祥の地で大規模な紡績工場と社宅、社員寮、診療所、幼稚園が有りましたが昭和46年頃に所謂紡績不況により工場は閉鎖解体されました。跡地には現在もある都営の高層防災住宅なるものが墨田川沿いに数棟建てられました。
嫁の紀子が住むアパートのロケ地である、同潤会アパートの近くに住んでいた者です。 小学校の同級生が住んでいて、アパートの中庭でよく遊んでいました。紀子の部屋の窓から見える建物の壁のようすが懐かしいです・・・・。
@roketidorama
Ай бұрын
いや~すごい情報ですね ありがとうございます どこの同潤会アパートでしょうか? 痕跡は残ってないですよね・・・
@MASASU-rh6nx
25 күн бұрын
@@roketidorama 横浜市西区平沼にあった同潤会アパートです。蓮実重彦著「監督 小津安二郎」に厚田雄春氏の撮影日誌が掲載されており、同記述があります。私は二丁目の住人だったのですが、私が子どもだった1970年代後半にもなると老朽化が酷く、なかばお化けアパートとなっており昼間でも怖かったです。1980年代半ばに壊されて別のマンションが建てられました。
@roketidorama
25 күн бұрын
横浜にある同潤会アパートだったのですね 貴重な情報と当時の話をありがとうございます。
66年生きてきて一番好きな映画ですレンタルビデオでも沢山の外国映画も観ましたがこの映画が一番好きです。
@roketidorama
26 күн бұрын
コメントありがとうございます 僕はだんだん「いいなあ~」と思い始めてる感じです
@user-qd5vj8zm4j
24 күн бұрын
@@roketidorama 様へ もう71年前の映画で当時のロケ地と比べてその地域の様子も変わっているのによくみつけられましたね、今では長男の息子さん役の子役さん達除くと香川京子さんしか大人の役者さん残っていませんよ。
8:32 アーチ状の黒い柱のようなのが被っていますが、その奥の白い丸窓の建物は東京メトロ本社の旧社屋だと思います。 上野駅と言えばJRの正面玄関口の建物が立派ですが、上野駅の歴史を調べていると向かいのメトロ(帝都高速度交通営団)も中々のもので、戦前の開業当時建物全体が大きな時計に装飾されていたとか。 80年代半ばぐらいに解体されたみたいで、アラフィフの私でも殆ど記憶にありませんが、地下鉄ストアという元祖駅ナカと言えるべき商業施設も併設されていたそうで、デパートやJRの駅と違い、唯々老朽化の波に消えて行ったのがもったいないですね…。
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます。東京メトロの旧社屋なんですね この時代の建物は検索しても、全然出てこないので助かりました 上野駅周辺にも興味がわいてきました。
石立鉄男シリーズ「パパと呼ばないで」第一話が堀切駅前のシーンから始まります
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 「パパと呼ばないで」に出てくるんですね
堀切駅は昔は構内に踏切があり土手(旧堀切橋)からバスも通っていました。鐘ヶ淵寄りにありました。女性二人が立って会話してるシーンに踏切が写っていますね。
@roketidorama
15 күн бұрын
情報ありがとうございます
すばらしい動画です、4分10秒あたりの合致、すげぇと思いました。
@mozart1202
Ай бұрын
あれ、火力発電所の「煙突」って、通称「おばけ煙突」のことでしょうか?たぶんそうだと思いますが…、地元の方、情報ください(笑)。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます そこは僕もビビりましたよ!
2年前、尾道を見に行きました。浄土寺は中の配置は変わっていましたがもの自体はそのままでした。その近くにある筒湯小学校(香川京子が先生をやっていた)は廃校となり建物の位置も変わっていました。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 尾道のロケ地もぜひ行きたいですね
@user-sy6yx9gh6h
26 күн бұрын
尾道市立筒湯小学校をご存知ですか、素晴らしい。 同校は、2000年3月に統廃合されてしまった小学校です。 実は、1991年劇場公開の映画「ふたり」で「千津子の事故現場」とされた場所は、同校のすぐそばにあるのです。 映画「ふたり」のエンドロールが流れるシーンの背景は、どうして民家の玄関先の静止画なのでしょうか。 不思議に思いませんか。 特に、映画「時をかける少女」のエンドロールと比べてみると明らかです。 実は、大林宣彦監督は、そのロケ地を訪問してみたくなるように仕込んでいるのです。 「千津子の事故現場」のロケ地を訪問した人は、その帰り道で必ず「東京物語」の筒湯小学校のワンシーンを思い起こすのです。
@user-sy6yx9gh6h
26 күн бұрын
香川京子さんが演じた平山京子先生が筒湯小学校の窓から汽車を見送るシーンをじっくり観察してみてください。 京子先生の背後にカレンダーが映り込んでいることに気づくはずです。 ぼやけているのでじっくり観察しないと分からないのですが、そのカレンダーは「1953年7月の暦」です。 私は、40年以上、どうして映画「転校生」で小林聡美さんが演じた斉藤一美の15歳の誕生日が「1981年7月12日(日曜日)」に設定されたのか理由がわかりませんでした。 「1953年7月の暦」でその月の12日がいったい何曜日であるのか、改めて確認してみてください。 驚きますよ。
今でも昭和の香りが強く残っている堀切駅周辺。「東京で開業医をしている」という言葉から想像される豪勢な暮らしぶりと現実とのギャップを表現するのには格好のロケーションだったと思います。
@roketidorama
Ай бұрын
なるほど!豪華な暮らしぶりとのギャップですか? 僕にはそこまで読み取る力はないです・・・ 奥が深いですね!
堀切駅ホームのシーンは京成の現八広駅で撮影され駅名板は撮影用だったようです
@roketidorama
Ай бұрын
貴重な情報ありがとうございます 八広駅だったのですね・・・ また機会があれば八広駅も調査してみます
この映画が封切られたときに生まれた人がもう古希だもんね。この映画に出ていた人たちは95歳以上だろう。 そりゃ、変わるわ。でも今の駅や街並みはなんか味気ないね。 映画は何度か見たけど、淡々とした寂しさと怖さが伝わってくる不思議な映画だった
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 今の駅や街並みが味気ないのは撮影の仕方にも問題あるのでしょうか? 「淡々とした寂しさと怖さ」ですか~なんとなく分かる気が・・・
すごいです、世界の小津安二郎です、世界の東京。海外に住んでますが、こういった動画をみるとドキドキします。
@roketidorama
6 күн бұрын
コメントありがとうございます 海外でも人気ありますからね とはいえ日本の方ですよね・・・
映画「ふたり」には「石田ひかりさんの入浴シーン」があることをご存知でしょうか。 信じられないかもしれませんが、1990年に大林宣彦監督が撮影した「石田ひかりさんの入浴シーン」は、なんと1960年に新藤兼人監督が撮影した「乙羽信子さんのドラム風呂入浴シーン」のオマージュだったのです。 1960年劇場公開の映画「裸の島」のロケ地は「宿禰島」です。 1994年12月に亡くなった乙羽信子さんの御遺骨の半分は遺族の手によって宿禰島で散骨されたそうです。 「石田ひかりさんの入浴シーン」が「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」のオマージュであった事実は、大林監督自身を含めて誰も公には語っていないと思います。 しかし、大林監督が「糸崎8丁目交差点」のすぐそばにかつて存在した「ミカン倉庫」の中に北尾家のセットを組んで撮影したことから明らかです。 「糸崎8丁目交差点」は1990年当時は国道2号上にあったのですが、「国道2号尾道バイパス」の開通により2016年4月1日からは国道185号線上の交差点とされています。 「国道2号尾道バイパス」には「道の駅みはら神明の里」があるので立ち寄ってみてください。 「乙羽信子さんのドラム缶風呂入浴シーン」が撮影された宿禰島のちょうど対岸に当たる位置に「ミカン倉庫」が存在していたことがよくわかります。 ご存知のとおり、国道2号線には「浄土寺下交差点」があり、その交差点の階段上に「ああ、綺麗な夜明けだった。今日も暑うなるぞ。」と笠智衆さんが語った境内が存在しています。 大林監督の大先輩に当たる小津安二郎監督と新藤兼人監督の映像作品の一部を模倣して出来上がった映画が「ふたり」なのです。 そして、浄土寺下交差点から南に10メートルの位置、そこが「斉藤一夫の家」です。 信じられないかもしれませんが、笠智衆さん、原節子さん、樹木希林さん、佐藤允さんに会えるのですよ、そこへ行けば今でも。
@roketidorama
25 күн бұрын
たびたび貴重な情報ありがとうございます 僕自身はロケ地動画を出してるわりには映画には詳しくありません・・・ 大林監督の作品も観てみたいと思います。
名作「東京物語」の老夫婦が見ていた東京各地を辿り、映画のシーンと現況を丹念に比較して下さり、有難うございます。 教えられることが多々あり、大変勉強になりました。また「東京物語」を見る時、とても参考になるでしょう。「麦秋」などについても同様にご検証下さると非常に嬉しいです。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 小津安二郎監督の作品は実はあまり知りません・・・ これを機に見てみようと思います 「麦秋」ですね!
@user-dd1jw6in2u
Ай бұрын
@@roketidorama ご返信、恐れ入ります。「麦秋」は小津の1951年作、これもまた心に沁みる名作です。 北鎌倉が中心の舞台ですので、調べ易いかと思います。
@swalka
Ай бұрын
麦秋の最後あたりは近鉄奈良線耳成駅付近からだと思います。耳成山の形からです。画面中央の大きな農家はもうありませんが、敷地はそのままのようです。現在は大きな民家に建て替え。そして婚礼の行列もそのあたりから東に向かっています。
@user-dd1jw6in2u
Ай бұрын
@@swalka 近鉄奈良の耳成の辺りは行ったことがなく、貴重な知見をお与え下さり、有難うございます。 奈良は大好きな地ですので、何時かそこの辺りに行けたら良いのですが。
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます ぜひ奈良のロケ地も訪れたいですね
物干しのシーンですが3:48 の進行方向とは逆の堀切橋の方へ草の道を100mぐらい行くと、2-3年前まで民家とその玄関前に物干し竿を掛ける柱が残っており、映画と同じ雰囲気が味わえました。 ユニオン映画「パパと呼ばないで」の第1回オープニングのシーンは、やはり堀切駅前から始まり画面には物干しが映されており、撮影スタッフの小津リスペクトではないか?と想像しております。
@roketidorama
Ай бұрын
興味深いコメントありがとうございます 「パパと呼ばないで」と繋がっていたのですね
半年ほど前にBSで映画を見ました。ロケ地巡りしたとあり、凄いですね。さすがです。70年前だし白黒で画像も鮮明じゃないですからね。
@roketidorama
Ай бұрын
どうも!ありがとうございます。 そうなんですよ、なんせ70年前ですからね・・・
@swalka
Ай бұрын
この映画に限り、いろんな事情で残っていたのは16mmのリプリント版だけだったとか。それもかなり痛んだ状態で。それを何度かリマスタリングして現在の映像になったようです。一番できの良いのはアメリカのクライテリオン版だとか。これ当然、英語の字幕付きです。しかしどれも音が悪いですね。どうにかしてほしいです。
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます
堀切駅は「こち亀」の扉絵シリーズにありましたね。 子供の頃、京成線の堀切菖蒲園駅近くに住んでいて、浅草からこの駅に着き、まだ木製の堀切小橋(大橋も木製でした)を渡って帰った記憶があります。
@user-yl9ek9le7m
Ай бұрын
ついでですが、「表門」は「おもてもん」ではなく、「ひょうもん」と呼ぶのでしょうか?
@user-yl9ek9le7m
Ай бұрын
和光ビルはこの翌年、ゴジラが壊しました。遠くに見える国会議事堂も蹂躙されました。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントそして思い出を ありがとうございます
@roketidorama
Ай бұрын
(笑)
東武の堀切駅やその周辺といえば他に有名なのは、3年B組金八先生をはじめとする、桜中学シリーズですね。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 金八先生のロケ地なんですね
@556seipio4
Ай бұрын
更に桜中学の外観のロケは、堀切駅沿いの建物です。今は「東京未来大学」が入居しています。旧中学校校舎はそのままですが、校庭だったところにも大学の建物が建ってしまいました。
昔、堀切駅の近くに住んでいました。当時は土手が現在より数メートル低く、構内踏切が下り線の駅舎の近くにあり、上り線の改札口は無かったと思います。下り線の駅舎は当時と同じです。
@roketidorama
9 күн бұрын
情報ありがとうございます 当時は土手が低かったのですね 納得です
@46nogama
8 күн бұрын
@@roketidorama 当時、駅の少し先の川沿いの道は、踏切で線路を越えて旧堀切橋に続き、荒川を渡っていました。従って、線路から少し高かっただけだったはずです。
堀切駅は昭和中後期世代だと『3年B組金八先生』の印象が強いな。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます やはりここは金八先生のロケ地なんですね
後の金八先生のロケ地とだいぶかぶってますね。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 金八先生の記憶がほとんどないのですが それは知りませんでした
@user-sy6yx9gh6h
25 күн бұрын
もちろんそれはオマージュです。 意図的に狙ったことでしょう。
面白かったです。堀切駅は大幅には変わってないですね。線路自体、位置が高くなっているので見え方が変わりますかね。寛永寺は小津さんが50mmレンズを使っていたとしても門の位置関係が変わっている気がします。尾道に行きましたが意外にあっちも全然変わってて。原節子のロケシーンは2000人とか人が集まってたらしくて、よくあんな芝居をできたなあと感心します。もう一度見てみたくなりました。
@roketidorama
Ай бұрын
貴重な情報ありがとうございます 2000人も集まるなんてすごい人気ですね! 尾道のロケ地もいつか行ってみたいです
@korokekorosuke
Ай бұрын
小津マニアのくせに堀切も、寛永寺も行った事がなく反省しました💦古い映画もお願いします!
@user-sy6yx9gh6h
25 күн бұрын
2000人の中に「大林宣彦少年」、「小林海暢僧侶」も居たはずです。 1953年8月16日(日曜日)の早朝撮影ですから。 大林宣彦監督は、1991年劇場公開の映画「ふたり」で実加のピアノ発表会のシーンに浄土寺住職の小林海暢さんを出演させています。
鐘ヶ淵のカネボウ化粧品の工場へ、うちの母親が新潟県から15歳で集団就職で上京しています!八広駅なら土手がすぐです。赤線地帯です。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 八広駅の土手も一度調べてみたいと思っております 15歳で集団就職ですか・・・ 時代を感じますね
@user-et1ok1sk9w
Ай бұрын
まだ15歳ぐらいの子供たちが集団就職して、大人になり覚えた技術で肉屋さんや、床屋さん、八百屋さん、 その他になり町で商店を作り昭和を作り今の繁栄の日本をつくったんだよね。 みんな頑張りました。これからもみんなコツコツと頑張ろうな。
お邪魔致します😅😢両大師橋は、確か「成瀬監督の「晩菊」で「望月優子さんと細川ちか子さんの「モンローウォーク」の「名場面」だったでしょうか😅😢😂
@roketidorama
11 күн бұрын
情報ありがとうございます 成瀬監督作品は都内のロケ地がけっこう出てくるんですね
金八先生ロケの集合は堀切駅だったと薬丸さんがアド街で言ってました。シリーズ違うけど順子さんとかも行ったのかな。
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます やはりここは金八先生のロケ地みたいですね
荒川の土手は71年前に比べてかさ上げしているはずなので、堀切駅のホームから京成鉄橋は昔よりも見えづらくなっているかもしれません。また、京成鉄橋は現在掛け替えの工事中なので、たどれるのは今のうちだと思います。
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます 荒川の土手はもう少し低かったのですね、納得です! 京成鉄橋が架け替え工事中とは・・・ 間に合ってよかったです
私も以前上野駅両大師橋のシーンで東京物語を出した動画を作りました。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます 蒸気機関車専門のチャンネルなんですね
堀切駅前にあった駄菓子屋が出て来なくて残念・・・
@roketidorama
9 күн бұрын
コメントありがとうございます 駄菓子屋ですか・・・
(その2) 映画「時をかける少女」で原田知世さんが演じた芳山和子は、「西方寺普明閣の石灯籠」に腰かけてニセの深町一夫からテレポーテーションとタイムリープについて説明を受けるのですが、なぜでしょうか。 そして、エンドロールの最後、「監督 大林宣彦」の白文字は、「西方寺普明閣の石灯籠」と「未開花の桜」を指し示すように動いています。 「未開花の桜」は、映画のストーリーに照らして著しく整合性を欠いた映像です。 これはいったいどういうことなのでしょうか。
@user-sy6yx9gh6h
25 күн бұрын
大林監督は、2007年劇場公開の映画「転校生~さよならあなた」のラストシーンで、一夫の母を演じた清水美沙さんに「赤いカーディガン」を着用させ、神州長野で粉雪が舞っているにもかかわらず下駄を履かせて登場させています。 映画「時をかける少女」の最後にある「1994年4月16日(土曜日)の物語」は筒井康隆さんの原作にはないもので、大林監督が付け加えたものです。 ということは、これはいわゆる「伏線」だったのでしょう。 「西方寺普明閣の石灯籠」は、明らかに「住吉神社の石灯籠」を連想させるための演出です。 桜が満開になるのは、おらく「2033年4月16日」でしょう。 2033年は、「東京物語80年」、「時をかける少女50年」の記念の年ですから、大林宣彦監督の狙いはそこにあったはずです。
世界的な映画ですから英訳したらヨーロッパなんかでバズリそうですね 世界名作4位の映画ですからね
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます たしかに世界の名作ですね 英訳ですか・・・
火力発電所の煙突はお化け煙突と呼ばれてました 菱形に立ってたので見る角度で本数が変わって見えていました 今はモニュメントがあります
@roketidorama
Ай бұрын
情報ありがとうございます 見る角度によって本数が変わって見えるとは 興味深いですね、跡地も訪れたいです
@user-yl9ek9le7m
Ай бұрын
仰っる通り、菱形4本ですから、きっと画面の左側の4本ですね。 補助発電所で4本一斉の稼働は滅多になかったそうで、画面の煙も同じ様子です。
映画「転校生」のラストシーンで、尾美としのりさんが演じた斉藤一夫は、尾道市久保二丁目の海岸通りにある「料亭旅館魚信」の前辺りでトラックの助手席側の窓からカメラを取り出し、一美の姿を撮影し始めます。 なぜでしょうか。 また、映画「時をかける少女」で、原田知世さんが演じた芳山和子は、タイムリープ中に尾道市長江二丁目の小林邸前の石段で「二人の短髪少年」に出会います。 なぜでしょうか。 これらの理由について、大林宣彦監督は多くを語っていないと思います。 これらは、実は、すべて新藤兼人監督の映画「裸の島」と深い関係があることです。 同様に、大林監督は、「尾道三部作」が映画「東京物語」と深い繋がりがある作品であることをところどころで猛烈にアピールしています。 ちなみに、映画「ふたり」で神永青年が学校帰りの実加と真子と出会うシーンには、「平山周吉の家とされた戸田邸」、「戸田邸2階のベランダに干してある洗濯物」、「渡船と尾道水道」、「山陽本線を走行する列車」の豪華4本立てオマージュがあります。 信じ難いことですが、これらはすべて真実です。 「おのみち映画資料館」にこうした説明はありません。
@roketidorama
26 күн бұрын
たくさんの貴重な情報ありがとうございます 尾道へはいずれ行ってみたいですね
@user-sy6yx9gh6h
25 күн бұрын
@@roketidorama 【HD画質】坂上香織 レースのカーディガン〔大林宣彦監督・香織の、ーわたし ものがたり。〕(1988年)
@user-sy6yx9gh6h
25 күн бұрын
@@roketidorama 坂上香織さんが戯れる犬は、おそらく「平山周吉の家」とされた戸田さんの飼い犬です。 現在の戸田邸には大きな表札は掲げられていません。 したがって、映画「ふたり」の洗濯物がたくさん干してある2階ベランダが重要な情報になるのです。
両大師橋から見えるピルは松坂屋かと思います。
@roketidorama
27 күн бұрын
情報ありがとうございます 松坂屋ですか
寛永寺の門は門の前での撮影かと思います。
@roketidorama
27 күн бұрын
情報ありがとうございます
良かったヨ😀
@roketidorama
24 күн бұрын
ありがとう~
秋刀魚の味も是非やってください🎉
@roketidorama
Ай бұрын
秋刀魚の味ですね とりあえず見てみます
ヴィム・ヴェンダース氏に是非見て頂きたい!!!!😍
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます ビィム・ヴェンダース氏の名前は今覚えました!
動画の青空と スクリーンの青空は(自分の中では)変わらぬ 碧ろ
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます ん~僕の頭では難しすぎます・・・
松屋のアクセントが 其れだと牛丼屋ななっちゃうんデ、フラットにお願い🙏
@roketidorama
23 күн бұрын
アクセントに違いがあるとは知りませんでした・・・ どんな違いがあるのですか?
現地取材お疲れ様です、楽しませていただきましたが少しだけ詰めが甘い印象。映画の画角とできるだけ近くなるような配慮や映画に映った同じ石垣を探してほしかったし、現存しない煙突の位置などはマップで方向確認もして欲しかった。ありがとうございました。
@roketidorama
6 күн бұрын
コメントありがとうございます そうですね、詰めが甘いですね・・・ 頑張ります!
戦前から戦後三十年代にかけての懐かしの風景を、今時の殺風景と重ね合わせるのは無粋の極みというもの。
@roketidorama
Ай бұрын
コメントありがとうございます