【ノーカット版】「和らぎの心で助け合いを」100歳の元特攻隊員 裏千家・千玄室さんに聞く戦争の“継承”【報道ステーション】(2023年8月24日)
戦争を経験した世代は、いまや1割に減少。その“記憶”をどう受け継いでいくかが課題となっています。
茶道裏千家の前の家元・千玄室さん(100)。特攻隊員となるも、生き残り、その後、戦時中の自身の経験を国内外で広く語ってきました。
[テレ朝news] news.tv-asahi.co.jp
戦争を経験した世代は、いまや1割に減少。その“記憶”をどう受け継いでいくかが課題となっています。
茶道裏千家の前の家元・千玄室さん(100)。特攻隊員となるも、生き残り、その後、戦時中の自身の経験を国内外で広く語ってきました。
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Пікірлер: 197
語り部にまだこんなパワフルな方が残っていらっしゃることに驚きです。ここまで臨場感、迫力のある経験談はなかなか聞けませんね。
@user-vu5lu3qs7e
9 ай бұрын
誠に、裏千家御家元宗匠様のお話を、聴く機会があり、誠に、感動致し、素晴らしいお考えのお話を、有難うございました。此れからも、ご健康で、お過ごし頂き、宗匠様のお考えを、広く皆さんに伝えて、頂きたいと存じます。宜しくお願い致します。🎉
@user-tj8qs5mk6d
9 ай бұрын
@@user-vu5lu3qs7e 様、今、お茶を聞いてみたい。とわたしは思いました。 お茶は、粉など、茶葉を粉々にしますが、身を粉にしてまでも、ヒトに飲んだり食べたり、ある意味、せんそうの様に、お茶の木にとって、身を削る大変なことなのかも知れませんねん。
@user-dd9hp8gl7h
7 ай бұрын
平和を願うこと:茶道の心をお伝えなさられるお姿。恐れ多くも、わが国の宝とも存じたりいたします。
うちの祖父も家元と同い年で同じように大学生の途中で特攻隊員になりましたが、孫の私は戦時中の話を結局聞けずじまいでした。辛い記憶を思い出させたくないという気持ちで身内だと余計聞けなかった人も多いと思います。 聞いていて途中で涙が止まらなくなりましたが辛い記憶を辿りながら当時の状況を詳しく語ってくれた家元に感謝したいです。
おん年100歳でここまでしっかりしていて貴重な体験をこのように私たちに語り継いでくださる人が現存することは奇跡だと思う。本当に本当に感謝しかない。
このお歳でこの矍鑠たるお姿、日本史の教科書以上のことを実体験として語られる方のお話しをこうやって聴けることを感謝しなければならないと思いました 大宗匠のお話しは日本人全員に聴いてもらいたい
@user-zl3fq3bs8x
5 ай бұрын
いくら軍人精神を鍛えても、西洋のフォッケウルフ級のデザインセンスが全く無い日本に、戦争なんか勝てるわけないやないの(´-ω-`) 同じ敗戦国だが、ドイツもイタリアも眩しいわ。
100歳とは思えない、御立派なお方だ
一時間余り、正座して聴き入りました。 母も家元と同い年の茶人でしたが、隣で涙してうなずいていたと感じました。 「千里同風」子供や孫たちに伝えて行きたいと、改めて心から思わされました。
@user-ki5ix5qg9u
10 ай бұрын
なぜ世界は仲良くならないの価値観が変わっても世の中変わりません😢 仲良くするのが幸せの近道😮大人がかしこならんとね
@user-kx4hm3ye3d
10 ай бұрын
うん?私は似非物と感じましたけど・・・ 畳の上で椅子などに座って語ることかよ・・・
@user-ru4ru7yx7h
10 ай бұрын
百歳で矍鑠とされている事そのものが奇跡と感じます。 お膝がわるく、正座が出来ないであろう事を、お許し頂くお気持ちを、、、🙇♀️
@user-kx4hm3ye3d
10 ай бұрын
@@user-ru4ru7yx7h いやいやだから椅子の足に角度があって細いんだよね これだと畳が傷む可能性があるわけで、何か敷くなりすれば良くね?畳じゃない板間であっても同じだろ?って常識みたいな話でんがなww
@user-du4nf7iw4q
10 ай бұрын
同じく正座して聴き始めてます。お茶も飲みたくなります。
聞き手がしっかりしていると 聞かれる側も答えやすい 100歳とは思えない 素晴らしいです
@a-chan7239
6 ай бұрын
聞き手は権力に迎合するヘタレだぞ。
千さんの時間を無駄にしない様に細心の注意を配られているお声かけに感動です。
貴重なお話をありがとうございます。 戦争を知らない現代の子供達に、命の大切さや、戦争や争いの悲惨さを語って頂きたいです。小学校や中学校、高校生などにも語って頂きたい貴重なお話です。 ご健康で長生きされます事をお願います。
去年98歳で他界した伯父も特攻で終戦を迎えました。長年隠していたかったようで、その事実は死後に正式に確認しましたが、出征時に親族の寄せ書きのあった日の丸を一度見せてくれたことがあります。その時になんとなく特攻がだったのかなと思いました。貴重な具体的なお話をありがとうございます。千さんの立てたお茶を一服できたとしたら、名誉なことですね。
@user-el7ji7xx2g
3 ай бұрын
辛かったんだろうなぁ。 仲間を失った辛さ、自分だけ生き残った苦しみ・喜び、散れなかった情けなさ、敗戦した悔しさ、言葉には仕切れない思い、辛い経験があるからこそ、隠していたかったんでしょうね。
容姿も頭脳も弁舌も゙ 凄いです 生きる語り部として 百才過ぎても 自分が見た経験 語り続けて欲しいです
@user-zl3fq3bs8x
5 ай бұрын
いくら軍人精神を鍛えても、西洋のフォッケウルフ級のデザインセンスが全く無い日本に、戦争なんか勝てるわけないやないの(´-ω-`) 同じ敗戦国だが、ドイツもイタリアも眩しいわ。
100歳の千さんがここまで熱意を込めておっしゃってるんだから、まだ二三十年しか生きてない私達が戦争根絶は不可能だと絶望する訳にはいかない
家元の言葉は力強く心に入ってきました。
当たり前のように戦争経験者の話を聞けた時代が終わろうとしている… 今のうちにどんどん聞いておかないと。
何日もかけて何度も何度も拝見しました。 15分バージョンも良いですが、この動画も兵士の皆さんの細かい心情部分や当時の風潮など知ることが出来て、とても貴重なお話でした。 ありがとうございます。
頭脳明晰、記憶鮮明、言語明瞭、体躯壮健なかたで素晴らしいと思います。ますますのご健勝とご長寿を祈念します。生き生きとしたお話は真に迫るものがあり感動しました。最後の方におっしゃった民族意識を乗り越えるという趣旨は重いものと受け止めました。
2:39 千玄室さんと同い年の祖父、当時理工系の学生かつ長男だったので徴兵を免れたと言っていたが、千さんのような由緒ある家系の長男でも文系というだけで徴兵されたというのは驚き。 祖父もめでたく100歳になりましたが、いつ聞いても戦時中の話は昨日のことのように話してくれるので、本当に強烈で悲惨な記憶なのだと思います。
徳のある方だから現在まで生きておられるんですね。ますますご清栄でおりますようお祈りいたします。
戦争は人の心を破壊しますが。茶道はその反対、人の心を育む事が茶道です。動画有難うございます。
1時間があっという間に過ぎ去るVTRでした。 千玄室氏が特攻隊員で生き残った事は知っていたのですが、まさかこの様なストーリーや思いがあったとは知らずに来ました。 今回のお話はその当時を知らない私にもまるで目の前で起きているかの様に鮮明な内容で非常に考えさせられるものでした。 そして当時、お国の為に命をかけた英雄だと学校で教えられた軍人の皆様の苦悩や憤りを知る事ができて良かったと思います。 軍国主義で育ってきた世代の皆さんが戦地で思っていた事望んでいた事は、やはり普通の平和な生活。 世界から戦争が消える事がなく2024年になってしまった。おそらく今の戦地で生きる人々も望んでいる事は同じなのではないのだろうかと思い至りました。 この動画を見る事ができて本当に良かった。
カッコイイおじいさんだなあ。 真のレジェンドですね!
私は小学3年生から茶道を続けて10年ですが家元がこのような志で茶道を続けておられるからこそ、茶道は伝統文化として美しく残り続けていると改めて思いました。茶道は私にとってかけがえのないもので私の一部です。
矍鑠ー。 齡紀寿を越えこれほどまでにこの言葉が当てはまる方は居ないと思います。居住まい、眼差し、応答、間合いどれをとっても静寂であり端整。 日本の宝である大宗匠には、 ずっとずっとお元気で生きて貰いたいと思います。
戦という概念がなければ「平和」という言葉は生まれなかっただろう、というのは実際に戦争の悲惨さを体験した人じゃないとなかなか言えないだろうなぁ
@user-mm2dd9md6b
11 ай бұрын
本当にそう思いました。
千宗室先生有難うございました。皆が政治について考え幸せになるよう努力します。
貴重なお話、有難うございました。感謝
私の祖父も予科練2期生で士官の立場であったと、 玄室さんのお話が祖父から聞いてた話と同様で涙が止まらなくなりました。 祖父から聞いていたからまだ第二次世界大戦について少し知識はありますが、今教科書では1ページで終わります。 火垂るの墓もいつからか放送されなくなりました。 辛い記憶こそ、日本人として過去の記憶を知らないことが当たり前になってる教育が怖いです。
年に三回鹿児島に帰省します。 その度に、鹿屋と串良の平和公園、開聞岳麓の望比花瀬公園にお寿司やおにぎり、水、お酒、焼酎、タバコなどを持って行きます。その場所で当時流行っていた演歌を1時間ずつ流して一人で慰霊します。 戦争で亡くなった全ての方々にこんな日本を作ってしまった事をお詫びします。 その方達の為にも一人でも何ができるかを考えながら生きています
この動画を拝聴できたこと、惜しげもなく公開して下さり感謝申し上げます。
しっかりしたお話しの中に時折、ユーモアを混じえての語り口に、戦争を知らない私でもひき込まれました。🤔 娘は、玄室さんのお話しを高校の講演会で聞いたと、以前聞いた事を思い出しました。 貴重なお話しを有り難う御座います。🙏 年末で還暦を迎えますが、熱い話しに涙しました。😢
私の父も特攻隊で突撃の日に終戦を迎え生き残りました。
心に染みました。言葉が重いメッセージをありがとうございます。
僕は高校1年生の時1年間、茶道(裏千家)を習いました。茶道は、高校生活の中で1番楽しかった科目でした。
千里同風、何よりもグローバルで力強く、優しく暖かい、包み込むような気持ちを感じます。 ビデオありがとうございました。
いつまでもお元気でいてほしい
大宗匠ありがとうございます🙏
これわ世界中の人に見て欲しい。
昨年上賀茂神社の安泰祈願で公演が有り素晴らしいお話を聞かせて頂きパワーを頂きました。御立派で有り難いお方のお話しを聞かせて頂きまして幸せで感謝しています。
思いやりの心 大切ですね。想像力を養うことだと思いますが、、なかなか難しい。
茶道・禅に通じる不動心を持ち、悟りの境地に至ってる方の言葉は重いし染み込むわ。10年後の息子にもこの動画見せたい。残ってるといいな。
茶の心が広く広く伝わるように思います。
本当に貴重なお話に感謝します
平和の言葉の意味に感銘します。
こういう人を目標にしよう!🙂🇯🇵🎅
誠に素晴らしい 貴重なお話しをありがとうございました。 感謝致します、と共にこれから先 地球に世界に 日本にとって 何が大切なのか 大事にしていかなければならないか、改めて考えさせて頂きました。 千 宗室様のご健康とご多幸を お祈り致します。
千玄室さん、ありがとうございます。
失礼します。 配信有難うございます。 お元気なお姿に、我がことのようにお慶び申し上げます。
38:31目がすごい涙でにじみました、話の現実感がいかにも伝わります、おじいさんを思い出しました😢😢😢😅😢
ありがとう平和な日本いつまでもこの平和が続きますように😊
「平和を使わない世界」大宗匠のおことば、考えさせられました。 多くの犠牲の上に平和が成り立っていることを考えさせられました。
お話しが聞けて本当に感謝致します.本当に戦争の体験者が居なくなってしまいます。これは、恐ろしい事です。
今、生きてる事に感謝🤗有り難う御座います。😊
ただただありがとうございます🙇この言葉につきます🙇
平和という言葉を使わない。和らぎの風 深く心に刺さりました。貴重な体験談、昨日のことのように深く心にとどまっておられるからすらすらとお話しされるのだなと感じました。 二度と人が人を滅ぼすことのない世界になるように一人ひとりが心がけていかないとと思います🌈 年齢を全く感じません👏ありがとうございます🙏
今や認知戦の時代にはなりましたが、このお話は肝に銘じたい。
100歳とは思えないご立派な方やな
本当に素晴らしいお話しでした。 茶道を嗜む者として、大宗匠の存在を誇りに思います。そしてこの様な素晴らしいお方をあの大変な戦争の中生き残して頂いた日本の神々に感謝致します。 大宗匠素晴らしいお話しありがとうございました。これからも益々のご活躍をお祈りいたします。
私の母の一番下の弟が特攻隊員でした。と言っても戦後生まれの自分にはそれが何を意味するのかは大分後になり小学高学年くらいになって初めて知ることになりました。 仏壇の前に特攻の服を着た若者の写真が置いてありました。きっと出撃する時だつたのか家の上空を何度か旋回していった話を聞いたのは大分たってからの事でした。母はこれは徳平(叔父の名前)に違いないと庭に飛び出して被っていた手間拭いを思い切り振り続けたと言うことを聞かされました。 今思えば玄室さんの点てたお茶を頂いたのかはわかりませんがせめて喉を潤してくれたことを想像でしかありませんが生きては帰りませんでした。祖母はそのことには一切 触れることはありませんでしたがどれ程つらい気持ちであったか今祖母も母も皆亡くなりました。78年たちこうしてお話下さる千玄室さんのお話はとても意義ある有り難いことだと思います。 ありがとうございます。
涙が止まりません。ありがとうございました。
私の亡父は対戦車爆雷を背負ってアメリカの戦車の下で自爆する特攻訓練を受けていました。中島飛行機の工場に動員されていた姉(私の伯母)をはじめとする大好きな人たちを鬼畜米英の魔手から守るためだと思っていたそうです。当時12歳。今なら小学校6年生です。
大切なお話しありがとうございました。
心揺さぶられるお話しをお聞かせいただき感謝いたします。大事にすべきものが何か心に刻みました。
米国のキッシンジャー元国務長官も100歳にして中国を今年訪問しましたが、この方も専門分野は異なるものの、20世紀の戦時を体験し、思考を重ねて今があると思います。それだけ人生で重く大きなことだったわけですね。
最高級のユウチューブでした。戦争の反対言葉は?平和…此の言葉に納得が行かなくて長いこと心にひっかかってました。その謎がとけました。76才。
私の叔父の草野達臣が よく千宗室さんの話しをしてました。叔父が住友電工の社長秘書室 に居た頃です。
合掌 ありがとうございます
特攻隊含め、太平洋戦争は近代日本で最も悲惨で悲しい出来事だと思います。特攻隊の隊員の皆さんはその悲惨な時代の犠牲者です。私の祖父も特攻隊の生き残りで、サバイバーズギルトに苦しんでいたと聞きました。そして無謀な作戦を命令した将校の多くは天寿を全うしました。絶対に許されないし、決して美化されるべき話ではないと思います。
ノーカット版、貴重な機会、ありがとうございます
平和は戦争の上に成り立つ言葉 なるほどなと思った。
千里同風 美しいですね😊
ありがとうございます。
良い事語ります。深い、感動。 素晴らしい方です。尊敬します。
35:55~「ガソリンもね松の根をね(笑)精油して混ぜて、まあ~ほんまに考えたらようあんなもん使っとったと。上へあがってから詰まるんですよ!プスン、バーン!そうするとエンジンをいっぺん止めて(空の)上でもういっぺんがぁあああとエンジンをかけ直さなあかん。こんなんで沖縄まで飛べるんかいやと。」 話がリアルで聞き入ると同時に、関西弁がなんとも味わい深くて面白い。
この方は歴史の生き証人。関東大震災前に生まれて、ここまでパワフルでしっかりした人も珍しい。 同い年の著名人に崇仁親王百合子様、司馬遼太郎、越路吹雪、村山富市がいる。 幼い頃は孫文、芥川龍之介、津田梅子、北里柴三郎、渋沢栄一、エジソン、宮澤賢治、マリ・キュリーも生きてた。 まだ生まれた時はボクト・ハーン政権で大モンゴル国もあった。今ももちろん存命中。男性は中々なれない、スーパーセンテナリアンも目指して欲しい。
叔父も海軍少尉でしたが、戦地には行かなかったようです。千氏と大変よく似た顔でした。
私たちが 戦争体験者のお話を聞ける最後の世代。でも私と同世代の人や周りの友達は戦争があったってこと、特攻作戦があったってことしか知らないしそれ以上を知ろうとしない、戦争の話苦手とか可哀想でやだとか避けてばかりです。 ロシアは昔の日本のようにウクライナを攻め、中国とアメリカ(台湾有事)の対立… もうそこまできてるってことを私たち若者も知っておかないとまた同じことの繰り返しになってしまいます。
@top326pond
5 ай бұрын
同世代の人も戦争について聞いたり調べたり、実はたくさんしてるかもしれない。多くの体験者がしばらく語りたがらないように、戦争についてその実を知った人もそれぞれの心に静かに抱えてることがあるのかもしれない。基本的には人前で配慮なくできる話ではないからな… みんなで考え続けるきっかけになるといいですね😊それを話し合える場がしっかりとあると良いと思います。
自分は生まれは佐賀県で両親が長崎県に小学生時移住して長崎県に住み長崎県では原爆の恐怖を教育されました😅だからじゃないですけど戦時の前後の時代の生活と興味ありまして!スナックとか居酒屋に来る戦時中の年配者に声をかけ戦時中ことを聞いてます!聞くとあのまっすぐな道は飛行機の滑走路!とか😅今仕事で吉野ケ里でいてあの特攻前にいた荒木幸雄さんに繋がり探り中!だけど荒木幸雄さんは寺の人しか関わりない!その後鹿児島に飛びたった!らしい。
ミラクルです😮 太閤秀吉時代の🍵千利休にお会い出来た上にメッセージまで頂いた🙏
現在103歳くらいの兵学校出の士官と学徒の千さんとの対談が出来るといい
ふつう、凄い家系なら国はオッケーです。と言わないだろう。頭おかしいよ。政府は。歴史の宝だな。と思わないほどおかしかったんだな。
元軍人で帰還された方は、長生きの傾向があるように思います。青春時代に辛い経験をされた分長く人生を送りたい気持ちをお持ちなんですかね。
1人の人間として思いやりの心を持って、世界へ友好旅をされた結論として、武では征服出来ない。 必ず、文が勝利すると確信された。 未来に向かい、文が勝利をする心を持った人間が多く現れる事を願います。
ありがとうございました。
みんな仲良く、幸せに。和やかに(なごやかに)お茶を分け合い、喜びを分かち合いましょう。 お茶で、調和し、整え、深くこころを落ち着けて、豊かな静けさを。。。
私の父は予科練習生として訓練を重ねる中で終戦を迎えました。しかし当時は訓練よりも土木作業が中心。ドカレンと呼ばれ戦後は特攻くずれと揶揄されたそうです。 戦後、口にはしませんでしたが生き残ったことへの虚しさや手の平返しをした世間への怒り、日本民族を亡ぼしかけた国に対する大きな怒りを抱えていたようです。
生前の私の父親は階級の低い海軍の整備兵でした。学徒出身の士官はただ威張り散らし兵隊を殴ったり横暴極まりないと父親が言っていました。そこへ兵学校出身の士官が来て学徒の分際で生意気だとコテンパンに殴られました、そしてその兵学校出身の士官は兵隊に対して尊重した接し方をしてくれたと言っていました。
こんな誇り高い人になりたいものです。ジャニーズのジの字も、この人の前では、いえませんね。裏千家大宗匠どうぞ、いつまでもお元気で、茶人の指標となっていただくたいです。
ありがとうございます😊
あんな大変な経験を終えて15年後の同期会でまだ30代なのか、、
舞志飛滋賀空甲飛16期生で大津空の水上機の訓練を見ていました。
素晴らしいお話をありがとうございました
ご長寿おめでとう御座います。戦友西村も逝きました。戦後の日本人の壊され方を一番よく見てこられたお方でしょう。「軍に入る抵抗」かNHKらしい質問だ。兵隊さん万歳とお見送りした昭和一桁も今や卒寿超えです、「旗の波 昭和も遠く なりにけり」か。
51:12 ノーカット版と言いながらこの後カットされている。まずいことでも言ったのだろうか。
@user-mm2dd9md6b
11 ай бұрын
多分そうでしょうね。
私の!今は!亡き!父も海軍でしたが!潜水艦に配属されていた!事と戦艦大和を!極秘で!上官にみせられた話しかしてくれませんでした!確かに数学はできていました!このような!悲しい!話しを!してくださり!ありがとう御座いました!ご健康を!お祈り致します!!!!
0:47 Kensuke Okoshi
受け継ぎたい
祖父母の時代は千さんと同じ。生きることが自由意志に無かった時代、三島由紀夫は死に場所を探していたのだろう。千さんは生き残る理由があった。やはり生きるには使命があるべし。
So brave!
如何なる時も「和敬清寂」。
51:46 ここからだよなぁ。最近、失うものが何もない狂った国が攻めてきたら、こっちは「戦争は悪だ」と言って何もしないのは、平和主義ではないのよ。 守るもの(愛する人たち、家族。国ではない!)を守って狂った相手と戦うことは、もはや戦争ではないのよ。 原爆だけ反対じゃなくて戦争しちゃダメって考えようよ...