米倉斉加年と中谷一郎です
児玉が24時間以内に砲兵陣地の移動を高崎山へ転換命令したのは「重砲隊」であって敷設準備に数ヶ月を要し、砲床のコンクリート工事に1ヶ月を必要とする「28珊榴弾砲」ではありません。それらはすでに第2回総攻撃に前後する頃には別の場所に敷設が終わっており、明治37年9月20日に占領した南山坡山を観測点として10月1日から湾内の艦船にも命中弾を与え相当の損害を旅順艦隊にもたらしていたのです。その後11月の第3回総攻撃後半になって主攻方面を203高地に転換し28珊榴弾砲を203高地に打ち込んでいます。占領した後も確かに旅順残余艦隊を28珊榴弾砲で砲撃しますがあくまでも「観測を203高地からおこなった」だけであり、203高地そのものに28珊榴弾砲を移動・設置したわけではありません。また24時間で28珊榴弾砲が移動できるはずもありません。【資料動画 kzread.info/dash/bejne/nIqnq6dskt2tXbA.htmlの7:33当たり】
乃木希典は優秀だよ。司馬遼太郎の、史観に惑わされないで欲しい。
児玉源太郎は丹波哲郎のイメージが強いな・・・・
米倉さんは「坂の上の雲」では大山巌を演じてましたね。
地元の観光名所になっている。何度も日本人の友達を203高地に案内していた。
初めて出会った機関銃とかもう嘘。日本軍は機関銃をフランスからかなり輸入して相当数部隊に配備してる。機関銃ではないがガトリング砲も幕末からすでに持ってるから、連続して弾が出る兵器を知らないみたいな表現がおかしい。
同感‼️確かノルディンフェルト、ミトレイユーズ、マキシムビッカース(台湾討伐で輪王寺宮(北白川宮将軍が運用))、ホチキス、ガトリングと名だたる機関銃砲を片っ端から買い付けているしな。
28センチ榴弾砲を24時間で移動できるわけないやろ 重砲陣地だよ重砲陣地
司馬の乃木嫌いは有名。
坂の上の雲を読んだら分かるが、司馬は乃木よりも山県有朋と伊地知幸介が悪いと書いてる
I like the size of the cannons they used :3
やはり名役者はセリフの音階が見事だ
米倉斉加年と中谷一郎がなんだか釣り合わない気がするんですよねえ。 それで調べてみたら驚いた。米倉斉加年のほうが4つ年下だった! 中谷一郎、若々しすぎ!
陸軍司令部の乃木将軍の机になぜか風車が突き刺さって
米倉さん、ドラマ「坂の上の雲」では大山巌元帥の役でしたね。
米倉斉加年は大河でもいろんな役やってますねえ。 このドラマの主人公森鴎外役は江守徹でしたが、「坂の上の雲」では山県有朋でしたね。
実はあの旅順要塞は対15サンチ防御しかなかったようだ。何故か父はそれを見抜いた。それだけ陸上自衛隊工兵のレベルが高いのか…
昭和の時代、ソ連軍が北海道に上陸して来たら自衛隊は10分ももたないと言われた。 銃弾や砲弾がすぐなくなるんだという笑い話。 旅順から何も学んじゃいないってなとこだが、まあ、露助が上陸作戦なんかできやしないってことに確信持ってたんだろうけどな、自衛隊のプロの方々は。
映画二百三高地の方が乃木、児玉の関係から指揮権云々の言い方が遥かに好き。 司馬さんの小説はいわゆる司馬史観が好みでなく見てないのだけど。
日露戦争では、日本軍歩兵部隊に 陣地防御用であるマキシム機関銃の配備はありません この後立会いの外国武官が 母国で機関銃の重要性を説くが 第一次大戦まで 配備が重要視されていません。
マキシムはないけどフランスのホチキスの機関銃はあったぞ。
「第三軍の指揮権を暫くワシに譲れ」はリアルで笑えてきたw しかも乃木の描かれ方ただのボケジジイじゃんw 乃木に対する名誉毀損も良いとこだろw
そういうとこなんですよねえ。 今でこそ司馬のウソは喧伝されるようになったけど、これ連載当時にどんどん叩くべきとこじゃなかったのかよって。出版社やマスコミは金づるのドル箱作家様相手に文句は言わないゲスだからしょうがないけど、他の作家や歴史学者、評論家とかはなんで声を上げなかったんかいって。そういうのもあったけどみんなかき消された? しかし、せめて司馬が生きているうちに質すべきだったでしょうよ。それが司馬のためでもあったと思うんだがなあ。
@@user-yw2we5vb7z 司馬の生前にしばしば誤りは指摘されている。 元軍人の方から痛烈に批判されていたし、司馬の耳にも入っていたが、自分の意見をかたくなに変えず、結局修正はしなかったというのが実状。(司馬は映像化を拒み続けたが、この作品がでたらめであるという自覚はあったように思う) ということは皮肉にも、頑迷固陋の象徴として「坂の上の雲」の中で描かれた乃木と伊地知こそが、司馬遼太郎自身ということになるw
結局この指揮権移譲の件は当時の文書にも見当たらなければ、命令権者たる大山は勿論当の乃木と児玉にその他満洲軍や第3軍の参謀だった者たち誰一人としてそれがあったことを匂わせることを言い残してないよな。
@@chiyo0216 いや、最近の研究では指揮権移譲の文章は、確かに大山が児玉に渡している。 しかし、結局この指揮権委任状に基づいて、児玉が指揮権を握り、命令を下すことはなかった。
@@dodadi688 なるほど 余に代わり児玉を〜の書状はあったけど、実際に児玉が第3軍の指揮権を執ることはなかったが正しいのですね。
タイトル変更しておきました。 「司馬の創作」を追加。捏造とまでは言わないでおきました。
捏造、といっても何ら語弊のないレベルで(悪意をもって)やらかしてやがるけどね、司馬遼太郎は。
悪意はあるのかなあ?虚言癖?ってのとも違うかあ。 独自の説や解釈が世間に認められたり賞賛されてファンにもなってくれる。 そういうのに快感を得て調子こいちゃうのかもなあ。まるで教祖にでもなった気分? 面白い小説を書く物語作家でいればいいモノを、歴史研究家、学者気取りになったのが間違いの元。 それを許し権威にまでしちゃった外野(一般のファンも含めて)も悪いわ。
山中狭路 司馬遼太郎の小説はもう、独りよがりの決めつけのマンガですよ。 ブンヤ上がりなんだから、推して知るべしだね。 あの当時大半のヒトが有難がって、崇拝してたのが気持ち悪かった。 例えば、坂の上の雲のオープニングのナレーションのように、「この痛々しいばかりの高揚が分からなければ、この時代の歴史は理解出来ない」とか刷り込みしてくるのがとても嫌。 そんな些末な事は、歴史の理解に何も関係ない!
まあ小説として著作したものは、あくまでフィクションに分類され、ノンフィクションではないということになっていますから仕方が無いでしょうね。でも司馬の罪は大きいと思いますよ。 「空海の風景」でも意味の解釈においてその誤謬が顕著です。以下は私の所感です。 「空海の風景」の中で「新来の真言家は即ち筆授の相承を泯(ほろぼ)す」とは、伝教大師・最澄の著「依馮天台集(えひょうてんだいしゅう)」で伝教大師・最澄が弘法大師・空海の真言宗を破折した文である。 「筆授の相承」とは、本来は中国・唐代の真言宗の一行(いちぎょう)阿闍梨が、善無畏三蔵より筆受した「真言の相承」を指す。これを間違って解釈したのが司馬遼太郎である。 一行阿闍梨とは嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)について禅を学び、更に諸方で律蔵ならびに諸経論を研鑽し、また天台の教義にも通じていたといわれる。 善無畏が述べ、一行が記した「大日経疏(しょ)」は、まったく天台宗の立場で大日経を釈したものであった。しかし一行から時代が下って弘法大師・空海の伝えた東密では大日経を唯一絶対の法とし、天台法華を大日の三部より劣ると下(くだ)している。ゆえに伝教大師・最澄は「新来」すなわち「上代では無く」空海のもたらした「新来」の真言宗は善無畏・一行の筆授であるところの「真言の相承」を破ったもの(すなわち正しく相承していないもの)であるという意味が本来の「筆授の相承を泯す」という意味である。 だが司馬はこれを曲解し、真言という宗派は単に「経典」を筆授するだけ(教義の理解のみでは)では伝えられない奥義があるとして伝教大師が「筆授という古来からの伝統を破ったと空海を非難したもの」と解釈しているが、およそ一宗の創立者である最澄がそのようなことを理解出来ないはずも無かろう。でなければ天台宗で年分度者が12年間も山にこもって修行せねばならないというような筆授とはおよそほど遠い修行を課す必要もなかろう。要するに最澄が「依馮天台集」のなかで述べた「筆授」というのは、司馬がいうような教相でのみで理解するという事では無い。「筆授」とは善無畏と一行における真言宗でこそ重要とされているものなのである。司馬の解釈は本来とはまったく違っているのだ。 1
@@user-yw2we5vb7z さん 実は学徒出陣(当時大阪外国語学校のちの大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)で陸軍に入り、それがキッカケで大の陸軍嫌いになった、それが坂の上の雲始め執筆に相当影響していると言われています。
西南戦争で連隊旗を奪われてしまったので戦下手のイメージからこうなってしまったのでしょうか
事実と完全に異なるフィクションが、公然と映像化されていることに驚きを禁じ得ない! 乃木の名誉棄損も甚だしい! 本来ならば、裁判に欠けられたら名誉棄損で有罪ものである!
この時代の日本陸軍は兵隊の特攻しか術がないのに、要塞なんて築かれてる旅順を落とせと理不尽な指示をした上が悪い。
確かにな。元自衛隊幹部だった親父や叔父に聞いたが要塞を落とすには工兵による坑道作業で穴を掘り真下に爆薬を仕掛け爆破破壊するか火炎放射器による破壊しかないとの事。今なら空爆や戦車による砲撃だがな。
日本に限らず要塞を落とすのは歩兵の突入だし、旅順を放置したら満州の本隊が背後を突かれる恐れがあるのと旅順艦隊の無力化(実際は黄海の海戦で既に無力化同然だったが)という目的があるのだから攻略は必要不可欠だった。
事前砲撃の事知らなそう
司馬遼太郎のお陰で愚将というイメージがついてしまった乃木希典だが、そもそも司馬遼太郎は学徒出陣で陸軍に入ってそれ以降大の陸軍嫌いになったという事を理解しないと話が始まらない。坂の上の雲はあくまでも秋山兄弟を中心に描いてはいるが。 実際旅順攻撃は「海軍では荷が重いので陸から攻撃してくれ。期限はバルチック艦隊が日本に来るまで。」という事で計画されたもので、実はロシア軍が旅順を要塞化それもコンクリートを多用した世界初(最重要)の要塞だという事を大本営は理解していなかった(せいぜい日清戦争の旅順要塞を少し強化した程度に思ってた)。なので、当時どこの国の軍隊がやっていない即ち成功例も失敗例もマニュアルもない状況で攻撃しなければならないという事を理解しないとならない(そりゃ戦国自衛隊みたいにタイムスリップやドラえもんがひみつ道具出しまくったら話は別だけど)。事実、第一次総攻撃が失敗に終わった後、塹壕やそれこそトンネル掘って攻撃を仕掛けてアシストしている。この時の攻撃は特に工兵隊の参考資料として記録されているという(じゃあ第一次世界大戦の欧州戦線で参考にしなかったのって言われるかもしれない)。 児玉源太郎が旅順の第三軍司令部に赴いたのは事実だが、大山巌満州軍総司令官に「危ないから一時的に指揮をとります(これは越権行為です)」と断って出張っている(大山の答えは「わかった、早く帰ってきてね」)。なお児玉が乃木を罵倒したとされているのは捏造で、うまく言いくるめて指揮権委譲を受けている、また参謀に対しては烈火の如く怒りまくっていた様で、そのキッカケは伊地知第三軍参謀長が「弾薬がないから攻撃に支障が」と答えて児玉が「お前ら優先的に回されているのに(歴史的事実)何言ってるんじゃワレゴルァ!お前はアホか!ふざけるなボケナスマヌケ!※意訳」と激しく罵っている。児玉が乃木に指揮権委譲を迫った殺し文句は「これ以上陛下の赤子たる兵を殺すわけにはいかんだろ。お前が苦労したおかげで妙案ができた」。 なお児玉が向かっている途中実は二百三高地は一回奪取したが攻防戦の末奪い返されている。この旅順市街突入から二百三高地攻撃に切り替えたのは実は乃木であって児玉が到着し指揮権委譲後児玉が命令したものではない。
司馬遼太郎に洗脳されていた父親にホウテンの回戦を知って欲しい
「ホウテンの会戦」ね。
奉天の会戦な!因みに奉天の会戦の何を知って欲しいの?
乃木大将の働き。父親は乃木は無能で、児玉がいなければなにもできない、ただの突撃野郎だと思っていた笑
坂の上の雲も奉天会戦詳細に描いてませんでした?
風車の源太郎
児玉の関与が203高地奪取に関係してなくても 児玉の素晴らしさは全く損なわれてないし 乃木は乃木でまた素晴らしいと思う 明治国家の成長とともに送った彼らの人生を 司馬は文学的に美しいと賛美したわけで。 司馬は別に乃木をさげてないよ。 司馬の殉死をよく読め お前ら
昭和56年TVドラマなんだからミリオタは細かい突っ込みいれてやるなよ
40年前か…
んだんだ。 考証の程度ってもんもあったろうし。
6:01
私は乃木将軍を同胞を無駄死にさせたと最近まで誤解していました。郷土の神社に祀られている乃木将軍の像は戦前の日本人が乃木将軍の事を正しく理解していたと解ります。 像を大切にします。
結果的に乃木大将以外旅順は落とせなかった!
ツッコみどころの多い動画なんだろうな・・・とはハナから覚悟してたが、むしろツッコみどころしかない動画とはなw
旅順のロケ地が日本アルプスのどこかじゃないかと思うほど急な山岳地形だし、28サンチ砲の射撃シーンがグダグダでガバガバすぎて草
飛行機がまだないから、正面突破しか戦法が無かった。
にしても他に方法がなかったのかと ローマ帝国時代と時代と変わらないやん(笑)
工兵による坑道戦とかやれることはあったんじゃないかな 工兵出身の上原勇作(当時の第四軍の参謀長)も旅順攻略の反省点として工兵の要塞攻略の練度不足を挙げてたらしいし
戦車すら ない時代だし
あれ? 仲代達矢と丹波哲郎とちゃうん?
司馬史観は今や否定された
しかしこの旅順は実際に現地に行ってみらんとわからんな。おそらく俺の感だと203高地以外にもっといい占領目標がありそうな気がする。実際に地図でも日本の佐世保と似たような地形だし。
南アルプスとかで撮影してるな、
旅順攻略戦は203高地ばかりが注目されるけれど、203高地の奪取は要塞攻略にはさほど影響してないんだよね。 要塞守備隊が降伏した主な理由は兵力の枯渇で、結局のところ当時としては消耗戦以外に要塞攻略に有効な手段はなかったと言える。派手な軍服で戦争をしていても、戦闘自体は地味なものだね。
203高地以前にそもそも旅順攻略自体がオマケの作戦でしたからね。 それが陸軍の日露戦争の象徴になっちゃった。 主役でも何でもない乃木が大スターになるしね。面白いと言えば面白いんだろうかねえ?
オマケというのはさすがに言い過ぎだと思いますよ。満州での露軍主力との決戦には、旅順要塞の陸軍戦力と旅順艦隊の無力化が不可欠でしたから。 乃木将軍が英雄視されるのは、やはり人々が英雄を欲していたからなんでしょうね。陸戦では日本海海戦のような華々しい勝利はありませんから。 そこに、息子をはじめ多くの部下を失いつつも要塞を陥落させた功績と、水師営の会談に代表される高潔さを併せ持った人物が現れた。英雄とするには申し分ないですよね。 もっとも、これ以降の時代においては指揮官クラスがいかに優秀でも大局は動かせないのですが……
英雄候補は他にもナンボでもいたけど乃木が突出した。 実力=人気とはならんのは、古今東西よくあることですが。 当時は乃木に接した人は、その精神性とやらに魅力を感じた人が多かったそうですが、現代で乃木に魅力を感じたり神格化したりする人は、どういったとこがいいんでしょうかねえ? このドラマで描かれてるような「悩める乃木」像は自分は好きですけどね。
@@user-yw2we5vb7z オマケという表現にひねくれた人間性が現れていますよ。 陸軍と海軍では目的行動が異なることをご理解できないのかナ。 203攻略はいわば陸海共同旅順港残戦駆逐・・・しかも弾薬は陸軍持ち。元来旅順に軍艦がいても第3軍は脅威でもなんでもない。 陸軍としては可否はともかく一刻も早く旅順要塞を落としさらに北へ進み(想定決戦たる)奉天回戦に早く対応すること、海軍の要望など本来二の次。 日露戦争の天王山は「日本海海戦」と考える人が多いいじょう旅順港駆逐は価値がある。
@@user-yw2we5vb7z 日本の陸海軍に「英雄」は存在しません。 天皇陛下に対し責任を全うしたか否かだけです。「実力=人気」はじめから一致するものではない。絵になる、小説になる、映画になる、だから英雄のように感じる人が出てくる、それは自然の成り行きというもの。「英雄候補は他にもナンボでも」というのなら10年飛んで日清戦争の英雄候補を挙げてみてください。共感はされないと思うし大抵は「だれそれ?」の世界だと思います。(逆に30年飛んで山本五十六はなしで)
旅順攻撃での乃木第三軍の損耗は確かに甚大だつたが当時のこの規模の要塞攻略戦としてみたときほんたうにさう非難されるやうな戦ひ方だつたのか。冷静で客観的な研究が必要であらう。司馬遼太郎の小説は小説として読めばいい。だが作り出されたイメージに引き摺られてはいけない。
あれだけの損害出してるんだもん、仮に成功してたって非難されるのはしょうがない。 児玉が来て作戦変えたら成功したんだから、乃木軍のやり方は間違ってたのさ。 しかし最近は乃木がどうのこうのじゃなく、旅順艦隊を砲撃で沈めること自体やらんでも良かったことって言われてるのね。もう旅順艦隊は動けなかった、そういう情報もあったが海軍は信じなかった。 やらないでもいいことをやってあんなに死傷者出したって、ますます乃木が、いや犠牲になった将兵が哀れになるなあ。
@@user-yw2we5vb7z 実際に乃木は実力もあった。 203高地奪取は別に児玉が来て作戦を変えたから成功したわけじゃありませんよ。これは司馬が広めた嘘話です。 乃木の参謀たちは優秀な人が多いです。司馬は伊地知を無能の代名詞のように描いていますが、実は超優秀な参謀です。(出世も常に同期の誰よりも早かった) 確かに203高地を奪取する以前、すなわちナマコ山を奪取して以降、旅順艦隊は使えない状態になっていた。しかしナマコ山では旅順港のすべてを見渡せることができず、旅順艦隊はナマコ山からでは見ることができないところに隠れてしまった。 だから旅順艦隊撃滅という報は推測の域を出ないと海軍は判断して、陸軍に203高地攻略を強く要請したのです。 さらに、他の人が指摘しているように、乃木としてはロシア兵を消耗させねば、旅順を陥落できないと判断して203高地を決戦の地として、消耗戦にもっていった。 近代戦とはこちらが無傷で勝利をおさめることは不可能なんだから、大きな犠牲を払っても目的が達成されれば有能なのです。 旅順陥落はやらなくてゃいいわけではなく、世界の人が旅順攻囲戦を注視しているわけだから、陥落することができれば、日本が勝っているという印象を世界の人に与えることができ、外債を売ることが容易にできるのです。 だから戦略上、日本としては多大な犠牲を払ってでも旅順を陥落させねばならなかった。 それに旅順陥落をきっかけとして、ロシア国内で「もはやこの戦争は勝てない」という観測が広まり、血の日曜日事件が起きたのだから、やはり旅順は陥落させねばいけなかった。
軍人の出世は、実力や実績とは比例しないけどな。 乃木や伊地知にどんな実力があろうが、死屍累々を築いたのは事実。司馬がどう描いたかは関係ない。結果がすべてだと思うわ、軍人の評価は。20サンチ砲を持ってくるという単純なことができなかった乃木と伊地知は、この旅順においては無能でしかなかったのさ。
@@user-yw2we5vb7z まず20サンチ砲じゃなく28センチ(サンチ)榴弾砲な。 司馬は頭の固い伊地知が28センチ榴弾砲をかたくなに拒否したと書いていが、これもでたらめ。 司馬がどう描いたか関係ないというが、乃木及び伊地知が28センチ榴弾砲を拒否したという事実はない。むしろ送ってくれという電報を東京の大本営に打っている。 それに28センチ榴弾砲があれば旅順を容易に落とせるほど、近代要塞戦は生易しいものではない。 死屍累々と言うが旅順陥落における日本軍の死傷者は、極めて少ないぞ。 これはあくまで比較の問題。旅順攻囲戦というのは近代要塞戦なんだから、前近代の要塞戦と比較しても意味がない。 例えば、 クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数12万8千。攻防戦10か月。 第二次世界大戦のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数10万人。攻防戦10か月。 第一次世界大戦のベルダン要塞攻防戦では、両軍合わせて死者70万人。 これらと比較するに、旅順攻囲戦の攻撃側死者数はわずか1万5千人。さらに5か月で陥落させている。 さらに言えばクリミア戦争のセヴァストポリ要塞と比較して、旅順要塞は実にセヴァストポリの6つを合わせたぐらいの堅牢さをほこっていた。 また敵将クロパトキン将軍は、ヨーロッパ最強の陸軍がいかなる強力な兵器を使おうとも、3年以上は守ることができると豪語していた。それをわずか5か月で陥落させたのだから、これだけでもって乃木は名将といえる。 わずかな死傷者数と期間で旅順を陥落させた乃木を世界の人々は驚嘆し、クロパトキン大将は恐れおののいた。 結果がすべてだと思うのであれば、司馬のデマに騙されずに虚心坦懐に資料を見れば、明らかに乃木は名将だろう。こんな実績を成し遂げた将軍は他にいない。奉天会戦の活躍も含めて。
いったい何しに児玉は現地へ行った?司馬の創作なのかね? 児玉が出張ってきた、それで話は終わりじゃん。 乃木軍首脳が有能か無能かなんて議論するまでもないんだ、アンタら失格、クビってことだろ。 児玉が来なくてもどうにかできたっていえるかもしれんがそれはタラレバだし、望みも薄かったし言い訳にしかならな。 まあ近代の要塞攻防戦を知らなかった大本営が悪いし、乃木や伊地知は、同じように知らないながらもよくやったって評価はできるかもしれんが、どう転んでも「名」なんて形容は付けようはないな。 (乃木の統帥者としての能力は除く、といっても軍司令官の価値はそっちのほうがでかいんだろうけどさ)
TBSの3時間ドラマ「獅子の如く」からでしょうか。児玉のような合理的な男が帝国陸軍にはもっと必要だった。児玉がいなければ日露戦争には勝てなかったのに乃木希典は日露戦争いや明治という時代の象徴になったことが、その後の帝国陸軍、大日本帝国の悲劇に繋がったと思う。日本人は壮絶と言う言葉が大好きだ。死体の山を築きそこに日章旗を掲げなければ気がすまない民族へとなって行く。陸軍の戦術は日露戦争から太平洋戦争まで全く変わらない。機関銃だろうが戦車だろうがひたすら歩兵による銃剣突撃あるのみ。
そうです、「獅子のごとく」。ご存知の方もいましたか。 勝った勝ったで、まずかったところを隠ぺいしてしまった。それが日本の転落の始まりとか司馬も言ってましたな。 しかし日露戦争の時は昭和とは違いずいぶん合理的でしたでしょ。 同じなのは、持たないもの(物資や兵器弾薬の寡少)の無理やりなとこ。 これはもしかすると日本だけの話じゃないかもしれない。 ただ他の国だったら、兵力足りなかったら日本みたいに立ち上がりはしない、あるいはとっとと降伏するってのが違うかな?
司馬史観全快すぎだし、そもそも日本陸軍のドクトリン自体は上海事変あたりで戦闘群による浸透戦術に変化を遂げていて、機関銃陣地に掩護もなく突っ込むような戦法じゃねえよ。 日本人は云々のくだりなら青島の攻略の内容くらい調べてからぬかせ それとも対戦車火器の一つたりとも日本軍にはなかったとでも思ってんのか? だいたい戦車への肉薄攻撃なんざ他国でもやってるわ
満州軍の参謀の中に「冬季にロシア軍の大規模攻勢は無い」と断じて、秋山支隊の警報を無視し続けて黒溝台会戦で危うく満州軍を壊滅させかねなかった人がいたような。
『獅子のごとく』リアルタイムで見てました。 森鴎外(江守徹)の生涯を描いたドラマですが、児玉源太郎役が中谷一郎さんだったので、「弥七」が児玉を演っていると妙に記憶に残ってます。
軽そうな28サンチ砲だな
乃木希典 有日本戰神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。
抗日奇侠 乃木希典
乃木大将というのはこの戦いに関して言えば愚将の最たるものだが、太平洋戦争の時の連中と比べれば全然まし。
このドラマの児玉のセリフじゃないが、参謀が悪いんだよね。あと大本営も悪い。 乃木に限らず、軍司令官って作戦立てられないし、参謀いなきゃイクサはできん。 しかし責任は大将がとる。結果が良けりゃ称賛されるし悪ければ叩かれる。本人の能力は全く関係なしにだ。 思えば乃木の評価が、愚将と名将と両方あるのは、要は旅順攻略戦の成否に乃木の力は何も関与してないってことの証左のようだわ。 乃木以外の3人の司令官及び大親分の大山巌に関して、この日露戦争で名将だったのか愚だったのかってほとんど語られないのも面白いというか、なんだかいい加減だなーという気もするが、結局総大将って戦術的な勝ち負けに大して影響はないってことだわな。統帥だけが仕事。
現場より大本営の方がダメだったのではないですかね。旅順艦隊は第三軍の28サンチ砲でかなりダメージを与えた模様と打電している。それをあえて203高地を奪取せよとの命令をしているのはいかがなものかと。
何を以て愚将と吐き捨てるのか謎 第二次総攻撃以降は強襲を改めて塹壕と坑道を掘る地道で堅実な正攻法により攻略し死者を抑えたといえる。
@@user-yw2we5vb7z 日露戦争に関する最新研究読んでいると現場の人間は優秀だが満洲軍総司令部のグダグダがすごい。 児玉源太郎も実はそんなに優秀な参謀ではないのではないかと思うようになりましたね。 台湾統治に関しては優れていましたが。
日本軍って突っ込むの好きだよな。 当時の日本人気質なのかな?
他にやり方ないんだもん。 塹壕ほりほり、坑道作戦ってのも併用したけど、時間かかり過ぎだし。 突っ込む前に大砲撃ちまくれって言ったって、弾がありゃせんだのだ。 結局は消耗覚悟で突っ込むしかねー。 早く落とせってプレッシャーきっついしさ。
明治維新からまだそんな経ってないからまだそういう原始的なドクトリンしかなかったんだと思う
@@user-yw2we5vb7z 第一次世界大戦がまさに日露戦争って感じですからね。 日露戦争は第零次世界大戦と言う歴史家もいるくらいですから。
突撃するにも夜陰に紛れて奇襲するとかラッパで敵にこれから突撃しまーす♫ってフェイントかまして囮にして注意を引いて裏から回り込むとかなら分かるけど、敵にこれからの予定を教えてそのまま突撃とか撃って下さいと言わんばかりの戦法はアホ丸出しとしか言いようがないな笑笑 太平洋戦争でも突撃ラッパ鳴らして正面攻撃とか何回失敗しても繰り返してりゃ負けるわな
Пікірлер: 134
児玉が24時間以内に砲兵陣地の移動を高崎山へ転換命令したのは「重砲隊」であって敷設準備に数ヶ月を要し、砲床のコンクリート工事に1ヶ月を必要とする「28珊榴弾砲」ではありません。それらはすでに第2回総攻撃に前後する頃には別の場所に敷設が終わっており、明治37年9月20日に占領した南山坡山を観測点として10月1日から湾内の艦船にも命中弾を与え相当の損害を旅順艦隊にもたらしていたのです。その後11月の第3回総攻撃後半になって主攻方面を203高地に転換し28珊榴弾砲を203高地に打ち込んでいます。占領した後も確かに旅順残余艦隊を28珊榴弾砲で砲撃しますがあくまでも「観測を203高地からおこなった」だけであり、203高地そのものに28珊榴弾砲を移動・設置したわけではありません。また24時間で28珊榴弾砲が移動できるはずもありません。【資料動画 kzread.info/dash/bejne/nIqnq6dskt2tXbA.htmlの7:33当たり】
乃木希典は優秀だよ。司馬遼太郎の、史観に惑わされないで欲しい。
児玉源太郎は丹波哲郎のイメージが強いな・・・・
米倉さんは「坂の上の雲」では大山巌を演じてましたね。
地元の観光名所になっている。何度も日本人の友達を203高地に案内していた。
初めて出会った機関銃とかもう嘘。日本軍は機関銃をフランスからかなり輸入して相当数部隊に配備してる。機関銃ではないがガトリング砲も幕末からすでに持ってるから、連続して弾が出る兵器を知らないみたいな表現がおかしい。
@user-po3st9hg2w
8 ай бұрын
同感‼️確かノルディンフェルト、ミトレイユーズ、マキシムビッカース(台湾討伐で輪王寺宮(北白川宮将軍が運用))、ホチキス、ガトリングと名だたる機関銃砲を片っ端から買い付けているしな。
28センチ榴弾砲を24時間で移動できるわけないやろ 重砲陣地だよ重砲陣地
司馬の乃木嫌いは有名。
@yama9234
Жыл бұрын
坂の上の雲を読んだら分かるが、司馬は乃木よりも山県有朋と伊地知幸介が悪いと書いてる
I like the size of the cannons they used :3
やはり名役者はセリフの音階が見事だ
@user-yw2we5vb7z
3 жыл бұрын
米倉斉加年と中谷一郎がなんだか釣り合わない気がするんですよねえ。 それで調べてみたら驚いた。米倉斉加年のほうが4つ年下だった! 中谷一郎、若々しすぎ!
陸軍司令部の乃木将軍の机になぜか風車が突き刺さって
米倉さん、ドラマ「坂の上の雲」では大山巌元帥の役でしたね。
@user-yw2we5vb7z
3 жыл бұрын
米倉斉加年は大河でもいろんな役やってますねえ。 このドラマの主人公森鴎外役は江守徹でしたが、「坂の上の雲」では山県有朋でしたね。
実はあの旅順要塞は対15サンチ防御しかなかったようだ。何故か父はそれを見抜いた。それだけ陸上自衛隊工兵のレベルが高いのか…
@user-yw2we5vb7z
8 ай бұрын
昭和の時代、ソ連軍が北海道に上陸して来たら自衛隊は10分ももたないと言われた。 銃弾や砲弾がすぐなくなるんだという笑い話。 旅順から何も学んじゃいないってなとこだが、まあ、露助が上陸作戦なんかできやしないってことに確信持ってたんだろうけどな、自衛隊のプロの方々は。
映画二百三高地の方が乃木、児玉の関係から指揮権云々の言い方が遥かに好き。 司馬さんの小説はいわゆる司馬史観が好みでなく見てないのだけど。
日露戦争では、日本軍歩兵部隊に 陣地防御用であるマキシム機関銃の配備はありません この後立会いの外国武官が 母国で機関銃の重要性を説くが 第一次大戦まで 配備が重要視されていません。
@chiyo0216
4 жыл бұрын
マキシムはないけどフランスのホチキスの機関銃はあったぞ。
「第三軍の指揮権を暫くワシに譲れ」はリアルで笑えてきたw しかも乃木の描かれ方ただのボケジジイじゃんw 乃木に対する名誉毀損も良いとこだろw
@user-yw2we5vb7z
4 жыл бұрын
そういうとこなんですよねえ。 今でこそ司馬のウソは喧伝されるようになったけど、これ連載当時にどんどん叩くべきとこじゃなかったのかよって。出版社やマスコミは金づるのドル箱作家様相手に文句は言わないゲスだからしょうがないけど、他の作家や歴史学者、評論家とかはなんで声を上げなかったんかいって。そういうのもあったけどみんなかき消された? しかし、せめて司馬が生きているうちに質すべきだったでしょうよ。それが司馬のためでもあったと思うんだがなあ。
@dodadi688
4 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z 司馬の生前にしばしば誤りは指摘されている。 元軍人の方から痛烈に批判されていたし、司馬の耳にも入っていたが、自分の意見をかたくなに変えず、結局修正はしなかったというのが実状。(司馬は映像化を拒み続けたが、この作品がでたらめであるという自覚はあったように思う) ということは皮肉にも、頑迷固陋の象徴として「坂の上の雲」の中で描かれた乃木と伊地知こそが、司馬遼太郎自身ということになるw
@chiyo0216
4 жыл бұрын
結局この指揮権移譲の件は当時の文書にも見当たらなければ、命令権者たる大山は勿論当の乃木と児玉にその他満洲軍や第3軍の参謀だった者たち誰一人としてそれがあったことを匂わせることを言い残してないよな。
@dodadi688
4 жыл бұрын
@@chiyo0216 いや、最近の研究では指揮権移譲の文章は、確かに大山が児玉に渡している。 しかし、結局この指揮権委任状に基づいて、児玉が指揮権を握り、命令を下すことはなかった。
@chiyo0216
4 жыл бұрын
@@dodadi688 なるほど 余に代わり児玉を〜の書状はあったけど、実際に児玉が第3軍の指揮権を執ることはなかったが正しいのですね。
タイトル変更しておきました。 「司馬の創作」を追加。捏造とまでは言わないでおきました。
@LaVieEnRose1981
5 жыл бұрын
捏造、といっても何ら語弊のないレベルで(悪意をもって)やらかしてやがるけどね、司馬遼太郎は。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
悪意はあるのかなあ?虚言癖?ってのとも違うかあ。 独自の説や解釈が世間に認められたり賞賛されてファンにもなってくれる。 そういうのに快感を得て調子こいちゃうのかもなあ。まるで教祖にでもなった気分? 面白い小説を書く物語作家でいればいいモノを、歴史研究家、学者気取りになったのが間違いの元。 それを許し権威にまでしちゃった外野(一般のファンも含めて)も悪いわ。
@sanbuta7873
4 жыл бұрын
山中狭路 司馬遼太郎の小説はもう、独りよがりの決めつけのマンガですよ。 ブンヤ上がりなんだから、推して知るべしだね。 あの当時大半のヒトが有難がって、崇拝してたのが気持ち悪かった。 例えば、坂の上の雲のオープニングのナレーションのように、「この痛々しいばかりの高揚が分からなければ、この時代の歴史は理解出来ない」とか刷り込みしてくるのがとても嫌。 そんな些末な事は、歴史の理解に何も関係ない!
@aidahopoteto5723
3 жыл бұрын
まあ小説として著作したものは、あくまでフィクションに分類され、ノンフィクションではないということになっていますから仕方が無いでしょうね。でも司馬の罪は大きいと思いますよ。 「空海の風景」でも意味の解釈においてその誤謬が顕著です。以下は私の所感です。 「空海の風景」の中で「新来の真言家は即ち筆授の相承を泯(ほろぼ)す」とは、伝教大師・最澄の著「依馮天台集(えひょうてんだいしゅう)」で伝教大師・最澄が弘法大師・空海の真言宗を破折した文である。 「筆授の相承」とは、本来は中国・唐代の真言宗の一行(いちぎょう)阿闍梨が、善無畏三蔵より筆受した「真言の相承」を指す。これを間違って解釈したのが司馬遼太郎である。 一行阿闍梨とは嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)について禅を学び、更に諸方で律蔵ならびに諸経論を研鑽し、また天台の教義にも通じていたといわれる。 善無畏が述べ、一行が記した「大日経疏(しょ)」は、まったく天台宗の立場で大日経を釈したものであった。しかし一行から時代が下って弘法大師・空海の伝えた東密では大日経を唯一絶対の法とし、天台法華を大日の三部より劣ると下(くだ)している。ゆえに伝教大師・最澄は「新来」すなわち「上代では無く」空海のもたらした「新来」の真言宗は善無畏・一行の筆授であるところの「真言の相承」を破ったもの(すなわち正しく相承していないもの)であるという意味が本来の「筆授の相承を泯す」という意味である。 だが司馬はこれを曲解し、真言という宗派は単に「経典」を筆授するだけ(教義の理解のみでは)では伝えられない奥義があるとして伝教大師が「筆授という古来からの伝統を破ったと空海を非難したもの」と解釈しているが、およそ一宗の創立者である最澄がそのようなことを理解出来ないはずも無かろう。でなければ天台宗で年分度者が12年間も山にこもって修行せねばならないというような筆授とはおよそほど遠い修行を課す必要もなかろう。要するに最澄が「依馮天台集」のなかで述べた「筆授」というのは、司馬がいうような教相でのみで理解するという事では無い。「筆授」とは善無畏と一行における真言宗でこそ重要とされているものなのである。司馬の解釈は本来とはまったく違っているのだ。 1
@user-uc8oe6gi5p
2 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z さん 実は学徒出陣(当時大阪外国語学校のちの大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)で陸軍に入り、それがキッカケで大の陸軍嫌いになった、それが坂の上の雲始め執筆に相当影響していると言われています。
西南戦争で連隊旗を奪われてしまったので戦下手のイメージからこうなってしまったのでしょうか
事実と完全に異なるフィクションが、公然と映像化されていることに驚きを禁じ得ない! 乃木の名誉棄損も甚だしい! 本来ならば、裁判に欠けられたら名誉棄損で有罪ものである!
この時代の日本陸軍は兵隊の特攻しか術がないのに、要塞なんて築かれてる旅順を落とせと理不尽な指示をした上が悪い。
@user-tc3zs4to6u
5 жыл бұрын
確かにな。元自衛隊幹部だった親父や叔父に聞いたが要塞を落とすには工兵による坑道作業で穴を掘り真下に爆薬を仕掛け爆破破壊するか火炎放射器による破壊しかないとの事。今なら空爆や戦車による砲撃だがな。
@chiyo0216
4 жыл бұрын
日本に限らず要塞を落とすのは歩兵の突入だし、旅順を放置したら満州の本隊が背後を突かれる恐れがあるのと旅順艦隊の無力化(実際は黄海の海戦で既に無力化同然だったが)という目的があるのだから攻略は必要不可欠だった。
@user-gift-2753
4 ай бұрын
事前砲撃の事知らなそう
司馬遼太郎のお陰で愚将というイメージがついてしまった乃木希典だが、そもそも司馬遼太郎は学徒出陣で陸軍に入ってそれ以降大の陸軍嫌いになったという事を理解しないと話が始まらない。坂の上の雲はあくまでも秋山兄弟を中心に描いてはいるが。 実際旅順攻撃は「海軍では荷が重いので陸から攻撃してくれ。期限はバルチック艦隊が日本に来るまで。」という事で計画されたもので、実はロシア軍が旅順を要塞化それもコンクリートを多用した世界初(最重要)の要塞だという事を大本営は理解していなかった(せいぜい日清戦争の旅順要塞を少し強化した程度に思ってた)。なので、当時どこの国の軍隊がやっていない即ち成功例も失敗例もマニュアルもない状況で攻撃しなければならないという事を理解しないとならない(そりゃ戦国自衛隊みたいにタイムスリップやドラえもんがひみつ道具出しまくったら話は別だけど)。事実、第一次総攻撃が失敗に終わった後、塹壕やそれこそトンネル掘って攻撃を仕掛けてアシストしている。この時の攻撃は特に工兵隊の参考資料として記録されているという(じゃあ第一次世界大戦の欧州戦線で参考にしなかったのって言われるかもしれない)。 児玉源太郎が旅順の第三軍司令部に赴いたのは事実だが、大山巌満州軍総司令官に「危ないから一時的に指揮をとります(これは越権行為です)」と断って出張っている(大山の答えは「わかった、早く帰ってきてね」)。なお児玉が乃木を罵倒したとされているのは捏造で、うまく言いくるめて指揮権委譲を受けている、また参謀に対しては烈火の如く怒りまくっていた様で、そのキッカケは伊地知第三軍参謀長が「弾薬がないから攻撃に支障が」と答えて児玉が「お前ら優先的に回されているのに(歴史的事実)何言ってるんじゃワレゴルァ!お前はアホか!ふざけるなボケナスマヌケ!※意訳」と激しく罵っている。児玉が乃木に指揮権委譲を迫った殺し文句は「これ以上陛下の赤子たる兵を殺すわけにはいかんだろ。お前が苦労したおかげで妙案ができた」。 なお児玉が向かっている途中実は二百三高地は一回奪取したが攻防戦の末奪い返されている。この旅順市街突入から二百三高地攻撃に切り替えたのは実は乃木であって児玉が到着し指揮権委譲後児玉が命令したものではない。
司馬遼太郎に洗脳されていた父親にホウテンの回戦を知って欲しい
@aidahopoteto5723
4 жыл бұрын
「ホウテンの会戦」ね。
@kyotonsan7863
3 жыл бұрын
奉天の会戦な!因みに奉天の会戦の何を知って欲しいの?
@user-uy3do5zl5y
3 жыл бұрын
乃木大将の働き。父親は乃木は無能で、児玉がいなければなにもできない、ただの突撃野郎だと思っていた笑
@chirokazama4558
3 жыл бұрын
坂の上の雲も奉天会戦詳細に描いてませんでした?
風車の源太郎
児玉の関与が203高地奪取に関係してなくても 児玉の素晴らしさは全く損なわれてないし 乃木は乃木でまた素晴らしいと思う 明治国家の成長とともに送った彼らの人生を 司馬は文学的に美しいと賛美したわけで。 司馬は別に乃木をさげてないよ。 司馬の殉死をよく読め お前ら
昭和56年TVドラマなんだからミリオタは細かい突っ込みいれてやるなよ
@user-vd1jw9nf8u
2 жыл бұрын
40年前か…
@user-wo9om2ec4v
2 жыл бұрын
んだんだ。 考証の程度ってもんもあったろうし。
6:01
私は乃木将軍を同胞を無駄死にさせたと最近まで誤解していました。郷土の神社に祀られている乃木将軍の像は戦前の日本人が乃木将軍の事を正しく理解していたと解ります。 像を大切にします。
結果的に乃木大将以外旅順は落とせなかった!
ツッコみどころの多い動画なんだろうな・・・とはハナから覚悟してたが、むしろツッコみどころしかない動画とはなw
@chiyo0216
4 жыл бұрын
旅順のロケ地が日本アルプスのどこかじゃないかと思うほど急な山岳地形だし、28サンチ砲の射撃シーンがグダグダでガバガバすぎて草
飛行機がまだないから、正面突破しか戦法が無かった。
@user-fr9ob5dq9e
2 жыл бұрын
にしても他に方法がなかったのかと ローマ帝国時代と時代と変わらないやん(笑)
@user-hx3vr6sj1t
2 жыл бұрын
工兵による坑道戦とかやれることはあったんじゃないかな 工兵出身の上原勇作(当時の第四軍の参謀長)も旅順攻略の反省点として工兵の要塞攻略の練度不足を挙げてたらしいし
@hikakin_mania440
Жыл бұрын
戦車すら ない時代だし
あれ? 仲代達矢と丹波哲郎とちゃうん?
司馬史観は今や否定された
しかしこの旅順は実際に現地に行ってみらんとわからんな。おそらく俺の感だと203高地以外にもっといい占領目標がありそうな気がする。実際に地図でも日本の佐世保と似たような地形だし。
南アルプスとかで撮影してるな、
旅順攻略戦は203高地ばかりが注目されるけれど、203高地の奪取は要塞攻略にはさほど影響してないんだよね。 要塞守備隊が降伏した主な理由は兵力の枯渇で、結局のところ当時としては消耗戦以外に要塞攻略に有効な手段はなかったと言える。派手な軍服で戦争をしていても、戦闘自体は地味なものだね。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
203高地以前にそもそも旅順攻略自体がオマケの作戦でしたからね。 それが陸軍の日露戦争の象徴になっちゃった。 主役でも何でもない乃木が大スターになるしね。面白いと言えば面白いんだろうかねえ?
@user-ms1vf3ks7r
5 жыл бұрын
オマケというのはさすがに言い過ぎだと思いますよ。満州での露軍主力との決戦には、旅順要塞の陸軍戦力と旅順艦隊の無力化が不可欠でしたから。 乃木将軍が英雄視されるのは、やはり人々が英雄を欲していたからなんでしょうね。陸戦では日本海海戦のような華々しい勝利はありませんから。 そこに、息子をはじめ多くの部下を失いつつも要塞を陥落させた功績と、水師営の会談に代表される高潔さを併せ持った人物が現れた。英雄とするには申し分ないですよね。 もっとも、これ以降の時代においては指揮官クラスがいかに優秀でも大局は動かせないのですが……
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
英雄候補は他にもナンボでもいたけど乃木が突出した。 実力=人気とはならんのは、古今東西よくあることですが。 当時は乃木に接した人は、その精神性とやらに魅力を感じた人が多かったそうですが、現代で乃木に魅力を感じたり神格化したりする人は、どういったとこがいいんでしょうかねえ? このドラマで描かれてるような「悩める乃木」像は自分は好きですけどね。
@user-tg6dn1zc5s
5 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z オマケという表現にひねくれた人間性が現れていますよ。 陸軍と海軍では目的行動が異なることをご理解できないのかナ。 203攻略はいわば陸海共同旅順港残戦駆逐・・・しかも弾薬は陸軍持ち。元来旅順に軍艦がいても第3軍は脅威でもなんでもない。 陸軍としては可否はともかく一刻も早く旅順要塞を落としさらに北へ進み(想定決戦たる)奉天回戦に早く対応すること、海軍の要望など本来二の次。 日露戦争の天王山は「日本海海戦」と考える人が多いいじょう旅順港駆逐は価値がある。
@user-tg6dn1zc5s
5 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z 日本の陸海軍に「英雄」は存在しません。 天皇陛下に対し責任を全うしたか否かだけです。「実力=人気」はじめから一致するものではない。絵になる、小説になる、映画になる、だから英雄のように感じる人が出てくる、それは自然の成り行きというもの。「英雄候補は他にもナンボでも」というのなら10年飛んで日清戦争の英雄候補を挙げてみてください。共感はされないと思うし大抵は「だれそれ?」の世界だと思います。(逆に30年飛んで山本五十六はなしで)
旅順攻撃での乃木第三軍の損耗は確かに甚大だつたが当時のこの規模の要塞攻略戦としてみたときほんたうにさう非難されるやうな戦ひ方だつたのか。冷静で客観的な研究が必要であらう。司馬遼太郎の小説は小説として読めばいい。だが作り出されたイメージに引き摺られてはいけない。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
あれだけの損害出してるんだもん、仮に成功してたって非難されるのはしょうがない。 児玉が来て作戦変えたら成功したんだから、乃木軍のやり方は間違ってたのさ。 しかし最近は乃木がどうのこうのじゃなく、旅順艦隊を砲撃で沈めること自体やらんでも良かったことって言われてるのね。もう旅順艦隊は動けなかった、そういう情報もあったが海軍は信じなかった。 やらないでもいいことをやってあんなに死傷者出したって、ますます乃木が、いや犠牲になった将兵が哀れになるなあ。
@his7776
5 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z 実際に乃木は実力もあった。 203高地奪取は別に児玉が来て作戦を変えたから成功したわけじゃありませんよ。これは司馬が広めた嘘話です。 乃木の参謀たちは優秀な人が多いです。司馬は伊地知を無能の代名詞のように描いていますが、実は超優秀な参謀です。(出世も常に同期の誰よりも早かった) 確かに203高地を奪取する以前、すなわちナマコ山を奪取して以降、旅順艦隊は使えない状態になっていた。しかしナマコ山では旅順港のすべてを見渡せることができず、旅順艦隊はナマコ山からでは見ることができないところに隠れてしまった。 だから旅順艦隊撃滅という報は推測の域を出ないと海軍は判断して、陸軍に203高地攻略を強く要請したのです。 さらに、他の人が指摘しているように、乃木としてはロシア兵を消耗させねば、旅順を陥落できないと判断して203高地を決戦の地として、消耗戦にもっていった。 近代戦とはこちらが無傷で勝利をおさめることは不可能なんだから、大きな犠牲を払っても目的が達成されれば有能なのです。 旅順陥落はやらなくてゃいいわけではなく、世界の人が旅順攻囲戦を注視しているわけだから、陥落することができれば、日本が勝っているという印象を世界の人に与えることができ、外債を売ることが容易にできるのです。 だから戦略上、日本としては多大な犠牲を払ってでも旅順を陥落させねばならなかった。 それに旅順陥落をきっかけとして、ロシア国内で「もはやこの戦争は勝てない」という観測が広まり、血の日曜日事件が起きたのだから、やはり旅順は陥落させねばいけなかった。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
軍人の出世は、実力や実績とは比例しないけどな。 乃木や伊地知にどんな実力があろうが、死屍累々を築いたのは事実。司馬がどう描いたかは関係ない。結果がすべてだと思うわ、軍人の評価は。20サンチ砲を持ってくるという単純なことができなかった乃木と伊地知は、この旅順においては無能でしかなかったのさ。
@his7776
5 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z まず20サンチ砲じゃなく28センチ(サンチ)榴弾砲な。 司馬は頭の固い伊地知が28センチ榴弾砲をかたくなに拒否したと書いていが、これもでたらめ。 司馬がどう描いたか関係ないというが、乃木及び伊地知が28センチ榴弾砲を拒否したという事実はない。むしろ送ってくれという電報を東京の大本営に打っている。 それに28センチ榴弾砲があれば旅順を容易に落とせるほど、近代要塞戦は生易しいものではない。 死屍累々と言うが旅順陥落における日本軍の死傷者は、極めて少ないぞ。 これはあくまで比較の問題。旅順攻囲戦というのは近代要塞戦なんだから、前近代の要塞戦と比較しても意味がない。 例えば、 クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数12万8千。攻防戦10か月。 第二次世界大戦のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数10万人。攻防戦10か月。 第一次世界大戦のベルダン要塞攻防戦では、両軍合わせて死者70万人。 これらと比較するに、旅順攻囲戦の攻撃側死者数はわずか1万5千人。さらに5か月で陥落させている。 さらに言えばクリミア戦争のセヴァストポリ要塞と比較して、旅順要塞は実にセヴァストポリの6つを合わせたぐらいの堅牢さをほこっていた。 また敵将クロパトキン将軍は、ヨーロッパ最強の陸軍がいかなる強力な兵器を使おうとも、3年以上は守ることができると豪語していた。それをわずか5か月で陥落させたのだから、これだけでもって乃木は名将といえる。 わずかな死傷者数と期間で旅順を陥落させた乃木を世界の人々は驚嘆し、クロパトキン大将は恐れおののいた。 結果がすべてだと思うのであれば、司馬のデマに騙されずに虚心坦懐に資料を見れば、明らかに乃木は名将だろう。こんな実績を成し遂げた将軍は他にいない。奉天会戦の活躍も含めて。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
いったい何しに児玉は現地へ行った?司馬の創作なのかね? 児玉が出張ってきた、それで話は終わりじゃん。 乃木軍首脳が有能か無能かなんて議論するまでもないんだ、アンタら失格、クビってことだろ。 児玉が来なくてもどうにかできたっていえるかもしれんがそれはタラレバだし、望みも薄かったし言い訳にしかならな。 まあ近代の要塞攻防戦を知らなかった大本営が悪いし、乃木や伊地知は、同じように知らないながらもよくやったって評価はできるかもしれんが、どう転んでも「名」なんて形容は付けようはないな。 (乃木の統帥者としての能力は除く、といっても軍司令官の価値はそっちのほうがでかいんだろうけどさ)
TBSの3時間ドラマ「獅子の如く」からでしょうか。児玉のような合理的な男が帝国陸軍にはもっと必要だった。児玉がいなければ日露戦争には勝てなかったのに乃木希典は日露戦争いや明治という時代の象徴になったことが、その後の帝国陸軍、大日本帝国の悲劇に繋がったと思う。日本人は壮絶と言う言葉が大好きだ。死体の山を築きそこに日章旗を掲げなければ気がすまない民族へとなって行く。陸軍の戦術は日露戦争から太平洋戦争まで全く変わらない。機関銃だろうが戦車だろうがひたすら歩兵による銃剣突撃あるのみ。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
そうです、「獅子のごとく」。ご存知の方もいましたか。 勝った勝ったで、まずかったところを隠ぺいしてしまった。それが日本の転落の始まりとか司馬も言ってましたな。 しかし日露戦争の時は昭和とは違いずいぶん合理的でしたでしょ。 同じなのは、持たないもの(物資や兵器弾薬の寡少)の無理やりなとこ。 これはもしかすると日本だけの話じゃないかもしれない。 ただ他の国だったら、兵力足りなかったら日本みたいに立ち上がりはしない、あるいはとっとと降伏するってのが違うかな?
@chiyo0216
4 жыл бұрын
司馬史観全快すぎだし、そもそも日本陸軍のドクトリン自体は上海事変あたりで戦闘群による浸透戦術に変化を遂げていて、機関銃陣地に掩護もなく突っ込むような戦法じゃねえよ。 日本人は云々のくだりなら青島の攻略の内容くらい調べてからぬかせ それとも対戦車火器の一つたりとも日本軍にはなかったとでも思ってんのか? だいたい戦車への肉薄攻撃なんざ他国でもやってるわ
@user-jv2ug2cn1z
4 жыл бұрын
満州軍の参謀の中に「冬季にロシア軍の大規模攻勢は無い」と断じて、秋山支隊の警報を無視し続けて黒溝台会戦で危うく満州軍を壊滅させかねなかった人がいたような。
@patariro1964
3 жыл бұрын
『獅子のごとく』リアルタイムで見てました。 森鴎外(江守徹)の生涯を描いたドラマですが、児玉源太郎役が中谷一郎さんだったので、「弥七」が児玉を演っていると妙に記憶に残ってます。
軽そうな28サンチ砲だな
乃木希典 有日本戰神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。
抗日奇侠 乃木希典
乃木大将というのはこの戦いに関して言えば愚将の最たるものだが、太平洋戦争の時の連中と比べれば全然まし。
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
このドラマの児玉のセリフじゃないが、参謀が悪いんだよね。あと大本営も悪い。 乃木に限らず、軍司令官って作戦立てられないし、参謀いなきゃイクサはできん。 しかし責任は大将がとる。結果が良けりゃ称賛されるし悪ければ叩かれる。本人の能力は全く関係なしにだ。 思えば乃木の評価が、愚将と名将と両方あるのは、要は旅順攻略戦の成否に乃木の力は何も関与してないってことの証左のようだわ。 乃木以外の3人の司令官及び大親分の大山巌に関して、この日露戦争で名将だったのか愚だったのかってほとんど語られないのも面白いというか、なんだかいい加減だなーという気もするが、結局総大将って戦術的な勝ち負けに大して影響はないってことだわな。統帥だけが仕事。
@user-xy6nf4zi4t
5 жыл бұрын
現場より大本営の方がダメだったのではないですかね。旅順艦隊は第三軍の28サンチ砲でかなりダメージを与えた模様と打電している。それをあえて203高地を奪取せよとの命令をしているのはいかがなものかと。
@chiyo0216
4 жыл бұрын
何を以て愚将と吐き捨てるのか謎 第二次総攻撃以降は強襲を改めて塹壕と坑道を掘る地道で堅実な正攻法により攻略し死者を抑えたといえる。
@subuya428
3 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z 日露戦争に関する最新研究読んでいると現場の人間は優秀だが満洲軍総司令部のグダグダがすごい。 児玉源太郎も実はそんなに優秀な参謀ではないのではないかと思うようになりましたね。 台湾統治に関しては優れていましたが。
日本軍って突っ込むの好きだよな。 当時の日本人気質なのかな?
@user-yw2we5vb7z
5 жыл бұрын
他にやり方ないんだもん。 塹壕ほりほり、坑道作戦ってのも併用したけど、時間かかり過ぎだし。 突っ込む前に大砲撃ちまくれって言ったって、弾がありゃせんだのだ。 結局は消耗覚悟で突っ込むしかねー。 早く落とせってプレッシャーきっついしさ。
@user-io6ll4nj6y
5 жыл бұрын
明治維新からまだそんな経ってないからまだそういう原始的なドクトリンしかなかったんだと思う
@subuya428
3 жыл бұрын
@@user-yw2we5vb7z 第一次世界大戦がまさに日露戦争って感じですからね。 日露戦争は第零次世界大戦と言う歴史家もいるくらいですから。
@akibanokitune
2 жыл бұрын
突撃するにも夜陰に紛れて奇襲するとかラッパで敵にこれから突撃しまーす♫ってフェイントかまして囮にして注意を引いて裏から回り込むとかなら分かるけど、敵にこれからの予定を教えてそのまま突撃とか撃って下さいと言わんばかりの戦法はアホ丸出しとしか言いようがないな笑笑 太平洋戦争でも突撃ラッパ鳴らして正面攻撃とか何回失敗しても繰り返してりゃ負けるわな