満鉄特急「あじあ」(決定版)
戦前満洲国で、南満州鉄道(株)が、1934年から1943年までの約8年間、大連駅からハルビン駅迄の約950キロの間を運行していた、夢の特急列車「あじあ」。
音声読み上げソフト:「Ⓒ音読さん」を使用。 挿入歌「あじあに乗りて」 挿入映画「鮮満周遊の旅・満洲編」「迎春花」
動画チャプター(目次)及び 【追記:戦後の「あじあ」について】は、右の「…もっと見る」をクリックしてご覧ください。⇒
00:00 満鉄特急「あじあ」の誕生
01:36 標準軌と狭軌
02:01 「あじあ」の運転開始 運転区間の変更と 運転休止
03:57 パシナ形機関車の種類と 最終増備車981
04:37 「あじあ」の編成
05:06 「あじあ」の車両の色
05:37 「あじあ」の名称と シンボルマーク
05:53 「あじあ」の冷房装置 世界最初の全列車空調設備
06:26 世界初の密閉型展望車の定期運行
06:55「あじあ」の食堂車のメニュー あじあカクテル
07:31「あじあに乗りて」国語教科書、レコード、映画に登場
08:49 1937年の満鉄記録映画等に出てくる「あじあ」の動画(再編集動画)
12:58 1942年の松竹映画「迎春花」最終場面に出てくる「あじあ」と「李香蘭」の動画
15:09 Ending Roll 曲:Take the ’A’ Train
【追記:戦後の「あじあ」について】 戦後「あじあ」は、中国及びソ連に接収され、中国では呼称を「勝利7型/SL7型」に変えられて残存した。かつて、満鉄OBの「満鉄会」が中国側に返還を望んだが受け付けられず、その後JRや有志等が中心となり中国側と交渉し、一時は日本に有償貸与の方向で進んでいたが、最後は中国側トップの「日本の植民地支配のシンボルであり、まかりならぬ。」の一声で、沙汰止みとなった。パシナ形機関車は、一時は大連駅構内倉庫と瀋陽近郊に各1台が残置されていたが、今でも瀋陽の博物館では見学可能な様だ。
【おことわり】
※この動画では、当時の時代背景や歴史的意味合いを再現する為に、現在では使われなくなった言
葉や不適切と考えられる表現を、一部使用しています。
※この動画では、古い画像を使っており、一部に見づらかったり、不鮮明な箇所があります。
Пікірлер: 29
高橋さん ナレーションが入り、NHKの'映像の世紀'を思わせる画期的な出来上がり、最後に李香蘭まで登場し、楽しく拝聴。ありがとうございました。 1999年からの大連駐在時、JR九州の会長ご一行と共に大連駅構内に 保存されていたあじあ号の機関車を見学、工学部を出て、国鉄入りされた会長は運転席に入り、計器をいとおしそうに撫でておられました。旧満鉄のあった大連、瀋陽の鉄道公司 では、'貸与なら'となりかけたのですが、駄目でした。懐の深い胡耀邦時代であればなあと 感じた次第です。 数々の工夫と緻密な調査があっての力作だと 思います。お疲れ様でした。 竹口
@keijitakahashi4983
10 ай бұрын
貴重なコメントありがとうございます。満鉄で「あじあ」の企画、設計などに携わった理事や技師とそのご子息等が、戦後JRで活躍され、新幹線の開発や設計等にも携わったということも、今回知りました。「あじあ」の、設計思想や技術は、戦後の日本の鉄道技術に大いに継承されていますね。 Keiji TAKAHASHI
私の父(生きていたら満100歳)は、この「パシナ型機関車」を運転していました。祖父の命により昭和20年5月に一時帰国し、そのまま終戦。祖父の命がなければ、私はこの世に存在していなかったと思われます。
パシナ型あじあ号は抜群にカッコいい、美しいなあ…❤
昭和30年代のブルートレインは、広島~徳山120キロを1時間半で走った。平均速度狭軌ながら80キロである。牽引はC62で列車は14両を牽いていた、よく頑張って走っていた。
C国にある鉄道博物館にパシナ型の蒸気機関車「あじあ」が、2両展示されいます。 聖地っある神戸市の川崎車両の本社ビル前に0系新幹線・こだま特急・パシナ型を静態保存をして欲しいです。
貴重で素晴らしい動画をありがとうございます。祖父が満鉄のエンジニアでした。あじあ号の動画をじっくり見る事ができて良かったです。
今みてもカッコイイ♪このDNAが新幹線にも通じているのかな?
満鉄特急あじあ号の血を受け継いだのが戦後の特急つばめ号である。
昭和15年の「アジアに乗りて」が印象に残りました。満鉄の具体的なイメージを持ちました。満鉄の守備隊が関東軍でしたね。
三等客車まで冷房付きだったのは他国に例を見ず、米国人記者が三等車に乗って一等車だと勘違いしたエピソードがある。当時米国では冷房が大ブームでプルマン式寝台車、食堂車そしてリクライニングシートのチェアカーが冷房付きであった。この米人が「リクライニングシート無いやん」と言ってくれなかったので、日本でのそのサービスは10年ほど遅れてしまった。
素晴らしい映像の数々、この動画に出会えて幸運です それにしても最後の発車する際の音はやはり最高ですね、重いせいか普通のSLとは違うリズム感、重厚感があります 駄筆ながら私はドレミファインバータも好きなんですよね
卒論のテーマにこのあじあ号を選びました。久しぶりに懐かしく拝見させていただきましたm(_ _)m
@user-nd3fl9ty9b
10 ай бұрын
私もあじあ号が大好きな仙台のおじさんです。外部や内部の色がわかれば教えてください。私も色々調べましたが、定かではありません。マイクロエースの鉄道模型を塗装しています。
AIでの画像編集でカラー化したらすごいです。
Such a nice video that captures the time and achievements of SMR! Thanks and Happy New Year!
父は東京芸大の絵画の学部に受からなかった後、失意でほかの大学経済学部に進み、その後に満州銀行に就職しました。満鉄のアジア号に乗った話は、中学生で鉄道模型を作って塗装もやっていた自分はよく聞きましたが、色はやや暗めの水色とはっきり言っていましたね。紺色や暗い色では無いと言っていましたが、もしかすると年代によって2色あった気がするとも言っていました(覚えてないのかよ)。残念ながら暗めの水色塗装についてはカツミ模型店がその後に発売したパシナの模型と比べてどうなのかは聞けませんでしたが、ロシア人の若い給仕さんが綺麗だったことだけは何度も話していました。太平洋戦争が始まってしばらくして、結核で軍に入らず日本に帰ったそうです。
Daren ~ Haerbin Express railway 140 km/ h by steam engine. Best railway tour in the Asia. 1934~ 1943 operation. Thanks for your valuable video.🌻
@keijitakahashi4983
10 ай бұрын
Thanks for your comment!
満鉄のあじあ号ですか。正直あじあ号は何色だったのか謎なんですよね。製作会社にもいまや資料が無いとのことで。
からくりサーカスで銀の煙の影響が少ないってことでパシナ型が使われてましたね
@tetsuokun1158
9 ай бұрын
アニメだと『プリマドール』でもパシナ型と『あじあ』号客車が登場していました
夕日と拳銃 満州曠野 駆ける命を 想い描くは 何事ぞ 夕日を浴びて 駆ける日は アジア大陸 駆ける夢 いざ行かん いざ行かん 理想に燃えて いざ行かん
@keijitakahashi4983
10 ай бұрын
壇一雄作の伊達麟之介の半生記ですね。イイですね!
大満洲国❤❤❤ しなではありません
ただパシナ機関車がアジアでは最速だったモノの 世界的には必ずしも超高速性能とは云えないのがイマイチ。 英国最速列車フライングスコッツマンのマラードは最高時速200kmだし ナチス第三帝国のドイツでも 優等列車は最高時速180kmがフツーだったりする。 それに比べて同じ国際標準軌なのに 最高時速120kmに留まったパシナ機関車のあじあ号は どうしても見劣りする。
@futureohno8830
10 ай бұрын
ロマンがないな それとも日本は嫌いかい?
@user-ej8sn1jt1q
2 ай бұрын
純国産は評価できます。しかし英独の技術を輸入すればとは思います。