謎多きニギハヤヒという神様 本当に磐船神社の御祭神?天孫降臨の主人公?

饒速日(ニギハヤヒ)命が天降った場所として知られる磐船神社⛩️
ニギハヤヒは河内国河上哮ヶ峰(いかるがみね)に磐船に乗って高天原から降臨されたとされています。
しかしその説には矛盾も多く、ホツマツタエも参考にしながら、ニギハヤヒという人物像に迫ります。
矢田坐久志玉比古神社⛩️も訪れました。ここもニギハヤヒが宮を築いて暮らした場所とされています。
ニギハヤヒが暮らした場所は、磐座神社なのか?それとも矢田坐久志玉比古神社なのか?
そして長髄彦の本拠地、ニギハヤヒの墳墓とされる場所などをご紹介します。
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Пікірлер: 12

  • @user-vj5en1kb5j
    @user-vj5en1kb5jАй бұрын

    興味深い動画ありがとうございます。 饒速日尊さま、とても気になり深く知りたい神さまです。 ホツマでは、ニニギの孫であるニギハヤヒがホアカリの後継者なんですね ! ホツマは神代が理解し易い感じがしますね(逆に、文字といい偽書と疑われるかもですが・・) 天火明命さま、後に丹後にお渡りになったんですかね・・?

  • @user-fw5jy1zf7y
    @user-fw5jy1zf7yАй бұрын

    ニギハヤヒ。 徐福 (紀元前3世紀末、初回は出雲、再度は北九州、吉野ヶ里に渡来) が二度目、北九州で自称した名称 、 その子孫、物部王家が 1世紀末と3世紀末に 大和に侵攻して 二度目に大和他全国制覇を果たした。 ↑を 天孫降臨~神武東征。 イザナギの国生み。 などと創作改ざん、 徐福。ならびに子孫らをスサノオ。とも比喩 (ただし、出雲の祖神は全く別神(人)) 一回目をニギハヤヒの降臨等と誤魔化したのが実態

  • @user-rc2bg3po5g
    @user-rc2bg3po5gАй бұрын

    饒速日命は第一次物部東征のリーダーだったとする説に説得力を感じます。これが神武東征に読み替えられて古事記が編纂されたように思います。この後に纒向遺跡が出来た。

  • @mingzi5760
    @mingzi5760Ай бұрын

    関西住みですがとても行きたい神社なんですが、アクセスが不便でまだ参拝出来ず…。 GWは那智、神倉神社行ってきました😊。

  • @user-kn5oz4el6b
    @user-kn5oz4el6bАй бұрын

    2024年5月26日(日曜日☀8時06分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩

  • @user-wm9ux9ow6c
    @user-wm9ux9ow6cАй бұрын

    色々と解説頂きありがとうございます。 ニギハヤヒでしたら石切神社の上社もお薦めです、一度参拝されてはいかがでしょうか😊

  • @musuhisirakawa-ut4en
    @musuhisirakawa-ut4enАй бұрын

    熱田高蔵からです、ありがとうございました。 参考になりました。

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5uАй бұрын

    先生の解説、ホツマツタエと記紀を扱いますので偏よらない話しですので、ため成りました。

  • @user-uf1lq4ri2w
    @user-uf1lq4ri2wАй бұрын

    矢田坐久志玉比古神社に最近お参りしました。 饒速日命が天磐船に乗って降臨した場所と伝わっており、航空関係者には知られているみたいです。 それも有って、楼門にプロペラが…カミライズさんの動画にも写ってましたね。

  • @user-cg5gv3zg3y
    @user-cg5gv3zg3yАй бұрын

    記紀の謎がホツマツタヱと比較することで史実が立体的に見えてきます。江戸時代の漢語訳の内容の誤りがホツマツタヱを偽書に貶めていますが、記紀に抜け落ちた逸話がホツマツタヱによって補完され、記紀よりもはるかにリアリティのある人物たちの姿が生き生きと蘇る点だけ取ってもホツマツタヱは極めて貴重な史料と言えます。なにより記紀では説明ができなかった古社の伝承がすべて説明できる点でホツマツタヱの内容のほとんどは事実であると考えています。

  • @MoritaJunichiro
    @MoritaJunichiroАй бұрын

    ニギハヤヒ? 、天忍骨が英彦山に天降って来たので、 大国主命は北岳を天忍骨尊に譲った。天忍骨尊は、八角の三尺六の水晶石の上に天降って鎮座し、尊が天照大神の御子であるので、この山を「日子の山」から後に、「彦山」と呼ぶようになった。 大国主命と天忍骨尊

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