【落合陽一】江戸時代の『祭り』は遊びと信仰が「ない交ぜ状態」なぜ日本に生息しないゾウがブームに?東京から巨大山車が“消えた謎”「いつでも酒買える今は“刺激”が常態化」30年以上前に目撃した裸祭りの真相
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夏といえば「祭り」という人は決して少なくないはずだ。祭りという言葉から、楽しさや美しさ、儚さを連想するのは、日常からひとときの間、離れられるという特別感があるからかもしれない。
祭りの語源は「祀る」とされ、その起源は古いと言われているが、一種のエンタテインメントとして大衆化したのは江戸時代以降だという。全国で行われる祭りの数は30万とされ、日本経済新聞によると、コロナ禍以前は年間約5300億円の経済効果を生み出していたという。しかし、近年危ぶまれているのが「消滅の危機」だ。今年2月、“日本三大奇祭”と呼ばれる岩手の「蘇民祭」は、担い手の高齢化や人手不足を理由に1000年以上の歴史に幕を閉じた。
祭りとは何か?非日常が意味するものは?守り伝える意義は?そして、江戸で起きた“象ブーム”、東京から巨大山車が消滅したワケとは?
落合陽一が、祭礼史に詳しい武蔵大学の福原敏男教授とともに、祭りが辿った数奇な運命に迫る。
ゲスト:福原敏男(武蔵大学人文学部 教授)
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めちゃくちゃ面白いお話ありがとうございます‼️ 昔の人がどんな風にお祭りを準備して楽しんでいたか想像すると楽しいですね!😊
あめがふらなかったら晴れにかんしゃをかんじなくなるからな、雨がふるから晴れにかんしゃと喜びがうまれる、晴れにあめがふるだけで寛容性が生まれるんだな、
日本中旅して思ったのは、全国ほぼコピペされた町並みになっちゃったし、郷土料理なんかも観光客が食べるだけのものになってきたけど、その土地に昔から残ってる唯一のものって祭りな気がしてる。
お祭りは日本独特だと思う。無礼講、晴れの日。それによって、人間界が広がって、苦しみにも耐えていく事が可能になるのでしょ。夏は祭りが多い。花火もまた、非日常だと思う。
この動画で語られているくらいの時間軸比較でその時代に生きている人にとっての当然のように感じられることが 後代の人間にとっては他愛のないものに思われるってことは個人の人生の時間の範囲でも感じられる
水3日のまなかったらほとんどのパワハラはパワハラとおもわなくなり多様にもなるし寛容にもなるよな、差別はよくないあらたな時代言っても水すぐのめるから差別はよりふえるんだな。べんりになればなるほど怒りで溢れる世界になるんだな。幸せになるためには幸せより不幸だったんだな。くるしみがたくさんあるほどまわりにあるものは幸せにかわるんだな。快適だとあらゆるものが快適じゃなくなるんだな。
@user-kx7jf3ng1v
2 күн бұрын
誰に文章の書き方習ったの? みつを?
ゾウを運ぶ為への (祭りに向けてではない農民の) 非日常感が ゾウの描写に繋がっているのでは?
日本の神事というと、ぼくは古事記の天の岩戸の物語を思います。スサノオの悪行が原因となってアマテラスが岩戸に隠れてしまい世界が暗くなり困ったときに、アメノウズメが踊り、人々が喝采し、アマテラスが再び世の中に引き出されて世界に光が復活した、あの物語です。あれこそ原始の祭りじゃないかと。日本人の神事にはかなり昔からエンターテイメントと神への祈りの両方の要素が同時に含まれていたのではないかとおもわれます。
ケとハレの歴史観が変わる興味深い内容です。
@mingxuan-vx3ec
2 күн бұрын
絵番付めっちゃ欲しい。
祭りや儀式のしきたりを現代のぽっと出の価値観で変更してしまってよいものなのだろうか?とふと思いました
日本人って結構淡白な気がするけど、まだ祭りが継承されていくのよく考えたら意外。50年後祭りいくつのこってんのかな
たしかに我慢というのは正しい意味は自分を一番に考えて他人を侮るという意味だから そんな本来の意味を忘れてしまったという意味で我慢を失ってしまったね日本人は
酒の常態化は独身男性が異常に多かった江戸の街と関係しているのではないでしょうかね。 独身で宵越しの金を持たない男性なら飲む打つ買うに走るのもわかります。
信彦のビジュって凄かったんだな
遊びと信仰がない交ぜといえば、江戸時代は大人の営みを行う前に仏前に祈りを捧げた、とある社会学者が言っていた。 あと、昔からの伝統とされているものが実は後世に変わっていたことは珍しくないな。
東洋哲学
神田祭りや山王の祭りには昔一本柱万度型という山車があって川越の山車より古いものでこの一本柱万度型の山車は遠州横須賀の祭りで引かれていて元々は牛が山車を引いていたそうですが横須賀に来てからは人が引くようになったようです
例えると自家発電を我慢?
@suspiciousperson5697
2 күн бұрын
ポルノ禁の方が重要
今みたいに旅行客が行き交うわけではないのに、大名が庶民に祭りを推奨したのは、あぶく銭を吐き出させ、一揆打ち壊しの道具など入手出来ないようにするためでもあったのだと思いますよ。
面白いですねえ!ギリシャのオリンピックも素っ裸でしたよねえ?黒澤明の夢の映画で葬式が出てきました。お祭りとして?穢れを祓うことで晴にということなのでしょうか?
鷹がトンビを産むこともあるよね
レイスにしか見えん
わっしょい
祭りは軍事訓練。古代中国の知恵だよ。
じゃおうえんさつこくりゅうは
今の時代なんでも男女平等といってどの場所にも女性がいないといけない風になってて、そのせいで男達を盛り上げるために行なっていたものも出来なくなってきて現代の男性はみんな弱くなってきている気がする。そして男の居場所が無くなってきている。 何でもかんでも女性も参加しないといけないという今の風潮は本当に正しいんだろうかと疑問に思う。
@coco1003
2 күн бұрын
男がろくでもないからねwww
@user-jlwu369pqkxk
2 күн бұрын
男という属性に生まれた時点で何もしなくても特権階級を得られると思ってた層が、ちょっと平等に足を踏み入れた世の中になってきただけで何か奪われたように感じちゃうのね 他責乙です❤
@user-kx7jf3ng1v
2 күн бұрын
まあ適材適所ってのは考えてほしいわな 女性が入るとなるとトイレやらなにやらもいちいち刷新が必要で大変だったわ 男だけだと楽だったのにと思う場面は多い
昔と比較して何の意味が有るかわからないと思いました。 現代や過去と比較して「縄文時代は不便でも石で肉を切ってました」と「江戸時代に包丁で肉を切ることができて幸せです」みたいな比較をして「現代に於いて人は我慢を失った」みたいなお話をして何の意味が有るのか、、、過去との比較で幸せの解釈をすることはとても難しいですね。。
@tw-vq8pf
2 күн бұрын
江戸時代の方が幸せだったということじゃなくて、我慢の必要がない今の方がむしろ幸せのはずなのに、なぜ不幸感が蔓延してるんだろうって思った
@kingofponzu
2 күн бұрын
@@tw-vq8pf全てはメリットデメリットがあるから メリットしかないなんてものはこの世に存在しない 全て表裏
@user-seidoutatemekamen
Күн бұрын
人類は今ある幸せに満足することはできないってことよ 常に不幸