劉備が龐統を左遷した本当の理由
Ойын-сауық
【動画の目次】
あまりにも怪しい龐統の仕官 00:36
劉備は龐統をスパイと見抜き左遷した 01:50
劉備が龐統をスパイと見抜いた証拠 02:51
過去にスパイだった事を認めた龐統 04:13
樸鈍な龐統と侠者劉備はベストコンビ 05:05
三国志ライターkawausoの独り言 06:10
臥竜と鳳雛。一人でも得られれば天下を獲れると言われた天才軍師のかたわれ龐統。しかし、そんな龐統は劉備に仕官した時に、そのパッとしない容姿の為に一般仕官者と間違えられ、小さな県令に左遷された話が三国志演義にあります。
その話の元ネタは正史にもあるのですが、正史の劉備は龐統をスパイと見抜いたから左遷したのです。
あなたは劉備が龐統を左遷した理由についてどう思いますか?
💟参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。
※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽🔽
「はじめての三国志TV」は、『楽しく・ゆるく・わかりやすく』をモットーに紹介中。
皆様の三国志知識や歴史解釈のコメントお待ちしています!
✅はじめての三国志
hajimete-sangokushi.com/
✅音声コンテンツ「ながら三国志」も無料で配信中♪
hajimete-sangokushi.com/voice/
✅はじめての三国志の公式グッズショップ
www.sangokushi.shop/
メールアドレス:support★hajimete-sangokushi.com(★部分を@に変更してください)
運営会社:株式会社オフィスアプリシエイト
✅Twitterアカウント
/ otoboke3ngokusi
✅はじめての三国志 Facebookファンページ(短縮URLを表示しています)
bit.ly/2RhNsUU
✅はじめての三国志 インスタグラム
/ hajimetesangokushi
✅アマゾンにて「はじめての三国志」の書籍も販売中(短縮URLを表示しています)
amzn.to/2XOJu8X
✅はじめての三国志 2ndチャンネル
/ @hajisan2
#劉備 #龐統 #三国志
Пікірлер: 40
2:40 諸葛亮は魯粛とグルだったのだろう。 埋伏武将だったとしても、龐統自身の能力は高いのだから、自分が荊州守護のため主君と随行出来ない以上、自分以外で一番能力が高い龐統が蜀の地を切り取るのに一緒に行ってくれるのならば、心強いということも考えたのかもしれない。 魯粛としても、対魏では周瑜、自身、呂蒙などいたから事足りているものの、荊州はいずれ手に入れなくてはいけないところ、早く劉備が蜀の地を攻略させ、その後荊州の返還を求められるよう事態を進展させなくてはならないので、龐統を遣わしたのかもしれない。 つまり、龐統はレンタル移籍のようなものだったのではないか。 龐統が結局(演義では落鳳破で)死んだからいいものの、劉備が蜀の地を奪ったのち、龐統が呉陣営に帰り、本格的に呉が蜀とコトを構えていた場合、もしかしたら劉備は龐統と戦うことになり、コテンパンにやられ蜀の地さえも奪われていたかもしれない。なにしろ蜀の地まで随行していたのだから。 となると、蜀の地で志半ばで龐統ほどの存在が死んだのも劉備さんの…
@user-kf1eo5wg7c
4 жыл бұрын
劉備にとっても悪い取引ではなかったと思う 周瑜にちかしい人間から呉の情報は貰えるし 何より本人は有能だし ただ蜀取りが終わったあと劉備は本当は呉と並び立つつもりがなく呉を滅ぼして魏に対抗するつもりがあったのかもしれない
確かにだとしたら魯粛が異常なぐらい劉備陣営に好意的だったのも理解できる
龐統が生き残っていれば、魏延はあんな最期にならんかったかもな
演義の自分の主君は自分で決める!的な生き方に憧れてましたが、史実通りでも一癖も二癖もある素敵な大人だと思います!
任侠調の劉備の語り口が良いですね。何を考えてるか分からない木訥(ボクトツ)と任侠の親分さんがコンビを組む。法正もそうですが、もう少し長く組んでいてもらいたかった。
龐統は現代で言えばアメリカの就職活動と言う感じだったのではないかと思います。 天下を取れる力があり自分の才能を高く評価して軍略で1番を任せてくれる所であればどこでも良かったんだけど、北魏は荀彧・程昱・司馬懿等と既に人材飽和状態で新規参入しても旨味が無い。そこで東呉に居たんだけれども東呉にも周瑜・魯粛おじさん・諸葛勤兄上とこれまた人材が揃い入る隙がない。そこで魯粛おじさんは内政には諸葛亮が居るけど軍略には向いていないので龐統を蜀漢の軍略家としてが劉備に出仕させて、劉備が言う所の『益州を取ったら荊州を必ず返します。』と言う言葉を取りあえず信じて龐統に策を練らせて益州を占領させて龐統に軍略で名を上げさせて、その後劉備が約束通り荊州返せば同盟を固持して劉備が病死して内乱状態になったら龐統を使って蜀漢+荊州を乗っ取ろう、荊州を返さないなら力で荊州を奪え返そうと言う壮大な時間をかけた魯粛おじさんの作戦の間諜として動いていたのではないかと思います。 そう考えると龐統登場と最後、そしてその軍略と言う物の全てが1本の線として繋がるのでは無いかと思います。 この時代としては実に珍しい才能重視型人材就職活動の人物だったと言え、それを手足の如く使った魯粛おじさんは現代経営人材術のプロフェッショナル、相手先のクライアントに十二分に実績を残した龐統は優れたビジネスマンだったのではないかと思います。 実は軍略から波及する内政・外交・軍事を纏め上げ、更に時代の先を読んだ行動を取る魯粛おじさんと言う存在は東呉だけでなく後漢を代表する名将であって三国志演義で描かれている気の弱い善良なお人よしな人では無いのではないかと思います。
龐統が蜀建国時に健在ならば、孔明か龐統のどちらかが荊州に残り、全く違う形での天下三分が成立していそうです。また龐統自身の泥臭い人柄は、玄徳との相性も良さそうです。
@KT-uh5bh
Жыл бұрын
そうなれば荊州を失わずどれだけ良かったか
孫権に嫌われて蜀に来たと言われています。しかし鳳雛の才能を知る魯粛が、呉の内情を知る優秀な人材を流出させるとは考えにくいです。スパイ説は自然ですね。
【動画の目次】 あまりにも怪しい龐統の仕官 00:36 劉備は龐統をスパイと見抜き左遷した 01:50 劉備が龐統をスパイと見抜いた証拠 02:51 過去にスパイだった事を認めた龐統 04:13 樸鈍な龐統と侠者劉備はベストコンビ 05:05 三国志ライターkawausoの独り言 06:10 あなたは劉備が龐統を左遷した理由についてどう思いますか? 💟参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。 ※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
龐統と法正は曲がり者同士ぜったいウマが合ったと思う 巡り合うここは無かったけど
流れ矢に当たる程最前線にいたのかなぁ。同じ軍師でも孔明が最前線に出るとは考えにくいし…
@user-gl6zw8gq1n
4 жыл бұрын
夜陰に乗じて奇襲とかいろいろあるかと、孫権も後ろにいたのに張遼の奇襲で死にかけたし
劉備の内情を呉に伝えて安心してもらう渡りの役目はあっただろうなぁ ある程度の情報のやり取りしないと呉だって安心して同盟組めないし それが故意か事故かわからんが死んでしまっては 呉は同盟を続けるにはかなり厳しくなったと言うわけですね 面白い視点です
3:18 「厨房に私を留めるように・・・」 龐統「密です!」
周瑜とは元々地方役人とその地方の太守の間柄なので献策を以てスパイ容疑はちょっと突飛な気はします。
確かに……劉備は人を見る眼、見抜く眼はあると思います……ケド……孔明のオススメでスパイ(・_・?)……あるのか?無いのか?でも鳳統ならスパイより普通に軍師、参謀で良いケドなぁ〰️( ̄~ ̄;)
@user-kf1eo5wg7c
4 жыл бұрын
孔明は呉とは親和派だから充分にあり得ると思う ロショクからも呉との同盟を続ける条件として傍に置くこととして暗に提示されてたなら全くおかしくない ロショクも呉の連中を納得させるためには引けない条件だったとも言える
@user-ni5pq5wo4w
4 жыл бұрын
@@user-kf1eo5wg7c なるほどー(^o^ゞその考え大いに有りですネ(*´・ω-)b
魯粛が推挙してくるのは良いとして、諸葛亮まで推挙してきたのはなぜでしょう? 兄・諸葛瑾から頼まれ、断りきれなかったということでしょうか?
これが劉備だったから良かったものの 朱元璋やスターリンなら確実に殺されていたでしょうね。 特にスターリンは会議中に停電をした際に失禁しながら机の下で震えていた位猜疑心の塊ですし、挙句には第一次世界大戦に捕虜になった経験がある人間まで処罰していたそうですから。
孫子(ホウトウ)その姿勢が良いって、書いて有りますよね?まぁ解釈の仕方で何事も変わりますけど(この考えも孫子に、かいてあったような)
細かい部分は違いがあるが龐統士元は戦国時代の山本勘助のような感じがする。
士元の従兄弟の妻が孔明の姉。姻戚関係を利用して、劉備に仕官した。
龐統を切ったのかも知れませんね。
やっぱ怪しいもんな(´・ω・`)
ホウトウ(山梨)だけに、山本勘助か(笑) 当主に会ったかは知らないけど、今川や北条でバイトしていたかもしれないし、 (個人的には信憑性が低いと思うが)今川義元に送り込まれたという話もあるし
劉備って、関羽・張飛・趙雲以外は信用できなかったのかなぁ?孔明ですら・・・。孤独だったのかも。
この理屈なら龐統を殺したのも劉備になるわけだ
@miohayakawa2385
3 жыл бұрын
そうかも。しもべが乗れば客死し、主が乗れば刑死するという凶馬「的盧」、他の者には譲らなかったのに鳳統になぜ?ですよね。 しかも、落鳳坡って地名を知って鳳統自身が命数が尽きたことを悟りつつ戦死・・・。 演出とは言え、演義ですら遠まわしにほのめかしてますよね。 ここから先は、かなり個人的な妄想ですけど、同族からの領地簒奪を忌避してきた劉備に蜀を取らせるために、鳳統(もしくは孔明)が献策したのが「侠」の理屈だったのかも。身内が殺された事への「けじめ」、「見返り」として処理する「侠」の価値観。考えすぎかな・・・(笑)
蜀びいきの俺からすれば、逆に魯粛が……って事を考えちゃうわ。
@user-sj6pd6ms2t
3 жыл бұрын
魯粛は呉に根を張った富豪だから その線は薄いんよねー
絵がかわいい🎵d(>ω<。)
正直にスパイて言ったんだ