紀州・和歌山の女王「名草戸畔」

Ойын-сауық

古代史を車中泊で探索する一人旅です。
紀州・和歌山に在った女王国の首長
名草戸畔を考古学見地から深掘りします。

Пікірлер: 4

  • @user-ut9uo3iq4p
    @user-ut9uo3iq4p10 күн бұрын

    初めてコメントさせていただきます 銅鐸はある民族間において広まった祭祀なんじゃないかと個人的には思っています 銅鐸の初期の作品は福井、島根、兵庫、淡路島で制作され、その後、吉備、香川、阿波、近江、和歌山から静岡まで広まりましたが、なぜか同じ四国でありながら、徳島と愛媛では銅鐸の分布に極端な差があります。 もしかして、瀬戸内海の中でも3つの異なる縄張りがあったのではないか 1).兵庫-淡路島-和歌山(出雲系) 2).岡山(倉敷)-香川 3).尾道-今治(しまなみ海道)=(大山祇系) しかし、ある時を境にこれらの縄張りが破られてしまった その縄張りを破った人物こそ、堺の仁徳天皇である、 仁徳天皇陵の葺石には熊本や兵庫の石材が使用されている。 なぜ、このような手間のかかる事をするのか おそらく、瀬戸内を支配していることを誇示する為ではないか この傾向は埼玉のさきたま古墳群でも見受けられる_房州石

  • @sk25209

    @sk25209

    9 күн бұрын

    ご視聴コメント有り難うございます。西暦350年頃に築造された山口県柳井茶臼山古墳からは九州と畿内が瀬戸内海を通じて貿易が行われた根拠の遺物が出ておりますわ。

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