愛情強い人ほど回避型になるケースあるんじゃね?って話

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「本物のぼっちK男子」が独り言を垂れ流すチャンネルです。
月に1回人と会うかどうかって生活をしてるから本物のぼっちです。
大阪生まれ大阪育ち、2000年生まれ、一人称は「わい」。
テキトーに話してますし、話していることは全て暫定ですから、このチャンネルはエンタメとしてお楽しみください。

Пікірлер: 2

  • @USER_hevi
    @USER_heviАй бұрын

    拙い文章ですが自分なりに考えたことを... オキシトシンによる「愛情」と、題材に挙げられている対人の「愛情」では性質が異なるんじゃないかと思いました。 前者は(少なくとも元来は)「子孫を残すため」という哺乳類として至極真っ当な目的をもった、いわば本能的な「愛情」です。 対して後者(社会的な人間関係における「愛情」)は、例えば頻繁に相談にのってあげたり、自分より他人を優先したりなど、生き物のヒトとしての生存本能からはかけ離れた部分にあります。このような「愛情」は"ヒト"ではなく"人"としての理性的特質(人間性、信念、ポリシー、etc.)から由来しているものなのではないでしょうか。 だからこそ、同じ「愛情」という言葉で括っても、後者の場合は「愛情の対象以外に排他的になる」というオキシトシンの副作用が併発されにくい。さらにいえば、「相手を救いたい、助けになりたい」という理性の下で動いているため、ノイズになりうる自らの詳細な情報や秘密は開示せずに相手に尽くすことのみをするのだと考えます。 少しでも試行錯誤の足しになればガチ幸いです🤲

  • @honmononobotchiKdanshi

    @honmononobotchiKdanshi

    Ай бұрын

    ちゃんと見てくれてるのが伝わってスゲェありがてぇ。! あ、動画内ではちゃんと言ってなかったけど、その前者と後者のは違うものなのかなと何となくは思ってて、 ただでも、自分は特性的に、オキシトシンによる愛情しかほぼ持っていないと感じているから、感覚的には社会的な人間関係における愛情というのをあまり分からないんですよね。 どーゆー感覚なんでしょうか。 でも、オキシトシンの説明として自分の家族を守りたいと言う話を用いたけど、友達とかに関してももちろん適用されるもので、例えば自爆テロをする人や、災害時などに死にそうになってる人を助ける際、自分にもリスクがあっても助けようとしてしまう人(自分より他人を優先している)と言うのは、かなりオキシトシンが強いのではないか?というデータもあります。 だから、前者と後者は実は同じ愛情なのかな?とかも思ったり。 でも、自分は想像力が低いから感覚的に自分が認知している範囲のことしか本当に認知するのはできないタイプで、 おそらく自分はオキシトシンがかなり強いのと、社会のモラルとかを気にしないから、何か人にギブするという行為に対して、偏った感覚を持ってるのかもしれない。 もう少し普遍的な感覚を持っている人だとギブするとかに関して自分とは違う感覚を持っているかも知れないから、そこら辺とかすごい興味深いなぁ。、

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