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Пікірлер: 28
ソ満国境近くから各地を経て引き揚げてきました。作曲された当時の世相からすれば、中国とソ連との国境を念頭に置いてのものと理解しています。戦後何度も冬の中国・ロシア国境を訪ね、凍えるなか確かにこの雰囲気だと実感し小声で口ずさみました。温暖化以前の事でもっと寒かったろうと。やっぱり歌は世につれか。87才
@user-kb1vs8mc7i
2 ай бұрын
多分、満州国じゃないかな。日本軍がいたので。満州鉄道の慰労団長でしたし。
素晴らしいですが60代半ば歌唱です。35才デビュー当時の哀愁と憂いを秘めた美声は現代でもいません。
いいですね。昔の歌は❗️涙が出そうです
わたしの、父が よく歌ていたよで 懐かしくなって
流石東海林先生、美声!
この歌聞くと満州から引き揚げれなかった叔母一家三人に本土の土を踏んで欲しかったですよ。 満鉄に勤務された東海林太郎さんが歌われたのも何かの縁ですね、
元声楽やってました。 三才でこの歌聞いて声楽目指しました。 事実です。
子供のころはいつもこの歌を聴いていました。
大正生まれのあるおじいさんの話を思い出しながら聞きました。 彼は、樺太の生まれ育ちでしたが、戦争でロシアに追われて家族で逃げたと。逃げる道中お兄さんが亡くなったのですが、遺体をそのまま運ぶ事も焼くことも出来ず、その辺りに埋めるしかなかったそう。なんとか北海道へ逃げる事ができて暮らしを立て直したそうです。その後彼は軍に志願して海軍兵となり出兵したとの事。故郷には死ぬまでついぞ帰れぬまま、お兄さんを迎えに行くことも叶わぬままでした。
男性のテノールだけど、両親も好きな歌だった、また、この歌にもチャレンジしてみたいです
はるか昔の懐かしい歌です☺️ この歌をカラオケで唄うのは高音部と低音部の差が大きく音域が相当広い人にしか唄えないなと思います😅 でも やっぱり何年経っても聴きたくなる名曲ですね❤
戦後、無事に帰ってくることが出来た数少ない歌手ではないでしょうか? 戦中の教育が身体の中に入っていたのでしょうか、東海林太郎さんの ピシッと直立不動で歌う姿を感心してはなしたものでした。 今はなき両親 物心つく頃の私 全てが懐かしい 歌です。
60年前、「歌謡ショー」で私の実家の田舎町に来られて、丁度夏場だったので、控え室で下着姿で昼食を食べておられました
東海林先生は ステージに立つ3時間前に発声練習してベストの状態にしてステージ終了まで 何も口にしなかったそうです(水さえも❗️) 正にプロフェッショナルです❗️
国境のない日本に住んで、凍りつくよなの国境、はるばる千里、何処の国境でしょうか?東海林太郎さんの直立不動の姿が懐かしいです。
この歌はオクターブが広くてカラオケで唄うのは難しい❗️
국경 의 마을 좋아요 👍👍👍
旋律非常好听
0:40「他国の星」と歌っているけど、「他国の空」と書いてあるのは、「空」をホシと読むのでしょうか?
@lasi1684
7 ай бұрын
誤字だと思います
一番は「他国の空が」ではなく「他国の星が」ですね。
古賀政男氏の曲でしょうか?想像ですがメロディーの雰囲気が何となくそうかなっと感じました。違ってましたら申し訳ないです。
一つ山越しゃ他国の星、と言っているところからすると国境のこっち側は自国(日本)領と想定されるが、 当時日本の陸続き国境と言えば樺太の日ソ国境か朝鮮北部の日満・日ソ国境があって、これはどこがモデルだろうか 樺太、北朝鮮どちらも寒冷で鄙びていただろうから歌詞からは見当がつかない
@KokonTouzai-Rekisi-Channel
9 ай бұрын
満州がイメージされてるそうです
昔の著名人って東海林って人多い気がする
私は樺太日国境と考えます。
3番が無いのは。