感謝王!一乗院✨身代り不動尊

茨城県那珂市飯田
那珂川と久慈川とにはさまれた豊饒の地、那珂中央台地を水戸へむかって南進すると、田園風景の中に佐竹氏や徳川光圀公ゆかりの寺・法満山一乗院があります。
平安時代後期、前九年の役・後三年の役で名を成した源義家に、笙の名人として高名な弟・新羅三郎義光があるが、その孫昌義が佐竹郷(常陸太田)にて興した家が佐竹氏。 一乗院はこの佐竹氏の代々よりの祈願寺であり、その縁で扇の紋を使用しています。
一乗院の開創は、後小松天皇至徳三年(1386)に現所在地・那珂市よりやや北方、常陸大宮市石沢に快範上人・恵海によって建てられている。
後に稲木(常陸太田)山吹の里に、佐竹氏の祈願寺として隆盛を誇る。 この時、佐竹連枝小田野大和守・義正の子、一乗坊海義阿闍梨が松橋の尭雅僧正より秘密印可を受け、中興開山となった。
25番札所:一乗院(通称:身代わり不動尊)
さらに時は移り、佐竹義宣が江戸氏の水戸城を攻略した天正十八年、一乗院もこれを機に繁栄するも、11年後の佐竹氏の秋田移封と共に、みちのくへ行くこととなる。寺院は、その時の支配者により宗派はもちろん場所も変えられることがあったようです
一乗院もこうした波乱の末、元禄十三年2月21日、徳川光圀公の命によりようやく現在の地に移る。
ここ飯田には、桓武天皇の御願所として延暦年間に建てられた毘沙門堂(多聞堂)があり、代々水戸城の鬼門よけとして崇拝されてきた。
本尊毘沙門天は、運慶の作と伝えられ、写実的で力強い仏像。現在は正月三日の毘沙門天大祭に、境内で開運厄除の「だるま市」が開かれ、多くの参拝者が訪れています。
一乗院の本尊不動明王は武運長久・戦勝祈願のお不動様として信仰され、身代わり不動尊とも言われております。

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