【F1】ホンダ第二期初勝利を挙げたマシンの知られざるエピソード【解説】【ウイリアムズFW09】
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今回はウイリアムズとホンダのタッグで第二期ホンダ初優勝を飾ったマシン、FW09について解説していきます。
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今でも覚えてる。 ダラスGPで優勝した直後、新聞に勝利を伝える一面広告が踊ったこと。 遠い欧米、遠いF1。未だ雲の上の様な頂点のレースにHONDAが勝った! 凄く嬉しく思った記憶残ってます。
84年のダラスは荒れたレースやストリートコースでは無類の強さを発揮するケケ・ロズベルグの真骨頂ともいえるレースでしたね。この勝利に救われたから第二期ホンダが黄金期を迎えることができたと言っても過言ではないでしょう。ほんとロズベルグには感謝しかありません。
ダラスGPでのHonda復帰後初勝利の知らせを、NHKの19時?のニュースで見た事が忘れられない。 晩飯中だったので、口の中にメシ入ったまま『ウォ~~!やったああ!!』ってガッツポーズしながら叫んでたわ。
この頃はまだ各チームのフラットボトム規定に対する最適解が出ておらず、同じフォーミュラ1にもかかわらず、異種格闘技のような面白さがありましたね。
FW09は小学4年生頃に家族で行った鈴鹿サーキットメインゲート近くのボーリング場そばにあった時代のホンダコレクションホールで見た事がありましたが、この様な苦労があったマシンだったとは知りませんでした💦💦💦💦💦。
「Honda Wins!」のステッカーが大好きで身の回りのものに色々貼ってた懐かしい思い出
83年最終戦だけでスピリットの最高位を上回ったのはさすが。
ウィリアムズとHONDAのタッグ ここから、少しづつ日本でもF1が認知され初め、やがてF1ブームへと繋がって行ったんですよね この、ケケ・ロズベルグの一勝は、そういった観点からも価値ある優勝でした。
父ロズベルグがマシンセッティングの方向性を聞かれて 「細かいセッティングはどうでもいいからブースト圧をあげろ」 とだけ言ったってエピソードが好き。 5:36 でそんなことを思い出した。
オートスポーツで連載してた「オレさま烈伝」の単行本に11:11の写真がモノクロで載ってたなー。そのときの「北欧のカウボーイ」というキャプションが、ドッカンターボをねじ伏せて走るケケのドライビングスタイルと相まって秀逸だった。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
実は83年から85年区間が各車とも最も暴力的なエンジンだった様子💦👍 87年がなんだかんだいってマイルドだったよう。 それでもグループCよりはワンパクだとは思いますが💦
84年はターボのタイムラグとケケ持ち前のスロットルワークでゴリゴリ強引に走らせてるかんじでしたね。 北国出身なのに猛暑にもビクともしないタフなレーサーでした。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
ダラス時のヘルメットのホースに秘密があるよう👍
壊れたからこそ伝説の始まりに。 成功するまでの苦労があるからこそ 良いエンジン、マシンに。 ホンダの伝説の始まりの時代ですね。👍
3年連続のタイトルといっても 1980 D&C 1981 C(Dはブラバム) 1982 D(Cはフェラーリ) この頃は今と違って接戦で面白かった。
ケケにぶっ壊されたエンジンの数だけホンダが成長出来たと言っても過言ではないですね
ケケ・ロズベルグはホンダスタッフが後にウィリアムズ入りしたマンセルに対して「なんて丁寧な走り方をするドライバーなんだ」といったとかいうエピソードがあるぐらいには雑、もとい豪快なアクセルワークする人だから、ツインターボのホンダはシングルターボのBMWよりターボラグが少なくて乗りやすかっただろうね。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
86年頃の1000馬力台のほうがロングストロークで燃焼室形状もマイルドになるように歳設計されたエンジンになってきたようなのですが。 マンセルさん的には85年の エンジンよひ乗りやすいらしうです。
@Railton-bb
Жыл бұрын
@@user-td2nr4ni3 パワーあげてもターボラグを減らしてくるあたりは流石ホンダといったところですかね。...1986年になっても「アクセルを踏み込むと野獣が現れる」とか言われていたBMWが逆に怖くなってきましたが。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
@@Railton-bb BMWは逆に酷くなってきたという話聞いたことあります💦 下がスカスカなのに、上ばかり強烈なパワーを出すのでドライバー乗りずらかったでしょうね💦👍
@user-lp1qq2py5g
3 ай бұрын
その反面、当時ATSやベネトンでBMWエンジン車をドライブしていたベルガーによるとワンレースで200馬力アップとか普通にあって毎週サーキットに行くのが楽しみだったと回想しています。
@kazp-zx7rb
27 күн бұрын
ケケはBMWエンジン乗ってない
決して速く無かったけどそれでもホンダ2期の1勝目だから記憶に残るマシン
昔、カワイから1/20「HONDA F-1」という商品名でモーターライズのキットがありましたがキットのモデルがウィリアムズFW-09Bホンダでしたしたね。
F1ブームの遥か前、 FW11がタミヤから出たころ、86年シーズンの終わりだと思うのですが、東急だか五番館だか、札幌のデパートにホンダのF1マシンが来るっていうんで、一人で見に行ったんです。 ポスターも看板もなくて、散々探して上の方の階の催事場を見つけてやっとたどり着いたんですよ。 すると、そこには見慣れぬぼってりとしたマシンがひっそりと鎮座していました。 …今思えば、FW09だったんだなと。てっきりFW11が来てるとばかり、勝手に思いこんでいましたからね、当時中学生の私。 周りには係のおじさんくらいしかいなくて居住い悪くて早々に退散した、F1初対面。 思い出のマシンであります。懐かしい。
@user-lv2go4ox4k
Жыл бұрын
五番館、懐かしい。
現在のようにデータでガッチガチの時代よりも、エンジンとターボ送りつけて好きに使って良いという時代の方が経験と勘の部分が大きくて面白いかもしれませんね。
第二期ホンダF1の初優勝の84年シーズンはあのセナがデビューした年でも有りました、このシーズン豪雨のモナコGPでセナ自身初の表彰台に加え炎天下のアメリカGPでのF1復帰後初のホンダエンジン初優勝、運命的な物を感じますよね!✨^^y
ケケ・ロズベルグもホンダに貢献したと思えます。
鈴鹿サーキットのレジェンドオブ鈴鹿でも飾られていましたね(2023年4/3現在はGT仕様のNSXが飾られている)
子持ちウイングが、懐かしいですね✨
F1レジェンズというフジテレビで当時の再放送の再編集版を見たのですが、優勝したダラスも凄まじいコースでしたね💦壁は近く路面は猛暑で溶けるような感じでサバイバルな様子でしたが。 ロズベルグさんの凄腕と秘密兵器のヘルメットに取り付けられたクールホースと。 着々とスピリット時より信頼性をあげたエンジンとでライバル達がみんなリタイアする中生き残り勝ち抜いたのですからドラマありますね。 リタイアしたみんな同じところで日差しが暑い中F1観戦してました💦 83年のホンダを失ったスピリットは最後はハートエンジンに切り替えですかな💦?
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
@@njdhjrijdlspkojgmvnhkbuegk1505 すいません💦訂正スピリットと打ってたと思ってたらなぜか読み直したらトールマンになってましたすみません💦これ直します。 84年もセナさんが乗ってましたね👍ミニカー持ってるのになぜこの名前だしたんだ自分💦
どこかのGPでラフィーが川本さんにモンゴリアンチョップしてたよな。
グランドエフェクトカーっていうと、リアルタイムでは見ていないのですが、なんだかマシンが「空を飛んで行く」みたいに大クラッシュというイメージがありますね。
ウィリアムズ FW09 ホンダタ一ボエンジン懐かしいマシンな。ケケロズベルグ ヤ ウィリアムズ FW11 ホンダタ一ボ で 1987年にはネルソンピケ がワールドチャンピオンを獲得しましたマシンではない !? 毎回紹介説明映画ありがとうございます。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
ケケさんウィリアムズの後マクラーレン入りしましたね。 1987年はエンジンにもターボにも少し規制が入って。 前年の86年よりは決勝時のパワー下げられましたが見事にダブルタイトル。 88年さらに規制がかかってよりパワーダウンしましたがより早くなりダントツに💦👍
海老沢泰久氏の「F-1 地上の夢」ではこの時代が一番熱い展開で燃えます。
@quakerstatemotoroils
Жыл бұрын
ですです。地上の夢。ウイング立ってるのがウィリアムズホンダで、負けたけど、来年頑張ればいいじゃないかって終わり方、いいですよね。 最高です♪
@crankyfranky9801
Жыл бұрын
85年のビッグボアからロングストロークへの変更が転機になったね
26年からマクラーレンとウイリアムズホンダ復活しないかな
結局最初から強かったって事か、
82年のリカルド・パレッティもジル・ヴィルヌーブも フラットボトムが原因でクラッシュしたわけではない。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
あれはフォーミュラカーなら宿命なクラッシュでしたね💦 どちらかというと全体的に軽量なため薄いですからね💦 大破から逃れられません。
@osamu8133
Жыл бұрын
ケケみたいなパイロットは何でも速く走らせてしまうから開発的にはイマイチ ラフィーの功績は大きい
07の美しさ?対して09 無骨?なマシンに見えたもの がどうかな? 今観ると中々良いではないか?俺が当時最も感心したのは ケケだったな F1へ行く前には鈴鹿F2で中団争い?程度のドライバーだった そのケケが 最後にはF1チャンプを取る 当時これにはほんま驚いたもの 中団で鈴鹿F2をヘナヘナ苦しみながら走るケケロズベルグを見ていたからこそ だけど ニコを生んだだけのことはあったのだね ニコがF1でトップに立つまでは 信用していなかったけど・・仕方無い チームメイトが あのラフィーだものね 若年にはわかるまいラフィーの凄さ(ケケから離れたな すまん)
@user-sj4re5gc2o
Жыл бұрын
なんやかんやで、私もラフィーは好きなドライバーの一人です。86年のブランズハッチでマンセルがやらかさなければ、その後のシーズンがもっと面白くなったであろうと思っています。