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「地元の思い受け止める」 岸田首相、南部土砂巡り 遺骨収集に初言及も

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Пікірлер: 6

  • @user-bc4rd6kp7n
    @user-bc4rd6kp7nАй бұрын

    解ったからもう辞めろよ。

  • @user-uk1mc2sp6r
    @user-uk1mc2sp6rАй бұрын

    この会見は 岸田総理のただのパフォーマンスにしか見えないな いちよこう言っとけば角立たないみたいな

  • @user-or5fu6uq9t
    @user-or5fu6uq9tАй бұрын

    第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本政府と軍部は、自国の皇土を守るために外縁部(外地)で戦うことを決めていた。 「皇土」とは、天皇の国土、すなわち日本本土(内地)のことで、当時の軍部は日本本土(内地)のことを皇土と呼び、いかにして皇土を守るかが最重要課題とされていた。 一方、「外縁部」とは、フィリピンやガダルカナル島など、いわゆる南洋諸島を意味する。 日本政府と軍部は沖縄を皇土(内地)とは考えず、南洋諸島と同じ外縁部(外地)という位置づけだった。 そのことを東京大学の歴史学者である加藤陽子教授が数年前、朝日新聞の紙面で語っていた。 つまり、沖縄は当時の日本政府や軍部に捨て石として扱われたのである。 沖縄戦前の1945年2月14日、近衛文麿元首相が昭和天皇に上奏文を提出して早期の終戦を進言したにもかかわらず、昭和天皇は「もう一度戦果を上げてからだ」「沖縄戦を見てからだ」と答え、近衛元首相の進言を退けている。 昭和天皇が沖縄を本土防衛の捨て石と考えていたのは言うまでもない。 @沖縄県那覇市首里 琉球史研究家

  • @tponfa6954
    @tponfa6954Ай бұрын

    「散華」という言葉を使われましたが、流石総理、国の人ですね。 散華とは、戦死を美化する言葉です。戦中の名誉の死と同じ発想です。 実際の戦死は、血生臭く、泥臭く、惨いものですよ。

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