チェルノブイリ30年・福島原発事故5年 【ピースオンウィングプロジェクト】 禎子の折り鶴寄贈式&子どもたちの折り鶴交換式 in ウクライナ国立チェルノブイリ博物館 /2016年4月26日
チェルノブイリ原発事故から35年を迎える今日。今からちょうど5年前に行った式典の記録映像をダイジェストで公開いたします。
原爆の子の像モデルとなった佐々木禎子の折り鶴が、2016年4月26日、チェルノブイリ30年の当日、ナターシャ・グジーと佐々木祐慈によって、ウクライナ代表マリーナ・ポロシェンコ大統領夫人へと日本とウクライナの共感と友好の印に贈られました。
この禎子の折り鶴は、2000年、来日間もないナターシャ・グジーに佐々木禎子の父・佐々木繁と兄・佐々木雅弘によって、贈られたもので、爾来ナターシャの日本での活動の励みになっていた宝物でした。
チェルノブイリ30年、福島原発事故5年を期に、両国が経験した核の悲劇
(広島・長崎、チェルノブイリ、福島)を繰り返さないため、その未来を担う子どもたちへと想いを伝えるため、両国の子どもたちに折り鶴を折って、その翼に平和への願いを書き込んで交換するというプロジェクト「ピースオンウィング」を始めることにしました。
ウクライナの子どもたちには佐々木禎子の物語を、日本の子どもたちにはチェルノブイリの事故のことを、それぞれ学び合い、感じあったうえで折り鶴に願いや想いを込めて交換した感動的な式典の模様をダイジェストで公開します。最後に「希望の灯(ウクライナ曲)」演奏があります。
詳しくは、Facebookの「ピースオンウィング」ページをご参照ください。
また、本式典はじめ、ナターシャ・グジーが長年夢見てきた日本の音楽家たちとの故郷ウクライナでの凱旋コンサートの模様を完全収録した、「ナターシャ・グジーコンサートinキエフ」(DVDまたはBDR 2枚組)には、この式典の模様も完全版として収録されています。
ナターシャ・グジー公式ホームページからお申し込みいただけます。
ぜひご検討ください。
オフィスジルカ
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ナターシャ・グジーさんとは25年程前に東京府中市の平和チャリティコンサートで御一緒しました。チェリノブイリ事故以来一貫して世界平和の活動をされてる事に共感し感動します!お体に気を付けて益々の活動を祈っております。
ありがとうウクライナ そして今回出演してくださった方々&関連尽力して頂いた人たちに 幸多かれ。
今、ここの皆様の平和への祈りも意思の籠もった禎子さんの折鶴も千羽鶴も踏みにじるとても悲しいことが起きています。 どうか、どうか狂ったとしか言いようのない暴挙がこれ以上酷くならないように祈ります。またナターシャさんの胸の張り裂けそうな今の思いとご心労を心よりお察し致します。決して戦争で平和は得られない
50年前中学のころ学校の講堂(体育館)で佐々木偵子さんの映画観ました。泣けましたね。あちこちですすり泣く声が聞こえていました。
私は、12年前に、キエフの国立チェルノブイリ博物館に、ナターシャさんのコンサートを 飯田市と浜松で見て、ファンになり、どうしても、ウクライナに行きたく、たった3泊でしたが、行き、博物館にも、寄って実感して来ました。まさか、日本でも、切実な事態が起きるとは、ナターシャさん、また中部地方でコンサート開いてください。必ず足を運びます。
感動しました! 素晴らしいです!
とても貴重で大切な映像に接することができました。ありがとうございます。ウクライナの情勢がとても危機的な今たくさんの方に見ていただき戦争と殺戮が再び起きないようにしなければと強く思います。
この小さな折り鶴が、日本とウクライナの平和の架け橋になる事を願います。そしてやがて佐々木禎子さんの願いが世界に広まる事を祈りたいです。😔
素晴らしい集いです。 人類は、原子力の平和利用、安全管理の研究に、連帯して力を注ぐ使命があります。 特に原子力で多くの被災者を出した日本、ウクライナ両国は。
It's very touching! Thank you for your actions.
Nataly mis bendiciones para usted en su hermosa vida.. 🌎💕💕Desde Chile te mando mis saludos 🙏💖
核は、大きな力を持ちます。そして広島。そして長崎。兵器として核を使用されました。人は蒸発。影を壁に焼き付けました。 また、核には放射能があり、生きることを絶望させる苦しみ。忘れないでください。生きることを望むなら。
ウクライナ👫💖💑💖👫日本
Земний уклін та щирі слова подяки за Ваші справи на цьому шляху.
あの 貞子の折り鶴が。羽ばたいてウクライナの。平和への願いに。
原発事故も大変だけど、プーチンの暴走による戦争も大変だ、何時終了するか目処が立たない。 戦争が終わっても、ウクライナの戦後復興を助けてくれる国、いるのかな? 戦争はロシアを叩き潰す為に強力してくれたけどね。 私は、戦後ウクライナに移住する、まずは、国立チェルノブイリ博物館に行き禎子の折り鶴を見たい。ウクライナに何十回も行ったけども。。。
1918年頃には隣国として「極東ウクライナ共和国」が存在していたそうです。