茨城県取手市「犬養春枝の居館・井戸」平将門関連

茨城県取手市「犬養春枝の居館・井戸」
東漸寺の東方300mのところ、JA寺島支所の手前に「春日神社」の小さな祠があります。この神社の周辺に、将門の外祖父・犬養宿弥春枝の居館があったといいます。神社の南にある岡田家(周囲はほとんど岡田姓なので、旧屋号・伊右衛門で尋ねます)に、将門の母が使ったという井戸が残されているというのですが、家には誰も居なくて入れませんでした。道路の近くに井戸らしきものはありますが、確認できませんでした。
将門の母
『尊卑分脈脱漏』では、将門の母を下総国の豪族・県犬養春枝の娘としています。この県犬養春枝という人物は、幸田露伴によれば、『万葉集』巻二十に名前が上がっています「下総国の防人部領使少目(さきもりのことりづかいしょうもく)」県犬養宿禰浄人(あがたいぬがいのすくねきよんど)の末裔であるといいます。だとすれば、県犬養家は代々、防人の訓練や交代を行ない、下総国府に属する在地役人であったことになります。現地の実力者であるこのような人々と「軍事貴族」は縁を結ぶことによって、地方に根を下ろし実力を養っていったのです。
将門誕生の場所は、当時の習慣でいけば母親の実家県犬養家の館、露伴の説に従えば、相馬総代八幡宮の地ということになります。時は、延喜3年(903)といわれますが、これは没年とその時の年齢から逆算したもので、確実な史料はありません。幸田露伴は著書『平将門』で次のように記しています。
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