アラフォーから始める生き方の転換

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#大愚和尚の一問一答 #大愚和尚 #仏教

Пікірлер: 23

  • @user-ee1og3rd6m
    @user-ee1og3rd6m Жыл бұрын

    頭が良くストイックなあなたへ。私はあなたに比べれば頭も良くなければ努力も足りないかもしれません。でも人生振り返ると仕事、仕事ばかりの人生でした。現在44歳。今年の10月で45です。今まで女性と花火大会にすら行った事がありません。貴方はまだ若いし気づかれたのが早かった。今からでも遅くはないのでシフトチェンジして幸せになってくれる事を祈っています。そうゆう私も絶望感がありますが限られた残りの人生で巡りあい人生を桜花できたらと思います。私は現在精神疾患に侵されています。ですが貴方の事が気になったので思いってコメントさせて頂きました。

  • @user-ee1og3rd6m

    @user-ee1og3rd6m

    10 ай бұрын

    @@Kaerukaerunidome どうもあなたは何歳や?仕事できない理由なんてあるか??探す気になったら仕事などいくらでもある。河川敷の缶拾いだって時間をかければ金になるし。仕事があるかないかなんてプライドの問題だろ。若い人なら体を売るように

  • @snobo
    @snobo Жыл бұрын

    恥ずかしながら50歳を過ぎた頃から人のお役に立つ事が仕事の楽しさと気づきはじめました。 それまでは自己実現を求めていました。いつかエミリさんにもその様な時が来る事を願っています。

  • @miumiu7849
    @miumiu7849 Жыл бұрын

    私もアラフォーでお話に共感してしまいました。 昔から多趣味で仕事も好きで、公私共々自分を高める事に夢中でした。 周りに言われるものの恋愛には本気になれず 30代半ばで知人の勧めでそろそろまずいと焦りはじめ 結婚相談所等を利用し婚活をしていましたが、その後、体調不良が続き大病が発覚。 治療優先で年月が過ぎ、現実的に子供は難しくなってしまいました。 元々子供はそんなに望んでいませんでしたが、想定外の事が起き悔しくて泣きました。 確かに無自覚なだけで女性の本能は有る気がしますし 今でも過去の後悔に苛まれる時が有ります。 結婚していない事に劣等感を感じ、 好きな事に時間を費やしてきたのが無駄だったと思っていた時期が有りましたが 段々それはそれで良い様な気がしてきました。 今までを振り返ると私なりに他人にはない経験を積んできたのでそれには自信を持って これからは学ぶだけではなく経験を活かす事が目標です。 周りに与えるという事もそうです。 その方が生きがいに繋がりそうな気がします。

  • @iropa15
    @iropa15 Жыл бұрын

    エミリーさんのお気持ちも和尚の仰る事も、よくわかります。どちらのお話も身に染みました♨️ 私の話になりますが、ご参考になればと思い、記させていただきます。 私は若い頃恋愛は苦手で、仕事と趣味中心の生活をしていましたが、30半ばで子供が欲しくなり婚活を始めました。時間はかかりましたが、自分の求めている相手の人物像がハッキリしてくるのと同時に、出会う人達が段々と理想に近づいてくる感じがありました。それでも決定打を打てる相手には出会えず40を過ぎ、諦めた訳ではないものの婚活は一旦ゆったりモードに。丁度その頃、一緒に住んでいた親(母)の方がやる気になり、結局は母が見つけてきたご縁の方と結婚しました💍 私の幾つかのどうしても譲れない条件を満たしていたし、この人とならやっていけるかも、と思えた相手でした。 自分の婚活では見つからなかった訳ですが、婚活をしてなかったら自分が結婚に何を望むのかに気付けず、決断も出来なかったと思います。それに私が何もしていなかったら、母が動く事もなかったと思います。なので婚活は無駄ではなかったです。嫌な思いをした事もありますが、職場始め普段の生活では出会えない異性と出会いお話出来た事は、振り返れば面白くて貴重な経験になりました💎 結婚する頃には子供が欲しいという気持ちも落ち着き、自然のままにというスタンスに。(4才上の夫も考えが一緒でした。ちなみにどちらも初婚です。)アラフィフの現在、結局子供はなく夫婦二人で暮らしています。30半ばで子供が欲しくなるのはDNAやホルモンの叫びなのかも、と今は思っています👶 一人で老いていく不安は減ったし(離婚、病気、事故等の不測の事態は起こり得るので、不安が0にはなりません) 長い事あった独り身への負い目みたいなものはなくなりましたが、結婚してもステージが変わるだけで、新たな孤独や悩みが生まれました🌀 私は結婚と同時に九州から夫の働く関東へ引っ越し✈️、更に言えば実家を出るのも初めてだったため、結婚生活に加え、知り合いのほぼいない見知らぬ土地に馴染むのには想像よりはるかに時間がかかりました🆕🏠️💧 (一度働きましたが、パートなのに忙しすぎて心身を壊しそうになり、やめました。それまで仕事には自信があっただけにトラウマのようになってしまい、それ以降働いておりません。) その内コロナ禍になり、実家で一人暮らしとなった母が精神を煩い身体も壊し入院🏥 治る可能性が低い事もあり実家を手放す事になったりして、こちらも身が千切れるような思いをする時期が続きました⚡ (母の入院のお世話等は、既に結婚しているけど(旧)実家の比較的近くにいる妹がしてくれています。家を売り終わった今は多少落ち着きましたが、妹が一番辛かったと思います…) 私は関東で現在趣味中心の生活をさせてもらっている事はありがたいものの、うまく行っているとは言えない結婚生活ではあるため、気楽だけど孤独な毎日で。母や自分にとって、遠方へ嫁いだ事は正解だったのか…としばらく考えさせられました。でも今はほぼ、受け入れられるようになりました。 以上の私の人生は一例ですが、結婚したら悩みがなくなる訳ではなく、ステージが変わる事で悩みが変わるという事に、経験して気付きました。子供がいれば更に、嬉しい事もしんどい事も色々起きてくるでしょう。 更に、どのステージにいても予想できない事は起こります。これはもう起きたら対処するだけで、防ぎようがありません。 だけど自分がどのステージにいたいか、行きたいか、道を選ぶ事は出来るんですよね💡 実際にその道でないと、経験出来ない事があります。結婚したいと思われるなら、婚活の一歩を踏み出されてみてもいい、と私は思います。 (ただ、ここで少し厳しい事を申しますが、30半ばでは子供を産むには遅い、と考える男性が世の中にはいます。もちろん自然のままに、と考える男性もいますが、婚活では個人よりも年齢で判断される事がある、というのが現実です。だからこそ、もし婚活されるなら1日でも早い方がいいです。) 一方で、和尚の言われる、自分に出来る事は何か、『与える』事を考える、という話も人生においてとても大事な話で、今の私自身のテーマでもあるようにも感じました❇️ 確かに『与える』気持ちを持つ事で心が満ち、世界が変わる、出会いも変わる、いいご縁も増えそうです。この道は、私もこれから進もうとしてスタートラインにいるところでまだ未踏なんですが、人生をいい方向に大きく変えてくれる可能性を感じます。 エミリーさんは婚活と共に、考えられてみられるといいんじゃないかと思います。 尚、私はアラフォで結婚しましたが、アラフィフで結婚した友人(同級生夫婦でどちらも初婚)がいて、幸せそうです🍀 自分には結婚のご縁がないのかも…と思われる独身の方は少なくないと思いますが(かつて私も友人もそうでした)、『タイミング』というものがあるようで、気持ちの準備や覚悟が出来た時、人生に相手が現れやすいのではないか、と思えてなりません🌠 私や友人に限らず、実際に例は少なくても中年~高齢で結婚する方々はいます。なので結婚を、年齢を理由に諦めないで頂きたいです。(エミリーさんはまだお若いですが、もっと上のお年の方でも。) もし恋愛は難しいという方でも結婚は出来る、と信じてほしいです🌟 ただ、和尚のお話にまた戻りますが、殊に結婚には自分の求めるものを考えがちですが、和尚の言われるように自分が与えられる事を考えた方がうまく行くのかも、と私も思えてきました。与えられる事は家事や育事、仕事や経済力等のスキル的なものだけではなく、愛情や思いやり等、心の面も含まれます、きっと。この辺りは私の反省点でもあります💧 私もこれから、夫始め、周りに出来る事をやっていこうと思います。 最後に、婚活をされていく中で自分は本当は結婚したい訳ではなかった、と気付かれる方も中にはいらっしゃるかもしれません。それはそれでいいと思います。ここまで推奨しておいて何ですが、人生において結婚が全てではないからです。そのまま独身で生きていかれるもよし、その時がタイミングではなかっただけでその後気持ちが変われば、動くのもよしですね。 選ばなかった道になるたけ未練を感じないよう、後悔の少ないように生きられたら、いいんじゃないかと思っています。 とても長文、散文になり申し訳ありません。エミリーさんや他の独身である事を悩まれている方々に、少しでも参考になるお話が出来たのであれば、幸いです✨

  • @user-dm1iq5zz5j
    @user-dm1iq5zz5j Жыл бұрын

    60歳に近いおばさんです。両親がいなく、叔母夫婦に育てられ人生に絶望しておりました。昔は両親がいないと結婚もできないと勝手に思ってた時代でした。いろいろ事がありましが、今は孫も生まれとても可愛くてやっと幸せだと思えてます。40年前、死にたいと思った事もありましたが死ななくてよかったと思える時がきて良かったです。合掌🙏

  • @tomo98671
    @tomo98671 Жыл бұрын

    自己実現ではなく、社会のために、使命のために生きる、、心がけたいです

  • @milkmilk2222
    @milkmilk2222 Жыл бұрын

    自己実現が誰かの役にたつことと=になったら 幸せですよね 自分の得意なことで誰かを笑顔にしたい

  • @sachiekimura
    @sachiekimura Жыл бұрын

    相談者さんと同世代、自分にも当てはまる内容で、最近感じていた不安の原因がわかりました。 周囲に与えられる生き方にしていけるよう努めてみます。

  • @tama.3690
    @tama.3690 Жыл бұрын

    「自己実現」では無く「使命に生きる」 それは、社会や周囲に「与える」ことをしていくこと。 そうすれば、 風景の見え方が変わってくる。 人間は心の中に何を持っているかで 自分の有り様も変わってくる。 そうなると、 元々繋がっていたご縁が見えてきたりする。 ご縁が広がる。 自己実現から、 もっと大らかに、遠くを見渡しながら、 「何か私に出来ることはないだろうか?」 慈しみをもって生きていく。 そんな人生は不思議で面白い。 慈しみと言う言葉に、 「慈悲心」をイメージしました。 また、わたしも、現在36歳で、 逆にこれまで、 行き当たりばったりな人生を歩んできて、 自己実現をしていないのでは。 という、問いがありました。 しかし、本日のお話しで、 自己実現を追い求めすぎる必要が無いことを改めて気づきました。 そして、それは「使命に生きる」ということだと気付きました。 私に与えられるものは無いだろうかと、 使命に生きようと決意しました。 堂々と歩んでいける様に、 日々励んで参ります。 ありがとうございました🙏

  • @user-gc5go5io5n
    @user-gc5go5io5n Жыл бұрын

    これはアラフィフからでもあてはまると思いたいです 相談主様、私はあなたがとても羨ましいですし素晴らしい方だと思いました。 応援します^_^。

  • @user-is4cx9cy3i
    @user-is4cx9cy3i Жыл бұрын

    アラフォーですが、今まで人の役に立とうとして上手くいかなかったので、これからは自分のやりたいことをやっていこうと思っていたところでした。

  • @Tom-to6cd
    @Tom-to6cd Жыл бұрын

    「やらねばならない」「こうでなければならない」と 焦れば焦るほど、目的は遠ざかっていく そして 自分だけの目的だけならまだ良いが 結婚とは、相手というもう1人の人間の意思がある 自分が結婚したいから、結婚せねば 叶えたいと相手にグイグイせまり さらに自分の希望にあわせたいと虫眼鏡で覗き込むよう会話する そうはやってるつもりはなくても「やらねばならない」という焦りがある限り 人も遠ざかって、結局本末転倒になってしまう その「ねばならない」に そこには「笑顔」があるだろうか 今あるものをないがしろにして、ないものばかり見て、見えない先ばかりみて 焦り、眉間に皺を寄せていても たとえ結婚できたとしても そういう求め方をし続けていれば パートナーといずれ噛み合わなくなってしまう 自分に今あるものを大切にし感謝して 笑顔であたえることができる人には 求めなくても人が集まる そして気付かぬうちに与えてくれる 未来を幸せにするには、今や今自分にあるものを幸せに感じること きっと相談者さんが自分で気づいてない大事なものは沢山そこにもうあると思います それに気づかずないものを求めることに躍起になっていれば その今あるものもだんだん遠ざかっていくのではないかと思います

  • @kk-zx9li
    @kk-zx9li Жыл бұрын

    素敵なお話をありがとうございます。

  • @IRIS-uq4cd
    @IRIS-uq4cd Жыл бұрын

    結婚が総てじゃないかもね 結婚して幸福になる人 独りの時間を充実させて 充分後悔しない生き方ができたら幸福なのかなあ😊

  • @Hiro_plum
    @Hiro_plum Жыл бұрын

    ボランティアさんを見てると、家の前のゴミを拾ってもらった人より、ゴミ拾いをしてる人のほうが幸せそうに見えます。

  • @chicha5358
    @chicha5358 Жыл бұрын

    「人は今でも旧石器時代の人とほとんど変わっていない」という考え方があります。旧石器時代の集団規模は数十人から数百人と言われています。(諸説あります。) また、「ダンバー数」という概念があります。人が知り合いとして人間関係を維持できる人数は150人までという考え方です。 これらの説に対する評価が今後どうなってくるか分かりませんが、私が言いたいことは、「自己実現」と「社会貢献」の間に人としての幸福があるのではないかということです。「自分だけのため」では物足りなく、「社会のため」ではピンと来ない。いわば「数十人から百人あるいは二百人程度の知り合いへの貢献」こそが、人の本能が求めているものであり、人に満足をもたらすのではないかと今は考えています。

  • @ami.8616
    @ami.8616 Жыл бұрын

    人生にレシピはありませんがルールみたいなものはあるように感じます。悪意なく生きていればまず罰則は無いみたいです。他人のことや自然を思う気持ちを持って生きていれば必ず報われると思います。

  • @fumievada2341
    @fumievada2341 Жыл бұрын

    私も今まで海外で仕事に家庭に夢中に生きて来て、何年か前に仕事は退職して、今では初めてやるボランティア活動、子供達、孫達の役に立つように頑張っています。私に取っては新しい生き方です。一時はエミリーさんのように落ち込んだ時もありました。でも新しい人生を見つけました😅

  • @IRIS-uq4cd
    @IRIS-uq4cd Жыл бұрын

    今のこの世界状況の中で子供を産むことが子供にとって 幸福でしょうか 子供を産みたいという思いは 本能でもあり 自己満足かもしれない  和尚さんの 与える愛の実践から生まれる 愛の心のお話素晴しいと思います🎉✨

  • @handle_K.T.
    @handle_K.T. Жыл бұрын

    自己実現 私がサッパリ理解できない言葉のひとつです。 ネットで調べると、自己実現について以下のようなことが書かれています。(検索結果から適当に5つほどピックアップ) 「人間が持つ高度な目的であり、自分のままで、自分の能力/強み/可能性を発揮・実現することを通して、自分らしい生き方をすること」 「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求」 「自分の世界観や人生観に基づいて『あるべき自分』になりたいと願う欲求」 「他の誰にも成し遂げることができないようなことを、自分が成し遂げたいという思いや、自分らしくありのままに生きていきたいという欲求」 「偽りのない自分の姿で好きなことをして、それが社会貢献につながる状態」 あるべき自分? 自分らしくありのままに? 偽りのない自分の姿? 何れも意味が分かりません。 結局、欲求の終着点を無理やり作ろうとした結果の成れの果てなのでしょうか? 「あるべき自分になれたんだから、それ以上の欲求は起きないよね」「偽りのない自分の姿で社会から認められる状態なら不満はないよね」 そうやって欲求の最終段階を作り込もうとした結果なのでしょうか? なんか、無理やり屁理屈をこねているようにしか聞こえません。 正直、気色悪いという感覚しか起きません。 「あれも欲しい、これも欲しい、もっと、もっと、、、」それが「偽りのない自分の姿」なのではないでしょうか。 通常であれば、手に入れることを望むのが自然な姿です。 でも、「欲しい、欲しい」の結末はどうなるのでしょうか? 手に入らずに強い苦を感じる? 手に入れた物が期待ほどではないと落胆する? 更に欲しいと際限のない欲望に飲み込まれる? 『自分が与えるという生き方に転換していく』 ほんとうにその通りだと思います。 欲は苦しみを生みます。 与えることで与えた相手のみならず自らの苦しみも減らすことができます。 与えることが出来なくても強い苦は感じません。 与えたものが不十分だと落胆することもありません。 際限なく与えたいという焦燥感も生まれません。 (もちろん、見返りを期待して「与える」のは違います。 それは欲です。 見返りが期待以下だと苦しむことになります。) 与えるという生き方を目指したいと思います。 自らの苦を減らすために。