6:15 スタート5秒前
懐かしいですね 最終コーナーから観ていましたよ スペンサーの独走 木下の転倒と 皆記憶にありますわ 自分もまんだ20代 若かったなあっ
この日、自分は125㏄の全日本ライダーのピットクルーとして鈴鹿にいました。 練習走行などでスペンサーと一緒に走った全日本ライダーは口を揃えて、スペンサーは恐ろしく速いと言っており、 頑張ってスペンサーの後ろについて走ったライダーの話しでは、必死で追走した時はマシンが限界を超えて ウォブル出まくって、コーナー3つぐらいしかついて行けなかったとのことでした。 全日本のトップライダーでも、スペンサーの速さには驚愕していました。 ロードレースに於いて、後にも先にも速さではスペンサーがNo.1だと思います。
熱かったな、この頃は😀 映像、ありがとうございます!
貴重な映像ありがとう😉👍️🎶原付取った年ですがテレ東の放送でしたか😮凄い❗。
昨日か一昨日の出来事のように思い出すことができるけど、 なんだかんだで、もう40年近く昔の情景なんだなあ。 時の流れはあっという間というか。
ラップタイムで言えば今のモト3と変わらないらしいけど、カッコ良さは80年代がダントツです。夢が有る時代でした。当時これを見た若者はレーサーに憧れ、レースの世界に足を踏み入れ人生を掛けました。先ずぶち当たる壁は金銭面でしたが、切り詰めて切り詰めてレースにだけお金をかけて、予選落ちして それでも何かを必死にやって悔いの無い清々しさ そんな事を与えて頂きました ボクもその一人です。
当時と言ってGP500より早いバイクは存在しなかったGP500も最終には2分5秒台出してましたからね、JSB1000がやっと2分3秒台で越えた位ですから もちろんモトGPマシンには敵わないけど
オシガケ♪ 2stとロータリー、日本が誇る最高峰のエンジン。電動モーターもマブチに頑張って欲しい。
Very different track between 1983 and nowadays! · Degner was just ONE corner · No post-hairpin chicane · Final chicane was much tighter Also, I don't think Spencer was trying his best, he immediately noticed how much faster he was than anyone else
昭和プロレスのようなトランペットオープニングすげえ これは貴重な映像を見させていただきました ありがとうございます
水谷さん若い頃ですね なつかしいですね ありがとう
わぁー、1983年のTVってこんな感じの映像だっけ? 懐かしいなぁ。フレディー・スペンサー凄かったよなぁ。 手首の故障が、白蝋病とは思わなかったけど、引退残念だったな。 しかし、平さん、超若いw この頃の世界と日本の壁ってもの凄く大きかったなぁ・・・
片山敬済選手の偉大さが改めて判る。
今のタイムの方が速いが、マシンの性能が上がっているので、タイムは参考になりません。 他の選手と比較すると彼が最速です。 №1の天才です。
結果がわかっていても、木下行けぇ!!と思ってしまう この年、木下は圧倒的な速さだったし、NSとYZRの性能差、簡単に勝たせてたまるかという気迫 最後まで走ってフレディと、どの位やりあえるか見たかった 日本チャンピオンの座よりフレディとの勝負を選んだ木下選手に拍手を送りたいです
NSとYZRに性能差なんて無いよ、逆にパワーではYZRの方が勝ってた。 1983年はRS500の阿部孝夫選手とYZR500の平選手の一騎打ちでシーズンが進んでいった。 木山賢吾選手が亡くなってなければこの三人でのタイトル争いが見れたはず。 木下恵司選手は1981年とホンダに移籍した1984年以後(確か1986年度)絶好調だった。
@@ncBBdbyhw さん 文章をよく読んでください。 83年、国内ではシーズン中盤から後半にかけてYZRがかなり速くなり筑波のバックストレッチで、はっきり差がつくくらいRS(NS)とパワー差があったとシーズン後、雑誌の記事やインタビューを何度か見たことがあります。 84年にホンダに移籍した木下選手自身がYZRの速さを誰よりも知っており、NSに乗った時これは苦しいシーズンになると思ったらしい。 ですから、そのパワー差をいかしフレディと、どの位やれるのかを見たかったのです。 木山選手は慣れない2stと転倒、リタイアなどもあり、亡くなっていなくてもタイトル争いには絡めなかったと思いますよ。 阿部選手と平選手の一騎打ちでシーズンが進んでいきましたか?木下選手が不出場だった序盤だけならそう言えるかもしれませんが… 木下選手は最終戦の日本GP以外、出場したレース全てに勝っており、このレース前までランキングトップです。
仮にマシンの性能差がなかったとしてもタイヤが違うでしょ。 フレディのNSが履いてるミシュランは国内レース用のタイヤとは別物。
この頃、ダイネーゼのツナギやヘルメットのスペンサーレプリカを身に付けたバイク乗りがよく見かけたものです。
自分は、彼と同じSIDIのブーツでしたw
8:50 オフィシャルカーがバラードCR-X!そういえば83年の発売でしたね。さすがホンダのお膝元。
最高でした‼️
小学生の頃初めて2輪のスプリントレースを生観戦したのがこのレースでした! 言うまでもなくこの後2輪レースの虜になりました! 因みに鈴鹿はこの年に初めてシケインが設けられたんですよね。
この時代2輪も4輪もバブルの如く盛り上がってきたように思います😀まだ序章に過ぎない83年にTV放送するテレ東は他の民放とは一線を画すセンスに脱帽です😃私は大阪でしたから気付かなかっただけかもしれませんが😅いい時代やったのは、間違い無いな😁
SUNテレビで放送してました。 録画しましたよ。
40年前かお、えぐぅ
フレディースペンサーは自分の最初のアイドルでしたw 未だにフレディーレプリカのヘルメット見るとぐっときてしまうw
スタートの所でRiding highが脳内再生した。 結果は分かってるけど日本人ライダー頑張れ〜!って心の中で叫んでた。
このレース以降に平は日本では無敵のチャンプに、WGPに行ってからもGP500で優勝こそ無かったけれどトップライダーになりました GP250では優勝もしていますし フレディも1985以降は怪我で駄目になって復帰後も平に勝てる事は有りませんでしたし 平は日本でガードナーにも、エディローソンにも勝ちましたから最高のライダーです
この時代のスペンサーはスライド多用のダイジェストでしか見た事が無くて誤解してました。実際にはスムーズで無駄の無い走りですね。
流してるからだと思います。当時のWGPの走りとは全然違います。
ここに片山敬済が参加できてたら、どんなレースになってたんだろ?観てみたかった。
この頃は、空前のバイクブームで、面白いバイクがいっぱいあったし、性能も凄いのに値段が安くて、学生に優しいいい時代でした・・・三ない運動と三段階免許制度が無ければね。😅 けれど、これ程のバイクブームは、二度と来ないでしょうね。
平とフレディ・スペンサーのメットは憧れたなぁ😅
現代のオートバイはこの当時のワークスマシンを越える性能を持ってますね。技術の進歩は凄まじいですね😊 私は2ストが好きなので2ストが無くなったのは寂しい限りです😢
やはりグランプリマシンは2ストですね!4ストはTT-F1とか耐久とかで1ランク低く感じてしまう。
この時見に行ったわぁ🏍️ スペンサーがコースレコード出した時🎉 懐かしい😅
やっぱ500の2ストはいいね!!
この時代は正確な標準語の発音をしているから聞いていても心地よい。 ここ20年、特に最近の発音は聞き苦しい。 何でもかんでも、特に横文字の発音は訛り過ぎ。 せめてアナウンサーぐらいは東京訛りではなく標準語発音でしゃべって貰いたいものです。
懐かしい😌 この頃は、よく中継をしてな✌️😊🎵
今現代、当時のスペック超えるバイクが100万程度で買える技術の進歩が凄い
片山さんにも走ってほしかったな~と。 世界で走るアジア人ライダーと国内ライダー達の対決が見たかった。 ホンダ勢は鈴鹿で世界レベルのテストをしてるわけで、ヤマハはテストに使えないわけで。 平さんも、この頃は世界を目指していても、まだまだだと感じてたはず。 元WGPライダーの根本さんが解説なんで、ご友人片山さんの辛口の解説も面白かったと思う。 19秒はフレディだけど、マシン全体も乗り方も違ってたんでしょう。 今は8耐でも19秒じゃ後ろの方だから、全ての進化が恐ろしい。 何故か茂木は見ないんだよ・・・避けてるわけじゃなく、鈴鹿で大治郎の影を見たい気持ちが強いからかも。
トリコロールカラーの元祖・・・だったっけ? 丁度、この選手達の全盛期の世代だなぁ。 ふたり鷹とかが思い出されて懐かしい
みんな若い〜!
「走りがおとなしい」とかコメントあるようですがフレディは2周目から流してますからw。本気で走ってるのは木下さんがコケるまでじゃないかな。
いやぁ、そこまでもボチボチやろ。
・デグナーが複合コーナーではない ・一周を通じてエスケープゾーンがないに等しい ・コースの幅員が狭い ・縁石が少ない ・コース脇が雑草まみれ など、スペンサーの速さ以上に昔の鈴鹿が新鮮でした
観に行ってた❗ 次元が違ってましたね
これまでに天才と思ったのが、スペンサーとストーナーとマルケス。 王者と思ったのが、ケニーとロッシ。
ケニーもフレディーもこんな古いマシンで凄いバトルしてたと思うと 恐ろしい 畏敬の念が… 今のモトGPよりこの頃のWGPが好きです 私は2ストローク派です
絶対こんなオープニング曲ちゃうで!!
この時代のバイクレースはドラマが多かった F 1もそうだけど
2分21秒なんて今じゃ4st250ccでも出せるんだから技術の進歩ってすごいね
タイヤ性能
平、若い! しゃべり出すと、福島の兄ちゃんって感じだね。
木下はこれでチャンピオン取れなくてホンダに移籍。平がエースに昇格。
この時代、世界GPで片山敬済が本田のNRで3年も無駄にしたのは惜しかった。 ケニーとフレディの間に割って入る実力があったので、YZRかRGに乗っていれば、世界GPで、もっと多くの記録を残したであろうと思うと、本当に残念です。 あとは、70年代の金谷秀夫も、世界GPに残って暴れて欲しかったです。第四戦くらいまで、ランキング1位でアゴスチーニとチャンプを争っていたのに、ヤマハとの契約だからと、あっさりテストライダーとして帰国してしまった。 ヤマハも日本のヒーローを産むことに全く興味がなかったのでしょうか。 GPに残っていれば、70年代の500ccチャンプは、少なくとも2~3年は、日本人の金谷が取っていた可能性はかなり高かったと思います。 世界GPの長い歴史の中でも際立つスーパーレジェンドであるアゴスチーニ。 金谷は、そのアゴを越える実力者だった可能性が高いので、アゴに座を譲って身を引いたのは本当に惜しいです。
フレディが若い!前後16インチでスタートから速い!まさに敵なし。 今見て思うのは16インチによる車高と重心の低さ。他の17〜18インチ勢の腰の高さが目立ちますね。よく16インチのステアリングのクイックさが強調されていますがフレディの場合は16インチ極太なタイヤとコーナーでの重心の低さがちょうどマッチしているように見える。 二番手の平さんのYZRをかなり安定させて走らせて入るけど、当時のYZRはV4エンジンとタイヤとのマッチングにケニーも苦労していた話があったのを思い出した。
V4YZRは前年の初号機が酷かったですからね、高井さんが亡くなりケニーとバリーは病院送り。
ロスマンズの前のダイネーゼのツナギ!!絶好調の時だね!2番手が平さんなんだね!!(;´д`)トホホ…
水谷さん若い😁
この頃に比べたらだいぶ世界との差は縮まったと実感する 木下は世界GPに行くべきだった
1984年にYZRで世界に行っていたら、かなりいい成績が残せたのではと思いますね。
@@user-uf9dd5qg5c ですよね!ホンダよりヤマハの方が合ってたんじゃないかと思います
ウィニングランで転んだがそのまま立ち上がり両手を挙げて喜ぶ、そんなCMもあったな この頃はダートトラックレース出身のレーサーが速かった 今のF1と比べれば1分近くラップ差があるが、そんなの関係ないな
水谷選手はもののふである! フレディを坊っちゃん呼ばわりしてる。
日本GPというとピンときませんが。自分的には全日本RRかなと思いました。
木下さん...なせホンダに行ったの?
当時の大スター フレディスペンサー
昔の鈴鹿は緑が多かったんだな。カーブ先が見えにくそう。
ダンロップコーナーは完全に山でした。裏ストレートも森の中のイメージ。 情報も今ほど多くなく、東コースと西コースで現場の実況担当が2人いました。(曖昧な記憶w) 東コースにいると「西コースでは今何が起こっているんだ!?」とドキドキしてました。
観戦する側も、場所によっては一瞬でしたね。 1コーナーもライダーの列をまるで土手に座って流れる川の流れを見るようでした。
最初の映像はCMだったのね💦 ビックリ。83年?日本GP?と思いました。最初の映像は確か82年のカラーだったから💦
もうもう「ブッチギリ」の一言ですね。 なにせ、キング・ケニーが敗れた相手ですからね。
当時を知るわしらオッサン世代にとっては'83年シーズンのフレディvsケニーのタイトル争いは今でも語り草やけんね。
解説、ネモケンさんかな?!
おっしゃる通り根本さんですね!
このころのフレディは一周遅れでスタートしても勝っちゃうと思う
当時WGPでケニーと一緒にバンバン周回遅れ作ってましたからきっとそうでしょうね。
@@sogood9960 そうでしたね。ところでフレディとエディってゼロアングルでドりってましたよね。ドゥーハンはモロでしたが(笑)
@@user-hc6tg9rl8x エディとフレディはコーナーへ スライドで向きを変えながら 侵入して、立ち上がりでは 斜め前へ向けてスライドしてたから、 ヒャっとしないけど、 ガードナーやドゥーハンは、 立ち上がりでも向きを変えながら スライドさせてたから、 そこら辺がアメリカンライダーと 違うかも知れないですね😊
綺麗なのは平だけど•• 2輪•4輪、各スポーツや業界で微妙な立ち位置の日本人競技者。 今だに変わらないガキの頃からの習慣者以外でも、感覚の持ち主を間口を拡げ集めるべきですね。
みんな若いね~スペンサーなんて子供みたいだ。。。
これ鈴鹿で生で見た。たしかフレディースペンサーは250も出てたと思う。世界最高のライダ-だった。
250はロスマンズカラーからでしたよ
実況ものんびりしてるなw あれ、ウィリーっていうんでしょ!? おいおいwww
Thank you❤👍🏻
フレディが最も輝いてた時代です、この翌年にはエディにタイトル奪われ、1985は250と500のWタイトルを取りましたが、その後は怪我の影響も有り二度と勝てなくなりました
独走••残念だけど danceの様ですね♪
現代のGPライダーのライディングフォームとまるで違う。マシンスペックもタイヤスペックも当時も現代も自分は知らないけど、それに起因してるのかな?
一番大きな差はタイヤの扁平率かな。 現代のマシンは昔のマシンより寝かしこまないと同じ旋回力が得られないから、転倒するんじゃないかってくらいまで寝かさないと曲がらないし、タイヤのスライドを使わずにグリップ走行でタイヤの消耗を抑えて走るようになったから、マシンを直立姿勢で滑らせて曲がることをしなくなった。
丁寧な解説して頂きありがとうございます。勉強なりました♪
フレディーは少し オーバースピードで突っ込み ブレーキングからの寝かしこみで ステップワークを上手く使って アウトからスパっと寝かし込むよね👍️ それによって素早く フェイントモーション (逆操舵)になり 慣性ドリフトで車速を殺しながら 第一次旋回、 ドリフトが収まって 前後のタイヤのグリップ力による 第二次旋回、 車速を落とさないように 早めにアクセルを少し開けて 第三次旋回、 そしてコーナー出口で アクセルワイドオープン 斜め前にパワードリフトさせながら 車速をのせてストレートにつなげる❗️ 自分はフレディの走りを このように理解してます👍️ もちろん自分にはできません(笑)
この頃はまだバイアスタイヤ、ラジアルタイヤになるのは1985年だったと思う。 ずっとフロント16インチを採用していたホンダがフロント17インチに切り替えた年。
F16で若い子が沢山死んだなぁ
アナウンサーがドシロウト過ぎて根本さんが困ってる。
14:14
土井アナウンサーだっけ?
今の肘すり走法見ると革命だったんだな
ぶら下がって視える ハングオン♪
片山さんが欠場したレースかな⁉️
なんでフレディのロケットスタートが映ってないんだ。
スタートが速過ぎて予選3番手4番手の選手と被ってますね。 一瞬だけ映ります。 私も最初フレディ消えた?っておもいました。
んだよ、このOPの選曲はよ。
当時のテレビ東京(東京12チャンネル)でスポーツ番組の際に使われていた「パープル・ページェント」ですね。
@@jpntechnostream505 デフォルトなんですね、なら、しょうがねえか。
国際プロレス😅😅😅
S字を走りを見比べると分かりやすいね。┓┗
タイヤの性能差なのかバンク角が全然浅いですね。
フレディーと比べると平はライン取りが甘いですね。フレディーはインギリギリを通るのにインに余裕がありますね。
ミスターペッパー。懐かしいね。ケニーの引き立て役…
10:00~、F・スペンサー ヘアピン立ち上がりはともかく、スプーンカーブに進入する手前でのウィリーはオカシイだろ、減速或いはアクセル・パーシャルな場面ではないのか。
素晴らしいバイク専用コース
水谷勝≒浜本広晃
今のリッターssなら余裕でこれより速いな 600で同じ速さぐらいかな 外人の速さは育ちが違うから日本人は勝てないよな
木下もスペンサーを無理して追わず二番手をキープしておけば…木下と平、その後二人のライダーの運命の分かれ目。
Пікірлер: 120
懐かしいですね 最終コーナーから観ていましたよ スペンサーの独走 木下の転倒と 皆記憶にありますわ 自分もまんだ20代 若かったなあっ
この日、自分は125㏄の全日本ライダーのピットクルーとして鈴鹿にいました。 練習走行などでスペンサーと一緒に走った全日本ライダーは口を揃えて、スペンサーは恐ろしく速いと言っており、 頑張ってスペンサーの後ろについて走ったライダーの話しでは、必死で追走した時はマシンが限界を超えて ウォブル出まくって、コーナー3つぐらいしかついて行けなかったとのことでした。 全日本のトップライダーでも、スペンサーの速さには驚愕していました。 ロードレースに於いて、後にも先にも速さではスペンサーがNo.1だと思います。
熱かったな、この頃は😀 映像、ありがとうございます!
貴重な映像ありがとう😉👍️🎶原付取った年ですがテレ東の放送でしたか😮凄い❗。
昨日か一昨日の出来事のように思い出すことができるけど、 なんだかんだで、もう40年近く昔の情景なんだなあ。 時の流れはあっという間というか。
ラップタイムで言えば今のモト3と変わらないらしいけど、カッコ良さは80年代がダントツです。夢が有る時代でした。当時これを見た若者はレーサーに憧れ、レースの世界に足を踏み入れ人生を掛けました。先ずぶち当たる壁は金銭面でしたが、切り詰めて切り詰めてレースにだけお金をかけて、予選落ちして それでも何かを必死にやって悔いの無い清々しさ そんな事を与えて頂きました ボクもその一人です。
@channelfunabiki
Жыл бұрын
当時と言ってGP500より早いバイクは存在しなかったGP500も最終には2分5秒台出してましたからね、JSB1000がやっと2分3秒台で越えた位ですから もちろんモトGPマシンには敵わないけど
@hirtac6819
Жыл бұрын
オシガケ♪ 2stとロータリー、日本が誇る最高峰のエンジン。電動モーターもマブチに頑張って欲しい。
@DiegoRuiz1991
11 ай бұрын
Very different track between 1983 and nowadays! · Degner was just ONE corner · No post-hairpin chicane · Final chicane was much tighter Also, I don't think Spencer was trying his best, he immediately noticed how much faster he was than anyone else
昭和プロレスのようなトランペットオープニングすげえ これは貴重な映像を見させていただきました ありがとうございます
水谷さん若い頃ですね なつかしいですね ありがとう
わぁー、1983年のTVってこんな感じの映像だっけ? 懐かしいなぁ。フレディー・スペンサー凄かったよなぁ。 手首の故障が、白蝋病とは思わなかったけど、引退残念だったな。 しかし、平さん、超若いw この頃の世界と日本の壁ってもの凄く大きかったなぁ・・・
@ncBBdbyhw
3 жыл бұрын
片山敬済選手の偉大さが改めて判る。
今のタイムの方が速いが、マシンの性能が上がっているので、タイムは参考になりません。 他の選手と比較すると彼が最速です。 №1の天才です。
結果がわかっていても、木下行けぇ!!と思ってしまう この年、木下は圧倒的な速さだったし、NSとYZRの性能差、簡単に勝たせてたまるかという気迫 最後まで走ってフレディと、どの位やりあえるか見たかった 日本チャンピオンの座よりフレディとの勝負を選んだ木下選手に拍手を送りたいです
@ncBBdbyhw
3 жыл бұрын
NSとYZRに性能差なんて無いよ、逆にパワーではYZRの方が勝ってた。 1983年はRS500の阿部孝夫選手とYZR500の平選手の一騎打ちでシーズンが進んでいった。 木山賢吾選手が亡くなってなければこの三人でのタイトル争いが見れたはず。 木下恵司選手は1981年とホンダに移籍した1984年以後(確か1986年度)絶好調だった。
@user-uf9dd5qg5c
3 жыл бұрын
@@ncBBdbyhw さん 文章をよく読んでください。 83年、国内ではシーズン中盤から後半にかけてYZRがかなり速くなり筑波のバックストレッチで、はっきり差がつくくらいRS(NS)とパワー差があったとシーズン後、雑誌の記事やインタビューを何度か見たことがあります。 84年にホンダに移籍した木下選手自身がYZRの速さを誰よりも知っており、NSに乗った時これは苦しいシーズンになると思ったらしい。 ですから、そのパワー差をいかしフレディと、どの位やれるのかを見たかったのです。 木山選手は慣れない2stと転倒、リタイアなどもあり、亡くなっていなくてもタイトル争いには絡めなかったと思いますよ。 阿部選手と平選手の一騎打ちでシーズンが進んでいきましたか?木下選手が不出場だった序盤だけならそう言えるかもしれませんが… 木下選手は最終戦の日本GP以外、出場したレース全てに勝っており、このレース前までランキングトップです。
@nijinsky510
Жыл бұрын
仮にマシンの性能差がなかったとしてもタイヤが違うでしょ。 フレディのNSが履いてるミシュランは国内レース用のタイヤとは別物。
この頃、ダイネーゼのツナギやヘルメットのスペンサーレプリカを身に付けたバイク乗りがよく見かけたものです。
@vajra_sattva
4 жыл бұрын
自分は、彼と同じSIDIのブーツでしたw
8:50 オフィシャルカーがバラードCR-X!そういえば83年の発売でしたね。さすがホンダのお膝元。
最高でした‼️
小学生の頃初めて2輪のスプリントレースを生観戦したのがこのレースでした! 言うまでもなくこの後2輪レースの虜になりました! 因みに鈴鹿はこの年に初めてシケインが設けられたんですよね。
この時代2輪も4輪もバブルの如く盛り上がってきたように思います😀まだ序章に過ぎない83年にTV放送するテレ東は他の民放とは一線を画すセンスに脱帽です😃私は大阪でしたから気付かなかっただけかもしれませんが😅いい時代やったのは、間違い無いな😁
@user-px3uf3lo4s
Жыл бұрын
SUNテレビで放送してました。 録画しましたよ。
40年前かお、えぐぅ
フレディースペンサーは自分の最初のアイドルでしたw 未だにフレディーレプリカのヘルメット見るとぐっときてしまうw
スタートの所でRiding highが脳内再生した。 結果は分かってるけど日本人ライダー頑張れ〜!って心の中で叫んでた。
@channelfunabiki
Жыл бұрын
このレース以降に平は日本では無敵のチャンプに、WGPに行ってからもGP500で優勝こそ無かったけれどトップライダーになりました GP250では優勝もしていますし フレディも1985以降は怪我で駄目になって復帰後も平に勝てる事は有りませんでしたし 平は日本でガードナーにも、エディローソンにも勝ちましたから最高のライダーです
この時代のスペンサーはスライド多用のダイジェストでしか見た事が無くて誤解してました。実際にはスムーズで無駄の無い走りですね。
@sogood9960
3 жыл бұрын
流してるからだと思います。当時のWGPの走りとは全然違います。
ここに片山敬済が参加できてたら、どんなレースになってたんだろ?観てみたかった。
この頃は、空前のバイクブームで、面白いバイクがいっぱいあったし、性能も凄いのに値段が安くて、学生に優しいいい時代でした・・・三ない運動と三段階免許制度が無ければね。😅 けれど、これ程のバイクブームは、二度と来ないでしょうね。
平とフレディ・スペンサーのメットは憧れたなぁ😅
現代のオートバイはこの当時のワークスマシンを越える性能を持ってますね。技術の進歩は凄まじいですね😊 私は2ストが好きなので2ストが無くなったのは寂しい限りです😢
@jpntechnostream505
Жыл бұрын
やはりグランプリマシンは2ストですね!4ストはTT-F1とか耐久とかで1ランク低く感じてしまう。
この時見に行ったわぁ🏍️ スペンサーがコースレコード出した時🎉 懐かしい😅
やっぱ500の2ストはいいね!!
この時代は正確な標準語の発音をしているから聞いていても心地よい。 ここ20年、特に最近の発音は聞き苦しい。 何でもかんでも、特に横文字の発音は訛り過ぎ。 せめてアナウンサーぐらいは東京訛りではなく標準語発音でしゃべって貰いたいものです。
懐かしい😌 この頃は、よく中継をしてな✌️😊🎵
今現代、当時のスペック超えるバイクが100万程度で買える技術の進歩が凄い
片山さんにも走ってほしかったな~と。 世界で走るアジア人ライダーと国内ライダー達の対決が見たかった。 ホンダ勢は鈴鹿で世界レベルのテストをしてるわけで、ヤマハはテストに使えないわけで。 平さんも、この頃は世界を目指していても、まだまだだと感じてたはず。 元WGPライダーの根本さんが解説なんで、ご友人片山さんの辛口の解説も面白かったと思う。 19秒はフレディだけど、マシン全体も乗り方も違ってたんでしょう。 今は8耐でも19秒じゃ後ろの方だから、全ての進化が恐ろしい。 何故か茂木は見ないんだよ・・・避けてるわけじゃなく、鈴鹿で大治郎の影を見たい気持ちが強いからかも。
トリコロールカラーの元祖・・・だったっけ? 丁度、この選手達の全盛期の世代だなぁ。 ふたり鷹とかが思い出されて懐かしい
みんな若い〜!
「走りがおとなしい」とかコメントあるようですがフレディは2周目から流してますからw。本気で走ってるのは木下さんがコケるまでじゃないかな。
@mics693
7 ай бұрын
いやぁ、そこまでもボチボチやろ。
・デグナーが複合コーナーではない ・一周を通じてエスケープゾーンがないに等しい ・コースの幅員が狭い ・縁石が少ない ・コース脇が雑草まみれ など、スペンサーの速さ以上に昔の鈴鹿が新鮮でした
観に行ってた❗ 次元が違ってましたね
これまでに天才と思ったのが、スペンサーとストーナーとマルケス。 王者と思ったのが、ケニーとロッシ。
ケニーもフレディーもこんな古いマシンで凄いバトルしてたと思うと 恐ろしい 畏敬の念が… 今のモトGPよりこの頃のWGPが好きです 私は2ストローク派です
絶対こんなオープニング曲ちゃうで!!
この時代のバイクレースはドラマが多かった F 1もそうだけど
2分21秒なんて今じゃ4st250ccでも出せるんだから技術の進歩ってすごいね
@izzukaito7594
7 ай бұрын
タイヤ性能
平、若い! しゃべり出すと、福島の兄ちゃんって感じだね。
木下はこれでチャンピオン取れなくてホンダに移籍。平がエースに昇格。
この時代、世界GPで片山敬済が本田のNRで3年も無駄にしたのは惜しかった。 ケニーとフレディの間に割って入る実力があったので、YZRかRGに乗っていれば、世界GPで、もっと多くの記録を残したであろうと思うと、本当に残念です。 あとは、70年代の金谷秀夫も、世界GPに残って暴れて欲しかったです。第四戦くらいまで、ランキング1位でアゴスチーニとチャンプを争っていたのに、ヤマハとの契約だからと、あっさりテストライダーとして帰国してしまった。 ヤマハも日本のヒーローを産むことに全く興味がなかったのでしょうか。 GPに残っていれば、70年代の500ccチャンプは、少なくとも2~3年は、日本人の金谷が取っていた可能性はかなり高かったと思います。 世界GPの長い歴史の中でも際立つスーパーレジェンドであるアゴスチーニ。 金谷は、そのアゴを越える実力者だった可能性が高いので、アゴに座を譲って身を引いたのは本当に惜しいです。
フレディが若い!前後16インチでスタートから速い!まさに敵なし。 今見て思うのは16インチによる車高と重心の低さ。他の17〜18インチ勢の腰の高さが目立ちますね。よく16インチのステアリングのクイックさが強調されていますがフレディの場合は16インチ極太なタイヤとコーナーでの重心の低さがちょうどマッチしているように見える。 二番手の平さんのYZRをかなり安定させて走らせて入るけど、当時のYZRはV4エンジンとタイヤとのマッチングにケニーも苦労していた話があったのを思い出した。
@maruhiroya417
7 ай бұрын
V4YZRは前年の初号機が酷かったですからね、高井さんが亡くなりケニーとバリーは病院送り。
ロスマンズの前のダイネーゼのツナギ!!絶好調の時だね!2番手が平さんなんだね!!(;´д`)トホホ…
水谷さん若い😁
この頃に比べたらだいぶ世界との差は縮まったと実感する 木下は世界GPに行くべきだった
@user-uf9dd5qg5c
3 жыл бұрын
1984年にYZRで世界に行っていたら、かなりいい成績が残せたのではと思いますね。
@patch33
3 жыл бұрын
@@user-uf9dd5qg5c ですよね!ホンダよりヤマハの方が合ってたんじゃないかと思います
ウィニングランで転んだがそのまま立ち上がり両手を挙げて喜ぶ、そんなCMもあったな この頃はダートトラックレース出身のレーサーが速かった 今のF1と比べれば1分近くラップ差があるが、そんなの関係ないな
水谷選手はもののふである! フレディを坊っちゃん呼ばわりしてる。
日本GPというとピンときませんが。自分的には全日本RRかなと思いました。
木下さん...なせホンダに行ったの?
当時の大スター フレディスペンサー
昔の鈴鹿は緑が多かったんだな。カーブ先が見えにくそう。
@strike6210
4 жыл бұрын
ダンロップコーナーは完全に山でした。裏ストレートも森の中のイメージ。 情報も今ほど多くなく、東コースと西コースで現場の実況担当が2人いました。(曖昧な記憶w) 東コースにいると「西コースでは今何が起こっているんだ!?」とドキドキしてました。
@tomtom77777777
2 жыл бұрын
観戦する側も、場所によっては一瞬でしたね。 1コーナーもライダーの列をまるで土手に座って流れる川の流れを見るようでした。
最初の映像はCMだったのね💦 ビックリ。83年?日本GP?と思いました。最初の映像は確か82年のカラーだったから💦
もうもう「ブッチギリ」の一言ですね。 なにせ、キング・ケニーが敗れた相手ですからね。
@DeerShit01
Жыл бұрын
当時を知るわしらオッサン世代にとっては'83年シーズンのフレディvsケニーのタイトル争いは今でも語り草やけんね。
解説、ネモケンさんかな?!
@motoyukiyamanaka8175
4 жыл бұрын
おっしゃる通り根本さんですね!
このころのフレディは一周遅れでスタートしても勝っちゃうと思う
@sogood9960
3 жыл бұрын
当時WGPでケニーと一緒にバンバン周回遅れ作ってましたからきっとそうでしょうね。
@user-hc6tg9rl8x
3 жыл бұрын
@@sogood9960 そうでしたね。ところでフレディとエディってゼロアングルでドりってましたよね。ドゥーハンはモロでしたが(笑)
@user-xz6dh1nj4u
3 жыл бұрын
@@user-hc6tg9rl8x エディとフレディはコーナーへ スライドで向きを変えながら 侵入して、立ち上がりでは 斜め前へ向けてスライドしてたから、 ヒャっとしないけど、 ガードナーやドゥーハンは、 立ち上がりでも向きを変えながら スライドさせてたから、 そこら辺がアメリカンライダーと 違うかも知れないですね😊
@hirtac6819
Жыл бұрын
綺麗なのは平だけど•• 2輪•4輪、各スポーツや業界で微妙な立ち位置の日本人競技者。 今だに変わらないガキの頃からの習慣者以外でも、感覚の持ち主を間口を拡げ集めるべきですね。
みんな若いね~スペンサーなんて子供みたいだ。。。
これ鈴鹿で生で見た。たしかフレディースペンサーは250も出てたと思う。世界最高のライダ-だった。
@atsumori4792
7 ай бұрын
250はロスマンズカラーからでしたよ
実況ものんびりしてるなw あれ、ウィリーっていうんでしょ!? おいおいwww
Thank you❤👍🏻
フレディが最も輝いてた時代です、この翌年にはエディにタイトル奪われ、1985は250と500のWタイトルを取りましたが、その後は怪我の影響も有り二度と勝てなくなりました
@hirtac6819
Жыл бұрын
独走••残念だけど danceの様ですね♪
現代のGPライダーのライディングフォームとまるで違う。マシンスペックもタイヤスペックも当時も現代も自分は知らないけど、それに起因してるのかな?
@neko7777777777
4 жыл бұрын
一番大きな差はタイヤの扁平率かな。 現代のマシンは昔のマシンより寝かしこまないと同じ旋回力が得られないから、転倒するんじゃないかってくらいまで寝かさないと曲がらないし、タイヤのスライドを使わずにグリップ走行でタイヤの消耗を抑えて走るようになったから、マシンを直立姿勢で滑らせて曲がることをしなくなった。
@user-gv2rr3ql1y
4 жыл бұрын
丁寧な解説して頂きありがとうございます。勉強なりました♪
@user-xz6dh1nj4u
4 жыл бұрын
フレディーは少し オーバースピードで突っ込み ブレーキングからの寝かしこみで ステップワークを上手く使って アウトからスパっと寝かし込むよね👍️ それによって素早く フェイントモーション (逆操舵)になり 慣性ドリフトで車速を殺しながら 第一次旋回、 ドリフトが収まって 前後のタイヤのグリップ力による 第二次旋回、 車速を落とさないように 早めにアクセルを少し開けて 第三次旋回、 そしてコーナー出口で アクセルワイドオープン 斜め前にパワードリフトさせながら 車速をのせてストレートにつなげる❗️ 自分はフレディの走りを このように理解してます👍️ もちろん自分にはできません(笑)
@ncBBdbyhw
3 жыл бұрын
この頃はまだバイアスタイヤ、ラジアルタイヤになるのは1985年だったと思う。 ずっとフロント16インチを採用していたホンダがフロント17インチに切り替えた年。
@user-qi2bl9vd3h
Жыл бұрын
F16で若い子が沢山死んだなぁ
アナウンサーがドシロウト過ぎて根本さんが困ってる。
14:14
土井アナウンサーだっけ?
今の肘すり走法見ると革命だったんだな
@hirtac6819
Жыл бұрын
ぶら下がって視える ハングオン♪
片山さんが欠場したレースかな⁉️
なんでフレディのロケットスタートが映ってないんだ。
@kazsotaro7
4 жыл бұрын
スタートが速過ぎて予選3番手4番手の選手と被ってますね。 一瞬だけ映ります。 私も最初フレディ消えた?っておもいました。
んだよ、このOPの選曲はよ。
@jpntechnostream505
Жыл бұрын
当時のテレビ東京(東京12チャンネル)でスポーツ番組の際に使われていた「パープル・ページェント」ですね。
@user-wm6wp8lt4u
Жыл бұрын
@@jpntechnostream505 デフォルトなんですね、なら、しょうがねえか。
@maruhiroya417
7 ай бұрын
国際プロレス😅😅😅
S字を走りを見比べると分かりやすいね。┓┗
タイヤの性能差なのかバンク角が全然浅いですね。
フレディーと比べると平はライン取りが甘いですね。フレディーはインギリギリを通るのにインに余裕がありますね。
ミスターペッパー。懐かしいね。ケニーの引き立て役…
10:00~、F・スペンサー ヘアピン立ち上がりはともかく、スプーンカーブに進入する手前でのウィリーはオカシイだろ、減速或いはアクセル・パーシャルな場面ではないのか。
素晴らしいバイク専用コース
水谷勝≒浜本広晃
今のリッターssなら余裕でこれより速いな 600で同じ速さぐらいかな 外人の速さは育ちが違うから日本人は勝てないよな
木下もスペンサーを無理して追わず二番手をキープしておけば…木下と平、その後二人のライダーの運命の分かれ目。