北国に住む69歳の明美です。子育てを終えてからシニア世代での離婚を決意しました。自分の人生に悲観的になっていた時もありましたが、これからは前向きに余生を楽しむつもりです。
動画拝見して、涙が出ました。優しい娘さんを持たれて、ここまで苦労して育てられた甲斐がありましたね。母親がどんなに辛い思いをしていても、理解ある娘ばかりでは無いですよ。だから貴方は、それだけでもお幸せです。 それを力に、これから沢山の幸せを取り戻すつもりで、前を向いてください。応援しています。
壮絶な日々送られていたんですね!まるでドラマ化されたような話でビックリしました。娘さんが理解示され安堵しました。残された人生を明るく過ごせますように祈ります
私も泣けました。良い娘さんですね!
「結婚には失敗しても、子育てに成功した」という言葉が心に響きました。 娘さんはちゃんとお母さんの苦労を見て理解してくれていたんですね。 元ご主人さんはお気の毒ですね。。
自分も泣いちゃった。50過ぎの男が泣いちゃった。女性は強いですね。 うちのオヤジも頑固で話が通じない人でした。だから母親を守るために何度も喧嘩した。 つい最近まで声がでかかったけど、母親が軽い認知症になり父親の悪口を毎日のように言うようになり、料理も身の回りも行き届かなくなると、 父親が80過ぎたおじいちゃんが母親のために食事を用意したり、買い物行ったり、食事の心配したりとやっと大人になってきたなぁ。って。 今病気で入院している父親ですが、電話が来ると『お母さんちゃんとたべてるかなぁ。』って。 頑固おやじを反面教師にして成長した自分は嫁には苦労させたくないと頑張ってます。
私が幼い頃から父は母に暴力を振るっていました。私が結婚して東京へきてからも経済的な事て納得がいかないとくも膜下出血を起こすくらい殴られました。嫁ぎ先にはお姑さんがおりましたが一刻も早くこちらによばなければと母を呼びました。母が60歳の時でした。着の身着のままで東京に来たおさいふには殆どお金が入っていませんでした。なんとか仕事を見つけ死に物狂いで働いていました、でも職場て若い子達と出会い楽しそうにしていました。何十年も耐えに耐え、親戚からも脅され大変でしたが、絶対にまけませんでした。大病もいたしましたが、93歳までいきて見事にあちらにいきました。なお父は69歳で亡くなり、残りのほけんやら厚生年金やらはほとんど母の手に渡りました。わたしは全く手をつけませんでした。北海道からひとりででてきたのです、どうかあなたも頑張って 勇気を出してください身体にきをつけて
やはりあなたのお育てになったお嬢さまはしっかりお母さまを理解されておられますね どうか望む結果になりますよう
離婚を決意するまで長かったですね、お子さんのために我慢してきたんですよね、わかります。できることなら子供の為にも我慢しようと自分を押し殺して耐えてきたんですよね。私もそうでした。あることがきっかけで、離婚をしシングルで子育てしてきました。人はそうそう変わらないんです。自分は変わることができても。でもそれも限界がありますよね。ダメなものはダメなんですからあるところで見切りをつけることも自分のためだけじゃなくて、周りのためにも必要なんですね。奥様がご苦労して悲しんでいる姿はお子様たちにとっても不幸せなことですもの。これからの人生はご自身のためにゆっくりと楽しく過ごせることを願っています。きっとよくなりますよ😊
逆ですよ!めっちゃ強いと思う。弱い人は子供もおいて逃げますよ。すごいの一言ですよ。よくやってきましたね。凄い!
今晩わ。いいお嬢さんですね。お嫁さんにも出され良かったですね。5歳下の息子さんの結婚を許した、お姑さん、息子さんが、年下とは無理と分かっていたのではありませんか?婆を貰ったと言う言葉が出てきたので、40過ぎの結婚かと。最近30才位が適齢期では?辛い事色々あっても、二人を育てあげた貴方はとても、立派。これからは、人生を楽しんで下さい。1回しかない人生ですから。もういいことしかないですよ。お疲れ様でした。
小説をよんでるようですね。 これも人生かも。
お父さんの立場から申し上げます。 何の楽しい事も無く、何も嬉しい事も無く、何も面白い事も無く、何の生甲斐も無く、毎日つまらない生活にしたのは誰でしょう! もっとスキンシップのある夫婦生活だったら違っていたと思います。 例えばお風呂で体を洗ってあげるとか、SEXとか、買い物に一緒に出掛けるとか、休みの日は二人でドライブに行き外食するとか、有給を取って旅行するとか、家族で日帰り旅行とか、夏祭りに行くとか、産業祭へ行くとか、美味しいラーメン屋さん巡りをするとか、道の駅巡りをするとか、高速道のサービスエリアで食事するとか、観光地巡りをするとか、何かの行事に二人で出かけるとか・・・。 今度の休みの日にここへ行きましょうよと、お父さんに言った事ありますか? そうすれば、お父さんも一生懸命に働いてくれたと思います。 お父さんの求めていたのは家族愛ですよ。
毎日つまらない生活にしたのは、旦那自身ですね。 ガキじゃあるまいし、構ってとか思ってるとしたら、痛過ぎですよねw
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動画拝見して、涙が出ました。優しい娘さんを持たれて、ここまで苦労して育てられた甲斐がありましたね。母親がどんなに辛い思いをしていても、理解ある娘ばかりでは無いですよ。だから貴方は、それだけでもお幸せです。 それを力に、これから沢山の幸せを取り戻すつもりで、前を向いてください。応援しています。
壮絶な日々送られていたんですね!まるでドラマ化されたような話でビックリしました。娘さんが理解示され安堵しました。残された人生を明るく過ごせますように祈ります
私も泣けました。良い娘さんですね!
「結婚には失敗しても、子育てに成功した」という言葉が心に響きました。 娘さんはちゃんとお母さんの苦労を見て理解してくれていたんですね。 元ご主人さんはお気の毒ですね。。
自分も泣いちゃった。50過ぎの男が泣いちゃった。女性は強いですね。 うちのオヤジも頑固で話が通じない人でした。だから母親を守るために何度も喧嘩した。 つい最近まで声がでかかったけど、母親が軽い認知症になり父親の悪口を毎日のように言うようになり、料理も身の回りも行き届かなくなると、 父親が80過ぎたおじいちゃんが母親のために食事を用意したり、買い物行ったり、食事の心配したりとやっと大人になってきたなぁ。って。 今病気で入院している父親ですが、電話が来ると『お母さんちゃんとたべてるかなぁ。』って。 頑固おやじを反面教師にして成長した自分は嫁には苦労させたくないと頑張ってます。
私が幼い頃から父は母に暴力を振るっていました。私が結婚して東京へきてからも経済的な事て納得がいかないとくも膜下出血を起こすくらい殴られました。嫁ぎ先にはお姑さんがおりましたが一刻も早くこちらによばなければと母を呼びました。母が60歳の時でした。着の身着のままで東京に来たおさいふには殆どお金が入っていませんでした。なんとか仕事を見つけ死に物狂いで働いていました、でも職場て若い子達と出会い楽しそうにしていました。何十年も耐えに耐え、親戚からも脅され大変でしたが、絶対にまけませんでした。大病もいたしましたが、93歳までいきて見事にあちらにいきました。なお父は69歳で亡くなり、残りのほけんやら厚生年金やらはほとんど母の手に渡りました。わたしは全く手をつけませんでした。北海道からひとりででてきたのです、どうかあなたも頑張って 勇気を出してください身体にきをつけて
やはりあなたのお育てになったお嬢さまはしっかりお母さまを理解されておられますね どうか望む結果になりますよう
離婚を決意するまで長かったですね、お子さんのために我慢してきたんですよね、わかります。できることなら子供の為にも我慢しようと自分を押し殺して耐えてきたんですよね。私もそうでした。あることがきっかけで、離婚をしシングルで子育てしてきました。人はそうそう変わらないんです。自分は変わることができても。でもそれも限界がありますよね。ダメなものはダメなんですからあるところで見切りをつけることも自分のためだけじゃなくて、周りのためにも必要なんですね。奥様がご苦労して悲しんでいる姿はお子様たちにとっても不幸せなことですもの。これからの人生はご自身のためにゆっくりと楽しく過ごせることを願っています。きっとよくなりますよ😊
逆ですよ!めっちゃ強いと思う。弱い人は子供もおいて逃げますよ。すごいの一言ですよ。よくやってきましたね。凄い!
今晩わ。いいお嬢さんですね。お嫁さんにも出され良かったですね。5歳下の息子さんの結婚を許した、お姑さん、息子さんが、年下とは無理と分かっていたのではありませんか?婆を貰ったと言う言葉が出てきたので、40過ぎの結婚かと。最近30才位が適齢期では?辛い事色々あっても、二人を育てあげた貴方はとても、立派。これからは、人生を楽しんで下さい。1回しかない人生ですから。もういいことしかないですよ。お疲れ様でした。
小説をよんでるようですね。 これも人生かも。
お父さんの立場から申し上げます。 何の楽しい事も無く、何も嬉しい事も無く、何も面白い事も無く、何の生甲斐も無く、毎日つまらない生活にしたのは誰でしょう! もっとスキンシップのある夫婦生活だったら違っていたと思います。 例えばお風呂で体を洗ってあげるとか、SEXとか、買い物に一緒に出掛けるとか、休みの日は二人でドライブに行き外食するとか、有給を取って旅行するとか、家族で日帰り旅行とか、夏祭りに行くとか、産業祭へ行くとか、美味しいラーメン屋さん巡りをするとか、道の駅巡りをするとか、高速道のサービスエリアで食事するとか、観光地巡りをするとか、何かの行事に二人で出かけるとか・・・。 今度の休みの日にここへ行きましょうよと、お父さんに言った事ありますか? そうすれば、お父さんも一生懸命に働いてくれたと思います。 お父さんの求めていたのは家族愛ですよ。
@Shinonii
2 жыл бұрын
毎日つまらない生活にしたのは、旦那自身ですね。 ガキじゃあるまいし、構ってとか思ってるとしたら、痛過ぎですよねw