【#54】【テネシー・ワルツ】江利チエミ~1952年(昭和27年)【蓄音器】で聴くSPレコードの世界【Victrola Credenza】

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 皆様、こんにちは。晴耕雨聴です。本日もご視聴いただき、誠にありがとうございます。今回は当時としてはかなり斬新で、しかも息の長い名曲をお送り致します。「江利チエミ」さんの【テネシー・ワルツ】です。詞の内容はともかく、メロディーをご存じの方は多いでしょう。
【テネシー・ワルツ】は、1946年にP.W.キングが作曲し、R.スチュワートが作詞したアメリカのカントリー・ミュージックです。歌詞は、失恋した男性が主人公で、「彼女とテネシーワルツを踊っていたら、偶然古い友人(=男性)と出会い、自分の【彼女を】紹介したところ、その友人に彼女を奪われてしまった」という内容です。この曲は当初、男性歌手によって歌われていました。
 1950年、パティ・ペイジはこの曲の主人公を女性に変え、その深い悲しみと寂しさを刻み込んだ感動的なアレンジを生み出しました。「たまたま古い友人(=女性)と会ったので、自分の【彼を】紹介したところ、その友人に彼を奪われてしまった」と、詞の中の古い友人を指す代名詞を以下のように【him】から【her】変更しました。
I introduced him to my loved one. →
I Introduced her to my loved one .
※ introduce : 紹介する 引き合わせる
 このカバーは大ヒットし、発売後9週間も1位を維持するなど、ミリオンセラーとなりました。「ペイジ版」の成功により、その後「ジョー・スタフォード版」などもトップ10にランクインし、ともに日本でもヒットしました。
 これらのヒットにより、切ない歌詞の内容にもかかわらず、1956年にはテネシー州の4番目の【公式州歌】に選ばれています。私ごとで恐縮ですが学生時代、テネシー州クックビルにある大学で寮生活を送っていた時期があります。毎日決まった時間にこの【テネシーワルツ】が流れていました。とても懐かしい想い出です。 
 さて、日本でも進駐軍向けラジオ放送AFRS(後のFEN)で【テネシー・ワルツ】が毎日、放送されていたと記録にあります。そんな折、11歳の少女がのど自慢大会で優勝し、米軍キャンプでジャズを歌っていました。「江利チエミ」さんです。彼女は進駐軍から絶大な歓迎を受けました。そのジャズの上手さに感動した兵士たちは、彼女にさまざまなプレゼントを贈りましたが、その中に【テネシー・ワルツ】のレコードが含まれていました。感激した彼女はこの曲を自分のデビュー曲と心に決め、苦労の末キングレコードのオーディションに合格しました。
 1952年、キング・レコードのディレクターである和田寿三さんは、「江利チエミ」さんによる【テネシー・ワルツ】のレコーディングを決定し、ご自身(共同ペンネーム=音羽 たかし)が訳詞を手がけました。この楽曲は大ヒットし、デビュー曲として驚異の40万枚を売り上げました(なんと日本では主流であった「ペイジ版」「スタフォード版」を超える大ヒットでした)。その後、江利チエミさんの代表曲として広く知られるようになりました。
 「江利チエミ」さんの【テネシー・ワルツ】は「パティ・ペイジ版」を元にしていると言われていますが、聴いていただければ「ジョー・スタフォード版」を元にしていることがわかります。
「パティ・ペイジ版」・「ジョー・スタフォード版」ともに本ちゃんねる【#70】番代でお送りする予定です。
 さて、1952年(昭和27年)という年は、下の年表にも示したとおり、4月28日に【サンフランシスコ平和条約】が発効した年です。日本がようやく独立を回復したのです。(戦争に負けた日本はGHQに占領されていました。)そのことが影響してかどうかはわかりませんが、この頃の日本の音楽シーンはジャズ(=アメリカのポピュラー音楽をこう呼んでいました)が全盛を極めていました。そしてブームの先陣を切ったのが「江利チエミ」さんだったと言われています。
 ヒットした理由は様々考えられますが、英語の歌に日本語を取り入れた点が斬新であったことや、メロディーが日本人向きだったこともその一因と言えるでしょう。ただ、どうしても歌詞に疑問を感じてしまいます。1番の歌詞では友人に【彼を】奪われたと英語で歌われているのですから、3番の日本語の歌詞ではそれを受けて「別れた【あの人(彼)】は今いずこ」と歌われるべきなのに「別れた【あの娘】は今いずこ」とされている点です。しかも、他の女性歌手が歌ったその後の日本語バージョンもすべて「あの娘」となったままなのです。これは間違いが定着してしまったのでしょうか?
 ここまで書いてから英語に堪能な知り合い二人に(別々に)この話をしたところ、二人とも【間違いとも言い切れないのではないか】という見解でした。理由は二人とも同じで、1番の歌詞の【 I introduced her to my loved one】の【loved one】は【親しい人・愛する人】という意味だから【loved one】は主人公の【古い友人】だというものでした。いやいや【 loved one】は友人にも使うが【愛しい人・恋人・妻】のニュアンスの方が強く、この場合は今一緒に踊っている自分の【恋人】だというのが私の見解で、平行線をたどっています(笑)。もし【古い友人】を指すなら【my dear friend】とでも言った方がいいのではないかと私は思ったのです。だんだんわからなくなりました。久しぶりにどうでもいいことで盛り上がってしまいました。(笑)
 
 もう一点、【テネシーワルツ】で踊っていたという点です。他に【テネシーワルツ】という曲があってその曲が懐かしいというなら、今回の曲は【想い出のテネシーワルツ】など別のタイトルにすべきです。しかし、調べた限り当時の同名他曲が見当たらないのです。歌の中の彼らは、まだ存在していない未来の【テネシーワルツ】という曲でダンスを踊っていたのでしょうか。今、自分(主人公)が昔を懐かしんで歌っているこの曲に合わせて、かつての自分たちが歌の中でワルツを踊っている・・・いや、それはそれで面白く感じられます。時空を越えた異次元の世界です。(笑)
【重要】
著作権についてはyoutubeで一括管理。
著作隣接権(レコード会社・歌手等)については発表後70年を経て権利が消滅。
(ほとんどのSPレコードは問題なし) ただし、CD等を流す場合は権利が存続しています。
●今回投稿する動画の概要
*テネシー・ワルツ(0:16〜)
●参考文献 講談社【昭和~二万日の全記録】(全20巻)
NHKセンター【録音で綴る昭和の記録】
NHK出版新書【昭和ブギウギ~笠置シズ子と服部良一のリズム音曲】
高山市昭和館【資料】
展望社【物価の文化史事典―明治・大正・昭和・平成 】
朝日文庫【なんたってクラシック―ぼくの一方的音楽宣言】
敬文社【昭和歌謡】
●1952年(昭和27年)略式年表
1月 -ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館) 開館
  韓国大統領「李承晩ライン」設定
2月-世界卓球選手権大会初参加全7種目中4種目に優勝。
3月-映画『羅生門』、アカデミー外国作品特別賞受賞
4月- 砂糖の統制、13年ぶりに撤廃
   NHKラジオドラマ『君の名は』放送開始
  手塚治虫『鉄腕アトム』連載開始(「少年」)
   【サンフランシスコ平和条約発効】・GHQ廃止=【主権回復】(4/28)
6月 - 「アンネ・フランクの日記」刊行
7月 - 16年ぶりにオリンピック参加(ヘルシンキ)。
8月- 国際通貨基金 (IMF) に加盟
 『アサヒグラフ』、原爆被害写真を初公開、即日売切れ
9月 - ソヴィエト連邦、日本の国際連合加盟申請に拒否権発動
●この年の物価(1952年)
・精米10㎏: 620円(62円増)(配給米が完全精米)
・ビール価格(大びん): 130円  
・コーヒー1杯 (喫茶店):28円
・たばこピース10本: 40円
・葉書: 5円 ・封書:10円
・山手線初乗り:10円
・電話基本料金年額: 380円
・SPレコード:170円
・LPレコード登場:2300円
・NHK受信料(ラジオ): 50円
・ ガソリン1L:34円(9円40銭増)
・東京小学校教員初任給:5850円 (350円 増)
・新聞  250円(30円増)
・国立大授業料6000円(16.6倍増!!)
*人口 8580.8万人(126.7万人増)
※【増】は前年比   記入なしは据置き
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