No video

3分でわかるマリー・ローランサン (人から分かる3分美術史133)

フランスの画家であり、淡い色彩の女性像を描いた画家として知られるマリー・ローランサン を紹介します。
***
こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はマリー・ローランサンについて勉強していきましょう。
マリー・ローランサン。1883年生まれ。フランスの画家であり、淡い色彩の女性像を描いた画家として知られます。
ローランサンは、第三共和政のフランス・パリで生まれました。ローランサンは婚外子であり、母子家庭に育ちますが、裕福な父親から経済的な支援を受けていました。
母親はローランサンが教師となることを望み、高い教育を与えますが、ローランサンは画家になることを望んだため、18歳の頃よりセーブル王立製陶所の絵付けの講座に通うようになります。
続いてフェルナン・アンベールの画塾に通うようになり、そこでジョルジュ・ブラック、ジョルジュ・ルパープらと知り合います。
その頃の作品が「自画像」です。
1907年、24歳頃のローランサンはブラックの影響を受け、パブロ・ピカソ、ギヨーム・アポリネールらと知り合います。彼らはモンマントルのアトリエ「洗濯船」を拠点としており、ピカソとブラックがキュビスムを生み出し、また、アポリネールがアンリ・ルソーを評価するなど、新たな芸術潮流の発信地となっていました。
その頃の作品が「パブロ・ピカソ」。1908年、25歳頃の作品であり、ピカソが着目していたエジプト絵画風の肖像画となっています。
1914年、ローランサンはドイツ人男爵と結婚。しかし間もなく第一次世界大戦がはじまったため、ローランサンは敵国の妻としてパリを追われ、亡命生活を余儀なくされます。
しかし1920年にローランサンは離婚してフランスに帰国すると、ローランサンの作品は社交界から大きな支持を得て、再出発することとなります。
ローランサンの作品を見ていきましょう。
「シャネル嬢」。1923年、ローランサン43歳ごろの作品です。
「三人の若い女」。1953年、ローランサン71歳ごろの作品です。
ローランサンは第二次大戦のさなかもパリで制作を続け、独自の画境を模索し続けました。現在では、戦間期のパリの前衛を生きた重要な女性画家の一人として、また、淡く繊細な独自の女性像を描いた画家として、知られています。
以上!

Пікірлер: 4

  • @hmasahikawa
    @hmasahikawa2 жыл бұрын

    公園前派出所の美人ピンク警官の母親(芸名)もここから来ているのか?

  • @user-op6zu5xk1f
    @user-op6zu5xk1f4 жыл бұрын

    この田舎娘が!ってシャネルに叫んだ人だぁ

  • @455ryo
    @455ryo4 жыл бұрын

    いわさきちひろが多大な影響を受けたのがこの人だよね。

  • @user-pf4ik7pb1z
    @user-pf4ik7pb1z4 жыл бұрын

    素人にはこの絵の良さがわかりません。何故こんなにも女性の肌を白く描いているのょうか、、個人的にはルノワールやルーベンスのような色彩が明るく描かれている方が好みです。

Келесі