1336(建武3)年『桜井の訣別』1899(明治32)年発表
「青葉茂れる桜井の」が歌い出しの『桜井の訣別』(さくらいのけつべつ)は、明治32年(1899年)に発表された日本の唱歌。
作詞:落合直文、作曲:奥山朝恭。
国学者で一高教授だった落合は、学校生徒行軍歌『湊川』の第一篇に「桜井決別」として発表した。作曲者の奥山朝恭は岡山師範学校の教師。
歌詞では、鎌倉時代末期の名武将・楠木正成(くすのき まさしげ)とその息子・正行(まさつら)にまつわる伝承「桜井の別れ」が描写されている。正成が足利尊氏追討の命を受けて兵庫に向かう途中、桜井の里で、子の正行を諭して故郷に帰す、泣かせる物語である。
古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話・・・いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話であり、明治期より、昭和の太平洋戦争のころまで、知らない人のいなかった歌でもある。(大正15年生まれの亡くなった父が好きだった曲です)
参考:【建武新政】119 忙しい人のための建武の新政【日本史】
10:44 から「桜井の別れ」に触れています。
• 【建武新政】100 忙しい人のための建武の新...
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楠木正成は敵の事も敵と言わず「寄せて方」と言ったとか、いい武将だったと思う。大河ドラマでいまだにこの人を主役のドラマが無い。
落合直文の名は高校の国語で学びました。自分の子に直文と名付けました。美しい歌詞です。歴史学からは南朝を正統とするかは議論の余地があると思いますが、皇国史観の時代を背景としても、心を打つ歌です。
@user-ec2sf1vt8y
4 ай бұрын
落合さん、国文学者の先生なんですね。素晴らしいです。🌸🥰
五月雨とかホトトギスが入っており、戦争は反対だとの思いが込められているように思います‼️素晴らしい歌にあらためて感動致しました‼️
楠木正成を知らなければこの歌のこころも分からないでしょう。 日本はどんどん遠ざかって行くようです。 心に染みる歌をありがとうございました。
しかし、若い世代の人に期待の思いが詰まった歌で感動します‼️限りない期待に応えていただきたいと、涙が止まりません‼️若い人々よ‼️限りなく前進して下さい‼️民衆の幸福と世界の平和の為に‼️
@user-en7np9kc3v
9 ай бұрын
楠木正成と正行の゙桜井の゙駅の゙親子の゙別れを歌にした名曲で聞いたら涙が出る演奏動画見せて貰って有難う御座います
桜井の別れ青葉繁れる桜井のこの曲は名曲です学校で生徒になぜ教えない先生が学校が左翼だから教えない
@user-ec2sf1vt8y
4 ай бұрын
やっぱり! うちの学校もでした。😭💦 思いっ切り左側で、真っ赤っかな先生が多かった。😱💦 自衛隊も反対!とか・・・😂
しかし、正成と正行の絵が素晴らしい絵です‼️感情もきちんと入っていて素晴らしい絵です‼️この絵のある所に見に行きたいです‼️
死んだじいちゃんとばあちゃんが教えてくれた思い出深い歌小学一年生で良く歌ってました。
漫画「逃げ上手の若君」を読んで、大楠公のことを思い出したので 視聴しに来ました。😊 桜井宿での別れのシーンも登場し、 正成公、正行公が魅力的に描かれていて嬉しかったです。💕
良い歌です
感動で涙がとまりません?
亡き母が好きだった歌です。 同じ録音のレコードを持ってます。 宍倉正信さんだったかな?
後期高齢者になって、この歌の意味が深く分かりました。そして今でも歌われていることに感慨深いです。
楠灰懐炉が菊水のマークだったことを思い出しました、そしてこの歌が十五番まであることを知る。
嗚呼、忠臣 楠子の子。
後期高齢者です。子供の頃は「青葉シゲチャン昨日は」と言ってました。正成は悪人で公家衆とは・・
大楠公の歌とかタイトル違う同じ歌があるのは何故ですか❓️⁉️正式なタイトルはどれですか❓️❓️⁉️
@yama575
9 ай бұрын
初出は、奥山朝恭が兵庫県の師範学校在職中に「湊川」を作曲し、その第一編が「桜井訣別」として 発表されました。明治32.6 明治唱歌としてのタイトルは「青葉茂れる桜井の」となっています、(以上日本唱歌集より) 以降は出版社等により、様々なタイトルで出版されているようです、